はてなキーワード: 首吊り自殺とは
「自宅で死亡している人を発見したニュース」を見るといつも思う。
人が死んだら、勿論とりあえず悼む。
だから皆悼むよね。惜しいとか、ご冥福をお祈りいたしますとか言ってる。
でも死んだ人間がいると同時に、必ずそれを発見した人間が存在していることになる。俺はそっちの方がいつも気になる。
冷静に考えて、人が死ぬところ発見する事自体が最悪すぎる。一生物のトラウマになる。
知らないオッサンが突然の心臓発作で息絶え、そこの辺に道端に転がってたとしても既にキツい。
加えて例えば今回の例で言えば、
・少なくとも自宅に尋ねられるぐらいには既知(多分マネージャーとか)
・見慣れた扉を開けるとそこには慣れ親しんだイケメンがグロい肉塊となった物体が!!
最悪だ。最悪すぎる。イメージするだけで吐き気がする。グロ死体の段階で嫌なのに、しかも生きてる頃をよく知っている人なら。
我々国民の中には、「ショック……頭真っ白……」とニュースの文字情報のみを受け取っても頭が真っ白になる人間がいるぐらいだ。
もし、目の前でそれを見てしまったらそれはいったいどんな衝撃なのか。
三浦春馬がどんな可哀想な目にあってこうなってしまったのかは分からないし、それを軽視するわけではない。
が、首を吊った三浦春馬を見つけた人はまだ生きているはずだ。
今も生前の三浦春馬と、グロ死体が頭の中に交互にフラッシュバックしながら、動悸息切れが止まらずに震えているのではないだろうか。
ぼちぼちコロナで不況になった社会に出ていくためシャカリキに就活をやらないといけない時期が近いわけですが、全然やる気が出ない
大学はFランクってほどでもないけど、とうてい一流とはいえないような国立大学 自分の能力は結構低くて、文系のゆるい学部でありながらわりといっぱいいっぱいになっている(最近はコロナでずいぶんマシだけど)
正直社会に出てやっていける気がしない
週4で徒歩圏内の大学に行って座って講義聞いてちょっとなんか書いて…ってのをやるだけで週末は疲れ果てて家に閉じこもってたんだ
週5で電車か車かで通勤して、8時間以上責任を負いながらいろんなタスクをこなして…って労働をこなせるわけがない
しかも週5で8時間っていうのすら相当ゆるいと聞く 上述のとおり私の大学は学歴として箔になるとはいえないし、そもそも私自身の能力も気力も低い そんなんでホワイトな労働環境を得るのはまあ無理といってよかろう 週6で11時間労働とかそういう世界になることは目に見えとる
で、今後そんな世界に漕ぎ出していくモチベーションが全然もてない
趣味はそれなりにあるし、人生に楽しいことなんてなにひとつない!とは思わない でも大変なことがあまりに多いような気がするし、いま知っている楽しみはその苦しさに束になっても敵わない
これから自己肯定感が破壊されてウツになるって噂の就活をこなして長時間労働の世界に飛び込んで、歳とって病気になったりボケたりして死んで…ってのをわざわざやるくらいなら、いま「ショートカットできてうれしい!」と思いながら死ぬほうがいいんじゃないかと思ってしまう
でも死ぬ勇気はない 痛いのは嫌だし、痛くないっていう首吊り自殺は昔ちょっと試してみてあんまりうまくいく気がしなかった 練炭自殺は難しそうで、不器用かつ間が悪いからあっさり発見されて病院送りにされそう
どうしたらいいんだろう
頑張っても苦しい暮らし、頑張らなくても苦しい暮らし 本当に絶望しかない
「理解のある彼くん」を捕まえられればいいんだけど、まあ無理だ 骨格というものがある
やっぱ死ぬしかないのかな 自分の幸せを第一に考えるんなら確実にそれがいい たくさんの楽しみを得るよりも、少しでも苦しみを減らしたい って考えだから… 安楽死したいな
駐車場に行く途中で死んだ2人+最後の集団自殺で死んだ4人+オリーに射殺されたカーモディおばさんの計7名の命が助かる
aの生存者に加え、
さらに薬局で黒人MPの「俺たちのせいで…すまない」という遺言がスーパー内に伝わらないので軍人二人が首吊り自殺をせず助かる
さらに主人公がジェサップ二等兵を詰問するイベントも無くなるので
