はてなキーワード: 辰吉丈一郎とは
少し前に、GACKTが忘年会での酒豪エピソードをXでシェアしたというネットニュースに多数の批判的なコメントが付いていたのを覚えているだろうか。
https://news.yahoo.co.jp/articles/1dfe3707804a61a686408af753ac213a1c689d53
「酒が強いのは自慢するようなかっこいいことではない」「酒に酔って人に迷惑を掛けるバカを助長するな」「肝臓が壊れて早死にするのにあさましい」といった具合である。
こう批判する人たちは、井上尚弥の闘う姿を見ても何も感じないし、「馬鹿らしい」と一蹴するのだろうか。無茶な理論に見えると思うので以下に補足する。
酒が強いことが男らしい(ジェンダー分けしたいわけではないが、特に男性にこの傾向が顕著に思えるためこう描写することとする)とみなされる背景には、格闘技と通ずるものがある。
相手からのパンチをもらわない、もらっても平然としている格闘家の姿を見て人は容易に「男らしい」「強い」「かっこいい」というイメージを抱くものだ。アスリートとしての動きや能力の高さに加え、怪我や命の危機への耐性の強さという、ヒトという生物としての生命力の高さに対する根源的な憧れが私たちの無意識に刻まれているためだ。
酒が強いことが未だに称賛される理由にも同様のものがある。アルコールという人体に有害で言動を狂わせる毒を大量に摂取してなお、顔色も変えず平然とし、嬉々としてさらに酒を飲み続ける姿に、私たちはヒトとしての生命力の高さを見ているのだ。この根源的で無意識な憧れは、文化や科学が進歩してなおヒトがヒトである限り続いていくことだろう。
「酒に酔って人に迷惑を掛けるバカを助長するな」これはもっともであるが主旨を少々はき違えているように思われる。多量の酒に酔って人に迷惑を掛けるレベルの人間は本当の酒豪からすればそもそも称賛される対象ではない。プライベートで人に拳を向ける格闘家、あるいはパンチを放つは良いが相手からもパンチを容易に喰らってすぐダウンする陳腐な格闘家のようなものだ。そうした人種は酒を多量に飲むべきではない。
「肝臓が壊れて早死にするのにあさましい」これももっともである。しかし酒自慢をする漢はこれを承知で酒席というリングに上がっている。格闘家が、後年脳や身体へのダメージに苦しむかもしれないにも拘らず競技を続けるのと似ている。
酒豪とは格闘家である。将来迎えるかもしれない心身の崩壊に目をつぶり、酒席に上がって己の生命力の高さを見せつける事にこそ彼らの刹那的な悦びがある。
さて、大抵の格闘家は30代半ばには引退する。心身の衰えを自覚したり、将来へのリスクを鑑みることが多くの場合その理由である。同様にまともな酒豪家も、いい大人になるころには大抵その競技から身を引くものである。
何が言いたいか。50歳にして酒豪の第一線に身を置いている(つもりである)GACKTが笑われる根源的な理由はここにある。53歳にしてなお格闘技の一線に身を置く辰吉を見て人が苦笑いするのと似ている。
日本ボクシング会にとって辰吉丈一郎以来なんじゃないかって言うスター候補が現れたのに、それをうまく利用できなかったJBC(日本ボクシングコミッション)は相当ひどい。
実力とか関係ないなく、亀田家以外に知名度があるボクサーなんてほとんどいないのに。
世間の周知度では、長谷川穂積でさえデビュー前の亀田の三男より多分低い。
ショーにマナーを期待してどうする。お前ら亀田が礼儀正しくしているところを見たいのか?
あのメチャクチャ感が楽しいんじゃないか。因縁つけてる所も面白いし、「シャーオラー!!」とか、試合後のカラオケとか意味が分からなくて最高じゃないか。
反則も含めてショーなんだよ。いっそのこと、あの外人レフェリーにジャーマン・スープレックスでも決めてくれれば、タイガー服部が急遽登場してくれたかもしれないのに。
1年半も休載していたアホ富樫をそれでも守り続けている(かは知らないが・・・)集英社はその辺よく分かってる。
カリスマ候補はそうそう出てこないんだ。カリスマは既存の枠には納まらないんだよ
あと、亀田は元からどうでも良かったからどうでもいいんだけど、個人的にはむしろ内藤に嫌悪感を持った。マスコミの思惑通りしゃべらされて、結果的に亀田への批判を煽った。本人は気づいてないだろうけど。
試合後いじめたいわけじゃないとか何とか言ってたけど、いじめてんだよバカ。直接手を下さないで裏で煽ってる典型的で卑劣ないじめ。
オナニーマスター黒沢で言えば内藤恭子みたいなヤツだ。意図せずにやっている辺りさらに始末が悪い。
まぁ親父から切り離したことで守ったって事になるかもしれないけど、それでも魅力は半減だよね。
っていうか切り離せてないし。