はてなキーワード: 開業とは
経済活動やお金のために生きるとなるとこういう考えに収束していくんだろうなって思った。
元増田の言ってることには夢がない。
夢がないんだ。
だから悲観的でつらいんだ。
夢を持て、って言っても、そういうのどうでもいいしつまらないしその夢は誰かからの洗脳だろ?って言われるんだろうけどさ。
それだけじゃないよ。
そして、つまらんかもしらんけど、金だけが価値じゃないし人生でもない。
心の底にある衝動に従えばいいだけの話だ。
人間って、というか動物って、そのくらいシンプルでいいはずだ。
俺は研究職やってる。
学生に勉強教えながら、自分の好きな研究をして、評価されるのかされないのかわかんないけど、
自分が面白いとかすごいとか知りたいとか思うものを研究している。
つまらないって言われるかもしれないけど、自分次第でなんでもできるし、どんな夢でも持てる。
俺の兄は医者をやってる。
人が生きている限り、医者はなくならないし、収入も高収入のままだ。
一時期、医者を増やすために大量に医大ができたあと、それ以上増やすような動きはでていないので、
このままいくんだろう。
高齢化社会になっていってどんどん医療費がかかって、医者は儲かる。
一応尊敬される仕事だし、人を助けたい、みたいな夢を持てるし、開業してビジネスとして成功を、
みたいな夢も持てるだろう。
しかし、そういう世界じゃないところで、夢をもってる人たちはいるよ。
地元で小さいお好み焼きや開くのを夢と思ってる人たちだっているし、それをくだらないとは言えないだろう。
そうだ、こんなコピペがあったな。
メキシコ人の漁師が小さな網に魚をとってきた。その魚はなんとも生きがいい。
それを見たアメリカ人旅行者は、「すばらしい魚だね。どれくらいの時間、漁をしていたの」 と尋ねた。
旅行者が 「もっと漁をしていたら、もっと魚が獲れたんだろうね。おしいなあ」と言うと、 漁師は、自分と自分の家族が食べるにはこれで十分だと言った。
「それじゃあ、あまった時間でいったい何をするの」 と旅行者が聞くと、
漁師は、「日が高くなるまでゆっくり寝て、それから漁に出る。戻ってきたら子どもと遊んで、 女房とシエスタして。夜になったら友達と一杯やって、ギターを弾いて、歌をうたって… ああ、これでもう一日終わりだね」
「ハーバード・ビジネス・スクールでMBAを取得した人間として、きみにアドバイスしよう。 いいかい、きみは毎日、もっと長い時間、漁をするべきだ。それであまった魚は売る。 お金が貯まったら大きな漁船を買う。そうすると漁獲高は上がり、儲けも増える。 その儲けで漁船を2隻、3隻と増やしていくんだ。やがて大漁船団ができるまでね。
そうしたら仲介人に魚を売るのはやめだ。自前の水産品加工工場を建てて、そこに魚を入れる。 その頃にはきみはこのちっぽけな村を出てメキシコシティに引っ越し、ロサンゼルス、ニューヨークへと進出していくだろう。 きみはマンハッタンのオフィスビルから企業の指揮をとるんだ」
漁師は尋ねた。 「そうなるまでにどれくらいかかるのかね」
「20年、いやおそらく25年でそこまでいくね」 「それからどうなるの」
「それから? そのときは本当にすごいことになるよ」と旅行者はにんまりと笑い、
「今度は株を売却して、きみは億万長者になるのさ」
「それで?」
「そうしたら引退して、海岸近くの小さな村に住んで、日が高くなるまでゆっくり寝て日中は釣りをしたり、 子どもと遊んだり、奥さんとシエスタして過ごして、夜になったら友達と一杯やって、 ギターを弾いて、歌をうたって過ごすんだ。どうだい。すばらしいだろう」
人生ってなんなんだろうな。
日本出版社協議会と名乗るわりにあまりに日本語に不自由なブログエントリ「拝啓 アマゾン・ジャパン様: 日本出版者協議会」が話題なので、
論文、たまにビジネス文書の添削で食っている(それだけじゃないけど)俺が添削してみた。
(コメント)Amazon.co.jpを運営している会社に何かを訴えたい場合は「アマゾンジャパン株式会社」が登記上の名称ですのでこちらをお使いください。
「アマゾン・ジャパン」株式会社という会社は存在しないもしくは別会社の可能性があります。
御社が開業以来、人文書並びに文学系の専門書に比重のあるわが社にとっては、大型書店以外では店頭販売の機会が少ないものを含めて大変お世話になっております。当初から比べれば、現在ではわが社の月の売上の15%を占める状態にあります。
(添削例)人文系並びに文学系の専門書の出版に重きを置く弊社にとって、貴社の開業による弊社の売上への効果は目覚ましく、現在では月の売上の15%を占めるほどとなっております。
(コメント)複文を用いたことによって文全体の論理関係が不明瞭になっています。何に大変お世話になっているのかがよく分かりませんでした。
また、御社は口語で用いられる単語であり、文語では貴社を使います。また、わが社も全文の小社との意味の兼ね合いからやや不適切ですので、弊社に改めたほうがよいかと考えます。
御社が、わが国の再販制度を前提に、世界有数の通販会社のノウハウ、特に顧客管理と流通システムの導入による販売力の展開は、わが業界に“黒船的”な変革を迫る物でもありました。当初は、定価販売と送料を含めた書籍の直販の一般的な販売スタイルでした。それでも売上を伸ばし続けたのは、御社の通販会社としての底力であり、業界全体に学ぶべきものを突きつけるものでした。
