はてなキーワード: 警鐘とは
数日前ショーンKの経歴詐称が発覚し、良い声を持った英語ができる高卒の低身長おじさんということが暴露された。
彼の経歴はガバガバとしか言いようがない。文春が暴露していなくてもいずれ詐称は発覚していたことだろう。
彼の本当の経歴とは
本名は川上伸一郎。アメリカ人ではなく生粋の熊本人。整形で得た外国人顔。テンプル大学は出ていない。ハーバードでMBAを取得していない。
もちろんパリ第一大学にも通っていない。つまりただの高卒。世界7都市にオフィスなど存在せず、あるのは渋谷にあるレンタルオフィスのみ。
インテルは入ってる。
本人を洗えばすぐわかる詐称をしていたということに疑問を抱かざるをえない。
ショーンKは経歴が暴露されるのを計算済みだったのではないか。
①不自然な鼻
彼の鼻はどっからどうみても不自然だ。精神病患者が描いた絵のような気持ち悪さがある。
初見で彼の鼻を見た人は真っ先に整形を疑うはず。
しかし確信に至るには、彼が「外国人ではない」ということを証明しなければならないが、
一般人がそれを証明するのは難しい。そのため「外国人」という設定に自然に納得してしまうのである。
問題発覚後ネット上では後出しのように「前から怪しいと思っていた」「コラ画像みたいな鼻でワロタ」「やっぱ整形だったか」といった声があがった。
つまり本名が「川上伸一郎」と分かったとたん簡単に整形を看破されたわけである。
ショーンKが簡単に整形を看破されるようにあえて鼻を不自然に加工したのだとすれば納得がいく。
「インテル入ってる。プロテーゼも入ってる」と大っぴらにアピールしていたのだ。
②彼の発言
彼の発言にも注目したい。
ネット上では、番組内でのショーンKの野々村県議や佐村河内守に対するコメントに「特大ブーメラン」と称されていた。
どのようなコメントだったのか見ていこう。
野々村県議に対して
「この方は多分根っから悪い人、というわけではないのでしょうね。恐らく最初は小さな嘘だったと思います。
しかし小さな嘘は最後には大きな嘘になってしまうということなんです」
佐村河内守に対して
なるほど、発覚後に見てみればまさにブーメランだということは一目瞭然。
まるで今までの生い立ちを説明しているかのようだ。さらに嘘を看破できないメディアに説教もかましている。
問題発覚後に議論をさせるために計算し尽くされたコメントだったのだ。
社会に溢れかえるウソとそれを見破れず見て見ぬふりをするメディアと人間に対し説教をし、
自身を犠牲にすることによって、国民に「人を疑え。そのためにインテルを入れろ」と言いたいのだ。MGS5:TPPのカズヒラ・ミラーを髣髴とさせる。
③謝罪
問題発覚後、彼はJ-WAVEで謝罪をした。途中涙で声を震わせ、鼻水をすすりあげながらも、謝罪の弁を述べた。
経歴詐称や顔面詐称、身長詐称のことは一切触れずただ「ごめんなさい」と言っている。
この謝罪のポイントは「涙」に尽きる。涙を流すことによって、擁護派と反対派が発生するからだ。
両者を対立させることで問題提起をしているのが分かる。さらに「国民への警鐘」を読み取ることができる。
テレビや新聞のネタはお涙頂戴で溢れている。彼はそんなお涙頂戴でなんでもかんでも演出しようとするメディアを批判し、
国民に「簡単に騙されるな。インテルを入れろ。午後の紅茶を飲め」と暗に言っているのだ。
全ては問題提起をし国民を発露させるために、多くの時間を費やし着実に計算をしていたのである。
④結論
以上の三点から、彼は「議論をしろ。人を疑え。整形しろ。信じられるのはインテルだけ。飲料は午後の紅茶に限る」と言いたいことが分かる。
さしづめ現代のソクラテスだ。彼の存在によって、今までのほほんとしてきたメディアと国民は自らの愚かさに気づき、
あさイチ見てたら驚いた。小学生でもツイッターやっているんだってね。ツイッター。
私も高校生の時にやっていたけど、使い方わからなくて放置してたらいつの間に垢消されてたんだよね。
2010年代に入ってからはなんでもスマホ、スマホ、ツイート、ツイート、アプリ、アプリってテレビCMでもラジオでも言っているけどさ、あれってまじでうざいから。私はそんなにスマホいじりたくないし、かえってガラケーに戻したいくらいなんだよね。(ウェブサイトの閲覧に支障があるためスマホじゃないと困るのでスマホ使っているんだけれど)
そんなこんなで大人たちがわいわいしてると子供とその親もそれに便乗しちゃうわけなんだね。これが。
最近の若い親は赤んぼや幼児にタブレットやスマホ渡してアニメを見放題見させ、リズムゲームをさせ、さらには子供を叱るアプリを使って子供を叱るなんてこともしている。つまり親たちは自分たちではろくな教育もせずして、自分の言葉で子供を叱れないのだ。非常に馬鹿馬鹿しい。
次に小学生のほとんどが3DSなどのゲーム機を持つようになった。参考文献http://matome.naver.jp/odai/2139226226213102001
3DSは任天堂から発売されている携帯ゲーム機であり、ゲームソフトで遊ぶだけでなく、インターネットにつなぐことで様々なサービスを利用することが可能な「デバイス」である。勘のいい読者ならもうお分かりだろう。そうこれは単なるゲーム機ではないのだ。往年の白黒画面のゲームボーイのような。
例えば3DSをインターネットに繋ぐことによってウェブページの閲覧、有料音楽ダウンロード、ゲームの購入、さらにはYouTubeとニコニコ動画を視聴することも可能である。これらを使うことで「子供たち」だけで例えば局部の写っている写真をみたり、猥褻なチャットを読んだり、親のクレジットカードを抜き取ってまで音楽やゲームを購入する危険まで生じ得るのだ。また猥褻さや暴力表現に厳しいYouTubeやニコニコ動画でも修正されたアダルトビデオが運営の審査の目を潜り抜けるような形で視聴できるのだ。※1
※1ニコニコ動画では「真夏の夜の淫夢」や「レスリングシリーズ」タグがつけられたのような同性愛者向けのビデオ本編など多数ある。(局部等は修正済みだがそれでも卑猥または一部暴力的なものが大半)
そして中学生や高校生になると塾や友達付き合いの関係でスマホを持たせる親が増える。それに伴いラインを使って友達同士の連絡をとるようになった。
ラインはLINE株式会社が提供する短文メッセージをスマホ間で交換できるアプリケーションの名前である。メッセ―ジ交換以外にもインターネットを介した通話料無料の電話サービスもできるが特徴だ。ラインではメッセージが自分のスマホに届くと、音と振動でメッセージの到着を知らせ、送った側は相手がそのメッセージを読んだかどうかを知ることができる。
それが非常に厄介なのだ。例えば、AさんがBさんに送ったメッセージをBさんが読んだまま、BさんがAさんに返信をしないとそれがマナー違反になってしまう。これを若者たちは「既読スルー」と呼んでいるようだ。
想像してほしい。あなたが試験勉強や仕事をしている際に兄弟や友人から「この写真見てよw」とか「いま暇ー?今どこー?」なんていうメッセージが届くとしよう。こんな文章に返信をしようと思うだろうか。見るだけ見てさっさと各々のやることに集中したい人が大半だろう。
こんなことをしていれば友人関係を保つのはそう容易ではなくなるし、勉強だって疎かになる。ラインでしつこいような奴なんてろくな奴じゃないのに決まっている。いっそラインなんてやめちまえ。
最後に親たちへ。もしネットを子供たちに使わせるのなら、使う時間やウェブサイトの閲覧制限(フィルタリングソフトの使用)をあらかじめ決め、守れないようならゲーム機やスマホを没収しても全然問題ない。むしろ子供たちがネットの使い方をしっかり熟知出来るまでそれらを使わせるな。
・その後ソニスフィアで大成功って記事見て「すごい、頑張ってるな、同じ日本人として嬉しいわ」
・去年の年末にMステで見て「なんかカッコイイ、他のも見てみよう」
そして曲を聞くとどうしても涙が出てくる。
「ド・キ・ド・キ☆モーニング」「ウ・キ・ウ・キ☆ミッドナイト」等のアイドルソングっぽい曲でも涙がでる。
説明できないがリードボーカルのSU-METALの声が鍵だと思う。
いままでアイドルはおろかファンになったっていう歌手もタレントもいないが
