はてなキーワード: 養成とは
本日、大阪城ホールで行われた大阪府立大学の入学式に、橋下徹大阪府知事が出席した。橋下知事は、「大阪府立大学に対する補助金を削減」「大阪府立大学と大阪市立大学」を統合する」といった旨の発言もしており、一部の府立大学関係者からは反感も買っている。そのような中での出席だ。公務多忙のため、壇上に来賓席はあるもののそこには一度も座らず、壇上に登場したのは祝辞を述べるときだけだった。以下はその祝辞の概要である。別に録音していたわけではないので細かなところはいい加減である。以下は、大まかな流れとして考えて欲しい。
入学おめでとうございます。新入生の皆さんには学問に励んでいただきたいと思います。大学は人材養成や就職までの猶予期間を過ごすための場ではありません。そんなことを言っていられるのは僕が大学生だった時代までのことです。
僕は、私学助成、障害者福祉、医療関連の予算、府公務員の給与など、さまざまなものを削減してきました。大学に対しても例外ではありません。現在、大阪府立大学に対しては100億円超の補助金を支出しています。つまり府民の税金で君たちは通っているのです。だから、君たちはその成果を府や府民に還元しなければなりません。梅田や難波で人々に尋ねれば、多くは府立大学の存在を知りません。確かに、府立大学は大きな成果をあげています。最近では、シャープやトヨタと提携しました。しかしそれだけではいけません。もっと府民にそれを周知しなければなりません。君たちにはその点を覚えていて欲しい。もっと府立大学の成果を宣伝しなければなりません。井の中の蛙ではいけない、ガラスのコップの中に閉じこもっているだけではいけない、ガラスのコップを割る勢いで、新入生の皆さんには学問を頑張って欲しいと思います。
僕は府立大学を、府民の税金を使うのに値するか、厳しくチェックします。君たちはとてつもないポテンシャルを秘めている。しかしそれを発揮しきれていない。それを君たちには発揮して欲しいのです。そして、府立大学を日本一、いや世界一の大学にして欲しいと思います。
んーhttp://anond.hatelabo.jp/20090404023553 へのレスと共通するけど、まず美術の先生のみならず、芸術かデザイン系の先生方はやりたい事を具体性をもって表現できるように訓練してるので基礎なんて教えてくれません。
違う人も書いてるけど、そういうルールを教えるのは義務教育までで十分なんですよ。
約束事なんてググったり本読めばどこもかしこも同じこと書いてるからわざわざ仕事覚える時間削ってまで研修と称して無駄なコストかけるんじゃないと。
これは企業に対して言ってるんじゃなくて、すこし自分が行動すれば知れることを用意する社会に言っておきたいねー。
言われた事に従えればいいなんて時代錯誤もいいとこで、オペレーター養成するわけじゃないんだから、多少デコボコした組織でも新しい価値を生み出しやすい様もっとカジュアルになってほしいな。
これは夢の話ですよ。
いいですね?
数年前、自分も似たような事あったなーと思い出し書き。
でも、厳密にはマルチ商法に関することではなく、
どちらかというと声優になりたい人の夢を粉々に砕くかも知れない話。
ちなみに自分が通っていた学校はスケジュールの変更がままあり、
勿論、仕事とかじゃない。
先生方が生徒達に演技に触れる機会を増やして下さっていただけ。
ただ、突発的な招集も多かった為、バイトは転々とせざるを得なかった。
だから実家から通っている人はともかく、自分のような上京組はいつも生活が逼迫していた。
(もくもくとキャベツだけ齧っていたような時期もあったし、嫌だけど水商売もした。
こっち(芝居)に没頭出来るようにちょっとお金貯めて来る!って言って自衛隊入る人もいた)
脱落者の多くは貧乏に耐えられず、だった。
でも大概はそんなこと言ってくれない。
「プロダクション付きではないけど、そこに上がれる可能性があるクラスに入ろう」
と言われたら、そこから先は見極めが肝心。
人によっては、ただお金を搾り取られるだけに終る。
お金を出すだけ出して、いずれ「あんなこともあったな」みたいな若気の至りになる。
自分の可能性とやらに縋ってしまって抜け出せない人が一番キツい。
私もお世話になった学校にこんなこと言いたくないけれど、
あのシステムは『余程惜しい位置に居る生徒』以外を、飼い殺ししている状態に近い。
2〜3年経っても芽が出ない人間は、基本的にその学校で続けていても何も変わらない。
ほぼ無為に時間を過ごすだけだ。
寧ろ、その学校はあわなかったんだと思って、別の学校に移る方がまだ賢明。
環境が変われば、色々見えてくるものも違うし、
学校の目的が、真の役者の育成であっても、単なるお金儲けの為であっても、
基本的には学校だってお金がなければ経営は出来ないし、実績も残したい。
だから懐に入った生徒は基本的に『逃がさない』。
デビューした生徒の経歴は乗せても、毎年何人の生徒が入学して来て、
そこからどれだけの人間が脱落していってるかなんて事は、パンフレットには書かない。
落ちこぼれのはずの生徒を『卒業』させないで、『経過観察』状態にするのは、
果たしてその学校が『寛容だから』か?
