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はてなキーワード: 進学校とは

2022-04-12

「できない」ことの辛さを勘違いしていた話

ちょっと吐き出しがてら書いてみる。反応はプギャるのか同情するのか「他責思考のクソ野郎死ね!」なのかまあいろいろあるかもしらんけど、似たような境遇の人がいたら自分だけじゃないんだなと思ってもらえれば嬉しい。

人によってはかなり鼻持ちならない文章に感じられるとも思う。そのような感想を抱いた方には予めお詫び申しあげる。

自分で言うのもなんだが、私は勉強がかなりよくできた方だと思う。(※1)

小学校はいじめられていたが、勉強がよくできたので中学ではそこそこクラス内での「地位」が上がった。

地方でいわゆるトップ校というやつに進んだ。自称進学校では恐らくない。東大にも割と行くし、生徒に一律に大量の課題を出すようなこともないので、まあ自称ではないだろう。そこでもだいたい上位20位くらいにはいた。

高校では部活動所属しており、部自体県予選をたまに突破するくらいには上手く、その部の中でも割と上手い方であったと思う。

まり勉強しろ部活しろ割と「できる」方であったのだ。たか高校の話と言えばそれまでだが。

大学東大に進んだ。教養課程留年してしまったが、自分の興味関心にうまくはまる専攻を見つけてから毎日がとても楽しかった。(東大は2年の夏に専攻を決める。それまでは「文科一類」「理科三類」といったざっくりとした区分があるだけで全員教養学部所属である

まあ、自分は「できない」のだなあ、と深刻に思うような事態にはほぼならなかった。

そして新卒入社して3年目。

同期に置いていかれること甚だしい。なんなら、1年遅く入ってきた人にも劣る。

同期は既にプロジェクト内で自分から提案をしてプロジェクトを動かしていると言っている。私は新人同然の立ち位置だ。自分から提案ではなく上司からタスクを振られ、会議では特に発言も期待されず勉強のために参加が許されるだけ。

自分担当タスクは遅延している。

サボっているわけではない。このままいくと遅れそうだという報告は3日前・1週間前などに適宜上げているつもりではあるし、上司タスク方向性相談を適宜行って手戻りを防ごうとしたりはしている。でも、結局上司と会話する度にひっくり返され、遅延している。知識不足のせいで完成形に必要ものを私がイメージできていなさすぎるのか、単にコミュニケーション問題なのか、上司の指示が曖昧すぎるだけなのか、よくわからない。

「できない」立場がこれほどつらいものだと知ったのは初めてかもしれない。

「できない」人には成功体験を積ませて褒めればいい。そう思っていた。実際、そういう指導学生時代塾講師アルバイトでもしていた。

でも、そういうことではないのだ。「同期はあんなにできるのに自分はこんな簡単なことで褒められるような存在なのか」という落ち込みがあるのだ。これではどうしようもない。

昇進などでできる人が先に上に行くのは当たり前で特に落ち込むようなことでもないと考えていた。

そういう話ではないのだ。明らかにできる人というのは確かにいる。そうではなくて、同期の中でも普通レベルの人にも大きく劣る状態なのがあまりにも情けなく、悲しいのだ。

勉強しろ、その通りだ。会議資料を見返して疑問点を整理したりするのはよくやるし、必要と思われる知識過去成果物などを適宜調べたりもする。ただし、疑問点があまりにも多すぎて追いつかないのだ。疑問点は日々増えていき、解消が追いつかない。疑問点解消の優先順位づけすら困難だ。まさしく「何が分からないのか分からない」状態である

そんなことを言いやがって、仕事なら何が何でも役に立てよ、価値を出せよ、全くその通りだ。そのためのやり方が分からいから苦しんでいるのだ。

まあ、やれることをやるしかないというのはその通りだ。まあ、やるしかない。

さすがに去年よりは今のほうが仕事ができている。でも、仕事活躍するイメージが湧かない。悲しいなあ。

(※1)あ、さすがに灘や開成中高一貫トップ校の上位層とは比べないでほしい。例えば理三や数オリ日本代表なんて人たちと比べられても困る。地方の非中高一貫校の話としてとらえてほしい。

