はてなキーワード: 養成とは
この間、「小学校は洗濯機の使い方を教えずにハンカチを手で洗わせている!時代遅れだ!」という意見を読んだ。
おいしいフレンチトーストの作り方を指南したツイートとともに、家庭科で教えてほしかった~とかいう意見もあったりして、ネットでは今の家庭科が不評のようだ。
家庭科は調理実習や何かしらの製作をする教科と思っている人ほど、そのような勘違いをしている。
これにはいくつかの意味があるが、ざっくり言うと、「石鹸を使ってこすり洗いをすると、汚れが落ちる」ことを目で見て観察し、手を使って体験するため、である。
この前後に、汚れを観察するとか、石鹸を落とすためにすすぐとか、水を含んだハンカチをしぼって干す、といったことも体験する。
電子レンジの使い方を教えないのと一緒で、説明書を読めばできる”操作”については教えない。代わりに管理の仕方や操作の理由を教えている。
学校の家庭科は、料理教室ではないし、家政婦養成講座でも、良妻賢母を育てるための科目でもない。
調理実習は、料理の楽しさを教える意味もあるが、生きるための知識や技術を勉強することの意味が大きい。なので、必要な栄養の摂取が優先される。
他の科目との関連付けも重要で、家庭科の教材作りは理科と社会がベースである。
タンパク質の凝固や、脂質との相溶性、多孔質材料への水の浸透について習った後なら、あのフレンチトーストが教えられるだろう。
うちは夫婦はともに30代で地方県庁所在地出身の私と、横浜市出身のパートナーの構成だけど、
子供の教育、学費の積立や習い事について話し合っていくなかで、
彼が与えられてきた教育や、その周辺の学ぶことに関する環境が、
ものすごく!圧倒的に!自分の実家より上だったことを早々に気づいて驚愕した……。
(なお、どちらの実家も教育については「できるだけのことはしてあげたい」という前向きな家庭)
というか、東京近郊の教育に関するリテラシーや文化資本の豊かさ…レベチすぎ……。
都会の子が小学校3~4年生から塾に行ってるなんて30歳になるまで知らなかったよ…
塾なんて早くても中学になってから行くものだったよ…小学生は公文式くらいだよ…
私は個別指導塾入れてもらったけど、同じクラスでそこまでしたらもってるのも私くらいだって驚かれるくらいよ…
あと東大をはじめとしたトップ大学に進学する子が、中学受験→都内私立中高一貫校のルートをたどる人が爆裂多いなんてのも知らなかった…
あと、塾のレベルもね!!SAPIXも鉄緑会もSEGも…そんなのあるの!?
地方には!?そんな塾がめちゃ選べて!?エリート養成塾みたいなのがあるなんて!?想像もつかないよ!?
習い事の種類だって数だって、ぜんぜん違う。え?勝負は未就学児の時代から始まっていた…だと!?
そもそも地方勢には塾や習い事を精査するなんて文化がねぇ!母数が少なすぎて選択肢は3択くらいだからだ!
居住地によるアクセシビリティ格差が拡大してるってだれかがコメントしてたけど、これはガチ寄りのガチ。。。
文化資本の圧倒的な違いがどんどん開いていってるし、なによりも怖いのは、地方勢にはそれが可視化されていないってこと。
知らされない間にドンドンドンドン置いていかれてる。たぶん国は知ってて置いてってる。
今この瞬間もさ、「捨てられてる」言うの分かるくらい、本当に格差についてつまびらかにせず放置されてる。
これ読んでると、地方出身の私、保護者や子供に配り歩きたくなってくる、
そんで、みんなー!!!気づいて!!って言いたい。
"私は東京に生まれて彼らと同じ環境にいれば東大に合格できた。"
これは本当だよね、きっと、本当にそうだと思うよ。きっとすごく悔しいよね。
子供の教育につい話し合うようになってから、夫婦で2人で地方に旅行に行き、
離島とか山村とか風光明媚な土地に立ち寄ると「綺麗だね」と言いながら、教育格差について思い馳せることが多い。
「こういうところに生まれたら、遺伝子的にすごく頭のいい子が望んでも東大に行くのはすごくハードルが高いだろうね」って話して…悲しくなる。
不公平は人生につきものだけど、それでも地方と都会のこの教育格差はあまりにも不正義じゃない???って思う。
逆に言うと都会勢は下駄履きすぎじゃない???ってことなんだけど。
でも、もちろんその人達の努力を否定するつもりはないんだけどさ。
ただあまりに悲しいんだよ、「勉強したい、学びたい」と思ったりした、素質のある一生懸命な子供が、ただど田舎に生まれた、ってだけで圧倒的に救われないことが。
