はてなキーワード: 野村とは
ワイ萌え豚、3年前に刀剣乱舞が流行り始めた頃、艦これのついでに少しプレイしたことがある。
ゲーム自体は5面くらいで飽きてしまったが、リアル燭台切の再発見なんかは端から見てても感動したので、日本刀を見に行くようになった。
幸い関西住みなので展示は多い。
石切神社を皮切りに、北野天満宮、京博、大阪歴博、薬師寺、霊山歴史館等々を見て回った。
遠いところではラブライブの聖地巡礼ついでに、三島に蜻蛉切を見に行ったこともある。
金沢の野村家にあった刀が、さらっと「加州清光」とあったのには驚いた。(もちろん沖田のとは別の清光だろうけど)
刀剣女子ばかりの場所に行ったら白い眼で見られないだろうか…とか行く前は思ったが、余計な心配だった。
この前の薬師寺刀展なんて平日に行ったせいか、若い人はほぼ見当たらず、おじさんおばさんだけが列をなしていた。
しかし列に並びながらふと思った。
「これは龍馬の刀です」「これは信長の刀です」とか言われても、正直どれも同じに見える。
村正なんてその場では「ほーこれがあの妖刀かフムフム」とか言ってたが、今どんな刀だったか思い出そうとしても全く思い出せない。
これが陶磁器とか漆器なら模様や細工の美しさが分かるんだが、刀文の美しさとか言われても「美しい…のか?」という感じ。
でも実際見るとテンション上がるし、また見に行ってしまうんだよな。
アニメ花丸で空気だったのでモヤモヤしてたが、2期でようやく主役回があって良かった。
そういや花丸2期面白かったのに、売上は1期の半分らしいね。刀剣女子さんは買ってあげてくれ。
俺? 萌えアニメで忙しいので…。
この辺を読むと無水銀品の回収はあくまで有水銀品の回収漏れを防ぐ安全策として行われているに過ぎない。であれば無水銀ボタン電池についてはその他の無水銀電池(乾電池やリチウムコイン電池)と同じ廃棄方法でも害はないように思える。
ではボタン電池以外の無水銀電池はどう扱われているか、ボタン電池回収事業を行う一般社団法人電池工業会のサイトに記述がある。
このページには一次電池の処理・リサイクルについて同会および日欧米三極電池専門家会議の見解も掲載されている。関連部分を抜き出す。
これらを踏まえてアルカリボタン電池(LR44)の扱いを考える
なお2018年から有水銀アルカリボタン電池の国内製造・輸出入が禁止されたことから主に問題となるのは過去に購入した有水銀品の適切処理。安価なボタン電池として有名なGoldenPowerも最近のものは0%Hg表示がされている。
ハリルホジッチ解任でサッカークラスタが発狂している理由を読んで「アホか」と思ったのでここに書く。
ちなみに海外厨ってのは、サッカーに関するあらゆることで『海外(≒欧州)は何でも正しい。日本はダメ』を過剰に言いたがる人であり、海外サッカー見ている人の全てが海外厨ではない。
・1つの生き物のようにというのを簡単に説明する。フォワードは攻撃の選手で、ディフェンスは守備の選手という認識があるが、これは古き時代の認識。
・現代では、ディフェンスはフォワードから始まるし、フォワードが最前線で守ってくれないと、しわ寄せが守備の最終ラインに来る。
・ボールに行くのか、行かないで下がるのか。縦パスのコースを切るのか、敢えて縦に出させて味方で囲むのか、などなど。
・では、ディフェンスは守っていればいいのかというと、そういうことでもなくて、今は攻撃の組み立てはセンターバックやサイドバック、場合によってはゴールキーパーから始めることが多い。
・攻撃の選手が攻撃を始めるのではなく、攻撃の選手は詰め将棋でいう最後の一手。
・攻撃の選手が守備をして、守備の選手が攻撃の組み立てをして、真ん中の選手はバランスを取ったり、守備を重視したり、攻撃のコンビネーションに参加したり、あるいは意表を突いて攻撃の最後の一手になったりする。
ここまではある程度同意する。が、そこから先はあまりにもサッカーの本質を無視した議論。
・現代のサッカー監督は、緻密で複雑な詰め将棋を解ける人。感覚的に処理する野球の元巨人監督の長嶋茂雄みたいな人は少なくなっていて、野村ID野球的になっている。
・もともとサッカーは偶然に左右される神頼みなスポーツであったのだが、現代では偶然に起こるすべての事象を理論的に支配しようとする試みで満ちている。神への挑戦であり、神への挑戦者同士の対決なのだ。
・だから、勝敗が付いたときは偶然ではなく、何らかの理由がある。選手が頑張ったからというのもあるにせよ、選手が活躍できるように監督が何らかの細工を行っていると考えるのが普通で、そのへんの謎を読み解いて楽しむがサッカークラスタの流儀でもある。
へぇ、2015-16,2016-17にチャンピオンズリーグを連覇したジダン監督 (註1)や、2015-16シーズンにプレミアリーグで奇跡のジャイアントキリングを起こしてレスターを優勝させたラニエリ監督は『緻密で複雑な詰め将棋を解ける人』なんですか~(棒)
サッカーはボールを足(+時々頭&胸)で扱う関係上、不確定要素が非常に多く、結局のところ良い選手というのは『戦術理解が高い』だけではなく、『イレギュラーな事態にも強い』選手である。
加えてサッカーは他競技と比べて、点の入ることが著しく少ない競技だ。
だから試合レベルでは、『敗因は、たまたまこちらのシュートが全部止められた上で、たまたま相手の1本だけのシュートが決まったことです』としか言いようのないことも多い。
もちろん、これも長丁場のリーグ戦ならばある程度は収束する。だが、トーナメントや、W杯の3試合しかないグループリーグではそのような確率の偶然と向き合わずにはいられない。まったく、たまたまネスタとマルディーニとジダがミスして逆転されなければ、03-04シーズンは普通にミランがCL優勝していたはずで、そうすればモウリーニョにでかい顔させずに済んだんだよ(究極のタラレバ)。
その辺の『偶然といかに付き合うか』がサッカーの戦術ではあるが、試合を見てもインタビューを聞いても、名監督と言われる人たちが全員『確率を支配しようとするような、神への挑戦』をしているとは思えない。『神の気まぐれと上手く付き合おう』派も多いように感じる。
2.ザッケローニとハリルについて
・もちろん監督の良し悪しというものはあるが、日本代表の場合チェスがうまいという理由でザッケローニ監督を呼んできている。
・一方で、ザッケローニ監督は、強力な戦術の骨組みを持つ強力なチームを作ることには長けていたが、相手の出方に応じて、こちらのやり方を修正することが得意な監督ではないことが、ブラジルでの敗戦からわかった。
・なので、ロシアワールドカップに向けて、最先端の戦術に通じている上、相手の出方に応じて作戦を変えられる監督を探してこようということになった。
ここはある程度正しいが、次の部分で少なくとも書き手がザッケローニすらまともに見ることが出来ていなかったことも分かる。
・そんな中でブラジルワールドカップでは、選手の一部が「自分たちらしいサッカー」(用語が違うかも)を言い出して言うことをなかなか聞かなくなったと言われている。
・仮に選手の意見が正しかったとしても、監督のプランは狂うので、次善策を持って対応するしかなくなる
・もし、選手達がアルベルト・ザッケローニの思い描く戦術を再現するために必死になっていたら、結果は違ったかもしれない。という思いが、サッカークラスタにはある。
・なぜならブラジルワールドカップでは、日本がどういう戦術を使うか、どんな選手を使ってくるかが相手にチームにバレていて、丸裸の状態で惨敗したからだ。
『もし、選手達がアルベルト・ザッケローニの思い描く戦術を再現するために必死になっていたら、結果は違ったかもしれない。という思いが、サッカークラスタには』ありません。遠藤と前田遼一の調子が良ければ、という思いならばある。
ザックジャパンは非常に左右非対称なチームで、左には長友、遠藤、香川と比較的テクニックのある選手がいて、そちらのサイドで崩して、当たりの強さのある前田遼一と本田、あるいはダイアゴナルに走り込んでくる岡崎が決めるという戦術を取っていた。
これが遠藤が(オーバーワークで?)調子を落とし、香川がマンUで試合に出られなくて試合勘を失い、前田遼一が(体調の問題なのか)Jリーグでゴールを決められなくなったため、本番ではコートジボワール戦で上手く行かず、本田をトップで使ったり岡崎を左に回したりせざるを得なかった。そしてそれが上手く行かなかったというのが直接的な敗因だ。