2022-04-10

SNSで人々の思いを代弁する理由

さっき昔のツイッタースクショを見た

俺がなにかの事件に物申したかなんかのツイートフォロワーの高1女子がいたく賛同していた

進学校の生徒らしく女の子だけど意見がハッキリしていた

俺が代弁しているか共感してくれて嬉しかった

その夏にデート約束をしたくらい なんか信頼されていた

小4の時、みんなが嫌いな担任を泣きながらローキック2発喰らわせたらその日からクラスヒーロー扱いされた

今は暴力はやめて言葉で戦っているが みんなの気持ちを代弁することで一人ひとりに寄り添えるという快感は今も忘れていない

2022-04-07

1万円の靴

ワンルーム家賃相場5万円。この街を住みやすいと感じている。

一駅隣には成城石井もあり、都内へのアクセスも悪くない。

ワンルーム家賃相場5万円。この町を嫌いだと感じている。

駅前スーパーには2,000円までのウイスキーしか置いてなく、都内に出るためには1度乗り換えが必要

高校私立進学校入学した。親の希望公立高校だった。

数学ができなかった。英語必死勉強し、上位校と呼ばれる私立大学に入学した。

就活は難しいようでいて、簡単だった。

初任給は、面接官の靴のランクに比例していた。

人と話すのは得意だった。一番面接官の靴が綺麗な会社入社した。

恋人ができた。学校教員だった。

山陰地方から北関東国立大上京して、人生が変わったという。

典型的公務員だった。靴はくたびれた運動靴だった。

センスがないな。と思った。

最近、最寄駅から乗り換えなしで遠くへ行けるようになった。

遅延が増えた。

会社領収書を提出するため、通勤する。

テレワークが人嫌いに拍車をかけているな、と感じる。

周囲に1万円以上の靴を履いている人間はいない。

1万円の靴を履ける人間と、1万円の靴を履けない人間、どちらに価値があるだろうか。

中学時代に嫌いだった教員。彼らの価値を今なら知っている。

帰宅して、成城石井で買ったバランタイン15年を開ける。

20代

努力の先に、何があるというのか。

anond:20220407231931

それなりに優秀な進学校に行って受験成功して、といった成長過程経験値通用しないのは怖い

夫婦どちらかの出身地方でないと、勝手がわからないし手助けも少ないかアクシデントがあったら詰む

でも、それを公助でなんとかしてくれと言われてもなあ

anond:20220406103515

あれをみて元気がでるのではなく「バカで弱い女性未成年野良に放り出されているからまともな性教育保護をしなければ。ああまた家庭内・家庭外の仕事をふやされて鬱だなあ」と思うのがまともな社会人感覚なのですよ。その無意識のおしつけ・よりかかり・神格化という名の奴隷化への負担感を140字内に収まるようにちぢめたものが「気持ち悪い」です。

正直、スカートの長さやジャケットベスト未着用の時点でちょっと温度調整もできない感じの発達障害ありそうな子にみえます。こういった発達障害の子相手の思惑に気づきにくく性被害に疎いまま性的搾取されてしま問題はすでに発達に詳しい精神科医により何度も指摘されています

進学校教科書参考書が重いので全員リュック推奨で部活なくても10キロかついでる、それがまともな高校生です。

まあ、増田はいつまでもアダルトチルドレンなので高校生同級生目線でふわついて元気だしてればいいとおもいますよ。

増田日経支えてるわけでもなんでもないことだけはわきまえて、漫画買い支えるなりはご自由にどうぞ。

日経官公庁の発表さえまともに伝えられないおっさん媚び媚び紙なのはわかってるので(一時期の宇野こう一郎の女性がやたらに濡れて喘ぐエロ小説を載せてた夕刊フジと変わりないとおもいます)こうやって女子高生カワイイネとエサでも載せなきゃ就活生も騙せなくなってますよね。おっさん向けファンタジー広告おっさん向けファンタジー専門紙掲載するのはいことなんじゃないですかね。どうせ女性は読まないし。真に受けて電車日経よんで痴漢に至る人とかまさか男性さまには居ないでしょ?w

ナタリーおまえどっち陣営なんだ

2022-03-31

修了しました

どうしてこんなことになったんだろう。ここ数年で何度も思ったことだ。

これは奇妙な巡り合わせで出会った私にそっくりの友人が大学卒業時に書いた文章の書き出しである。この鏡合わせの彼が書いた文章を何度も自分事のように反芻してきた私は今年大学院を出る。修了という立場に際して、私も少し自分語りをしてみようと思う。他人自分語りなど興味の無いという方もたくさんいるだろうから、そういう方はこの時点で引き返してほしい。思うままに書き殴っているので読みづらいし長いと思うが、それに我慢できる人だけ読んでもらえればと思う。

・生い立ち

私はごく普通環境で育ったと思っている。地方在住で金持ちでも貧乏でもない家で、両親は優しくて、友達もいた。小中学生のころの自分一言でいうと優等生気質だった。学校勉強はそこまで苦にしなかったし、危ないこともしなかった。先生の言うことには従っていたし、学級委員を務めたりするタイプ人間だった。強いて言えば両親が少し頑固だったくらいだ。