私は頭が良くないし増田みたいな努力家じゃないから、自分がマシだったはずなんて言うつもりないけど、
教育も教養教育と実学教育に大きく分かれ、教養教育は進歩的教養と古典的教養に分けられるだろう
ステークホルダーの立場からは、大学職員にとっては職場だし、文部科学省官僚にとっては天下り先だ、私立大学の経営者にとっては商売だ
学生にとっては就職へのパスポートを得る場だし、左翼党派や新興宗教にとってはメンバー獲得の最重要拠点だ
それぞれ同床異夢をみているのだが、現状はいささかバランスを欠いていて、学生にとっての就職へのパスポートを得る場、私立大学の経営者にとっての商売、文部科学省官僚にとっての天下り先としての側面が強くなりすぎているんだと思う
広告のコピーライティング(いわゆるキャッチコピー)がすごいと思えない。
私は新卒から現在に至るまで広告業界(大手代理店→事業会社)に身を置いているが、
広告業界特有の「賞」によってクライアントではない人々(主に代理店)がもてはやされていることに対する違和感がいつになっても払拭されない。
学生の頃、音楽制作や映像制作をやっていた私は、華やかなCMを作ってみたい!というミーハーな気持ちを抱き、運良く大手広告代理店に就職した。
研修後のOJTで莫大な予算の企画会議に参加した時のことを今でも覚えている。
その時はコピーの案出しだったが、ベテランといわれるコピーライターの方々がコピーひとつひとつに対しA4用紙一枚を使い、
衝撃的だった。
詳細なことはここでは述べないが、こんな仕事でクライアントからお金をもらって罪悪感を覚えないのだろうかという感覚だった。
たしかにクライアントの持つ課題や、当該商品の特徴など最低限のことは理解してるとはいえ、
クリエイティブと呼ばれている人々の「単純にやりたい」、「前例を作りたい」、「賞を狙いたい」等の動機が圧倒的に優先しており、
純粋だった私は、そのようなことをOJTの感想として述べたところ、ほぼ内定していた希望部署から外されてしまった。
その後、個人的に制作活動は続けながら、仕事としては制作とは直接的に関わらない部署で数年を過ごした。
その後事業会社(いわゆるクライアント側)に移り代理店に発注する側になった。
たしかに、代理店の持ってくるコピーは、きれいなフォントできれいな体裁に整えられたスライド上ではなんだかすごそうに見える。
でも、いつみてもほんとに誰でも書けるとしか思えないようなものばかりだ。(クリエイティブの皆様は死ぬほどキレるかも…)
学生の頃になんとなく通った宣伝会議のコピーライター養成講座でなんとなくテキトーに出したコピーで
その回の最も良い賞(なんかいいえんぴつだった気がする)をもらってしまったり、
新人の頃にみんなでテキトーに出したブレーンのC1グランプリに一発目で掲載されてしまったという体験もあるのかもしれない。
正直、コピーライティングといわれているスキルは他の技術職と比べるとスキルが不明確すぎるし、
「言葉」という普遍的なものの中で勝手に特権意識を感じているだけではないだろうか。
コピーライティングというのも自体は、社会的意義を持つものだと思う。
現に社会に強いメッセージを残しているコピーはいくつもあるし、私自身も好きなコピーはいくつもある。
しかし、広告業界では、コピー(言葉)が属人的になりすぎている。
どうせ賞をとっても業界内の評価しかもらえないのであるから(広告業界的にはそれが名誉とされているのだが)、
人のふんどしで取った手柄で「すごいでしょ?」的な発信することはやめるべきではないだろうか。
そうすれば、業界以外の人々はいちいち広告業界の人々(特に制作の人々)の「すごいでしょ?」アピールに反応しなくてもよくなるし、
キャッチコピー等の広告物もいちいち「作品」とか言われずに、ひとびとの生活の一部となれるかもしれない。
そこそこ有名なコピーライターとなった友人がtwitterで一般人が書いたキャッチコピーに対して
「広告業界のお作法も知らず書いたコピーだからダメ」と苦言を呈していて、いてもたってもいられずに書いてしまった。
ちなみに私は、一般人が書いたキャッチコピーと代理店の持ってくるコピーは大差なく感じることが多い。
たしかに一般人が書くコピーは大半がアレなことが多いが、一日訓練すれば最低限のお作法は身につくと思う。
たしかに思考訓練にはなると思うが、主観的な成長を感じたとしても、客観的な成長を当事者周辺しか感じられない点で意味ないと思う。
と思う。