その規模が数人なら、私もそう思えたかも知れない。
でも、そのクラスはどんどん規模を拡大していった。
新しいクラスがどんどん増設されていった。
才能の芽が出るまで『待ってくれる』その姿勢は優しいのかも知れないけれど、
自分の実力さえ見極められない未熟者達に、その優しさはどうだろう。
毎年芸能人になるために上京してくる人は数万人に及ぶらしい。
最近は声優人気が凄いらしいから、その内の何割かは声優志望なんだろう。
そのうちデビューして、後まで残れる人なんて、ひとつかみどころじゃない。
ひとつまみだ。
しかもそのひとつまみでさえ、大半は子役経験があったり、親が芸能関係の仕事に就いてたりする。
何の用意もなく、その身一つで成り上がるのはとんでもなく大変なことなのだ。
ネット声優だのなんだのでちやほやされている人も、冷や水を浴びせられるだけだから、
どれだけ自分がしょぼいものしか表現出来ないか。
声優業界はそんなプロでさえ、二足のわらじを履いていないと役者業のみで生計を立てることは難しい。
「声で演技してる時以外はどっかのファミレスで皿でも洗ってろ」って言ってるようなもん。
でも、それでも応募者は来るんだよね。毎年。山のように。
と、つらつら書いたけど、こんなもんはまぁ普通なのだ。
マッチョ理論はあんま好きじゃないけど、実際これくらい乗り切れなきゃ芸能界とか無理無理。
精神的にも体力的にもタフにはなる。
実際へなちょこだった自分も腕立て腹筋背筋200は普通に出来るようになった。
悪いことばっかじゃない。ていうかかなりの糧にはなるから、私的には良い経験になった。
ただお勧めはしない。絶対に。生半可な覚悟では絶対にやらない方が良い。
私は健全なドロップアウトが出来たけど、酷いやめ方をしていく人も多い。
精神を病んだり、学校内で多角関係になって修羅場になったり、講師と寝て妊娠したり。
あと、変な宗教にハマったり?
私が居た学校は上下関係も割と厳しく、先輩には基本的に絶対服従的な感じだった。
ただ、私は上の人間に媚びへつらうのが大っっっっっ嫌いなので、基本的に演技に関する質問以外、
プライベートには一切立ち入らなかったし、立ち入らせなかった。
同期生は数人が妙な補正下着を販売するサークルに加入させられていた。
補正下着(数十万)を買うだけなのに、何故か会合に参加して親睦を深めなければならないらしい。
私はその話を聞いた瞬間「うっさんくせー」と呟いていた。
いや、だってそれが正常な反応でしょ。
でも、その子は「私だっておかしいとは思うよ、だからあんまり会合には参加したくないんだけど」
と言いながらも、「でもこの下着履いて、少しだけだけど体型変わったんだよ!」と力説。
ごめん、私にはどこがどう変わったのやら。そんな感じ。
本人的には大進歩だったんかも知れない。でも他人の目に映らない効果って、意味有るの?
だったらそんな高いのじゃなくても、他のでも、それなりの効果はあったんじゃないの?
そう聞いたら、黙り込んだ。
「あ、だめだこれは」と直感的に思った。
彼女は「自分はまだ深みにはまり込んでない」と思ってるけど、ずぶっずぶにハマってる。
「やめなよ、そんなの」
そう言ったら
「やめられないよ、だって先輩に誘われたんだもん」
「忙しいとか、大した効果が得られなかったとか理由付けて、会合に参加しなきゃ良いでしょ。
下着はもう既にお金払ったんだから文句は無いはずじゃない」
「それはそうなんだけど……」
途中から私はその補正下着を売りつけた相手より、ハッキリしないその子の態度に苛つき始めた。
(若かったので、と思いたい)
「あのさ、そんな風にハッキリしないから補正下着なんて売りつけられるんだよ。
それで満足してるんなら良いけどさ、不満に思ってることがあるんなら先輩相手だろうがちゃんと言いなよ」
「そりゃ○○ちゃんはそうできるだろうけど…、先輩に悪印象持たれるの怖いし」
そうなんだ。芸能界って。声優業界って、狭いんだよね。んで、すごい年功序列。(勿論デビューの年数だけど)
これから『デビュー』を目論んでる人は、悪い噂とか広められるの怖いもんね。
ちなみに学校辞めてどっか別の場所に行ったら、それが元の学校でどんだけパッとしなかった人でも
大概元居た所を突き止められるんだ。
(たまに養成所歴長いのが恥ずかしくて履歴書に書かない人も居るらしいけど、いずれバレる)
でもさ、先輩って言っても相手もヒヨッコなんだよ?
ヒヨッコがヒヨッコ相手に威張り散らしてるようなもんでしょ?
