はてなキーワード: 非実在とは
十月に突入したとは言え、まだまだ暑い地域に居住しているので、イマノウチに衝撃的だった2021年の夏の出来事を記載しておきたい。
それは墓参りでバスの乗り継ぎで田舎のショッピングモールに立ち寄ったときに出会った光景。
背丈から推測するに地元の中学生っぽいデニム地のサロペットを着ていた女子が同性の同年代と供に歩いていたのだが、その格好に唖然。
オシャレを気取ってなのか片方のショルダーを下ろして着ていたのだけど、そういった着こなしを想定していないサロペットだったのか、胸の脇から骨盤のあたりまで「中身(いわるゆアンダー)」が丸見えに!
上半身はTシャツを着ていたので安心?だったけど、下半身は「黒い見せパン見放題」状態。
じっくり鑑賞したら通報事案だろうし、「おじょうちゃん、見えています(≒見え放題です)よ」と直接注意しても通報事案だろうし…
都市部でも古いジーパンを自分で短く切って履いている(であろう)女性を見かけるけど、アレって切り方を誤ると短くしたジーパンの下(下着)が見える!という事を知らない(そういった事or知識に疎い?)方が安易に古いジーパンを自分で短く切る等のことをするのは、個人的には関心できない事。
非実在の少女or女性にアーダ・コーダいちゃもんつけている団体や個人の方は、こういった若年齢層の注意喚起や指導をシッカリしてほしい、と思った出来事でした。
同人誌の海賊版を放流するネットワークにベルダンディという御仁がいる。
そいつは修正されている同人誌をどういう技術か知らないが無修正化してアップしている。
著作権法と刑法175条と二重に法律を犯している不届き者といえる。
だけど俺は発想の転換をしたい。
その無修正化する技術が皆に知識として共有されたらいいんじゃないかと。
今表現の自由戦士が騒いでるのって非実在なんちゃらに関することよりも、版権モノのエロ漫画は版権モノって時点で商業では出せないから、半透明の海苔
みたいな甘い修正で見れることが同人なので出来ないって状況に対する不満に起因する部分が大きいんじゃないか。
それなら簡単で、各々がベルダンディみたいに無修正化する技術を身に着ければいい。
美術大学に修復学科みたいなのがあるように、一度修正された漫画の無修正化するということは、面白い漫画を描くような特別な才能ではなく、教科書を読んで理解するような客観的な知識や技術の有無の問題なんじゃないか。
客観的な手続きを踏まえることにより誰でも同様の結果になる修復(無修正化)が行える類の「技術」であるということだ。感性の問題じゃないのだ。
そういう知識が広く共有されるように誰かが本でも出せばいいと思う。
そういうことをすればFLマスクだっけ?を出した人みたいに捕まる可能性があるんじゃないかと思う人もいるかもしれない。
むしろFLマスクと違って特定のツールに依存せずに無修正の同人誌が見られるようになるという点ではより深刻に映るかもしれない。
でもFLマスクは明確に「ツール」だったけど、これは単なる知識だ。
これの出版を脅かすようなことこそ本当に言論の自由に抵触することだと思う。
そもそも規制するなら完全自殺マニュアルを有害図書ではなく発禁にするのが先だろう。
完全自殺マニュアルが自殺幇助に触れるグレー具合と無修正化の技術の本が刑法175条に触れるグレー具合は同じぐらいだと思う。
再度まとめるとそういう知識を伝える本が出れば表現の自由にこだわる意義が半減して表現の自由戦士の活動も沈静化するんじゃないかってことだ。
このようなケースを本当に許容するつもりなのか?
