はてなキーワード: 遂行とは
前もって置くと、増田については詳しくない。ただ匿名で書けるからと言うだけで来たので、オタク的な話に縁遠かったら申し訳ない。
2年ほど前にVtuberにハマっていた時期がある。
ただ、割とすぐに見なくなった。
VTuberというのは個人性とキャラクター性が両立しているわかりやすい例だ。
(性格的なキャラ、というよりは偶像性というニュアンスだろうか?)
まあ普通のアイドルなんかもそうだろうし、現実の普通の人間でも言えることではある。
私たちはキャラクターに対して色々な想像をし、それをすりあわせる行為をする。
いわゆる解釈一致/違いという奴だ。これも普通の人間でもある話。
ただ、個人が演じている限りその期待が完全に満たされることは無い。
(当然、ファンの誰もがその存在に炎上して欲しくないと期待している)
そうした期待の裏切りは一方で裏切った側の失敗だと捉えられるが、違う見方もできる。
ファンとしている我々側が、過度/過小な期待をしているということだ。
個人性というものを知りながら、キャラクター性に先行し完全性を求めすぎていた(またはその逆)我々側のミスとも表現できる。
彼らの今のトレンドは動画形態よりライブであるので、長時間を二次元的な=作られたキャラとして演じることになる。
一方で個人性を要求するような場面も多くあるので、当然そうした解釈違い的なことも起こりやすくなる。
まだ新しい文化であるというのもそうした失敗を後押ししているだろう。
まあ要は、自分に限った話であるが、何かしら期待が裏切られたときに自分の責任だと思ってしまうという話だ。
自分が期待する程度を読み間違えたからこそ、それがある種の重圧として機能していたのかもしれない、と。
正しく達成できるレベルの期待にとどめていれば、こちらも向こうも幸せなはずなのだから。
(まあ先に挙げた炎上の一部は常識や倫理に反しているものもあるので、例外はあるとだけ書いておく)
実際、「意外」という言葉が心底嫌いで、言いたくもないし聞きたくもない。
それは個人を正しく判断できなかったということを露呈した言葉であり、場合によっては失礼だ。…と考えてしまう。
まあ、自分が言われたら(期待されたキャラを遂行できなかった…)と考えてしまうわけだが。
で、多分こうした「自分が期待の程度を間違えたこと」をまざまざと見せつけられることに耐えきれなかったのが、
VTuberを見なくなったきっかけなんじゃないかと思っている。
思ったより長くなったし、書いていてよくまとまらなかった。文を書くというのはあまりやったことがないのでわからん。
自虐的思考ってだけでは?とか色々思うが、正しい程度の期待を持つべきだ、とは思う。
【追記】
ありがたいことにいくつか反応をいただいたが、VTuberを主題にしたためかやや誤解されたように感じたので少しだけ補足。
この増田の話は、ただ単にVTuberの革新性でもある新たなバーチャルの形が個人の性格上で合わないような気がした、というだけに過ぎない。
ここでいう「新たなバーチャルの形」とは本文にある個人性とキャラクター性の明確な両立を二次元空間=アニメ文化圏で行った点だが、
こうしたアンビバレンスが未経験な身としては、視点の据え方に迷ってしまう。
個人性、キャラクター性のみの視点で見るとすれば、それは今までの動画投稿者と何ら変わりがなくなる。
なので両方の重心をもって視点とするはずだ。
ただ、その重心が不明瞭な位置にあるが故に新しいバーチャルは期待と現実のズレが増えてしまった。
いわゆる「杞憂民」が用語として確立するほどに多いことが、まさにこの新バーチャルの不可避の欠点を証明する。
ミスって多額な損失を出した人が、「責任を取ってクビですよね?」と上司に聞いたら、「クビにするわけないだろう、これだけの教育費を払った人間を」と上司が答えたという話を思い出した。
終わっちゃったことは仕方がないし、誰にも変えられない。でも、これからは変えられるよ。
いや、ワイはエンジニアの上司でさ、全サービス停止とかやらかされたりすると、「まんまみーや」みたいに思うことはあるわけよ。でも、「よくやった」というようにしようと思ってる。ワイは常々人間の努力で成立するシステムは糞、仕組みで防げと言っているからさ、システムもそう作ってあるわけよ。そんな中で、穴を見つけてくれたんだなと。完全の余地を見つけてくれたんだなと前向きにとらえている。
まあ、やっちまったと思ったときは増田はなんでそれが起きたのか時系列立てて冷静に分析してみようよ。そして、時系列を見ながら、ミスを食い止められた場所がどこにあったか見てみよう。それから、どうやったらもっと早くミスに気づけるか、ミスが起きたとしてもその影響を限定的にすることはできないか、ミスが起きないような仕組みを作れないかをそれぞれについて一つ一つ考えてみよう。
やる気がなかったからミスしたと逃げてはいけないよ。やる気に頼るな、やる気がない時でもミスせず遂行できるように仕組みを整えろ。
あと、チェックリストがあれば防げるという意見にワイは賛同しない。チェックリストは所詮は人間た一つ一つチェックするわけで、人間のやる気に頼ったシステムだから。完全自動化して、人が何のやる気を出さなくてもボタン一つで正しいことができるようにするか、人がミスしている可能性がある手順を踏んだ時は特殊なことをしないとシステムが許可しないのが理想だよね。
そりゃそうだ。
だけど、いざ遂行する方はそんなの関係なくて、何か作りたいものを作るでしょう。
起こしたいやつが勝手に自然と起こしてその中で選りすぐるぐらいでいいとは思うんだが所詮、遂行するほうがどうなってもいいから煽るんだろうなとも思う。
だから屑だとは思う。キュウべぇと同種の連中。ま、クズはクズでいいんだが、クズらしくしてろよとは思うな。狭い界隈にこもってろ。アホをおだてて増やそうとするな。
一応イノベーションに近い立ち位置にいる。俗にいう起業(笑)だ。
起業しろよみたいな屑がいるから先に書いとく、あんなものすぐ売れるもの以外地獄への片道切符だと痛感してるから。
