はてなキーワード: 青色とは
俺の時代には「キャラクターの肌の色は種族、外見、生まれを問わずこの法で定められた色(ドラえもんみたいな真っ青だ)でなくてはいけない」と国際法で決まってる。
昔の作品は肌の色が全て青色に塗り替えられているし、ドラマも俳優が肌をみんなして同じ色の青に加工されている。
一応、白黒の作品はキャラクターの肌色が常に同じ色であればギリギリ許されているが、光の加減によりどちらかが別の色に見えたらアウトという縛りが厳しく、結局全てが同じ色の青で塗られている。
この世界では誰もが青い。
顔を青く塗らないことは差別主義であることのアピールであり、この時代で言えば頭から白い布をとんがらせながら被って暮らすのと同じような意味合いを持っている。
生まれてくる赤子の色は全て青だ。
母親に特別な薬を飲ませて生まれてくる赤子の色は生まれつき青くなるようになっている。
生まれた子供に罪はないのですぐに青くなる薬を飲ませているので問題はない。
君たちの時代の人はどうして顔を青く塗らないのか?
渋谷から電車で30分くらいの駅の、駅から徒歩5-6分くらいのアパートに住んでいた。駅の付近は起伏の多い地形で、谷のように降っていく地域と、丘のように登っていく地域があった。住んでいたアパートは駅から緩やかに丘の上へ登り、2車線の道路を渡って降っていくかという場所にあった。アパートの名前は忘れた。なんとかハイツとか、なんとかハイムというような、地名と無個性な単語の組み合わせだったと思う。
アパートは確か5階建てくらいで、その3階に住んでいた。
部屋のドアの色は鮮やかな青色で、そこだけが新品のようにつやつやした手触りだった。ドアを開けるとキッチンの向こうにベランダがあり、やけに大きな窓が2方面に開いていた。窓は西向きだったのか、夕方に部屋の奥まで光が差し込んだ。アパートの向こう側は下り坂になっていたので窓の向こうの景色は開けており、他の建物からの視線が気になることがなかった。カーテンはつけず、部屋の中の照明も控えめなものにして、1年中夕焼けが見えるようにした。冬は寒く、1日中毛布にくるまって過ごした。
駅の近くにあるスーパーで買い物をして帰ることができた。ぼけっとしていてスーパーを通り過ぎても、セブンイレブンがあったので弁当を買うことができた。何かの拍子にセブンイレブンも通り越すと、小さな蕎麦屋が家の向かいにあった。夜は半分居酒屋メニューで、テレビがいつでも小さな音量でついていて、麺がやわらかい店だった。
蕎麦屋のメニューを覚える頃には、別のお店がないかと探した。Google Mapは今よりもずいぶんいい加減な情報を表示していて、個人のお店は載っていないことが多かったように思う。通りの雰囲気と人の流れを頼りに、アパートの向こうの下り坂を降りて、自室の窓から見えていた桜の咲く公園の近くへ歩いた。
この下り坂を降るとき、いつも不思議と不安なような気持ちになった。あたりは夜でも十分に電灯はあったし、人通りもそれなりにあった。建物は2階建て個人宅が多く、昔から住んでいる人たちの木造建築はどれも立派な造りに見えた。アパートやマンションは比較的新しい建物のようで、大声が聞こえることも、不審に思える人物とすれ違ったこともなかった。
だが気になるのは、家々の窓から漏れ出る光。白からオレンジ色の光が、どの家からもアパートからもマンションからも、どの方角からも道に向かって漏れている。電灯から次の電灯までの間、辺りを見るとこの窓の光だけがぽつぽつと目に入ってくる。
それぞれの窓の中の景色を想像する。自分と同じ一人暮らしの人も多いだろう。渋谷へのアクセスが良く、駅徒歩も10分以内といったところだ。不動産屋も紹介しやすいことだろう。二人暮らしの人もいるだろう。駅から離れるにつれてアパートの敷地は広くなり、一部屋の間取りにも余裕が生まれる。ファミリー層向けのマンションには子供が生まれたばかりの夫婦が住むだろうか。昔から建っている立派な木造建築には、3世帯で住んでいる人たちもいるに違いない。夕飯の時だけは1階に集まって、テレビをつけながら談笑したりしているだろうか。そうした想像をすると、窓の光の一つひとつに生活があり、違った人生があるという当たり前のことが、リアリティをもって感じられた。この実感は、私をとても不安な気持ちにさせた。