もっと書かなければならないけどzoom会議の時間が来てしまいました。
乱文ごめんなさい。
某声優養成所のオンライン授業にて講師が生徒への体調管理の重要性を語る際、「安倍さんが潰瘍性大腸炎になったのは肉を食べるのを我慢できなかったから。食事管理が出来ないアホ」と発言。講師は肉とビールの摂取がよくなかったと持論を生徒達に語り、現在流行中の新型コロナについても「ビタミンCとビタミンDの摂取で予防可能」と説明した。
潰瘍性大腸炎は過去の日本には存在せず、同病気に罹患したのは日本人が肉を食べるようになった為と生徒達に教え、焼き肉が様々な病気の原因であると述べた。
また、安倍総理辞任により日本経済が混乱に陥るとも指摘し、生徒達に保存が効く食糧の買い溜めを指示する場面もあった。
同声優養成所出身にはスクールアイドルを描いたアニメに出演した紅白出場歌手がおり、養成所設立には国民的アニメに出演中の有名大物声優も関わっている。
思ったより注目されたなぁ。
子供達が打っているのを見ると、宿題の成績はいいのにいつまで経っても何も知らない人みたいな打ち方をしている子が多いように思う。出された課題と実戦が結び付いていないんじゃないかとおもう。
宿題を頑張ってるのに、大会ではボロ負けして嫌になって辞める、というのでは報われない。
宿題ばかりが高度になっていって打ち方は永遠の入門者みたいな状況を脱するために、覚えていた方が良いことをちょっと書いておく。
入門するとまず石を取ることを教えられるので、なんぞ!? と思うだろうけど、そうなのである。
何故石を取るのが一回休みになるのかといえば、後手に回るからだ。後手に回る、というのは相手に対して攻撃する機会を喪う、あるいは相手から攻撃を喰らうということを意味する。
石を取ることによって相手に大ダメージを与えることも時にはある。例えば五目の石を取ると、取った跡地は自分の五目ぶんの地になる。そして、終局のときに取った石のぶん相手の地を減らすことが出来る。すなわち
ということになる。
だが、その十目の得が対局全体を俯瞰してみて果たして高い価値があるのか? ということを私達は考えなければならない。五目石を取り上げたばっかりに、相手の模様に攻め入る隙を喪ってしまっては、相手が模様を堅牢にして、二十目も三十目もの大きな地を作り上げてしまうかもしれないのだ。
という訳で、石を取るという行動はリスクと表裏一体なので、どうしても必要な時以外はしない方がいいのだ。
ということは、相手に一回休みをさせたければ「石を取ってやるぞ!」と脅しをかけるように打つことである。
例えばシチョウという手筋がある。シチョウが盤面に出現すると、シチョウに抱えた方はそのまま取りたくなるか、取れたと思って油断するだろう。一方、シチョウに抱えられた方は、あーこの石はもう取られだわー、と諦めるだろう。だが、諦めるのはまだ早いのだ!
シチョウアタリが打たれた時、シチョウに抱えた方が何の対策もしなければ、抱えられた方は抱えられた石から動き出して脱出することが出来る。これはシチョウに抱えた方に大損害をもたらす。
だからシチョウアタリが打たれると、抱えた方は脱出される前に抱えた石を取るか、あるいはシチョウアタリの手前に打って妨害する(ゲタがいい例)。
そしたら抱えられた方はシチョウアタリからの二間開きや鉄柱などで相手の模様を荒らすことが出来るという訳だ。
一方、抱えた方はというと、シチョウアタリを打たれたからといって唯々諾々と抱えた石を取る必要はなく、その石を取ることと盤上の他のエリアに先着することや相手の弱点をつくことなどと天秤にかけて、石を取る・取らないを判断することになる。
つまり、一つのシチョウの出現によって、黒白双方に相手を罠にハメる機会が訪れる。囲碁における読みの応酬というのはこういうことで、これはただ詰碁だけを練習しても磨かれない部分なのだ。
模様を張った部分がそのまま地になる訳ではない。模様の張り合いから双方囲いあって、一つもタイマンをせずに一局終わらせることもできなくはないが、そうすれば先手(黒)有利なので白は負けそうである。なので模様を張るのは程々にして、タイミングを見計らって相手の模様内を荒らしにいくことになる。
模様を張ることを地を作ることと思っていると、敵が模様の深部(だと自分では思ってた処)を抉ってくればたちまちパニックを起こしているうちに相手に崩しようのない地を築かれてしまう。自陣の中に敵陣を十目作られると、
敵陣(+十目)+自陣(-十目)=二十目の大損
となるので大変だ!