小学校では初めに陸上クラブに入った。運動は苦手かつ嫌いだったし、何よりブラスバンドのようなクラブがありそちらに入りたかった。父が無理にでも私を陸上クラブに入れたのは運動の楽しさを知ってほしかったのだと思っている。運動神経のいい父にしてみれば運動は娯楽だったのかもしれないが、運動神経が壊滅的な私にとっては純粋身体能力を問われる陸上は苦しかった。そのため5年生からブラスバンドやらせてくれと懇願した。タダで許してくれるはずもないので中学では運動部に入ると交換条件を付けた。5年生から始めたトランペットは本当に楽しくて練習した。6年生の途中からは1stトランペットを担うこともできた。

中学では周りの部員吹奏楽部に行くのを横目に約束通り運動部に入った。誤解のないように言っておくと別に部活動自体は楽しかった。ただ音楽から聞こえてくる音を聞くたびに自分もこの中にいたらどうだったろうと思うことは度々あった。中学では同学年内でいじめもあって、被害者ではなかったものの学年中を巻き込みつつも教師黙殺しているそれに優等生気取りの私は心を痛めたものだった。その頃の私はもっぱら公正世界仮説(当時この言葉は知らなかったが)の敬虔信者であり、親や先生にほめられている優等生自分はいつか報われるし、逆にいじめなんぞ加担している人間はその人間からどこかで破綻すると思っていた。

 高校は少し離れた進学校に入った。近隣の学校に行く人が多かったが、いじめの件もあり彼らと距離を置きたい気持ちも大きかった。流石にレベルの高い授業でもあったが、モラル教養を持った人が多く非常に楽しい生活を送った。高校部活軽音部と兼任しようかなと考えていたが、他方の顧問専任希望するような言い方をしたので諦めた。別に悪い人ではないと思うが、他人に機嫌を取らせるタイプ人間だった。高校では成績をぐんぐん落とした。周囲のレベルの高さもそうだが、私には2点の欠陥が見え始めていた。1つは努力中学生まであまり勉学に苦労しなかった私は勉強に労力をかける癖がなかったし。加えて苦手な運動は一向にできなかったし、好きな人アプローチしても付き合えなかったし、理論武装して親に頼み込んだことも結局許されなかったり、努力してできた経験と言えば自転車の補助輪を外すときくらいのものであったように思う。努力の数と成功体験の数なんて鶏と卵かもしれないが、努力をした経験もおそらく人よりは少なく、努力が実った経験もっと少ない人間だったように思う。もう1つは先天的能力限界である。これまでの自分は「丁寧に教えてもらえば理解ができる」という能力を有していたと思っている。中学生までの自分が苦労しなかったのもこれが原因だと思っている。しか高校3年生になると少しそれに陰りが見えているのを人知れず自覚していた。周囲の人間には見えていないようで、親や先生は褒めてくれるし、同級生から勉強ができるという認識をされていた。

 3年生になると嫌でも受験を考えなければならなくなる。私はどこに行って何をするのだろう。勉強は好きではない。高校では文芸部の本に部外から投稿してすごく評判が良かったし、文化祭の劇の脚本演出担当して最優秀賞を取れた。そのあたりの活動は楽しかったしクリエイティブなことがしたいかな、あと音楽。それとなく親に専門学校の打診してみたけど、4年制大学に行けといわれた。「いい大学に行けばいい企業に行けるからね」と言われてきていたし、親心としてはそんなもんだよねと理解した。自分としてもレールを外れることに恐怖はあったし、レールに従うことで周りと同じように大学に行って、就職して、結婚して子供を作って、今の家族のような生活が送れるならそれでいいと思っていたのでじゃあ普通大学に行くねとなった。

 問題になるのは何がやりたいかである。私がやりたいことって何だったんだろう。結局見つからなかった。そこで親がアドバイスをくれた。

「まだやりたいことが見つかっていないなら、ここに行けばいいんじゃない?」

親が指し示した大学は、入学時に専攻を決めなくてよいという特殊制度もつ大学だった。みなさん名前ぐらいはご存じの都内大学である。幸か不幸か、私にはそこを目指せるだけの能力はあった。

