はてなキーワード: 開業とは
噂の松本先生ですが、ちょっと気になったので厚労省の医師等資格確認検索(死亡した医師免許保持者でもリストアップされていたり、登録抜けがあったりというなかなかにメンテの行き届いていないDBではあるが…)で調べてみた。試しに近所で開業してる医者数件を打ち込んでみたらきっちり返ってきたので、それなりに使えるものと判断。
男性医師で探すと一件、出ては来るんだが、登録年度が昭和61年、即ち1986年。
一方、くだんの松本院長は、プロフィールによれば順天堂大を1961年(=昭和36年)に卒業されているので、卒業と同時、もしくは遅くとも外科医長として働き始めた時期には登録されているはずなので、辻褄が合わない。
どういうこと?
可能性としては、
1.卒業から25年後に医師免許取得・登録 → 病院長まで務めておられるのでさすがに無理が
3. 厚労省への登録をしていない → 医師法6条の規定を無視?
なんというか、ウイルスが未知なんじゃなくてこの人の経歴が未知なのかもしれない。
天才プログラマのように技術を極めるのであればそれを生かす道に行くべきであって,企業に入って大型システムを開発するのはもったいないか向いてない
天才カメラマンのように技術を極めるのであればそれを生かす道に行くべきであって,企業に入って商品を撮るのはもったいないか向いてない
天才絵師のように技術を極めるのであればそれを生かす道に行くべきであって,企業に入って広告を描くのはもったいないか向いてない
天才建築士のように技術を極めるのであればそれを生かす道に行くべきであって,企業に入って大型物件を設計するのはもったいないか向いてない
天才料理人のように技術を極めるのであればそれを生かす道に行くべきであって,企業に入って大型店舗で料理するのはもったいないか向いてない
実際にはこんなところか?不幸なのは独立開業の敷居が高いことかも。
http://anond.hatelabo.jp/20080528162253
名前変わったら、こんなコンセプトの店になってたりな。
http://alcatraz.hy-system.com/
こんなメニュー。
・男子禁制(オリジナルジャンボチョリソー) こんなBigサイズ!!一度くわえてみたら…アハン 980錠
・脳ミソ解剖(細切り野菜の和牛タタキ包み) レクター仕立て!!あの映画でのシーンが再び♪ 860錠
・和牛のカルパンチョ伊藤。 ER開業以来ベストセラーの一品。 820錠
・解体(鶏の丸焼きガーリックバターライス詰め・個数限定) 毎日行なわれる解体作業。今夜はあなたの手でどうぞ!1羽の鶏を使った贅沢な一品です。) 1,980錠
http://www.asahi.com/national/update/0422/OSK200804220112.html
乗客ら107人が死亡、562人が負傷した05年4月のJR宝塚線(福知山線)脱線事故で、兵庫県警捜査本部(尼崎東署)は、現場カーブがJR西日本の全路線の中で最も危険なカーブと断定した。時速120キロの高速運転の直線から70キロまでの大幅な減速が必要で、同様のカーブは他になかった。同本部は、経営陣が現場カーブで新たな脱線防止措置を取っていなかったことを重視。業務上過失致死傷容疑での立件の可否について詰めの捜査に入っており、今夏にも結論を出す見通しだ。