(添削例)貴社が、日本の再販制度を前提として、世界有数の通信販売のノウハウ、特に顧客管理と流通システムの導入を行いその販売を展開したことは、日本の出版業界にいわゆる「黒船的」な変革を迫るものでありました。当初の貴社の販売スタイルは定価販売と送料を含めた書籍の直販という一般的なものであったと記憶します。しかし、それでも貴社の売上が伸長しつづけたのは、通販会社としての(意味不明瞭。販売モデルの?)優秀さを示したものであり、業界全体に学ぶべきものを突きつけるものでした。
(コメント)日本語でのダブルクォーテーションによる強調("黒船的")は一般的でありません。日本出版社協議会がアメリカ英語の強調表現を用いることの意味がよく分かりませんでした。
また、いざというときに出てくる強い力という意味の底力という単語をこの文章で使う意味もよく分かりませんでした。どのような底力を発揮したのかも不明瞭です。
御社のモットーでもある「読者(消費者)第一主義」という名目による送料の無料化は、大量の物流を確保することによる企業努力の結果として運送会社の協力もあっての成果として評価すべき面もありますが、いわゆる正常ルートの版元→取次→書店の店頭販売という送料不要の通常コースを外れる直販商品の定価は送料分を見込んだ値上がりの傾向を生みました。
(添削例)貴社のモットーである「読者(消費者)第一主義」に従ったものと思われる送料の無料化は、大量の物流を確保することを見込んだ運送会社の企業努力も相まって、評価するべき面を有していると考えますが、いわゆる正常ルートである版元→取次→書店の店頭販売という…、
去年、改装工事してる店が近くにあり、ペンギンの絵が書いてあったのを子供が発見。
何かな?と思ったら「ペンギンのいるバー」という名前でオープンした。
夕方6時からオープンし、未明まで営業している「大人のバー」のようだが、
食べログを見ていても、大人の店としては上等な店のようだが、
子供が飲めるようなジュースがあるのか、子供向きメニューあるのか?
そもそも、そういうバーに、子供を連れて行って、「常識外れの親」と思われないか?
でも逆に考えれば、「子供向けのペンギンレストラン」を作れば、そこそこヒットするんじゃないか?
猫カフェなど、今は単身男性あたりをメーンターゲットにしているが、
世の中、大人向けを前提とした店が多すぎて困る。
銀歯が取れた。
原因は不明。
二十年くらい前に埋め込んだやつだ。よく頑張ってくれた。
親知らず(←放置してる)抜きましょうとか、歯石取りましょうとか、歯のクリーニングしましょうとか、きっとゴチャゴチャ言われるに違いない。
しかし、「銀歯 取れた 放置」でGoogle先生に聞いたところ、放っておくと面倒なことになるらしいので受診することに(『放置』は先生がサジェストした。同じことを考える人が多いのだ)。
で、近所の歯医者を調べた(今住んでる場所に引っ越して来てから歯医者へ行くのは初めて)。
たくさんある。
徒歩5分圏内に3軒。
多過ぎでしょ。
再びGoogle先生に質問したところ、なんと日本にはコンビニより多くの歯科医が開業しているという。
過当競争が起きているのだろうか。
熟慮の末、自宅から徒歩40秒の場所にある歯科医院を受診することにした。
何でこんな近くにあるんだ。あと、熟慮は嘘だスマン(近いから選んだ)。
やはり過当競争が起きているのだろうか。この歯科医院、商魂たくましい。
キッズルーム完備、訪問診療、院長blog、Google+垢。
HPトップにはロクロを回す院長の写真があり、「おカネ稼ぐぞ!」パワーがみなぎっている。
私の受診意欲は著しく削がれる。
こんな殺る気マンマンな歯医者行ったら、歯石除去どころか「( ゚∀゚)o彡°インプラント!インプラント!」なんて言ってくるに違いない。
嫌だ。
しかし私は大人なので、我慢して40秒かけて逝った。
来院すると、目をギラギラさせた中年男が私を迎えた。HPでロクロを回していた院長だ。
銀歯を埋め戻す作業はあっという間に終わった。
病気というより、金脈を探すような鋭い目で私の口を覗きこむ院長。
帰らせてくれと言いたかったが、口を押さえられているので喋れない。なんのプレイだよ。
私としては歯科助手のお姉さんにおっぱいを押し付けてもらいながらしてほしかった。ここ、ビジネスの大事なポイントでしょ。
歯科助手のお姉さん「次回は3ヶ月後の定期健診ですね。ご予定は?」
定期健診を受けるなんて私は一言も言っていない。
いやぁ〜3ヶ月後だと忘れちゃいそうだなぁとかわし、私は40秒かけて帰宅した。
ずいぶんとアコギな歯医者だったなと顧みつつ、定期健診では歯科助手さんの『サービス』があったのではという希望観測的な後悔が脳裏をよぎった。
★「Amazonのせいで街の零細本屋が潰れた」という「分かりやすい説明」が受けるが、
街の零細本屋はAmazonが伸びなくても早晩廃業してた筈。個人経営主が高齢化して後継者いないから
/“なぜ、Amazonで本を買わないの?” http://htn.to/xz9JM5
★@sutannex 多分本屋業界に限らず日本の個人小売業共通。