長くなったが、これが地獄の幕開けである

大学という場所

1浪しなんとか2年目で合格して大学1年目。はじめに学んだ格言がある。

大学では勉強サークル恋愛バイトのうち2つしかできない」

勉強は好きではないので、サークルバイトをやるんだろう、恋愛もあるのかななどと入学後の私は胸を躍らせていた。憧れのバンドサークルにも入った。周りは経験者なので食らいつこうと頑張った。大学から帰って仮眠を取り深夜の安いパック料金で明け方までスタジオ個人練、シャワーを浴びて大学へ。その生活をしていたら資金ショートした。親にバイト禁止されていたため練習交流のためのお金が足りず、実力もつかず人脈もできずにフェードアウトした。

 大学の授業はひどく不親切であった。大学レベルも相まって何をやっているのか理解できなかった。高校の時に疑問を持っていた内容が解決されるかと期待していたが、それらは大体1,2回目の講義解決してしまものか、もしくは深くがっつり専攻しないと理解できないようなもののどちらかで、学ぶモチベーションにはつながらなかった。教える側も教科書も「説明してはいる」「書いてはある」という感じで、高校までのようにわかやすくとはいかなかったから、「丁寧に教えてもらえば理解できる」タイプの私では太刀打ちできなかった。つまらないし時間無駄に思えて次第に講義休みがちになった。

 それでも、とりあえず大学を出れば何とかなると思っていた。ここで耐えている自分はきっと報われると思っていた。好きなもの大学で見つかればいいし、そうでなかったら高校までの勉強ができるから教師になればいい。これが1年目の私であった。

崩壊

 初めてショックを受けたのは成人式のことだった。新成人代表として何人かの陽キャ集団が壇上にあがった。式の前後に彼らと会ったがある人はバツが悪そうに私から目をそらし、ある人は肩を組んで話しかけてきた。どちらもいい気はしなかった。彼らはいじめの関係者である。なんで彼らの方が人生謳歌しているんだろうか。その時にふと思った。「結局彼らは世渡りがうまかったんだ」と。くだらない正義なんて捨ててその場で空気を読んで得なほうに回るっていうのが正解で、黙殺していた奴らもそうだったんだ、なんて自分は愚かだったのかと。そう考えてみると社会に明確な悪役はいなくて、したがって明確な正義存在しない。正義道徳立脚した自尊心のなんと脆いことかと思い知らされた。

 そして、もう一つ。親や教師というのもまた所詮人間だとこの年になって気づいた。この中の何人かが数年のうちに教師になって、親になる。はっきり言って話の通じない人だっているが、そんな人も年さえ取ればいつかは親や教師になりうる。だから黙殺した教師も、話の出来ない親もおかしくはない。じゃあ私が優等生してきた、私が正しさの根拠としてきたものは何だったんだろう。優等生であることを数字で示してくれるものは成績くらいしかない。世渡りが下手で運動などの技能も持たず、それでも私が公正世界仮説を信じてこれたのは、案外「勉強ができること」に依存していたのかもしれない。勉強しかできないやつだけど勉強ができるから何とかなる、そんな風に自分無能さを騙して生きていたのかもしれない。

 さらに拠り所の勉学さえ崩れ落ちた。留年が確定したのだ。受験でも足を引っ張った物理がとことん苦手で何も理解できなかった。2年目は学費負担を減らすべくバイトをさせてもらった。サークル活動事実上全部やめ、バイト勉強の日々が始まった。バイト先は学生が割と多かったため、みんなと仲良くなれた半面、繁忙期が重なった。私は試験前はむしろシフトが増加し、結果的に致命的な必修単位だけ落としてしまった。2留である。親に電話して事情説明した。単位くらい取れとストレートに怒られるかと思った。代わってあげる優しさを評価しつつもやりすぎだと注意されるかもとも思った。

あんた人にいいように使われてるだけでしょうが

人にやさしく優等生してきた自分生き方への批判自分が仲良くしている人たちへの非難ダブルパンチで頭に血が上った。怒りで何も言葉が出ずに何秒か無言の後電話を切って、壁を殴った。

数日すると気分が落ち込んできた。親はそれを「単位を落としたから」と解釈したようであるが、全く違う。私は他の人が当たり前のようにサークルバイト恋愛を掛け持ちして進級している中で、バイトしながら進級できなかった。私は当たり前のことすら満足にできない無能であると、薄々感じていた自分無能が隠せなくなってしまったのである

 3年目は再びバイト禁止した。クラスでの試験対策仕事もやり、その科目の勉強をしなければいけない状況を作った。サークルとしては冒頭の彼の紹介で新しいサークルに入った。サークルでできた友人とは本当に仲が良く、勉強を助けてもらったり、サークル関係なしに遊んだ大学での生活の基盤になった。助けてもらえる人も増え、自分学習するようになり、この年の上半期では単位の取得ができた。しかし、私が感じていたことは決してポジティブなことではなかった。私がこの年の経験でわかったことは「お前はやればできるが、環境サポートがあって自分勉強してもちゃんとできるのは2単位」ということである。私は2年で70単位以上取得する想定のカリキュラムを、半年で2単位しか取れない脳みそでやっている。無能すぎてもはや卒業が無理なのではないかと思った。