アローヘッド計画のことがカーモディ派に伝わることもなくジェサップ二等兵が殺されることも無くなる
aとbの生存者に加え、
主人公がジムに「緊急用照明を付けるのは怪物が来たとき」と指示を出すことが無くなるので
虫とドラゴン襲撃イベントの時にジムが緊急用照明を付けて光に怪物が誘き寄せられることが無くなり、
怪物を撃退しようとしたジョーが松明で誤って大火傷をして死ぬこともなくなり、
ハティが怪物を目の当たりにして絶望し服毒自殺することもなくなる
aとbとcの生存者に加えて
主人公が車の壊れたノートンを乗せてスーパーに連れてくることが無くなるので
富士山を登りながら、動画を配信していて、山頂付近で足を滑らせ、行方不明になった男性がニュースになっている。
そのなりゆきがニコニコ動画にアップロードされていたので視聴した。
笑った。最高だった。私もこういう風に死にたい。
自殺にもいい自殺と悪い自殺、セクシーな自殺とそうでない自殺がある。
首吊り自殺なんて最悪だ。発見した人の気分を害する、最低の死に方だ。
いじめから逃げるための自殺はもっと最悪だ。カッコ悪すぎる。私なら、いじめられて死ぬくらいなら、いじめてるやつを刺し殺す。
一つは心中だ。江戸時代の遊女のように、大正時代の女学生のように、愛のために死ぬ。美しい。エモすぎる。
もう一つは殉死だ。君主の死を受け、忠義のために死ぬ。今の私にはよく理解できないが、それがとても尊い死に方なことは分かる。
心中と殉死。この伝統から分かるように、我々日本人はある種の自己表現のために自死を選んできた。自殺は日本の文化だ。あの三島由紀夫だって割腹自殺したんだぞ。
昨今、自殺は良くないだの悩んでるなら相談しようだのやかましい言説が流行している。それも一つの考えであることは否定しないが、日本全体がそういう風潮になるのは文化的な退廃であるように思う。
もし大勢のムスリムが日本にやって来て、豚肉を食べるなんて汚らわしい、と言ったらあなたはどう思うだろう。ヒンズー教徒が牛を食べるなと主張したらどう思うだろう。ほっとけって思うよな。今の私の気持ちがそれだよ。分かってくれ。
人は、生まれる場所を選べない。だけど、生き方は、死に方くらいは選べる。
余談だが、今のアイドルオタクに物申したい。お前らなんで生きてんの?死ねよ。
2001年、音楽グループ「野猿」の解散を受け、女子高生2人が自殺した。遺族には申し訳ないが、私はこの死に方を選んだ2人の意思を尊重しようと思う。
アイドルオタクよ、女子高生だって自殺したんだぞ。お前らも推しがアイドル辞めたら死ねよ。絶対届かない場所にいる彼女もお前が死んだらお前の名前を絶対に忘れないぞ。世間のやつらだって、彼女がアイドルを辞めた事件を絶対に忘れない。私だって野猿の解散を覚えてるくらいだからな。
え、死ねない?家族が悲しむ?そうか、そうなんだな、君は推しより家族の方が大切なんだな。いいよ分かるよ。けど、君の推しに対する愛はそんなものだったんだな。
ところで、こんなことを言っている私を皆さんはどう思うだろうか。きっと、陰湿でウジウジしたやつだと思われているに違いない。
しかし私は私を陰湿な人間だとは思わない。私は、人を楽しませることが大好きなエンターテイナーだ。
自殺について本気を出して考えた私の今のところの結論は、自殺はよくない、ということだった。
残念ながら、今の日本人の多くは心中も殉死も理解しない。だから私は心中も殉死もする気がない。そんなことしてもスベるだけだし。
なら、どういう風に死にたいか。すまない、語らせてくれ。
私は、皆が笑えるような死に方をしたい。
冒頭で話したような、配信中のアクシデントで死ぬような死に方はかなり理想的だ。自殺を聞くと人々は悲しむが、こういう死に方なら笑う人もいるだろう。いいなー、ずるいなー、私もこういうくだらない死に方したいよ。面白い死に方したいよ。
人が死んで笑うなんて不謹慎だ、なんて言う人もいるかもしれない。
だけど、悲しんで欲しくて死ぬ人がどれだけいるだろう。多分少数派だと思うけど。私がニコ生の彼なら滑り落ちながらガッツポーズしてただろうな。今のは良かった、絶対に話題になる、最高に笑える、面白い、マーベラス!