子供が継がなければそのまま廃業。早晩廃業する予定だから、売上アップにシャカリキにならない。
Amazonの普及は個人商店、個人経営商店の廃業を体よく後押ししただけ
★高度成長期に成立した社会システムは、次世代が継がない限り、団塊世代の鬼籍入りと共にフェードアウトする。
個人経営商店、個人経営工場、個人経営工務店という存在も、あと10年もしたら後継者難で激減する
★「日本人の書籍離れ、Amazonの普及が街の本屋を壊滅させた」という論調は皮相的。
Amazonが普及しなくても、経営者が高齢化して後継者がいない街の本屋の減少トレンドは変わらなかっただろう。
★むしろ、個人経営商店インフラの後継者として「Amazonという書籍流通インフラ」が出現した書籍業界は「恵まれた方」だ
★個人経営商店主が鬼籍に入ったあとに後継するプレーヤーがいない業界が一番問題。
日本の中小企業メーカーの大半は、経営者が鬼籍に入ったら廃業に追い込まれる。日本のモノ作りの基礎体力が低下する(モノ作りインフラの崩壊)
いわゆる「棟梁」「工務店」の後継者が不足している。このままでは「家を作りたくても、建てる人がいない」ということになりかねない
零細本屋廃業理由は、「本が売れないから」というより、「後継者問題をクリアできない個人商店の限界」だと思う
/ “なぜ、Amazonで本を買わないの? - 琥珀色の戯言” http://htn.to/xSRrTp
★たとえば、個人経営が多い「そば・うどん屋」って、ものすごい勢いで廃業してる。
しかしその理由を「日本人のそば・うどん離れ」とか「丸亀製麺のせい」と分析するのはトンチンカン。
「零細本屋が潰れるのはAmazonのせい」と言うのは、それと同じくらいトンチンカン
★まあ丸亀製麺が伸びたのは、個人経営のそば・うどん屋が激減してると言う供給プレーヤーの変化を巧く捉えた、と言う面もある
★駅前不動産屋とか、そろそろ創業者が70代でリタイア時期。多分、大手仲介会社が伸びるんだろうな
★いわゆる「街の電器屋さん」も、そろそろ代がわりの時期。ヤマダ電機が伸びなくても、早晩廃業する運命にあった
★今の団塊世代までは、実家の大半は農家だった訳。農家は一種の個人事業主で、組織人じゃない。
「個人事業主ネイティブ」な団塊世代は、高度成長期に結構個人商店を開業した
★しかし団塊ジュニア世代になると、企業勤めがポピュラーになり「組織ネイティブ」になってくる。
そうなると成人しても創業あまりしないし、のみならず個人商店の息子も跡を継がずに組織に入ったりする
★後継者不足問題が一番深刻なのは間違いなく農業。日本の農業はTPPなんかには関係なく、後継者難で失速する
http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20131105-00000008-fsi-bus_all
厚生労働省は5日、届け出制で開業できる「特定派遣事業」を廃止し、すべての派遣会社を許可制の「一般派遣事業」に移行させる方針を固めた。特定派遣事業の条件はIT(情報技術)企業や製造業などでの「常時雇用」が前提だったが、2008年のリーマン・ショック以降、1年ごとの雇用契約を結ぶなど、有名無実化していた。厚労省は、許可制にすることで派遣労働者の待遇改善に結び付けたい考えだ。
特定派遣事業は、臨時や日雇いなど短期の一般派遣と異なり、1年以上の雇用実績や雇用契約を結んだ労働者を派遣する。技術者の派遣を主とする派遣会社が半数近くを占める。厚労省は「雇用形態が比較的安定している」として、業者から申請があれば即日受理する届け出制としてきた。
しかし、常時雇用に法律の定義はない。このため、特定派遣事業者の中には「不況で技術者の需要が減った」などとして1年ごとの有期雇用を繰り返したり、派遣先の仕事が終了した後に労働基準法で定める休業補償をしなかったりするなど、労働者への待遇面で不利益が生じていた。
個人でも届け出だけで開業できる特定派遣は、事業者が乱立している。特定派遣事業所数は約5万3000件(11年時点)で、一般派遣事業所数の約2.7倍もある。リーマン・ショック後の不況で「派遣切り」が問題視された際、一般派遣事業者への規制が強化されたこともあって、「一般」から「特定」への安易な流出が起きたとの指摘もある。
また、労働者派遣法で選任が義務付けられている派遣元責任者について、「一般」では受講する必要がある講習も、「特定」は受講が義務付けられていない。関係者は「特定派遣事業は資産・現預金や事務所の広さの要件がなく、参入しやすかった」と指摘しており、法律順守に関心の薄い業者を生む温床となっていた可能性もある。
特定派遣事業が廃止されれば、すべての派遣業者は一般派遣事業の許可を取る必要がある。2000万円以上の資産規模が求められるほか、5年ごとの更新となる。行政の指導が入ることで、業界全体の信用向上につながることが期待されている。特定派遣事業の廃止は、厚労省の労働政策審議会の派遣制度見直しの中で議論されている。厚労省は、労働者派遣法の条文を一部削除する方向で15年春の法改正を目指している。
「これから参入する業者は届け出制」じゃなくて「今ある業者全員届け出し直しな」って事だろ?