通勤電車が混むことが苦痛になり、2年でその町からは引っ越した。今は生活が変わり、住宅街を通ってもあの時と同じ気持ちにはならない。でも、あの町の、あの坂道を通ってみたらどうだろうか。あの部屋で、夕焼けを直に受けるクローゼットの扉を見たらどうだろうか。
1. チタン製品を加熱処理して表面に酸化チタン(TiO2)の皮膜をつくり青い色を付けること。酸化チタンが青い色をしているわけではなく、透明な酸化チタン膜の表面と裏面で反射した光が干渉することによって生じる色である。位相が合い青色を強めあう厚さ(40〜70nm)であるときに青く発色する。膜厚がより薄ければよく見かける茶色に、厚ければ緑や黄色になる。温度ムラにさらされるチタン製マフラーなどでは膜厚差による色のグラデュエーションを見ることができる。
鉄、真鍮など他の金属でも加熱処理に寄る青焼きがある。着色のプロセスは違いそう。
2. 芳香族ジアゾニウム塩と紫外線を用いた文書、図画の複写方法。複写物は青い。普通紙コピー機が普及するまで主流のコピー方法だった。blueprint。
1浪してようやく受かった某私大(MARCHのどれか)を卒業したのが2000年3月
就職氷河期真っ只中ということもあり、東京での就職を目指したものの数十社以上お断りされ就職を断念
地元に戻り親のコネで就職を世話してもらうも人間関係に嫌気がさし3ヶ月ほどたったところで退職
その後は実家のそばに建っている親が経営するアパートの1室に住み無職生活を送り20年が経過した 家賃は当然払っていない
バイトもしていないが、相続税対策として親から毎年120万円の贈与を受けているので毎月のお小遣いとして10万円使うことが出来る
あくせく働いて年収4~500万円のサラリーマンよりも自分の方が幸福度は高いのではないかと思ったりもする 実際は違うんだろうけど
【追記】
・税務署大丈夫なの?毎年120万円だと定期贈与になるんじゃない?
⇒税理士の指導のもと、毎年贈与契約書を締結して「後から遡って作成したんじゃないの?」と言われないよう公証人役場で確定日付を取ってるので多分大丈夫です
・生活費としてならもっと援助してもらえばいいのに 親族間の生活費なら無税扱いなのでは?
⇒父親が確定申告(青色)してますが、私は家族従業員として年間60万円の名目上の給与を得ています(これと贈与分合わせると実際の年収はゼロじゃなくて180万円ですね すいません)
そして親がそのお金で私の国民年金や健康保険料その他を払ってくれています(支払を私任せにした結果過去に滞納したことがあるので、親が全て支払う形式となりました)
⇒買い物にはあまり行きたくないので、コロナ以前から食べ物飲み物に関しては親が加入している生協で私が欲しいものを注文し、親に支払してもらっています
・相続税払えるの?
⇒親が一括払込型の生命保険を契約済で保険金受取人は私になっているので、相続税についてはそれで払いなさいと親から言われています
自分は一人っ子なので父が亡くなった場合の相続人は母と私だけです
銀行との契約の際、父が高齢ということで法定相続人として契約に同席させられ色々説明を受けたことがあり、そこで大体の父親の資産全容も把握出来ました
・何かやりたいことないの?
⇒「パチプロ日記」を読んで故田山プロに憧れてパチプロになろうと思ったことがありましたが、毎日パチンコを打ってたら腰痛が酷くなり2ヶ月で断念しました
そのパワーワードを文中に含めておけばアクセスUP間違いなし!って感じなんですけど。
例のさ、
私が使ってるのは白色マスクなんだけど、
ちょっとメディカル雰囲気漂わせている緑色とか青色とかのマスクってあるじゃない。
なんかそっちの方が効果高そうな気がするのは、
きっと色を塗られた茶色い鶏の卵のように、
なんか色つきマスクの方が防御力高そう!って。
そう思うでしょ?
でね、
茶色いのがとれて白くなったので本当にこれ色塗ってるの?って逆にビックリしたわ。
やっぱり色つきのメディカルチックな方が防御力高そう!って
あと、
よその人が飲んでいる緑茶か何かが美味しそうに見えちゃって、
隣の芝生は青い!ってうらやむほどよ。
なんか緑茶なのか芝なのか上手いこと言えてるのか言えてないのかは定かではないけど、
たぶん言えてないわ。
そんな感じよ。
まあ、
マスクの色や鶏の卵だけに
色を付けるとはよく言ったものね!