JR西日本などによると、同社は96年12月、翌年開業する東西線に尼崎駅で乗り入れるため、半径600メートルの緩やかなカーブだった宝塚線の上り線を半径304メートルのカーブに付け替えた。それに伴い、カーブの制限速度を時速95キロから70キロに下げたが、手前の直線の制限速度は120キロに据え置いたため、50キロの大幅な減速が必要になった。事故を起こした高見隆二郎運転士(当時23)は116キロでカーブに進入し、電車は速度超過が主因で脱線した。
しかしもともとのカーブも95km/h制限で、高見運転士は116km/hでカーブに突っ込んでるので、
付け替え前でも20km/h以上の大幅な速度超過で危険であったとも言えるが、
その程度の(25km/hの減速が必要な)カーブなら他にもいっぱいあるんだろう。
高見運転士が95km/hで突っ込んで事故ったとかなら70km/hに下げたときの対策の足りなさは
間違いなく責められるべきだろうが。
そういうところをどう考えていいのか俺にはよくわからん。
以前の知人の名前をググっていたときに、偶然 2ch のスレにその名前が載っているのを見つけた。
そのスレは、失敗したベンチャー企業とかナンとかというタイトルだったと思う。そう、知人とは、ベンチャー企業の経営者だった男だ。いや、「だった」というのは正確でない。なぜなら、今でも経営そのものは続けているらしいからだ。
ググったときに出てきた結果から、今その男がおかしな宗教じみた blog を書いているとか、学術的根拠のなさそうないかがわしい健康食品のネットショップを運営しているとかということを同時に発見できた。
そうした彼の現状、そして先に発見した 2ch のスレ、そこには 20 世紀末のあだ花だったベンチャー企業の数々が書き連ねてある、それを合わせて見た時に、俺はなぜか溢れてくる涙を止めることができなかった。なぜだろう。ネットバブルの光芒があまりに輝かしかったからだろうか。
20 世紀末当時、俺は田舎町でスモールビジネス、当時の言葉で表せば SOHO の振興活動をしていた。そのときに主催した講演会でゲストスピーカーに呼んだのが彼だった。
彼自身も、スモールビジネスから VC の出資を経て起業をした男だった。そうした実体験に基づいた彼のトークは、SOHO が何たるかすらわからなかったであろう地域の人々に感銘を与えた。
そんな彼は、おそらく今は出資金のほとんどを食いつぶすだけでなく、個人レベルで細々と開業・運営できるようなネットビジネスで何とか食いつなぎ、いや、もしかすると日々の食事にすら困窮するような生活なのかもしれない。
思い出せば、blog なるものが広く知られるずっと以前に彼から Geeklog のスクリーンショットを見せられ、「これはブレイクするぞ」と言われたことがある。その意味が理解できなかった俺は、彼にあいまいな返答しかできなかった。
少なくともそこで彼が意志を貫いていれば、良かれ悪しかれドリコムの内藤のようになっていたかもしれない。でも、俺がそれを強く勧めなかったことを自省するつもりはない。内藤になるのはいかにもいただけないばかりでなく、結局成功のキッカケを掴むかどうかは本人次第なのだから。
宗教的思考で平安が得られ、健康食品で世に貢献したいと考えるのであれば、彼にとってはそれはそれでいいんじゃないかと俺は思う。でも、もはや彼とは一縷のつながりもなくなってしまった今は、やはり淋しさを拭えない。なぜなら、共に闘った日の事を思い出さずにはいられないから。
ショッピングカート付きネットショップ開業サービス 【おちゃのこネット】??安く開店、手軽に構築??