公正世界仮説評価軸としてきた大人たちへの信頼、自身の実力への評価の3つが音を立てて崩れて、この時私は確かに一度死んでしまった。このことに気づく前の自分に戻れなくなってしまった。中学いじめがらみで「死にたいけど死ぬ勇気もない」って言ったときに「死ぬのなんて勇気って言わねえ」って怒鳴りつけてくれた友人がいた。

・専攻決定

4年目にして2年生。この年は諸々の事情クラスから孤立した。喧嘩別れのようなものである。私としても仲良くする気はなかったので1人でどこまでできるかやってみようと思った。結果は惨敗だった。単位取得こそぎりぎりできたものの私はこの大学では人に寄生しないとやっていけないと気づかされた。

そして、4年前に選択先延ばしにしたツケの返済期限が来ていた。専攻の決定である。結局4年間でやりたいことは見つからなかった。勉強面白くないし、勉強以外の何かを思い切って始める余裕もなかった。教員になろうかとも思ったが、それもかなわないと思った。教職卒業単位には含まれないため、追加でいくつも講義を取る必要がある。通常のカリキュラムすらまともにできない私にそれは無理だろう。ちなみに私と同じく成績の芳しくなかった冒頭の彼は教職を志して単位を取得しに行ったが、弊学では満足に教職まで取り切れなかった。教職を目指した世界線の私もきっとこんなものだろうと思ってしまった。

理系科目はわからなかったので、唯一興味がわいた心理学を専攻しようと思った。しかし、成績が足りなくて進むことが絶望的だった。ここで初めて間違いに気が付いた。この大学システムは何をやりたいか不明瞭な人間を救済するシステムではなく、やりたいことや才能が複数ある人間選択肢を与えるシステムなのだと。私などがこの大学には来てはいけなかったんだと激しく後悔した。

このシステムでは通常、成績が足りなければ次の年に再挑戦することができる。しかし、私は4年目であったがために在学年限が迫っており、この年で専攻を決定しなければならなかった。そのため、当時人気の低かった化学を選んだ。化学は苦手で高校化学すらわからないが「とりあえず大学を出れば何とかなる」のであれば、と苦渋の選択をした。

実験異変

5年目、3年生。1限からの授業と週3回の実験があり、9時-18時のような生活になる。実験には予習とレポートがあるため、実際の拘束時間はこれより長い。何とか4月を乗り切ったところで、レポートを1つ残してしまった。GWに入ってレポートをやらなければと思って毎日机に向かおうとした。いや、向かったこともあった。だが、ペンを持っても何も書けない。そのまま時間が過ぎてごはん時になり席を外してご飯を食べる。そんな日が続いてGWの最終日、床にへたり込んで泣いた。書かなきゃいけないと思いつつも1文字も書けなかった。

 3年生の必修は実験だけだったので、他の単位犠牲にしてでも取ろうと考えた。1時間だけ講義を休んで...その1時間を何も書けずに終えた。これを繰り返してほぼ全ての講義を欠席した。次第にいろいろおかしくなっていった。頭痛もちでもないのに頭が痛みだした。文字が読めなくなり、教科書はおろかネットニュースくらいの簡単文章でも字が滑るようになった。1日にできることがゴミ出しと洗濯くらいになり、起きて寝る以外に食事、入浴、ソシャゲの周回くらいしかしてない生活になった。

 溜まりに溜まったレポート夏休み前に呼び出しを食らったことで、無理やり夏休みを使って消化した。歯を食いしばりながら全部消化したことは覚えているが、歯を食いしばればできたことがなぜここまでできなかったのかこの時は疑問だった。

 4年生になり、大学院へ進学することになったが、大学院の手続き入試勉強、足りなかった単位試験勉強などでタスクが溜まった瞬間、この症状は再発した。友人の勧めを受けて学生相談所に通うことになった。

能力環境

学生相談所のカウンセラーはいい人だった。いろいろお話をして気持ちは和らいだ。専門的なこととしてはWAISの検査を受けた。結果は処理速度だけが異様にへこんでいる格好になった。別に数値は低くないので大丈夫と言われたが、「問題の有無は環境によって決まりませんか?能力の高い人が集まる環境ではそれなりの能力要求されますよね?」という質問には満足のいく回答は得られなかった。

