はてなキーワード: 警鐘とは
松本人志、愛媛ご当地アイドル自殺に持論 「死んだらかばう風潮が嫌」 - ライブドアニュース
この記事に対して、群がって叩いているブックマーカーが理解できないし不愉快でたまらない。松本の言う「死んだら負け」「自殺したら庇う風潮が嫌」も、どちらも間違っていないどころか、完全に他正しい。
WHOのガイドラインを引き合いに出すまでもなく、自殺する事で世間が自分の境遇に同情してくれて、自殺の一因になったであろう事象を見つけて原因となった誰かを叩いて、社会的に殺そうとしてくれるんだから、これはもう自殺ほう助みたいなもんだろう。死ぬまで見向きもしなかった社会が一斉に自分に反応してくれる未来が予想できるのは、死を選ぶ理由になる。
しかし、死んだ本人も遺族も、それで救われる事はない。もっとも、恨みを晴らせたことで、人によっては遺族はすっきりするかもしれんが、俺ならばすっきりなんてするはずがない。「なんで死ぬ前に、言ってくれなかった。助けてくれと一言言ってくれたら、なんでもしたんだ。」と、SOSを聞けなかった事を後悔するだけだろう、だから「死んだら負け」と伝え続けるのは正しい。死ぬ前に、家族でも友達でも恋人でも、親しい誰かに頼って欲しいと思う。死んだって誰も庇ってはくれないと言う方が、死へ向かう人の背中を押さずに済む。
だいたいからして、「死ぬほどつらいから、そこから逃げるのは個人の権利だ」ってのが、メンヘラブックマーカーの持論だったでしょ?自殺者は自分の命を自分で捨てる自由を行使したにすぎないんでしょ?
「立派に死んだね」
「頑張ったね、勇気を振り絞って楽になっておめでとう。」
これがお前らに許された言葉なんじゃないの?
分かってないのは松本人志。死にたくて自殺しているんじゃないんだぞ。苦しくて苦しくて苦しさが幾重にかさなって目の前が真っ暗になった時、光が指した向こうに自死という結果があるんだぞ。
自分の命を自分で捨てる選択肢を認めるどころか推奨すらしてる奴らが、「死にたくて自殺したんじゃない」と正論しか言ってない松本人志に群がって叩いているのは奇怪だ。自殺する前に誰かに頼る事が出来ない程弱っている事を認めて、生きて戦う様な辛さを味わう位なら死んだっていいじゃないかと言ってた連中が、自分も殺す側に加担してきた自覚もない事が不思議でしょうがない。「死んだら負け」だと声を上げ続けてる松本人志は、その点、誰かを救えるなら救いたいと考えてる側だ。
松本人志が言うように、死ぬ理由が一つではない事も概ねそうだろう。仕事や学校での辛い境遇は主因ではあるけど、そこから逃げて来いよ、という声を届ける事しか我々には出来ない。社会に声を届けられる著名人が、ブックマーカーのお気持ちに寄り添って、事務所が、会社が、学校が殺したと言うだけでは、自殺を後押しするばかりで意味がない。我々社会は、「何があっても死んだら負け」「生きてるだけで丸儲け」と伝え続けるべきで、何かあれば、周りの人間を頼って欲しいとか、家族や友人が当てにならない人の為に信頼できる公的機関か団体を紹介するとか、生きてく選択肢を提示すべきだ。死に逃げてしまった人を助ける事はもうできない。生きている間に助けられなかった社会と、生きようとしなかった自殺者に警鐘を鳴らしている松本人志は正しい。自殺も選択肢なんて言って自殺を応援する連中はクソだし、そこから逃げろ死んだら負け、って言葉をマッチョの言葉だとか言いつつ、事務所を叩きたいだけの自分の気持ちに寄り添わない松本人志を叩いて喜んでいる連中は更にクソだ。
アダルトビデオのビジネスモデルっていうまでもなく判断力の乏しい10代~20代前半の女性の無知に「ライド」して売っているわけだけど倫理的観点から見てこれほど邪悪な産業はないと思う。
性を売る商売を侮蔑する風潮って全世界的にあるけどこれには一定の超越論的なものがあると思うわ。
一言で言えばアダルトビデオを撮るやつもそれに加担する人も「まともな大人のやることじゃない」んだよ。若者の判断力のなさを食い物にしてビジネスをしてるけど本来、大人がやるべきことは若者が向こう見ずに吸いこまれていくものに警鐘を鳴らすのが大人のすべきことだろ。ましてそれを儲かるから便乗して売ってしまえとかマジでどうかしてる。
性産業への批判ってそれ自体が陳腐化しててネットなんかではカウンターとして性産業も職業として認めろって意見をちらほら見るけど認めるってのも他人行儀な言い回しで大人がすべきは嫌われてもいいから認めないってことなんじゃねーの?