もしあなたが、バンジージャンプの紐が切れて死人が出た、というニュースを耳にしたら──死んだのは私かもしれない。その時は多いに笑ってくれ。それが私の望みなのだから。
死刑賛成の人に、ぜひ考えてもらいたい重要なこと: 納豆食えるか?
納豆は食える人と食えない人がいる。納豆食えない人、大嫌いな人に納豆を食べさせるるのは恐ろしい刑罰になるが、納豆が好きな人に納豆食べさせたら、刑罰にはならない。
だから、納豆を食べさせる「納豆刑」は存在しない。受刑者によっては刑罰ではなく、ご褒美になるから、刑罰にならない。意味がない。
つまり、ある事を無理やりやらせる事が、刑罰として意味をなすためには、それが、「誰にとっても嫌な事」である必要がある。
さて、死刑とは、「死ぬ事」を無理やりやらせる事だ。それは、「誰にとっても嫌な事」だろうか?
自分にとっては「死ぬ事」が嫌な事だとしても、まわりに、「死ぬ事」を進んでやりたがってる人はいないだろうか?
ちょっと探すだけで「死にたい」ってSNSでつぶやいてる人間はたくさんいるし、この国では、年間3万人も、自分から進んで死を選ぶ人間がいる。死にたいと思ってるだけで実際に行動に移さなかったやつもカウントすれば、もっと多いだろう。
「死ぬ事」の愛好者が、この国には年間3万人もいるんだぞ?「死ぬ事」は割と愛好者の多い、人気の行為と言えるんじゃないか?なんで、そんな愛好者の多い行為が、刑罰になると思えるんだ?
しかも、日本の死刑は絞首刑、要するに首吊りだ。「死ぬ事」の愛好者、つまり、自殺者志願者の間では、首吊り自殺は苦痛なく確実に死ねる最も楽な方法として推奨されてる方法だぞ?そんな方法で楽にしてやってどうするんだよ。
刑罰は受刑者が嫌がることをさせることではない、などということは知ってるよ。
ただ、結局、そのロジックでは死刑賛成派を説得できなかった…というのが実情じゃないか?
