はてなキーワード: 非実在とは
https://togetter.com/li/1791856
ほんまこれ。
1件だって起きちゃいけない。
その1件が起きる背景には、モチーフの実在非実在、表現の2次元3次元問わず、児童ポルノやロリペド容認の社会的風潮が必ずある。
ホモやゲイ好きな女性をつるし上げるところから始まるわけだが。
まあ実在児童ポルノに関しては、性犯罪の助長or抑止という論点以上に、被写体個人の人格権といった問題があるから、簡単には肯定できないけどねぇ。
少なくとも非実在に関しては、そりゃそうだろって感じ。
児童ポルノを合法化すると、子供への性的虐待が低下する(米研究) | 世界の三面記事・オモロイド
http://omoroid.blog103.fc2.com/blog-entry-524.html
非実在児童ポルノを規制しようとしている人たち、どう思う? 現実の児童を危険に晒してまで非実在児童ポルノを規制するべきだと思う?
最近の表現規制の問題に関しては、建設的話題というよりは香ばしい話題となりつつあるので論点を整理したい。
似た趣旨の刑法175条(猥褻物頒布罪)は社会的法益が保護法益であると解されるのが専らであり、かつその規制対象は実在の人物を描写したものに限らない(仮想的創作物も含む)。
一方刑法175条に比して児童ポルノ規制に関しては重い刑罰を課しており、同一の法益の保護を目的にしたものと考えるのは難しい。加えて児童ポルノ規制において「性欲を興奮させ又は刺激する」かどうかの要件は記載されていない。そのため、自然な考えとして当該児童の人格権の保護を目的とする考えが生じてくるわけであり、現状においてこの点においてあまり争いはない。
筆者の見解:一般の児童を性欲の対象とする風潮からの保護を目的にする(社会的法益の保護は含まないが、拡大された個人的法益を保護する)。
単純所持も現在規制の対象になっているが、これは児童の人格権保護という観点のみからは正当化できない。何故なら頒布や児童への所持の告知なし、もしくはそれらを目的にせず所持している場合において、直ちに児童の人格権が害されるとは言えないためである(例えば、親族の遺品に児童ポルノがありそれをそのままにした場合など)。
そのため単純所持の規制の根拠としては児童を性欲の対象とする風潮からの保護を目的にしているためと解釈される。これはいわば抽象化された個人的法益とでもいうべきものであり、社会的法益と解釈できる余地があるように思えるが、これは明確に社会的法益を含まない。このことは判例としてもあり、「同条3項にいう「児童ポルノ」とは,写真,電磁的記録に係る記録媒体その他の物であって,同項各号のいずれかに掲げる実在する児童の姿態を視覚により認識することができる 方法により描写したものをいい,実在しない児童の姿態を描写したものは含まないものと解すべきである」(最判令和2年1月27日)
海外では非実在児童ポルノ規制が現実として行われている側面があり、この場合の規制の根拠として模倣説(児童ポルノが実際の児童への虐待を誘発する)及び市場説(児童ポルノの市場の形成自体を防ぐことによりさらなる流通を防ぐ)という2つの説によっている。翻って日本においては児童ポルノの規制が個人的法益の保護が目的であるという判例がでたため、非実在ポルノへの規制を行うには2つの方法があると思われる。
1. 抽象化された個人的法益を保護法益としながらも、非実在児童ポルノへも規制する旨明記する。
2. 保護法益が個人的法益に加えて社会的法益も含む旨加えた上で非実在ポルノへの規制を行う。
1.は(流通するのが非実在児童ポルノである以上)模倣説を採用することにより正当化されることになるが、これは違憲審査基準と合わせて考えると違憲となる可能性がかなり高いと思われる。何故ならいわゆる模倣説は科学的に立証されたわけでなく、児童の人格権が直ちに侵害される、いわゆる明白かつ現在の危険を有しているとまでは言えない。加えて日本においては子供の入浴の写真を撮ることが一般的とまではいはなくとも受容されうるという現状がある以上、国民の一般的な通念上と照らし合わせてみても違憲である可能性が高い。