BABYMETALはファンになったどころか崇拝している。SU-METALは神だとおもう。
でもまだ自制しているところがある
「さくら学院」だ
YoutubeでBABYMETAL動画見てるとサイドバーで誘ってくる。
http://anond.hatelabo.jp/20151223021454
上記の増田を拝見した。我々サイニスト(催眠オナニーニスト)としても、アナニストたちに遅れを取るわけにはいかない。私は世界に催眠オナニーの危険性を広く知らしめる者である。
催眠オナニーとは、主として催眠音声によってマスターベーションを行うことである。催眠音声は無償や有償で広く配布されており、近年では音声だけでなく映像を伴ったものもある。多くはMP3の形式でダウンロードできる。音楽プレイヤーに入れて、イヤホンで聞くのが一般的だ。催眠音声では、男性向けのものは女性の声優さんが、女性向けのものは男性の声優さんが(催眠スクリプトを)読み上げるものが多い。一部ボイスロイドなどの合成音声も用いられていたりする(機械姦催眠の場合)。
催眠オナニーは最悪の場合(社会的に)死に至るので、決して興味を持ったからといってダウンロードしてはいけない。名称が長いので以下催眠オナニーを「サイニー」と呼ぶ。
「セルフ」では、催眠音声で『行動支配』の状態となり、催眠術師の言いなりになってオナニーを強制される。自分の意思でオナニーするのではなく、他者の意思でオナニーさせられてしまうわけだ。(いわゆる身体が自分の意思とは関係なく勝手に動いてしまう状態)とくに射精を伴うものは「ウェット」と呼ばれる。乳首のみでエクスタシーに達する催眠チクニーも「セルフ」の一種である。
催眠誘導のなかでも『行動支配』はもっともかかりやすい。具体的には、強制オナニーの他、金縛りにあったかのように体が動かなくなったり、腕が勝手に持ち上がったり、そういったものが含まれる。行動支配タイプのものは初心者でも比較的簡単にかかってしまい、危ないのでおすすめできない。
「ドライ」では、身体に一切触れることなくエクスタシーを迎えることを目的とする。上級者向けではあるものの、ドライこそがサイニーの醍醐味である。
ドライのなかでポピュラーなのが「音に犯される」といったもので、特定の音を効くだけで大脳に快楽が刺激として伝わり、複数回は軽く絶頂してしまう。射精を伴わないので「ドライ」と呼ばれる。
「女体化して触手プレイ」や「機械姦」「言葉責めだけでイク」などもドライに含まれる。ドライでは『感覚支配』と『感情支配』という、比較的高度な催眠誘導が行われる。ある程度の催眠深度がなければ、なかなかドライで果てることは難しい。
以上は概略であるが、これだけではサイニーの危険性について今ひとつ理解しがたい。そこでここからはより具体的なサイニーの話に移っていく。「催眠オナニーは最悪の場合死ぬ」と掲示板でまことしやかに囁かれる理由が、本稿を最後まで読めばよくわかると思う。
もはや我々にとっては常識だが、M系サイニーといえば「マゾ化」「イヌ化」「奴隷化」の三大ジャンルが存在する。
イヌ化催眠では、文字通り「人間からイヌへ」と意識を作り変えられる。催眠状態に移行すると、被催眠者は全裸で四つん這いになって「ワン」「ワン」「ワオーン」と鳴き声をあげるプレイをさせられる。ワンと鳴くだけで脳に甘い電流が走り、犬のように鳴き叫ぶのがやめられなくなる。
イヌのように尻尾(性的な意味の)を振って、ワンワンと鳴きながら絶頂することとなる。このワンワン系の催眠はどちらかと言えば初心者向けで、かかりやすいと思う。こんな姿を家族に見られたら死ぬので、くれぐれも「完全にひとりでなれる場所」で行うこと。時間は一時間半はかかる。催眠ワンワン状態になってしまうと、解除音声を聞くまでは人間に戻れない。注意されたし。
マゾ化催眠と奴隷化催眠は、おおむね同じものだと考えて差し支えない。術師の声を聞いているだけで全身に快楽が迸ったり、言葉責めだけでイカされてしまう、といったプレイができる。最近流行したサイニーでは「街頭アンケート」の形式で進められる催眠で、術師の質問に答えていくだけで頭を真っ白にされて絶頂させられるといったタイプのものがある。
「ありがとうございます。ご主人様」と何度も口に出して言わされ、そのなかでエクスタシーに達する。一度味わってしまえばもう二度と日常生活には戻れない。すべてがMになる。
操り人形のように、自動的に動かされてオナニープレイをさせられてしまう。ちなみに普段は片手オンリーの人も、催眠時には両手を使うこととなる。催眠状態下では、ティッシュに出したりと機転を働かせるのは不可能だ。理性や思考が吹っ飛んでしまっているのだから。そもそも行動支配下で自分の身体を思い通りにできると考えるのは愚の骨頂。
ゆえに、セルフタイプのサイニーではあらかじめコンドームを着用しておかないと、部屋中がそれはもう悲惨な状態に……。
なお、特殊プレイのサイニーとしては、お漏らし催眠と呼ばれるものが存在する。お漏らし催眠ではリアルなお漏らしを体験できる。
女体化タイプのものはドライが多い。射精を伴わずに絶頂する必要があるため、中級者向けといえよう。乳首の感度を上げる「感覚支配」では、乳首に一切触れることなく乳首だけでイクことができる。息をするたびに呼吸で胸が上下し、服と乳首がこすれる。その僅かな刺激で頭のなかが真っ白になり、全身がガクガクと震えだす。甘い吐息を抑えることができず、最後には(身体を一切動かせぬままに)よがり狂って果ててしまう。
女体化の場合は、胸部の感覚支配のほかに、架空の女性器を作り出しその「イメージ誘導」のみで絶頂するといった手法もある。
サイニーのなかで最も恐ろしく高破壊力なのが「感情支配」を伴うものである。これは本当に怖いので、絶対に興味本位にでも試してみてはいけない。やめておいた方が賢明だ。あなたの人生を変えてしまう恐れがある。
感情支配は具体的に言うと「恋愛感情」を操作するものである。よくアニメや漫画で描かれる催眠術で「あなたは私のことが好きになる。私を愛するようになる」みたいに五円玉をぶらぶらさせるシーンがある。あんなの嘘だと思われるかもしれない。ところが「恋愛感情を催眠で支配すること」は本当に可能なのだ。冗談抜きで。(思えば「恋に落ちる」という現象そのものが、ある種の催眠状態なのだ。自然に恋に落ちるのに、人工的に恋に落とせないわけがなかろう。ましてや変性意識状態にある人間の感情などいとも容易く……)
催眠誘導により感情支配をされると、かかった人は術者の『声』に恋愛感情を抱くようになる。「好きかも」だなんて甘っちょろいものでなく「愛してる」「心の底から愛している」「君のためなら死ねる」とまで思わせる。心の底から恋するようになる。
感情だけではない。心臓はドクンドクンと脈打つし、頭は熱に浮かされたようにボーっとするし、全身が火照ってくるし、顔が真っ赤になる。そして術者の声(催眠音声)を聞くだけでとても幸せな気持ちになれる。
初恋や一目惚れをしたときに劣らない、いやそれ以上の激しい恋愛感情が灯るのだ。そして自分の愛する人の声を聞きながら絶頂させられる。この恋は、虚構なのだろうか? いや、虚構ではない。幻術でもないし幻覚でもない。現実としての恋愛感情が催眠音声によって喚起され、そして強制的な絶頂状態へと導かれる。
解除音声を聞いたとき、暗示の効果はすべて解けるが「誰かを愛した」という事実は記憶から決して消えない。だからまた、一週間か一ヶ月後かに同じ催眠音声を必ず聞いてしまう。
もしかしたら女性の読者もいらっしゃるかもしれない。催眠音声は今ではアダルトコンテンツとして普及しており、女性向けの催眠音声も広く出回っている。
また被暗示性については個人差があるものの、男女差は一切ないので老若男女問わず聞くことができる。といってもR18のものを未成年が聞くのはご法度である。もしも18歳未満の読者さんがいらっしゃれば、こんな増田を読んでいないで勉学に励んでよく食べよく寝てよく運動をして健全にリアルの恋人を作って欲しい。今ならまだ間に合う。引き返すなら今しかない。試験勉強がんばってください。
話が逸れた。催眠音声は、最初の数回はうまく催眠に入れず、肩透かしを食らうかもしれない。けれども10回も聞けば確実に被暗示性が高まり、すんなりとトランス状態に入れるようになる。(そう、被暗示性は訓練によって高めることができる。訓練といってもただ音声を聞くだけでいい)