許容する。暴露や脅迫など中の人の権利が侵害されたのであれば中の人が個別に対応すればよい。
SNSで性器画像を目にするのは中の人ではなく運営の人間かも知れないよね。運営の人間がセクハラされたと訴えるのか?無理があるように思えるけどね
そもそも麻生がセクハラ罪という罪はないって言ってたしな。配信中のとあるコメントがセクハラだったとして、でも罪にはならないだろう。確かにセクハラだけど無罪、というところに落ち着く。
あなたはさもセクハラコメントを悪いことだと認識しているけれど、コメントが気持ち悪かったとして単にそれだけでは罪には問えまい。
さらにその言葉は非実在のキャラに向けたもので、それを中の人が罪に問おうとするのはなおさらハードルが高かろう。一視聴者としては高い方がいいんだわ。キャラの胸いじりとかもっとしたいし。実際の中の人の体形とかには興味ないけれど…全然真逆かもしれないよね
自身をアダルトコンテンツとして描かれたくないVTuberや、そもそも中の人が未成年であるケースもあり得る。そのようなVTuberの18禁二次創作を描いていいか、という問題がまず有る。
当然描いてよい。中の人が未成年だったとして、ピクシブでR18の絵を見てることがおかしい。ゾーニングを徹底すればいいだけの話。自身をそう描かれたくなかったとして、人権のないVが生意気を言うなと。文句あるならVが訴えて見ろよと。Vの名前で裁判するのか?w
実際は会社のガイドラインに沿って異議申し立て等が行われるわけで、中の人の意志はそこまで決定的な要素にはならない。
まあ企業がアバターの権利を持っている場合はそうだとして、個人Vは確かに注意が必要ではあるが。個人が権利を管理してるからな
いろいろおかしい
しかし奇妙な事に、赤木氏は3ページ目において、「未成年の見た目をしたVTuberがアダルトコンテンツに参加しても問題視されない」事の説明にこの非実在性を使用していない。
赤木氏によればこの部分の根拠は「「参加しているのは成人である中の人であり、VTuberはどのような見た目であっても、あくまでもアバターでありキャラクターに過ぎない」という前提」に有る事に成っている。
キャラクターの非実在性と、VTuberの見た目がアバターであるという事は、似てはいるが異なる話であり、結果として2ページで紹介した非実在性の話は浮いてしまっている。
2ページ「青少年育健全成条例への反論として、キャラクターは非実在、人間と同じようにみなして扱うこと自体がナンセンス、というものがあった」
3ページ「参加しているのは成人である中の人であり、VTuberはどのような見た目であっても、あくまでもアバターでありキャラクターに過ぎない」
2,3ページの内容は、
参加しているのは成人である中の人であり、VTuberはどのような見た目であっても、あくまでもアバターでありキャラクターに過ぎない。キャラクターは非実在なので人間と同じようにみなして扱うこと自体がナンセンス
という形で論理的に接合する。2ページ目の文章の意味がなくなっているのではなく、増田の読解力不足の問題。
また、VTuberへのセクハラの中には配信中の言葉でのセクハラも有れば、SNS等を通じて性器を映した画像を送り付けるケースまである様だ。当然、その画像を目にする事に成るのは実在しないキャラクターではなく実在する人間である。勿論実在の女性も含まれる。
このように間接的に実在の人物への脅迫や殺害予告になるケース、実在の人物に性器画像等のポルノを送り付けるケースまで、赤木氏によるVTuberに人格を認めないとする論理は許容してしまう事に成る。
このようなケースを本当に許容するつもりなのか?
中の人の権利が侵害されたのであれば、中の人が警察へ行くなり民事訴訟を起こすなりすればよい(これは現行法下でも可能)。従って、Vtuberという架空のキャラクター/アバターに人格を認める論拠には成り得ない
そもそも赤木氏は、例えば「VTuber 戸定梨香」が何を指すのか?と言う点を誤解している様に思われる。
彼は「VTuber 戸定梨香」が彼女のアバターのみを指すと思っているのではないだろうか?
こうした誤解はVTuber非視聴者ならあり得そうである、しかし実際は違う。「VTuber 戸定梨香」は彼女の「アバター+中の人」を指す。
Vtuberという言葉が「アバター+中の人」を指しており「アバター」のみを指すのは間違い、とする根拠が不明
そもそも「中の人」は人間で、人権があることは自明である。であるのに、敢えて「Vtuberに人格=人権がある」と主張している場合、ここでいうVtuberとは人格があるかどうか定まっていないもの=アバターを指すと解するのが自然
Vtuberはシステム上はアニメキャラに声優さんが声を当てているような仕組みだが、ここ最近ゲーム実況や雑談配信のようなライブ感のあるコンテンツを配信していて、オタクの僕のお気持ち的にリアルに・まるでそのキャラクターが生きているかのように感じたので、画面の端でちょこちょこ動いているこのLive2Dキャラを独立した人格をもった存在=人間として扱うべきだと思います、と素面で主張しているのはなかなかの厳しさがある。マジで病院に行ったほうが良い。現実と虚構、自分のお気持ちと法制度の区別をつけましょう
【追記はじめ】
air77et1980 "俺らの方が先進的であるとすら言える"くっさ。きっも。こういうアホな文言さえなければ国語力増田さんっぽい書き味なんだけどなぁ。一応、リストに加えとくか
俺はくさくてきもいのはご存知の通りで別に言われたって気にはしないが
おまけ : これは俺は書いてない
【追記おわり】
「人格を持った多様な姿」じゃないと駄目ってどういうこと?