2.はおそらく現行憲法下において規制の理由とするのであれば最も妥当な論理になると思われる。再度述べるが刑法175条は健全な性道徳という社会的法益を保護することが目的であり、かつそれは合憲であるという判決が何度も出ている。そのため、同様に児童ポルノ規制の保護法益は「児童が健全に成長する社会」を保護するという旨を明記するのであれば、刑法175条と同様の論理で正当化されると思われる(再度注意しておくがこれは筆者の見解であり当然議論があると思われる)。また、保護法益は互いに二律背反ではなく、社会的法益及び個人的法益の双方が保護されうる(下級審判決などに判例がある)。そのため、この場合であれば児童ポルノ規制は個人的法益及び社会的法益双方を保護するものとして解される。
筆者の見解:現行憲法下でも新たな立法による表現規制を正当化することは不可能ではない(難しいかもしれないが)。
ポルノ規制に社会的法益の保護を根拠とするのはふさわしくないと考えている。そのため、
が私の考え方である。
ただ注意しておきたいが、この種の規制の問題に当たってはやはり児童の保護という観点を重要視して欲しく思っている。表現の自由はもちろん保障されるべきであるが、児童の目に触れないための厳格なゾーニングを求めたい。自ら謳歌する自由が他者の尊厳を損なうことがないよう、気をつけて欲しい。
また、議論の際には建設的な議論を求めたい。相手をナチス呼ばわり、もしくは戦士呼ばわりなど持っての他である。安易なレッテル貼りは議論を口論にかえてしまう。健全な民主主義は誰もが自由に参加できる建設的な議論を礎にしていることを忘れないでほしい。
ゾーニングすればいいじゃん。子供の見えないところに隠せばいい
とは言うが、俺はこれは生半可な隠し方では
アカンと思ってるのよね。少なくともダークウェブに籠もるくらいの措置は必要だろう。アマゾンで18才以上ですのボタンをぽちっと押したらサンプルが見れたり本も買えるとかではアカンやろ。
みんな表のウェブでなんか完璧なゾーニングというものが存在するかのように話してるよね。俺は買う手間がクソめんどくなってもダークウェブに潜るべきだと思うわ
レイプのとことか考察の因果関係逆じゃね?DQNのいない偏差値高い学校ほど校則が緩いのと同じで、性犯罪率が低いから不要な規制がかからないの方がしっくりくる。
https://b.hatena.ne.jp/entry/4710104344518933282/comment/opnihc
日本共産党が非実在児童ポルノ(と定義するもの)に関する問題について、法的規制を望まないこと、社会的合意をつくりたいことが話題に上がっていた。
以下のABEMA TIMESの記事では、その具体的な内容が明らかになっている。ここでは、ゾーニングというやり方や、「儲からないよね」という社会的合意によって、非実在児童ポルノ(と定義するもの)がつくられなくなる方向性に言及している。
具体的には、子どもたちや一般の人たちの目に触れないような場所に置くゾーニングというやり方もあると思うし、“こういう表現は本当にまずいよね”“儲からないよね”という合意ができれば、クリエイターの皆さんも作らなくなると思う」と答えた。
「自由と民主主義を何よりも大切にするのが共産主義の社会だ」日本共産党・吉良よし子常任幹部会員 各党に聞く衆院選(5) https://times.abema.tv/articles/-/10003601
東京都の条例において不健全図書指定(ゾーニング)の対象とされる作品の多くがボーイズラブ作品であること(https://twitter.com/kimirito/status/1392322916038021122)は、その筋の人は有名だと思う。加えて、ボーイズラブに関しては、成人向けスペースの都合や18禁作品の販路が確保されていないことによって、男性向け作品より不健全図書に指定されることで商業的に不利になるという事情が指摘されている。
不健全図書となると、書店などは青少年の目の届かない場所に分けて販売することを義務づけられます。東京都の指定は実質的に全国的基準で、多くの書店で分別販売となるか、成人向けの棚は容量に限度があるため、書店での扱いがなくなることもあります。
