はてなキーワード: 連休とは
まず自分に問うてみるのだ
② 一人でいる事は楽しいか
③ 他人の都合を優先できるか
④ 他人の行動を許容できるか
②は絶対に必要で、これがない人間が他人と一緒にいると言うのは単なる依存
この辺をはき違える人が結婚すると
距離感を間違える
③は②とは違って、スケジュールや意見がぶつかったりしたときに
他人を優先できるか
釣った後でも、相手の都合をどの程度優先できそうか
これを家族(両親等)を想定して考えてみると良い
厳しすぎる他人や、緩すぎる他人との共同生活は結構苦痛なものだ
やはりこれも家族(両親等)を想定して考えてみると良い
食器を水に付けなさい、なんでごみを放置するの、靴下は裏返せって言ったよね
結婚したら許せるかな?
私は①で終了だ
さてみんなはどうだい?
新婚ってブーストもなくなって
若い人たちへ。
これを書いている俺にもわかっちゃいない。
ただただ、世の中の分断というか、世相の居心地の悪さに、いたたまれなくなっただけのこと。
いわゆるデジタルネイティブとか。
コロナ禍を高校~大学生または社会人成りたての頃に経験したとか。
二十歳±5くらいが基本の対象で、
何か共感できる部分があるのなら、対象だと思ってくれていいと思う。
さて。
謝罪、というからには、何かについて後悔や悪いことをしたという思いがあって
それをするということが一般的だろう。
けれど、例えば知らず知らずのうちに誰かを傷つけてしまったような場合。
例えばそれが、20年、40年前のことだったとしたら。
これはもう、ただただ、とにかく、謝っておくしかない。
回りまわって今になって何か悪い結果を残した、ようなときも同様だろう。
今回、書いていくのはそういった類のことだ。
けれども、これに関して何が悪かったとか、どうすれば防げたとか、
そういうことを書いていけたらと思う。
前置きはこれくらいにして、本題に入っていきたいと思うが
俺はアラサーのおじさん。
太さに関して言えばそれほどでもない。
別荘があって、クルーザーがあって、継いでもいいと思える家業があるレベル。
毎週のように一人数万数十万の外食に行って、毎月ヴィトンを買って、連休毎海外旅行に行く、そういうレベルではない。
やろうと思えば、いずこかのブラック企業のように従業員を絞り上げて
廃業して、どこか海外の治安の良いリゾート地に移り住むこともできるが、
10年ほど馬車馬のように働いて丁稚奉公を済ませ、家業に舞い戻った。
以上で最低限の自己紹介とさせてもらう。
そして、本題。
ということだ。
いわゆるJTCにおいて、若手を大切にし過ぎる風潮ができている。
この際、今の管理職に指導力がないとか、そういった話はもうどうでもいい。
元気なうちにたくさん働いて、様々な経験と知識を吸収することが許されない。
経験もさせてもらえなかったとしたら、どうなるだろうか想像して欲しい。
自分がそれに就いた時のことを考えてほしい。
まあ、そう言われてみればそうだ。
けれど、結局誰かがやらなくちゃならないのなら、嫌々ではあっても、出来るようになっておいても損はないんじゃないのか。
そういうことを発信しているのを見かけることもあるだろう。
そんなことは賞味どうでもいい。
貴重な経験の機会を奪わせてどうする。
メンタル崩壊するような経験を積めばいいと言っているわけではない。
真っ当な商売で、まともな感覚を持ち、何かあったときにケツを拭いてくれる管理者がいる組織で
自分の体力と精神力を健全に保てる範囲で、最前線で頑張ってほしい、ということ。
老若男女問わず働かせられる。
脳みそと腕と足がついていれば、何が何でも働かせられる。
学の無い人間にやらせていた単純作業はロボットが代わりに行う。
赤紙が無いだけで、マクロ経済の蛇口を開けたり閉めたりするだけで
そんな中で、気力体力が十分で、
インターネットの妄言に騙されずにスタートアップや外資系や海外で
はたまた、インターネットの妄言に騙され、働きたくないでござると
成長期たる30歳まで時間を浪費し続け、
60代のジジイと同じような仕事でのんべんだらりと過ごした人間と。
もちろん、現実すべてがこうまで両極端ではない。
JTCでほどほどにパワハラを受けながらしょうもない仕事をやらされているか、
ほどほどに守られながら蝶よ花よとぬくぬくと育てられた結果何もできない人間に育つか。
FIREだって?お前たち、本当にFIREした人間が羨ましいか?
お願いだから、一度でいいから、まともな人間にFIREしたいか聞いてみてくれ。
稼ぎ切った人間こそ、どうやって社会にお金や経験を還元するか、考えているはずだから。
自分が定年になるくらいまで、自分の子どもたちを大学まで育て上げ、社会に出せるくらいまで何事もなく、両親と子供たちが無病息災、とまではいかないが
五体満足に生きていられればそれでいいと考えている。
それを間違っても口に出したりはしないが、ほとんどがそうだ。
そうでなかったら、今のようになってはいない。
俺がオギャーと生まれた30年ほど前。
バブルがパーンと弾けたり、Windowsが日本に上陸するかしないかと言った頃。
それから10年経ったころ、「失われた10年」、そういわれていた。
おれはインターネットでHTMLを書いたりUOに勤しんでたりした。
それから10年経ったころ、「失われた20年」、そういわれていた。
おれはアメリカに留学したり、ネットゲームで外国人と煽り合いをしていた。
それから10年経ったいま、「失われた30年」、そういわれている。
おれは体力の衰えを感じ、家業へ逃げた。ゲームは積むか観るかだ。
おれがオギャーと生まれて三十年間、何ごともなかったらしい。
確かに、何が変わったかと言われれば何も変わっていないようにも思える。
100円だったお水やジュースは、買おうと思えばコンビニに売っている。
3,000円持たされて買いに行っていた赤マルはそろそろ倍か。
物価以外はどうだ。
ゲームでお金を稼げるなんてな。日本でも最近はFPSと格ゲーも勢いがあるな。
MMOは全部3Dになった。スマホで出来るのは正直にすごいと思う。
けれど、やっていることは当時からそれほど変わってないよな。
遅延は少なくなったとは思うけれど。
こうして振り返ってみると、対して変わってないようにも思える。
そう、本質はほとんど変わっていない。文字通り変わっていなかったのだ。
そうして昨今、ようやく変わりつつある。変わらなければならない、と言った方が正確だろうか。
何となく肌で感じているのではないだろうか。
これはもう日本人の、というより人類のお家芸だ。外圧でしか変われないという。
超高齢化&少子化社会。AIの台頭。ロボット化。宇宙開発競争。
そして30年間、失われていた社会の中でのうのうと暮らしてきた自分たち。
正直、これから先の変化に着いていける気がしない。
と考えるのは無責任だろうか。
後進のために、ラッダイト運動よろしく半導体製造装置を壊して回るべきだろうか。
そりゃあ俺たちだって、これからは読み書きそろばんの時代から、
英語、クリティカルシンキング、コンピュータの時代だ、とかなんとか世間で騒がれていて、
けれど、これから待ち受けているのはそういうレベルのちゃちな変化じゃない。
一部の超天才たちがAIやIOTで繋がれた機械やコンピュータを操る時代。
彼らがこれからの数十年か百年ほどを牛耳っていくのだろう。
いや、もう牛耳られているのだろうけれど。
それは止めようがない。
その一部の超天才たちを日本国内で育てるような体制を作ってこなかったこと。