そこがねじれてるんだよ。死刑賛成派の人の大半は、とにかく犯人を罰したい、懲らしめたい、というのが目的なんだから、彼らと同じ土俵に立って、懲らしめになってないって言ってやらないと、彼らの共感は得られないんだよ。
被害者として捉えて欲しいのではなく他の疾患と同様にフラットに受け入れて欲しいんだ。
エビデンスとか探したら多分あるけど、うつ病は遺伝しやすい。でも器質的というよりから生い立ちだよね、親の愛着がうまくいかなくて自己肯定が養われなかった。そんな不安定な自己のまま社会に出るから適応しきれず病になる。健全な育児の推奨は必要だと思う。
自分は小学校3年のときに両親が事故で亡くなり、自営業をしていた祖父祖母に引き取られたものの経営難で中3のときに首吊り自殺した。それからを境に祖母はパワーストーンとか怪しいセミナーにのめり込んでしまった。私には安心できる時間がほとんどなかった。精神的に脆いという気質は遺伝としてあったのかもしれないけど、誰かにこの話もできないし、死にたくなる夜はただ堪えるしかない。
さっさと貯金して辞めるつもりが、元から金銭感覚ガバガバの上にバンギャとジャニヲタを経験してきたので貢ぎ癖もあった
そのせいで風俗嬢になって最初の半年はホストにハマってしまった
300万ぐらい使ったけど飽き性だった故バカらしく思えてきたのでホス狂いやめた
半年でやめれて良かったと思ってる
そっからの1年半程は出勤してお金稼いで洋服買ったり友達と旅行やライブに行ったり割と平穏な日々を過ごしてた
出勤日数もそんなに多くなかったから仕事のせいで病むことも無かった
後日一緒に知り合いの店に来て欲しいと言われ、仕事終わりにオーナーのいる所に向かった
お酒飲んで適度に酔っ払って一緒にタクシー乗ったら手を繋がれた
「あっそういう感情をこの人は私に抱いてるんだ」
というのを一瞬で察知した
ある程度の外見と清潔感、それと仕事ではなくプライベートとして出会った点をクリアしていれば好意を寄せられると好きになってしまう
その後もちょくちょく連絡取って店行ったりご飯食べたりホテル行ったり
毎日が楽しかった分、何故付き合ってくれないのだろうと思っていた
最初は私が風俗嬢だからなのかなという考えだったけど、他に女がいるんじゃないかという結論に至った
夜職してる方と何回かそういった行為をした事があるが、他に女がいない場合大体は家に連れ込んでくれるという自論を持っていた
付き合おうも言わない
だからもう何も考えないことにした(最低)
めんどくさい女になりたくない、嫌われたくないという気持ちが私の中で強い
だから今回も何も考えずにシャットダウンして関係を続けていくことを決めた
ヤバイドラッグを試せて、そのまま高級ソープ嬢とキメセクできる合法的な公営施設があったらなー。
その施設には高級料亭も併設されてて最後の晩餐までできたら言うことない。
1泊50万円ぐらいでコミコミでできないだろうか?
ヤバイ薬なんてどうやったら試せるのかわからないし、やっぱり体力も気力も落ちてるから今更自分で段取りすることもできない。
それに下手を打つと犯罪者としてまわりに迷惑かけてしまうのも気になる。
どうせ死ぬんだから最期に色々試して、そのままわけのわからないままその施設でひっそりと首吊り自殺したい。
もちろんその施設では自殺しても報道なんてされない配慮がされてんの。ぬかりはない。
俺が殺される前に誰か死ねば何かが変わると信じて誰か死んでくれと毎日思う。
でもふと気づいたんだよな。
既にこの職場人が死んでるんだ。
首吊り自殺してるんだ。
それで何も変わらなかった。
人が居なくなった所を他の人が兼務してその人が忙殺されそうになりながら、毎日イライラしては他の人と怒鳴り合ってる。
この職場はもうどうしようもねえんだ。
ここに居てもただただ殺されるだけだ。
逃げなきゃ……人が死んでも何も変わらないならもう逃げなきゃ……。
「あの人は旦那さんが病んでいたからしょうがないんだよね」と自己暗示を賭けている人はいるけどさ、ハッキリ言わせてもらう、「旦那が病んでいると分かっている人に重圧をかけ続けて、心のフォローもせず最後に殺したのは何も変わらないぞ」ってな。
横で人が死んでいて「うわー余計な仕事が増えたー死ねよー。あー死んでるのかーマジかよ死ねよー」と平気で言えちゃう奴らしか居ねえんだ。
俺も死ぬべきなんだろうな。
畜生、死にたくねえよ。
なんでハムレットやってるんだよ俺は。
チンケなプライドを守るためには、自分が人殺しじゃないって言い張りながら死ぬためには今すぐ自分で死ぬしかねえのか?