アダルトビデオに出演している女優は若者ゆえの無知だったり好奇心や金欲だったりするのでまだわかるがいい大人がアダルトビデオを制作してるのは本当に反吐が出る。
男と手をつないだことすらない。
いない歴=年齢。
心がザワザワし始めたこの頃。
性体験がない事へのコンプレックスは、多少芽生えた(今頃?)。
頃のことだ。
周りとも打ち解け仲良くなったのはいいのだが、
(私がいたところだけなのか?)
喋ってないのに、ほぼ全員、私が処女だと気づいていたという事態に。
で、直接何か言われたわけじゃないけど、ところどころで
引け目を感じてたのに、そこまで言われると、もう撃沈。
すっかりいじけて任期が終了になった。
元々は、恋愛至上主義ではなかった。
生きがいを感じていて、居ない歴とかもほぼ気にしてなかった。
なのに、私がやっとつかんだ憧れの仕事の場で、
仕事で見返すにも、実力が足りな過ぎた。
ことなかったわけでしょ?
心底、バカバカしい。
そう思う。
極端な話、ビッチが神なわけ?
守ってるわけでもないが、どうでもいい男を受け入れるために
ただ、そう思っても心の中で湧き上がる好奇心がある。
いつも思う。
「そんなに気持ちいいのなら…」
他人が脇腹つつくだけで飛び上がるほど感じるのに、
やっぱり他人?
イケメンがしてくれるのも聞く。
「本番はないよ」
なら、安心かもしれない。
でも、、、
「魂は汚さないでください」っつってたのが
頭の中によみがえる。
魂が、汚れる…
体より重いよね。魂。
どうしよう、男は無理・・・?
そうか、女ならありか?!
恋心を抱いたこともある。
「素敵★」とポーっとなったりする。
私が知らないだけで、そっちの気もあるのかも?
私と同じモンついてるね。
特に胸の大きい子だと余計無理。
自分も大きい方なので、見慣れてるし、触りたいという
欲求はない。
でも、脱いだら同じよな。
やっぱ男か??
うーん、うーん・・・
そんな風にずっと堂々巡りを繰り返してきた。
思ってた。
でも今は、彼氏ができる気がしない。
だけど、20でもモテなかった私は?
そこまで来たとき、思った。
ただ、痛みには耐えられない。
ありていに言えば、挿入なしで気持ちよくなれれば。
セラピストの顔が非公開。
しかも24歳以下のみって、どんなやねん!