自分でなしたいことはあったし、技術的にはできると思う。当たればでかくはある。プロダクトマーケットフィットは意識してあがいてきたし、筋は良くなってきている。
が、時間がかかるハイテクの遂行者なんてパチンカス並みのゴミみたいな扱いだってのは痛感してる。実際成功期待値は周辺環境も含めりゃパチンカスと同等かそれより下なんだろうなとは思う。
それこそ自分の承認欲求のためにこちらを捻じ曲げよう、おろうというゴミカスばかり集まってきて、更に周りもお前が折れりゃいいんだ!とこちらを邪魔してくる。無視したら小細工ばかりしてくる。
まあ、それでもほぼ全部切り捨てて平和にはなったが。
そして、ご縁があって一度やめて別の手段で少しまだ頑張ってはいる。
イノベーションの話題が出たし、表面的にこうしたらいいよぐらいなのは話せる。
特に熱狂なんてそれで必死に走っているところで、他人を屈服させたいクズが狙いすましたように足を引っ掛ける餌だとは痛感した。なのでさほど熱狂はない。努力はしていくが。ただ、淡々と必要な技術を埋めていきたいと思う。
プロダクトマーケットフィットのいい本ないかと思ったけど、熱狂させるような話ばかりが冒頭にあって腹が立つ。気持ち悪い。なにかああいうのなしに良い教科書みたいなのないものか。
スラングとしては有名な部類であろう「ガチ勢」であるが、ガチ勢はオタク趣味だろうと一般趣味だろうと例外なく「キモい」。
まず思いつくキモさ。パーティゲームガチ勢のキモさは言わずもがなだろう。人狼で最適行動を取らなかった、取れなかった人に利敵行為と言い始める奴、スマブラで「終点アイテム無し以外はスマブラじゃない」みたいなこと言い始める奴。キモい。人狼プレイヤーがキモがられる理由は非常に簡単で、「全員が各々の勝ちを目指してやる」という「前提」で推理するゲームなので、最適行動以外は利敵に近くなるゲームなのだ。「全員が多弁で事故が起きずにゲームが最後まで遂行される」という、ある意味機械的なリプレイが良い試合とされる、ガチ勢が幅を効かせるのは仕方がないのだ。スマブラはパーティゲームとしても格闘ゲームとしても楽しめるゲームだからこそ、パーティゲーム勢と格闘ゲーム勢は相容れない。そして格闘ゲーム勢が経験者でパーティゲーム勢は未経験または経験の少ない人がなりがちで、経験者の格闘ゲーム勢が「こっちのが楽しいから!」とルールを勝手に決めるから「キモい」ガチ勢になる。その点TRPGはクソみたいなガチ勢ほど「ゲームは楽しんでやれたらゲームで負けてもプレイとして勝ち」ということを分かってるが、TRPGをやるようなやつは例外なくキモい。
ゲーム関連のガチ勢はキモいけど、本当にガチ勢が集まると面白いゲームになることはわかる。でもキモい。
いいんだよキモくて。麻雀も釣りも筋トレも料理も仕事も野菜も睡眠も運動も瞑想も、こーすると良いあーすると良いみたいなのを研究してるやつは例外なく、ハマってないやつからキモいと言われるものなのだ。ハマってないやつのほうが多いのは当然なんだよ、なにかに本気になったことがある奴なんて少数派なんだよ。その「何にもハマったことのないやつ」が、何かにハマった奴に対してキモイキモイ言ってるんだよ。んでだいたいハマってないやつで徒党組むんだ。殺せ。100回殺せ。全人類キモくなれ。お前ら全員キモくてつまらないゴミだろ。あーうんこうんこ
僕はあの頃、増田のいう「動物」だった。増田のいうところの”流血沙汰”をおこす”いじめられてた男子”に近い存在だ。
集団に馴染めなかったせいで誰からも嘲笑され嬲られ続ける下等生物だった。
人を人とも思わない冷たい眼差し。人の悲鳴を聞こうが眉を顰めるばかりのしみたれた振る舞い。
頭の中には矜持の欠片すらなく、世俗的な自己顕示欲と、「自分はまともなのだ」「こいつらよりまし」と自認することで安心感を得ることしか頭にない。
彼らは体格もよく運動能力で劣っているわけでもなく、それなりにいい成績を維持するだけの知能はあり、友だちや頼れる大人との繋がりを持っていた。
僕から見れば、彼らが獰猛なヤンキー連中に圧倒的に劣っているとは思えなかった。
その気になって互いに連携をはかれば非ヤンキー集団で自警していくことすらできたのではないかと思う。
でも残念ながら現実では僕やレイプされてこぶつきになってしまうような子は愚鈍な存在として蔑まれただけだ。あのときお前も嘲って笑いものにしてたろうが。
僕の周りには粗暴で高圧的な「ヤンキー」と、相手の人となりで態度を使い分けて人を小馬鹿にして自尊心を満たそうとするしょぼくれた「優等生」しか存在していなかった。
個人個人の心象なんて知ったこっちゃないが、彼らはヤンキー集団と表向きはフラットで友好的な関係を築いていた。
時に彼らはヤンキーたちに混ざって酷い言葉や仕打ちをこちらへ差し向けた。
「公立学校の優等生」なんて小さい街の中流家庭育ちで赤点を取らずに歩んでこれただけで、世間一般からみて別段とりだてて秀でたものもなければ、その性根も身内が良ければ社会(集団)がどうなってっていいという卑しいものだ。
彼らの卒業後は持ち前の小手先の器用さで近隣府県の駅弁大や日東駒専関関同立クラスの大学に進学し阿保みたいなリクスーでリクルートの指南どおり就活とやらをこなして明日無くなっても世間が困るわけでもない会社に身を置いていまに至るって具合だろうよ。
27ぐらいで大学の同級生と結婚して埼玉県だか高槻市だかにお家を買って、そういう人生を辿ってない奴らはみんな馬鹿ですかそうですか。
それで今になって当時を振り返って、あたかも自分たちが唯一正気でいた人間で一番の被害者であるかのように語りだす。
貴方たちはヤンキーが怖かったんじゃないでしょ?ヤンキーや俺らと目線の高さを合わせたくなかっただけだ。
周囲を人の成り損ないと見なして見下してそれが貴方の面子の全てだったから、ヤンキーに向かい合ったり対話するなんて発想がなかっただけだ。
今の時代だと傍観者や観衆もいじめの加害者の一部として見なされるってわかってますか?