で、こんなお詫びを掲載しているショップオーナーがいるようだ。
http://www.contact.co.jp/blog/index.php?/archives/907_.html
3月13日(木) 1:00 AM頃より当サイトが表示されなく
せっかく来て頂いたお客様に多大なるご迷惑、ご心配をお掛け致しました。
この場を借りて深くお詫び申し上げます。
原因は当サイトが使っているocnk.netのドメインの一時失効です。
非が有るのは管理会社である事をご理解、ご了承下さい。
詳細は こちら
まだ観覧出来ない所が多数、報告されております。
DNSキャッシュの問題で最長で1??2週間かかるとも言われていますが
このような事が二度と起こらぬように厳しく対応を迫っていきます。
この度は誠に申し訳御座いませんでした。
全く理解できないのだが、
非が有るのは管理会社である事をご理解、ご了承下さい。
おいらだったら、こんなショップでの買い物はごめんこうむるがね。
なんか勘違いしているんじゃないのか。
結構な値になんないと出すつもりはないけどとりあえずどんな価値があるのかな。っと。
http://www.imgup.org/iup520233.jpg
・岡山・広島エリア利用開始記念ICOCA(台座既に折られている)(限定品) 使用感それなり
・SUPER BELL"Zパスケース ピンク・青(限定品) ピンクは一部切れ込みがあるが使用上問題なし 使用感大有
・奥出雲おろち号乗車記念はがき(2007年夏)2枚 使用感それなり
・メモ帳しか写っていないがゆったりやくも試乗会の時配られたものセット(山陰の観光関連のものとかキャラクター入りのMINTIAとか) 使用感酷すぎ
どれもこれも保存用としては酷いもの。
あればいい人向け。
たぶん、データが数年前のものなんでしょうね。出典が不明だけど。
トヨタの社長が張富士夫氏、松下の社長が中村邦夫氏だし(今は違う)。
まあそれ以外にも、問題はあるけど。
以下、東大・早稲田・慶應以外の成功者がいない件についてのエントリについて、
「東大・早稲田・慶應以外の成功者がいない件」の根拠として疑問に思う点。
・「東大・早稲田・慶應以外の成功者がいない件について」の根拠として、「ライブドア問題」関連の人たちが最初に例にだされてるけど、
なんでこれが「成功者」の代表例なんだよって。
・分類が、「Live door」「フジサンケイグループ」「弁護士」で、「弁護士」に分類されてるうちの後ろの方。
村上世彰氏、桂木明夫氏、鹿内宏明氏は法学部出身だが、ライブドア事件での立ち位置は「弁護士」ではなかったと思うが。ほんとにこの人たちは弁護士なのか。引用元か引用者の誤りではないのか。
とりあえず、村上世彰さんが弁護士というのは初耳なのだが。弁護士資格もってたの?開業してるの?
「大企業・上場企業の社長=成功者jなのか、「成功者」の基準はそれだけしかないのか、と。大企業・上場企業の社長でなければ「成功者」ではないのか、というのが、まず問題。
また仮に「大企業・上場企業の社長=成功者jとしても、「時価総額上位社長」の20位以内でも、中央大、京大、名大、阪大が混じっているし、20位以下でもかなりの大企業と思うが、たぶん他大学が混じっているだろう。また、「上場企業の社長出身学部ベスト50」も11位で切れているが、10位に京大が入っているし、12位以下にも他大学が入っているだろう。つまり、「東大・早稲田・慶應以外の成功者がいない」というのは、すでにこのエントリのデータの中で反証されている。
ともあれ、大企業・上場企業の社長の「多くが」「東大・早稲田・慶應」出身、ということは、現時点でもあるのかもしれない(データが現時点のものかは不明だが)。
しかしこのエントリ自体が、あらかじめ結論ありきで書かれた感はある。なぜかはわからないが、「東大・早稲田・慶應」=「成功者jといいたいのだろう。
しかし、「大企業・上場企業の社長=成功者jはどうなのかなあと思う。ほかにないのかねえ。
あと、前半部分は現時点で例としてあまり意味がないのでは?