だから、もしも10回も催眠音声を聞いたならばそれはもう一人前のサイニストになってしまうわけで、くれぐれも催眠音声の虜にならないよう気をつけて欲しい。私はもう100本以上催眠音声を聞いているが、ここまで来るともはや普通の恋愛ができない。言葉と声だけで私を導ける人でなければ、恋すらできないのだ。
文章が長くなってしまって恐縮である。以上、サイニストとして催眠オナニーの恐ろしさを説き、世界平和のために警鐘を鳴らせたなら幸いだ。
スマホという限られた操作系の中において、ここまで心地よいアクションを実現できたのは見事としか言いようがない。
どれくらい面白いかというと面白すぎて生活に支障が出まくって、それを理由にアプリを削除してしまったくらいに面白い。
その面白さはユーザー登録数83万人、同時接続15万人でサーバーが吹っ飛んだ姿をみれば一目瞭然だ。
一つは強化するためには地道にクエストを繰り返す必要があるという点だ。
そしてもう一つは強いアイテムを手に入れるためには、強化を繰り返しながらアイテム獲得クエストを繰り返す必要があるという点だ。
いわゆる一般的なソシャゲーなら金に物を言わせていきなり強くなったりできるが、それがこのゲームにはないのだ。
その代わりの課金要素として、一度に獲得できるアイテム数を増やすことができる。
しかしながら、このゲームにはいわゆるゲームプレイに体力的な制限がない。
それの何がヤバイかといえば、時間の有り余っている人間が課金などせずとにかくゲームをプレイし続けてしまうという点だ。
それを更に加速させるのが、武器などのアイテムの獲得率が低いという点だ。
課金によってアイテム獲得枠を広げたくない貧乏プレイヤーは、さらに執拗にクエストをリトライすることになる。
それこそ手に入るまで何度でも挑めばいいのだ。
そこでさらに狂っているとしか言えないのが、プレイヤーの基礎パラメーターを向上させるいわば万能アイテムがクエストで発見できるという点だ。
一つのアイテムを獲得するために、ときに数百回同じクエストを挑む必要があるらしい。
しかもそれを効率よく回すために、途中でクエストをリタイアしてさらにリトライさせるというのだ。
バカか。
そんなゲーム性にしたら大半のユーザーが課金なんかせず時間が許す限りリトライするに決まってるではないか。
それでもこのゲームがこれほどまでに面白くなければ問題にならなかったのだ。
アクション性、アイテム獲得時の中毒性、それを演出する完成度の高いエフェクト、何をとってしても申し分のない完成度なのだ。
このゲームが抱える最大の問題は、運営の赤字なんて些細な問題ではない。
それだけ多くのユーザーが、課金もせずに一つのゲームに熱中して時間を費やしているのだ。
アクションゲームという性質上、プレイしている最中に同時に他のゲームを進行させることはかなり難しい。
つまり、当然その間は他のソーシャルゲームにおいても経済効果が停滞してしまうのだ。
それはゲームに限ったことではない。テレビ、漫画、食事に入浴。それこそ他のことを同時にすることが困難なのだ。
モンハンエクスプロアはガチャを用意するなり、武器収集クエストを体力制にするなりして早くマネタイズの目処を立てなくては自社の債権では済まないほどの経済損失という風穴を世の中に空けてしまうことになる。
これが妄想ならどれだけいいか。ここ数日の間、脳内に響く警鐘が止まらなくて本当にヤバイ。
パチンコ依存症が被害者のお金と生活を奪ったとするなら、このゲームは人から際限ない時間を奪ってしまうだろう。
松下響や本物川みたいに揉め事で勝つためだけに無断転載無断転載言い続けてたバカがさらにもっとどうしようもないバカを育てて、ツイッターが殺伐としました。あー快適で正しいインターネットだこと
ほんとこれ!マジックワード化しすぎて本当に批判すべきものと、引用や宣伝として画像を使ってる人とをごちゃまぜにしてる。…まぁ、無断転載と言い立てて殴れば勝てるという前例を作った本物川みたいな人が派手にやり過ぎた結果ですけど
本物川が育てた子分が僕のところにも来て、画像の引用元聞いてきたけど、さらさらと答えたらそれっきりリプが来なくなったことがあったなぁ…。本物川さんの人望はすごいなぁ〜僕は僕の代わりに攻撃してくれるシンパも、そんなことしちゃうバカも、そもそもそんな攻撃的な人も育てられないからねww
だいたい、無断転載云々と言ってるけど、そもそもインターネットってそういう権利的にアングラな部分にお世話になってたから栄えてた部分があったり、古参であればあるほどあんまりその時期に無断で色んなものを見聞きしてたわけで…。本物川なんてふたば追放組なんだから人に言える立場の人ではないよ
ちょうど今横浜にいるからとらのあなに伊東ライフ先生の本がないか覗いていきたい…。あれば、3年ぶりに同人誌を購入したい。(今まで公式サイトのサンプルや時々出してくれる1枚絵で抜いてたから冊子ははじめて)実際に年齢がオネショタでなくともいいから「おねしょた的関係」の作品が好き。ムダに面倒見がいいふりして実は自分がすげー盛り上がってるから煽ってくるタイプの作品がしゅき
伊東ライフ先生の偉業をたたえながらインターネットの笑いと平和を楽しんでる時よりも、僕が本物川にキレてる時の方がリツイートされる…。僕と本物川の両方をフォローしてる人が多いから「彼はネットに災厄をばらまくだけだから関わるべきでない」と警鐘を鳴らしてるだけのRTなにになぜ楽しんでる?
kanose本物川
けっこう同意できることが多い記事。変わってたり、人と違ってると思うのは自由だけど、才能があると思うのは推奨できない。凡人だと割り切っておく方が謙虚にはなれるかと / “私は凡人。だから、できることに集中して、やり続ける
本物川さんの論法にもあって「もういい加減にしろよ」と腹が立ってるから言うけど、女の人の中でもネット上にヒステリー持ち込む人の傾向として、何かにつけて性犯罪に例えて相手を性犯罪者のようにレッテルをはろうとする傾向あるよね…。例え話に痴漢とかセクハラと言い張る人が一部いらっしゃるよね
あれさ、本人らはどの程度自覚があってやってるかしらんけど、例え話や振る舞いがキモいとか気に食わないことを「痴漢」「セクハラ」という言葉に(実際には言うほど性的でもない言語のやり取りしかないのに、なぜか性的なものと結びつけて)置きかえるのはご都合主義的に社会的ジェンダーを悪用してる
自分らがジェンダーを尊重しろ、旧来の社会的なジェンダーから開放しろと言いながら、社会的に新しくできた価値観はとことん悪用していくスタイルに見えてしょうがないんだよなぁ…。何かにつけ性的なものに例えて批判させない論法「男は子どもが産めない」「生理の辛さは男にはわからん」と近い何か
真摯な態度だったら、性犯罪に例えないですよね…。人を窃盗犯みたいだ、暴行犯みたいだと言わないように、簡単に性犯罪に例える人は言葉に重さがないか、そういう人こそ性犯罪をフランクに考えてるかな気がね…
一貫してフェミ的なものに警鐘を鳴らしてるけど、あの人たちが行き着くところは「男は子どもが産めない」「男には生理がないからわからないので女に最大限配慮すべき」だもの…。そのぐらい危ない発言してることに気づいてない人をちらほら見かけるんですよ…
kanose本物川
アレ?さん付けになってる。なんかあったんですか?
脳内でDOKIDOKI急接近みたいなイベントがあったんですかねぇ。
探してきますね。僕の本物川。
※前提として、AVは視聴者の性癖や趣味にかなり影響されます。自分の記述は、全て自信を持っていますが、自分の主観に基づくものであり、自分が異常な性癖の持ち主であればそもそも最初から間違っていることもありえます。その真偽は本人である自分にはわかりません。
今日、TSUTAYAでAVを借りようと思ってお店に入った。だが、何も借りずに出た。初めてだ。
いつもは、AVは10本ぐらいまとめて借りる。女子校生、熟女、巨乳、ギャル系、コスプレ、ロリ系、素人etc...と、30分から1時間ぐらいかけて会社帰りにじっくり厳選し、いろいろなジャンルを横断して借りている。そこまで毎回借りているのに、今回初めて何も借りずに店を出た。
性欲が衰えた?それとも、飽きた?あるいは、他のものを借りたくなった?