当然ですよね、職場で暴力事件があってそれを見て見ぬふりしてたら隠蔽ですよね?じゃあ学校でも同じ理屈が適用されて然るべきでしょ。
立場が下の人間が庇護者ということを盾にして上の人間に行う場合でもパワハラって認められるんですよ。
増田はある教師の弱みにつけこんでハラスメントを行った事件に加担したんだ。それらのこと自体から言い逃れできていいはずはない。
僕だって追い詰められて耐えらなくなって人に迷惑をかけたり、同族嫌悪で自分より酷い扱いを受けている人間を深く傷つけたことがある。
それは自分の資質に起因したものではなくてああいった環境でなければこんなことは起こらなかったし、決して僕だけのせいで起こったことでもないと内心では思ってる。
しかし人を裏切ったり傷つけた事実は確かにある以上贖罪として一生それはわすれてならないしその恥を背負いつづけなければならない。
そこから逃げることはどんだけ御託を並べようが卑怯な振る舞いとして批難されるべきだ。罪から逃げることが容認されれば弱者の居場所なんてなくなってしまう。
増田の様なこんな言い分が同情されまかり通ってしまうことが僕には悔しい。
大して苦役を味わったこともなければ他者への想像力も慈愛もない連中の自己中心的な物言いなんて優先され、弱者が封殺されるようなそんな光景どこでだって僕は見たくないんだ。
僕からすれば群れを成して強者にすり寄り弱者を足蹴にし、命じられた行動を遂行するか与えられた娯楽を共通言語として仲間の選別をすることしか考えていない増田たちのほうが貼るかに動物のようだったよ。
人間の感情とよべるほどに複雑な心の機敏があるのならば、あんなサル山のような統制の取り方なんてできたもんじゃない。
人間なんていつも矛盾を孕んでいるし単純に割り切って行動するなんて無理があるんだ。他者を愛でる気持ちがあるならお前らみたいに損得勘定で人を測ったりしないんだ。
お前ら淡泊すぎて気持ち悪いんだよ。本当に何も考えてないんじゃないかって不安になるわ。
お前らに比べたらヤンキーのほうがまだ人間らしかった。お前らが動物ならヤンキーは原始人かでっかい幼児って感じ。
その上で、上司が詰ってきたら、
じっと目を見つめて、
「そのようにいたします」
頭が良くなる確率は低いですが、頭をよくする以上に効果のあるお務めです
少し話題が離れますが、お仕事を責められたとして、責められたのは仕事であって、あなた自身ではないという態度は大切です
それは日々の意識の積み重ねで完成する態度です
そのためには業務を自分のためではない、頼まれたからやっている、賃金のためにやっているという事実に正面から向かい合うことが肝要です
業務を完全に遂行することはよいことですが、誰もがいつでも完璧な仕事をできるわけではありませんから、荒ぶる霊魂を治めるための呪文を知っておくことは生きていく上での便利な知恵です
つまり罹患者が発生した場合に損失となる人的資源の補給に関して及び措置による生産損害の補填方法の確立について計画立案及び主導による計画遂行のこと?
それだとしたら課長は職務分掌的に権限を越えた任命をしたことになるね
今自分がメインにしているカプに、とても精力的に活動している人がいる。仮にAとしよう。Aの個人誌は分厚いし、Twitterにも作品を頻繁に上げたりしている。
それだけではなく、Aは企画をするのが好きで、20人以上参加する合同誌やアンソロ、カプのウェブオンリーとかも主催している。リアルでのプチオンリーもやりたいんだと。
この界隈はそんなに規模が大きいわけでもなく、そういう全体を巻き込んだ企画をやる人は他にいない。そうして界隈を盛り上げてくれるような企画をやってくれるのは、それだけで見れば確かにありがたいことなんだと思うんだけど。
ここで、タイトルが効いてくる。壊滅的に、ないのだ。センスが。
合同誌、神絵師が手がけた表紙絵はいいがそこに載るタイトルがダサい。中のメニューとか後書きとか、そこで使っているフォントはデザイン優先なのか可読性が低くて情報が入ってこない。ウェブオンリーのサイト、これもダサい。バナーに使っているイラストはお友達に描いてもらったみたいでそれは可愛いんだけれど古の同人便箋よろしくな背景グラデもダサければロゴも合ってなくてダサい。とらにウェブオンリー申請したそうだけどそこに送ったバナーの解像度が低かったのかジャギっていた。令和の時代にそんなもの見ることになるとは。しかも自カプのウェブオンリーで。そしてサイト自体もとても見にくい。#444ぐらいの微妙なグレーに白文字、というデザインの問題だけではなく、参加要領とか当日の企画とか、説明の文章がそもそもわかりにくい。参加者への連絡も、何をしていいのかわかりにくかったり要望が多かったり。
さっきから「ダサい」しか言ってなくて文章だとやっかみにしか聞こえないと思うが、本当にダサいのだ。自カプのオンリーがこれだと思うと悲しくなってくる。逆カプ(地雷)のオンリーや別カプ(地雷)のオンリーはロゴがオシャレでサイトも見やすくて羨ましくなってしまう。デザインって愛だと個人的に思っているから、この企画の主催さんは本当にカプのことが好きだし、参加する人に対しても誠意を持ってるんだな、って思ってしまう。翻って、自カプ。自分の色眼鏡なんじゃないかと別ジャンルの友達に聞いてみたりもした。結果、意味はなかったけれど。
じゃあお前がデザインすれば?と言われもするだろう。そりゃしていいならするわ。頑張るわ。でもA、自分のセンスを疑うということをしないし、外にデザインを頼むということもしない。企画を遂行することをなんだか生き甲斐にしているようで、何でも自分でやりたがって人に頼まない。頼まれてもいないのに「デザインやりますよ!」と言える程の関係性でもなければ図々しさもない。
じゃあお前が企画すれば?と言われもするだろう。いやでもこんだけ頻繁に企画立ち上げられていつやる隙があるの?と思う。Aは「他にやってくれる人がいればな~」的なことを言っていたそうだがこんな頻度で企画されたらなかなか他の人は手を挙げづらいし当てつけのようにもなるし参加する方も大変だ。普通の即売会だってあるし。
最近この界隈も人が減ってきた。閉鎖的なのが原因だと思うけど、それをAは嘆いているらしい。でも、この界隈を「村」みたいにして「村長」やってるAがそれを嘆くのはなんだか愉快だな、と思う。自然(自カプそのもの)の魅力しかない村は過疎っていくよね、やっぱり。しかも閉鎖的なら尚更だ。
センスがないことは、それ自体は罪じゃない。自分の創作だったら自分のセンスで好きにしたらいいと思う。
でも、他人や界隈を巻き込むなら話は違ってくる。オンリーやアンソロは言わばそのカプの「顔」のようなもので、界隈の外から見た時に「このカプってこうなんだな」と思われてしまうものだから。純粋にかっこわるい。それがしんどい。
きっと今度やる企画もそうなんだろうな。企画が生き甲斐っていうけど、自カプ利用しないでくれよ~~~~と思ってしまった。自分の創作を生き甲斐にしてくれ、頼む。
まず、幸福とはなんぞや?
