はてなキーワード: 邪神とは
少女的な見た目と、人ならざるものの体型に好奇心を掻き立てられる
実に勿体無い
さて、
ラミアの生殖器とはどうなっているのか?
個人的に股間部に人間と同じ性器がついていると言う解釈はイマイチピンとこない
あえて足を蛇のままにしているのであればそこに意味があるのだから、そこに人間らしさを入れる必要性を感じないから
足は進化した末に出来上がるべきであって、人間の性器の形は足が二股に分かた事であの形になっている
蛇腹の中に排泄口も兼ねた穴があり、蛇の雌はクリトリスが2個ついている
蛇の雄はペニスが2個ついているのだから当たり前ではあるが、それを知ってさらに想像力が掻き立てられる
つまり腹の蛇腹がデフォルメされているが、蛇腹を捲ると性器が現れる事になる
つまりラミアの感度2倍と言う事になる
また蛇のペニスは棘がついている
性器が存在するなら、恥じらいという人間的な思考が生まれるだろう
恥じらいが生まれる可能性があれば、それはエロスへと昇華できてしまう
これで眠れそうだ
お休み…
ミャクミャク様は邪神なので
簡単に言うと
・地上ではあー穴にはまっただるいわーくらいの普通の会話してる
って感じ。
地中でめっちゃエロいことされてんのに感覚遮断されてるから地上部分ではそれをわかってないというギャップがいい・・・のだと思う
理由を考えてみたが、シチュエーションの都合上、地中でどうこうするのが人間ではないことがほとんどだから、ということに尽きると思う。
例えばこれが壁の穴にはまって動けない!だと、壁の向こうで好き勝手するのは同じ人間になるから感情移入もしやすくなる
動けなくても足を動かして股間いじるとかはまあそばで同じように穴にはまった人間がいたらできるかもしれないけど、
やっぱ限界がある
(その点、穴にはまった邪神ちゃんがしっぽつかって同じく穴にはまったゆりねをいじるのはわりとよかった)
結局俺に触手フェチがないってのが大きな原因なんだろうなと思った
お前の来世はその程度か……
俺の来世は星間帝国の大魔道士により宇宙霊と邪神の因子を組み込んだホムンクルスとして生を享け、
実験に使われる幼少期を過ごすも勝手に強大化していく幼生体の俺に恐れをなして廃棄しようとする魔道士をサクッと返り討ち。
こんな怪物が野に放たれたと知らない暢気な宇宙人どもの世間を彷徨い歩き、降りかかる火の粉を払ってるうちにいつしかバウンティハンターとして二つ名付きとなり、宇宙の辺境で人間と馴れ合わないクェーサードラゴンと妙に気が合って、宇宙の果てを極める研究に邁進するドラゴンの学者の手伝いする適当な日々を数千年過ごすんだ。
お前はせいぜい東大でも行って美人の嫁さんと仲良く100年ばかり地球で暮らしてな。もしタイミングよくお前が生きてる期間に気が向いたら、地球を見に行ってやるよ。まあ、お前が俺に気付くことは無いだろうがな。
でも性格の破綻度合いとデブ度合いはかなり比例傾向にあるように思う。
確かにデブで滅茶苦茶いい人はいるんだが、そういう人は自分から見ていい人に感じる方向に人格が破綻している感じがする。
ガリにも似たような傾向はあるにはある。
ガリはせいぜい標準体重-40kgぐらいで生命の危機を迎えてしまうが、デブは+100kgでも糖尿病の薬を飲みながら普通に生きていたりする。
おおむね標準体重から±30kgぐらいから人格のブレが個性で片付けられない領域に突入しだすので、結果としてデブには無数の異常者が存在し、ガリの異常者は極めて貴重となる。
デブによくある特徴として自分に対しての客観的視点のなさがある。
ブーメランを平気で投げまくるし、自分は別に何もおかしい人間でないと信じがちだ。
そもそもそうじゃない人間は異常なデブになりだした所で、これはマズいと動き出すわけで、デブであることが自身に対しての客観性のなさを証明していると言って良い。