6年前、父が脱サラしたのを機に、両親は小さな店を開いた。オープン当時、学生だった私は授業の合間をぬってアルバイトとして店を支えていたが、大学卒業後は他で正社員として就職をしたので、現在は主に週末に手伝っている状態だ。
幸い店の業績は順調に推移している。開業時の借入資金は3年目で完済し、5年目には法人成りもした。突き抜けて大きく儲けてはいないものの、近隣の同業種の店舗の中でもトップの収益を稼いでいるようだし、満足のいくレベルの収入も得ている。今の時点ではそこそこ成功している方だと思う。
「やっぱり経営の鍵は‘人’だよ。収益率がどうのこうのというのも大事だが、最後に経営の軸になってくるのはどれだけ質の高い人材を確保できるかだな」
と父は言う。
うちの店では、家族の他に常時30人ほどの従業員を雇用している。全員アルバイトで、正社員は一人もいない。余談だが、正社員を雇えるくらいには余裕が出来た2年ほど前、顧問税理士と相談の上、ずっと働いてくれているオープニングスタッフの内の一人に「うちで正社員にならないか」ともちかけたのだが、条件が折り合わず断られてしまった。なので現在、あまり焦らずに、会社としての実績を積みつつ、もう少し好条件で雇える環境を整えてから改めて正社員化への声かけを行うつもりだ。
アルバイトという雇用形態で求人をかけると、大体以下のような人が募集してくる。家計の足しに働きたい主婦、学費や小遣いの足しにしたい学生、とりあえずお金が欲しいシングルマザーやフリーター、売れない無名の芸能業界人、売れない無名の文筆業界人、不景気でダブルワークをせざるを得なくなった低収入のサラリーマン、世間に出るリハビリ代わりに仕事をしたい元ひきこもりやメンタル関連の病気を患っている人、離婚やDVから逃げてきたりなどで自立しなければならない女性など。
もちろん、アルバイトだからといって、人手が不足しているような時でも、誰でも採るというような適当な真似はしていない。不適切だ、と思った人は淡々と不採用にしている。万が一変な人を雇ってしまい店の中が混乱に陥るくらいなら、人手不足の方がマシなのだ、ということを我が家はこの7年のうちに身をもって学習した。
うちの店では毎回真剣に選考をしている。採用面接を行った日から数日間は、夕食を食べつつ、一家で履歴書を見ながらああだこうだと意見を出し合って採用するか否かを吟味する日々が続く。最終的な人事の決定権は父が握っているが、家族経営の小さな店ということもあり母や私の意見もかなり取り上げてくれるので、私自身も採用した人についてはなんとなく責任を負った気分になる。採用に賛意した身として、また一緒に働く同僚として、その人には出来るだけ長く、かつ良いパフォーマンスで働いて貰うようにしなければならない。
匿名の増田だから自慢するが、私たちは結構人を見る目があるんじゃないかと思う。現在の従業員約30名と既に辞めていった人たちを思い返してみても、とんでもなく酷い人というのはほとんどいなかったし、従業員とのトラブルや従業員同士のトラブルというのも無きに等しい。真面目で堅実でかつお金を稼ぐ必要性のある人を採る、という我が家のモットーは非常にシンプルでベーシックなものだが、やはりベーシックなものが一番大事なのだ。
「うちの店って従業員さんたちには本当に恵まれているよね。みんな優秀だし、よく働いてくれてるし、店の雰囲気もとても良いもんね。」
と母も頻繁に言う。
店で働く学生が進学や就職などでバイトを続けられなくなった時、その親から、後釜としてその子の弟妹をバイトさせてくれないかとお願いされたことが何回かあった。うちの店はきちんとした店なので未成年の子供をバイトさせていても安心なのだそうだ。従業員の家庭から健全な職場として信頼されるのは、とても嬉しい話である。
地域住民からも信頼を得ている手応えを感じている。3年前、近隣の中学校から「総合学習の時間に、こどもたちに職場体験をさせているのだが、そちらのお店で受け入れてもらえないか」という依頼を初めて受けた。以来、毎年、1年に1週間程うちの店には中学生が研修に来る。さらにその中学校からは「PTA総会に地域を代表してオブザーバーとしてゲスト参加してくれないか」という依頼を受けた。出店するまで我が家はその地域にまったく地縁が無かったのだが(自宅は店から車で1時間ほど離れた場所にある)、せっかくなので父は何回か参加させてもらった。ありがたい話である。
さて、話を元に戻す。
採用を議題に家族会議をすると、両親がどのような属性の人を好み、どのような属性の人を嫌うのかを目の当たりにすることになるのだが、それは子供としてはなかなかに不思議で複雑な体験である。我が親ながら「そりゃ偏見だろ。やっぱおっさん/おばさんだなぁ。保守的過ぎる」と文句を言いたくなったり、逆に「えっ、OKなの?案外リベラルなんだな……?」と思わぬ寛容さに面食らったりする。
例えば、父が嫌悪するのは「チャラチャラしているヤンキーとギャル男/ギャル女」だ。脱サラする前は堅めの職業に就いていた影響なのか、父はケバくてナンパな男女が大嫌いである。ガングロや顔面ピアスの人について問答無用で不採用を主張するし、金髪の人には採用の条件として頭髪の色を黒か濃い茶に戻すことを突きつける。さすがに私は「中学校の風紀係じゃあるまいし、いまどき金髪くらい許したれよ」と思うのだが、父は絶対に譲らない。ついでに、ある一定の偏差値以下の学校出身の人は、いくら面接での受け答えが明快で信用できそうであっても、落としたがる。私はこういうケースに関しては短絡的過ぎていかがなものかと思うので、毎回反対意見を言うようにしている。
母が嫌悪するのは「セックス産業にまつわる人」である。以前、面接の場での自己PRで、「私は粘り強いです。なぜなら、皆が辛くてどんどん辞めていくソープで私だけ7年間も働き続けたからです」と堂々と言い切った23歳の女性がいた。私などは16歳からソープ嬢として働いていた経験をPRに話すという所業に度肝を抜かれ絶句してしまったのだが、母は後々までも異様なまでに執拗に彼女に否定的に言及をした。不採用にしたのだから、不快ならさっさと忘れてしまえばいいのに。さらに母は、とある男性従業員が雑談の中でポロリとソープに行ったことがあると漏らしたその日の夜、夕食の場で彼のクビを真顔で主張したことがある。「女の人をお金で買う人が店の中にいるなんて気持ち悪い。売春は違法なのに。ねえクビにできない?」と。確かに売春は褒められたことじゃないがそれは潔癖すぎる、と周囲の男性陣から宥められて母は訴えを取り下げたが(現在ではほとぼりもさめたようだ)、件の男性従業員はまさか自分が影で解雇の危機にあったとは想像もしていないだろう。
では、私の嫌悪の対象とは?