なんでこんな事になったんだ。
もう辞めるか。
辞めるしかねえのか。
畜生……面倒くせえ……転職したって俺みたいな奴がどこに行きゃいいんだ。
また何処かで食い物にされるのか。
もう駄目だ。
死にたくねえ。
死にてえ。
辞めてえ。
辞めたくねえ。
どこかにある、過労死ラインなんて誰も越えなくて済むような職場、そこにたどり着きてえ。
本当に日本にあるんだろうか。
この業界には無さそうだ。
そうじゃなきゃ夜中に電話して何で通じるんだろうな。
職種を変えるのかこの歳で。
どうすりゃいいんだ。
冷静になった4年後の今では、
自分が見ていた父親の姿はろくでもないものばかりで、最後に見たのは首吊り自殺体だった。
自分が生まれてきてから死ぬまで、父親はトラウマを植え付けた存在でしかない。
父親自身もなにか自分の知らないところで大変だったと思うけど、
やっぱり『好きで生きてるわけじゃない』というのが幼少の頃から感じ取られた。
ランダムに配置されたとはいえ、18年も一緒に住んでいた人間の自殺体なんて、
今思い出しても吐き気がする。
残された人間は生理的に無理なもの、トラウマを抱えて生きなければならないのか?
いちいち思い出して頭がズキズキするのはもう嫌だ。
どうしたらいい。
仕事が忙しく、経験したこと無いようなストレスと自信消失になった。恋人も仕事が忙しいのかなかなか連絡がとれなかった。
恋人から既読無視がついた途端、とても落ち込んだ。支えが完全に無くなった気がした。死ぬことを決意した。
深夜に恋人へ別れを告げ、首吊り自殺について調べた。昼過ぎに遺書を書き、写真を撮って、念のために仲のいい友人に託した。
睡眠薬を6錠飲み、プレゼントするつもりで編んだネックウォーマーを自宅のつっぱり棒につけて、頭を通した。
苦しくない位置にかからないことと、睡眠薬による動悸、足がついてしまう高さということもあり、うまく死ねなかった。
そわそわした。どこで吊るといいのか、電気ケーブルで吊れば死ねるのか、はやく死にたいとずっと思った。
仲のいい友人から制止する連絡が来ていた。嫌われていると思っていた恋人からは嫌いじゃないと言われた。本心か偽善か分からない。
そのまま寝てしまい、朝を迎えていた。仲のいい友人は何人かに自分が死のうとしている事を話していた。
こうなったら後戻りは出来ない。死ぬしかない。そう思い、家族が去った後の家でふたたび首吊り自殺を試みた。
うまい位置に引っかかった。血流が止まり、顔がむくんでいく感覚がした。今度はいける。
そう思った瞬間、ネックウォーマーを首から外していた。虚無感があった。怖気付いたのかもしれない。
昨日までの高揚感がなくなっていた。
知人から連絡が来た。自分も自殺未遂を起こして死ねなかったという話。今の自分と似た状況だったので思わず涙をポロポロこぼした。
どうすればいいのか分からなくなった。仲のいい友人に電話をした。後で折り返すと言われた。
無気力で死ぬ気も失せてしまった自分はどうすればいいのか分からなくて、ひたすらぼーっと、虚しく掲げられたネックウォーマーを見ている。
散々言われている事だが
・日本は宗教的に自殺が禁忌とされておらず、むしろ「死んで償う」など自殺を美化する文化があるために
自殺を禁忌としている宗教が根付いている地域より自殺率が高いのは当然
その理由は、衝動的自殺においては男性は暴力的手段を選ぶ事が多いが
女性は暴力的手段を回避して服毒など失敗しやすい手段を選ぶ事が多く、
また暴力的手段を用いた場合も力の差で女性だと致命傷にならない事が多い為
計画的な自殺の場合は男女とも確実に死ねる手段を調べて選んで自殺する人が多い為、男女の自殺率(=自殺「成功」率)の差が少なくなる