うふふ。
久しく食べてなかったタマゴサンドも改めて食べてみると玉子の美味さが際立って旨みを感じるわ。
要は美味しいってことよ。
春イチゴ積んできたいところだけど、
苺買ってきました。
すいすいすいようび~
今日も頑張りましょう!
今日は武漢のある、湖北省の一部地域で、他省への移動が始まったようです。
中国に住んでいるので、感染者数について、私はよく表題の質問を受けます。
中国の出している数字は怪しいというのが定説で、私もそう思いますが、
今回に限って言えば、数字は本当で、しかもかなり精度が高いと思いますので、その理由について説明します。
中国では、再感染とみられるケースがあることから、今回の新型肺炎は集団免疫での対応が出来ないと考えています。
つまり、ワクチンが開発されない限りは今のような状況が永遠に続くんじゃないかと捉えているようです。
これが正しいかどうかはおいておいて、中国としてはこのことを前提としているために、発症者数を0にすることが目標です。
このために「早期防護」「早期発見」「早期診断」「早期隔離」の方針が取られています。
「早期診断」「早期隔離」は皆さんご存知のPCR検査や春節の際の自宅隔離、武漢で突貫で作った病院で有名だと思いますが、
「早期防護」「早期発見」は正確な情報をオープンにすることと、密接な繋がりがあります。
「早期防護」とは、集団感染が発生した場所に近づかない、そこにいた人は近寄らせないということです。
感染者が発生したマンションが分かる地図アプリは、わりと早期に提供されました。
中国では体温検査がそこら中で行われて、感染者をチェックしているのは有名だと思いますが、
会社や建物に入るためには、あるアプリの画面の提示が必要な場合があります。
このアプリは所持者の位置情報と紐付けになっており、通常は青色の画面ですが、集団感染が発生した地域にいた場合には
赤色になって、その場合には会社や建物への侵入が出来なくなります。
上のアプリでは登録に健康情報の申告が必要で、虚偽の申告をした場合には罰則があります。
最近は熱があるにも関わらず、解熱剤を飲んで嘘の申告をした帰国者が発病した結果、
携帯での決済が当たり前で、国民のほとんどが携帯を携行している中国ならではの取り組みかもしれませんが、
こういったアプリを活用することで、「早期防護」と「早期発見」に必要な素早い情報提供と、正確な情報の
実際にこういった取り組みによって中国全土での感染を抑え込むことを目にしているので、
逆説的ではあるものの、中国当局が把握し、提供している数字はかなり精度が高いんじゃないかと思っています。
仕事の合間に片手間で出来るようなものじゃないと思っているのだけど、
他の人はどれくらい時間かかっているんだろう?
ちなみに、青色。
1年分をこの期間にやろうとすると提出するまでに1週間位かかるイメージがある。
もちろん、計画的にまとめていない自分が悪いから自業自得ではあるけど。
確定申告ツールを使っているから1から帳票を作っているわけじゃないけど。
ざっとあげてもこれくらいある。
…
ただ、今色々あって仕事が切羽詰まってる状況ではないんだよな…。
真面目に考えると無論、
「コレクタブルカードでゲームをする(しかも同一カードを複数枚使ってもよい)」
が最大の発明なのは一切疑問の余地はないのだが、それはそれとして、元増田が挙げている物がどの程度「発明」だったかネチネチかつダラダラかつ主観的に検討してみる
無論、発明ではない。遅くとも、表記スペースが極めて限られているボードSLG時代には極めて標準的な考え方だった。
おそらく本当のイノベーションとは、
「イタリックで説明文を追加すれば無闇矢鱈に新しいキーワード能力を追加してもよい」
という決断が下された瞬間である((MAROがどっかで書いてた気がする))。
無論、発明ではない。ただし、
がデッキ構築という概念と密接に絡んだイノベーションな可能性は否定できぬ。
無論、発明ではない。カードゲーム(日本語で言うところのトランプ)を遊べば、そんな物が設定されている物はすぐに見つかるだろう。
ただし、(Raise Deadでなく)Animate Deadは明らかに異常な発想である。
無論、発明ではない。ユニットが青色だろうが灰色だろうが歩兵は3-3で戦車は5-5である(ダニガンは偉大だ)。
無論、発明ではない。ユニットが青色だろうが灰色だろうが歩兵は3-3で戦車は5-5である(ダニガンは偉大だ)。
それより『Bobby Lee』(所謂「積み木の南北戦争」。第一作は1972年出版の『Quebec 1759』)みたいなのをTom Dalgliesh(Colombia Games創業者)がどうやって思いついたのか知りたい。
あれって「アイデアというのは複数の問題をいっぺんに解決すること」そのもので、明らかに頭おかしい。
無論、発明ではない。ただし、山札から他のゾーンにカードを移動させる手段が多彩なので、発明に見える可能性は否定しない。
「勝利条件が設定されている」と「勝利条件を狙って行動できる」の間の断絶は本来は極めて大きい。
そういえば、バクスターか何かだと思うのだが、サイドボードがない時代の大会で、デッキ二つ用意して、対戦相手によって使い分ける話が載ってなかったっけ?