先日、社内報が回ってきたのだが、その中に書かれていた社長からのメッセージに強烈な内容が含まれていたので、社内の人間だけに読ませるには勿体ないほどの含蓄があると感じ、テキスト起こしをさせてもらった。なお、特定の名称に関しては伏字とさせていただくことを、あらかじめお許しいただきたい。
さて今月、私は中国湖南省の長沙へ行く機会がありまして、じつに15年ぶりの中国旅行をしてきました。15年前にも北京や桂林へ行った事があるのですが、その時との変貌ぶりには目を疑います。まず、空港から街までは高速道路が完成しておりまして、街中に入ると車やバイクの大群が流れています。訪中するまではかつて見た自転車の大群が頭に浮かんでいたのですが、現在は違いました。高級外車の姿が目につく一方で、昔いた牛車の姿は何処にも見かけません。
ばい煙あるいは排ガスや黄砂によるものなのか、くすんだ街の光景は見通しが悪く、太陽の形を見ることもありません。昔と大きく違うのは観光地のトイレで、ちゃんと扉もあるうえに水洗化までされていました。また、レストランで出てくるビールも冷えていて、笑顔での対応も少しずつ見られます。
しかし交通モラルは低く、車の量も人の数も多過ぎるため、横断歩道を渡るにも決死の覚悟がないと永遠に渡れません。世界中の産業の生産拠点が一気に集まり、急成長を遂げた中国のごく一部を見ただけですが、その姿はまるで30-40年前の日本にも似て、人のことなどなりふり構わないといった自分本位の国民性を見る思いがします。事実、公害を撒き散らし森林を伐採し続け、緑地が減少し黄砂の舞う砂漠の拡大が深刻な状況な事に気づくこと無く、現在の中国は拡大成長だけをしてきています。北京五輪を機に、なんらかの変化が起こる事を期待するしかないですが、こういった感覚の国民がたくさん日本に観光に来ていて、日本の観光業に対し影響を及ぼしていると考えると、我々としても知らん顔はできません。
特に今回、当県を中心に展開しているスーパーマーケット業界の中堅企業の『×××』が10年前から長沙に進出し、このたびさらに数店舗を開業することを機に、話を伺いました。しかし驚いたのは店長の話で、開業当時に多くのお客様が来店されたにもかかわらず、商品は棚から無くなる一方で、売り上げがいっこうに増えないという現象が起きた。多くのケースでは、従業員がリーダーの目を盗み、商品を勝手に持って帰っていたそうです。また、家族が来店した際に同様の方法で商品を持ち帰らせるなどして、店側に多くの損害を出したと聞きました。でも、根気よく「なぜ持って帰るとダメなのか」を教え理解させた結果、10年で素晴らしい社員に教育されたそうです。実際に店内で買い物をしてみましたが、日本の百貨店方式の接客や精算が実によく行き届いていました。
古くから万里の長城での団体観光写真撮影を日本から教えに行き、拠点にしていた奈良県の写真屋さんも、社長が見ていないと店員たちがすぐに売り上げを誤魔化し、ポケットに入れてしまうと嘆いておられましたが、国民性とは本当に怖いものです。でも経済成長と共に、笑顔で「ありがとう」が言える国民に成長して来ている事を考えると、中国という国が日本にとってますます驚異的な存在になることは疑いありません。今回の旅行は、本当にいろんな意味で勉強になりました。
追記:「長沙 日系スーパー」で検索すると、せんだっての「日貨排斥暴動」の対象になった事が分かる。その時にこのスーパーはどれだけの痛手を蒙ったのかと考えると、複雑な思いになる。
http://anond.hatelabo.jp/20070718102914
それは鬱病(大鬱病, Major Depression)ではなくて、回避性人格障害(最近は人権派を恐れるのもあってパーソナリティ障害というか)か、病気だとしてもせいぜい適応障害じゃないのか?精神科は患者に病名を告げにくいから、「軽い鬱のようなものですね」ってとりあえず言っておくのが定石なんだよ。とりあえず「まともな」精神科を受診し(続け)ろ。内科医が苦労人の相談にのって助けてやってる気になって(共依存)掲げてる、本来は心因性の「体の病気を治す科である」心療内科だったり、若い医者が精神保健指定とった程度ですぐにビル開業したクリニックなんかじゃなくな。退職した大病院の院長なんかが開業したビルクリニックなら行きやすいだろ。