格の違いを感じる程の相手ならまだ解るよ。萎縮もするよ。
今後の長い芸能生活(をするつもりがあるんなら)ずっと先輩の言うなりになるのかと。
この補正下着買ってた子は総じて先輩と仲良かったか、気が弱い感じの子だった。
別に本人が幸せなら良いんだけどさ。
上下関係持ち出すのは本当に卑怯。
私はこの頃もう既に学校を辞めていたけど、どうも私達より後の代の子にも売られていたらしい。
断れないのが解ってるから、本当にタチ悪い。辞めてよかったと心底思った。
そしたら「なんだかすごいパワーが貰える宝石」ってのを、やや興奮気味で語られた。
若干引きながらも、まぁ悪い子じゃなかったのでとりあえず話を聞いてみた。
「宗教なの?」
「違うよ! そんな怪しいのじゃない!!」
といいながら、会長(というか教祖? ここら辺の単語は忘れた※1)の事を語りだした。
そして飛び出したこの言葉。
( ゚д゚)ポカーン
え、ちょ、あの、何言ってるんですか。
「私達は末端の兵士みたいなもので、今の政府なんていずれ消えるから!!」
ついてけません。
よし、私の知ってたあの子はいない。
目を爛々と輝かせ、自国の未来と偉大なる教祖様の語りに入った彼女の横で、
「目を覚まさせようなんて考えるだけ無駄だな」
そう思って過去の友にグッバイした。
薄情と言うなら言えばいい。
あいつらの都合に合わせてたらこっちの身が持たん。
ちなみにその子を勧誘してたのは同じ学校の先輩。
その人は「その宝石のおかげで演技力が向上した」と話を持ちかけたらしい。
確かにその頃、その先輩は学校でももてはやされてたけどね。
ついでに「自分の実力だ」って言えねえのかよ。だっせえ。
その後、携帯に久し振りに電話が掛かって来たと思ったら、やっぱり元同期の宗教勧誘だった。
「今後その話持ちかけたら金輪際お前には会わないし、携帯も着信拒否する」
そう言って切った。
某宗教くらい大きくなるともうどうしようもない。
あれは『雇う側』にもかなりの数居るから。
日本中そこらに需要に対しての供給を生めるシステムが確立してるから。
あそこの会員であるだけで、実際色々優遇はされる部分がある訳で。
まぁそれでも実力無きゃいずれ(というか即?)干されるんだろうけど。
ちなみに一時期枕営業がどうのって話もありましたけど、そんなのしょっちゅう聞いたよ。
講師ですら生徒食ってるんだしね。
断固拒否出来る強い精神を持つか、長いものに巻かれるか。
どっちも選べない人は芸能人なんて目指さない方が良い。
あーちなみに、本当に健全で真っ当な所もあるのでこれが全てだとは思わないように。
『まとも』な所に行きたいなら、下調べか見学くらいは当たり前ですね。
ワークショップなんかがあったら参加してみると良い。
割と雰囲気は掴めるはず。
繰り返すけど、お勧めはしない。人によっては時間を無駄にするだけ。
なんか書いてるうちに自分でも何が言いたいんだかよく分からなくなった。
追記===================================
※1 ブコメ見て思い出しましたが、『軍帥』でした。
そうそう、その強烈な称号に「ねーわ」と思ったんだ。
目に留まったコラムがあったので急ぎ訳してみた。かなり意訳しているので英語を読まれる方は原文にあたられたい。
「一人一人が自律した社会を手にするための唯一の道(としての教育)」
(It is the only way to have an empowered society)
寄稿者―ヌズハト・フサイン(著者はナショナル・ブック・トラストのディレクター)
私の曾祖母はおそらく教育を受けていません。彼女には四人の娘がいましたが、息子はみな早くに世を去り、土地も一切ありませんでした。当時は、土地と息子を「社会的な安全の担保(social security)」とみなす固定観念が世間に広まっていましたから、曾祖母夫婦としては、それがないのを気にしていたに違いありません。彼女が確固とした先見の明を持っていた人なのか、それとも深い絶望から決意を固めたのか、私にはよくわかりません。でも彼女は娘を学校に通わせ、仕事に就かせました。それは今では極めて普通のことですが、彼女の時代には革命的で、周りから馬鹿にされるようなことだったのです(注1)。
曾祖母の信念の力は、彼女に自律する力を与えただけでなく、三人の娘を含む九人の子全員に教育を受けさせねばならない、という考えを祖母に植えつけました。祖母自身は、8年生まで進学しました。それが、アムローハ(Amroha)の町で、当時女性が到達できる最高学年だったのです。それでも、彼女の学びへの情熱を育むには十分なものでした。それは本当の意味で教育を受けたということです。祖母は本を読み、ラジオを聞き、テレビを見ました。おそらく、彼女がしたことは、曾祖母の手で蒔かれた真の自律の種を根づかせた、ということなのでしょう。
次の世代、彼女の娘(つまり私の母)が、私に教育を受けさせるのは、過去と比べて容易でした。今の私にしてもそうです。昔、私がインド警察職に就くにあたって、家族の反応はどうだったのかと聞かれたことがあります(注2)。この質問は固定観念にとらわれたものです。私はこう答えました。「家族は僕に教育を受けさせ、僕を支え、UPSC試験を受けさせ、合格させてくれたよ」と(注3)。事実祖母は、私がインド警察職に通ったと聞いて、その道に進むようにと背中を押してくれました。私は、この話をするにあたって、教育を大切にする家庭に生まれた自分が、とても幸運だったと認めざるをえません。あのような質問をされるまで、私は家の外の、また別の現実に向かいあわずにすんだのです。しかし、今日ここで書きたいのはそのことではありません。私が取り上げたいのは、とても基本的な問題です。教育とは何か、教育を受けたとは何を意味するのか、というものです。
教育とは何でしょう。