日本が嫌なら海外で勉強したら?と言わんばかりに対立を煽ってしまって。
そこについていけない、残された人間たちも、
いーよいーよ、そんなに無理してはたらかなくて。
と言われて経験値を全く積まずに育ったのちに、
ごめーん、あとはまかせた!とばかりに後進に残された負の遺産と対峙させる。
ごめん。確かにその期間、何もせずのうのうと暮らしてきていた。
先人たちに下駄を履かされていたことにも気づかず。自分たちの権利だけを主張し、
ただただ、社会の歯車であることだけで、義務を果たしたかのように。
もっと声を上げるべきだった。
世界第二位の経済大国だった30年前の日本で生まれておきながら。
30年間何もしてこなかったせいで失わせてしまった。
おれは、おれに下駄を履かせてくれていた従業員に報いるくらいしか思いつかない低能だ。
人にもよるが30を過ぎると、色々なところにガタがくる。
厄年、という風習があるが、これは至極的を得ているように思える。
だから、それまではどうか馬車馬のように働ける環境に身を置いてほしい。
さてこれから先、日本は世界で20番目か30番目くらいの規模の経済力で
飯と油を何とか買って食いつないでいくのだろう。
日本人の気質的に、皆で一緒に貧乏になろう、という形で収まることだろう。
細々と生きていけるくらいの形で没落していくのではないかと思う。
これはただのこれから起こるであろう仮説であり、単なる現象だ。
そんな中でも、何かに楽しみや嬉しさを見出して生きていくことは可能だ。
あなた自身と身近にいる人、これから出会う人を大切に、対面コミュニケーションを密にして。
失われた30年が無かったことになるくらいの、次の10年を目指していこう。
最後にもう一度。
失われた期間が30年に膨れ上がるまで何もできなくて申し訳ない。
けれど、「そうだよふざけんな、お前らのせいで○○」
ということを前の世代、親世代、人生の先輩たちに投げかけるようなのは
日本人ではないし、今回の文章で謝りたい対象ではないことは強調したい。
ここに伝えて筆をおきたいと思う。
上司から指示がありましてこの度地球を侵略するために、まずどの地域を陥落されるのが効率的か調査してこいと。
それでまあ5月の連休中に東京に出張で来てまして某所のウィークリーマンションに潜伏してます。
日本の東京を選んだのはダーツを投げて刺さったから程度の理由でして、これといって思いもなかったんですが、いざ住んでみると人類が多く娯楽とか食事とか誘惑がたくさんあって物見遊山についつい時間を使いすぎまして、肝心のどこからどういう風に侵略すべきかっていうレポートがぜんぜんで来てなくて焦ってます。
そこで、なんか変なコミュニティだなと思って前々から気になっていたこのはてな匿名ダイアリーで地球の皆さんの意見を募ってみようと思いました。
ぜひおすすめの侵略コースを根拠と共に教えて頂きたく存じます。
日本の意見に偏っちゃうのは、なんか世界的に戦争とかしてるから、選択肢が狭くて、とか説明しようかなと思ってます。
私はちょっとこれから同僚と赤羽に飲みに行こうという話になってますので、確認できるのは明日以降だと思うんですけど、どうぞよろしくお願いします。
これからセミナーや研究会の発表を本気で聞いて良い人を探すといい
休憩時間や懇親会を利用して発表者に近づいて「あなたの発表面白かったです」といっていろいろ質問しよう
良い人が見つかったら「あなたの研究に興奮しました!わたしにも研究させてください!」とアプローチしよう
たぶん、書類上の籍は今の大学に残したままそちらの研究室に受け入れてくれると思う
一流の研究室ほど教授たちの移動は早いし、一年のうちの殆どを外国で過ごすから書類上の指導教官と実質的な指導者はみんなバラバラ
学生の方も教授について ●大→ワシントン大→R研 みたいな移動の仕方をする人もいれば
日本に残っていろんな人と共同研究している学生もいて経歴もルーツもみんなめちゃくちゃだよ
共同利用機関や研究開発法人みたいなところも学生受け入れをしているのでとにかく声かけてみよう。
すごいパターンだと研究所長と共同研究した学生もいるよ!やってみれば意外となんとかなるよ!さあ冒険だ!
頭の良さや情報収集能力、流行に乗り危ない時には身を引く要領の良さ、研究者としての信頼。それから運も重要だけど
無知に引け目を感じなくて良い
馬鹿にされることを恐れずどんどん質問しよう。読むべき教科書や論文を教えてもらおう。
知らないことは片っぱしから吸収していくと良い
馬鹿にしてくる人は気にしなくて良い。うさぎと亀の兎みたいなものだ。サラッと追い抜けるよ
怖いのは利口な兎のほうだね。彼らは亀を気にしない。自分より上の人だけを見ている。あなたも利口な兎を目指すとよい。
みたいなかんじかな
あなたは教授になって大学院生に講義をするつもりで発表すると良いよ
まずはそのチャプターの目的とあらすじをサラッと解説しよう。常に議論の道筋を見失わず今どこにいるのかがわかるように声かけをしたり、途中で簡単にここまでのまとめを挟むとわかりやすいよ。
単純な式変形は適宜省略して、でも聞かれた時にはサラッと示せるようにしておこう。
もし理解できない箇所があるなら暇そうなポスドクに質問して回るか同期と議論しよう。教科書1冊で満足しないで名著や重要論文は片っぱしから読んでおこう。
ちなみに私も昔パワハラを受けたことがあって指導者を変えているんだ
最初に私の指導に当たった人はちょっと問題がある人でね。嫌がらせをされて困っていた。
そんな頃すごい論文を読んだ。それは革新的な研究で新しい学術領域を作り出すものだった。その論文の著者は天才と呼ばれている人でね。名前をAさんとしようか。
Aさんは当時1人も学生を持っていなかった。噂では彼の認めた天才しか取らないのだという。
「この研究がどうしてもしたいです!どうか指導してください」と私はAさんの部屋に突撃していった。(注:アポを取りましょう)
パワハラを受け後が無い私に怖いものはなかった。やけっぱちとも言う。認められなければ辞める気だった。
Aさんはちょっと驚いていたけれど後日改めて呼び出された。
今の研究の状況や元の指導者との関係を聞かれたので淡々と説明をすると
「それは私の方から話をつけたほうが良いね。あなたは口裏を合わせてね」と言われた。1週間も経たずに新しい刺激的な研究が始まった。
天才と議論ができるのは本当に素晴らしい経験だった。Aさんの生き方や考え方は研究だけではなく私の人生全てに影響を与えた。大学院の日々は私の人生で最も楽しく輝かしい日々だ。自分で言うのも恥ずかしいけどとても良い研究成果も残せた。本当にAさんと出会えてよかった。心から尊敬している。
後日例の噂の話をしたらAさんは笑っていた「そんな話初耳だ」と。
何のことはない、学生は勝手に恐れ誰もAさんに指導を申し出なかっただけなのだった
ポスドクは情報通だ。学生を育てるのが上手い人は誰なのか、研究環境が良いのはどこかをよく知っている。
特にアカハラをするような奴は悪い意味で業界の有名人だ。ポスドクは絶対知っているはずだ。
(※必ず複数人から聞こう。M1に嘘を吹き込む悪い人もいるからね)
「さっきの発表面白かったです!AをBで解決するなんてよく思いつきましたね」「ひょっとしてこの研究はXに利用できますか?」
目をキラキラさせて研究を語るあなたの周りに人は集まるようになるだろう。人が集まるということは情報が集まるということだ。それは研究者として有利なことなんだよ
心が弱ってる線の細い人に「図太くいけ」というのは草