 親にも何度か愚痴を言ったことがある。そのたびに「あなた世間一般には優秀だから大丈夫」と返されるのである。何が大丈夫なんだろうか。”今の環境”が辛いと言っているのに”世間一般”という別の集団を持ち出して何の救いになるんだろうか。これ自体も言ってみたことがあるが「なんでそんなこと言うの」と言わんばかりの困惑した顔をするだけだったのでやめた。別に親以外でも同様のことを言う人はいる。世間一般評価邪魔をして、まともに助けを求めることすらままならない。内部の人間から見て無能で、外部の人間から見て有能な私は、共感を得られる対象がとても限られていて苦しかった。大学ブランドという呪いにかけられて苦しかった。

 やりたいことをやれていればよかったのだろうか。サークル作曲体験させてもらう機会があった。でも続かなかった。結局忙しいとかいろいろ言ってインプットから逃げている自分がいる。クリエイターにはなれなかっただろうなと思った。好きなことも頑張れない自分に「自分が勉学を頑張れなかったのは勉強が嫌いだからじゃない、努力が嫌いなんだ」という事実を突きつけられてまた悲しくなった。あれほどに信じてきた公正世界仮説は「お前が苦しいのはお前が間違ってきたからだ」と自分に牙をむき始めていた。

・進学と私

大学院へ進学することにした私だが、実は私は望んでいなかった。学部時代夜遅くまで研究に勤しむ先輩たちを見ていて「私にこれは無理だ」と実感していたかである研究への熱意はおろか、化学への意欲も知識もないのである。ただでさえ病む人が多く出る大学院という環境にこんな人間が行くのは自殺行為に他ならない。そのため、私は就職を強く希望した。しかし、親にそれを伝えると「今のお前に就職はできない」と言われた。就活を終えた今だから言えるが、これは正しかったように思う。議論は「就職はできないから進学しろ」「院でやっていけないか就職させろ」の平行線で、就職も進学もろくにできない無能をぼこぼこにリンチするだけで生産性はなく、結局「とりあえず進学はするがいつでも辞めてよい」という落としどころになった。

 私は院試に落ちるのが最適解だと思った。学力もないので真面目に受けても受からないだろう。院試を受けたけど落ちましたというのが親にも研究室にも一番角が立たない。しかし、筆記試験が思ったより点数が低かったのか通ってしまった。面接をすっぽかすことも考えたが、会場に研究室の先生方がいるかもしれないことを考えると気が引けた。面接では辞退の意思を伝えるつもりだった。面接官と私だけの秘密である。私は院試を受けて落ちたのだと周りに言えばよい。

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2022-03-29

進学校落ちこぼれ

をずっと引きずって生きている。

なんとか20代のうちに逆転したいけど、むりだったら多分精神崩壊するから死ぬと思う。

進学校落ちこぼれ

をずっと引きずって生きている。

なんとか20代のうちに逆転したいけど、むりだったら多分精神崩壊するから死ぬと思う。

進学校落ちこぼれ

をずっと引きずって生きている。

なんとか20代のうちに逆転したいけど、むりだったら多分精神崩壊するから死ぬと思う。

2022-03-23

anond:20220323133556

30代年収2000万円超えがバンバンまれ

東大京大東工大早慶くらい以上ならね

マーチ理科大あたりでもノンキャリ扱いだからエンジニアで腕を上げた方がいい

高校が有名進学校筑駒、灘、開成クラス)なら同級生の七光りで、院ロンダして浮かび上がれる可能性はある

anond:20220323114135

元々は「進学校医大行くようなインテリじゃないし出世もしてないから女さんが言うようなゲタを享受できてないし、モテてもないから性加害もしていませんよ」という意味だったっぽいんだけどね。

今は自虐悪口しか使われなくなってしまった。

2022-03-20

友達仮面浪人成功した

初めて投稿するから至らない点があっても許してほしい。

自分語りが強いところも許してほしい

タイトルの通りなんだが大学友達仮面浪人成功した。

成成明学からMARCHに行くそうだ。

から見ればすごいことなのかもしれないが俺は素直にそうは思えなかった。

なぜならば俺は浪人してこの大学に入ったからだ。

なのにそいつは現役でうちの大学に来て、遊んで彼女まで作って勉強してるそぶりはあまりなかったのに仮面成功していた。

うちの高校自称進学校ってやつで年に5人くらい早慶が出るって感じだった。(そう考えると自称進学校としては微妙かもしれない)