という話から始めることになるわけだが
これはこれで正解がない問題に思える
ブコメには当然、
みたいな文字列が並ぶし、まあ、自分も大喜利としてそう書きたくなる気持ちは山々なのだけど、
でも、俺はこういう科学的な探求はすごくいいと思うんだよなあ
幸福=〜です!
そこからスピリチュアルな話を展開するとか、微妙な論文を持ってきて、さも科学的な話に見せかける
ライフハック!って感じであるw(これもゴミみたいな用語になってしまったよなあ
でも、日立の幸福度の研究はそういうものではないように思っている
例えば、社内で人の移動する量が多いほど幸福感が高まるのではないか、という仮説が出てくる
ここで短絡にこれを結論にしてはならない
移動するほど幸福なら、キャノンの座らせない工場とか滅茶苦茶社員は幸福ということになる
個人的に考えても、そうなるようには思えない
ただ、社員が社内を移動した量、というパラメータは当たり前だが計測しなければ見えない数字だ
(計測するためには会社のセキュリティーカードのデータ、Bluetoothのビーコンを持たせて位置推定をするのもありだと思う)
計測しないで、地頭だのコミュニケーション能力だの言い始め、こうすべき、という結論を持ってくる
疑似相関だろうが因果関係が不明だろうが、まず仮説にはたどり着かなければならない
幸福とはなんぞや?という正解があるんだかないんだか分からんテーマに、
日立のこの研究はまったく間違ってない、科学的考察として非常に正しい展開だ
データも取らんで、なんとなくこうなんじゃないの?で語るのが寧ろダニング=クルーガー的だろう
ただ、データから短絡に疑似相関を正解にしたりするなら、本当にディストピアであって、
ブコメに書かれているような皮肉の対象としては適切なんだと思う
自分もブコメに自信を持ってそう書くだろう(https://www.youtube.com/watch?v=bK95lWHl7js
そういえば、部下を上司の相性で決めていい、みたいな話が増田に前にあった気もするが、
自分なりに科学的に考えるなら、そんなもん、何の実験も検証もしてないのに分からん、としか言いようがない
これも、相性とはなんぞや?という話になってぼやけてしまうが、
自分なりに考えるなら、とりあえず相性はなんとなくでもいい、10点満点中何点というアンケートでもいい
いや、本当は良くないが、相性と会社の業務遂行能力が比例するのかの問題を優先したいので、敢えてそうするわけだ
会社の多くの中間管理職に協力してもらい、相性の数値データを取る
そういう蓄積をせめて数年やってから、上司は部下を相性でセレクトしていい、というならまだ理解できる
それから人同士の関係というならグラフ理論にも持っていきやすいのではないだろうか
Googleなどの検索エンジンのページランクみたいなものである
有向無向グラフ、隠れマルコフなど色々な数学的要素が頭に浮かびやすい
という繰り返しもないのに、
寧ろ、そういう努力を怠って、科学的な話もヒューマンな話も安易に結論を語るなよwなんか最近の世の中病んでるよなあ…
痩せないとなあ
人間関係がギスギスしている。いつもエアdisが飛び交っている。正義感か何か知らないが、わざわざ突っかかっていってつまらない出来事を詰り続けることも頻繁。気に入らない人間に対しては「お前の話など絶対に聞かない」オーラ全開で、それまでニコニコ饒舌でもこちらが口を開いた瞬間に表情が曇ってそっぽ向いて黙りこくるとか。
業務は垂直分業で担当一人での遂行するのは当然。わかっている人が自分以外にいないから相談相手がいない。そもそも前述のような状況だから相談以前の問題。期限は短いし、落とし穴ばかりだし、内容は全くおもしろくない。いちいち難しいからいくら説明しても客は理解できず怒りがち。電話は多いし来客も多いしヘルプに来ないことも多いし。
寒いしうるさいし狭いし背後のフロア内の人通りが多い。気が散る。複合機待ちの行列なんなの。何をそんなにコピーor印刷してんだか。
座席配置がひどい。離島からは大陸が見えないから状況がつかめない。話が聞こえなくて業務上の話題にもついていけない。背後からの監視と嘲笑がつらい。
※オタクのめんどくさい話です。これ見て体調崩しても責任は負いません。あと長い。
アイドルマスターXENOGLOSSIAをご存知だろうか。
(アイドルマスターについては多分はてなにいるほとんどの人が知ってると思うので説明はしません)
アイドルマスターXENOGLOSSIA(以下ゼノグラシア)は2007年に放送されたロボットアニメになります。
アイドルとかじゃなくて、ロボットアニメ。いやまあロボットのことをアイドルって呼ぶとか、関係がない訳ではないんだけど、本来のアイマスとは完全に別の作品。アイマスが原案だけど、設定もキャラの感じも何もかも違って、黒歴史って呼ばれてたりする。
エヴァとガンダムを混ぜてアイマスの香りを添えたゼノグラシアの内容を簡単に説明すると、iDOLっていう隕石除去ロボットを操縦する、選ばれし女の子『アイドルマスター』たちの成長物語です。
世界のために日々奮闘する中、敵が出てきて戦ったりするけど最終的に世界平和!みたいな王道ストーリー。
メインキャラの女の子たちはアイマスのキャラだけど、見た目が似てるぐらいで、声優も違うし性格も体型も違ったりする。
ゼノグラシアはアイマスとして見なければ良作アニメだと思う。内容もちゃんとロボットアニメだし。
ただ、ずいぶん前だけど、見た当時の私は若干アイマスとして見てしまったばかりか感情移入しすぎてしまった。
ごめん、前置きが長くなったけどここからが話したかったことです。
私はデレステをやってた延長でアイマスに手を出し、そしてどっぷりハマった。菊地真ちゃんが好きで、色々調べていくうちに黒歴史と呼ばれるアニメを見つけた。
それがゼノグラシアで、別にキャラと分けて見たらいいのでは、と軽率にDVDを借りに行った。
そうして体調を崩した。
見たのが本当にだいぶ前で、うろ覚えだけど久々に思い出して吐き出したくなったので、当時の思いを今から書きます。文章は下手です。あと当たり前のようにネタバレするよ。
ゼノグラシアでも真ちゃんが好きだった。かっこよくて可愛くて、真ちゃんばかり目で追っていた。
ゼノグラシアの彼女はクールキャラになっていた。公式サイトから引用すると「天才アイドルマスターで、非常にクールな性格。訓練や努力をほとんどしないが、ひとたびアイドルのコクピットに座れば、つねに最高のパフォーマンスを披露する。」という天才でクールだけど何かしらの葛藤が描かれるんだろうな、っていう感じのやつだった。
アニメが始まると、主人公の春香ちゃんがなんやかんやあってアイドル、つまりロボットに乗ることになっていった。
それでそのロボットのある施設に行くんだけど、ロボットに乗る資格があるのは春香ちゃん、真ちゃん、そして伊織ちゃんという女の子3人だけっていうことがわかる。でも施設には2体のロボしかいなくて、しかも1体は動かない。は?ふざけてんのか?