もちろん、相手も日本代表の基本システムには対策をしていたし、逆にザックもそれを分かっていて何度も何度も得意の3-4-3を親善試合で試してはいた(が、3-4-3は最後まで上手く行っていなかった)。
・ハリルホジッチ監督は、当然のことながら、相手のスカウティングを警戒して手の内を隠していた。試合に勝って渋い表情をしたり、負けたときに敢えてにやりとしたり、あるいは絶望的な顔をしたりするのも、作戦の1つではないかと予想していた。
・ワールドカップの本番になれば、あの時のあの顔にはどういう意味があったのかとか、あの試合では実はこれをテストしていたんだとか、ハリルホジッチの仕込んでいた作戦がようやく明らかになると思っていた。
・稀代の策士がロシアでどう戦うのか。もし全然通用しなかったということになれば、それを踏まえて新しい一歩を踏んでいけばいい。逆に、うまくいった部分があるならば、そこを日本の長所として伸ばしていけばいい。
・サッカークラスタで、ハリルホジッチのやりたいことがすべてわかっていた人など誰もいない。一般人にわかるようなものであれば相手にも当然バレる。メディアの人間にもわからない。
・すべてはワールドカップの本戦での戦いぶりを見た上でないと判断できなかった。だって、3年も準備させてきたわけだし、我々サッカークラスタは3年もハリルホジッチのサッカーを見てきたわけだ。
この辺はある程度は同意する。確かに、少なくともザッケローニよりは、あるいはジーコよりは相手に合わせるサッカーが上手い監督ではある。
・そして、ハリルホジッチが解任される可能性はほとんどなくなっていた。なぜなら、宿敵オーストラリアを完封するという離れ業を見せ、ワールドカップへの出場を決めていたからだ。
・ワールドカップへの出場を決めるというのは、決して当たり前のことではなく、大きな功績の1つだ。予選を勝ち抜いているのに解任されるとしたら、過去の犯罪がばれるなどの大きなスキャンダルでもない限りはあり得ない。
だが、この部分は同意できない。少なくとも今のアジアは4.5枠あり、日本韓国オーストラリアあたりは出場を決めて当然レベル(サウジアラビアもかつてはそういう国だったんだけど、2010,2014と連続で逃した。2018は予選突破した)。しかも韓国にしても調子は落ち気味だし、オーストラリアは何を思ったかこれまで得意としてきたパワープレー中心のサッカーではなく真逆のパスサッカーを導入しようとしてあまり上手く行っていない。
ハリルがオーストラリアを完封したのも半分はオーストラリア側の自滅でしかない。
・そして、ハリルホジッチは、相手に勝つ確率を少しでも高めるためには、選手の人気にはこだわらず、対戦相手との戦いが有利になるような選手を選出しようとしたはずだ。
・ハリルホジッチ監督が選手をえらび、ハリルホジッチ監督のプランで、ハリルホジッチ監督の作戦でワールドカップを戦うのが当たり前だ。
・しかし、もっと忖度してくれという。人気がある選手が出場していないと困るという大人の事情があったりする。
・サッカークラスタも大人なので、大人の事情があることはわかっている。しかし、ワールドカップという大舞台では忖度していては勝てない。
・ワールドカップで勝利する確率を1%でも2%でも高めるためには、監督の意志を尊重し、代表を外れた選手には納得してもらうように話をし、目当てにしていたスポンサーには、「勝利すれば新しい英雄が生まれます、その選手を待って下さい」と説得すればいい。
・そういうコミュニケーションこそが、サッカー協会の最大のミッションであった。
・しかし、サッカー協会は、コミュニケーションがうまくとれないことを理由にハリルホジッチ監督を解任した。
スポンサー陰謀論や、一部選手の反旗のせいにしたいようだが本当にその見方は正しいのか。
ハリルジャパンが続いていたら『外れるのはホンダ。ホンダケイスケ』になったかは、最終的にはハリル本人に聞くしかないが、(一部のアンチが言うほど)明確でもない。結局はW杯予選でも最後まで使っているし(註3)、最近はメキシコで試合に出て調子を取り戻している。
香川に関しても今回の遠征では吉田、酒井宏などと共に名指しで『怪我明けだし、まずはクラブで試合に出てコンディションを戻してくれ』と言っているから『本戦で試合に出られたか』は別として『本戦に呼ばれない』ことは恐らくない。
それ以外で、本当にハリルが外している選手というのは誰だ。岡崎か。だが、そもそも岡崎本人や彼を起用したがるスポンサーにそんな発言力があるのか。だいたい、岡崎を名指しで使ってほしいと思うスポンサーがいるほど岡崎は人気選手か。
それに、起用されていない選手が不満を持つのはある意味仕方ない。それでキャバクラで騒ぐのはダメだけど(註4)。だが、サッカー協会の聞き取り調査で長谷部なども不満を言っていたそうだし、大迫や昌子も試合後コメントで不満を顕にしていた。それはもはや、ハリルが選手を掌握できていない証であり、部下を管理できない上司が無能扱いされるのはどの世界でも同じ事だ。
結局のところ、『相手に合わせたサッカー』をするにせよ、『相手に合わせたら逆算してこうなるケースとこうなるケースが考えられるから~』程度の予測は立てて準備をするはずであり、ハリルジャパンはその準備すら上手く行っているようには見えなかった。だから解任された。それだけに過ぎない。
もちろん、ハリルは『相手に合わせたサッカー』をする人だからという言い訳はあるのだが、それにしても直近の試合、特にウクライナ&マリ戦は酷すぎた。
兎にも角にも、(ハリルだったら上位に行けたかは別として)西野監督がGLで敗退したらその時点で猛烈な批判を浴びるのは間違いない。最終的に結果がどうなるかは、3ヶ月後に判明する。
(註1:ジダンに戦術が無いというつもりはないが、ジダンの戦術は最終的に『1対1ならば勝てる』という極めてレアル・マドリッドらしい前提に立っており、選手が調子を落とした今シーズンはそれに代わる戦術をとうとう用意できずにいる。)
(註2:イタリアの名将だが、基本的に守備的な戦術を取る監督であるためにしばしば攻撃の選手と対立を起こし、ミランでもユヴェントスでもレアル・マドリッドでも選手や会長と対立して辞任するはめになった)
(註3:トルシエが親善試合などで小野伸二&中村俊輔、市川大祐&波戸康広を試合に出して何度も天秤にかけ、最終的に中村&波戸は代表そのものから落選したという事例もあるので試合に出ている=本大会に呼ばれるとは限らないが)
国会ウォッチャーです。昨日の農林の森ゆうこさんも気になることを言っていましたが、ちづこ。
https://anond.hatelabo.jp/20180405115201
厚生労働省ではFAXが来ても、相手が誰なのかを慎重に確認してからでないと1日経っても電話もできないらしいというお話、これもまぁ情けない話なんですけど、立憲:初鹿明博さん、尾辻かな子さん、希望:大西健介さん、柚木道義さん、山井和則さん、みんなロジックがないからせっかく局長きてるのに追い詰められなくてつらい。4日の西村ちなみさんと高橋千鶴子さんだけなんだよなー条文根拠を迫ってるのは。
勝田さんの舌禍を攻め立てて何がしたいのかと。大きな目標がなく質問してるような。クソみたいな発言してるのは責めてもいいけど、せめて一人だけにしてほしい。次から次からプレゼントはどういう意味だとか聞いていくのは何なんだろうね・・・。議事録が出てるんだから、もうそれを読めばいいと思うんですけどね。嘘は一回吐かせればそれでいいでしょ。
ポイント:1.過労死事案を含んだ是正勧告からの社名公表なら普通の手続きなのに、なぜ是正勧告事実を伏せたままの恣意的な特別指導をしたのか
2.政権による取り締まり実績としてのアピールする事例にしたいがためではなかったか
高橋千鶴子
「私がずっと疑問に思っているのは、なぜ特別指導なのか、なぜ野村不動産なのか、と繰り返し聴いているんですが、合理的な説明ができない理由が見当たりません。3月30日の会見において、記者から、"是正勧告したのというのは認めてらっしゃるんですけど"、と聞かれて、"本当はいけないんだなぁ"、と答え、"あっいいのか"と答えちゃって、"それは個別のことにはかかわらないんですか"、と聞かれ、"もうしょうがないですよね今回は"、と言った後に、"通常は是正勧告しても言えないです"と、この"今回は"、どういう意味ですか」
「今回は、12月26日の時点で、野村不動産がHPで公表しているということで、否定できないということについて、しょうがないですね、と」