俺は現役の時にニッコマレベルに受かったが、仲のいい友達がみんなMARCHに行ったもんだから悔しくて浪人した。

明らかに俺よりも勉強してないやつがMARCHに行ったりしていた。それも悔しかった。

一年と100万以上をつぎ込んで駿台浪人して結局現役で受かった大学偏差値は5しかかわらない成成明学にいった。

ほんとに一年真剣にやったし、遊んだのは模試のあとくらいなもんで、それ以外は開館から閉館までいる毎日だった。

ストーリーに「課題が終わらない」とあげているMARCHのやつと本気で代わってやりたいと思った。金払ってでもいいからその課題やらせろ。そのかわりMARCH行かせてくれって

模試もある程度うまくいっていたし、MARCHくらい受かるだろうと思っていた。なんなら早慶ワンちゃんみたいな

でも結果はさんざんでMARCH全落ちだった。

一年間みてくれた社員の人にも「正直もうちょっとかると思ってた」と言われた

努力は必ず報われる」って言葉をどこか信じていたが、そんなのは所詮成功者が言っているだけの話なのだと気が付いた。

もちろん落ちた原因はあったし、今思えばあそこをああすればよかったなって思うとこもある。勉強は量と同じくらい質が大切だということも知っている。

でも、どこか一年間頑張った自分否定された気がした。

結局は頑張ったという自己満足しかなかった。

普段、俺の決断干渉してこない父に「二浪はやめとけ」と言われた。

まあそんな気力はなかった

お笑いの賞レースで決勝まで行ったけど優勝できなかった芸人が「優勝できなくて悔しいというよりも、もう一年予選から勝ち上がる大変さを考えると絶望する。」と言っていた。

まさにそんな感じだった。

そして大学生になり、しぶしぶだがその大学に行った。

コロナではあったが友達もできたりして楽しくは生活を送っていた。

人間えいらいもんで時が過ぎることで少しずつ浪人の失敗の悔しさなんか忘れてしまっていた。

いつも行動を共にする友達の一人がその仮面浪人成功した彼だった。

上京してきて一人暮らし。顔はいいし、身長もあった。

夏くらいだったか一人暮らしをしている家に行くと新しい赤本があった。

から送られてきたと言っていたが一応受けるつもりらしい。

その時から嫌な予感はしていた。「意外とこーゆー奴が受かっていくんだよなぁ」って

けれど大学の授業にもそこそこ来ていたし、単位もある程度取っていた。

彼女作ったり、バイトしたり、遊んだり、一人暮らしから監視されてるわけでもないし、本気で勉強しているようには見えなかった

年が明けても遊んでいるストーリーがインスタに上がったりしていて、仲間内では「受けないんじゃね」って言いわれてた。(なんとなくみんな本人には聞けなかった)

けれどこの間、MARCHに受かってそっちに入りなおすって告げられた。

何とも言えない気持ちだった。俺が金と時間をつぎ込んで頑張った一年間は何だったのか。

また自分否定された気持ちになった。

別に彼が悪いわけではないが、行き場のない怒りというか表現できない気持ちだった。

おめでとうとは言えなかった。

よく推薦で受かったやつを下に見る風潮があるけれど要するに

自分はこんなにつらいを思いをしたのに何であいつはあんな楽に入学できるんだ」

っていう感情だと思う。

大学の授業で、人は他人の結果に対するそれ相応の努力が見られないときに、頭の中で合理性が取れないからそれを才能や不正認定するっていう話を聞いた気がする。

人って努力量に対する成果が正当に支払われることを願っている気がするけど、現実ってそんな甘くないって気づかされた。

努力は必ず報われる。」って言葉は、「(適切な)努力は必ず報われる(ことも運次第ではある)。」くらいだと思う。

なにか結論があるわけじゃないんだけど、もやもやを吐き出せる場所が欲しかっただけ。だからこれくらいで終わろうと思う。

2022-03-19

ちゃんと負けたい

あと2ヶ月で会社を辞める、25歳の戯言を聞いて欲しい

私は大学の頃引きこもりだった。

結構な有名進学校に通っていたのに受験に失敗し、その喪失感があまりにも大きく、周りの友達に見下され、今思えば必要以上に自暴自棄になって、殻に閉じこもって大学生活を過ごしてしまった。