Duelistに1回載ってた謎のポイント制デッキのルール、サイドボード10枚毎にポイントが設定されてた(上限30枚)の、面白かったよね。
「コレクタブルカードでゲームをする(しかも同一カードを複数枚使ってもよい)」
普通のカードの代わりに平然と基本地形が混ざってるリバイスド以前のパックでドラフトしてた人達って頭湧いてたと思わない?
と書き換えると何か直接の先祖があった気がするが思い出せなくてモヤモヤするよね?
タイプ1とタイプ2を分離するのは確かに画期的だったが、本当の決断は
「Ice Ageを出すときにカード背面のデザインを変えなかった」
ことではないだろうか。
もともと、Ante関係のカードの存在故に、まともなトーナメントルールを作るならば「禁止カード」の設定が必然だった、という偶然から発生した話ではある。
それがなかった場合に「特定のカードはデッキに入れてよい枚数をコントロールする」という発想が出たかは謎ではある((いやそれなら最初に「同一カード4枚制限」を思いついたのが一番の発明だろう))。
重箱の隅をつつくクソリプで申し訳ないけど、この問題文だと「よそ者は村人ではないので嘘をついている可能性があるから村人が自分の目が青色だと確信することはない」になりそう
(追記:今更だけどパズルの原文はこちら→https://io9.gizmodo.com/can-you-solve-the-hardest-logic-puzzle-in-the-world-1642492269)
答えには納得したのだけど、問題文に納得がいっていない。
納得がいかない点を説明するために、以下にその問題の配役を変えただけの問題文を書く。
(この時点で間違っているのなら私の解釈間違いということでわかりやすいので指摘してくれると助かる)
全ての村民は非常に頭が良いし、論理的で間違った行動はしません。それを村民全員が知っています。
村民全員はこの世の人の目は青か赤の二種類であると知っており、それは事実です。
村には鏡も水面もガラスも無く、自分の目の色を確認する術はありません。
村民は一日一回全員が集合し、自分以外の全員の目の色を確認する機会があります。
もしも自分の目が青色だと確信した場合、その日の夜のうちに村から出ていかなければならない掟があります。
また、掟により村民同士で目の色について話すことは、禁止されています。
その村によそ者が一人来て「少なくともこの中に一人青い目の人がいる」と言って去っていきました。
答えは「100日後に100人全員同時に村から出ていく」なんだけど、それは納得した。
でも、よそ者の「少なくともこの中に一人青い目の人がいる」が起点になるのが納得できていない。
村民一人の立場となって考えた場合、残りの99人が青い目なのはすでに知っていた情報で、新しい情報ではない。
問題文が「この掟ができた場合」ならわかるんだけど、よそ者の発言が起点になる理由が知りたい。
追記:
ちなみに答えの導き方は
一日目A「Bの目青いし、ワイの目が赤かったらBは今日出ていくんやろうな」
B「Aの目青いし、ワイの目が赤かったらAは今日出ていくんやろうな」
二日目 A,B「ファッ!?出て行かんやんけ!つーことはワイの目の色も青や!」スタコラ~
一日目A,B,C「なんもわからん」
二日目A「BとCの目青いし、ワイの目が赤かったら二人の場合と一緒やしBとCは今日出ていくんやろうな」
B「AとCの目青いし、ワイの目が赤かったら二人の場合と一緒やしAとCは今日出ていくんやろうな」
C「AとBの目青いし、ワイの目が赤かったら二人の場合と一緒やしAとBは今日出ていくんやろうな」
三日目 A,B,C「ファッ!?出て行かんやんけ!つーことはワイの目の色も青や!」スタコラ~
一日目と二日目 A,B,C,D「なんもわからん」
三日目A「BとCとDの目青いし、ワイの目が赤かったら三人の場合と一緒やしBとCとDは今日出ていくんやろうな」
B「AとCとDの目青いし、ワイの目が赤かったら三人の場合と一緒やしAとCとDは今日出ていくんやろうな」
C「AとBとDの目青いし、ワイの目が赤かったら三人の場合と一緒やしAとBとDは今日出ていくんやろうな」
D「AとBとCの目青いし、ワイの目が赤かったら三人の場合と一緒やしAとBとCは今日出ていくんやろうな」
四日目 A,B,C,D「ファッ!?出て行かんやんけ!つーことはワイの目の色も青や!」スタコラ~
...