確かにこの文は違和感ある。ガイド内に散々登場してるいらすとやのアイコンには多様な人格なんて感じないのに
こんな文言が入ってしまった原因を紐解くために、ラディカルフェミニズムの用語「性的モノ化」について調べたので今回書いてみる
おそらくこの理論が半端に入ってしまったことが今回の問題の原因だ
sexual objectificationの訳語で性的対象化、性的客体化とも訳す
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%80%A7%E7%9A%84%E5%AF%BE%E8%B1%A1%E5%8C%96
性的じゃないモノ化も当然あって、上記wikiでは「企業が従業員を交換可能な機械として扱う」ことなども事例に上がっている
マッキノン・ドウォーキンなどラディカルフェミニズムの提唱者にとって、ポルノがなぜ悪いかというと不道徳・風紀を損なうからではなく
価値が肉体の魅力などのパーツに還元されてしまうことにあるとした
ヌスバウヌがこれを具体化して、下のような例を上げている
1.道具性 : ある対象をある目的のための手段あるいは道具として使う。
2.自律性の否定 : その対象が自律的であること、自己決定能力を持つことを否定する。
3.不活性 : 対象に自発的な行為者性(agency)や能動性(activity)を認めない。
4.代替可能性 : (a)同じタイプの別のもの、あるいは(b)別のタイプのもの、と交換可能であるとみなす。
5.毀損許容性 : 対象を境界をもった(身体的・心理的)統一性(boundary-integrity)を持たないものとみなし、したがって壊したり、侵入してもよいものとみなす。
6.所有可能性 : 他者によってなんらかのしかたで所有され、売買されうるものとみなす。
7.主観の否定 : 対象の主観的な経験や感情に配慮する必要がないと考える。
この理論がガイドライン「人格を持った多様な姿」という文の根底にあると考えられる
要はモノのように交換可能なパーツとして魅力を描くのでなく、被写体でしか得られない魅力を表現してほしいと言っているのだ
女性をアイキャッチに使うなと言う要望もこの理論から派生していて
実際は広告にはアイキャッチ自体は不可欠で(そうじゃなきゃみんなに見てはもらえないでしょう)
アイキャッチの内容に人格を無視したモノとしての価値しかないところが問題になっている
それゆえ、スポーツ選手などの有名人のスポーツしている姿などはアイキャッチにしても問題ない
この理論は本来人格を持った対象がモデルになった絵や写真の人格を剥奪する行為には適用できるけど
無から創造された絵にはそもそも剥奪する人格がないんだから適用できなさそうに思える
実際、いらすとやの絵には元々の人格がないし、それが代替可能だったり主観が否定されたりしても問題はなさそうだ
実は今回の問題はさっきまで議論していた性的モノ化とは別の議論で、
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%A1%E3%83%87%E3%82%A3%E3%82%A2%E5%8A%B9%E6%9E%9C%E8%AB%96
府のガイドラインは萌え絵以外はずっとこれのことを言っていて、メディアに男女不平等な描写が盛りこまれていると
人々も釣られて男女不平等な行動をしてしまうのでよくない、という事を言っている
じゃあ素直に萌え絵禁止の条文にも「ふしだらで不道徳な姿を描写してはいけない」とか書けばよかったんだろうけど
男女不平等と違ってふしだら・不道徳はなぜそれが悪なのか理論立てが不明瞭なんで
しょうがなく既存の理論で構築に問題がなさそうな性的モノ化の理論を元に注意書きを付随させたんだろう
ただこの理論は非実在のキャラには使えないのだが、そこはあまり考えてなかったんではないか
とはいえ、中の人がいるVTuberみたいに人格が備わっている存在の場合、いらすとやの絵や文字だけのロゴのように人格のないものと扱うわけにもいかない
男女共同参画ちゃんみたいに元々人格がない存在にも人格を見出してしまうのが俺らオタの習性だ
https://togetter.com/li/1781336
であれば、そもそもの最初の議論に戻って「あくまで俺らはアイキャッチになった事物を交換可能なパーツとは考えていない」と表明し続けるのが正面突破の道だと思う
例えば宇崎ちゃんの献血ポスターは乳袋さえあれば顔やセリフは別のものに差し替えても効果は変わらなかっただろうか