いや、どれでもない。AVはレンタルビデオ店でバイトしていた時から飽きるほどパッケージを見てきて、そして200本か、それ以上か、多くのAVを観てきた。
そして、毎日2回は抜いている。美人の婚約者(生身の女性です)がいながらもここまでの絶倫っぷり、正直自分でも異常だと思っている。
それでも単純に、「観たい!」と思ったAVが無かったのだ。なぜだろうか。
今回はそれを紐解きながら、AV業界になんら関係無いただの25歳のお兄さんがAV業界に警鐘を鳴らそうと思う。
AVコーナーに入った時(前々からこうなっていたが俺は気が付かないようにしていた)、そこに並んでいるパッケージの女優が、全員同じ見た目に見えたのだ。
それは、アイドルに関心の無い人間がジャニーズやAKB48が全員同じに見える現象と同じだ。
茶髪か黒か金髪で、ストレートで、まつげが長くて、巨乳。ランキング上位に来ているのはそういう女優ばかりではないだろうか?
肯定的にに捉えれば、これはある意味1つのAVの偉大な進歩とも言える。
AVは昔に比べて女優が美人でアイドルのような見た目になり、容姿にケチのつけようがなくなった。
それは作り手や、俺以外の大半の視聴者の好みがそれを求めているからかもしれない。そして、それに対して女優が、元々の持ち味や、メイクや、整形、演技で応えた結果かもしれない。
もしかしたら、自分が異常な性癖の持ち主なだけで、大半の視聴者はそれでいいと思っているのかもしれない。
だが、そうだとしても、自分は現状のAV業界はよくないと思っているし、これから衰退すると思う。
作り手、女優、視聴者、あらゆる人々が美人を追求した結果、確かに美人が生まれた。だが、その一方で最近のアイドルと同じように「皆が好みに感じる容姿」であるために、見た目が同じになってしまったのだ。
話は変わるが、AVは何のためにあるだろうか。
あるいは、有り余って仕方のない性欲を吐き出したい若者のために?
人それぞれに存在意義はあるだろう。
だが俺はそれらのどれでもないと思う。
AVは何のためにあるか。
それは「この女を脱がせたい」という欲望や、
「この女がベッドで乱れるところを見たい」という夢を叶えるためにある。
どういうことだろうか。
ところで今日あなたは通勤中あるいは通学中に駅で、道路で、電車で、バスで、何人の女性とすれ違っただろうか?
うち、何人に対して「この人を犯したい」と思っただろうか?
首都圏で、通勤ラッシュに巻き込まれているのであれば、最低でも2〜3人はそういう人がいただろう。
その「すれ違った人を脱がせたい」「すれ違った人の胸を見てみたい」「すれ違った人におちんちんぶちこみたい」という夢を、できるだけ願った人の欲望を投影して、できるだけ似せて叶える装置がAVだ。
TVの旅番組が一定の人気を確保しているのは、少し背伸びすれば手に届く範囲でできる旅行を夢見ることができるから。行ったつもりになれるのが旅番組で、イッたつもりになれるのがAVなのだ。
だから痴漢モノやナンパモノが流行るわけだし、「嫁の姉が……」といったありそうで無いシチュエーションの作品に長く一定の需要がある。
わかりやすく言うと、脱衣ブロック崩しや、脱衣麻雀の類をやったことがあるだろうか?
遊んだ経験がある人は、失敗すると何度も何度も繰り返し、運が悪いと何時間も経過していることがあったり、なんとかソースを探して画像を直リンクで探そうとした経験が必ずあるはずだ。
その原動力はなんだろうか?それこそ「この女を脱がせたい」という欲望だ。そういう意味では脱衣ブロック崩しや脱衣麻雀は合理的なシステムとも言えるし、男たちがAVを観るための理由で、AVの存在意義だろう。
だがその「この女を脱がせたい」という欲望を駆り立てる魅力が、今のAVには無い。
「今朝駅ですれ違った女の裸を見たい」「おしとやかに見える同僚の女がベッドで乱れる様子を見たい」という欲望を駆り立てるようなものでないといけない。
だからといって「AVに脱衣麻雀やブロック崩しをつけろ」という意味ではない。それは障害を増やすだけであり、ストレスを溜めるだけだ。溜めるのは精液だけでいい。
「すれ違った女の裸が見たい」というかなわぬ難しい欲望に対して、
AVがただの「皆が好きな絶世の美女」しか用意できず、ちょっとブサイクでも「今朝新宿駅ですれ違った女」に相当する役者を用意出来ていないのが問題なのだ。
「脱がせたい」という欲望を叶えるためにAVはある(と俺は思っている)が、それを駆り立てるためには作り手はどうしたらいいだろうか?
例えば、出演している女優が絶世の美女でも、すれ違った女でも、同じような見た目で、最初から全裸で待機していたらどうだろうか。多分、視聴者は萎えるだろう。
最近のAVのパッケージを見て欲しい。絶世の美女が最初から全裸か、全裸に近い形で写っていないだろうか?
そうでなくても、裏返すと全裸でおちんちんぶちこまれてあえいでる画像が出てこないだろうか?
あるいは、全裸じゃなくても、普段ありえないようなスケスケの制服とかに見を包んでたりしないだろうか?
それはきっとAVのパッケージのデザイナーが必死に考えて作ったモノなのかもしれないし、訴求効果を高めた結果だろう。
「どうすればエロく見えるか」を追求した結果できあがったものだろう。
だが、それではダメだと思う。
自分が思うに、AVに映る女とは、小学生の時に母親が作ってくれたお弁当のようなものだ。
お弁当は、開けるまで何が入っているのかわからない。開けるまでのドキドキがある。
一番上の蓋をパカっと外して、2つ目の箸とかが入っている白い蓋を外して、おかずと白いごはんが見えるまでの、1枚ずつ蓋を外していく過程にこそ楽しみがある。
AVも同じだ。
普段裸を絶対に見ることができないような女性がパッケージに写っていて、その中身で裸を見ることができる。その過程が今のAVには圧倒的に欠けている。
最初からスケスケだったり、全裸だったら、確かに視聴者の目を惹くが、楽しみを最初から奪ってしまうという悲しい事になってしまう。
そんな「平坦化」したAV業界だが、作り手はマンネリを感じたのか、最近変化球が多くなっていないだろうか?
どれも、斜め上に先鋭化していて空振りしている気がしてならない。
コスプレAVについては、版権の問題もあるかもしれないが、男の娘に関しては大島薫以外男の娘以前に男じゃねーか!!と叫びたくなるような出来である。
一方、AVの引き合いに出していたアイドル業界だが、今は何が起こっているだろうか?
アイドルに関してはあまり詳しくないので詳細な説明は避けるが、AKBやももクロやハロプロ等、既に盤石な地位を築いたアイドルに各プロダクションが競って肩を並べようとする競合があまりに多いせいで、今何が起こっているだろうか?
自分が思うに、話題性を重視するあまり、先鋭化していないだろうか?
そうすると何が起こるだろうか?
ごく一部の熱狂的なファンだけが、何百万単位でお金をつぎ込み、残りの人々は離れていく。
さて、ここまで散々自分の主観で現状のAV業界の危機を叫んだが、今後どのようなAVが作られていくべきだろうか?
自分が思うに、以下の3つがある。
「今日すれ違った女を脱がせたい」という願望を叶えるのであれば、
アイドルのようなホームラン級の美女よりも、10人のそこそこヒットを打てるそこそこの女優を発掘すべきだ。
あと選択肢が増える。
女優に多様性を持たせるのもいいだろう。例えば日本人にかぎらず、日本初の黒人女優とか、中東系の女優とかはどうだろう?