なんか適正する奴がいなくて、才能がある奴しか乗れねーんだよってことらしい。元々いた真ちゃんと伊織ちゃんは、もう1体の動くロボ『ネーブラ』を奪い合う形で動かしてた。つっても天才の真ちゃんがほとんど乗ってたけど。
まあ乗ってみっか!ってしたら春香ちゃんがあっさり動かん方のロボ『インベル』を動かしちゃって適正があることが判明する。主人公属性だね。
真ちゃんは自分でも動かせなかったインベルを、不慣れとはいえ簡単に動かす春香ちゃんを見て、ちょっと心が乱れてくる。
そんで春香ちゃんと伊織ちゃんはロボには心があるって主張するんだけど、真ちゃんは「心なんてない。こいつはロボットだ。道具だ。そんなことを言っているといつか大きなミスを犯す」って言う。
実際ロボットに心があると思っている勢は、ロボットも痛みを感じると思ってるから、ロボットを傷つけまいと任務を完璧に遂行できなかったりしてしまう。
心があると思っている春香ちゃんと伊織ちゃんはロボットを労わるけど、人類を守るという任務を完璧にこなすことはできない。
心はないと思っている真ちゃんは、ロボットを物として扱うけど、任務を完璧にこなす。
どちらが正しいかなんて無い。
そんなある日、とあるシステムが導入される。それはロボとロボに乗る者のチューニング。
存在自体がふんわりしてて説明が難しいんだけど、ロボットとの相性、心がどれだけ通っているか、一つになっているか、それを音として聴ける?的なやつらしい。
真ちゃんとロボットの相性は悪くなかった。チューニングした時に奏でる音色は素敵なものだった。だけど繊細で、脆くて、壊れそうだった。
そして、真ちゃんと伊織ちゃんの結果を比べると、能力としては真ちゃんの方が断然上だった。
その結果から、ロボには伊織ちゃんが乗ることになり、真ちゃんはサポートに回ることになってしまった。アア…………
真ちゃんはそれが信じられないし、受け入れられなかった。
だから、伊織ちゃんがロボに本格的に乗るかどうかのテストの時、システムをハッキングして、実質的には伊織ちゃんの任務を失敗させた。
それは、春香ちゃんと伊織ちゃんの主張する 「ロボットに心がある」ことを試すためでもあった。
任務が失敗になり、伊織ちゃんが大怪我を負ったあと、真ちゃんは呟く。
「やっぱり無いじゃないか」
真ちゃんは生まれてからずっと、施設で訓練を受けていた。ただの天才じゃなくて、ちゃんと乗るための資格を自分で得るために。
彼女には「お姉ちゃん」と慕う人がいて、血が繋がっていたりする訳じゃないんだけど、真ちゃんが小さい頃からの仲で、尊敬している人だった。
ひたむきに訓練をするのはこのお姉ちゃん、あずささんのためでもあった。
あずささんは昔、真ちゃんが今乗っているロボのネーブラに乗っていた。だけど事故によって大怪我を負い、もうロボに乗れなくなってしまっていた。怪我は治っても、ネーブラが乗せることを拒否したから。
それを見た真ちゃんは、ロボットには心なんてなかったと絶望してしまう。そうしてお姉ちゃんのために、お姉ちゃんみたいにならないために、頑張ってきた。
そんな中、ロボと彼女たちは任務としてアイスランドに赴く。まだ誰も手にしたことのないもう1体のロボを回収するために。敵もその情報を握っていて、お互いはロボを奪い合う形で戦う。
でもその未確認のロボは、なんとマグマの中央に埋まっていた。さらに敵は人工的に作り出したロボで真ちゃんに挑む。
(言うの忘れてたけどロボは人が作ったものでなく月から生まれた?もの。多分)
一刻を争う中、真ちゃんは自らの判断で、司令官の許可なくネーブラを動かし、マグマの中に飛び込む。上はロボの回収を任せてサポートする。
敵は真ちゃんを追いかけ、マグマの中で戦闘を仕掛けてくる。真ちゃんはそれに応じるが、敵にネーブラの方腕を引きちぎられてしまい、うまく動く事ができなくなってしまった。
真ちゃんは半パニック状態に陥り、片腕の状態でなんとか進もうとする。ネーブラも真ちゃんも、次第にマグマに耐えきれなくなっていく。
上はやめるように指示する。でも大声で呼びかけても真ちゃんにはそんなものは聞こえなくて、ひたすら「だめだ、だめだ、だめだ、だめだ」と叫びながら進もうとする。
「だめだ、だめだ、だめなんだよ!お姉ちゃんみたいになっちゃだめなんだよ!失敗したら、全部終わるんだ!全部!」
その時、ネーブラは急に動作を停止してしまった。司令室に繋がるモニターも途切れ、真ちゃんはマグマの奥底で動けなくなる。
なんとか春香ちゃんがネーブラと真ちゃんを助けるけど、敵に未確認のロボは回収されてしまう。
ネーブラも真ちゃんも無事だった。施設に帰ると、真ちゃんは整備班に「ちゃんと整備しなかったから動かなかったんだ」と詰め寄るが、整備の人は「整備はちゃんとされていた。なぜ動かなかったのかはあなたもわかっているはず」と言い放つ。
真ちゃんはお姉ちゃんと慕う主任のあずささんに自宅謹慎を命じられてしまった。
真ちゃんのいる家に、同居しているあずささんが帰ってくる。慰めの言葉をかけるあずささんに、真ちゃんは「そんな上辺だけの言葉はやめて」と返す。
ごめんね、そう言うあずささんは真ちゃんを抱きしめる。泣きながら、真ちゃんはしまいこんできた想いを吐き出していく。
ずっと、ずっと頑張ってきた。ボクがいくら上手く操縦しても、お姉ちゃんは見てくれなかった。
お姉ちゃんはロボットと、春香ばかり見ていた。褒めてくれなかった。見てくれなかった。頑張ってきたのに。
小さい頃から、真ちゃんはあずささんに褒められるように、認められるように頑張ってきた。
それなのに初めて任務を遂行させた時、報告してもあずささんはすごいわね、と言うだけで見向きもしなかった。
そこで、要約するとあずささんはあなたのことをいつも心配してたよって言ってくる。
そうして、真ちゃんにあずささんから電話がかかってきた。話があると。
あなたの今後について決まったわと電話で言ったあずささん。施設に行く真ちゃんは、吹っ切れたような柔らかな笑みを浮かべていた。
真ちゃんは、お姉ちゃんから「ロボットに乗る資格を剥奪する」ことを告げられた。
笑みが消えた。
そうして悪堕ちした真ちゃんは絶対に倒すと決めていた敵の仲間に自分からなりにいく。
敵の方で前回回収した新しいロボに乗れることになるけど、色々葛藤があったりする。しんどい。
なんやかんやで最終決戦的なやつになる。
体調が最悪だったのでここからはマジでうろ覚えなんだけど、殺されそうになったあずささんを真ちゃんが守る場面があるんすよ。
さっきまで「ボクを裏切ったあの人を後悔させてやるんだ」って言ってたのにね…………。
そしてお姉ちゃんは死ぬ。真ちゃんはあずささんのつけてたネックレスをつける。
なんかでかい隕石?だったかな、それが降ってくるのを止めるために春香ちゃん、伊織ちゃん、真ちゃんの3人で宇宙に出て止めて、爆発して死んだと思ったらロボ達に守られて生きてた。
?????