こう言っておいて何ですが、まずは、教育を受けたということが何を意味しないか、ということから考えてみましょう。教育を受けたということは、免許や学位を集めるかたわら、現状に疑問を差し挟まないようにする姿勢を学ぶのではありません。また、個々人の偏見から抜け出さないようにする姿勢を学ぶのでもありません。私にとって、本当の教育とは、人を研鑽と自律の道(the path of evolution and empowerment)へと送り出すものです。私たちはたくさんの科目を勉強しますが、時が経つにつれて大体は忘れてしまいます。しかし学んだ後に残るもの、残るべきものが重要なのです。それは、今までの到達点から更に先へと進もうとする態度(the need to stretch the boundaries)、新しいことを試みながら勘所をきちんと押さえようとする態度(the need to try and find equilibrium)です。例えば、良くバランスの取れた人(a well-rounded personality)と聞けば、XやYやZの専門を学んだ人というのではなく、ある種の心構えと教養を持った人を思いうかべるでしょう。
最後に強調します。教育がなすべきことは、私たちが持っている学びへの情熱に火をつけることです。ええ、貧乏の重みで足がぐらついているときに、教育のような問題について考えるのは難しいです。貧困に立ち向かうのにお金が必要なのは言うまでもありません。ですがその上で、金銭的な支援は常に仕事(work)と結びついていなければなりません。そうでなかったら、それは自尊心をむしばみ、ひいては単に大勢の依存者を生みだすだけになってしまうことでしょう。ただし、お金と仕事を結びつけることが重要なのと同じように、教育で心を豊かにすることもまた必要なのです。ですから、教育は実際に私たちの能力を伸ばし、自律した社会を作り出すのです。それは、正しいことと間違っていることとを区別できる人と社会です。教育は、私たちが持っている想像力を刺激します。私の場合、教育は先へつながる機会への扉を開いてくれました。教育は搾取に対するセーフティ・ネットです。教育をうけた男/女は、より良い生活を送るため、より良い市民であろうと努めるために、学んだ成果を生かすことができるでしょう。見聞を広めた人は、広めたぶん難しい問題に取り組んでいくことでしょう。そして彼らは、子どもたちがより良い機会を得られるよう取り計らうことでしょう。そう、かつて私の曾祖母がそうしたように。
出典:インドの新聞『ザ・ヒンドゥー(The Hindu)』2009年3月9日付
http://www.thehindu.com/mp/2009/03/09/stories/2009030950160100.htm
述べられている時代も教育史的背景も調べられていないので、過去の教育事情を推し量る参考までに識字率のデータを挙げる。
それぞれの調査に制約や統計の取り方の特徴があるようであるが、ここでは全て無視して数字を並べる。その上、元データにも当たっていない孫引きである。詳しくは以下のurlから参照した表1の注記を見よ。一例を挙げれば、1981年に、調査対象者の年齢の下限が5歳以上から7歳以上へ変更されたとのことである。つまり、以下に挙げる識字率はどれも15歳以上の総成人人口に対する割合ではないことにも注意せよ。
赤井 ひさ子、「独立後インドの初等教育及び初等教員養成」、『東海大学福岡短期大学紀要』、9号、2007年、p. 3. によれば、識字率自体は、1951年は18%、1971年は34%、1991年は52%、2001年は65%と報告されている。女性の識字率はそれぞれ9%、22%、39%、57%で、男女間格差も大きい(小数点以下は四捨五入した)。
http://www.pub.ftokai-u.ac.jp/bulletin/2007/2007akai.pdf (pdf注意)
簡単に言えば、インド警察職は、インド行政職などと並ぶいわゆるエリート公務員である。
いつの話かわからないので、その背景も不詳であるが、おそらく以下のような近年の事情からおぼろげに想像されるようなものなのではないだろうかと推測する。
http://www.hinduonnet.com/fline/fl2324/stories/20061215002503300.htm
http://www.hinduonnet.com/fline/fl2519/stories/20080926251908700.htm
http://www.hinduonnet.com/fline/fl1908/19080210.htm
大学を中退して数年、初めてまともな文章の形にして、サッカーの現状を書こうと思う。大御所が見た「現状」ではなくて、知識も経験もろくにない学生の意見なので、細かい突っ込みはご勘弁。簡単な経歴には触れざるを得ないと思うので、匿名日記だけども別に身元がバレても構わない気持ちで書く。長くなるから、適当に読み飛ばしてくれて結構。
関西のまあ誰でも知ってる進学校出身。男子校。何を思ったのか、サッカーに強い興味を持ち(そのころの時代の雰囲気も影響していたと思う。Jリーグ開幕とかね)、まあ実家からそこそこ近い大学に進学。授業は正直言って、まったく面白くなかった。系統だった講義があるわけでもないし、科学的な考え方を叩き込まれるわけでもなく、雑多な知識を積み込まれるだけという感じ。今考えてみると、恐ろしいことに9割以上が就職する割りに、勉強している人間はほとんどいなかった。
4年生になると週のほとんどが実験。レジュメを読んで手を動かす。ある程度問題意識を持って、研究室に遊びに行ったり、セミナーに参加したり。そこそこ充実。ゼミでも知識が増えていくのは面白かった。ただ、このあたりで、他のやつらと比べて、「ああ。おれ全然頭使ってない感じがする」と思っていた。このあたりでサッカー止め様かとか就職活動も少し頭にあった。
焦燥を感じつつも、周りのやつらも同じようなことを言っていたので、まあこの時期誰でもそういうことを感じるもんなのかな、と自分を納得させる。卒業する前に少し早めに部室に通い始める。生活はここで激変。鬼コーチの特訓で、時間の縛りが大変厳しい。1週間のうちほとんど拘束。土日もなし(毎年のお正月は部室でどんべえ食べていた)。練習も一度始めると、当然自分の意思で「今日はきりがいいからここまで」ということはできない。週3日は徹夜で練習してそのまま練習に出てた。まあ、これは耐えれないこともなかった。