前述の通り、「服の中身を見る楽しみ」を演出すべき。
これは暴論かもしれないが、自分は本気でそうすべきだと思っている。
AV女優がブログやTwitterを開設していて、日常生活について垂れ流していても、新作の宣伝になるかもしれないが、視聴者からすると
「こんなに身近な存在なのに、ヤらせてくれないんだろうな」と感じてしまい、少し辛いものがある。
AV女優は、自分がAVに出ていることをブログやTwitterで宣伝するのではなく、身近な男友達にLINEで教えてあげよう。
きっと教えてもらった人はドン引きするかもしれないが、その後一番の熱心なファンになる。
事実、俺が今まで一番抜いたAVは、大学の友達が出ている奴だ。
あとでブコメとかで「女性の性的搾取」とかそういうのが出てきそうなんで先に言っておく。
俺はAVについて話しているわけで、女性について話してはいない。搾取がどうとかキレイ事いってんじゃねえ、AV観て何が悪い。
なぜ「ドローン」だの「もちと蒟蒻畑」だの「やめちまえ」のブコメになるんだ。
ドローンの危険性は操縦可能で撮影危機をつけたり、そもそもそれを狙った前例があったから法として整備しようとなっただけだ。
凧でそんなことやるかバカ。
もちと蒟蒻畑とははまた違うだろ。
そもそもあれは企業が新しく作った商品でそれを見てゼリーと思う人がいたために表示を変えたり消費者センターだかなんだかが警鐘をしたんだ。
死者が出たのはべつに伝統にこだわった結果じゃねぇ。
古いものを尊重しすぎた結果だーと言いたいのか、言いたいみたいだな。
お前みたいな短絡的な考えを持ってるやつが、「ネットとかオタクは人を殺す」って言ってんだよ。同じだお前も。
最大の問題はトラックを素人判断で変えたことと危険予知回避に対する議論が事前になかったこと。
もちろん、来年はやるべきではないと思う。
死者を出して平気で開催しようなんて愚の骨頂。
がっかり。
書かれた文章を見る限り、別段悪いとは感じなかった。
わざわざ指摘するほどとは思えない。
あるいはコピーライティングのような
話は別かもしれないけれど。
仕事場で指摘されたのであれば、
業務用の文章はこれとは少し違う書き方をしているのかもしれない。
その場合、一文が長くなっていないかどうかだけ気をつけてみよう。
読点を句点に変え、複文は単文に。
修飾を減らし、説明はシンプルに。
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…とまぁ、がんばって書いてみたけれど、本当はしゃべるように書くほうが得意。
しゃべる感じで書くと以下みたいな感じ。(上のは下記の文章を推敲したと思ってもらえれば。)
書いてある文章を読んだけど、別に悪いとは思わなかったけどな。
文章のリズムが悪いとか、正直そういうのが本質の仕事でもなければ
人にわざわざ言うほどのことでもないと思うし。
なんとなく思ったのは、もしかしたらこの人、仕事場で超長い文章書いてるんじゃないかってこと。
身近にいるんだよね。
「昨今、ご承知かもしれませんが◯◯という事象が問題視されており新聞でも紙面を賑わしておりまして、競合は既に先手を打って◇◇という対策を取っているところが数多くあるため、それに対して弊社は早急に△△すべきであると想定される件に関しては皆様ご首肯頂けると存じますが、□□というリスクを軽視してはならないと警鐘を鳴らす必要がある旨は理解しておるところでありまして、また、既存ビジネスとのシナジーも追求すると××社との協業の道も模索すべきかと思います。」
もしそうなのであれば、文章をシンプルにすることを心がけるといいと思う。
シンプル、があいまいであれば単文にするのを目安にすると良いかも。
さっきの文であれば、
うーん、さすがに端折り過ぎか。
ここまで書いて思ったんだけど、逆かな?
映像機器がデジタル化で「格安」になったから、自主制作映画本数が「激増」して、作品を「上映しきれない」らしい。
2000年前後が年間500~600本の作品数、2014年は1184本に倍増。
★なんでも、「知人友人に出演を依頼して人件費をケチれば、製作費300万円程度でできちゃう」らしい。ポケットマネーで簡単に映画が製作できる時代。
さだまさしが趣味で映画「長江」作って破産しかけて、その後NHK御用達芸者になったというエピソードも今は昔。
「以前は5本の中から1本をセレクトして上映していたのが、20本から1本を選ぶような感覚。選び間違いがないか不安」
「埋もれた才能を見逃さないか怖い」「2日に1本のペースで新作を公開している」状況になっているらしい。
★で、日経記事では、「元々、本数が多い=多様性で、いいこと」だったのが、
「本数が多すぎる=果たして観客にとっても、映画界にとっても、いいことだろうか?」と「多すぎる現状に警鐘を鳴らす」記事になっている。
「??」と思ったが、要は
「一作品毎の上映期間が短くなると、口コミで評判が広がって尻上がりにヒットを伸ばす、の流れが起きにくくなる」
「作品を育てる・監督を育てる、というミニシアターの機能が失われる」とのこと。
★でもキツイ言い方だが、「作品・監督を育てる」のは、果たして「ミニシアターの役目」なんだろうか?
「一定程度、本数を制約して、一定程度の予算を作品に集中させるようにすべき」的ツイートを見かけたが、そういうものなのか?
「300万円作品が1000本な世界より、3億円作品10本の世界の方が望ましい」という映画関係者の意見は「正しい」のか?
★「300万円で製作される映画」って、もはやプロ目指してないよね。
本業がサラリーマン、な人が、貯金をはたいて「趣味」で映画取っている、そういう世界。
そういうアマチュア作品が映画界に溢れ、映画作品をダンピングさせている。
で、「映画でおまんまを食おうと思っている連中」が「お前たちのダンピングのせいで、俺たちがおまんま食えないじゃないか!!」といちゃもんつけている、
★この構図、どっかで見たことあると思ったら、そうだケータイ小説の世界だった。
別に作家を目指さないフツーの人が、ケータイで小説書いて、それをノベライズ出版したらミリオンセラー(例:恋空)。
プロ作家志望な人からすれば、『趣味作家』に完敗した格好で、プライドがズタズタ
でも、観客・読者からすれば、『作り手がプロか?アマか?』なんてのは『どうでもいい話』であって、『面白ければいい』。
『映画の作り手は、やっぱプロじゃなきゃならない。そうしなければ映画文化が続かない』は、プロの身勝手な思い込みだと思う。
★つまり映画を『商業映画』に限定する試みは『空しい抵抗』であり、
むしろミニシアターは『アマチュアの自費出版的作品』を積極的に上映する『ワナビーの自己満足充足ツール』にしちゃった方がいいのかも。
いや、ちょっと待て。人は見かけで判断しちゃいけないな。ちょっと調査してみるか。
とりあえず記者会見の動画見るか。 Youtube に上がってる?これか。
あと Twitter やってるか検索。うーん、Twitter はやってない。
ほとんど関係なさそうなページばっかりだな。お、これはデザイン会社のサイトか。
ウェブサイトの作りはテンプレっぽいし更新されてないから会社の規模は小さそう。
会社概要どこだ?資本金の表記ないな。なんで隠してんだよ。1円起業かおい?