いや、良いアニメなんよ。でも真ちゃんが好きで感情移入しすぎたばっかりに体調を崩した。数ヶ月引きずった。なんなら今もふと思い出して無理。
後日談としてドラマCDで真ちゃんは宇宙飛行士になってるらしいんだけど、無理、そこまで見れん。
この真ちゃん悪堕ちから出戻りの文章は、当時しんどさの余り友達にLINEでぶちまけたものを元にしてます。
友達へ、あの時はごめん。ほんとにありがとう。聞いてくれて助かりました。
その当時のLINEにも書いたんだけど、なんか、真ちゃんがもうちょい救われてほしかった。
あずささんが真ちゃんに謝ってるシーンもあったけど、違………手遅れなんだわ…………………利用してたじゃん…………。
途中でむしろ殺してあげた方がいいって思ってた。悪堕ちして表情が死んでた辺りとかで。
主人公補正にここまで怒りと悲しみが湧いたのも初めてだったな……。
救われない役を好きになったり、悪役とかを好きになることが多くて困る。あんまり正義主人公とか好きになれんし…………。
とまあここまでクソ長語りしましたが、私個人の感想だし、普通に良いアニメなので気が向いたら見てみてね。主人公の春香ちゃんがロボと水着デートしたりいちゃいちゃしたりするよ。
私は二度と見ないが。
新型コロナが蔓延して世の中が規制や対策だらけになった今、私の趣味であるライブ鑑賞もその被害をこうむっていた。
新型コロナの脅威が世間に広まってきた頃のイベントは悉く中止になり、高額なチケット、倍率が高いチケット、当日にでも買えるようなチケットも含めてそのすべてが払い戻されてしまった。
新型コロナをひどく恨んだが、受け入れる他にない。
大阪のライブハウスでクラスターが起こって問題にもなり、特に私が好きな音楽ジャンルはモッシュなど人が激しく接触しあうことが多いため、よりコロナ禍での開催は絶望的であった。
ライブから距離を置かざるを得なくなった私の休日はただ引きこもるだけのものとなってしまった。
それで困っているのは当然、私のようなライブを見に行くことを趣味にしている人たちだけではない。
ライブが出来なくなって一番困っているのはそれを食い扶持にしているアーティストたちやその関係者である。
お客を呼ぶことができず閉店したライブハウスは少なくなく、私は目にしなかったがコロナを理由に解散せざるを得なかったバンドもいたかもしれない。
だが、ライブが出来なくなってしまってもバンド業界はまだ諦めてはいなかった。
配信ライブや物販、新曲のCDやそのサブスクの収益によってなんとか食いつないでいる印象であった。
ライブに行けなくなったものの、好きであるバンドやアーティストをフォローしたい一心で配信ライブも見たし物販でたくさんのグッズも買った。
単純に自分が見たいから、欲しいからといった理由もあるが、いつかまたライブが見れるようにとその投資の意味も込めていた。
趣味のほとんどをライブにつぎ込んでいたためライブに行かなくなれば財布が潤うかと思ったが、上記の理由でライブがあったころよりもさほど支出は変わらなかったほどである。
そんな生活もすでに半年以上が経ったが、コロナの感染拡大は抑えられ徐々に有観客ライブも開催されるようになってきた。
配信ライブではやはりどこか物足りなさを感じていた私にはそれはとても喜ばしいことで、しっかりと対策をして安全にライブを遂行して見せたイベントの報告がSNSで目に入るとまたライブが見れるんだと心躍った。
そんな矢先、私の好きなバンドが一度に集結するイベントの告知がSNSで流れてきた。
開催するライブハウスはキャパが300名ほどの小さなライブハウスだが、コロナの対策は徹底しているようだ。
マスクの着用はもちろん、体温チェックやコロナ追跡システムの利用も必須であった。
そう思った私はすぐさまチケットを購入した。
そしてその当日。
ライブイベントの参加は実に10か月ぶりで、コロナ禍前ならば1か月に2回以上は見に行く私にとってやっとここに戻ってこれたという思いであった。
目当てのバンドはその日出演する4組その全て。
私より年下である彼らが音楽で頑張っている姿はとてもかっこよく、強く憧れていた。
そんな彼らの音楽がまた生で聴ける。
この日のために諦めないでいてよかったと大袈裟にそう思えた。
ライブハウス前に並ぶと予告の通り体温チェックもされ、コロナ追跡システムの利用もお願いしていた。
他のライブ仲間から聞いた話によると、普段スタンディングが主なイベントでも今は対策により席が設けられていると聞く。
今回のイベントのページにはその類のことは記載はされていなかったが、いざ会場に入ってみるとそこに席はなく格子状にシールが地面に貼られているだけのものであった。
特に場所の指定もなく間隔もやけに狭い気がするが、会場に入った観客たちはそれぞれ好きな場所のシールの上で待機している。
規制も緩和されたことだし、小さいライブハイスだからだろうか。
席があったところで恐らくライブ中は立ち見することになるから、別に構わないか。
などと楽観的にそれを受け止めた私だったが、それが最初の違和感であった。
特に観客とステージの間にはテレビで聞いていたような透明なパーテーション等もなく、ボーカルは最前の観客の間近で歌い上げる。
ここにも若干の違和感を感じたが、1組目から容赦のない爆音が浴びせられ私は先ほどの細かい違和感などすっかり忘れてしまっていた。
他の観客たちもいつもなら激しく走り回り、腕を振り、歓声をあげるところだが、それは各々で自粛しながら音楽を楽しんでいる。
その時、私は一見ルールがないようで危険だらけのカオスな空間の中でも"思いやり"が垣間見えるこの音楽シーンの空気が大好きであったことを思い出した。
これならライブがまた見れる。また通うことができる。
これほど嬉しいことはないと、この時までは本当にそう思っていた。
こんなこと、いつものライブイベントではよくあることで慣れていたはずだが、この時ばかりは完全に意識をしていなかった。
振り返ると、そこにはサークルピットが出来ておりその中では数人の観客が所謂ハーコーモッシュをしていた。