ありがとう。私も最初は心配していたんだけど元増田の追記を見て大丈夫そうだと判断した。
一晩で前向きになっているところを見るに元々タフな子なのだろう。ぬるま湯を捨ててあえてチャレンジングな環境に身を投じる所も優秀な子の特徴だ。
ここからは私の予想だけれども、元増田の内容を見るに地方から上京してきた子なのではないか。
経験上、遠くから来た子は5月の連休くらいで高熱を出してダウンすることが多い。地方と東京では人間関係の距離感が違うし新しい生活も最初は大変だ。
最近、客先常駐から社内SEに転職することが決まった。忘れないうちにこの転職に関する備忘録を残しておきたい。
この理由に至った現職の内容を話そう。
なってしまった、とネガティブに書いているが全否定するつもりはない。新卒で入った会社は客先常駐であることだけが悪かった。COBOLも別に悪い言語とか思っているわけじゃあない。
ただし『客先常駐とCOBOL』という組み合わせは、将来の展望を描けなかった。これから新卒の人にはあまりお勧めできない。
なぜか。
まず、『客先常駐』。
これは全くもって良くない。責任が少ない仕事で十分で、人間関係を適度にリセットしたい人には向いていると思う。もしくは、よっぽどのニッチかつ高スキル保持者くらいだろうか。
問題点を述べていこう。
問題点そのいち。
常駐先ガチャが待っている。どんな地獄の案件が待っているか行かないと分からない。しかも、客先と戦わない営業マンの方が給料が高いなんてやっていられない。最近はSier側が強気に出られるパターンも小耳に挟むが、まだ稀な印象である。
問題点そのに。
上流工程に携われるかは運である。そもそも要件定義とか予算とかを他所から来た人間に任せることは難しい。底辺下請けにはもってのほかである。よって、下流工程のみの経験でスキルは身につかないまま、30代に突入する可能性すらある。
問題点そのさん。
契約形態によるが1ヶ月の勤務時間が決まっている。1ヶ月最低〇〇時間以上勤務となっている。これがネックとなり連休を取ることが非常に難しい。さらに、GWや年末年始休暇があると残業必須になる月が発生する。勤務時間縛りプレイ未経験者は大したことではないと思うかもしれないが、ワークライフバランスにおいてストレスになる。
次に、『COBOL』。
先ほども書いたが悪い言語だとは思っていない。
ただし、大型新規開発は今後ないと思えと言いたい。必然的にCOBOLを書き書きしていた時代のおじさま方には、技術の点で一生勝つことはない。彼らがくたばるまでは。
それと、たまに聞く「コボラーはこれからずっと需要があるし、新規参入者も減っているから将来安定だよ」なんて話。この嘘、ほんと?
確かにCOBOLは自分が死んだ後も生き残るだろうが、それほど大きなパイが残るだろうか。元請けか自社の社員にしか仕事が残らないのではないか。あったとしても金がどの程度分配されるというのだ。
個人的には、将来の選択肢を増やすためにCOBOL以外"も"経験した方がいいのではないかと思った。加えて、COBOLしか経験がないと求人が少なく30代以降の転職のハードルが高いため、その前に一度足抜けした方が安牌だと判断した。まあ、逃げ切れる世代には関係ございませんけれども。
悪魔合体させるといけない。
まず、COBOLはほぼ金融業界でのみ生き残っておりコボラーの生息範囲は限られることとなる。結果的に、客先常駐していると別の常駐先で出会った人かその関係者とかち合う可能性が非常に高くなる。個人情報や噂が一気に広まってしまうわけであり、一回でも社会からすってんころりんしたら戻りにくい。
なにより、両者ともに揃うと別業界や別ポジションに転職しにくくなる。客先常駐コボラーから客先常駐コボラーに転職する人が結構いるのが現実。コボラーになりたいなら最初からIT土方ピラミッドの頂点コボラーにならなければならない。
という様々な思いがあって、
客先常駐の働き方はこの先これ以上は無理だなとなり、COBOLだけではない肩書きを持ちたいと思って転職を決意したわけである。
現職の忙しさで心も身体もすり減っており、スケジュール管理や企業とのやり取りなんてとても無理だったからである。
さて、ステマなし・エージェント会社名無記載の個人的なエージェントの印象を述べていく。
まず、当初は大手のエージェントに登録していたが、こいつは全く使えなかった。自社開発か社内SEを希望しても、客先常駐とずっと求人出している営業職と介護職の求人票を寄越してくる。
最終的には、客先常駐コボラーは美味しくないため全くフォローされなくなり、ついにはエージェントの気配が消えた。
経歴に自信がある人か自主的に転職活動を進められる人以外は、大手向きではない。
次に中規模のエージェントに登録した。疲れて自主的に動けない自分向きであった。
エージェントの対応としては、大手より転職希望者が少ないためか連絡が頻繁かつ口調が砕けたものであり、転職活動の並走者感を演出することを意識されていたように感じた。
そのため、マメに連絡欲しくない人には向いていないと思う。
なお、結果的にこちらで内定まで到達したが、登録してから内定まで平均より1ヶ月ほど長かったようである。これも客先常駐コボラーの呪いか。
面接対策については、2つ目の中規模エージェントで書類添削及び面接対策の申し出があって実施していただいた。それに従えばおよそ間違いないと思うが、参考として面接経験を書き残す。
面接での質問は、これまでの仕事のことを深掘りされることが多かった。
一問一答で準備しておけるようなものではないため、成功したこと・失敗したこと・仕事中に心がけていることなどを整理しておくことが必須である。新卒からコボラーの人間に技術は期待されないから、アピールできるところが仕事の進め方や考え方だけだからだ。
また、気になるITの話題や自己研鑽の質問への回答をそれぞれ2〜3くらい用意しておくとベスト。
志望理由は、表向きの転職理由と求人票の職務内容を結びつけて言えばいい。ここを起点に他の話に発展していくことも多く、嘘の理由であっても結びつきをブレさせない意識を持つといいだろう。
企業研究はインターネットで調べて、事業内容と今後数年の計画を口で語れれば十分かと思われる。新卒と違って会社説明会なんてものはなかったが、面接担当者が面接中にどのような会社か親切に語ってくれるから、そこから志望動機にも繋げていくことができた。
そして、自分と同じく経歴がクソだと思う転職希望者たちには次のことを言いたい。
たとえ転職先で希望のキャリアや待遇が手に入れられなくても足がかりになるような経験が得られるか、でエントリーしていくといいと思う。
もしかしたら、転職した後に「失敗した」「隣の芝生が青いだけだった」なんてことになっているかもしれないが、そのときはまた転職活動を頑張る所存。
採用と教育のコストを考えろよというご意見には、退職されないように経営しろと回答させていただく。
ここまで来て一点大きな訂正をさせて欲しい。
コボラーを名乗っているが、実際はCOBOLよりJCLに触る時間の方が多かった。なんなら、JCLで一番動かしたものは読めないアセンブラのツールだったかもしれない。汎用機バンザイ。
先祖代々のワキガ(少なくとも祖父母と両親の6人がワキガ)である我が一族に伝わるワキガ三大奥義を悩めるワキガに伝授しよう。
みっつ、体を洗ってから15時間が外出のタイムリミットだと思え
まず大前提として、毛を剃れ。
パースピレックスやワキガードも塗ってるのに全然臭うと悩んでいる奴ら、大体ワキ毛を剃ってない。