いざ自分の模様の中に相手が侵入したらどうするか、まずはヒャッハー! するべきである。自分が数で勝る場所に相手が単騎で飛び込んで来たのだ。これは袋叩きにしてやろう。
相手を左右・上下から小突いて小さい地しか作れないようにしてやる。すると、小突いているうちにこちらは石数がより増えて、漠としていた模様が段々堅牢さを増しやがて大きな地になっていく。但し、相手にあまり接近して取ってやろうとすれば、逆に敵はそれを利用しながらちゃっかり地を作ってしまうので注意。
と、まあこれだけにしておく。
囲碁をゼロから始めると、詰碁、石を取る手筋、布石からの序盤の定石ちょっと、あとは実戦に勝る修行はない! とばかりに対局しまくる方向性になりがちだと思う。ガチで棋士を養成する道場や塾ではもっと違う指導をするのかもしれないけど。
詰碁や手筋や定石なんかは、正解があるので指導する方としては、採点が楽なんだろうけどさあ。勉強する方も分かりやすくていいんだけど、それらは筋トレのようなものだということを認識して欲しい。
いざ対局しようとなったら、囲碁は駆け引きのゲームであるということを知らなければならないけど、ただ対局しているだけで自力で気づくのは容易ではないから、初心者向けの教本を読んだり、打てる人からアドバイスを受ける必要がある。
“id:Hasta_luego 囲碁は後手番があらかじめ得点を持って始まるので、先手が攻めないといけない設計になってなかったっけ。”
はい、確かに白(後手盤)が六目半~七目もらうことになっています。囲碁はどうしても先手有利だからです。しかも白は基本的に強い方が持ちますので、黒は先手でもそんなに有利でない場合もあるかもしれません。
なお、よほど棋力差がある場合はハンデを少なくされたり、黒の方が逆に数目貰えたりします。
緊急事態宣言下、スッキリのNiziプロ特集を見ることにハマっていたが、
最初から世界デビューが決まっている大手プロダクションのアイドルオーディションはかくも厳しいものなのだと思った。
この番組を見た上で、アイマスの765プロ所属アイドルが世界デビューするとなったら誰が選抜されるか考えてみた。異論は認める。
アーケードゲームからのメンバーは良くも悪くもASAYAN的でつんく的なチョイスのメンバーなので、グローバルビジネスとしてのガールズグループオーディションで合格するには力不足である。
唯一、JYPからキューブがもらえる可能性があるのは真だろう。真は歌やダンスの実力もあり、体力にも不安がない。そして、チームワークに配慮できる性格がある。また、アニマスの配信を見て、他のアイドルを励ましたり場の雰囲気を盛り上げたりと、春香と同様に周囲に気配りができるタイプであることに気づいた。「人間性」を重視するJYPでは評価につながるかも知れない。
961じゃねーかという話はさておき、やはりこの3人は実力があることとJYPがいうところのアイドルになる「準備」が出来ているメンバーである。素人感が親しみを与える初期のモー娘やAKB的な雰囲気のあった765プロに、アクターズスクール的な養成所でトレーニングをしっかり受けてきたメンバーが追加され、アイドルグループとしての立体感が生まれたのが13人体制のASというイメージが自分にはあったので、美希・響・貴音がアニマスの最初の方で下積み仕事をしている様子は個人的に違和感バリバリだった。
・ミリオン組
この辺は多くの人たちの同意が得られそうだと思うので略。安定したパフォーマンス力と精神的な余裕、物怖じしない性格はどこへ行ってもアイドルとして通用するだろう。
海美はバレエの素地があり体を動かすことが得意なだけでなく、海外で活動するお姉さんもいるので、他のメンバーよりグローバルな舞台で活動することへの理解が深いのではないだろうか。
エレナも同様にブラジルが彼女のバックグラウンドにあり、実力や体力面も悪くない。
そして、この2人の最大の魅力はファンが喜ぶような元気に溢れたパフォーマンスができるところだ。JYPも審査員やお客さんと心を通じ合わせるようなパフォーマンスをオーディション参加者に求めていたが、見ている側まで元気になるようなパフォーマンスができることはアイドルに必要なスキルであり素質である。
・次点、その他
静香や志保のように歌はうまいがストイックすぎる性格のタイプは、ゲームユーザーからの人気は悪くないが、JYP的にはファンの方を向いていない、独りよがりで協調性が弱い、といった評価を受けても仕方がないと思う。
また、アメリカでのダンス留学経験がある歩は、「ダンサーという評価は褒め言葉ではない」と言われてしまいそうなところと、留学経験がある割に英語力がイマイチなところがマイナスだろう。
個人的には翼に期待したいところだが、実力を上げるための厳しい練習を乗り越えられるような精神力に不安があるので、765プロでぬるま湯に浸かっていないでJYPの練習生になることも検討して欲しい。