ただ、皆が使う器具や練習場の芝の世話を、仮にもお金を払うお客さん側である学生に負担させることへの違和感は感じていた(この違和感は後に海外に短期留学し、向こうの様子を知ることで強まる)。試験前は本気で「どうしたらいいんだろう」と悩む。しかし自分が(自分で言うのもなんだけど)純粋培養で、世間知らずというのもあったし、部内の人間関係は悪くなかったし、周りが「当然、Jリーグ関係に進むんだよね?」という雰囲気(実際にコーチにそう言われた)もあり、某Jリーグ下部組織に進む。
いよいよ生活は練習の日々。練習が始まると生協にすらいけなくなり、コンビニ弁当ばかり食べていた。唯一の楽しみはチョコボールを一緒に買って、金のエンゼル当てること(結局、金のエンゼルは一回も当たらなかった)。夏あたりで体がおかしくなり始める。朝起きれない。同期の練習生は合わせて7人中5人が去っていった。残りはおれともう一人だけど、もう一人もほとんど練習に来ていなかった。
信じがたいことに、天下の某Jリーグ下部組織(今となってはこんなこと思っていた自分に失笑してしまうけど)に苦労して入っても、わずか数ヶ月でほとんどの人間が辞めてしまった訳だ(そいつらがどうなったかは知らない)。当然器具や練習場の芝管理の負担はおれに圧し掛かる。練習に行こうとしても、吐き気がして行けない。自分が練習している姿を想像するだけで、目の前が真っ暗になって、体から変な汗が噴出してくる。構内を歩いていても、些細なことで物凄い感情の波が押し寄せてきて、まったく知らない人間に怒鳴り散らしてしまったこともあった。常に目の前を小さな蚊が飛び回っていて、当時はタバコを吸っていたんだけど、気がついたら一日に4箱くらい無くなっていることも。練習のきつさ以上に、将来に対する不安が大きすぎて、押しつぶされてしまった。
秋に観光に来た母親が異常に気がついてくれて、即刻病院に連れて行かれた。連れて行かれるまでは、自分が欝だということを認めたくなくて、母親を怒鳴りつけたりもしてたけど、一旦認めてしまうと、ようやく自分のおかしさに気がつくことができた。そのまま逃げるように某Jリーグ下部組織を辞めて、半年くらいは何もせずに実家で引きこもっていた。
http://anond.hatelabo.jp/20090222224732
を読んで、当時の記憶が鮮明に思い出された。すべてがそうだとは言わないが、少なくともおれのいた某Jリーグ下部組織では、練習生を体のいい労働力としか考えていなかったのではないかと。よくよく調べもせずに安易に某Jリーグ下部組織を決めた自分が悪いのも分かっているし、細かい雑用を通じて学べることがあるのも分かる。ただ、某Jリーグ下部組織を去っていた同期や、他のJ関係にいる友人と話してみても、日本のサッカー環境では、「サッカーは娯楽提供機関であると同時に、文化養成機関である」という自覚が欠けている気がしてならない。
現実に、おれのいた某Jリーグ下部組織ではほとんどの人間がJ1やJ2でプレイできていない。就職先も絶望的。コーチのなかにも、危機感を感じていた人間はいたのだけども、練習生の立場からみると、若い人間に不利益を押し付けているだけにしか見えない構造がある。サッカー文化を根付かせるとか言いながら、都合のよい言葉を吐く上の人間にしか金は回ってこない。チェアマンなどの大御所が、「日本のサッカーは練習生や支援企業によって成り立っている。彼らには一律生活できるだけの奨学金を出すべき」とのたまったはいいけれども、ふたを開けてみれば1人につき2万円/月。どうやって生活したらいいのだろうか。奨学金は単なる借金に過ぎない。生活費も考えると、就職した人間とくらべて、J1やJ2の選手やコーチや審判の資格を取るころには1000万近くの借金。それで就職先がないというから、もう罰ゲームでしかない。
おれの同期には、それでも不平を言わずに一生懸命日夜練習を続け、不安定な身分でも前を向いて頑張っているやつらがいるけれど、おれはもう無理。この国の偉い人は、若者が心の底から嫌いなんだと思う。もしかしたら、日本のことも憎んでいるのかもしれない。
読んでもらったら分かると思うけれども、おれにも随分甘い部分がある。これは失敗例の一つでしかない。もしもこれから先、サッカーの選手を志す人がいるならば(サッカーなどのスポーツは社会にとって絶対に必要なものだし、立派なことだと思う)、この失敗から何かを学んでほしいと思う。
その後、親に拝み倒して借金をして、海外の大学院でMBAをとり、まったくサッカーとは関係のない仕事に就くことができた。幸運だったと思う、正直。今は幸せかと聞かれれば、So soという感じ。
金のエンゼルはまだ一回も当たっていない。
作成日は一昨年のクリスマス。
ファイル名は「doutei」
どうやら童貞についてまとめたものらしい。
以下
童貞の語源
「童貞」 の本来の意味ですが、「童貞」の「童」は子供のこと、「貞」は、貞節、貞操などというように、
つまり子供の頃の状態を守る、性的に清潔で「生まれたままである」「清らかな体である」 というような意味になります。
日本語の「童貞」という言葉が成立したのが正確にいつなのかは不明なようですが、「野球」「資本主義」などと同様、
外来語由来の新しく作られた日本語であるのははっきりしていて、「Virgin」の日本語化だったようです。
日本での初出としては、1678年、捨て子などを保護し教育に勤めたニコラ・バレ神父による、
パリのサン・モール街の修道女の養成所を出発点とした「幼きイエス会」が源流となるフランスのカトリック教サン・モール修道会が、
外国人の子女のために1874年、日本の横浜に設置したフランス語の学校の名称が「ダーム・ド・サン・モール」 であり、
それの日本語表記が 「仏語童貞学校」 であることから、これを起源とするのが定説となっているようです。