主要取引先はけっこう大手が混ざってるな。ほー、いくつか有名な賞とかもらってるんだ。
大手で実績作ったエースが独立して個人経営してるってとこか。そこそこ儲かってんだろうな。
お、タイムラインに続報きてるな。
Facebook やってんのか。山登りしてるんだ。妙義山や八海山に登ってる?どこだそれ。すごいのかな。
へー、雪洞作ったり山頂目指したりするのは遭難時のセオリーなのか。アウトドアの達人って言われてるな。
ふんふん。へー。そうなんだ。なるほど。けっこうしっかりしてるんだ。
入山届は出してなかったのか?そこは減点だな。それ以外は慣れてるっぽいのか。なるほどなるほど。
しっかり準備はしてるようだし経験もそれなりにありそうって言われてるな。
服装はちゃらいけどこいつはしっかりしてるやつだ。記者会見でも反省している様子だし。
よし、90点。他人様に迷惑かけてるけど90点なら合格だ。こいつは叩くとこないな。
ただ入山届けの件は問題だな。ここだけは言及したほうが良さそうだ。山を甘く見てるやつらへの警鐘として。
しっかしテレビの連中は会見なんかさせて吊し上げるなんて卑怯だな。外見だけで判断するなんて差別だ。
対戦格闘ゲームGuilty Gear Xrdのコンシューマ版(PS3/PS4)が12月4日に発売となりました。
このゲームは、発売前から公式攻略wikiが整備され、また各種メディアでの先行情報でも初心者向けのPRACTICEモードの充実が謳われるなど、プレイヤーの間口を広げようという取り組みが精力的に行われていたような印象を受けます。新しいキャラクターやビジュアルなど、魅力的なフックもあったことから、少なからぬ初心者が実際にこのゲームを購入したのではないでしょうか。
私もその1人でしたが、しかしいざ蓋を開けてみると、はたして全く初心者にフレンドリーなゲームとは言いがたい実態を目の当たりにすることとなりました。この文書は、私と同じように金と時間を浪費したうえ不快な思いをするような人が新たに生まれないよう、警鐘を鳴らすことを目的としています。
前述公式wikiでも言及されているとおり、このゲームは攻めている側が有利になるようなデザインになっています。これは攻勢側のガード崩し手段が豊富だというだけではなく、守勢側が切り返しのアクションを的確に使えないと攻守交替できない(いったん攻勢側の攻め手が途絶えても、すぐ再開してしまう)ということもあります。
典型的なのは画面端の攻防でしょうね。他の対戦格闘ゲームにおいても画面端に追い詰められるのは非常に危険な状態ではありますが、前述のとおりこのゲームでは攻勢側が有利で、またいったん画面端でコンボを入れられてしまうと脱出するのが非常に困難であることから、追い詰められている側は相手のコンボを食らわないような立ち回りをかなりシビアに要求されます。その部分の駆け引きこそがこのゲームの醍醐味の1つとも言えるでしょう。
このゲームの主人公ソルの基本コンボ紹介動画(ニコニコ動画)をご覧ください。特に画面端においてコンボ数が増えダメージも増えていることがわかるかと思います。コンボの長さとしてはこれでも短いほうですし、守勢側が脱出にミスるとミスったぶんだけ殴られ続けます。
他のキャラも同様で、このゲームで大ダメージを出そうと思ったら、ワンチャンスから長いコンボを決めるのが基本です。
さて、上記2点のゲームデザインのもとで実力差のある2人が戦ったらどうなるか。
答えは簡単で、実力に劣るほうが一方的に殴られ続ける状況が容易に発生します。特に初心者は、ガードを強制され続けている状況からの的確な切り返しがわからないため、下手に何かするよりもガードしているほうが安全になり、さらにそこを上級者に付け込まれガードを崩されます。ガードを崩されてしまえば長いコンボ一直線で、そこからの脱出手段も初心者はおぼつかないため、コンボ1セットをフルに食らうか、悪くすれば複数セット食らうことになります。
つまり初心者にとってこのゲームは、試合中の大部分を、一方的に自分が攻められているだけの時間として体験します。
前述した攻防の駆け引きの醍醐味がわかるなら、たとえ負けても楽しめるだろうとは思いますが、初心者にはその駆け引きの妙がわかりません。そもそも(コンボ食らってる時間が長いので)駆け引きの生じている時間自体が短いかもしれないし、だとするとその対戦を反芻して何か学ぶことさえ難しいかもしれません。そういった状況で、ゲームの何を楽しめばいいんでしょう?
冒頭に述べたとおり、このゲームには練習用のPRACTICEモードが用意されています。確かにボリュームは多いのですが、実はそのほとんどが、長ったらしいコンボの練習に費やされています。
もちろんコンボの練習も不要というわけではなく、与ダメージ量を増やしていくうえで大事な練習項目ではあります。しかし既に述べたとおり、初心者にとって攻防の駆け引きの仕方こそ最優先に必要な技術なのではないでしょうか。どんなに長ったらしいコンボを練習しても、実戦でそれを使う機会に恵まれなければ(攻守を切り替えて自分が攻める側に立てるようにならなければ)何の役にも立ちません。
デッドアングルアタック(ガードを固められてからの切り返し)の練習やリバサ(起き上がり最速行動)の練習はMISSIONモード内に含まれてはいますが、これらの練習は失敗しても何が悪かったのか(ボタン入力が早かったのか遅かったのか、そのレベルの情報さえ)教えてはくれません。これならTRAININGモードで自主練しても同じことで、ことさら初心者に優しいPRACTICEとは口が裂けても言えません。
結局このゲームのPRACTICEモードは、熟練者がコンボを確認するためだけのモードに過ぎず、初心者が本当に必要なことを練習させてはくれません。
公式wikiに記載されている情報も、つまるところPRACTICEモードと同じで、熟練者にとってのみ有用なものでしかありません。
キャラ別の技リスト、コンボリスト、フレームテーブル、いずれも膨大な情報量ですが、それらを見たとして初心者の攻防の立ち回りが改善するでしょうか?本当に必要なのは「このキャラであのキャラと対戦する場合、ガード固められたらこう抜けろ」「起き攻めにはこう対処しろ」という実践的な情報なのではないですか?
何よりも問題なのは、そういう(初心者の役に立たない)サイトが公式wikiを名乗っていることです。
多くの場合、ゲーム攻略wikiはゲームをプレイしている有志が情報を持ち寄って編集され、特に対戦格闘ゲームだとキャラ別の立ち回りなども詳細に記述されたりします。しかしこのゲームの場合、公式wikiが先に用意されてしまっているため非公式な攻略wikiの編集が活発化せず、ユーザからのそういった情報の集積が阻害されてしまっています。それでいて、公式wiki自身は、初心者に役立つ立ち回りの情報を一向に記載していないわけです。これでは、初心者の役に立たないどころか、初心者の足を引っ張っているようにしか見えないのですが。
もしかしたら今後、公式wikiにもそういう情報が掲載されるのかもしれません。しかしゲーム発売からもう1ヶ月が経とうとしています。多くの初心者は既に心が折れた後なのではないでしょうか。
まとめます。
このゲーム自体はクソゲーではありません。熟練者どうしが腕を競い合う対戦ツールとしてはよくできていると思います。初心者が手を出すべきゲームではない、というだけのことです。
初心者向けを謳った数々の施策、結構なことと思いますが、それを信じた私はバカを見ました。上述した通りゲームデザイン自体が初心者に辛く作られているのですから、生半可な施策では初心者への救済にはなりえません。ゲームデザインを変える気が無いなら、「初心者向け」などと口に出さず、「素人お断り」を謳うのがゲーム製作者として誠実な態度だと思います。
ども、質問に先立ちまして、当委員会の藤江先生の御冥福を心からお祈りしたいと思います。
ことしは、言うまでもなく国連が定める国際先住民年であります。少数先住民族に対する人権の保障、あるいは民族の伝統文化や生活様式の保存、継承は言うまでもありません。我が国のみならず、今や国際的な課題となっております。世界的にこの先住民族問題がクローズアップされたのは、歯どめのきかない自然界に対する開発政策への警鐘といいますか、反省、見直しを求める声があったからだと思います。昨年採択されました環境と開発に関するリオ宣言第二十二原則でもそのことがうたわれております。先住民の文化及び利益を認め、持続可能な開発の達成に向けて効果的参加を可能とするように、こういうふうに明記されております。
アイヌ民族が北海道、昔は蝦夷地と呼ばれておりましたが、樺太あるいは北方領土を含む千島列島に和人よりも先に住んでいたという事実をお認めになりますでしょうか。
○国務大臣(河野洋平君) アイヌの方々が古くから住んでおられたということは、文献その他から見て通説となっていると承知しております。
○中尾則幸君 そうしますと、繰り返しになりますけれども、先に住んでいたということは長官も認められました。つまり、先に住んでいるということで先住民族であると。これは社会党を初めいろいろ私どもがたびたび国会の場で論議してきたところであります。この国会審議の場で河野長官は、国際的定義がいま一つである、はっきりしないと繰り返し答弁されてきました。これまでの経過の中で、アイヌ民族を少数民族として政府が認めるということは聞いておりますけれども、歴史的にも先に住んでいた、つまり先住民であることは、これはもう明白な事実であります。
なぜ政府は独自に先住民としての定義づけをしないのか、結論を国連の場に求めるのか。判断を先延ばししているのじゃないかと私は思うのでありますけれども、その理由は何かお聞かせ願いたいと思います。