「過労死もでている、是正勧告も5本でている、こちらは会見でお認めになっているわけですが、そういう案件だから仕方ない、とおっしゃったのかと私は思いましたが、そういう意味ではないということですか。」
「野村不動産に対して、特別指導を行った理由ということをお答えすればいいのかと思いますが、(従来の公式見解をつらつら述べる)」
「それはずっと山越局長が言ってるのと同じことなんですよ。私は野党ヒアリングでも繰り返し聴いてきたんですが、裁量労働制で是正勧告または指導を受けたのは272、対象業務違いは70あるのに、一年間でですよ、そういう中で、なんで野村だけかっていうのにはやっぱり答えてない(ここをつくんだ!)。それでですね、2016年に電通の過労自殺が認定され、労働局長が、経営トップを読んで直接指導を行ったということがありました。私は、これが特別指導の1回目だと思っていましたが、あのーいつの間にか、違う、と。これいつからだったのかちょっとわからないんですが、この事案を受け、過労死0緊急対策を12月に出し、翌年の(17年)1月20日には、企業トップを労働局長が直接指導し、必ず公表する基準、公表通達(基発0120第1号)が出されています。今回の案件は、会見の中で、勝田局長自身が、公表通達とは違うと、沿わないと、答えてるんですよね。これいよいよもって不思議でならないんです。公表通達にはこう書いているんです。
・複数の事業場を有する、社会的に影響力の大きい企業において、経営トップが当該企業の違法な長時間労働などの問題点を十分理解した上で、自ら率先して、全社的な早期是正に向けた取り組みを行い、当該企業全体の法定労働条件の確保・改善を図るようにすること
とある、この表現はそっくり野村に当てはまるんじゃないかと。本社と4事業所に是正勧告を行ったことは認めているわけですから、公表通達に沿ったものではないのか、また沿わないというのであれば、どこが違うのか、お答えください(ちづこー!かっこいいー!)」
「野村不動産における指導については、先ほども申しましたように、私自身が、呼んで、特別指導を行ったものでございます」
(意味不明。ごまかす答弁をする質問はいたい質問ということですね)
「どこが違うのかと聞いています」
「いちばんの違いは局長が直接やるということかと思います」(クソ答弁)
(ヒント:基発0120号取り組みの概要の3、局長による企業の経営トップに対する指導及び企業名の公表)
「ちょっとwちょっとw何言ってるんですか。局長による企業の経営トップに対する指導及び企業名の公表って公表通達に書いてありますよー?一緒じゃないですかー社会的に影響力のある、事業所を複数の指導、いいですか、少し考えてる間に聞きますけどね、公表通達の中に局長による企業の経営トップに対する指導及び企業名の公表とあるんです、略しますけども、その条件のアにもイにも、是正勧告を受けている企業であることが条件になっています。企業名を公表するということは、これは余程のことがないと、できないと、まぁずっと答えてきたわけですから、それでこう言う公表通達を作ったわけでしょう?これに沿わないんだとしたらこれ以上すごいことだっていう意味になりませんか?」
「もう一度答弁させていただきます(ちょっと考えたんですね)、公表基準に基づきます公表措置につきましては、複数の事業場において、指導を行い、それでも是正が不十分である等で、必要な場合に、本社に対して指導するものでございますが、(概要の1ー(2)について答えていますね、ちづこが効いてるのは3−(1)、ちづこがすぐに気づいてないのが残念)今回は本社で直接問題が起こったことでありまして、本社、及び、社長を呼んで直接指導したものであります。」
「ちょっと待ってくださいよ。本社と4事業所って答えてるじゃないですか。何言ってんの、会見で答えてるでしょ」
山越が出てこようとする
「勝田さんが会見で言ったこと聞いてるんだから山越さんじゃダメよ」
「お答えをいたします。えー労働基準監督官の公表でございますけども、送検をした場合、今委員がおっしゃいました是正勧告段階での企業名公表制度、その他の必要性を生じた場合(過労死等の重大事案とされている)には公表するとされています。今申しました、是正指導段階での企業名公表制度は、複数の事業場で、違法な長時間労働が、一定の人数、あるいは割合で起こった場合など(などに隠しましたー)に行うものでございます」
「だから、本社と4事業場って答えてるじゃないですか、それでなぜ当てはまらないのかと聞いてるんですよ」
「(繰り返す)今回の野村の場合は、複数の事業場で、違う理由で公表を行なっているものであります。」
「ですから、この、あれ、) 監督指導において、過労死に係る労災支給決定事案の被災労働者について、 11か月当たり80時間を超える時間外・休日労働が認められ、かつ、2労働 時間関係違反の是正勧告を受けていること(3ー(1))、となっていて、私これ、ずいぶんじゃないの?とずっと言ってきたんです、そうじゃないけど、特別指導でトップを呼ぶっていうのは、よほどこれ以上の理由がないとできないだろう、と聞いています(逆説的に、該当するんだろうと迫っている)」
「野村不動産の事案について、公表事案に該当するかどうかについては、申し訳ありませんが、個別の案件については申し上げられません、ただし、これについては、全国的な遵法意識の観点から特別に私の方から指導させていただいたという経緯であります。(やっと正しいはぐらかし方を思い出した模様)」
「そうなんです、だから前回の質問でもあのー恣意的にあってはならないということをずっと指摘してきたんです、それを私の判断で、遵法のために、ってそれは余程のことがないと、じゃなかったら不公平じゃないですか!(ちづこー!かっこいいー!)たくさんそんなね、問題があるところがあるのに、野村だけっていうのはなぜかというのは合理的な理由が必要だと言ってるのに。(略)」
参考:これな
複数の事業場を有する社会的に影響力の大きい企業であって、以下のア又はイの いずれかに該当する企業であること。
ア 上記2(3)の監督指導等において、上記2(1)ア又はイの実態(ただし、上記2(1)イにあっては、労働時間関係違反の是正勧告を受けている場合に限る。)が認められること。
イ 概ね1年程度の期間に2箇所以上の事業場で、下記(ア)又は(イ)のいずれかに該当する実態が認められ(本社で2回認められる場合も含む。)、そのうち、下記 (イ)の実態が1箇所以上の事業場で認められること。
(ア) 監督指導において、1事業場で10人以上又は当該事業場の4分の1以上の労働者について、1.1か月当たり100時間を超える時間外・休日労働が認められること、かつ、2.労働時間関係違反であるとして是正勧告を受けていること。
(イ) 監督指導において、過労死に係る労災支給決定事案の被災労働者について、1.1か月に80時間を超える時間外・休日労働が認められ、かつ、2.労働時間関係違反の是正勧告を受けていること。
なんで是正勧告したことを日本語能力やばいレベルで認めないのかっていうと、これが理由だよね。原理原則以外にも、是正勧告を複数でやっていて、黒塗り外しちゃったらこれがふっつーに公表通達に沿った原則に則ってるのがわかるからだよね。
12月26日の記者会見ですでに記者が怪しんでいることがわかる部分がある。
通常勧告って発表しないですよね
勧告は発表しません。だから今回は会社が勧告ってもうしてるんで、まぁその部分については、こう、事実として、我々としても認めざるをえない状況にあるかなと思いますけど。
影響が大きい企業だしっていうことですよね。
呼び出して何かやった企業他にあるかないか、と言われれば、皆無だとは言いませんので。
これはでも震え上がるんじゃないですか?
事業場外みなしは労働基準法第38の2の制度で、こんな軽度な事例で、社名公表までされるんなら、裁量労働制をやめて、事業場外みなしの条件契約をした方がマシだと考えるんじゃないですか?と聞いてるわけですよね。この記者が誰かは知らないですけど、のちに朝日が3月4日に野村不動産の過労死を突き止めるに至った動機としては、「何かおかしいな」という感触があったのではないかなと思います。
実際、この”特別指導”の公表基準が、大企業にだけでも適用されるのならば、ずいぶん状況は改善するのではないかなと思いますけれども。だから野党としても、「今後も同様に、過労死等の事案がなくても、社名公表を含んだ特別指導を行うということでいいですね」と言質をとるんだ、サァ早く!