この 「仏語童貞学校」、前身は 1872年 (明治5年) に来日したフランス人宣教修道女メール・セント・マチルダほか4名の修道女(シスター) により設立された、子女の教育と貧困にあえぐ子供たちの救済を行う施設 (孤児院、施療院/ 仁慈堂)が基になっていて、
しかし当初は男性の性行為未経験者を指す言葉ではなく、性別を問わず生まれたままの者、
この場合は清らかな乙女、「主のために操を守り続けるカトリック教の尼僧」のことを指していたようです。
男も女もみんな童貞だった訳ですね。
セカンド童貞について
童貞を捨ててしまった後になることがあるもの
セカンド童貞の影響
今後の展開
「童貞は一度捨ててしまうと再び持つことは出来ない。」との主張や
これまで自らをセカンド童貞だと公言する者も、積極的に研究しようとする者もほとんどいなかった。
しかし21世紀に入り、価値観の多様化が進展したことで童貞であることの利点(というより、童貞非童貞の差異の無さ)が再認識され、
なんかセカンドインパクトみたい
童貞質量保存の法則
読んで字のごとく。「童貞」の「質量」が「保存される」という法則。
近年その存在が証明された。
実例1
B君は童貞を捨てました。でもまだB君は童貞を1つもっています。
実例2
B君は童貞を2つ持っています。
ある所でC君が生まれました。
B君の童貞は1つになりました。
影響
これによって童貞は「童貞である」「童貞でない」という0か1かのデジタルなものではなく、
また、童貞は持てば持つほど捨てにくくなる性質を持っているため、
近年の理論的発展
日本では少子化の進行により新規童貞受け入れ枠が減少し、童貞の一極集中化現象が起きていると言われている。
しかし地球規模で見るとむしろ人口爆発が起こっているため、現実の現象に対して研究者によって考え方が異なる。
以下にその例をいくつか挙げる。
まだあったけど今日はこの辺で勘弁。
一昨年のクリスマスなにやってんだよ、俺。
日曜の朝っぱらからなにやってんだよ、俺。
『学振は学生の優秀さとは無関係だから。全ては指導教官の政治力とかコネで決まるの。 』と誤解しているあなたへ、そして、博士課程進学と学振(特別研究員)DC1申請を本気で考えているあなたへ贈ります。
1. あなたは、自分が我が国トップクラスの優れた若手研究者になるという気概を持つべきです。
特別研究員制度は、我が国トップクラスの優れた若手研究者に対して、自由な発想のもとに主体的に研究課題等を選びながら研究に専念する機会を与え、研究者の養成・確保を図る制度です。 (特別研究員−日本学術振興会)
学振に落ちる人のほとんどは、トップを目指す覚悟が足りません。東大や京大に学振の採用者が多い理由の一つがここにあって、我が国トップクラスの大学にいるという自信が気概を生んでいるのではないでしょうか。『うちの大学からの採用者なんてほとんど居ない』と嘆くあなたは、東大の、MITの院生にも負けない自信を持っていますか? せめて、今は負けてるかもしれないけど将来は勝ってやる、と思っていますか?
2. あなたは、6人の素人に向けて申請書を書くべきです。
特別研究員の選考は、我が国の学界の第一線の研究者で構成される特別研究員等審査会(委員47人、専門委員約1,800人)において、書面審査及び面接審査により行われます。/// 1件の申請について、申請者の分科細目に応じて上記審査会の専門委員6人によって書面審査を行います。 (特別研究員の選考方法)
学振の募集領域は現在8つあります。単純に1800を8で割ると各領域の専門委員は約225人となりますが、これは例えば、「工学」という広い広い学問をたった200--300人でカバーしているということです。どうでしょう、あなたの研究の良き理解者が6人のうちに1人でもいれば上出来だと思いませんか? 高度な前提知識を要求する文章は避けましょう。
3. あなたは、一つでも多く研究業績を上げるべきです。
特別研究員の審査方針は、(1)学術の将来を担う優れた研究者となることが十分期待できること、(2)研究計画が具体的であり、優れていること、(3)研究業績が優れており、研究計画を遂行できる能力及び準備状況が示されていることです。 /// DCについては研究経験が少ないことから申請書記載の「現在までの研究状況」、「これからの研究計画」、「自己評価」及び「評価書」を重視します。 (特別研究員の選考方法)
いくら優れた研究計画を立てたとしても、遂行する能力が無ければ意味がありません。研究業績は、あなたが優れた研究者であることの保証です。DC1では「これからの研究計画」の方が重視されますが、だからこそ、あなたの計画が絵に描いた餅でないことを示すために、一つでも多くの学会発表、論文執筆を行いましょう。
4. あなたは、あなたのブルー・オーシャンを探すべきです。
特別研究員の審査方針は、…… 4)諸分野における研究者養成の必要性に配慮することです。 (特別研究員の選考方法)
研究室の博士課程の学生のほとんどが学振特別研究員である研究室は確かに実在します。その理由を考えたことはありますか? 大学の名前?研究室の教授の政治力? 違います。 指導教官が学生に与える研究テーマが素晴らしいからです。 その研究をしている学生を養成しなければならないと審査員に思わせるテーマ、「ブルー・オーシャン」こそが、特別研究員の独占という離れ業を可能にしているのです。
元々はマーケティング用語であるブルー・オーシャンとは競争者のいない未開拓の分野のことで、任天堂「Wii」が代表例としてよく挙げられます。 大学のネームバリューもなく、指導教官のパワーも期待できず、さしたる研究業績も無いあなた。『学振なんて政治力で決まるから』と負け犬の遠吠えをする前に、切り札となる研究テーマを探す努力をしましょう。 我が国トップクラスの研究者になるには、世界のトップランナーになれる研究計画が必要です。
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以上です。 1.と4.に、私が特に重要だと思っていることを挙げました。 どうでしょう、誤解は解けましたか? 博士課程に進む気はまだありますか?