たぶん4年くらい前の話だと思う。父がある日、こんなことを言い出した。
「この前○○さんが辞めたから、その空いたシフトを埋めなきゃいけない。ちょうど新しい人から面接の申込があったんだよ。ただし、今度面接に来た人は外国人なんだ。でもこの仕事の経験はあるそうだし、テキパキしてそうな人だったから雇おうと思う。まぁ、外国人といっても日本で生まれ育ってるから日本語はペラペラだった。在日なんだよ。ああ、在日って知ってる?昔、戦争があったときに朝鮮半島から来た人たちで…」
――――在日。もちろん、知っていた。それくらい知っている。説明されるまでもない。家が北陸の田舎にあり、ほとんど周囲に外国人がいない状況で生まれ育った私だったが、義務教育期間中に歴史の授業で「強制連行」や関東大震災時の虐殺、創氏改名等については習っていた。
さらに高校生のときにテレビで大々的に拉致被害者の報道をしているのも見ていたのだ。小泉首相の訪朝。平壌宣言。「8人の死亡者」。拉致の事実を北朝鮮が認めたと国内に伝わった後「まさか祖国がそんなことをするなんて……!私たちは知りませんでした!!」と大泣きしていた人達。
「世界中に言いたい、日本には来るな!」「哀れな国!」在日の東京都職員が強い声で言い放ったシーンの強烈さも覚えてる。何度もテレビでリプレイされていたから。日本には来るな!日本には来るな!哀れな国!哀れな国!
都内の大学に入ってからは在日というアイデンティティを持つ人をテレビや新聞を通してではなく直接見ることになった。「私の名前はリムです。林(はやし)とよく間違えられますが、リムです。リンでもありません」東アジア現代史を受け持つ助教授(当時はまだ准教授という言い方はしていなかった気がする)は、新入生ガイダンスの教授紹介の場面で壇上から確かそう名乗ったのだった。いつもテレビの向こうの在日の人は大声をあげていたが、この先生は静かに普通に喋っていた。
そして何より、ネットを開けば在日にまつわる言説はいつでも容易にかつ膨大に読むことができるのだし、書籍でも在日に関するものは大量に出回っているではないか。
かねてから経験者を採用したがっていた父は、おもねるような顔をして私を見た。
「国籍は韓国だけど、日本生まれで日本育ちだ。日本人と一緒だよ。なあ、だからいいでしょ?」
日本人と一緒? 本当にそうか? 違うんじゃない?そりゃ人間なんだからどこかしら似てる部分はあるだろうけど彼らは日本に在って日本人と違うところも認めろ、受け入れろ、と言いたいんじゃないの。
高校2年生くらいから大学2年くらいの間、私はあえていくつか在日の人が執筆した書籍を読んでみた。つかこうへいの『娘に語る祖国』。姜尚中の『在日』。鷺沢萠の『ケナリも花、サクラも花』。李良枝の『由熙』。イヨンスクの『「国語」という思想――近代日本の言語認識』。一番最後のイヨンスクの本は大学時代レポートを書くため参考文献として読んだだけだ(難しかったのでそれほど理解できたわけじゃないが)。だが、前者4作は私自身の興味によって自ら手にとったものだった――――書店ではなく、図書館で。なぜか、私は自分のお金でそれらの本を買って自分の部屋にそれらの本を置いておくのは、避けなければならないという気がした。
それらの本を図書館で読み進めるたび、私はいつもイライラを感じた。モヤモヤもした。言葉にしきれないなんだか澱んだものが湧いて出る気がした。リービ英雄の本を何冊か読んだことがあるが、似たようなテーマを扱っていても、在日の人が書く文章に感じる程のモヤモヤやイライラは感じなかった。なんで在日の言葉にはこんなに敏感になってしまうんだろう。
しばらく黙って父と私の顔を見比べていた母が、唐突に聞いてきた。
正直、ぎくり、とした。なんで知ってるんだ?