ワキ毛を剃らないとそもそも皮膚に薬を塗れてないので意味がない。
特に塩化アルミニウム系の汗腺を塞いで汗を止めるタイプのものは、汗腺に直接触れないと何の意味もない。
わずかなワキ毛でも薬を塗るのに多いに邪魔なので最低週1、肌が頑丈なら毎日剃る方が良い。剃ると肌が荒れるなら脱毛クリームという選択肢もあるのであった方を選ぼう。脱毛するのもいいぞ。
ワキガに産まれた人間の人生は三択しかない。「ワキと陰毛をまっさらにする」「手術を受ける」「臭いと陰口を叩かれながら暮らす」このどれかだ。一番無難なのは陰毛を除去すること。手術をしても臭いを取りきれてない場合は結局陰毛を除去して薬を塗って暮らす人生も存在する。
そもそも「スソワキガ」というものを知らないワキガもいるかも知れない。スソワキガは股間のワキガだと知っていても、どこにアポクリン汗腺があるのかちゃんと分かってない人もいるだろう。
俺はちゃんと場所を知らずに2年ぐらいずっと太ももにだけ薬を塗っていた(腕の付け根がワキなら脚の付け根はふとももだから)。ある日それを見た父親に「お前、何も分からずにワキガ対策をしているのか?」と言われ、スソワキガの正しい場所と上の三原則を伝授されたわけだ。
スソワキガの場所は陰毛が生えている場所だ。「Iライン、Oライン、Vライン」で画像検索をしてみてくれ。文章だけでイメージするよりもいくつも画像を見てちゃんと知るべきだ。
毛を剃ったら薬を塗るんだ。
手術をするという選択肢もあるが、手術はリスクがあるからやる時は医者とちゃんと相談して、薬を塗って収まるなら薬で凌ぐことも考えて欲しい。
最近はやっているミラドライとビューホットは技師の能力や相性にもよるが、50万払って全く何のいみもなく終わることも多いのでオススメしない。
手術をするなら切る以外の選択肢はないと思ったほうがいい。
というわけで無難に済ませる手段として薬があるのだが、薬には3つの種類がある。
まず最も効果が高いのが汗そのものを出なくする塩化アルミニウム液だ。雑菌の栄養源や湿気の原因となる汗自体を防ぐのでかなり直接的に効果が出る。ただし肌へのダメージが強いので剃毛後の肌にすり込むと激痛が走ることも。
次に効果があるのがミョウバンだ。これは肌を酸性にすることで菌の繁殖を防ぐ効果と、汗腺の機能を押させる効果が期待できる。完全に汗を止めるわけではないから、汗が多いと少しずつ流れ出してしまう欠点がある。
最後に臭いそのものを減らす消臭剤だ。ワキガの強烈な臭いの前では余りにも脆弱。基本的には上の2つと併用するオマケだと思っていい。
ワキガの薬は国内外で多数出ているので色々試して体にあったものを使うのがいいだろう。臭いが消えているかどうかは一日着ていたシャツのワキ部分を嗅いで見れば大まかに分かるはずだ。全然効いてないときは全然凄い臭いがする。
そして効果の有無より重要なのが肌に合うかどうか。新しい薬を買うときは最初の量は少なめにしておこう。そもそも痛みが強すぎて使えない薬も多いからだ。
最後になるが、ワキガ人間は長時間の外出はしないほうがいい。出かける前にシャワーを浴びておくか、アルコールティッシュ程度でいいからワキガ部位を拭いて乾かしてから薬を塗るのも忘れるなよ。
ワキガグッズは「24時間ずっと効く!」なんて言ってるが、あんなのは効果が完全に消えるまでが24時間ということであって、数時間もすれば効果はすでに半減している。
程度にもよるが、強いワキガ人間は朝シャワーで脇を洗ってから薬塗っても終電の時間には完全にワキガが臭っている。ちょっと残業をするだけでもすでにかなりヤバくなっていると思っていい。終電ギリまで飲み会とかは絶対に避けるべき。やるにしてもどこかで一度ワキを洗うタイミングを作ったほうがいいだろう。
軽く拭いて延命は出来ても体感15時間ぐらいでリミットが来る。自分の体感なので実際には12時間ぐらいでもう駄目かも知れない。朝シャワー→定時退社を基本で生活を設計するべきだろう。人生設計そのものをテレワーク中心で考えるべきかも知れぬ。
昔は日本中にバキュームカーが走っていてそこらじゅうウンチ臭かったおかげでワキガも多少はごまかせたが、今の生活な町並みでワキガ臭は十二分に排除の対象となる。ワキガに産まれた人間は正しい知識を身に着けなければ生き残れないぞ。
間違っても「切らないワキガ手術のミラドライしたから一生ノーガードでもいいはずなんだが?」みたいな勘違いだけはするなよ。切らなきゃ治らず、切っても残るがワキガの基本だ。切らなくても薬と自己管理である程度解決できるし、切った所で自己管理を怠れば全然臭うのがワキガだ。
自己管理の話をしてしまったので、裏奥義である「体臭の強くなる食生活を辞めろ」も話しておくか。
ワキガはアポクリン汗腺から出る脂っこい汗が、よく分からんクソキモい雑菌の餌になりそいつらが意味不明な化学反応で臭い物質を作り出すことでおきる現象だ。
虫歯菌が砂糖から酸を作り出して歯を解かすのと似たようなことが起きていると思って欲しい。虫歯の場合は甘いものを控えると菌のはた迷惑な生態を抑えることが出来るが、ワキガの場合も汗の脂成分を減らせば菌の繁殖や臭いの発生を抑えられる。
ワキガ菌の餌になりやすいのがニンニク・ネギ・動物性タンパク質・脂質だ。
腸内環境を整えるとワキガが減ると言われているが、正確には腸内環境を荒らすような食べ物とワキガの原因になる食べ物の一致率が高いということなんじゃないだろうか?(個人の空想です)
ジャンクフードや肉の食べ過ぎは良くないと言われているが、何より危険なのがネギ科の食べ物だ。ネギやニンニクは美味いので色んな食べ物に入っているので注意が必要だ。外食や弁当でネギが入っていたら残せとまでは言わないが、調理する食材を自分で選ぶときや冷凍食品を買うときなどは極力ネギ科を避けるようにしたほうがいい。自炊しない人でも成分表示を見てニンニクを避けるだけで摂取量はかなり減らせるはず。
実際、俺が連休中だし引きこもるから大丈夫と焼き葱を一晩に2本食べた時は次の日自分の体臭で目が痛かったからな。マジでヤバイぜ。犬がネギ食うと死ぬのは自分の臭さに耐えられなくて死を選んでいる可能性さえあるなと思う臭さだった。
ワキガに生まれ落ちることは対策の出来ない不幸だけど、ワキガそのものは対策のしようが無数にある病気だ。体質的に太りやすい人間よりかは辛いかも知れないが(食生活的にワキガも高カロリー食は控える必要があるが、デブなだけならネギは食えるので)、糖尿病や癌に比べればまだマシだと思って頑張ろう。とりあえず、毛を剃れ。陰毛もだ。剃るべき陰毛の場所はちゃんと調べるんだ。自信がないなら医者に聞くんだ。そして薬を塗れ。手術をしても完全には消えないので一生付き合っていこうな。
そのじいさんが亡くなった。
昨年に父が亡くなり、私の実家は車を処分したので、実家に帰省するときはレンタカーを予約する。この連休もそうした。
安いので、地元の自動車修理工場がフランチャイズでやっているインディーズ系レンタカーにしてみたら、受付してくれた事務の親切な女性は、レンタカー約款を読み上げる間中修理工場から爆音で流れてくる演歌のUSENに向かって突然「ああうるさいっ!」とブチぎれ、「あなたもうるさいと思うでしょう!?」と私に同意を求め、同僚に修理工場につながるドアを閉めさせると、「最後に乗っていたのは平成15年式のbB(みんなの地元のDQNがよく乗ってたやつ)です。令和になってもまだ乗ってました」というある意味SDGsでは? みたいなことを平気で言う私に、令和2年式フィットハイブリッドという、まさに隔世の感というほかない車の操作方法をとても丁寧におしえてくれた。