そんなことはなく、あれは宇崎ちゃんだからファンが注目したんだ
碧志摩メグもキズナアイも戸定梨香も、それぞれ背景があってそのキャラは他とは交換できない魅力があるという声が多くなれば
また、隠された動機である「ふしだら・不道徳ではないか」という異議立てに関しては
それを隠した理由をもって堂々と反対を主張すればよいと思う
すなわち、「人をふしだらと断定するのは失礼なのではないか」という反論だ
この反論を避けたいためにガイドラインでは性的モノ化の理論を持ってきたと思われる
道徳・不道徳という価値判断は旧来からある価値観を保存しようという動きであり
本来男女共同参画という旧来の価値観を是正する方向の運動とは相性の悪いものである
その現実を写す瞳を携え、認識の母体となる小脳を懐き、クオリアの器たる大脳を宿す己の肉体をこそまず第一に穢れと信じるのだ。
故に、女の肉体を憎み、男根に夢を持ち、男色へと思いを馳せる。
穢れなき二次元の男根であろうと、それが一度女性器へと呑み込まれれば現実の体感より穢れが流れ込む。
故に、非実在のアナル、人糞を宿さず、男同士の間で新たな生命さえ宿す幻のアナルを幻視するのだ。
アナルとは尻穴にあらず。
二次元の男色とは穢れなき二次元のアナルへと穢れなき二次元の男根を滑り込ませるものなり。
薄汚い三次元男同士がクソまみれになり踊り狂う妥協と性欲を交えた狂乱とは限りなく違う。
アナルとは、非実在のBLの非実在性を裏付けるための非実在の性器なのだ。
♂の変態アニメオタクが艦これやアイマスのキャラでシコシコするときに使うような「出すはずの穴に入れるという行為により変態性の発露と抑圧された肛門期からの開放のメタファー」などとは限りなく別物なのだ。
胸を揺らすのが気持ち悪いのではない。
例えば織田信長なんかは、今生きている人は誰もその姿を自分の目で見たことがないはずであるが、実在していたことは疑いようのない事実であると認識している。
これがスティーブ・ジョブスだったりすると、ウェブ・テレビ・新聞など様々な媒体で目にしたことがあるので、実在していたことは疑いようがない。
しかしながら、だんだん過去に遡っていくと、文献など客観的な傍証でしか確認できなくなっていくはずである。
wikipediaを見てみると、天皇についても「実在を認められないか強く疑われる名が多い」とあり、どこかの段階で実在/非実在の線引きがなされている。
先程の織田信長の例だと、我々は例えば歴史の教科書に記載されていることを事実として受け止めているはずである。
しかし、その教科書に記載されている事実についても、何らかの客観的な文献等に基づいて事実認定されているはずである。
その辺りの判断について確認できるような資料や書籍はないだろうか(調べてない)
ここで問いたかったのは、哲学的・認知論的な観点ではなく、学術的な観点である。
歴史学の研究は「史料」に対して行われるということをコメントから読み取れたので、以下wikipediaの「史料」から引用する。
「一次資料」も参照
一次史料とは、当事者がその時々に遺した手紙、文書、日記などを指す[2]。記述対象について「そのとき」「その場で」「その人が」の三要素を充たした文献を「一次史料」と呼び、そうでないものを「二次史料」と呼んでいる[1]。代表的な一次史料に日記、書翰、公文書がある[1]。コインや新聞記事は通常、一次史料ではない。
二次史料とは、上記三要素を満たさない文献史料を指す。第三者が記した物や、後の記録が該当する[2]。二次史料は、一般に一次史料より重要性が劣るが、必ずしも信頼性に乏しいとは限らない。例えば、太田牛一の『信長公記』や小瀬甫庵の『信長記』はいずれも織田信長に関する二次史料であるが、前者が高い信頼性を有していると考えられるのに対し、後者は史料としての価値はほとんどないとされる[3]。
史料の中でも「そのとき」「その場で」「その人が」の三要素を充たした文献について「一時史料」と呼び、歴史的な情報に重要な価値を持つらしい。
ただし、一次史料自体が正しいかどうかの検証も必要(「史料批判」と呼ぶ)とのことである。
現在は、巷に溢れる情報をいくらでも入手することができる世の中になってきているが、陰謀論や似非科学など公衆衛生に対して有害になり得る情報が氾濫している。
どういった情報が信頼できるものであるかを判断するためには、史料批判のアプローチが活用できるのではないだろうか(調べてない)。