不健全図書の指定システムが時代に合わなくなっている https://blnews.chil-chil.net/newsDetail/7254/
女性向けコミックは18禁にしてしまうと読者が買いにくくなってしまうため、売り上げがガタ落ちしてしまいます。
18禁の販路が確保されている男性向けコミックと違い、指定されそうなものをあらかじめ18禁にしておくという手段がとれないBLは、不健全図書指定を受けてしまうと非常に不利です。
BLは「目をつけられている」のか?2016~2017年の東京都不健全図書指定を振り返る https://blnews.chil-chil.net/newsDetail/17240/
ボーイズラブ作品が不健全図書指定(ゾーニング)によって商業的に不利になる(儲からなくなる)ことが指摘されてきたことを踏まえて考えると、日本共産党が提示するゾーニングと儲からなくなるという合意をつくるという具体的方針は確かに有効なのかもしれない、と思う。反対に、それでもボーイズラブをつくる人はいなくなっていないので、やっぱり有効ではないと言えるかもしれない。
https://b.hatena.ne.jp/entry/s/twitter.com/WANPOWANWAN/status/1451240243030495234
賛同である。それだけに相応しくないものを公の場に掲示したい人たちを苦々しく思う。大多数の不快に配慮しないことがいかに危険であるか、ということ。
考えは理解できる。無知で申し訳ないが、多様な表現を受け入れてもらうために、業界は何か活動をしているのだろうか?不快に思う人を無視してやりたい放題、を避けるための施策が知りたい
国家権力に表現規制をさせてはいけないから、性暴力表現を表に出さないことが大事なのに、いまだ公共のポスターや動画でおっぱい揺らしたり股の線描かれてて女に嫌がられてもエロじゃないもん!と居直るバカがいる。
ヘイトスピーチがなぜ規制されるかってことに頭が及ばないオタクが主だからなあ。あるいはヘイトスピーチも野放しにすべきと彼らは考えてるわけで。だから話し合いすら拒む。どちらが思考停止しているか。
こういう人々は、名誉毀損や脅迫も表現の自由のもとに正当化するわけですね。「○ね」「おたくのお嬢さんが無事だといいんですがねえ」というのも言論の自由ですからね。
街頭インタビューで戸定梨香を不快だと言った人はほとんど居なかった件について・・・
この人が言ってることは、他人に任せるな、つまり自分を律せよ、とも言えるわけで。
「表現の線引きを他人に委ねない」ためには、表現者たちも社会的な合意に参画すべきで、「表現の線引きは不要!!」と開き直ることではないんだけど、それは表現の自由戦士には伝わらないんだろうな…
あのね。「公権力に好悪判断を握らせてはならない」からこそ自浄しろって言ってんの。それが理解されないから諦めたの。好きにすれば。
「権力者に生殺与奪の権利を握らす前に調整を図ろう」という意見を「法律が禁止していないから一切不要!」と圧殺するのですけどね。表現の自由戦士は端から生殺与奪の権利を権力者に付託済みなんですよ。
影響がない、非実在だから全く実害がないという詭弁はやめて、こういった姿勢を示すべきで、表自戦士みたいに敵認定して騒ぐのは規制に向かわせるだけだよ。
児童ポルノの件については、エロ絵が無料でお手軽に楽しめる状況を守りたいだけの人が反対派の中に溢れてんだよな。ゾーニング強化したら年齢登録や個人登録必要になるから嫌って。表現規制反対はただの口実。
「乳揺れ」や「ロリ美少女」のような志の低い(カモ消費者にウケる)表現を擁護しようとして、却ってその他「表現一般」について《政治が介入する隙》を与えている、という構図に見える。
うーむ、、児童ポルノは二次元だろうがダメって国はたくさんあるけど、どうなってるんだろうね/だから共産党はしつこく「議論しよう」と繰り返すのではと
↓
権力に規制されたくなければ・・・わかるだろ?という輩の主張する「調整」ってなんだ?