関連:
『あんた、学振に通る見込みあるの?』と聞けば良いです。
特別研究員制度は、我が国トップクラスの優れた若手研究者に対して、自由な発想のもとに主体的に研究課題等を選びながら研究に専念する機会を与え、研究者の養成・確保を図る制度です。 (特別研究員−日本学術振興会)
採用者には年間100万程度の研究費と月額20万の「研究奨励金」という名の給与が与えられます。もし、博士課程1年から採用される特別研究員(DC1)になれたなら3年間で約1,000万円が国から支給される、学生に取っては素晴らしい制度です。
ちなみに、平成20年度のDC1の採用者数は698人です。つまり、最初の問いは以下のものと同義です。
『あんたは全国で700人の中に入る自信があるの?』
それでは息子(娘)の危険な反応について整理していきます。
さて、勘違いして欲しくないのは、学振の結果が全てじゃないことです。「学振に採用される=研究者として合格」でもないし、「学振に落ちる=研究者として不合格」でもありません。学生にとって一番大切な能力は、学振の結果に関わらず「研究を一生懸命続けること」であって、今回の問いはその覚悟を少しでも見極めるためのものです。 子供が、
と言ったなら、スネをしゃぶり尽くされることを覚悟して、子供の才能に賭けてみませんか?
参考:息子(娘)の博士課程進学で親ができること (ちなみに自分は親ができる限りの仕送りをすることは反対です。研究時間の確保は大事だけど、子供がダメになると思う)
http://anond.hatelabo.jp/20081104035252
SIerとか聞いたことねえからはてなキーワードとかウィキ読んで調べたけど、やっぱりよくわかんねw
まあ、俺は高齢ニートだし知能もびっくりするくらい低下していっているからなあ。
いいよなあ、新卒はよお。本当、羨ましいよなあああああああw
http://anond.hatelabo.jp/20081104025450
何かPGやSEを「素人を一から育てます」とか言ってる会社見つけた。
何も知らない人でも、基礎から養成しますとか書いてあるんだけど。裏がありそうでこええw
メモ帳開くならできるぜw メモ帳でホームページ作ることくらいしかできねえぜw
今の時代小学生でもできるだろこんなのwwwwwww
命知らず。
男はそう呼ばれ、また誇りにしていたようである。
乱世の時代であった。
皆が生きるために必死であり、死地に赴くものを賞賛することはない。
その中で、彼は居場所を失っていく。
幼いころの彼は、身長が低く、膂力にも恵まれていなかった。
もっといけないのは童顔の美少年であることだ。
猛烈な訓練をつみ、その腕前は知られていたが、体格的には見劣りがする。
そこで、当時の上役は、彼を小姓に取り立てた。
取り立てられた男は、次第にたび重なる無謀な進言で周りを困惑させていった。
悪いことに、成長しても身長は伸びず、顔だけがじじむさくなっていった。
将の器ではないことは、いままでに参加した軍議で自ら証明してしまった。
兵としても、体格の悪さからよい評価を勝ち得なかった。
矮躯で膂力もない以上、無理に育成してものびしろがないと判断されたのだ。
男は出身地の村に帰された。
役職を与えられてはいたものの、無給である。
他の村人と同じく、田畑を手入れしなければ喰ってはいけない。
その上で、村を守ることもおろそかにはできない。
男は追い詰められていった。
喰うには困らないが、村人は手を差し伸べてはくれぬ。
村人に尽くしてはいるが、打っても響かぬ鐘のように信頼を得ることはできなかった。
ある日、村に大きないのししが迷い込んだ。
いのししというものは、思われている以上に危険なケモノである。
それは間違いないのだが、男は剣を持ち追ってしまった。
哀れ、男の望んだ一騎打ちは、村でのいのししとの1回のみ。
そして、命知らずの名に恥じぬ相打ちとなった。
男にはどこか死を求めているところがあったのだろう。
獲物を選ぶにも槍や弓など、より安全で確実なものがあろう。
それでも剣を選んでしまったところに悲哀を感じるのである。
彼の葬儀はひっそりと行われた。
その墓に花が供えられることはなく、今はすっかりさびれ、どこにあるかもわからない。
「火の七日間」と呼ばれる最終戦争から千年余り。高度な文明は滅び、世界は瘴気が充満する腐海とその住人である獰猛な蟲たちに浸食され続けていた。そんな腐海のほとりにある辺境の小国「風の谷」は、大国ティターンズとの戦乱に巻き込まれた。「風の谷」の族長レコア・ロンドは、攻め入るティターンズの将軍達に取り入ってかろうじて国を存続させていたが、女将軍エマ・シーン率いる大軍による攻撃で「風の谷」はとうとう滅亡の危機に瀕する。
苦悩の末、レコアは腐海の奥深くに封印されているという古代兵器「パラス・アテネ」を探すため腐海へと赴くが、蟲たちにあっさりと捕らわれるのだった。しかし、人間の女と蟲との邂逅こそが、古代兵器「パラス・アテネ」の封印を解く鍵だったのである。
ただ、事はそううまくは運ばない。蟲との邂逅時、レコアは無垢な肉体ではなかったことによって、「パラス・アテネ」の封印解放は不完全なままに終わり、「パラス・アテネ」は暴走を始める。自ら呼び寄せてしまった「火の七日間」の再来に、既に深く傷ついたレコアはそれでも立ち向かう……。