私は、自分が韓国や北朝鮮や在日というものに対して差別的であることを自覚している。レイシストという言葉を知ったのは中学のときだ。ゼノフォビアという言葉を知ったのは大学に入ってからだった。
そして、差別的であることはいけないことだ、という建前があることも知っている。たとえ心の中で思ったとしても口に出してはならないのだ、抑制的であるべきだ、と。
私はその規範に従順だった。今までどれほど内心はグルグルとしたものを抱えていても、人前では韓国や北朝鮮や在日というものに対して無関心を装い言及してこなかった。学校でも家庭でも職場でもネット上でも。相手から話題をふられれば、当たり障りの無い一般論を返すが、自分からはその話題は出さない。言及してしまえば、ボロが出そうだからだ。しかし、母は知っていた。いや、母だけじゃなくて父も知っていたのか。殊更無関心を装い言及しない態度が不自然で逆にあやしまれたのかもしれないが、なぜ両親が私の胸中を知っていたのかは今もって謎である。
父も母も政治への関心は薄い人だったが、だからこそなのか、あるいは何か別に理由があるのか、私には窺い知れなかったが、とにかく彼らは外国人を雇うことに躊躇するつもりはないようだった。これは私にとって驚きだった。彼らは私よりも約25~30歳ほど年老いているのである。てっきり、私よりも保守的で、私よりも頑固で、私よりも新しいものや外のものを受け入れるのに時間がかかるものだと思っていた。
「在日」「韓国」「北朝鮮」はタブーであって、もし語ってしまったら自分の人間性の醜いところを晒すことになる、という恐怖を抱え込んでいた私は、この話題について語る言葉を持たなかった。自分の言いたいことがなんだかよく分からなかった。だから私は、両親に私の気持ちがバレているのは承知の上で、それでも無関心を装い、いつも通りのあたりさわりのない言葉を吐くしかなかったのだ。
「いいんじゃないの。雇ってみれば」
つづく
ずれたこと書いてすまんね。
昭和まではやれてた個人がテナント借りて店舗構えてやる商売なんて、軒並み成立しなくなっている。今増えてるのは、整骨院とか美容院かな。これは通販が無理だからだろうね。
いやさ、その肉屋やさかなやってのは、その時期にはその人達しかやってなかったし、
実際需要があったわけだろ?
その頃にしてみれば、そういう専門たって、情報無い中、それこそ親から直々に教わったり、
で、今、同じことで独立開業したって時代が進んでその辺りもっと便利にしてるんだから無理じゃん。
全く新しいことなら出来るじゃん?
全く新しいこと、が難しくなってるのはわかるけども。ちょっと論点が違う。
横から失礼。
工場から仕入れたパンを切って並べて売るだけの「パン屋」とか、お菓子を仕入れて並べるだけの「お菓子屋」とか、今じゃ単独の個人商店じゃやっていけないような商売がごろごろあったし。
専門性がもうちょっとあっても、単独の「魚屋」「肉屋」はかなり厳しいですよね。
とりあえず食事が取れるってだけで成り立っていた飯屋も、今はよっぽど特徴が無いとやっていけないですし。
そういう風に考えようと思った時期もあったけど、
スタートアップってやっぱり「同じ釜のメシを食った仲間」なんですよ。
そんで、開業当初ってそういう情緒的で非合理的な感情が経営に直結するもんなんですよ。
だから、今さらとてもじゃないけどそういう合理的な考え方には戻れない。
俺と同じように考えてやってる人も多いですよ。
「首括ればなんとかなる」って考えたことのない経営者なんて、ほとんどいないんじゃないかなぁ。
ってみんないうんだ。
でも、さ。そーいう風に回ってないのよ。
回りの企業見渡したらわかるでしょ。
鬼のような効率化とコストカットをほとんど全ての企業がしてることくらい、わかるでしょ…。
そりゃもちろん、属人性の解除や業務のマニュアライズは行ってるよ
だって、中小企業って発展途上の企業なんだからさ…。今育ってるところなんだよ
今、まさにそれをやってるところなんだよ。
そりゃ、ながーくやってる企業ならできてると思うよ。成長を放棄して完成した企業ならできてるよ。
具体的に言えば、創業者が抜けて売られた後の企業ならできてるだろうよ。
「まさに今それ頑張ってるとこなんですよ」としか言いようがない…。
おおよその企業は、創業メンバーのある種の属人的スキルから稼ぎ始めて
それを共有できる形にして社員と共有することで完成するんだけど、
っていうかさ、それが出来てるなら俺はとっくに会社売り払ってんだよ!
早く売りてーんだよこんな生き地獄!でもまだ売れる形じゃねーんだよ!
中小企業は、常に金繰りをやって利益を出しつつそれをやらなきゃならないんだ。
そして、みんな今正にそれをやってるんだよ…。
母親が若いころから仲良くしていた女性は、いつも誰かの愛人であることで生計を立てていた女性だった。
40年以上前から整形にエステに、と今の美魔女(笑)もビックリの努力を重ねていた。
実際、まったく年に見えなかった。
そりゃそうだ、美しくないと、相手に飽きられて、捨てられて、路頭に迷うからだ。
わたしが生まれて、わたしより何歳か上の彼女の娘とよく遊んでいたときは、ある医療関係者とちゃんと結婚していたが、覚えている限りちゃんと婚姻関係を結んでいたのはそれだけだ。
わたしのいえの何駅か先に開業していて、4階建ての豪邸(一階は病院)で、家具はすべて日本じゃ見たこともないようなすばらしいものだった。
料理もとても上手で、美しい母親、子供たち、医者の父親、とすべてが素晴らしく見えた。
だが、子供は一番上の子はたしか父親が違うのだけれども、兄弟みなグレるか歪んでいた。