なんつうか、話し合う気もなければ、表現を許す気もないのに
規制派が少しずつ攻勢を強めているのに、反規制派の対応が後手後手で防御一辺倒になっているのは
回りくどくて直感的ではないうえに、非実在であろうと「児童ポルノ」という言葉と紐づけされてしまっている。
この言葉を使う限り、「児童ポルノ」と「表現物」を同列に並べる人たちに対抗できない。
あんな色や線の集まりを「実在児童」と同列の土俵に置いた時点で規制反対派の負け。
だから、人間でも児童でもないことをもっと直感的にわかりやすい言葉に置き換えるべきかと思う。
規制派がすでに違法化されている「児童ポルノ」と一緒にしようとするときに、
「キャラクターポルノ」と置き換えれば別の土俵に話を持っていきやすい。
どうだろう
もともと言論・表現の自由って、自分が考えた思想や意見を表現したり、他人のそれを受け取ったりすることで、人間は全体として向上していくんだ、っていうことから出てきた考え方だよね。特に政治の分野とかではそういう思想・言論・表現の自由がないとヤベーことになっちゃうし、実際に何度もなっちゃったから、やっぱりそういうことは自由にしようねとなったんだよね。
で、何がそういうものを守るのに大切な言論・表現で、何がそうじゃない言論・表現かを決めるのは、その決め方自体が権力にとって有利だから、こういう言論・表現はOKとかNGとかって線引きはなるべくやめて、幅を広くとっとこうね、ということになってるんでしょ。
でも、もっぱら読者の性欲を満たすために描かれてる暴力的・凌辱的なロリエロ漫画とかは、そういう意味での思想や言論はほとんど含んでないし、逆にそういう思想性や言論性を見出したらヤバいわけじゃん。女の子を連れ去って凌辱して主人公たちが満足して終わる漫画表現に思想を読み込んだら、女の子を連れ去っては凌辱して主人公たちが満足して終わる行為をストーリーを通して肯定するものだ、ってなっちゃう可能性が高くて、それは他者危害原則に抵触する扇動行為にあたるわけじゃん。だからこそ作者も、LOとかも、擁護派も、この漫画はそういう行為を実際に肯定するものじゃないよ、あくまで単なるフィクションだよ、と予防線を張るわけでしょ。実際に漫画の手口を真似して犯行した犯罪者が出てきても必死にその関係を否認するわけでしょ。
で、そういう「思想性がない」(と主張する)、フィクションの、専ら性的欲望を喚起するためのポルノグラフィって、理屈から言えば、法律で保護しなきゃいけない根拠も相対的に薄弱になっていくんだよね。そもそも今だって別に「表現の自由は絶対」じゃないし、それぞれの国で定義された価値の低い表現(増田が言ってるわけじゃないよ、法律学に「低価値表現」っていう概念があるんだよ)の一部には自由を認めてないわけだ。名誉毀損とか、わいせつ表現とか、ヘイトスピーチとか、優良誤認とか、医事法違反とか、著作権侵害とか、プライバシー侵害とか、偽証とか、法律で規制されてるNG表現は、今の日本の法律でもいっぱいある。
ちなみに性表現に寛容なイメージがある米国でも、性行為のみを描写したハードコアなわいせつ物は、写真や実写動画だけなくイラスト(二次絵)も言論の自由による保護物に該当しないとされてるし、ミラー・テストというわいせつ性判断の基準では
①平均的な人が、その所属する地域社会等のコミュニティのそのときの基準(contemporary community standards) に照らしてその表現物を見た場合、全体として好色的な興味に訴えていると考えるか。
の3項目で言論・表現の自由の保護に値するかどうかが判断されている。ちなみに米国では「正常で健康的な性的欲求を喚起するだけ」のポルノや性器描写は、ここでいうわいせつ物にあたらず、「裸体、性、または排泄行為に対する恥ずべき、あるいは、病的な興奮に訴えるもの」ということになっている(Brockett v. Spokane Arcades, Inc.)。ようはその社会・時代の文脈のなかで平均的人物像によって「異常な」性行為とみなされるものについては、思想の自由市場での取扱商品にはしませんよ、ということ。日本人にとってアメリカンポルノのストーリー・演出・演技が妙に「健康的」に見えるのは、そうでないと法に抵触するわいせつ表現になるかもしれないリスクがあるからなんだよね。ちなみに児ポはミラーテストに関係なく問答無用で違法。