この音楽ジャンルのシーンでは当たり前のことなので普段ならその行為に苛立ちを覚えることもないし、むしろ普段なら自分もあの中に混ざっていっただろう。
周りの観客の反応も少し驚いた様子であったが、これといった嫌悪感を示しているわけでもなさそうに見えた。
しかし、この時の私はどうしてこんなことをするんだと思ってしまった。
やっとのことで規制が緩和され、これから徐々に、少しでも元のライブの姿に戻したい気持ちは痛いほどわかる。
だが、モッシュなど他の観客と激しく接触するには時期尚早だと私は思っていた。
本当はモッシュが見たい、させたいのだろうがイベントを安全に遂行するためには致し方なく、こういった規制の中でやることを余儀なくされて、またそれを了承したと勝手に思っていた。
今起こったのは興奮した観客のただの身勝手な行動だと。
しかし、モッシュをしていた観客が放った一言でそれは私の勘違いだと思い知る。
『広がれ!』、それはよくバンド側がモッシュピットを煽るときに使う言葉だ。
観客は自分の興奮を抑えきれなくなったから起こしたわけではなく、バンド側がやれと煽ったと主張したいようだ。
(どういう成り行きでその観客がその一言を放ったのかよくわからないが、大体予想はつくし子供じみた言い訳のようで癇に障る)
爆音の音楽が流れる中でその言葉を聞き逃していた私だったが、恐らく本当なのだろう。
バンド側が興奮して抑えきれなくなって放った言葉なのか、いつもの癖で叫んでしまったのか。
そのどちらにしても、観客同士の接触を煽ったのには間違いない。
それは『このイベントではモッシュを黙認しているのか?』という疑問である。
ただ実際のところそれは黙認されており、ライブハウスの場合だと事前にモッシュ禁止とすら周知されていない。
今回のイベントでも特にモッシュ禁止との記載は特に明記されていなかった。
私はこのコロナ禍で、規制や対策をしている中でモッシュはさせないだろうと高を括ってしまっていたのかもしれない。
しかし、まだ始まって1組目。
もしかすると、以降のバンドではモッシュ禁止の注意喚起をしてくれるかもしれない。
そんな不確かな希望をもって私は2組目のバンドのライブに挑んだ。
2組目のバンドも激しい音楽をするが、1組目と比べるとモッシュが起きにくい仕上がりであった。
このバンドのライブを過去に何度も見たことあるが、このバンドだけモッシュが起きなかったイベントは多々見たことがある。
ただそれは音楽的魅力に劣るといったわけではなく、むしろ私としてはこの日一番の目当てでもあった。
1組目と同じく、ライブの中盤にかけては観客に大きな動きはない。
皆、その場で体を揺らすなり拳を突き上げるなどして楽しんでいる。
先ほどのは何かの間違いだ、そう思えるような私が思い描いていた理想の形としてライブが進行していく。
だが、再び終盤で1組目と同じことが起きた。
ボーカルが両手を使い、扉をこじ開けるようなジェスチャーをする。
その煽りに乗せられてフロアの中心が開き、両サイドから観客の波が押し寄せてフロアの中心は再びモッシュピットと化した。
この時、1組目のことでまたモッシュが起こるかもしれないと身構えていた私は後方に下がっていたので誰かと接触することはなかったが、
そのモッシュで何人もの人が激しく接触しているのを私はただ眺めていた。
2組目が終わり、次に3組目が始まるまでの時間で私はこのままイベントに参加するべきかどうか考えていた。
モッシュがー、接触がーなどと異常にコロナを恐れるなら出ていけばいいと言えばそれまでである。
私も正直なところコロナの脅威に対しては懐疑的であり、本当はこれほどの規制をするほどではないのではと普段は考えていたので今に思えば不思議なくらいどこか神経質になっていた気もする。
私個人の及ばぬ考えでコロナ禍におけるライブのモッシュの有無など決めつけれるはずもない。
ならばモッシュをしたい人はすればいい。私は人と距離を取って、意地でも安全にライブを見て帰る。
そう決めた私はそのまま3組目の開演を待つことにした。
そして始まった3組目。このバンドも私の大好きなバンドの一つだ。
他の観客からの人気も絶大であり、これまでの2組と比べて登場した瞬間からその熱量は段違いであった。
この時から、他の観客は大きな歓声をあげるようになる。
10か月待ったライブイベントを、複雑な気持ちを持ったまま終えたくないとそれだけを考えていた。
そして、そのバンドが颯爽と1曲目を終えると突然ボーカルが叫び出した。
「お前ら!動画を消せ!」
それはスマホで彼らのライブ姿を撮っている者たちに向けての言葉であった。
撮影禁止は珍しいものではなく、モッシュ禁止が無視されていても撮影禁止が無視されることはないだろう。
撮影禁止のライブでスマホを掲げていればスタッフが止めに入ることが多いが、
バンドのボーカルがステージ上でそれを叫ぶのは少し珍しく感じた。
また、小さなライブハウスでやるインディーズバンドだとライブの撮影を禁止しているバンドは少ないためより違和感があった。
「ネットに上げたやつも全部消せ!」
そしてすぐにその焦りの正体がわかる。それはモッシュだ。
予想でしかないが、観客がモッシュをしている姿を、またはバンド側がそれを煽る姿をネットに晒したくはなのではないだろうか。
そう勘繰らざるを得ない。
ボーカルは続けてこう発した。
「これは俺たちのカルチャーだ」
もはや、その言葉をまともに受け止められる精神状態でなかったため彼の主張したいことを
ちゃんと理解しているか不安ではあるが、以下の主張になると考える。
『だが今は公にはできない。だから動画は削除して、自分たちの居場所を守ってくれ』
『動画を消したことでバンドと観客はコロナ対策を謳っているにも関わらず、
実態は過剰な接触を繰り返していることを一緒に隠蔽している関係になる』
私の中の彼のイメージが大きく崩れた瞬間であった。
モッシュがこの音楽シーンの文化であるということは私もそう思う。
残していきたい、守っていきたい対象だ。
だが、今は全く状況が違う。新型コロナの感染を考えれば、その場にいる人間だけの話ではないのは誰でもわかる。