そんな調子で車を借りて帰ったところ、母に、「同じ町内会のじいさんと私を、車に乗せて買い物に連れて行ってほしい」と頼まれた。
正直、ちょっと嫌だった。母はよく知っている人に違いないだろうが、私はそのじいさんをほとんど知らない。まさにあいさつ程度のイチゲンじいさんであり、むこうも私を同じように思っているだろう。そのイチゲンじいさんを車に乗せて買い物に行く…気が重い。万一大事故になったらどうしよう、面倒だなあとか、そもそも知らない人が苦手…などと種々のことが頭をよぎったが仕方がない。年齢的にも立場的にもそんな子どもじみたことは言ってられないので、私は母の申し出を受け入れ、じいさんと母を買い物に連れて行った。母には一瞬「ええ…」みたいな顔をしてしまったが、じいさんの前では全力の快諾顔を心がけた。
実家の所属する町内会は、会の中でまた数ブロックにわかれているらしいが、母らのブロックだけ会費が余りがちのため、いちど寄合(=飲み会)でぱっと使おうということになったそうだ。じいさんはブロックの会計掛で、だから買い出しにゆくとのこと。90代のじいさんが町内会の財布のひもを握る、これが種々の法律の目的条文に言うところの「少子高齢化の進展」ってやつだなと思った。なお、飲み会の予定は明日とのこと。何もかも急だ。
母とじいさんは、かごいっぱいに酒やつまみを入れた後になって、急に予算に収まるか心配しだし、その場で減らそうとするので、「レジ通して予算越えた時点で減らしてもらったらいいですよ」と私は横から口を出した。買い物は予算ぎりぎりにおさまっており、母は、じいさんのことを「さすが!」と謎にほめ、じいさんもまんざらでもなさそうだった。
じいさんは先述の通り90代、母は70代なので、畢竟ひとり30代の私が荷をせかせかとトランクに積み、これで一安心と思いきや、ついでに寿司の予約にも連れて行ってほしいというリクエストが出た。一瞬「マジか…」と思ったが、乗り掛かった舟というかもうすでに乗っている船なので、ニコニコ笑って「いきましょう!」とうけおい、ナビに寿司屋の住所を設定して寿司屋に向かう、その道々、寄合は公民館ではなくじいさんの自宅でやることになっているという話になった。
じいさんは、「もう暑いから、たくさん人が入るとエアコンを入れないといけないかもしれない」と言い、私は「電気代とショバ代として、今日買った酒の数本くらいご自身で晩酌にされても罰は当たらないと思いますよ。余っても最後みんなで分けちゃうんでしょうから、今日先に飲まれたらいかがです? あ、私は絶対誰にも言いません」と真顔ですすめ、それをきいた母は助手席で、じいさんは後部座席で笑っていた。
寿司の予約がすんで車にもどったところで、私はじいさんに「ほかに寄りたいところはないですか?」ときいた。じいさんが大丈夫というので、家まで送っていき、大量の酒を玄関通り越して冷蔵庫の中までわっせわっせと運び込み、私はようやくそこでお役御免となった。
じいさんの家の下駄箱の上には「努力」と彫られた大きな飾り駒があった。それは木工をしていたじいさんが昔手ずから彫った工芸品だそうで、「努力」と書いた将棋の駒というまんがみたいな一品を掘れる人がこんなに近くにいることに、私はいたく感じ入ってしまった。マクロ組めるより努力って掘れるほうがぜんぜんいいな。
そしてその三日後、飲み会から数えれば二日後に、じいさんは亡くなった。布団の中で亡くなっていた。連絡がとれないことを案じた親戚がすぐにかけつけ、発見ははやかった。
その日にはもう私は実家から婚家に戻っていた。母から送られてきたLINEでじいさんの突然の訃報に接し、文字通りの突然の訃報ぶりにひどく衝撃を受けたが、母はLINEに「まあ~おとしにふそくはないでしょう」(原文ママ)とも書いて寄越し、その意外なドライっぷりにはちょっと笑ってしまった。
そうして私は、じいさんを買い物につれていくことを快諾し、道中ずっとにこにこして、精一杯ふたりを手伝ったことを、本当によかった…と思った。じいさんのために、というか、自分の精神衛生のために、よかった。すげなくした直後に死なれたら、すげなくしたという自己責任(良心の呵責と言い換えてもいいかも)を背負いきれない程度にはショックだったと思う。
それに、連休のよく晴れた日に、ちょっと妙な三人組ででかけたその買い物、なんだか私には結局楽しく思われたから。
死ぬということが、生きるということから決して遠くはなれてはいないように、死んでしまった人たちもまたそうである、と私は思う。つかずはなれず、なんとなく私の歩様にあわせて、今も隣を歩んでいるように思う。
最初に私をかわいがってくれた人を亡くしたのはまだ私が赤ちゃんの頃、母の親友のお母さん。とても愉快な人で、父との結婚を迷っていた母に、「母(はは)ちゃん、馬には乗ってみよ、人にはそうてみよ、よ」とはげました。そのうちこの世にやってきた私は、母以外の人に抱っこされると、せっかくやってきたこの世の終わりのように泣き叫ぶタイプの赤子だったのに、その母の親友のお母さんにだけはごく機嫌よく抱かれていた。そういう写真が残っている。私は、物心もつかないうちに、おしゃべりもできないうちにお別れした、母に伝えきいただけで自分では何にも覚えていない彼女のことを、いつもお守りみたいに心の中に持っている。赤ちゃんだった私に向けられたその無償の厚意を、つらいときの糧にしているようなところが今もある。
最初に友達を亡くしたのは小学一年のころ、友達は前歯が抜けていて、永久歯が生えてくる前にいってしまった。その子のお母さんは今になっても私に会うと、生きてたらあの子もこんなふうだったのかと思うという。私の節目、節目に、そう思うという。そのとき、友達がわたしの隣にいないという人はきっといない。
父親は私のことが大好きだった。父と母と私の三人で、あるいは父と二人で、父の運転する車でいろいろなところに出かけた。ときには父にさそわれて、その仕事についても行き、こんなに大きな娘さんがいるのと客先に驚かれ、父はにこにこしていた。
父は死ぬ間際までほそぼそと仕事を続け、わたしは彼が亡くなる直前にアポをとっていた客先の数件に、父が亡くなったことを知らせる電話をかけた。はじめて話をした先方は、私が電話をかけてきたことによほど驚き、父が亡くなったとの知らせにしばし絶句した後、あなたのことを先生はいつも自慢そうにしていたと言い、最後には先生がいなくなったら誰を頼みにしたらいいか、本当にお世話になりました、と泣き出した。私は、涙する相手に、○○さんのおかげでほんとうに最後の最後まで誰かの役に立たせてもらって、惜しんでまでもらえて、父はとても誇らしく、ありがたく思っていると思います、と言うしかなかった。でも父は、実のところ、そんなに殊勝な人間でもない上、けっこう変わってるよなというレベルでこだわりの少ない人でもあった。
父が亡くなる直前までLINEをやりとりしていた人たちに、そのままLINEで父の逝去を伝えようとしたのだが、父はLINEのトークをある程度の期間が経つとかならず全削除するという、こだわりのなさを通り越して、ややサイコパスのような一面をもっていた。