引きこもりというのは少し語弊があるかもしれない。生真面目な性格だったので授業にだけは通っていて、でもそれ以外のことは本当に何もしなかった。

当然友達もできず、コミュニケーション能力もまともに育たなかった。

教員免許のみ取得して、でもあまりにもコミュニケーション能力がなく教員としてやっていくのが怖すぎて、

適当に受けた1社にたまたま受かって入社した。

そこから、3年間。社会人として、なんとか働いてきた。

コミュニケーション能力がない究極の指示待ち人間なので会社に多大な迷惑をかけたが、なんとかクビにはならなかった。

ただ、仕事へのやる気はなかった。

私の友人はもれなく名だたる有名企業に入りバリバリ働いており、大学受験に失敗し就活すら逃げた私のコンプレックスは増すばかりだった。

もう一度みんなと同じ土壌に乗りたいと遅ればせながら思ってしまった。

だが、こんな状態の私を雇ってくれる有名企業はもうない。案の定転職活動は難航した。

そんな折、半年前に、大学時代も唯一交流の続いていた友人からLINEが届いた。

その友人は大学卒業後数年ニートをしていたのだが、ついに一念発起して国家公務員専門職試験を受け就職が決まったとのことだった。

私の心は揺らいだ。

私もそうなりたいと強く思った。

今の会社はまあまあなブラックなので、国家を目指すとなればやめるしかない。

周りは反対した。

お前にできるはずがないとか、専念して勉強して落ちたらどうするんだとか、めちゃくちゃ言われた。

でも、私は辞めることにした。

私は大学時代、何度も死のうとした。勉強しか無かった人生なのに勉強で失敗して、この先の社会適応できるわけなんかないと何度も何度も絶望して泣き叫んだ。

大学時代は、自分は30になったら絶対死ぬんだと固く心に誓っていた。

その思いは今でも変わらない。

ならば、最後に思いっきり挑戦して、だめなら死ねば良いじゃないかと思った。

結局、逃げているから辛いのだ。逃げているから、諦めがつかないのだ。まあ、これは性格によるかもしれないが。

なら、最後に逃げないで何かしら思いっきり挑戦しよう

負けるならちゃんと負けようと、心に誓った。

2022-03-16

anond:20220316075803

そもそも、超進学校男子校に偏る問題就活転職、昇進の査定管理職幹部候補としての育成選出の段階で男に下駄を履かせるバイアスがあるため子育て視野に入れてなくても女性キャリア形成はかなり難しい

しろ責任のあるポスト女性がいないことはそれ自体差別によるものだし、サービス残業主婦存在を前提にして女性家事押し付け職場から締め出すことになっているよね

危険仕事女性が就いてる事例だってあるが結局上記システムは変わらない

その他諸々ではない

から、その差を税金で埋めようという話ですよ

2022-03-07

anond:20220307203408

ワイも名の知れた中高進学校出身で過ごした6年、自校+横のつながりのあった10数校の話だから完全網羅ではもちろんない。「ウチは発覚すれば停学だからな?」程度には脅されていたが「発覚しないようにやれよ」的なニュアンスもなかったわけではない。あと原付きはほぼ100%禁止

anond:20220307201900

その「名の知れた進学校出身だけど、先生が「野球場行ったら生徒会長ビール売ってた」と話していたり、

生徒が「春休み社会勉強のため引っ越し屋のアルバイトをした」と作文に書いていたのが普通に通る程度には禁止されていなかったぞ。

…なお後者の生徒が「風俗に行く金が欲しくて」だったのは生徒間では公然の秘密だった。(実際に行ったらしいが、20世紀の話なので年齢確認ガバガバだったのだろう)

anond:20220307200804

のしれた進学校はほぼ禁止じゃね?そして破るのもお約束クラスの1/3くらいは何かしらやってた。親に干渉されない資金めあてと出会い興味本位だな。

anond:20220307191926

本当の進学校勉強時間カツカツにはならない(学校カリキュラムが優秀+生徒時間の使い方も賢い)ってのがまず1つ。余剰になった時間をどうするかは生徒次第。部活に前フリするのも居れば、遊びに走るやつも居る。遊びの中で親の許可のいらない自由お金を求めてバイトするやつも居るって話。自由に使えるクレカ渡されてるみたいなやつはあんまいないOK

anond:20220307134810

都内私立中高一貫進学校育ちなんでそこらへんはマジ知らね

anond:20220307134211

地方進学校公立)は「塾なんか行かなくても学校教育だけで大学行かせてやる」ってところにプライド懸けてて、補講・課外授業にめちゃめちゃ力を入れてる

推薦組以外は余裕ない

anond:20220307133534

東大王が開成時代クイズ活動に没頭できるのはなぜだい??あ、もしかして中高一貫校を知らんのか?つーかいうてもワイも地方進学校事情は知らんねけどね

anond:20220307133534

中高一貫進学校じゃなかったのかな?

高2で授業範囲終わるし、部活も夏までに引退じゃん?

あと適当予備校行って


センター受けない俺は暇で暇で仕方なかったけど?

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