今日母親が階段で首吊り自殺をしようとしていた。階段のところにあるオペレーター式の窓のチェーンに首を括り付けてそのまま階段から滑り落ちて首を吊ろうという魂胆だったらしい。
私は二階にある自室にいて、やたらバタバタと階段の方が騒がしいな、と思ったので様子を見に行ったら、無表情でチェーンを首に巻いた母親がいた。母親の首には赤い跡が付いていて、「もうこうするしか方法がない」と言った。私は驚きよりも悲しみや怒りや呆れといった感情を強く抱いた。
母親が自殺未遂をしたのは、たぶんこれで5回目。たぶんというのは、嫌な記憶が忘却されつつあって覚えている範囲でも曖昧な部分があるからだ。5回という数字を客観的に見ると、多いなと思うし、でもその数字以上に考えさせられることはたくさんある。
今回の自殺企図をする前も、私は母親と明日通院している心療内科にかかりに行くことを約束した。私の記憶が正しかったら、前にこういうことがあった時にも、もうしばらくは自殺しようとしないと二人で決めていた。「自殺しないとはっきり約束してもらう」という対策法をどこかで見てから実践している。けれど、その決まりごとはは毎回破られる。その度に私の心は折れる。
自殺をしようとする人に対して、掛けてはいけない言葉がある。自分の意見を押し付けずに話を傾聴しましょう、とかこういう対応の仕方をしなければいけないみたいなマニュアルのようなものがあることは知ってる。でも、それを遵守できるのは、心が病んでいない人間だけのように思える。少なくとも私は、繰り返される自殺未遂に疲れてしまって、母親が希死念慮を強く持つたびにもういっぱいいっぱいで、抑えていた気持ちが怒りとなって爆発してしまうようになった。自分がダメなことは分かっているけど、それをどうしていいか分からない。
母親は「うつの気持ちはうつになってみないと分からない」と言うけど、うつ病患者の近くにいる人の気持ちもも、その立場になってみないと分からないと思う。
躁鬱とまではいかないが、母親は気分の変調が激しい。数週間前まではテレビを見て、家事をして、と日時生活を普通に遅れるのに、少し躓くと抑うつ傾向になってどんどん気持ちが落ち込んでいっている。体調が良いときはどこにでもいる普通の母親みたいなのに、体調が悪くなると過去に何度も自殺未遂をした希死観念の強いうつ病患者の顔になる。その変容の激しさも自分の心の波が一定にならなくなってしまった原因のひとつだと考えている。
そして私は、母親が自殺未遂をしたなんてことを微塵も感じさせない笑顔を作って新学期を迎えて、友達に会う。
自殺を試みる人は、何度だって自殺しようとするし、止めることができなくても、それがその人の寿命なんだと捉える考え方もあるらしい。
自殺を止めて、それで苦しみながらも生きて、また死にたくなって。死んでしまうのとどっちの方が辛いんだろうと最近になって考え始めた。
以下のメッセージは昨年動画配信中に首吊り自殺を行い、2ちゃんねるのニュース速報嫌儲板やなんでも実況J板で大きく話題になった男、通称「だるま」のメッセージ
2ちゃんねる内では非常に有名ではあるものの、あまりにショッキングな映像なためか外部メディアが消極的で、あまりはてなーには知られてないと思ったとので掲載
はっきり言いますけども、
こんな小さな平屋の家に6人で住んでいたせいですよ。
実際、俺の兄弟のうち、まともに育ったのは瞳さんだけで、
勇さんは高校に行かずに中卒になって、ニート引きこもり生活を経てバイトをし、2008年に一応自立。
俺は2004年10月に高校を中退して、そのまま引きこもりになり、2016年9月28日くらいに自殺ですからね。
そりゃーね、「親は悪く無い。引きこもりになったの責任は全部お前にある。」みたいなこと言って、
俺の事を責める人はいるのはわかるけども、