亡くなるひと月ほど前、父は、免許を返納することにしたというLINEをわたしに送ってきた。車というものは私たちの思い出の多くを占めており、驚いた私が父に電話をかけると、「薄暮の時間帯に信号の見落としをした。今まで一回もそんなことはなかったんだから、もう潮時だと思った」と淡々と父は言った。あれだけ運転が大得意で、大好きで、アイデンティティの大部分をしめていたように見えたのに、引き際を悟ればもうしがみつない。その、ものに拘らない姿勢に私はいたく胸を打たれたし、これができない老人が多い以上、今もって、父の最も尊敬すべき美点の一つだとおもう。
ただ、電話を切ったあと、今までいろいろなところに連れて行ってくれて、たくさんの送り迎えをしてくれて本当にありがとう、と万感の思いをこめて送ったLINEも、父が、入院後(退院してくることはなかった)母とかわしあった感謝の思いを伝え合うLINEも、亡くなった時には父はすべて消しており、それを見て、私も母もあまりの父らしさに爆笑した。
(ついでに、父が亡くなる前々日まで、もはや執念のトークの削除を行っていたので、トークルームのどのあたりの人たちにまで逝去を伝えるトークを送るべきか見当もつかず、非常に頭を悩ませることになった)
そんな感じの人だったので、この世に未練というものがあったとは到底思えない。退院の手筈を整え始めていた日の深夜の3時過ぎという、家族がやや油断している上に一番身動きしづらい、マジでどうしようもない時間にいきなり息を引き取ったため、父の死に目にあえなかった母。父の逝去からしばらくして、急に「お父さん、最後に私に言いたかったことなかったんやろか」としんみり言い出したので、私は反射的にげらげら笑って「あるわけないやん」と言ってしまった。死ぬ間際まで律義にLINE全削除を続けた男にそんな情緒があるとはちょっと思えなかったのだ。母もすぐにげらげら笑いだし「そうやね」と言った。
こんなふうに父のことを思い出しているとき、私はやっぱり父がすぐ側にいるように思う、フロアシフトを挟んだスカイラインの、運転席と助手席くらいの距離のところに。
生まれてから今日にいたるまで、誰かの死はいつでもそばにありつづけた。だから死んでしまった人たちも、同じようにいつでもそばにいるように思う。
生きてとなりにいる人のように声をかければ答えるわけではない、電話をかければ出てくれるわけでもない。そうだったとしても、生きている人とはほんの少しちがう居方で、それでもわたしのとなりにいてくれているのではないか、と、わたしはいつも信じる。
じいさんは、私が買い物に連れて行った翌日の飲み会の日、つまり亡くなる三日前、近所に住むばあさんに、私のことを「車に乗せて買い物に連れて行ってくれた。あの子はとてもいい子だ」と言ったそうだ。
それを近所のばあさんから母は伝えきき、今度はわたしにそれを教えてくれた。じいさんがそう言ってくれたから、近所のばあさんは私に「会ってみたい」と言っているらしい。
ありがとうじいさん。よくわかんないけどばあさんも、私に会いたいと思ってくれてありがとう。会おう。
私は今、私に会いたいと思ってくれる人がいるなら、その人にとても会いたい。だから、次の帰省のときには、私は近所のばあさんに顔を見せに行くつもりでいる。
私の目にうつり、私が今生きている世界は、そのときには隣に、近所のじいさんがどうしたっていてくれる、そういう世界だ。
---------------------
6/22
父の死は、私にとってとても大きな出来事で、父のことを書きたいと1年間思い続けているけど、整理がつかずになかなかかけずにいます。一部ですが少し吐出せて、それを読んでもらえてうれしいです。
私が書いた別の読みたいというブコメをみかけたので、かなり以前に書いた増田ですが、お年寄りの話題・肉親の死が出てくるものを2つほど貼っておきます。
※ビービーの車名直しました。廃車するとき泣きながら見送ったのに間違えてしまった、ご指摘ありがとうございました。
あまり茶化せるような状態ではないのだけれど、せめて私は茶化すぐらいの気持ちでいないと、娘が心配。
旦那は大学時代バンドやってたけどきちんと公務員就職して(完全に氷河期当時だったからものすごい努力をしたのはわかる)、結婚してからも週末にバンドをやっていたけど、子供ができた時にバンドを辞めた。
それからも一人でギターは弾いていたんだけど、娘が赤ん坊の時に寝ている傍で子守唄を弾き語りしていたので、私がキレてしまい、ギターを全部捨てさせた。(私は今で言う所のガルガル期だったので、当時のことはあまり覚えていない)
娘がこの春に名前は違うけど実質的な軽音部に入って、貯金に加えて少しお小遣いを前借りしてエレキギターを買いたいというので、夫は了承してお金を出し、娘は喜んで連休前半に買ってきた。
その後娘は一生懸命練習しているんだけど、それと同時に旦那が酷い顔になっていった。
夜に娘が練習し始めると、これまで夜の散歩の習慣なんてなかったのに、明らかに変な顔をして家から出ていく。
今思うと旦那は当時本当に子守唄の音量で弾き語りしていたんだろうし、それなのに私が強制的にギターそのものを辞めさせたものだから、ずっと我慢していたんだろうけど、
そうだとしても、娘が好きなことやっているのにそんな酷い態を度取るのも、親としてどうかとは思う。
娘も旦那がおかしいことにどうやら気づいたらしく、「私がうるさいから機嫌悪いの?」と旦那に訊いていて、そうではないと旦那は答えたけど、それ以上何も伝えなかった。
このまま旦那の行動がおかしいと、娘の方が負担に感じてしまいそうで、それは何としても避けたい。
旦那は趣味も持ってないので、私だけが趣味で習い事やっているのもずっと悪い気がしていた。そういう意味でもやってほしい。
でも「あなたも再開してみたら?」を言ってしまったら、旦那のメンタルがさらに不味いことになりそうな予感もあり、躊躇している。
銀座のホコ天とか歩道から道路に侵入してアクセル全開にすれば余裕で出来るだろ。
ホコ天じゃなくても連休で混んでる渋谷のスクランブルで歩行者青のときに突っ込めばいいだけ、誰でも出来ることには変わらんだろ。
よく男性と女性の性差で議論になるとき「性差よりも個人差の方が大きい」という優れた意見に出会うことがある.同感である.
確かに性差はあるだろうが,個人差の方が大きいのは事実だろう.
東京 vs 地方の話題も同じだと感じる.どちらも都合よく,文化や環境の議論をしているように思う.
そこで,地方の子育て事情(3σ外れた異常値と認識している)として,自分が行った子育ての例を紹介したい.
異常値であると記載した通り,地方の子育てがこれが平均だというつもりは毛頭ない.むしろ,地方においても親が異常者であればこういう子育てが可能であるという例である.
先にバックグラウンド.私は東大卒で,妻も東京の国立大学卒である.二人とも博士号を有している.
仕事の都合で,地方都市(三代都市圏近郊ではない,まさしく地方都市.人口数十万人)で15年間子育てをすることになった.
私は仕事で住んだ地方都市よりもさらに人口の少ない地方都市出身者であり,18歳までその地元で暮らしていた.
まず,毎週末のように,県内及び隣県にある文化施設や大きな公園などに高速を使って出掛けていた.
子供たちが異常に好奇心が旺盛であったため,科学館や天文台,美術館,博物館なんでもOKだったし,
公園には必ず図鑑を持って出かけ,気になる花や虫は図鑑でチェックしながらなるほど〜と家族みんなで確認した.
連休は近隣県でジオパークに出かけたり,温泉旅館に泊まったりした.行く前に図鑑や本で地域の情報や歴史を調べ,
車の中でみんなで披露するというのがお出かけのパターンであった.
中学校くらいからは歴史に出てくる場所や有名建築家が設計した建築物回りなど,社会科学寄りのお出かけも増やしていた.