再追記:
「村の掟がそのままで村民が二人だった頃の村を知っている老人が現れ、「その時に少なくとも一人の目は青だった」と告げて去っていった」
ならわかる。それならわかる。
でも元の問題文じゃやっぱりわからないんじゃないかと思ってきた。
最終的に二人の場合を想定した場合、確かに「少なくとも一人は青い目」という情報は必要だけど、それは二人の時に知らなければ役に立たない情報で、100人の状態で知っても答えは出ないんじゃないか。
答えにも納得できなくなってきた。
再再再追記:
やっとわかった。
三人の場合
・よそ者が来る前
A「B,Cは青やからワイが赤だったら
Bは「Aが赤でワイが赤でも全員赤かもしれんからCは自分が青だとわからん。Cは村に居続けるやろうな。だからワイが赤か青かわからん」
Cは「Aが赤でワイが赤でも全員赤かもしれんからBは自分が青だとわからん。Bは村に居続けるやろうな。だからワイが赤か青かわからん」
となってB,Cは村に居続けるやろうな。だからワイが赤か青かわからん」
・よそ者が来た後
A「B,Cは青やからワイが赤だったら
Bは「Aが赤やからワイが赤ならCは自分が青だとわかるから一日目に出ていく。出ていかなかったらワイは青や!」
Cは「Aが赤やからワイが赤ならBは自分が青だとわかるから一日目に出ていく。出ていかなかったらワイは青や!」
となって二日目に出ていくはずや。出ていかなかったらワイは青や!」
となって三日目に出ていく。
同じ事をB,Cも考えるから三人とも三日目に出ていく。
四人の場合
A「B,C,Dは青やからワイが赤だったら
Bは「Aが赤でC,Dは青やからワイが赤だったら
Cは「A,Bが赤やからワイが赤ならDは自分が青だとわかるから一日目に出ていく。出ていかなかったらワイは青や!」
Dは「A,Bが赤やからワイが赤ならCは自分が青だとわかるから一日目に出ていく。出ていかなかったらワイは青や!」
となって二日目にでていくはずや。出ていかなかったらワイは青や!」
Cは「Aが赤でB,Dは青やからワイが赤だったら
Bは「A,Cが赤やからワイが赤ならDは自分が青だとわかるから一日目に出ていく。出ていかなかったらワイは青や!」
Dは「A,Cが赤やからワイが赤ならBは自分が青だとわかるから一日目に出ていく。出ていかなかったらワイは青や!」
となって二日目にでていくはずや。出ていかなかったらワイは青や!」
Dは「Aが赤でB,Cは青やからワイが赤だったら
Bは「A,Dが赤やからワイが赤ならCは自分が青だとわかるから一日目に出ていく。出ていかなかったらワイは青や!」
Cは「A,Dが赤やからワイが赤ならBは自分が青だとわかるから一日目に出ていく。出ていかなかったらワイは青や!」
となって二日目にでていくはずや。出ていかなかったらワイは青や!」
となって三日目に出ていくはずや。出ていかなかったらワイは青や!」
となって四日目に出ていく。
同じ事をB,C,Dも考えるから四人とも四日目に出ていく。
五人の場合
A「B,C,D,Eは青やからワイが赤だったら
Bは「Aが赤でC,D,Eは青やからワイが赤だったら
Cは「A,Bが赤でD,Eは青やからワイが赤だったら
Dは「A,B,Cが赤やからワイが赤ならEは自分が青だとわかるから一日目に出ていく。出ていかなかったらワイは青や!」
Eは「A,B,Cが赤やからワイが赤ならDは自分が青だとわかるから一日目に出ていく。出ていかなかったらワイは青や!」
となって二日目にでていくはずや。出ていかなかったらワイは青や!」
Dは「A,Bが赤でC,Eは青やからワイが赤だったら
Cは「A,B,Dが赤やからワイが赤ならEは自分が青だとわかるから一日目に出ていく。出ていかなかったらワイは青や!」
Eは「A,B,Dが赤やからワイが赤ならCは自分が青だとわかるから一日目に出ていく。出ていかなかったらワイは青や!」
となって二日目にでていくはずや。出ていかなかったらワイは青や!」