だから「思想・言論・表現の自由」には「なるべく幅は広くとろう」とは言いつつも、その中身には中核と周縁とすでにNGと決められたものの3つの領域があって、周縁部では、表現の価値と表現のもたらす社会的害悪性との衡量が個別になされたり(わいせつ性の判断)、総じて社会的害悪性が認められたときには新たにNG枠に入れられたりしてる(ヘイトスピーチ法)、というのが実態だと思うんだよね。
で、そういう「NG枠」の側に一部のロリエロ漫画が加わるかもしれないことを、「これまでしっかり守られてきた表現の自由が、これを皮切りになし崩しにされる! 蟻の一穴!」みたいに煽るのは、ちょっと違うんじゃないかな、とも思う。体制が自由を認めた表現だけが許されているって意味では、今までもそうだったんだし、仮にロリエロ漫画が法的に規制されても、その規制の時に使われた理屈を保護法益が異なる表現に対してまで拡げるのは、そう簡単なことじゃない。「グレーからブラックに何かを移動させたら、他の表現もどんどんブラックに動かせるようになるぞ」という警鐘は、そういう現実的状況を踏まえない雑語りに聞こえるし、そもそも「ロリエロ漫画自体が法的な保護を受ける価値がある表現かどうか、そして実際に社会的害悪性をもたらすかどうか」を真正面から議論する自信がないから、「ここを規制したら他の表現の自由も脅かされるぞ!」という論法に頼ってるんじゃないの、って印象もある。
そういう人達が、「表現の自由」が脅かされることへの危機意識を、たとえば愛知トリエンナーレの「表現の不自由展・その後」をめぐるあれこれでも堅持してたのならまだ納得できるんだけど、いま二次元関連で「表現の自由」を強く主張する人達の中には、愛トリの時に「天皇に対する冒涜的表現は、人々が大切にしている価値観に対する攻撃」みたいな理屈で展示中止の抗議活動(威力業務妨害的なやつも含め)を正当化してた人達もいたんで、それについてはやっぱり「あなたがたのいう表現の自由って、結局自分が消費したい表現にだけ適用されるダブスタで、表現を区別するなという自分たち自身も十分セレクティブに振る舞ってるんじゃないの」という印象を持っちゃう。もちろんそのダブスタ批判は、かつて表現の不自由展を擁護していて、いま「非実在児童ポルノ」への規制論を容認してる人にも当てはまることなんだけど、さっきの衡量論にもとづけば、それは完全に対称の関係じゃないとも思うんだよねー。
(「ロリエロ漫画の害悪性の根拠を出さないと保護法益が決められない」というのは、そういうダブスタ系の人達よりもずっと筋が通った理屈だけど、わいせつ物陳列・頒布罪にせよヘイトスピーチ法にせよ、その害悪性の根拠が、国会や法廷の場でしっかりしたエビデンスのかたちで示されたことはないと思う)
日本共産党の政策において、共産党は表現規制に舵を切ったと批判された「女性とジェンダー」の項目について、それは「文化」の記述にある表現の自由を守ることと矛盾しないんじゃないの〜という文章。
始めに一つ考えてみてほしい。
憲法21条1項に定められた表現の自由は、その表現の内容に関係なく保証されるべき非常に重要な人権であるよね。
では2016年に施行された ヘイトスピーチ解消法 をはじめ各自治体のヘイトスピーチ条例は個人の自由な表現を制限しているのと思う?
答えは「制限している」法務省 ヘイトスピーチに関する裁判例
(リンク先は短い文章なのでぜひ読んでね)。リンク先を簡単にまとめると
つまり、表現の自由は基本的に保証されるべきであると主張することと、場合によっては制限されうるという主張は特に矛盾しない。
さてここで当初の日本共産党の政策に戻る。項目7と60の主張はそれぞれ
非実在児童ポルノは、現実・生身の子どもを誰も害していないとしても、子どもを性欲や暴力の対象、はけ口としても良いのだとする誤った社会的観念を広め、子どもの尊厳を傷つけることにつながります。「表現の自由」やプライバシー権を守りながら、子どもを性虐待・性的搾取の対象とすることを許さない社会的な合意をつくっていくために、幅広い関係者と力をあわせて取り組みます。
であった。どう?ここまで読んできた上で日本共産党は表現規制推進派であると考える?