そういったことはなしに、高度プロフェッショナル制度を用意するのが安倍政権の安倍政権たる所以ですが。
ちなみに「対案を出せ」教の方もいらっしゃるでしょうが、立憲、民進、希望、全部対案出してますからね。
前回の記事
1/20にこれ。
ブログ読みました。丁寧な分析とご意見、野村某よりもよっぽど誠実だと感動しています。もちろん私も反論(ばかりでもありません)すべきなのですが、今は所用で時間が取れず、勢いで日記を書くわけにも参りませんので、一週間ほどご猶予を頂けたらと思います。真面目に書いて揶揄は避けるつもりです。 https://t.co/V7KXv5B9Zh— けんちん・F (@kenchin_ff) 2018年1月19日
んで2/1にこれ。
ここしばらく体調を崩して貴兄へのご返答が遅れている間に、場外乱闘のような体を為しておりますが、近々、まとまった時間が取れそうなので、一連の流れも含めてご返事差し上げます。お待ちいただいているのに遅れまして申し訳ありません。 https://t.co/GfclppwTbF— けんちん・F (@kenchin_ff) 2018年2月1日
で、今日。3月6日。一ヶ月経っても結局なんもなかったという話です。
別に批判も反論も自由だから返事返ってこないのは良いんだけどさ、
まあ、個人的に感じるのは「その程度の覚悟だったのかな」ってことで。
当然バイアスはかかってる上での発言ですけど、演劇人大体「もう皆けんちんさんの理論が破綻してる事くらい知ってるよ~」みたいな意見しか聞かなかったんですよね。
好意的に引用・紹介してるのが、薙野信喜さん以外は自分の視点からは確認が出来なかった。
薙野さん、よかったらこれからもけんちん君と仲良くしてあげてね。
ご自分で「勢いで日記を書くわけにも参りませんので、一週間ほどご猶予を頂けたらと思います。」って言ってくれたのに
その後何の反応もなかった。残念です。
各団体とか演劇人が音沙汰ない事に対してスゲー鬼の首取ったかのように怒ってたのになぁ。
個人的な感想ですけど、結局、九州演劇腐ってるおじさんは界隈を変えたい!っていうより
ポリコレを振り回すのが楽しかっただけなのかなーっていう思いです。
ご本人が
とか
みたいな事を仰っていたので
きっと、きちんと理論立ったセクシャルハラスメントの実情とか実名込みの裏事情だとか
主語を拡大しないきちんとした批判とかをしてくれるのだろう、と楽しみにしてたんですけどね。
たまに更新される日記とtwitterからはソシャゲとアニメでウッキウキしてる様子しか伝わってこなかったですね、残念。
マギレコが楽しそうで何よりです。
結果的に、「僕の知り合いの演劇人は~」と業界人ぶってみても、
現実を見つめてみれば何者にもなれない悲しいおじさんが一人ネットの片隅で、
気が向いたときだけ「九州の演劇界は腐ってる!」って駄文を投稿するだけだった、という。
でもってこの騒動に関しては(多分)終わりです。もう書く事ないもん。
これの続き。https://anond.hatelabo.jp/20180119190450
けんちん・F氏から反応がありまして。
twitterにて「丁寧な分析とご意見、野村某よりもよっぽど誠実だと感動しています。(中略)真面目に書いて揶揄は避けるつもりです。」
というお言葉を頂いたわけです。
色々感じる所はあったけれど、一番最初に思ったのは「してやられたな」というところ。
僕は文中には氏に対し一定のリスペクトはある的な事を書いたものの、まあ基本的には僕が一方的に揶揄してる形で記事を書いたわけで。
なんで?っていう問いに関しては
1.読む人が興味を持って「うんうんわかる」と言いたくなる文体で書きたかった
2.どう丁寧に書いてもけんちん・F氏の心にはどうせ響かないのではという勝手な思い込み
3.「どうせなら面白く書きたい」という欲
以上の3点が理由です。
よって、きちんと読んでいただいた事の感謝と、揶揄する形で書いてしまった事への謝罪をここに記載いたします。
でも、1・3を優先するあまり今後も同じスタンスでやると思います。ありがとう。ごめんなさい。
「冷静に対処する」っていうのは、書き手がクレバーに見える一つの非常に効果的な手法なわけで。
だから、「やーいやーい」って書いてる所、「うん、そうだね」って冷静に返されちゃうと、振り上げた拳が降ろせないといいますか、
「あー、やべー。こっちが嫌なやつに見えちゃうやつだ」っていう感じなんですね。
なので、「うわ、まじかそう来たか」っていう驚き2割と
「あ、きちんと文章読んで(そして多分受け止めて)くれるんだ」という喜び4割と
「やべーな、この後のスタンスが取りづらいな」っていう後悔が4割。僕の心情はそんなとこです。
自分も別に主語を大きくした「演劇の作り手と観客の代理戦争」みたいなのには一切興味がないしやりたくないから
紳士的な形でこられたら紳士的な対応を取るしかない。何故ならこれは個人と個人のやり取りだから、と思うわけで。
つまり、「演劇人が悪く言われてるから攻撃的に言っていいんじゃオラァ」ってなると、それこそブーメランだと思うわけです。
僕は、個人であって誰かの代弁者ではない。思いあがらずに自制していきたいと常々、思っております。
でも、そうなると一個、疑問が沸いてくるんだけど、
野村氏の(割と)冷静な記事に対して異様なまでにカッとなったような批判をしてる(ように見えた)んですが
これはやっぱり立ち位置の違いと言うか「市原氏に近い存在のヤツが市原氏を叩く記事書かずに『これからどうしていくか』
みたいな俯瞰位置の発言してんじゃねえよ!お前どうせ知ってただろうよ!?ああん!?」っていうバイアスありきで書いちゃったからなんかな。
今回の自分の推論でいけば完全に悪手になるわけで、そこだけがちょい疑問。
あと、名前どうしようかなと思って、確か何らかの意味合いで(忘れた)「けーえふ」って適当に名乗っちゃったけど
「けんちん・F氏」とがっつりカブっちゃったのは超後悔してる。
続きです。
<問題点3:自論に対して黙秘、反論する人に対し「擁護するから黙秘、反論している」とレッテル張りを行い間違いを認めない>
「反論、又は黙っているって言う事は同じ穴の狢だからだ!演劇界は腐ってる!ふじこふじこ」みたいなのが多いように見えます。(感想)
例:ケ
ついでに福岡演劇人の反応や如何、と久しぶりに彼らのTwitterを覗いてみたけれど、事件に触れているのはほんのわずか。自分たちの業界の事件としては、
日馬富士の暴行事件並の大事件だって言うのに、何なの、この他人事ってな態度は。 仲間意識で触れないようにしているのか、脛に何らかの傷を持ってるのか、
逆にパワハラ、セクハラが福岡の演劇界に蔓延してるんじゃないかと勘繰りたくなってくる。
<以上引用>
推論のすり替えに、「知ってるヤツが黙ってる=福岡演劇界に蔓延してる」の主語の拡大と、さらに「黙ってる=同じ穴の狢だ」というレッテル張りをしている。こちら、けんちん欲張りセットとなっております。
例:コ
として、FPAPの高崎大志の件をTwitterで取り上げた。これは被害者の近くにいた人物が、被害者本人の了承を取った上で告発したもので、公的に判明した稀有な例だ。だからこそ事例として引用したのであるが、
被害者の知人から「名前を出すな」というクレームを頂いた。 本人の弁を聞いたわけではないのだが、どうも被害者は、過去に名前出しをしたことを後悔しているらしいのである
(憶測でしかモノを言えないのは、非難してきた人物が、詳しい事情を教えてほしい旨を伝えたのに、無視されたからである)。
こちらとしては、パワハラの明確な実例として挙げたかったのだが、これも結局は「被害者が泣き寝入りしたがっている例」として扱わざるを得ないことになってしまった。
これでは福岡の演劇界には、セクハラもパワハラもない、と錯覚されてしまう事態になりかねない。 そういう「平和な演劇界」にしたい人間が、この界隈にはごまんといるのだろう。
彼らは躍起になってこちらを攻撃してくる。加害者がまるで被害者のように振る舞って、周りの同情を買おうとする。卑劣な手段を取って、恥じるところがない。
<以上引用>
↓
名前出ししている事を公開しているらしい
↓
これでは「被害者が泣き寝入りしたがっている例」になってしまう
↓
↓
彼らは躍起になってこちらを攻撃してくる。加害者がまるで被害者のように振る舞って、周りの同情を買おうとする。卑劣な手段を取って、恥じるところがない。
凄くない?コレ。もはやセカンドレイプだよね。「知り合いの名前を出すな」っていうしごくまっとうな指摘が(しかも理由の想定までできているのに)
「パワハラの明確な実例としてあげるな」っていう「攻撃」に彼の中で脳内変換されてさらに「卑劣」とまで言ってのけてる。
ちなみにこの後「ここで手を緩めるわけにはいかない。」って続きます。アンタ一体誰と戦ってるんだ?
その2に続きます。
例:サ
むしろ、私を詐話師のように仕立て上げようとする野村の行為の方が卑劣極まりないものであって、ああ、やっぱりこいつも市原と同じ穴の貉だったのだなと感じざるを得ない。
<以上引用>
これはちょっと説明が面倒になるのですが、順を追って見ていきましょう。
1:野村氏が2017年12月28日に noteにて(https://note.mu/nomuramss/n/ncf6decc718eb)
"翌日、市原くんから、被害者の方への謝罪と、私に対して詫びるメッセージが届きました。どう返したらいいか正直わかりませんでしたが、とにかく被害者の方のことを思うと、私自身、
許せるものではない。一方でSNS上は罵声の大騒ぎになっている。「友人として、これからの誠意ある行動を期待する」という言い方で「死ぬな」という念を送るしかありませんでした。"
と記述。(きちんと読めば「死んで被害者の人から逃げるようなことをするな」という意味合いだときちんと読み取れます。私はそう受け取りました。)
"野村氏は、市原に電話で「死ぬな」と言ったとか書いているが、はっきり言って芝居がかっていてかえって白ける。電話でどのような会話をしたのかを「公的な報告」として記すのなら、
本来は今後の対応をどうしていくかについて書くべきで、こんなプライベートな心情吐露を垂れ流してはいけない。まるで、泣きを誘って、市原の方が被害者的な立場に見えるように、
話を粉飾しているようにすら見える。 "さらに"野村氏もまた、人間として最低な部類に属するのである。 "と批判。
ちなみに、この際、野村氏のブログのURLを貼り付けています。
(この時点で、事実が誤認(作り話)されています。野村氏は『市原に「死ぬな」と電話で言った』とは一切書いておりません。)
"どこにも、電話で話した、とは書いていない。この時点で「死ぬな」という言葉さえ伝えていません。しかるべき捜査機関に調べてもらっても同じ結論になります。
完全に、けんちん・F氏の作り話です。・・「話を粉飾」してるのはどっちだよ!"と反論。
そりゃそうだ。書いてませんもの。
"確かに、「電話で」とは書いていない。「死ぬな」も「念を送」っただけで、そういう言葉を伝えているわけではない。 けれども私は、野村のブログのリンクを貼った上で、
上記の記述を書いているのである。粉飾する意志があるのなら、そんなことはするはずがない。常識的に考えれば、野村が「メッセージが届きました」と書いているのを
「電話で会話したのだろう」と捉えたのだと分かるはずである。おそらく実際はメールか何かだったのだろうと推測するが、はっきり言って、そんな連絡の手段なんか、どうでもいいのね。
そして、「死ぬな」という直接の言葉を伝えていないという点も、私が問題としているのは、そういう心情を市原に対して持っていることをわざわざ文章化していることが
、被害者の心情を全く理解していないではないかということなのであって、これまた「作り話」という批判は全く当たらない。 "
と反論。さらに、これ以下の文章で野村氏を延々と罵倒、侮辱する内容に。
いやけんちん君、間違いを認めようよ。
野村氏は「友人として、これからの誠意ある行動を期待する」って言葉で「死ぬな」って念を送るしかしなかったわけ。
それを「電話で「死ぬな」と言ったとか書いている」って書いたのは作り話でしょ?音声データとか証拠があるなら別だけど、あんの?