でも、認めて欲しいのは、俺の育った環境は滅茶苦茶悪いってことなんですよ。
俺にどうしろっつーんだよ。
…別にね、このホームページを見てる人に同情してほしいわけではないんですよ。
じゃあどうして欲しいのかと言えば、謙虚さを学んでほしいですよ。
謙虚さというのは、自分が恵まれたことに気が付いて、その事に感謝出来るかどうかなんですよ。
そして俺はね、環境にも才能にも恵まれなかった日本国民なんです。
俺はね、そういうやつに言いたいんだよ。
「お前はただ、環境や才能に恵まれただけなんだよ。だからそれに感謝して慎ましく生きてろよ。」とね。
…はい。そういうことです。
「うつ病の人は死にたい死にたいと言いながら生き続けてるから甘え」
「うつ病の人は死にたい死にたいと言いながら生き続けてるから放っておいて大丈夫」
気持ちは分からなくもないがこちらもファッション病人ではないので、うつ病の人間が死にたくなる過程と何故死なないのかを説明する
1つは「直前にヘマや何かをやらかしたケース」
ヘマをやらかす
↓
(どんなにちょっとしたヘマでも)自分がダメ人間だからこんなひどいミスをしたんだ
↓
自分は生きている価値のない、社会にとって不利益しか生まない、生きているだけで害を生む人間なんだ
↓
厄介なのは病気のせいなのか、一度悪い考えが生まれると全く良い方向には動かないし、結局死ぬことだけを一日中考え続ける羽目になる
ここから脱するのに人からの優しい言葉や行動以上に効果のあるものはない
もう1つは「何も原因がないケース」
寝起きに起こりやすい人、夕方に起こりやすい人…。起こりやすい時間は人それぞれ分かれるような気がしている
これに関しては本当に何もない
突然死にたい気持ちが頭を支配し、死ぬことしか考えられなくなる
死にたいと略してはいるが私の場合全て「自分は無価値で、生きているだけで皆が迷惑するから死にたい」である
責任を取って切腹したい、責任を取って辞職したい、みたいな感じだろうか(適切な例えかは知らない)
しかもうつ病の死にたい気持ちは、空腹感や眠気と同じくらい強烈である
空腹感のひどくて「お腹の空いた」と言っている人に「気合で何とかしろ!」
眠気のひどくて「寝たい」と言っている人に「気合で何とかしろ!」
とか言ったところでお腹は空いているし、眠たいし、同じようにうつ病の死にたさも気合いでは何とかならないし、誤魔化そうにも誤魔化せないのである
では本題の、何故死なないのか?という所である
という問いにイエスと答えられる人はなかなかいないと思っている
軽い気持ちでではなく遺書をきちんと残し、明日からは自分のいない世界が始まるんだということを考えての自殺である
経験したことがある方なら分かると思うが、自殺をするのは筆舌に尽くし難いほど怖い
私は首吊り自殺と飛び降り自殺を考え、実行したりしなかったりしたがあの時の恐怖は思い出しただけでも嫌な気持ちになる
死に対する漠然としたとてつもなく大きな恐怖は、動物が生存するにあたって備え付けている一部の機能のような物であるのだと思う
そもそも死ぬのが全く怖くないように人間の心がなっていたら、人間はとっくに絶滅しているのではないだろうか
縄を目にした時からとにかく怖くて怖くて仕方がなかった
「これで楽になれる」という気持ちより「死が怖い」という気持ちが何倍も上回り、首に縄をかけるだけで何分も費やした
結局首を吊ってから数分、苦しみと死の混ざり合って私は自殺を断念した
それ以来、私は縄に首をかけることすらしなくなった
それくらいに死は怖い
なのでどうか「死にたい」と言ってばかりの死なない人を笑わないでほしい
ただ自殺をやり遂げた方々が皆、あの強大な恐怖を上回るほどの死にたい気持ちを抱えざるを得ないほどの、考えられないほどの心労を抱えていただけなのだ