#日本共産党は信頼できないからこんなこと言っていても規制を狙っている、と考えるあなたへ
それはそれで良いと思います。ただ私は日本共産党の実務面での誠実さを買っているので、 共産党はマンガ・アニメの規制にカジを切ったのか にあるように法的規制を狙うことは無いと考えています。
#そもそも現行の児童ポルノ対策や成人向けのゾーニング等の施策で十分ではないのか、というあなたへ
正直私もわからないです。個人的にはゾーニングが十分機能していると考えていますので規制までは不要であると思います。しかし世界的な潮流、GAFAによる児童ポルノを疑わせるコンテンツの消去、などを考えると、そもそも実在・非実在問わず児童を性的に見る視点そのものが問題視されていく流れが今世紀のトレンドに見えます。従って架空の存在であるゆえに子供の人権を侵害していないという主張はこれからどんどんと厳しくなっていくように思います。ゆえに欧米諸国からの指摘(突き上げ・圧力)に対して国内の表現の自由を守るための議論が必要なのではないのでしょうか。
日本共産党に電話して非実在児童ポルノ、表現規制について聞いて結構意見を言ってしまった。具体的な質問は2つ
・児童ポルノの件は子供を守るための政策か?そうだとしたら何故ジェンダーと女性の項目か?BL等で男児が性的に描かれるものがあるのは把握してるか
回答・子供を守るための物。何故
https://twitter.com/dF2NO0qY8NotbxX/status/1451092859856113668
女性とジェンダーの項目かはわからない。BL等は把握しておらず、女性クリエイターや女性ファンは想定外。
・表現規制が厳しい海外で性犯罪がが多発していて性表現の多さと犯罪率の高さに因果関係がないと思われるがどのような考えをお持ちか?
https://twitter.com/dF2NO0qY8NotbxX/status/1451094307746705414
「共産党が表現規制派になった!」と、どこか論点がズレてるのは大体そういう感じだと思う。
冷静な人は「規制するかしないかは問題じゃない」と言ってますよね。
非実在児童ポルノは、現実・生身の子どもを誰も害していないとしても、子どもを性欲や暴力の対象、はけ口としても良いのだとする誤った社会的観念を広め、子どもの尊厳を傷つけることにつながります。
と断言してるんだから、誤読とか誤解とかそういう話じゃないんですよね。
に対する反論は、「でもどうせ差別するんだろ?」ではないですよね。「その言葉それ自体が差別なのです」と、共産党支持者を含む大勢の人から指摘されているわけです。
個人的には性表現の規制はゾーニングさえしっかりしていれば現状維持で良いのではないかと思っている。ただこれはあくまで現在の俺の意見であり、今後外部の意見に触れたりそれらを自分で咀嚼したりして変更される可能性がある。
現行の児童ポルノ禁止法では18歳未満の子供のポルノは製造も所持も禁じているわけだが、これをそのまま2次元をはじめとした創作物等にも拡大適用するってことで良いのだろうか?
散々言われてると思うが、調べればわかる実在する児童の年齢と違って、『絵』だとその辺曖昧になりすぎない? そもそも年齢の設定すらしてない場合も多そうだ。
更にはどう見ても小学生以下の子供なのに「18歳以上(という設定)です」で法の網を抜けられてしまうので、年齢(設定)で児ポかどうかを判断するのは全く現実的ではないだろう。
でも何の見た目で判断する気なのだろう? 例えば中学高校の制服を着ているか否かであればこれは比較的分かりやすいし、製造にしろ所持にしろ避けやすいと思われる。でもそれだけでは私服の小学生のポルノを防げないので、結局はキャラクターの見た目で判断するってことにならないか?
そんなこと出来るのか?
そもそも非実在児童ポルノが禁じられてる海外ではどうやって判断してるんだよ。
教えてくれよ、出羽守ぃ!
性別はまあどっちもありえるとして、子どもに性的なことをする意図の作品だろ?
そんなんきもいし別に規制したって困らない。というかむしろ規制してほしいくらいに個人的に思っている。
反対してる人って要はロリエロ漫画を支持してるキモオタでしょ?
ってくらいの感覚なんだよな正直。
でもさ、本当は「この表現規制を皮切りにどんどん規制範囲が広まるのを危惧してる」っていう感じなんでしょ?