さらに、間違いを認めず「常識的に考えれば、野村が「メッセージが届きました」と書いているのを「電話で会話したのだろう」と捉えたのだと分かるはずである。」
と、見苦しい言い訳。わかんねーよ!(笑)どこをどう読んだらそう見えんだよ。
例えばね、君のその後の発言を汲み取って『市原氏に対して誠実な対応を望むにしても、「死ぬな」という被害者に見えかねない表現はいささか問題があるかと存じます。
実際の被害者の心情を慮った表現をした方が良いかと存じます』って批判ならわかる。
だけど"「作り話」という批判は全く当たらない。"ってのは違うぜ。だって実際に「野村氏が電話で「死ぬな」って言った」っていう作り話してんだもんアンタ。
"野村のブログのリンクを貼った上で、上記の記述を書いているのである。粉飾する意志があるのなら、そんなことはするはずがない。"とか
"元日記のリンクは貼っているのだから、不正確で誹謗中傷だとまで言われるものではないことは誰の目にも明らかだ。 "って書いてるけど
意思があろうがなかろうが、リンク貼ってようが貼ってまいが作り話はしたんだからさ、「記事を読み間違えましたごめんなさい」って部分はきちんと認めようぜ。
でもって、この野村氏の理論的な反論に対して色々あった結果(皆さんの目で見てください)"野村への「最低の人間」という評価も、これだけの条件が揃えば、
的外れとも言いすぎとも言えないと、確信をもって言い切れる。"と、こう結論付けている。
唯一、けんちん君の肩を持つなら野村氏がこの後カッとなったのか「けんちん・F氏がウソを認め、ウソをついてもいいと主張。 」
と書いたのはマズいと思いますよ。そりゃ野村さん、あなたの感想です。けんちん氏がいう通り事実じゃない。
大体以上です。
<終わりに>
再度の通達ですが、私は市原氏を知りません。人としては最低だと思います。それだけです。彼が演劇に携わって欲しくない、とは思いますがその権利は私にはありません。
「九州・全国の演劇界は腐ってない」とは言い切れないけれど、「腐っている」とも思っていません。いい人も悪い人もいるのは演劇界に限った話ではありませんし、
一般社会よりはちょっと問題が起こりやすい環境ではあると思います。
私がけんちん氏をこのように批判するのは「破綻した理論でレッテル張りを垂れ流し個人を批判する」その語り口が気に食わないだけです。
市原氏、野村氏、泊氏、高崎氏、その他、全ての個人に対して擁護・批判を行うためにこの記事を書いておりません。
そして、かなり批判的に書いてしまいましたが以前のあなたの論評が好きでした。本当に。願わくば、元のキレのいい文章に戻ってもらいますように。
と、ラブレターじみて終わったものの、どうしても書きたい事もあるので書いてしまいます、ごめん。
これは個人の感想であり言いがかりなので、誹謗中傷じゃねえかって言われたら反論できません。
先に謝っておきます、ごめんなさい。
1.彼の文章って「●●と思われても仕方がない」「●●も同然じゃないか」っていう、自分の意見が世論であるかのような言い回し頻発するよね。
朝日新聞の記事みたい。「政府」を「演劇界」に変えるとわかるよ!
「政府は何もやっていない」→自分たち好みの行動を取っていないという意味
「議論が尽くされていない」→自分たち好みの結論が出ていないという意味
「国民の合意が得られていない」→自分たちの意見が採用されていないという意味
「内外に様々な波紋を呼んでいる」→自分たちとその仲間が騒いでいるという意味
「皆さんにはもっと真剣に考えてほしい」→アンケートで自分達に不利な結果が出てしまいましたという意味
「本当の解決策を求める」→何も具体策はないがとにかく政府等のやり方はダメだという意味
「~なのは間違いありません」→証拠が何も見つかりませんでした
「両国の対話を通じて~」→中韓に都合の悪い行動はやめて中韓の言うことを聞け
「問われているのは~」→次に中韓と市民団体に騒いで欲しいのはここだ
「表現の自由・報道の自由」→捏造(記事)の自由・偏向(報道)の自由
2.一々例えに映画とか小説を使うあたりが「ザ・映画オタク(通ではない)」って感じで気持ち悪い。
吉野源三郎の『君たちはどう生きるか』の冒頭で提示された問題はそれである。とか
たとえ市原が消えても、第二、第三の市原が現れる。市原はゴジラだ。ただ倒せばいいというものではない。とか。
3.聞いてもいない自分語りとナルシシズムが自意識過剰で気持ち悪い
妻から「俺も昔あんたにセクハラされたって、#MeToo に書いてもいい♪」って言われたが、それこそ貴様のハニートラップじゃないか。とか
コメントの「もしもあなたのところに直接あいつらがコンタクト取ってくるようなことがあったら教えて。今度こそ、命に代えてでも守るから。」とか
「今回の件に絡んで被害者本人から説明を受けて、例えではなく、本当に嗚咽し、悔し泣きをした身だ」とかね。単純に気持ち悪い。
4.これ率直な疑問なんだけど、なんでそこまで九州演劇界を憎んでいるの?
単純に、九州演劇界はここがダメ、っていう根拠を、他の地域の演劇界と比較した形で
団体名と具体的事例で事実と推論を分けた形で読んでみたいです。ほんとに。
けんちん・Fさんという人物がいまして。
彼はmixiを中心に、様々な映画や作品の論評を投稿しており、
その切り口は身内同士でズブズブになっている九州・福岡演劇界をバッサリと斬るものが多く、たまに面白く拝見していたのですが、
どうにもここ最近、彼の文章の質が変わってきたというかちょっと見るに堪えないものになってきました。
彼がどのくらい影響力があるのかはちょっと分からないのですが、このまま福岡演劇界のご意見番ヅラしてるのもちょっといかがなものだろうかと思いまして、
<はじめに>
私は、市原幹也氏を知りませんが、様々な記事などを見る限り今後、演劇には関わって欲しくないと思います。
但し、彼が演劇をやりたいと言う気持ち、思いを禁じる権利は私にはないと思います。(何故なら知らない人だから) というスタンスです。
人を裁けるのは司法、又はその直接の被害を受けた人だけ。というスタンスです。そうじゃなきゃ私刑だよ。
<目的>
1.昨今のけんちん・F氏の文章が論理的でない事を広く知っていただくこと
3.彼の文章が今後理論的になり、もとのキレのよい論評をしていただく事
達成できるかどうかは別ですが、この3つを目的に書いていきたいと思います。
http://open.mixi.jp/user/1846031/diary/1964252256
②あなたが本当に「演劇人」なら、市原幹也を救おうとはしないはずである
http://open.mixi.jp/user/1846031/diary/1964295122
③今そこにいる、一万人の市原幹也
http://open.mixi.jp/user/1846031/diary/1964416782
http://open.mixi.jp/user/1846031/diary/1964577327
http://open.mixi.jp/user/1846031/diary/1964600688
⑥不透明さを増す市原幹也と、藤原ちから、野村政之らの卑劣な印象操作
http://open.mixi.jp/user/1846031/diary/1964756079
記事数は多いですが、出来れば正確さのためにきちんと目を通していただければ、と思います。
<問題点>
さて、早速問題点ですがけんちん・F氏の文章、大まかに分類すると3つの問題点があると思います。
1.事実と推論を分けておらず、非常に読みにくく、推論を事実とすり替え、さらに理論を展開する
3.自論に対して反論する人に対し「擁護するから反論している」とレッテル張りを行い間違いを認めない
それぞれ見て行こうと思います。
「AということはBなのではないか、BということはCなのではないか、Cは問題だからAは非常に問題だ!」という推論に推論が重なった故の結論が、ソース不在の論理性に欠けるものが多い。
例ア
一応と言うか、市原氏は、2013年をもって、アイアンシアターの芸術監督を解任されてはいる。のこされ劇場≡の活動もそこで中断し、実質、解散状態にあるようだ。
当時はその理由が不透明だったが、こうした事件が発覚してみると、「そこでも何かやらかしたんだろうな」と判断せざるを得ない。劇団員に手を付けたか、
ワークショップの参加者に手を付けたか、そんなところだろう。彼の不始末のせいで、枝光演劇フェスティバルが開催不能になり、枝光から演劇の火が消えてしまったことは残念だが、
事情が事情なら仕方がない。 でももし本当に私の憶測が正しければ、枝光商店街はその時点で、彼の解任理由をきちんと発表すべきだっただろう。そうすれば、その後、