○国務大臣(河野洋平君) 今先生もお話しになりましたように、私どもはアイヌの方々が古くから住んでいるということは文献等によって承知しておりますが、先住民族という言葉の持つ定義というものが幾つかに分かれている、あるいはまた国際的な定説がないということから、つまり国際的な定説がないままにそうした先住民族という言葉を使うということには躊躇せざるを得ないものがあるというのが我々の率直な感じでございます。
今先生御指摘のように、古くから住んでいた、それはすなわち先住、先に住んでいたということではないかというふうにおっしゃいますが、古くから住んでいたことを我々は承知しておりますが、先住民族という言葉でそれを表現してしまうと、先住民族という言葉それ自体が持つ国際的なさまざまな議論がございまして、もうこれは先生十分御承知のとおりでございますが、そのどの定説に当たるかによってこれから先の言ってみれば権利義務の問題その他に絡んでくる、あるいは誤解を招きかねないということがございますので、私どもとしては古くから住んでいることを承知しているということでお答えを申し上げているわけでございます。
○中尾則幸君 長官の今までの御答弁、衆議院の予算委員会等でも同じような御答弁なんですけれども、私はちょっとここでもう一言伺いたいのは、先住のことについては認める、ただ長官がおっしゃるのは権利、いろいろな権利が発生してきます。その問題を長官は言っていると思いますけれども、私は先住権について言っておらないのであります。
先住民族としてまず認めない限り、今までのウタリ対策については非常に後退している。長官も御存じのように、アメリカあるいはカナダ等先進諸国ではいろいろな州法をもって保護あるいはいろいろな権利を認めているわけです。ですから、先住権となりますとこれは長官のおっしゃることも私はあろうかと思います。しかし、先住民族としてまず指定をすべきじゃないかと私は思っているわけです。先住権と同一にする理由はない。もちろん先住権についてウタリ協会も私どももあるんだというふうに主張してまいりますけれども、その入り口の先住民族であるという認定、これは政府独自の手でやるべきじゃないかと私は思っているわけです。一言お答え願います。
○国務大臣(河野洋平君) 私どもとしては古くから住んでおられた方々に対して、それなりのと申しますか我々としての思いはございます。しかし、これは委員が十分御承知のとおり、国際的なさまざまな議論が今、とりわけことしはそうした議論の年でございますからさまざまな議論があって、これを国際的な通念として固めていくという議論が行われている年でございますだけに、私どもはその議論の間でもう少し慎重に我々なりに議論をし、国際的な議論との関係についても慎重に検討する必要があるのではないか。これは日本の憲法その他とのかかわり合いもございます。そうしたこともあって慎重な検討が必要ではないか。
これも私は恐らく先生と同じ気持ちだと思いますが、古くから住んでおられて経済的にも大変御苦労をしておられるこうした方々に対する思い、気持ちというものを私は持っております。持っておりますが、そのことと国際的な議論との間には少しまだ検討しなければならない余地があるのではないかということを事務当局がこの問題をずっと議論をし研究をしつつある中で感じているわけでございまして、私は古くから住んでおられることを認め、そしてこうした方々が今非常に厳しい環境の中におられるということも私自身は承知しながらも、固有名詞としてそれを使うということについては非常にちゅうちょせざるを得ない状況でございます。
http://kokkai.ndl.go.jp/SENTAKU/sangiin/126/1410/12606141410006c.html
遅ればせながらゴジラを見てきた。作品の感想は事前の期待が大きかったせいもあるがイマイチ。その理由を自分なりに一晩考えて出た結論が「人間にとって都合のいい存在としてゴジラを描いてしまっているから」。1954年に公開された初代ゴジラは明確な反戦・反核のメッセージを含んだ作品であり、水爆実験でよみがえったゴジラは、人間がコントロールできない「核兵器」という科学技術を使うことへの批判として描かれている。
人類が調子こいて水爆実験連発。その衝撃によりゴジラが目覚める。
↓
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ゴジラを殺せる可能性のある、水中の酸素を破壊するオキシジェンデストロイヤーという化学兵器を若い科学者が発明。
↓
しかし博士はその兵器が戦争に使われることを恐れ、使用を拒否。
↓
ゴジラをぶっ殺すか? 強靱な生命力を研究対象にするべく生かすのか? 議論が割れる。
↓
結局、オキシジェンデストロイヤーでゴジラ死亡。博士は兵器の悪用を恐れ設計図を破棄し、自らの命を絶つ。
ゴジラは60年前から反戦・反核のメッセージとともに、際限のない科学への信頼に対する警鐘も鳴らし続けている。しかし、ラストでゴジラを倒すのは核兵器よりも強力な化学兵器であり、これは結局諸刃の剣である科学の呪縛から逃れられない人類を象徴的に描いている。「人類が核実験を続ける限り、第二第三のゴジラが現れるだろう」という最後のセリフは今もって有効だ。これがハリウッド映画であれば、「核兵器でも死なない大怪獣を倒した科学技術は素晴らしい! 人類の叡智バンザイ!」的なハッピーエンドになるはず。
ネタバレになってしまうので詳細は避けるが、なにが言いたいのかというとゴジラは大自然や神様といった人間にとってアンタッチャブルな概念の具現化であり、人類のために戦うヒーローになってしまっては興ざめということ。この辺はおそらく、神様が世界と人類を想像したというキリスト教的な欧米の世界観では理解しにくい存在なのかもしれない。それらの文化圏では神様とはこの世界のスタートとゴールを設定した絶対者であり、人類を正しい方向に教え導く役割を担っているのだから、試練を与えつつも最後にはハッピーエンド(人間にとって都合のいい)が約束されていなければならない。
その点、日本では不可侵な存在としての神様を描くのが得意なようで、例えば「もののけ姫」のシシ神さま。あれなんかは完全に、人類ともののけの人智を超えた存在として描かれている。シシ神さまにとっては森を守るアシタカも森を開発しようと企むエボシ御前も関係なく、ただ目の前の者に死と生命を分け与えるだけ。間違っても「お前は森を大切にしているから褒美として寿命を10年延ばしてやろう」とも「お前は森を破壊した罰として寿命マイナス10年!」とも言わない。人間の都合ももののけの都合も一切勘案に入れず、己の職務に忠実なだけだ。それは、どんなに弱者や善人が住んでいても地震や台風が発生するときは容赦なく発生するのと同じこと。つまり、本来自然や神様は人類の都合など考えない、極めて不条理な存在であるわけだ。
もうひとつの例としては、「ドラゴンボールZ神と神」のビルスさまも同じ。「プリンが食べられないから地球を破壊」「寿司がまずかったら地球を破壊」「ジャンケンに負けたら地球を破壊」といったセリフのオンパレードは、神様の不条理な一面をこれ以上ないくらいよく表している。初代ゴジラにとっては自衛隊であろうと戦災孤児であろうと自らの進路に存在する者は容赦なく踏みつぶすだけだ。
そんな人類の都合など考えないゴジラを期待して見に行った自分からすれば、なぜ98年のエミリッヒ版ゴジラがあんなにも酷評されているのかよくわからない。今作では日本の原発事故を絡めてはいるが、それもイマイチ批評性に欠け(というか単なる方便)、中途半端な社会派作品に堕してしまっている。
一つ興味深い点を挙げれば、人類がゴジラを「撃退」もせず「征服」もせずに「共存」の道を選んだこと。(続編のためにはゴジラが人類に撃退、征服されてしまっては元も子もないのだが)。これまでどんな凶悪な宇宙人も自然災害も撃退して乗り越えてきたハリウッド映画、これまで世界の警察を自称して世界中に西欧的価値観を広げてきたアメリカ。そんな、アメリカという国家が共存の道を選んだこのラスト、実はなかなかにレアなのではないかと考えている。メインキャストで唯一の東洋人である渡辺謙が発した「愚かな人間は自然を征服できると思っているが、そんなことはできない」というセリフは、「自然や子どもは管理されるべき」といったキリスト教の教えとは180度異なる。今回のハリウッド版ゴジラは反戦・反核のメッセージを含む初代ゴジラとは異なり、アメリカの外交の変化とリンクした作品として捉えるとまた違った一面が見えてくる。
http://anond.hatelabo.jp/20140609200812
※5月29~31日ツイート再掲
★NHKが1985に放送した「The Day その日」という近未来予測番組では、
「日本もアメリカのハイスクールみたいに、高校生が妊娠出産しまくる社会になる」と大胆予測してた。
そんな番組を当時は作っていたのだから、1985時点では誰も少子化社会を読めなかった
★日本社会が少子化を意識したのは、1990年の「1.53ショック」が最初だからな。
私見だが、1.53ショックで「今後の日本は縮小する」と直感したことが、バブル崩壊に繋がった
★70年代、フジ三太郎にシルバーシート導入を揶揄したマンガがあった。
「近未来、シルバーシートに多くの年寄りがたむろし(座り切れない)、普通の座席に少数の若者がゆったり座ってる」
★こう言ったら失礼ですが、サトウサンペイや藤子先生「ですら」
少子高齢化を予想できたのだから、当時のプロの人口学者が予想出来なかった筈がない。
あくまで仮説だが、当時も若手の人口学者は少子高齢化を正しく予想してたのでは?