だったらそこらへんをもっと推していかないと反対派=ロリエロを守りたいキモオタ集団くらいにしか見えないと思うんだよ。
いや、これは支持者として結構ショック。
何がやばいってあちこちで言われてる通り、「非実在児童ポルノ」という言葉を使ってること。
「非実在児童ポルノ」は石原都政の表現規制を象徴する言葉である「非実在青少年」を嫌でも想起させる。
これに対して民主・社民・共産など野党が一丸となって戦い、阻止した歴史があるのに。
いくら「マンガ・アニメは法規制しない」と明記してても「非実在児童ポルノ」という単語が出た時点で規制側のイメージがつくに決まってる。
そもそも例の文言は表現の自由でなく「女性・ジェンダー」の項なので、わざわざそんな言葉出さんでもよかったろうに。
あそこは表現の自由の話を混ぜるのでなくゾーニングの話に持っていってほしかった。
実際共産党関係でもゾーニングを推進する活動をしている人もいるのにあまりに勿体ない。
投票先変えようか、他の党はどうなんだろと調べてみたら、政策見た限り自民党はマンガ・アニメ規制に触れられてもないし公明党は表現の自由にすら触れられてない。
立憲は明確に規制に反対してないし、維新はそれなりに踏み込んでるものの「過度に干渉しない」と含みを持たせた表現。
「法的規制の動きに反対」と明記しているは共産党だけなのだなあ…
それでもやはりあの一文は看過できないので、共産党には投書しようと 思う次第。
https://jimin.jp-east-2.storage.api.nifcloud.com/pdf/pamphlet/20211011_pamphlet.pdf
「表現の自由を最大限考慮しつつ、インターネット上の誹謗・中傷やフェイクニュース等への対策を推進するとともに、人権意識向上の啓発活動を強化し、様々な人権問題の解消を図ります。」
■公明党
https://www.komei.or.jp/special/shuin49/wp-content/uploads/manifesto2021.pdf
https://cdp-japan.jp/election/tokyo2021/policies
「SNSなどの拡散力のあるインターネットでの創作活動、マンガやアニメなどの創作活動を委縮させてしまわないよう、表現活動に対する都の率先的な啓発に取り組んでいきます。また、青少年健全育成条例の運用にあたっては、漫画家や作家、編集者など、現場に近い方から意見を聞く工夫を行います。」
https://www.jcp.or.jp/web_policy/2021/10/2021s-bunya-007.html
「現行法は、漫画やアニメ、ゲームなどのいわゆる「非実在児童ポルノ」については規制の対象としていませんが、日本は、極端に暴力的な子どもポルノを描いた漫画やアニメ、CG、ビデオ、オンライン・ゲーム等の主要な制作国として国際的にも名指しされており、これらを適切に規制するためのより踏み込んだ対策を国連人権理事会の特別報告者などから勧告されています(2016年)。非実在児童ポルノは、現実・生身の子どもを誰も害していないとしても、子どもを性欲や暴力の対象、はけ口としても良いのだとする誤った社会的観念を広め、子どもの尊厳を傷つけることにつながります。「表現の自由」やプライバシー権を守りながら、子どもを性虐待・性的搾取の対象とすることを許さない社会的な合意をつくっていくために、幅広い関係者と力をあわせて取り組みます。」
https://www.jcp.or.jp/web_policy/2021/10/2021s-bunya-060.html
「「児童ポルノ規制」を名目にしたマンガ・アニメなどへの法的規制の動きに反対します。」
https://o-ishin.jp/policy/8saku2021.html
「表現の自由を最大限尊重し、マンガ・アニメ・ゲームなどの内容に行政が過度に干渉しないコンテンツ産業支援を目指します。 MANGAナショナルセンターの設置による作品アーカイブの促進、インバウンドを意識した文化発信やクリエイターの育成支援などを行います。」
「表現の自由に十分留意しつつ、民族・国籍を理由としたいわゆる「ヘイトスピーチ(日本・日本人が対象のものを含む)」を許さず、不当 な差別のない社会の実現のため、実効的な拡散防止措置を講じます。」
「SNSなどにおける誹謗中傷問題につき、行政による過剰な規制や表現の自由侵害には十分に配慮しつつ、発信者情報開示請求を簡素化するなど司法制度を迅速に活用できる仕組みを整備し、被害者保護と誹謗中傷表現の抑止を図ります」
俺も基本的には「表現の自由戦士」とかって揶揄されてるような人達とほぼ同じ立場だったんだけど(今も半分はそうなんだけど)
10年くらい前にヘイトスピーチに関する議論が盛り上がったときに色々考えが揺れ動いちゃったんだよね。
簡単に言えば
ヘイトスピーチは規制してもいい気がする(ある種心情的なところも大きい…)
でも同時に
「差別を規制するのは表現の自由と関係ない」っていう切り離し方は難しいと思ってて。