Major Depressionならば、5年間も沈みっぱなしなんてことはまずあり得ない。そんなひどい状態なら、体を動かすことすら出来ず一日中無動状態で蝋屈様になっているかしている。単に「やる気が出ない」「色んなことが面倒」「人生に希望が持てない」「そう言えば寝付きも悪いし朝早く目覚める(主に日中に動かない為だったり)」「食欲も無い(主に日中に動かない為だったり)」程度で、鬱病だと自己診断するなよ?そんなの「誰にでもある」ことだ。本当の鬱病エピソードを味わってみるといい。こんなところに文章を書く気にすらならないから。
http://anond.hatelabo.jp/20070306145959
じゃあやっぱり薬飲まなくたっていいし、薬を飲むことで根治が遅れる可能性もあるわけだ。
なんでそんなに薬飲め飲めと言わんばかりに必死なんだろう。
鬱病自体が単一の疾患でなく、大鬱病で発症しておきながら、数年後に躁転し、双極I型障害だったと後から分かることも少なくありません。その場合は単なる抗鬱薬は確かに無効だったり躁転という逆効果を来すこともあります。それは事実ですが、本人には判断不能なことであり、(ビル開業した若い医者のメンタルクリニック以外の経歴のある医者のメンタルクリニックか、精神病院に行って)医者に見てもらうべきです。放置して治ることもないとは言いませんが、治りにくいもの程、放置で悪化することが多いです。また、薬が全く効かないという場合は、外因性な(周囲の生活環境が原因となっている)場合があり、環境を変える以外に方法はありません。ただし、元々抑鬱気味な状態に環境が追い打ちをかけているという状態であれば、ひとまず薬や休暇で環境に耐えうる精神状態に持って行くことが重要です。
投薬を用いた治療でそれまでよりさらに悪くなる可能性はないのか、それが気になる。
無いとは言えないのは上記の通り。そもそも診断が適切でないと薬が合わない場合があります。しかし適切に診断されていれば薬は合うはずです。ちなみに身体疾患の場合は薬が即効するような言い方をされていますが、そのようなものはほんの一例に過ぎません。数ヶ月内服してようやくある程度マシになるという身体疾患も数多くあります。すぐに治る急性疾患と、なかなか治らない慢性疾患を同一視してはいけません。また、例え、良くなる場合と悪くなる場合があったとしても、例えば、統計学上、前者が80%、後者が1%だとしたらやはり良くなる場合に"賭ける"のが正しいと判断されるでしょう。両方起こりうるならしないというのは安直に過ぎます。
付け加えて置きますと、トピ主には「早く治したい」「効果的に治したい」という焦りがあるようです。焦燥感の強い鬱病は、安易な抗不安薬や抗鬱薬の投与で、発作的な自殺に至ることがあります。主治医と良く相談された方が良いと思います。
- 元々は材木商である「佐久間屋」に由来して「佐久間町」と言う地名であった。材木商は大火のたびに莫大な利益を上げており、火除けの町秋葉原らしい縁起である。現在でも秋葉原駅東側に「神田佐久間町」、「神田佐久間河岸」という地名が残っている。
- 後にこの地に勧請される「鎮火社」を人々が秋葉社と呼んだことから秋葉原(あきばはら、あきばっぱら)と呼ばれるようになる(上記参照)。
- 1888年 - 秋葉社が松が谷に移転。
- 1890年 - 日本鉄道の鉄道線(現在の東北本線)が上野から秋葉原まで延長。当初は旅客の扱いは無く、秋葉原貨物取扱所として駅の南を東西に流れる神田川から駅東側に割り堀を引いて水上貨物輸送への窓口となっていた。駅名をつけたとき「あきはばら」と誤植されるが訂正されずに今に至る。