<以上引用>
要約するとこうなります。
2013年アイアンシアターの芸術監督を解任、のこされ劇場≡もそこで実質解散状態(事実)
↓
「そこでなにかやらかしたんだろうな」と判断せざるを得ない(推論)
↓
↓
彼の不始末のせいで枝光演劇フェスティバルが開催不能になったのは残念(事実のように記述だがソースなし)
↓
憶測が正しければ、枝光商店街が解任理由をはっきりさせれば犠牲者は防げたかもしれない(推論)
2013年の解任と解散は事実だが、そこの理由ははっきりしていない。にも関わらず、枝光演劇フェスティバルの中止を彼が原因かのように記述、
有名な言葉がここにあります。「なんかそういうデータあるんですか?」
「枝光演劇フェスティバルは市原氏の不始末で開催不能になった」
推論を並べ立ててもいいけど、そこに至った経緯、又は根拠を示さないと説得力ないよ、けんちん氏。
例イ
自主的に引退してくれるのが一番マシではあろうが、どこぞの議員みたいに、どこかにずっと居座り続けそうだよね。周囲もそれを許してしまいそうな気がする。
つまりそれだけ日本の演劇界がユルい社会であるということだ。それも日本の演劇レベルが沈滞し続けている原因の一つかもしれない。
<以上引用>
↓
周囲も許しそうだよね(推論)
↓
それだけ日本の演劇界はユルい社会で、演劇レベルが沈滞する原因かもしれない(推論)
はっきり言ってウケる。脳内妄想垂れ流してもいいけど経緯又は根拠を示さないと説得力がねえよ。
例ウ
逆に言えば、なぜ市原幹也は別の道を選ばず、また彼の仲間もそれを勧めないのか、ということなのだ。市原だけでなく、彼の周囲の人間も、演劇を愛してはいない。
演劇に対する愛があったのなら、とっくの昔に、彼を制止していたはずだ。
<以上引用>
↓
↓
データと経緯がないのは先の例と一緒。さらに、さも自分が部外者かのようにけんちん氏は記述しているが、それ以前の文章に「悪い噂は流れてはいたようだ」とか書いてんだから
同じ論法だとアンタも周囲の人間に一人に入っちゃうよ。ブーメランだよ。
あと、文章③において
<引用>
彼は、市原の舞台に出演していた当時、既に、「ウワサ」は聞いていたようである。けれども、面倒ごとに関わるのは嫌だと、市原に意見することを控えてしまった。
そのことが、次の被害者を生んでしまったと気づいて、今、深く責任を感じてしまっているのだ。いじめの現場を目撃していながら見て見ぬふりをして、その結果、被害者が自殺をしてしまった、
そのことを悔いるような心境になっているのだろう。もともと心が弱い方であるから、このショックは相当にキツかったと思われる。
<以上引用>
一個前の論理で行くとこの人完全に「別の道を勧めなかった周囲の人間」に入るわけで「演劇を愛してはいない人」になるわけですけど。
知人と分かった瞬間この手のひら返し。まごう事なきダブルスタンダードです。
例エ
野村氏は、市原に電話で「死ぬな」と言ったとか書いているが、はっきり言って芝居がかっていてかえって白ける。電話でどのような会話をしたのかを
「公的な報告」として記すのなら、本来は今後の対応をどうしていくかについて書くべきで、こんなプライベートな心情吐露を垂れ流してはいけない。まるで、泣きを誘って、
市原の方が被害者的な立場に見えるように、話を粉飾しているようにすら見える。 野村氏もここですっかり忘れてしまっているよ、被害者は女の子たちなんだって!
「死にたい」と思った女の子たちが、今も「沈黙」するしかない被害者たちが、いったいどれだけいるのか、それを認識していたら、
たとえ本当にそのような会話をしたのだとしても、申し訳なくて公表なんかできないって。 野村氏もまた、人間として最低な部類に属するのである。
<以上引用>
この文章には山ほどの問題点があるのだけれど、とりあえず推論のすり替えについて言えば
野村氏は、市原に電話で「死ぬな」と言ったとか書いた(嘘だけどここでは事実としましょう)
↓
まるで、泣きを誘って、市原の方が被害者的な立場に見えるように、話を粉飾しているようにすら見える。(推論・感想)
↓
野村氏もここですっかり忘れてしまっているよ、被害者は女の子たちなんだって!(事実のように記述)
↓
野村氏もまた、人間として最低な部類に属するのである。(結論)
ものすごいとんだ論法。あと、後述するけど「死ぬな」って言ってないしね。「死ぬな」の意味合いも違うしね。
例オ
いつでもどこででも、これだけ派手にやらかし続けていれば、福岡の演劇人が、あるいは市原と関係があった人々が、「知らなかった」人間ばかりのはずはない。
なのに彼らの殆どが、自分はセクハラ行為とは無関係だと強調するか、全くの沈黙を守り続けるかのどちらかしかしないのがどうにも解せないのだ。
前回の日記にも書いたように、市原のセクハラを知りつつ看過したことを恥じて自らを責めたのは、私の知人一人だけである。
他の「知ってたやつら」は、今どこで、何をしてるんだよ。 中には、市原が誘ったか誘われたかで、一緒にセクハラ行為に及んだ演劇関係者もいるはずなのだ。
市原はその人物の名前を明かしてはいないし、本人が名乗り出て謝罪する気配もない。市原同様の行為に及んでいながら、今ものうのうと「演劇人」の仮面を被り続けている人物が、
福岡の演劇界に居残り続けている可能性を否定できないのである。
<以上引用>
市原と関係があった人が知らなかったばかりのはずがない(推論)
↓
↓
中には、市原が誘ったか誘われたかで、一緒にセクハラ行為に及んだ演劇関係者もいるはず(とんでもない推論)
↓
今ものうのうと「演劇人」の仮面を被り続けている人物が、福岡の演劇界に居残り続けている可能性を否定できないのである。 (結論)
一緒に及んだ人がいる根拠を示せ根拠を。バックデータのない論理はただの言いがかりだぞ。
<問題点2:主語を大きくすることで、拡大解釈とレッテル張りを行う>
彼の文章はよく「個人の問題」が「福岡・九州演劇の問題」に主語が大きくなっているように感じます(感想)
「福岡・九州演劇界は腐ってる!」という意識が根底に根付いているのでしょうか(推論)
例カ
自主的に引退してくれるのが一番マシではあろうが、どこぞの議員みたいに、どこかにずっと居座り続けそうだよね。周囲もそれを許してしまいそうな気がする。
つまりそれだけ日本の演劇界がユルい社会であるということだ。それも日本の演劇レベルが沈滞し続けている原因の一つかもしれない。
<以上引用>
さっきも出てきた文章ですね。引退しない、が周囲が許しそう、の周囲の話になり、日本演劇会の話にどんどん主語が拡大していく。しかも推測なのに。
一泡沫演出者の話を日本演劇界に持ってくんなよ。日本演劇界も迷惑でしょうよ。それなら一連の騒動が大物の米映画女優の話からはじまってんだから、「米映画界はクソだ」くらい言ってもいいんだよ?
例キ
それどころか、事件発覚から十日余りが過ぎて、事態は早くも風化しつつあるような印象である。 いやホント、Twitterをずっと追いかけてみても、九州の演劇人の間でも、ろくに話題になっちゃいないのである。
2ちゃんねるでちょっと取り上げられて、あと何人かがブログで「市原擁護」としか取れないような文章を書いている程度。何だよ、それ。 ジャーナリストの江川紹子さんが、セクハラ告発が相次ぐ世界の情勢を俯瞰しながら、
市原についても触れた文章を綴っているのは非常に貴重だが、それくらいだ。
<以上引用>
個人個人が発言しない事がいつの間にか九州演劇人全体の問題に。え、だって市原のこと知らない人も結構いるよ?
身近に被害者もいない九州演劇人はどういう声明出せばいいんだろう?もしも、具体的に声明を発表して欲しいのにしてない人がいるならその人に言いな。
自分が知ってる演劇人が発言しないからって、責任を演劇界・演劇人全員に持ってこないでくれる?
例ク
九州の演劇人たちが、沈黙するか、あるいは市原擁護に回った理由はそこにあるのだろう。 やはり「同じ穴の狢」を追及することができないでいるのだ。
指導と称して、セクハラ、パワハラが当たり前の世界に堕してしまっているのだ。もしかしたら、九州の演劇界だけでなく、全国的に。
<以上引用>
目の肥えた読者さんなら「あ、推論が置き換わってる」と感じ取れたかと思います。
どの世界にも、同様の問題はあるだろう。けれども演劇界は特に腐っている。仮に日本の演劇人が全部で二万人いるとしよう。
そのうちの半分が加害者で、半分が被害者になる。そう考えてもらった方がいいくらい、どいつもこいつも腐っているのだ。
<以上引用>
「なんかそういうデータあるんですか?」
君の知ってる演劇人に腐ってるやつが多いのかもしれないけどその井の中のレベルを日本演劇界の話に拡大しないでくれるかな。ちゃんと統計取った?