つまり、デブは自分を客観視出来ないとは、自分を客観視出来ないからデブになった人は自分を客観視出来ないというトートロジーなのだ。
もちろんこれはガリにも言えるが、先程も言ったようにガリは自分を客観視できなくなり始めると急激に命が危うくなるので、病院送りになって世間から消えるか、現代医学の力で体重のドーピングが開始される。
デブだって体重が標準+30kgとかになれば医者から痩せろと釘を刺されるが、命の危機を感じるわけではないため「は?医者の感覚がおかしいだけだが?」でスルーする。
というか、ここでスルー出来るデブだけがデブであり続けるというトートロジーだ。
医者よりも俺が正しいと言えば反ワクチンなどのニセ科学にかかる連中だが、デブはおおむねこういった人種と同じ思考回路を持つ。
カルトに引っかかりやすく、かつ自分自身の認識に対してカルト的な信仰心を持つ自分教の信者が多い。
自分教の信者たちは自分こそを絶対神だと信じているので、自分が他人を裁くのは正義であり、他人が自分を批判するのは冒涜だという確信の中で暮らしている。
もしもその自分が偶然にも善性を帯びていれば、それを批判しない限りはその恩恵に預かれる善なる神となるが、もしも本質が悪であれば紛れもない邪神となる。
善良なる神であってもその存在に触らぬ神に祟りなしと言わせるほどの厄介さがあるのは多くの物語で語られる通りであり、デブというものは得てして普通の人間にとって厄介な隣人であるのだ。
https://twitter.com/tatatataniguthi/status/1652613176578695175
トレンドに上がっていた。
漫画好きからしてみると、やはり実際にペンを持ってイラストを描くが「描く」であって、
AIによるイラストを「描く」と主張するAI絵師の気持ちもわかるけど、書き換わることは無い気がするなぁ。
自分のイメージをAIに生成させる言葉のチョイスにクリエイティブな気持ちを感じるのはわかるし、そこは今後求められる才能だと思う。
けど、実際に手で漫画やイラストを描いている人に対して噛みつくのは、「描く」という行為にコンプレックスを感じてるようにしか見えない。
自分だったら「描いた」じゃなくて堂々と「AIに生成してもらった!」と表明して発表するけど、「描く」にこだわるのはなんでなんだろうか。
この先AIの技術が更に進んだとしても、自分のイメージをAIに出力してもらうという構図は変わらないと思うし、その行為が「描く」に書き換わることは無いと思うんだけどなぁ(普及はしてしまう気がするけど……)。
一番面白いのだけ見ればいいっていうか。
結局は嘘松じゃん?
画像やプレゼント企画があったりするだけで結局は単なる嘘じゃん?
もうそういうのって素人がやり尽くしているというかそ、今更企業がやるようなところはもう残ってない気がするんだよね。
ナラティブに特化してるはずの配信者とかの嘘企画もそんなインパクトないしさ。
ぺこらがチキン作る動画とかムカデ人間実況とかvtuberアニメ化とか冗談みたいな本当の企画が沢山あって、それらのクオリティはエイプリルフールの学芸会レベルよりは幾分上な訳でさ。
結局さ、収益の見込みがないから本気の企画じゃないわけでひたすらしょーもないんだよね。
嘘アプリとかも邪神ちゃんアプリみたいな本物のクソにクソで負けてたりさ、どうぶつタワーバトルみたいな奇跡的な何かもないわけじゃん。
アレなんであんな金かかってたんだろ?
なんだったんだアレ。
あのレベルならまあ見てやらなくもないとはなるが、あんなん10年に1度だろ。
期待しちゃアカン。
寝たほうがええな。
寝て起きてからまとめ見て上澄みの50件ぐらいだけ見りゃええわ