半年に1度程度の頻度で東京や大阪には出かけ,そこでしか体験できないこと(科博,未来館,キッザニア,鉄博,USJなど.なぜかディズニーには一切興味を示さなかった)
にも出かけた.特に未就学時は鉄道大好き人間だったので,JRの全ての鉄博,地下鉄博物館,京王レールランドなどにも行った記憶がある.
体験格差などという言葉があるが,少なくとも我が家はお出かけという観点において,首都圏での子育てと比べて,劣っているとはあまり思っていない.
それは元々自分も妻もお出かけ大好き人間であり,軽々しく遠出をする人間だったためと考えられる.
上の子,下の子ともにゲームは2-3歳から解禁していたが,1日30分というルールで行っていた.最初は駄々を捏ねていたが,
1週間もすればルールに順応する.小学生からは1日1時間.お休みの日や特別な日(テストが終わった日など)は長時間を許すという柔軟な運用をした.
私自身ゲームが大好きであり,子供の頃も馬鹿みたいにやっていたので,ゲームをすれば頭が悪くなるなんてことは一切考えたことない.
一方で,ゲームは面白すぎるのでやめ時が難しいことが問題で(これはマンガであれ,Youtubeであれ,小説であれ,映画鑑賞であれ他の全ての趣味にも共通する)
そこさえ親がきちんと見守れば,子供がやりたいこと,見たいものは与えて良いと思う.際限ないことが問題なので.
習い事や勉強について.未就学期の習い事は上の子は水泳,ピアノ,造形教室,ダンス教室,下の子は水泳,造形教室だった.
通っていたお絵かき教室が県内で相当有名なところであり,コンクールの賞ゲッターを量産するところだったので,
我が家もそれなりにエフォートを割き,小学生と中学生の際にはいくつかの賞を受賞し,地元の新聞に載った.
公文は個人的に否定派だったので,未就学時は自宅でこぐま会をやっていた.もちろん小学校受験などするつもりはないので,あくまで頭のパズルと基礎力をつけるという程度.
自宅で先取り学習は絶対にしないようにした(ここでいう先取り学習とは学年よりも先の内容をやること)
小学校(公立)では,全く勉強に困ることはなかった.これは首都圏のようなレベルの高い競争がないため,当然と思われる.
そのため,自宅では,首都圏の中学受験用の教材を4年生くらいから利用した.また,その地元の進学塾にも通っていた.
大学時代の友人(首都圏在住)を通して,勉強法を聞いたり,首都圏と地方での勉強の違いなどを埋めようと親が努力した.
(が,友人とも話したが結局は個人差の方が大きいというオチだった)
中学受験期には,本人も同意の上で,通えないこと前提で首都圏の学校をいくつか受けた.本人にとっては力試しという意味が大きく,通えないことは理解していたし,前向きだった.
上の子は開成に受かり,下の子も渋幕に受かった.上の子は中学は地元の公立中学に進学した.下の子は後述.
上の子が開成に受かった時は親としても非常に悩ましく,妻と子供たちだけ首都圏で暮らすことも考えた.
が,家族みんなで暮らす方が楽しいだろうということで,これはあくまで力試しが目的だったはず,本来の目的に戻ろうということになった.
ただし合格は本人の自信になったようだ.
それから数年後に私の転職があり,首都圏で暮らすことになった.
上の子は高校受験で開成に,下の子はちょうど引越しタイミングと受験タイミングが重なり,渋幕に無事合格した.
子供達二人とも首都圏に引越してから,学校でついていけないこともなかったし,特段の文化的な劣等感も感じることはなかったと話していた.
この後,我が子が殺人鬼になったり,オレオレ詐欺の主犯として捕まる可能性もあるので,手放しで自分たちの子育てが成功例であるとは言わないが,
少なくとも人口数十万レベルの地方都市においても,首都圏と同レベルの子育てはできるという実例になると思う.
もちろん親は二人ともめちゃくちゃ努力したと思う.そりゃ週末はイオンに行って1日過ごせば親もフードコートやゲームセンターで休めて楽だけど,
妻がお弁当を作り,大きな公園で遊ぶ,子供達が疲れてきたら近くのイオンに行き,買い物をして帰るという生活は体力的にも根性的にも辛い.
ただ,あの時の自分たちは私の仕事の都合で地方都市で暮らしていたこともあり,親の都合で子供達の住む場所が決まってしまっていることへの罪悪感からか,
過剰に,それこそ首都圏での子育て以上に様々な体験をさせてやるんだという気概があったように思う
その意味では,首都圏がどんなに文化や環境に恵まれていたとしても,1日中switchを与えて親が子供を放置していた家庭よりは地方の我が家の方が多くの体験をしていただろうし,
かといって周りを見渡した時に,周りのご家庭が我が家のようにある意味で狂気的な子育てをしていたかというとそんなことはないと思う
よって「地域差よりも家庭差の方が大きい」という面もあることを伝えたい.
「東大卒博士号の経歴をドブに捨てて田舎の専業主婦で終わった奥さん可哀想という感想しかない 」
というトラバ,まず妻は東大卒じゃないし,専業主婦とも書いてないんだが,エスパーか?
妻は専門職なので,地方都市でも東京でも育休中以外ずっと働いてたんだが…というのが1点目.
次に,仮に東大卒博士号持ちが専業主婦をすることの何がおかしいのか,可哀想なのかがわからないというのが2点目.
もしかして博士号のような生産性の高い人物が子育てという非生産的な行動を行うのが勿体無いと言いたいのか?
世の中で博士号持ちの女性,たくさん子育てしてるよ.日本だけじゃなくて海外でも.
それに,君,働いたことある?会社の仕事取ってくる営業や開発だけが生産的で,人事はコストセンターで生産性が低いまたはゼロと思ってる?
目の前でお金を稼ぐことだけが生産性じゃないんだよ.世帯内や社会全体で役割が分担されていて,その寄与度は複雑な関係になってるよ.
それに君が好きな生産性で言えば,うちの子供達が2000億ドルくらいのイーロンマスク並の資産を形成したら
うちの妻が仮に東大卒博士号持ちの専業主婦で20年子育てしたとしても,100億ドル/年のリターンがあるわけで,めっちゃその優秀な能力を発揮したことにならない?そんなこと求めてないけど.
3点目として,別にうちの子供がイーロンマスクにならなかったとしても,うちの妻的には人生が楽しければ良くないか?
上にも書いた通り,私はゲームが好きなんだけど,ゲームした時間って別に新自由主義的な意味で生産的な時間じゃないだろうけど,面白ければ良いのでは?