わたしが仲良くしていた少し年上の少女は、早熟であったためか精神を病んでしまい、不登校になった。
わたしが中学生ぐらいになるころ、彼女たちは引っ越した。離婚したのだ。
引っ越した後、すぐに後釜の既婚者の金持ちを捕まえ都内の1フロアに一部屋しかないようなマンションに家族と、その金持ちと住んでいた。
遊びに行ったら、すごくおしゃれだったので今でも覚えている。
中学生だから込み入った事情は知らなかったし知ろうともしなかったが、その金持ちは奥さんと愛人の間を交互に行き来し、それを奥さんも容認していたようだった。
少し年上の少女は、学校になじめず、弓道と油絵とヴァイオリンを習っていたようだった。
一緒に銀座三越に行って、いろいろきれいなものを一緒に見て回って、少女が化粧品を買って、千疋屋でフルーツパーラーを食べて帰ったのを覚えている。
その時のわたしは一切意識していなかったが、そのお金も金持ちからいただいていたものなのだろう。
母親は、学が無いながらも、自分で商売をおこし、わたしたち兄弟を立派に育ててくれた。
愛人の彼女は、今はまた違う金持ちの愛人として生きている、らしい。3年に一回ぐらいは母親のところに電話が来るそうだ。
それぞれが、それぞれの思うように生きればいいと思う。
不登校になって、そのあと専門学校に入りなおした愛人の彼女の娘のことだけはいまだに思い出す。どうしているだろうか。
ただ、わたしは愛人の彼女のような生き方は不可能だなぁと平凡な顔と体型を見ながら思う。
最初に結婚した医者の元旦那さんがTVに出ているのを見て、久しぶりに思い出したので。
もう、これからの人生であのレベルの金持ちとけっこう密接に付き合うことなんかなかなかないだろうなぁ。
いろいろいい体験をさせていただいた。
東洋経済の記事で「流山市が若年人口流入のため、市長が旗振りして地域ブランディングしている」
という記事があり、「これは凄い」的コメントがはてブやツイッターで溢れてた。
不動産屋の自分から言わせれば、流山市の人口流入の99%はTX開業で説明が付く話であり、
1.そもそも、首都圏民が「どこにマイホーム買おうかな?」と検討する際に、行政サービスの充実度を参考資料にする人なんて1%もいない。
99%は物件自体の利便性広さ価格で決める。流山市が人口増えたのは都心距離の割にマンション安いから。行政政策の寄与度は少ない
それを「人口流入は市長の手柄」という記事を書くからには、「市の政策と若年人口増に相関がある」ことを、東洋経済自身が行う必要がある。
例えば、ここ数年で流入した人に、ネット経由でも何でもいいから「なぜ流山市に流入したのか?」アンケートを東洋経済が取ることだ。
おそらく「通勤に便利」「マンションが安い」辺りが選択肢上位に来ると思うが。そのようなアンケートを東洋経済は実施したのか?
「東京は郊外から消えていく」の三浦展氏は、ちゃんと首都圏各地の各世代住民に大規模アンケートを実施して、自説の裏づけしている。
東洋経済も流山市民にアンケート取ったり、ナマの声を取材すべきだったのでは?
そういう相関関係のデータを挙げてない時点で、東洋経済のこの記事は「ダメ記事」である。
「ホットスポット問題が発生したから、適度な人口流入にとどまった」という側面がある。
(因みに市のHPを見ると、3・11以降もじわじわと人口は増えている)
多分、「おおたかの森」辺りの駅前分譲マンションに1都3県から2000人流入し、
一方で南流山辺りの賃貸2DKマンションから赤ちゃん連れファミリーが放射能忌避で埼玉とかに1000人流出し、
もし3・11が発生してなければ、交通インフラの割に地価(マンション価格)の安い流山市は
もっと人口が集中してしまい、江東区や武蔵小杉みたいにインフラ整備が追いつかずにパニックになってしまったのでは?
それ位、行政が「人口増加幅や家族構成、年代構成をハンドリングする」というのは難しい。
「流山市の望んでる人口増加率に偶然収まっている」のが実情では?
例えば人口密度日本一の豊島区は、単身者比率・ワンルーム比率が高いことに業を煮やしてワンルーム規制を実施してるが、
にもかかわらず建てられるのは相変わらずワンルームが多い。それ位人口流動は「行政の手に負えない」のである。
3.ツイッター見ると「自分の街も流山市を見習え」的ツイートが多いけど、
一般消費者向け(G To C)にアピールして人口増やすのは至難。
事業所を誘致して、雇用の場を作って、それにつられて人口が増える、という格好が王道だと思う。
一旦事業所を呼び込んで、結果的に一般消費者を増やすのだから、G To B To Cだ。
4.流山市長は「30代ファミリーの流入目指す」と胸張ってるが、バランスを考えなきゃ、
世代間バランスが取れた街造り、という観点なら、一気に街を作りこまなかった
一所懸命にやってる。
でも結果が出ない。
自分で選んだこの道、自分なりにクレバーに試行錯誤しているつもりだ。
そんなに頭が悪いわけでもない。今までの実績もある。経験値も人並み以上にはあると思う。コミュも得意な方だ。
数年間、良い暮らしもした。まあサラリーマンより良い、という程度のものではあるが。
それなりの蓄えもできた。しかし今それを食いつぶして生きている。
残額は500万にまで減った。毎月維持費や家に入れる金で40万ほど飛ぶ。
残された時間は短い。その間に結果を出さなければならない。
焦る。
妻はげんきんだ。貧乏だと私のせいにして当たってくる。でもそれは否定できないから受忍してきた。
勤め人としてそれなりの生活をしていた起業前、長い間温めてきた自分の事業計画に欠けていたもの。それは開業資金。