Eは「A,Bが赤でC,Dは青やからワイが赤だったら
Cは「A,B,Eが赤やからワイが赤ならDは自分が青だとわかるから一日目に出ていく。出ていかなかったらワイは青や!」
Dは「A,B,Eが赤やからワイが赤ならCは自分が青だとわかるから一日目に出ていく。出ていかなかったらワイは青や!」
となって二日目にでていくはずや。出ていかなかったらワイは青や!」
となって三日目に出ていくはずや。出ていかなかったらワイは青や!」
Cは「Aが赤でB,D,Eは青やからワイが赤だったら
Bは「A,Cが赤でD,Eは青やからワイが赤だったら
Dは「A,B,Cが赤やからワイが赤ならEは自分が青だとわかるから一日目に出ていく。出ていかなかったらワイは青や!」
Eは「A,B,Cが赤やからワイが赤ならDは自分が青だとわかるから一日目に出ていく。出ていかなかったらワイは青や!」
となって二日目にでていくはずや。出ていかなかったらワイは青や!」
Dは「A,Cが赤でB,Eは青やからワイが赤だったら
Bは「A,B,Dが赤やからワイが赤ならEは自分が青だとわかるから一日目に出ていく。出ていかなかったらワイは青や!」
Eは「A,B,Dが赤やからワイが赤ならBは自分が青だとわかるから一日目に出ていく。出ていかなかったらワイは青や!」
となって二日目にでていくはずや。出ていかなかったらワイは青や!」
Eは「A,Cが赤でB,Dは青やからワイが赤だったら
Bは「A,C,Eが赤やからワイが赤ならDは自分が青だとわかるから一日目に出ていく。出ていかなかったらワイは青や!」
Dは「A,C,Eが赤やからワイが赤ならBは自分が青だとわかるから一日目に出ていく。出ていかなかったらワイは青や!」
となって二日目にでていくはずや。出ていかなかったらワイは青や!」
となって三日目に出ていくはずや。出ていかなかったらワイは青や!」
Dは「Aが赤でB,C,Eは青やからワイが赤だったら
Bは「A,Dが赤でC,Eは青やからワイが赤だったら
Cは「A,B,Dが赤やからワイが赤ならEは自分が青だとわかるから一日目に出ていく。出ていかなかったらワイは青や!」
Eは「A,B,Dが赤やからワイが赤ならCは自分が青だとわかるから一日目に出ていく。出ていかなかったらワイは青や!」
となって二日目にでていくはずや。出ていかなかったらワイは青や!」
Cは「A,Dが赤でB,Eは青やからワイが赤だったら
Bは「A,C,Dが赤やからワイが赤ならEは自分が青だとわかるから一日目に出ていく。出ていかなかったらワイは青や!」
Eは「A,C,Dが赤やからワイが赤ならBは自分が青だとわかるから一日目に出ていく。出ていかなかったらワイは青や!」
となって二日目にでていくはずや。出ていかなかったらワイは青や!」
Eは「A,Dが赤でB,Cは青やからワイが赤だったら
Bは「A,D,Eが赤やからワイが赤ならCは自分が青だとわかるから一日目に出ていく。出ていかなかったらワイは青や!」
Cは「A,D,Eが赤やからワイが赤ならBは自分が青だとわかるから一日目に出ていく。出ていかなかったらワイは青や!」
となって二日目にでていくはずや。出ていかなかったらワイは青や!」
となって三日目に出ていくはずや。出ていかなかったらワイは青や!」
Eは「Aが赤でB,C,Dは青やからワイが赤だったら
Bは「A,Eが赤でC,Dは青やからワイが赤だったら
Cは「A,B,Eが赤やからワイが赤ならDは自分が青だとわかるから一日目に出ていく。出ていかなかったらワイは青や!」
Dは「A,B,Eが赤やからワイが赤ならCは自分が青だとわかるから一日目に出ていく。出ていかなかったらワイは青や!」
となって二日目にでていくはずや。出ていかなかったらワイは青や!」
Cは「A,Eが赤でB,Dは青やからワイが赤だったら
Bは「A,C,Eが赤やからワイが赤ならDは自分が青だとわかるから一日目に出ていく。出ていかなかったらワイは青や!」