それはバンド側もわかっていることだろう。だからこそ、動画を削除させる。
カルチャーという言葉を使えば無条件に守ってもらえると思っているような口ぶちだが、自由とは他人に害を与えない範囲で有効であるべきで、今のこの状況で隠してまで行うものではないはずだ。
それでも、仮にモッシュをしたい人たちだけでやるのであればそれはイベントのページに明記するべきであり、そうすれば私のように意図せず共犯者に仕立て上げられる人も減るだろう。
そして最後に、彼はこうも続けた。
「俺たちは今回のイベンターに『ライブ』をさせてもらうと宣言して、了承してもらってます!」
今回のライブはとあるイベンターが主催したイベントであるため、バンドたちはそれに呼ばれた形となる。
そして彼のいう『ライブ』とは、観客がその場から微動だにせず声もあげない状態を指すものではない。
彼らからすればモッシュがあってこそのライブ、それを言いたいのだろう。
そしてそれを主催者側が了承したということは、この隠蔽も了承したということだ。
恐らく20代が大半を占めるバンドメンバーたちで決めてやったことならまだ青いところがあったなと思えるが、主催者側もそれを了承しているのはどうかと思える。
そのままライブは続行されたが私は他の観客と違い動き回ることもせず、シンガロングすることもせず、ただ腕を組んで地蔵状態でライブを傍観していた。
無表情を貫いている私と違い、他の観客は大いに盛り上がっている。
モッシュをしていた。ダイブをしていた。シンガロングをしていた。
彼の言うこと、やること、その全てに賛同していた。
本当に彼らのやっていることは正しいのだろうか。
自分の考えが間違っているのだろうか。
自問自答を繰り返しているうちに、曲が耳に残ることもないままそのバンドの演奏は終わった。
4組目も、私の本当に大好きなバンドだった。
存在を知って3年も経っていないが、すでに5回以上はライブを見ている。
彼らにはつい最近出した新曲がある。私はそれのシンガロングが歌えるほどすでに聴きこんで準備をしていた。
だが、今の状態ではまともに聴くことができないのは明白だった。
また1,2組目のようにモッシュを煽ったり、3組目のボーカルのように何かを主張してくれば自分の中のイメージが壊れるのが怖かった。
このイベントに参加しているということ自体がすでにそういうことなのだろうが、
それを突き付けられるのが怖くて私は4組目が始まる前にこの会場から出ていくことにした。
帰り道、泣いてしまうかもと思ったが意外と涙は出ず、ただぽっかりと心に穴が開いたような感覚だった。
いつもの帰り道ならイヤホンをして電車に揺られているはずが、その日はイヤホンもせずに少しばかり離れた駅まで無駄に歩いた。
ライブを取り戻したい。その思いは自分もバンドも同じなのにどうしてこうも食い違ってしまったのか。
こうやってなかなか会議や打ち合わせを打ち切らず、いつまでたっても判断や決断をしない上長ってやっぱり優柔不断なのかな。
あたかも「もっといい相手がいるのではないか」といつまでたっても結婚できないアレに酷似している。
結婚は最終的にしたくなければしなくてもよいが、業務についてはプロジェクトそのものが凍結でもしない限りは遂行しなければならないわけで、いつまでも判断や決断を先延ばしにするのは得策とは思えない。
他にもっとよい意見や方法があるのではないかを探し続けるよりもむしろ、これと決めた物事に対して「責任」と「覚悟」をもって「遂行する」ことに注力したほうがよいと思うのだ。
俺ら普通の社会人は従来なら数時間の移動時間と1日の大半を職場で仕事に費やし、残業さえあって家帰って家事やら自炊やら勉強やらしなきゃ行けなかったので
異性を探す時間的余裕や努力さえわずかにしかできなかったわけだが
働いてないに等しい無職同然のチンピラやDQNはその女を漁れるに取れる時間が、単純計算で俺らの8倍くらいはあるから、競争的に不利だったんだなとテレワーク初めて思った
よほどのバカやガイジでない限りは、普通の人の8倍くらいなんらかのタスクを遂行できる時間を充てられたら、そりゃセフレや本命くらいは余裕で作れるだろうよ
キモくて金のないオッサンは…なんてマジで言い訳にすぎないと思うわ、あいつらだって金持ってねーじゃん
共産主義は平等ではなく全体主義だよ。適材適所で人を配置すべきって感じで、全体のために個人の好みや考えは無視して適性のある職業につけって感じ。
才能や知能の高い人だけ難度の高い職業に「お前はこの仕事につけ努力し続けろ」という感じ。
生き延びるのが困難な宇宙環境で全体のために全体が生き延びるために各自が適材適所で余計なこと考えずに頑張って遂行しろみたいな状況には適した考え方だけどな。
タイトル通りなんだけどあまりに厨二くさくて恥ずかしいので書き捨て
いい大人になっても、というより歳を食ったからこそ、なにも考えない頭が欲しい
自分の代わりに自分を遂行するプログラムを頭に埋め込んで、残りの人生を代わりに運営して欲しいんだ
代わりに自分の自我が死ぬならそれは大歓迎なのだが、ロボトミーなどがこれに当たるのだろうか
悲しいとか辛いとかのそういう負の感情だけを消したいんじゃなくて、
自分が何かを感じることや思考することそれ自体がとても嫌なんだ
これが好きという反応を脳が起こすことそれ自体が凄くストレスになる
好きなものが他人と違うとその瞬間から自分の狂いを認識して耐えられなくなる
みんなと同じ感情にしたい 自分の感情ではなくて正解の感性と思考が欲しい
間違ってる自分が感じる全てを捨てて平均と同期したい そう、脳を同期したい
本当にそういうものがあると信じているわけではないんだけど、
理想像として世界の平均を演算するサーバーから思考を常時同期して
それに合わせて動くものに変えて欲しい
自分がなくなって欲しい 自分の考えること感じること全てが気持ち悪い
自分の好きも嫌いも苦しいも痛いも全部間違ってるのに間違っているものを持ちたくない
正解にしてほしい はやく自分を消してほしい