主語の拡大はもう少し散見されるのですが、周囲はどこまで責任を持つべきか、というのには正解が出しにくいため
個人的に「明らかにデカすぎない?」と思うもののみ掲載しました。そのほかは是非皆さんで探してみてください。
その2に続きます。
人として備わってる筈の、倫理観ってものが他人の真似だから、今回の反応になるように思う。
ちょっと発達障害もちの人間との親和性が高いので、書いていく。
(はあちゅう氏が発達障害もちだと断定している訳でもなく、単純に共通点として読んで欲しい)
それと私はASDとADHD混合型。記憶領域に問題があり、物事の流れを組立てたり、順序立てて説明出来ないので
前提としてアスペルガーは、健常者と違って倫理観が身に付きにくい。
健常者ならば倫理観と心情が結び付きやすいのだろうけど、そもそも感じ方が違うアスペルガーである。
子供のころから「なんで友達と一緒のことが出来ないんだ」と言われているので、人から”怒られた”ことを
基準に”他人はこういう事で悲しいと感じたり嫌だと思う”と経験している。
それと自分には関わりあいがない事でも、周りの人間が怒ってたりすることを、”いけないこと”と判断する。
なので繰り返し他人から、怒られ、不快を訴えられるため、自分の感情を基準にはせず、”他人の倫理観”を基準に
物事を判断するくせがつく。健常者と違い、子供のころから自分のやることの大半が、”おかしい”と指摘され続ける。
正直人格否定に等しいことを常に要求されるので、かなり苦痛だ。
自分が好ましいとか、必要に思っている人以外の苦言を聞く”余裕”がない。
なので指摘してくる対象者が、自分にとって有益な人間かどうかで選別するようになってくる。
たとえば会社で自由気ままに振舞える人間をみつけて、その人がなぜ自由でいられるのか処世術を習得するのに近づく。
”社会的立場”があり、”周囲から認められている人間”の発言を、鵜吞みにする。
”成功”していて”周囲に人が必ず集まっている”ことが判断基準だ。
個人には興味がないが、コミュニティには憧れがあり、所属していることに執着する人が多い。
なぜかというとコミュニティに所属したいタイプのアスペルガーは、つまはじきにされることにトラウマがあり
自分のまわりに人を集めるために、地位を獲得したり、場を作ったりして他人の注意を惹こうとすることで
前提として”一生嫌われ続ける人間”のため、”好かれる”ことや”羨望を集める”ために人生を捧げるひとも多い。
上記のため、強者の人間の価値基準や怒られたことが、”倫理観”の前提になる。
これはアスペルガーの人間か生きていくための、切実な”基準”だ。
自分の気持ちを見なかったことにしたり、否定し続けた上に成り立ったものだからだ。
怒られるたびに、傷つきながら手に入れてきたものだ。
簡単には手放せないし、生きていく基盤だ。
違うと言われれば、足元が崩れるような不安にも襲われる。
だからはあちゅう氏が、”自分の周り”では童貞は”ステータス”であり、人を不快にさせるつもりでは
彼女がせっせと積み上げてきた”倫理観”が、一部の人の為のものだったことだったからだ。
とても困惑していることが伝わってくる。
謝罪に抵抗があるアスペルガーの人が多いのだが、岸氏に差し出した友人に謝罪出来て
連絡を取り合っているからだ。
そうゆう訳で一生嫌われることを課された人間から、言えることは
今後は
ぐらいだ。
今は受け止める余裕もないし、有益かどうか選別も出来ないだろう。
岸氏のことを告発した貴方は素晴らしいし、応援している人も多い。
それに貴方は舞台から降りれば、不特定多数に嫌われ者あつかいされることは無いだろう。
いつだって降りてもいいのだ。
そのうえで、先日亡くなった野村幸子氏のように、憎まれっ子世にはばかるを体現して
ネットを賑わせてほしい。
この文章は個人的な経験によるアスペルガーの特性の一部であり、うまくできているひとも
いれば、もっとうまく出来ない人もいる。というか個人の感覚なので、全般に当てはまらない
ことを改めて書いておく。というか、アスペルガー全員に当てはめないで欲しい。
テレビで見る彼女はちょっと乱暴というか恐妻?すこし怖いイメージが強かった。
そのころはまだ全面禁煙でもなく、喫煙席で友達とおしゃべりをしていると
すぐ近くの席に、野村監督が一人で座っていることに気付いた。
しばらくして佐知代夫人が現れ佐知代さんがタバコを吸っていた。
場所柄もあり、サインだの握手だのと誰かに囲まれるわけでもなくのんびりとした空気が流れるご夫婦を素敵だなぁと思った。
二人が席を立つのが目に入り、あぁお食事終わったのかな?くらいの気持ちで
声を荒げるわけでもなく、ただそっと「あなたたち、ちょっと声が大きいわよ」って。
私はびっくりして、とっさにありがとうございます、と答えると
少しだけ口角をあげ(たように、その時の私には見えた)監督と共にお店を後にした。
そのあとすぐお店のスタッフの方が飛んできて「大丈夫ですか?」って聞かれてしまった。
抑えてたつもりだった声のボリューム、たぶんきっと他の席の方もかしましいと思っていたのかもしれない。
そっと注意してくださった佐知代さんのそのやさしさにとても感動した。
でもその日から、私は佐知代さんをテレビで見るたびにあの優しい気遣いを思い出していた。
1
ファイナルファンタジーはよくあるクソゲーに入るレベルでわりと初期に挫折、ドラクエの方が圧倒的に楽しかった
2
ドラクエに仲間システムが出来、他と比べ頭一つ抜けて楽しいゲームになった
ファイナルファンタジーは仲間同士でギリギリ死なない所まで殴り合わないと成長しない尖ったシステムやラストダンジョンモルボルの不条理な強さ等々まだまだ色々甘かった
3
ファイナルファンタジーはラストダンジョンの凶悪な長さや買い貯めた手裏剣を投げ続けるラストバトルなどまだユーザーに不親切だった
4
ファイナルファンタジーお家芸とも言える美しい画面や魅力的なキャラ、ドラマチックなストーリーの完成度が高くなる、しかもダンジョンにセーブポイントが出現しシステムが一気にユーザーに優しく快適になった
同時にドラゴンクエストの不便さを感じるようになり、ファイナルファンタジーはドラゴンクエストと並ぶ存在になる
ドラクエも味方に大雑把に命令出来るシステム、仲間キャラ達を主人公にした色んなストーリーを楽しめ今でも愛される魅力的なキャラクターを数多く出し、3で上がりまくったハードルをクリアし多くのユーザーを満足させる
5
ファイナルファンタジーにダッシュや職業を超えるアビリティが現れる
転職システムの楽しさはドラクエよりも完成されており、ダッシュに慣れたユーザーはダッシュのないドラクエをもっさりしていると感じるようになるが、ストーリーやキャラが地味でインパクトでドラクエに劣る
ドラクエはモンスターを仲間に出来る嫁を選べる等々ユーザーが楽しめるシステムを新たに作り、子供から大人に成長し結婚し子供を作り共に戦う壮大なストーリーで楽しませてくれた
6
制作がチュンソフトではなくなったせいかドラクエの印象が一気に薄くなる、クリアしたがシステムもキャラもあまり覚えていない。
ファイナルファンタジーは完成されたストーリーキャラグラフィックで一気に存在感を増してドラクエを超える存在になる
7
PlayStationに来てドラクエの3D技術力の無さが露呈、あまりにもへぼいムービーや美しくないグラフィック、ファイナルファンタジーより格下感が出る
天野絵は立体に向かないので代わりに野村のイメージで作品の雰囲気切替に成功、出口が解らないなど不便さもあったが美しいマップに美しいムービーでプレイヤーを魅了、マテリアシステムも楽しかった
ハードの運命も握るほどにファイナルファンタジー絶頂期になる
8
野村と鳥山の世界観や画風どちらがより魅力的かと言うと鳥山圧勝なのでドラクエが巻き返す
ファイナルファンタジーは芸能人に似過ぎなキャラクターやリアルな恋愛を表現するため社員から恋愛経験を集めるなどズレたストーリー作りをして、キャラクターやストーリーの魅力を損なう
9以降はやってないのでここで終わり
今はファイナルファンタジーよりドラクエの方が存在感が強いように思う
M井物産「俺もその辺の男には負けないけどエムスリーには歯が立たないかな。」
これは、銀座コリドーのとある飲食店で目の当たりにした知的でくだらない会話である。
脂の乗った丸の内系OLを前にして、清水健太郎風のM井物産社員がこんな話をしていた。
丸の内系OL「エムスリーってあの医療系の?ソニーの子会社だったとこだよね。」
M井物産「エムスリーの1人目は、松山英樹。世界ランク2位だぞ。勝てる気がしない。」
丸の内系OL「ああ、そのMね(笑)野村がスポンサーについたよね。」
M井物産「2人目は、ミルコクロコップ。ユーゴスラビア紛争を生き抜くために格闘技をはじめて警官になった男。立ち技では絶対敵わない。」
M井物産「3人目は、カンパニー松尾。寝技では絶対敵わない。知ってるカンパニー松尾?」
つづく
日本銀行は、戦前から天皇・ロスチャイルドが株主として君臨し、紙幣発行権を駆使して、市中銀行をコントロールし、その先に大企業群を従えてきた。
出典
「株式会社 日本」の大株主であった、天皇財閥 2 - るいネット
皇室と日銀株のつながりは深いものがある。第二次大戦直後の段階で、皇室は29社の株式を所有していたが、とりわけ目を引くのが、20万8000株(額面で2080万円分)を保有する日銀の株だった。
出典
日銀株が下落して 天皇家も大損の「悲劇」 | 経済の死角 | 現代ビジネス [講談社]
出典
farwestto.exblog.jp
横浜正金銀行は、東京銀行(現在の三菱東京UFJ銀行)の前身とされている銀行です。
貿易金融・外国為替に特化した銀行であり、明治維新後急速に成長し、やがて列強の仲間に加わっていく日本を国際金融面で支え、香港上海銀行(HSBC)、チャータード・マーカンタイル銀行と並ぶ外国為替銀行へと発展