- 明治中期から大正時代にかけ、秋葉原周辺は鉄道・都電など交通の便が良く、そのため、特に卸売業が発達し、秋葉原駅近辺に青果市場も開かれた。
- 1925年 - 秋葉原駅~東京駅間の開業により東北本線が東京駅まで開通。
- 1932年 - 御茶ノ水駅~両国駅間が開業し、秋葉原は乗換駅になった。
- 1935年 - 神田青果市場が設置される。
- 1936年 - 鉄道博物館(のちの交通博物館)が東京駅から中央本線万世橋駅(のちに廃止)の駅構内に移転する。
- 戦前から戦後にかけて - 地下鉄(銀座線)・都電・国電と付近で多くの鉄道・軌道路線が立体交差をしていたことから、鉄道・交通に関する子供向け絵本に、未来都市の象徴として秋葉原が描かれることがあった。
- 1945年の第二次世界大戦後 - 神田地区の闇市で当初電機学校(現在の東京電機大学)の学生のために販売していた真空管やラジオ部品など電子部品の店舗が総武本線ガード下に集まって、今日の電気街の基になった。
- 1960年代 - 高度成長と連動する形で、テレビや洗濯機、冷蔵庫など家電製品の販売店が多くなり、大阪日本橋のでんでんタウンと並んで日本有数の電気街の地位を築く。
- 1980年代 - ファミコンの普及に伴って、各種コンピューターゲームソフトを扱う店が増え始め、ゲーム関連の専門店も登場する。
- 1989年 - 神田青果市場が大田区(大田市場)へ移転。跡地は駅前広場・駐車場を経て現在の秋葉原UDXビル・秋葉原クロスフィールドとなる。
- 1990年代 - 家電製品の郊外型量販チェーンストアの台頭で、家電売り上げが減少。その種の電化製品販売を縮小してパソコン及び関連商品を扱う店が増える。
- 1994年頃 - パソコンパーツ(いわゆる「自作PC」の部品)を扱う店舗が増え始める。
- 1990年代後半 - コンピューターゲームの中で、美少女やアニメを扱ったものに人気が特化していき、秋葉系・オタクといわれる存在が注目されはじめる。
- 1997年7月 - 秋葉原駅前広場を会場にコンピュータ関連展示会「インターネットショーin秋葉原」が開催される。以後2001年まで毎年開催され、1999年からは「AKIBAX」の愛称がつけられるなど、秋葉原の夏の一大イベントとなる。
- 2000年頃 - メーカー製コンピュータの販売が縮小し、代わってアニメ・同人誌系などの店舗、いわゆる「オタクショップ」が増える。
- 2002年頃 - 秋葉原駅電気街口周辺にアダルト関連グッズ(AV・おとなのおもちゃなど)を販売する、いわゆるアダルトショップが進出。
- 2002年6月 - 安全で快適な千代田区の生活環境の整備に関する条例(通称千代田区環境保護条例)が制定。秋葉原のほぼ全域が路上禁煙地区に指定された。
- 2005年8月24日 - つくばエクスプレス秋葉原駅が開業。同時に、同駅東側に車寄せや駅前広場も整備された。
- 2005年9月16日 - 秋葉原駅構内の、旧貨物駅跡地にヨドバシカメラマルチメディアAkiba・タワーレコード秋葉原店が開店。
- 2006年3月9日 - 神田市場の跡地に秋葉原UDXビルが開業。秋葉原クロスフィールドがグランドオープン。
- 2006年5月14日 - 交通博物館が閉館。博物館は2007年、さいたま市に鉄道博物館と改称して移転予定。跡地の今後は未定。
- 2006年6月2日 - 仮称TX秋葉原駅開発ビルが着工。阪急電鉄がつくばエクスプレスから同社の駅周辺の用地を借り受けて建設・運営するターミナルビルである。2008年4月に開業予定。阪急系列のホテルremmがテナントとして入店予定。
- 2006年10月16日 - 都内で初めての区営有料トイレがJR秋葉原駅にオープンした。
- 2006年12月22日 - 2002年以降休止していたAKIBAXが「AKIBAX2006」として復活開催。
- 2006年12月31日 - JR駅ビルにあったアキハバラデパートが閉店。