我々夫婦が「大変なこともあったけど,色々二人で頑張って面白かったな.子どもたちも育って勝手に好きなように生きてるし,なかなか我々がんばったね」って思えたら御の字で子育てでそれ以上を求めても仕方ない気がする
増田は友達が少ない方なので、30過ぎて初めてマルチの勧誘をされた。海外投資マルチだ。
大元の紹介者という人のFacebookを見せられて、「この人は女性なのに先日クルーザーを買って、みんなでお祝いしたんですよ」って写真を見せてくれた。私も乗せてもらいました!すごいんです!って言ってた。
うちのパパは三階建てのクルーザーを二艘持ってて、でも川辺のマリーナに停めてたから家族から「川の男」ってネタにされてた。たまに連休で船を走らせて離島に行ったりしてる。
そのクルーザーと比較したら一階建てですごいちっちゃい船だったもので、すごい儲かるってこんなものかと思った。それなら叔父の持ってるセイリングボートの方が夢がある。
口に出したら鴨にされるだろうから黙ってたけど、マルチのおかげでパパがすごいんだなぁということがわかりました。ありがとうマルチ。
地方自治体に勤務している。
課内のある係が崩壊した。
1つの係は6人〜9人で成り立っておりそれぞれの業務を担当している。
その係はもともと別の部署からの異動者が多い上に人数も揃っていない。
加えて異動でやってきた職員たちもメンタルで休職に入ったり、元々予定していた産休に入った。
そのため、その係は現在新卒と係長の2人のみで業務を行なっている。
他の係から人を回すという案も出たが、自分の係の人員が減ることを嫌った係長たちの抵抗により「各自手の空いた者が新人をサポートし、いない人の穴を埋める」という結論になった。
5月に入り、当初はデスクの近い係の人たちで新人に業務を教え、いない人たちの仕事を処理した。
新人も一生懸命自分で調べたり周りに聞きながら自分の仕事を行い先輩たちの穴埋めをしていた。
連休に挟まれた3日間の平日、当初の2日間新人はとんでもない勢いで仕事を覚えながら残業してなんとか仕事を間に合わせていた。
しかし、4連休前日の木曜日に係長が有給休暇を取得して、1人取り残されたことで崩壊してしまった。
その日、定時で退勤しようとした新人にうちの係長が「大丈夫?終わりそう?」と声をかけると「もう焼け石に水なので帰ります」と言い帰宅してしまった。
私は連休前に自分の仕事がなんとか間に合いそうな安堵感と新人を見て見ぬふりしていた罪悪感を抱いた。
自分の仕事のみを終わらせて他の係や他部署の同期と一緒に定時で帰宅するようになった。
係長が「もうちょっとこれ片付けてもらえない?」と言っても「どうせ間に合いませんし、〇〇さんもあがりましょうよ」という調子だ。
結局、私含めたみんなで休職者と新人に呪詛を呟きながら今日も残業してその係の業務を片付けている。
私はお仕事。
診断はつかない程度にメンタル不安定な社会人3年生(今春から第2新卒)兼一人暮らし3年生。
地元が田舎すぎて車必須なので、車のいらないエリアに一人暮らし。しかしすぐに仕事を辞めて派遣やバイトをしてたので、更新のタイミングで実家に帰ろうと思っていたのだが、親への就活してますアピールのために受けた市役所に幸か不幸か受かってしまい、結局一人暮らしを継続している。
一人暮らし3年目でも、相変わらず実家に戻りたいので、月1回は帰っている。なるべく有給で長期休みをつくって、実家にいる日数を少しでも長くしたりしている。
でも、なぜか実家に帰ると鬱々モードになる。身体が重くて、昼寝しないとやってられないし、夜も起きていられない。とにかく眠くて無気力になる。気のせいかとも思ったが、彼氏にも「帰りたいって言うわりに、実家にいる時メンタル落ちたり疲れてる感じの時多いよね」と言われた。なんでや。今回のゴールデンウイークも10連休にして全部帰ったが、ずーっと身体が重くて頭がぼーっとして惰眠を貪り続けていたのだが、戻ってきたら普通に頭も体も動けるようになった。なんでや。でも、別に嫌とかではなくて、実家にいる時もずっと「ゴールデンウイーク終わるな帰りたくない帰りたくない」って気持ちだった。
○ご飯
朝:なし。昼:サラダ。夜:バナナ。シメジとタマゴとブロッコリーの煮物。ポロイチ塩。トマト。間食:なし。
○調子
むきゅーはややー。おしごとは、それなりー。
連休終わったのでテキスト主体のアドベンチャーゲーム以外の運営型スマートフォンゲームの感想を再開する。(日課程度は遊んでたは遊んでたけど
光のリバースマグナが、シュヴァマグ石超越250、銃4凸5本、槍4凸2本、刀4凸3本作ったのでひと段落。
いや闇と火が追加された上に、まだ風が終わってないので周回遅れなんだけど。
先にコロッサスとセレストの石の超越250はしておかないとだ。
アネモネちゃんで深域クエスト余裕らしいんだけど、全然コピーできる編成なくて諦めた。
正月ホマレさん引いてないよお。
○ウマ娘
結構前の話なんだけど、天井貯まってないのにお漏らしガチャしてしまい、当然出なくてちょっとガチャ我慢できない自分が嫌で落ち込んでた。
いちど6時に起きる。ねむかったので二度寝。起きたら13時だった。猫を膝の上に乗せる。甘えてきた。
Xで学生時代の思い出をつらつら投稿する。隙あらば自分語り。長い。
別に誰も反応されなかった。
友達からLINEが来た。通話しないかと言われていたが向こうが昼寝してなしになった。
薬を飲まないと陰湿さが増す。
でもそれだけなら飲まなくても大丈夫だと思う。やめたいから。本当に病院に通って脳の薬もらう必要があったのか?
Xの別垢の、なんか病んでる大学生に感化されそうになったのでこちらは見ないようにする。ログアウトした。
今は外に出るのがそんなに怖くない。きっと行けると思う。バイトで貯めてたお金も手をつけてない。親も少しだけ出してくれるらしい。こんななのにお金出してもらってごめん、本当はちゃんと正社員になって他人の目にビクビクせずマトモになりたいよ
街の様子が変わっていてびっくりした
こんなに物騒な街だっけ?
私が中学生のとき(2010年代前半ごろ)は友達と何するにもまずは難波行こうぜって感じだった
服買いに行ったりなんか食べに行ったりさ
土日のお昼は同い年ぐらいの子が商店街にうじゃうじゃいて、歩きやすい街だった ちょうど近所に住んでたし
ひっかけ橋の方行ったらちょっと怖い見た目の人いたりさ 中学生に声かけてくるおっさんとかもいて「キモかったねー」って帰り道みんなでバカにしてた
危険な思いをした体験というとその程度だった 変なおっさんいたとか酔っ払いに声かけられたとか
親も、アメ村の方は怖いからあんまり行くなよーって言ってたぐらい
私がこないだ行ったときはお昼ぐらいだったんだけど、まだ明るいのにトー横キッズみたいな人が街中にうろうろしていてびっくりした
夜職っぽい見た目の人も昼間からうろうろしてたな
もちろん別にそういう人たちがいてもいいんだけど、私の記憶ではこんなに多くなかったはず
テレビでグリ下?の子たちが増えてるって言ってたのは見たけど、難波全域がこんな感じになってるとは思わなかった
仮に自分がいま中学生だったら、気軽に歩けるかどうかちょっと分からないなと思った
でもなんか全体的にあのあたり治安悪くなりすぎじゃない?
観光客多いのはまあ確かに思ったけど前からそうだから…梅田もそうだし
それに私の学生時代には既に爆買い外国人とかなんとか言われてたし それにしても増えたけどな つるとんたん並び過ぎやろと思った、こんな混んでたっけ
だから連休前に辞めとけって言ったろ anond:20240507061623 anond:20240506110240 anond:20240507064255
GWが終わったよ。
心配していた体調は崩したりしなかったよ。
部屋の大掃除は部分的にできたといったところ。一角はなんとかできたが、残りがまだまだ。
英語の勉強も部分的にはできた。金のフレーズを3/4周程度行った。正直、量としては想定よりかなり少ない。
体を鍛えるトレーニングも結局、腹筋のような無酸素運動は全く行わなかった。ウォーキングはそれなりにできた。以前より遠出もできたし。
総合してみると程々には充実できたとは思う、外形的には。
内面の話をする。
連休中に昔の3DSソフト(バッジとれ~るセンター)の動画がYouTubeのお勧めに上がって来たので見た。
当時たくさんやったが、今はもうサービス終了してデータも残っていない。
あんなにたくさんやったのに、全く形に残っていないことに無常感が込み上げてきた。
むなしい。