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天皇家は日銀株のほか、横浜正金銀行(現・三菱東京UFJ銀行)や日本興業銀行(現・みずほコーポレート銀行)などの株式も保有していた
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日銀株が下落して 天皇家も大損の「悲劇」 | 経済の死角 | 現代ビジネス [講談社]
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plaza.rakuten.co.jp
皇居がある東京駅周辺の丸の内のビルの3分の1が三菱財閥の保有となっています。
天皇家と日本郵船は明治期から深い仲にあった。日本郵船の大株主は天皇と三菱財閥であった。当時は海外渡航といえば船舶しかなく、日本郵船は日本貿易の命綱である。
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天皇により経営される日本郵船により、欧米に「売却」された日本人女性は、1人残らず現地に着くと即座に売春宿に「連行」され監禁されました。そして売春を強制されました。
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天皇がダマシ、売春婦として海外に売り飛ばした日本人女性の数は、50万人を超える。大くの女性は、20歳代で梅毒等の性病で死に、または刃物で自分の喉を突き刺して自殺した。
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http://www.yuuai.sakura.ne.jp/home20/konnaonna.html
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国民に対しては「自分は神」であるとしていた天皇は、女性の人身売買で金儲けし、また日清戦争、日露戦争で中国、ロシアから得た賠償金を自分の私財として「着服」していたただのどぶ鼠野郎です。
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1945年、日本の敗戦が決定的になると、天皇一族は、この蓄財を米国に「取られる」事に恐怖を感じ、海外に蓄財を「逃し」始めました。
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安倍晋三さんも、三菱財閥が創設した、成蹊大学を卒業しています。
安倍晋三首相の実兄である安倍寛信氏が4月1日付で三菱商事の執行役員に就任することが決まった。
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成蹊学園初代理事長・岩崎小弥太以来、三菱金曜会のトップが成蹊学園の理事長を務めている。
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第二次世界大戦前は三菱財閥との繋がりが非常に強く、運営費用の大部分は三菱からの寄付で賄われていた。また1917年(大正6年)開設の成蹊実業専門学校は三菱合資会社の要請によるものであり、実業界、特に三菱での中核となる人材の育成を目的としていた。
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戦前の日本経済は財閥が支配していた。三井、三菱、住友、安田の4大財閥を中心に、古河、川崎、浅野、中島、日産、大倉、野村、日本窒素などの中小財閥があった。
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書評 吉田祐二著『天皇財閥―皇室による経済支配の構造』 最大の財閥・天皇家の海外進出における「経営判断ミス」 | ちきゅう座
財閥復活を防ぐために、戦後長く独占禁止法で禁止された持株会社が復活するのは、金融ビッグバンのさなか1997年のことである。現在ではなんとかホールディングス(HLD)を名乗る持株会社が数多く存在する。
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書評 吉田祐二著『天皇財閥―皇室による経済支配の構造』 最大の財閥・天皇家の海外進出における「経営判断ミス」 | ちきゅう座
戦前の天皇家が株式、国債、土地などの資産を持っていたことはよく知られているが、著者によれば、財閥解体時の資料を基に天皇財閥は4大財閥の10倍程度の規模があった
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書評 吉田祐二著『天皇財閥―皇室による経済支配の構造』 最大の財閥・天皇家の海外進出における「経営判断ミス」 | ちきゅう座
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plusi.info
ソニーが没落した要因のひとつとして、昭和の古いシステムにこだわった為と言う事が良く言われています。
1953年(昭和28年)に宮内庁次長の宇佐美毅を後任とし長官を辞任した。長官辞任後、請われて東京通信工業株式会社の監査役に就任する。これが後のソニーで、取締役会長、相談役を歴任し社内からは「会長さん」と親しまれた。
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天皇、皇后両陛下(昭和天皇と現皇太后陛下)の工場見学が決定した。この日、両陛下は、時の東龍太郎東京都知事を案内役として、東京タワーや都内の各所をご視察の予定である。その計画の中に、ソニーが選ばれたのだ。
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Sony Japan | Sony History 第13章 IREショーで見つけたもの
「昭和天皇はソニーに興味をお持ちくださって、葉山の御用邸に行かれるとき、うちの工場(注 ソニーのこと)がだんだん大きくなるのを見ていらっしゃって、<田島の会社(ソニー)はまた大きくなったね>って、いつでもお話になったそうです」
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書評 吉田祐二著『天皇財閥―皇室による経済支配の構造』 最大の財閥・天皇家の海外進出における「経営判断ミス」 | ちきゅう座
あれって、
だいたい年末に年末進行で録られたものだと知ってからなぜか白けちゃったわ。
新春深夜枠で一挙放送される、
地で行くハマちゃんみたいな感じがいいわね。
毎回恒例、岸壁の上から押すな押すなよと言って、
ハマちゃんに押されて三人海に落ちちゃうのが毎回笑っちゃうわ!
そして、上島さんが救助されて、
ここはやっぱり釣りバカよね!
もう、笑いっぱなしよ。
とてもたくさん釣れると評判の釣り場に行って、
釣れたらアウトなやつ。
それなら30分ぐらいでいいわ。
あと、そうそう。
芸能人の隠し芸、
それももう無いじゃない。
インディージューンズとか!
まあ、紅白がいい例だけど。
ちょこっと出てきたときに、
ギンギラギンの1フレーズを
というか、
そうそう、
お礼のお手紙を書くわ。
住所教えてもらったの。
すごいわね。
あと、ビックリしたのが
知らないことばかりね。
あ!そうそう
世界の話で思い出したけど、
うふふ。
今日は何を観ようかしら。
今日も遅く起きた朝なので、
お昼ご飯と朝ご飯を一緒にしちゃいましょうかしら。
お好み焼きもしてみたいわね。
ちょっと考えるわ。
ま、とにかく便利だわ。
そこにもビックリよ!
取り急ぎ、
すいすいすいようび~
今日も頑張りましょう!
人を殺すことは罪になるのか?
罪にならない殺人が存在していたとしても、殺されるときはどんな人でも苦しむだろう。
人を殺し、苦しみを与えることに、一体どんな価値があるのだろうか?
謎は深まるばかりである。
ベン・ブルース・ブレイクニー(Ben Bruce Blakeney, 1908年 - 1963年3月4日)は、アメリカ合衆国の陸軍軍人・法律家。東京裁判においては、東郷茂徳、梅津美治郎の弁護人を務めた。
開廷早々の管轄権問題では、国際法に戦争に関する法規があることから戦争は犯罪ではないと主張し、検察側立証段階では、有効な反対尋問を行った。
「歴史を振り返ってみても、戦争の計画、遂行が法廷において犯罪として裁かれた例はない。
我々は、この裁判で新しい法律を打ち立てようとする検察側の抱負を承知している。
「国家の行為である戦争の個人責任を問うことは、法律的に誤りである。
何故ならば、国際法は国家に対して適用されるものであって、個人に対してではない。
個人に依る戦争行為という新しい犯罪をこの法廷で裁くのは誤りである。
それは殺人罪ではない。
たとえ嫌悪すべき行為でも、犯罪としてその責任は問われなかった。
(以下の発言が始まると、チャーターで定められている筈の同時通訳が停止し、日本語の速記録にもこの部分のみ「以下、通訳なし」としか記載されなかった)
キッド提督の死が真珠湾攻撃による殺人罪になるならば、我々は、広島に原爆を投下した者の名を挙げることができる。
我々もそう思う。
それは彼らの戦闘行為が正義で、敵の行為が不正義だからではなく、戦争自体が犯罪ではないからである。
原爆を投下した者がいる。
この投下を計画し、その実行を命じ、これを黙認したものがいる。
その者達が裁いているのだ。
と発言、
1947年3月3日にも、イギリスとソ連のパリ不戦条約違反を主張するとともに、原子爆弾は明らかにハーグ陸戦条約第四項が禁止する兵器だと指摘した。
更に、太平洋戦争段階の外交部門の主任を務めた山本熊一を証人に立たせて、「近衛手記」や野村吉三郎電報を駆使し、日本が日米交渉に最後まで努力したことを立証しようとした。
また、米国議会の真珠湾攻撃調査の委員会での証言や、開戦当時諜報担当だったブラットン陸軍大佐を証人に立たせてアメリカの電報傍受の事実を指摘した。