★ところが、若手の人口学者が「このままでは、日本は少子高齢化しますよ」と警鐘鳴らそうとしたら、
「人口学者の大御所」が、「そんな筈はない、日本の最大の問題は人口爆発だ、キミは何も分かっとらん」と若手の警鐘を潰していたのでは?
で、そういう「大御所のセンセイ」であればあるほど、政府の審議会に出入りしてる。
かくして、日本政府は1990まで、人口抑制を前提にした政策が展開された
★80年代の人口学大御所が人口抑制を唱え続けたのは、「原体験が冷静な判断の眼を狂わせた」側面も大きかったのでは?
当時の「若手学者」は戦後生まれの団塊世代だが、「大御所」は大正~昭和一桁生まれ
戦中戦後の食糧難は、「若手研究者」にとっては生まれる前の話。
しかし「大御所」にとっては、10代20代に食糧難に遭遇。かつ戦争体験が強烈。
彼らは「日本の人口爆発が戦争の一因」との強い思い(思い込み)がある。
「人口爆発のせいで、日本は戦争に追い込まれ、自分たちも戦争に駆り出された」の被害者意識を強烈に持っている。
だから人口増加を容認することは、自分の戦争体験の追認を迫られることになり、感情的に受け入れられない
★もっと言えば、80年代の権力者、厚生省の局長クラスとか、自民党の族議員とかは、
大概は「大正~昭和一桁生まれ」が80年代は主力だった訳で、彼らは「人口増加容認政策」に180度転換することは原体験的に不可能だった訳です
★逆に言えば、90年代に入って、「人口抑制なんてトンデモない、出生率向上こそ急務の課題だ」と
世論がコペルニクス的転換を果たしたのは、多分に「支配者層が、徐々に戦前派から戦後派に入れ替わり、
★もっと言えば、70~80年代は「左翼」がもっとも強かった時代だからなあ。
人口増加容認政策への転換は、「徴兵要員確保の為か、産めよ増やせよか?」と猛批判を浴びるのが必至だったから、
政治的に不可能だった
日本人はジャップ、日本のことはジャップランドもしくは中世ジャップランドが嫌儲での基本的な呼称です
日本人や日本企業が日本に特有するような悪習で失敗すると「ジャップにお似合い」、政治や行政の不始末には「さすがジャップ」という言葉が飛び交います
政治的には原発反対、TPP反対などの主張が強いですが、殆どの住人が中道を自称しており、なによりもネトウヨと呼ばれる人種が嫌われます
政治的にはリベラルなようですが、女性の話題については近世以前の武家社会並に保守的です
女性は基本、全てにおいて男性に劣った存在であり、男性に寄生してしか生きることのできない低俗な生き物であるというのが大勢の意見です
女性という単語は殆ど見られず、日本人をジャップと呼ぶのと同様、女性のことはまんこと称するの嫌儲での日常的な風景です
嫌儲は女人禁制、紳士の社交場であり、女性であるとカミングアウトすると、ただ「ま~ん」(女性を揶揄する蔑称)や「鉄くせぇ」といったシンプルな煽りレスのみがつきます
外部から嫌儲は~嫌儲民は~と十把一絡げに嫌儲像を語られるのを嫌います
更に嫌儲という言葉の意味については非常に敏感であり、「嫌儲」=「儲けることを嫌う」という「壁ドン」=「少女漫画でよく見るリア充の求愛好意」のような
誤解、誤認識が広まることについては多少の危機感を持っていると共にドワンゴ川上社長のように上記の単語の御使用を広める輩に対しては低能の称号が送られます
地方や田舎がバカにされるよりも東京が馬鹿にされる方が圧倒的に多いのも嫌儲の特徴の一つです
嫌儲でトンキンという単語を見かけたならばそれは中華人民共和国の地名ではなく日本の首都を表しています
文脈的には政治、行政、経済、文化の中心であることから、日本や日本人をバカにする意味合いで東京をバカにするといったことが多いかもしれません
嫌儲においてツイッターはバカッターとも呼ばれ、バカが犯罪自慢や盛大な自爆を行い、定期的に話題の供給を行ってくれる優良なニュース配信サイト
もしくは延々とバカとバカが互いを褒め合い承認欲求を満たす、バカのお花畑のような場所であるというのが基本的な認識です
対して嫌儲民の間で相手の意見に同意するときは、ただ一言「ほんとこれ」とレスしシンプルに賛同を表明するのがマナーとなっています
ニコニコ動画については大方の嫌儲民がバカ、ガキ、アフィ、ネトウヨというゴミ溜めの4重奏で構成された最も卑しく下らないサイトであると考えており
興味ないといいながら内心では興味大有りなことが多い嫌儲民が本当に興味を抱くことがない、話題にされること事態が珍しいという稀有な存在となっています
他人の不幸で飯が旨いメシウマ!といったミームを生み出してきた民族とルーツを同じにする嫌儲民ですが
その攻撃性は衰えておらず、弱ったものは更に叩き死人には鞭を打つというのが基本的な不幸系ニュースへの姿勢です
ここでは単純に叩くといったよりもその不幸な出来事に至った原因を被害者自信に求め、被害者の人格を否定、日本古来からある喧嘩両成敗の精神で
加害者も悪いが被害者も悪いという超絶理論を如何に筋道立てて矛盾なく捻りだすかという技量が求められます
逆に日本に喜ばしいニュースや近年地上波テレビ等でも多い外国人が日本を褒めるといった構図のニュースは嫌われ、外国人に褒められると嬉しくなってしまう日本人の特性を
「ホルホルw」とあげつらい、不幸系ニュースとは逆に「ジャップは直ぐにホルホルしだすな」と天狗になってしまった日本人に警鐘を鳴らし、たしなめる立場に回ります
上記で女性が嫌いであると書きましたが、可愛い少女については例外で性別女としては唯一嫌儲において人権を認められた存在となっています
可愛い少女の前では道化となりバカの一つ覚えのようにカワイイと書き込むか、「詳細」とその女性についてより詳細を知りたい旨を伝えることが嫌儲での日常となっています
但し、例外の例外ともいえる特記事項が存在し、もしも対象が非処女であった場合は直ちに嫌儲においての人権が剥奪される事由と成り得ます
外部の人間が嫌儲に抱いているイメージとは違い、意外にアニメや漫画、ゲームについての話題が少ないというのが最初に嫌儲を見て驚くポイントの一つであるかと思われます
しかし、こと女性声優の話題については常日頃から活発な議論が交わされており
CMやドラマに引っ張りだこの旬な女優やタレントの名前は一切見ないのに一般的な知名度は皆無に近い女性声優の名前はよく見るといった現象が嫌儲ではよくあります
嫌儲でアニメなどサブカル系のスレッドが立つと作品や関連話題に対して否定的なレスで埋め尽くされるの常となっており
それがアニメや漫画、ゲームのスレッドがあまり立てられないことへの直接の原因となっているのではないかとも言われているわけですが
女性声優の話題については例外的に否定的なレスが少ないというのも特に書き留めておきたい事実の一つです
よく考えて見ればサブカル系スレッドに限らず嫌儲全体が否定的な意見の集合体ともいえる程ネガティブ意見ばかりなのでやはり不思議というほかありません
夜半、特に祝休日の深夜にニートや無職など底辺と呼ばれる人々が一つのスレッドに集まり延々と身のない話や自らの不幸な生い立ちを語っている場面に出くわすことがよくあります
それらのスレッドは毎回大変な盛況ぶりを見せており、上述の底辺層が嫌儲において一大勢力を築いていることは疑う予知がありません
そこでは普段の攻撃性からは思いもよらない嫌儲住民の温和な一面を垣間見ることでき
一見すると底辺同士の傷の舐め合いと誤解してしまいかねないような心温まる住民同士の触れ合いにも出会うことができます
上記に加え「前科者や犯罪者集まれー」といった直接的な文言のスレッドが立つこともままありますが、こちらも非常な盛況ぶりとなっています
ここでは多種多様な犯罪で捕まった前科者、犯罪者の方々を確認することができ、嫌儲の住民層の広さをうかがい知ることが出来ます
同種のスレッドで生活保護関連のスレッドが立つこともありますが、ここでは生活保護の貰い方に関する嫌儲住民の高い関心をうかがい知ることも出来ます
自分語りを嫌う嫌儲住民ですので、あまりその口から過去の経歴や学歴などを聞くことはありませんが一度口を開くと沢山の元神童がいることに驚かれるかと思います
それら元神童に比べて現在成功している人間が少ない、というよりも皆無であるというのもポイントの一つとなっています