生活を小さくするために引っ越しの準備を進める私に妻は、そんな夢物語は捨て、家族ためにその辺の工場や佐川の倉庫で夜勤でもしろと大声で罵った。
そして最終的に親に頭を下げて資金調達した私をさらに罵り、あざけ笑った。
「いい歳して結局親頼みかよ、カッコ悪い」と。
精神状態が最悪の状況で起業した。親からは1000万借り、その半分を妻に渡した。「万が一の時のために」と。
そのことは親には話していない。多分全部開業資金に、と今でも思っているだろう。
その後、会社は順調に業績を伸ばした。しかし私は自分の給与(役員報酬)を上げることにはためらった。
税理士からは、経営者には明日の補償がないと説得を受け、ようやく3年目に報酬を上げた。でも家には50万しか入れず残りは密かに貯金した。
復活して人並み以上の生活ができると妻は自分の功に胸を張る。「アンタの成功の半分は私のおかげだ」と。
7年目までは順調だった。しかし8年目に「食らう」。多角化できなかった私の経営ミスではあるが、大企業との取引の怖さを知った。
他社との契約を嫌がる大企業の言うがままにしていたら突然の契約解除、私の仕事を内製化するという。リストラであぶれた輩の仕事にするそうだ。
家に入れる金を減らした途端妻の態度が急変する。
今まで通りのカネを入れろと要求する。じゃないと生活できないという。そんなはずないだろう、手取りで50だぞ。
しかもきちんとその中から貯金もさせ、贅沢せずに暮らしてきた。妻も今までのことがあるから地味に生活してきたんだ。
今は手取りで30を入れている。給料名目ではあるが事実上当時の貯金を食いつぶしながらだ。
妻はパートで毎月7万ほど稼いでいる。
しかしそれは「別の金」だそうだ。
株もやっている。私も関与しているからそれだけでも百万ある。
ウチには一体いくら蓄えがあるのだ?と聞いても妻は答えない。
「だって、あんた使う気でしょ?」と。
でも妻は私の貯金額を聞いてくる。
昨年、はっきり答えた。すると一言目に出てきた言葉が「裏切られた」だ。
当初2千万以上あった。しかし会社を縮小する際にかなり消えたこと、今はほとんど売上げがなく食いつぶしていることを説明したがその点ではない。
「なぜ給与全額をいれなかったのだ?」と。
昨日、SEO対策をスマホでやっていると「オマエはネット中毒だ、不快だからやめろ、私は眠りが浅いから早く寝ろ」と怒鳴られた。
今の仕事を軌道に乗せるためにやっていると説明しても通用しない。
ことあるごとに難癖つけられる。
今は食器洗いは私の仕事になった。妻は仕事で疲れているからだそうだ。
妻の仕事は医療系。機嫌の良い時に話を聞くとかなりヒマな仕事らしい。パートに対しての福利厚生も手厚いそうだ。責任も少ない。
いつも上司の文句ばかり言っているが楽だし資格なくてもできる仕事だし時給も良いし昼食も会社が用意してくれるという。
何ともうらやましい限りだ。しかしそれが妻の仕事の価値観になっているから困ったもので。
開業後1ヶ月で「来月には軌道に乗る?」と聞かれたときには参った。
数年前から決めている。
結婚して20年近くになるが、自分の女性を見る目のなさには反省だ。
お互い様と言う言葉はもう何度も言われている。その通りかもしれない。
だから私はそれは認めない。
家でタバコを吸えなくなったのは何年前だろう。
食器は自分で洗う。
掃除、庭はき、草むしり、金魚の世話、鍋掃除は男の仕事だそうだ。
洗濯してもらってもワイシャツのアイロンすらかけたためしがない。
ただ洗剤入れて洗うだけ。
TV番組の嗜好も全く合わない。ニュースやドキュメンタリーやお笑いが好きな私、流行のドラマと映画が好きな妻。
もう家に帰りたくない。
11:15だ。今から帰っても、音を立てずに気を付けてもきっとウルサイと起きてきてブチ切れて怒鳴られるだろう。
何度も離婚を申し出たのだが一向に承諾してくれない。私も子供がかわいいから気を取り直してしまう。
かなり追い込まれている。
とりあえず8年持たせるにはカネを入れることだろう。
帰りたくない。逃げてしまいたい。
生活費はすべて奨学金(学生支援機構の一種と二種併用)。修了後に専門を活かして仕事しようとするなら必然的に自営業みたいになる。というか食っていける業界じゃない。
これって、融資をうけて開業するくらいの危ないことやってるんじゃないかと思う。
とはいえ院試をうけたときはそれなりに勝算があると思ってたはずなのでその根拠を思い出して書いてみたらアホみたいな根拠しかなかったのでここに晒します。
○体力はある
○子どもを持たない覚悟がある(どうやったって出産のため数ヶ月は仕事できない期間ができてしまうので)
○同じ専攻を出た先輩でなんやかんや一学年一人くらいはいまのところ業界にとどまって生きてるひとがいる。(非常勤講師とかしながらの極貧生活)
○一般に生き残りが厳しいと思われている業界だが(だから)、じつは生き残ろうとしてる母数が少ない。自分は一般職につく能力が欠如してるため業界にしがみつくモチベーションが高い
○教授に可愛がられてる
その通りだと思います。起業者の方と比べるとリスクはまだ低いですが、生涯賃金を考えたときにプラスかマイナスかというのはその医師の才覚にもよると思いますが、微妙な所です。
また、医療職(医師・看護師はじめPT・OTさん達)の良い所は「働く場所を選り好みしなければ、100%食いっぱぐれはしない」ということだと個人的に思っているんですが、開業して失敗したらそのメリットも失われてしまうので、、、非常に怖い選択だと思います。
「父親の医院を継ぐ」と言っている先輩は一人いらっしゃいますが、診療科を自分のやりたい科に変えるか、親の代のままで行くか等非常に苦心されているようです。