Dは「A,C,Eが赤やからワイが赤ならBは自分が青だとわかるから一日目に出ていく。出ていかなかったらワイは青や!」
となって二日目にでていくはずや。出ていかなかったらワイは青や!」
Dは「A,Eが赤でB,Cは青やからワイが赤だったら
Bは「A,D,Eが赤やからワイが赤ならCは自分が青だとわかるから一日目に出ていく。出ていかなかったらワイは青や!」
Cは「A,D,Eが赤やからワイが赤ならBは自分が青だとわかるから一日目に出ていく。出ていかなかったらワイは青や!」
となって二日目にでていくはずや。出ていかなかったらワイは青や!」
となって三日目に出ていくはずや。出ていかなかったらワイは青や!」
となって四日目に出ていくはずや!出ていかなかったらワイは青や!」
となって五日目に出ていく。
同じ事をB,C,D,Eも考えるから五人とも五日目に出ていく。
これ考えた奴頭おかC
この間座談会に出席した。
「私のひそやかな楽しみ」というテーマで一人一人喋る場面があり、そこで「ひとりで回転寿司に行く」という回答がダブったのが今でも鮮烈に脳裏に焼き付いている。という前置き。
週に何度も通る駅への道。傍らで開店している回転寿司屋。(これは開店と回転をかけたギャグです)
しかしけしてひとりでは通らない。脳の裏側でひとりで回転寿司という文字というか概念が二重になって輝く。その色数 1680万色。
ゲーム脳と誹りたければそーしろ。私の脳は青色 LED が発明される前に生成されたので燃費悪いよ。
三人揃えば高速増殖炉となり高速で寿司を回転させていただくことも可能だけれども、条件がまず揃わない。
幻の三人目は西野カナではない。よって揃わない。
真剣に悩み、突き詰めた結果、私はいくらが食べたいということが判明した。
実のとこ真剣に悩む前からいくらが好きだったのだけど、意識してしまうと慕情が止まらなくてぼじょーて漏れまくる。(これは慕情とぼじょーをかけたギャグです)
定期的に五人で食事会を開く。揃いも揃ってる。夕食で休日で緊張で震える。六割方揃ってる。
五芒星パワーで毎度寿司が召喚される。いくらもいる。いくらも…いるんだよ。いくらは…存在するんだよ、手を伸ばせばすぐそこに。
でもそれらいくらはすべて私ではない人が食べる。いっぱい食べる君がすきだから…。いくらよりすきだから…。
人を食らった原生生物を探窟家が食べてふたたび私たちの力になるのって旨の話をリコちゃんがしてた気がするんだけど、いくらを取り込むことによりより私に好かれまくってってる気がする、私のいくらを食べる人。私のいくらを、食べる人。私の、いくらを食べる人。
でも失ったいくらはもう食べられない。私の口でいくらがはじける日は来ない。
もう何億年もいくら食べてない感覚持ってる。カンブリア紀には寒鰤が獲れてたはずなんだから鮭くらい余裕でいるっしょ。そこは心配してない。
これらが満たされないと人はいずれ死ぬ。私ももう長くはない。もって八十年というところか…。
近所のスーパーでいくら丼やいくら軍艦に値引きシールがつくことがある。
多少高くても値引きシールが貼られているのならお買い得だねという気持ちに包まれる我が家のローカルルールである。
しかし値引きシールが貼られるとき、そこに私はいない。眠ってなんか…いない!(本当です)
たとえ私がそこにいても、夕食前なのだ。家族で団らんなのだ。一人前のいくらなんて持ち込めないのだ。ぼくぽろりなのだ。
もし持ち込めたとしても速攻でいくらバキュームが発動して私の口には下のごはんとか海苔とかしか入らない。
そんな日々がかれこれずっと、ながくながらくながらがわく続いていた。
しかしある日、転機が訪れた。いくらバキュームの君が、遅ればせながら習い事を開始したのである。
なんとびっくり、夕方近くの単独行動可能時間帯という副産物が小一時間ほど発生するようになった。
ひょー!たん!こまっ!(これは瓢箪から駒が出ている様子を表現したオノマトペです)