――シロッコ「フハハハハ!見ろ!クズどもはやはりクズだ!」――
――あのお姉さんは まだオーストラリアにいるのです。たぶん。――
1950年代のオーストラリア、メルボルン郊外にある開拓移民たちの暮らすとある小さな街。界隈では仲睦まじいことで有名なカップル、カツ・コバヤシとサラ・ザビアロフであったが、「結婚するまではダメよ」と頑なに身体を許してくれないサラに対して、カツのフラストレーションは溜まる一方であった。
そんなカツの誰にも言えない趣味は、隣人ベルトーチカ・イルマの寝室を覗くことである。今日もまた部屋の明かりを落として双眼鏡を強く握るカツであったが、黒と赤に染められた服に身を包んだ集団に、ベルトーチカが掠われてしまう現場を目撃する。
忽然として姿を消したベルトーチカ。日が経つにつれて街はその噂で持ちきりになった。ベルトーチカの身を案じ、軍から街へと戻ってきたフィアンセ、アムロ・レイの悲壮な姿に心動かされたカツは、ベルトーチカが掠われた現場を目撃したことをアムロに告白する。「黒と赤」というカツの言葉にはっとした表情を浮かべるアムロ。これによってカツは、思いもよらぬ巨大な暗躍との闘争の中に身を投じることとなり、そこでガール・フレンド、サラとの悲痛な遭遇を果たすのだった……。
――やさぐれたりしたけど、今は反省してます――
ホンコン・シティに住むどうしようもないワルガキ、ヤザン・ゲーブルは、両親にも愛想を尽かされ、13歳の誕生日に、女主人ミライ・ヤシマが運営する更正施設「シャングリラ」に預けられた。
ミライは、持ち前の運動神経も生かしてハングライダーによる宅急便の仕事をやってみたらどうかとヤザンに薦める。迅速な仕事、また、エイのような形が特徴のハングライダー、派手な黄色の仕事服も相まって、ヤザンの宅急便は瞬く間に街で有名になった。しかし、その裏でヤザンは更正施設内で意気投合したダンケルやラムサスらとつるみ、昼間の仕事の傍らで物色していた家に夜中に押し入っては盗みを繰り返し、ジャンク屋ゲモンから盗品と引き替えに回してもらったマリファナを楽しむ日々を送っていた。
そんなヤザンであったが、いつものように強盗する家を物色していたある日、街の学校で飛行クラブに所属しているという女の子、ロザミィに出会う。ヤザンのことを何故か「お兄ちゃん」と呼ぶロザミィを最初は煙たがっていただけのヤザンであったが、ロザミィと徐々に親しくなるにつれ、また、ロザミィの背負う過酷な運命を知るにつれて、次第に更正の道を歩んでいく……。
――愛とは、こういうものか――
最重要国際指名手配犯シャア・アズナブルは、人口の極端な減少でしか、これ以上の地球の汚染を食い止めることはできないという思想の持ち主であり、これまで数々の無差別大量殺人テロおよび要人暗殺に手を染めてきた。その過激だが確固たる思想と綿密かつ鮮やかな犯行によって、市井のごく一部ではあるが影で支持する者が後を絶たないシャアは、クワトロ・バジーナという偽名を取得し潜伏した次の要人暗殺計画先のミラノで、身寄りのない少女ハマーン・カーンと出会う。
常に冷静沈着なクワトロことシャアであったが、何かにつけて目の前に現れるハマーンに心を許し、うっかりと暗殺計画に関するメモを見られてしまう。ハマーンを始末することを一度は決めたシャアであったが、拳銃を突きつけられてもひるまずに「撃ってみて」と呟くハマーンを見て殺すには惜しいと思い、部屋に軟禁する。
暗殺計画を着々と進めつつ、軟禁したハマーンに対して辛辣に応対するシャアであったが、その裏腹でハマーンにどんどんと惹かれ、ついにはベッドを共にする。事が済んだ後、ハマーンの凛々しくも優しい眼差しに、シャアは、かつて狂おしく愛した女ララァ・スン、ひいては、うっすらとのみ記憶に残る母のぬくもりすら感じるのだった。今や、シャアの精神はハマーンの虜となってしまった……。
サイド2宙域において廃棄されたと見られる小規模コロニーを発見したアーガマ一行は、ティターンズ艦隊の追撃をかわすため一時的に身を隠すこととし、リック・ディアスに搭乗したアポリーとロベルトをコロニー内探索に派遣する。
生命維持システムはいまだ稼働しており、空気も存在し広大な草原が広がっているコロニー内に驚きながらも探索を続けるアポリーとロベルトであったが、突如としてカラス型MA「ユ・バード」を駆るバーバ・ユ・バーバの襲撃を受ける。廃棄されたと思われたコロニーは、巫女バーバ・ユ・バーバを教祖とし、八百万の神々を崇拝する海賊ゲリラ宗教組織「ユヤ」の根城だったのである。
バーバの猛攻をなんとか凌いだアポリーとロベルトではあったが、2人を除くアーガマ乗員は既に「ユヤ」に捕らえられており、投降を余儀なくされる。2人は先の戦闘振りからパイロットとしての腕を買われ、「ユヤ」の新人パイロット養成を言い渡される。
バーバの命令通り従順にパイロット養成を行いながらも、人質解放と脱出の機会を窺うアポリーとロベルト。しかし、バーバは新人パイロット養成と同時に、アポリーにロベルトを、ロベルトにアポリーを名乗ること、アポリーに口髭を伸ばすこと、ロベルトに口髭を剃ることを命じており、2人は次第にどちらがアポリーでどちらがロベルトなのかがわからなくなり、アイデンティティの喪失に悩まされるのだった……。
――シロッコ「ジ・O!動け!ジ・O!何故動かん?!……あ、動いた。」――