いやそれより前から通うもんはあったけど、基本ガラスの向こう側で私もじっと手に汗握って見守る系のやつで、そんなフリーダムなもんがこの世に存在するという発想がなかった。
人は自由を手にしたとき何を為すか…答えは当然、近所のスーパーに赴きのんびり自分のペースでお買い物、である。
そして… ""知って"" しまうのである…その時間帯からおあつらえ向きに値引きシールが貼られ始めることを…。
はじめてソロ活動中にいくら丼 550円 20% 引きという文字列を確認したときのあの心の躍動を忘れない。
そう、私の心は、躍った。網膜を通し脳裏に燦然と貼られる値引きシールを翻し、かろやかに、はじけ飛ぶように、そうまるでいくらの如くはじけ飛ぶように!なんかうまいこといった!とにかくまあ躍った。
しかし冷静になって考えると、私は夕食とは別に、家族に内緒で、475.2円のものをかっ食らおうとしている。
事が済んだらその容器をごみ箱の深淵へ誘い、上から別のごみを殉葬して、素知らぬ顔で自分のごはんをふーんわーりエアリーに盛って、何食わぬ、当然いくらも食わぬ顔で家族と夕食を取ろうとしている…。
強烈な背徳感が私を襲う。
人を欺こうなどと大それたことはせず、馬鹿がつく系の正直に、不器用に生きてきた。
そんな私がこんな倫理に反するようなことを想像し、あわよくば実行しようとするなんて…!
自分すら知らなかった自分の一面に恐れおののき打ち震えた。私単体だと結構震えてるんだな。
倫にあらず。すなわち不倫。
今まで誰にも言ったことがなくて増田初公開情報なのだけれど、私は不倫というか不倫をして悲劇のヒロイン気分に浸ってる女性というのがどうにも苦手で、とにかく不倫にまつわる様々なものを遠ざける傾向にあった。
それでまあ、そう思った瞬間一気にハードル高くなって、未だいくら買えてない。食べてない。目の前で食べ尽くされるのは見た。
代わりと言っては何だけど、そのスーパーで売ってる冷凍タピオカ買ってココアとかミルクティーとかに突っ込んで百均のぶっといストローでずぼぼぼぼぼってしてる。少し満たされる。
タピオカ飲料に使われるストローのあの鋭利な斜め加工は、上部にシーリングされたフィルムをえいやっとつんざくためだけではなく、タピオカをストロー内に導くためにも必要だということが、百均の無加工ストローによって判明したのでよき教訓となった。
飲む前にキッチンばさみでちょんと切って斜めにしてる。
それはそれとしていくらを諦めた訳ではない。
生協のカタログでちょっとお高いやつならたまに見かけるから、もうちょい手が出せる価格帯での販売もして欲しい。
なんかいくらのこと考えだしたら廃人みたいになってしまったんだけど、いくらのこと想いながらキーボード打ち殴ってったら少し落ち着いた。
殴るほどの威力かけてはいないけど、なんか打撃が頭蓋のツボにヒットしてしまった人っぽい文が書けたね。
私はいくらがすきです。
思いのほか人に読まれることとなったので、「これから日記を書いてください、ただしこれは確実に人に読まれます」て言われたら↑の RAW 文とりあえず書くだけ書いた後↓の文にコンバートするだろうな、みたいなやつも今書いてきました、併記しときます。多分↓だけ読めば伝わりオッケーだと思う。
以前知人が「ひとりで回転寿司に行くのがひそかな楽しみ」という旨のことを話してくれた。
それ以来私も一度はひとりで回転寿司に行きたいと願っていたが、家庭の事情もありなかなか叶わない。
自問自答して問題の切り分けをした結果、願いのサイズを「いくらを食べたい」というところまでミニマルにできた。
そんな中、値引きシールの貼られたいくら丼を家族に内緒で買って食べるチャンスが回ってきた。
しかしこれは倫理に反する、つまり不倫だ、と私の心が判断して、不倫にまつわるものが苦手なあまりそのチャンスすら手放してしまった。
せめていくらがもう少し安く売られていたらなあ。