(男向けだったらあり得ない注釈でしょ)
悩み始めて3年。
その間、彼氏どころか気になる男もできなかった。
40になってもダメだったら、と思ってたけど
リーマン破綻時のチーフエコノミストだったハリス氏は危機前の05~06年ごろのことだったが、ハリス氏はすでに米住宅バブルに警鐘を鳴らし始めていた。リーマンのモーゲージ(住宅ローン)部門が記録的な収益を稼ぎ出し、株価も高値を謳歌するなかで、勇気のある行動だったといえる。
現在バンクオブアメリカ・メリルリンチでグローバルエコノミストを務めるイーサン・ハリス氏。最近、口をついて出るのがトランプ政権の通商政策への懸念だ。6月のリポートでは、米中貿易摩擦が激化すれば「米国は完全な景気後退に陥る可能性がある」と警告。今週はロイター通信の取材に答えて「足元の米株式市場は勢いと楽観論に満ちているが、(米中が)関税の引き上げを続ければ、いつか調整が訪れる」と述べた。
目先の利益追求が将来に大きな禍根を残すことを、世界はリーマン・ショックで思い知ったはずだ。危機を知る人たちが語り継ぐ教訓は、いまの市場に届くだろうか。
自由に使えて当たり前のものが使えなくなる。これは福井弁護士が警鐘を鳴らしていた通りだね。
擬似著作権(ぎじちょさくけん)は福井健策弁護士(著作権法専門)が提唱する「理論的には著作権ではないが、社会で事実上、それに近いような扱いを受けている」ものを指す[1]。擬似著作権という名称であるが実際には擬似的な知的財産権全般を指すという。
擬似著作権の最大の弊害は、社会がその情報を自由に使えなくなることであり、もっともな理由があるものもあるが、「言ったもの勝ち」「権利のように振舞えば勝ち」というような例が見られるという。[2]
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%93%AC%E4%BC%BC%E8%91%97%E4%BD%9C%E6%A8%A9より
オウム事件から得た教訓によって、人類は戦争やテロを撤廃することができただろうか?
https://www.nippon.com/ja/currents/d00425/
裁判で何も語らぬまま教祖の刑が執行されたことで、地下鉄サリン事件の本質的解明への道は閉ざされ、将来に禍根を残したと筆者は警鐘を鳴らす。
ユダヤ人移送のキーパーソンとして法廷で裁かれたアドルフ・アイヒマンは、ホロコーストに加担した理由を「命令に従っただけ」としか答えなかった。
しかし傍聴席にいたハンナ・アーレントは、アイヒマンのこの言葉から「凡庸な悪」という概念を想起した。
人の営みに想像力を持たない組織に従属したことがアイヒマンの罪なのだ。
アレントのこの考察は、特定の民族を世界から消滅させるというホロコーストの負の情熱を解明する上で、とても重要な補助線になっている。
なぜならオウムの事件はホロコーストと同様に、あるいは多くの虐殺や戦争と同様に、集団に帰属して生きることを選択したホモ・サピエンスが遺伝子的に内在する大きなリスクを提示した事件であり、宗教が持つ本質的な危うさを明確に露呈した事件でもあった。
いや解釈を拒絶した。
私はパソコン通信生まれ2ちゃんねる育ち、いや正確にはワープロが搭載したパソコン通信モードにドキドキするも繋がらない…とかに始まって、インターネットカフェっていう本当にインターネットするためだけに800円とかのコーヒー頼む所に通ってたり、自習室のPCがネット繋がるからって理由で塾決めたり親がテレホーダイ入ってくれないからH゛(エッヂと読む)でダイヤルアップして時間と戦いながら必死でBBSやらチャットやらに明け暮れたあげく料金請求で大爆死したりしてた世代なんだけど(身バレの危機)
私はもっとカオスで危なくて怪しくて、入るたびに形のかわるダンジョンみたいな、武器のかわりに知識で殴られるあの空間が好きだったんだ
ほんと嫌ってほど釣られたしグロ画像とかも踏んだけど半年ROMれもggrksも今思うと優しさだったよ
今Twitterでバズってても半分以上は本気の警鐘とか社会的にきちんとしたためになる話か、実在の誰かを血祭りにあげようとする私刑執行シーンで、何が面白いか説明しきれなかったあの頃の空気はどこかへ行ってしまった
…いや
本当はちょっと分かってんだ
私がただ歳取って、疲れて、悟って
楽しめなくなっただけなんだって
表札にぬるぽって書いてさ
そのくらいの懐古は許してくれよな
ひとたび便利の味を知ってしまうと、それが人々の心に不便の種を植え付ける。
これまで感じることのなかった不便が、便利の数だけ生まれてくる。
便利化する社会が息苦しさを生んでいる。
自動車の便利さを知ることで、自転車の不便さが重くのしかかってくる。
こういった例はいくらでもある。
エアコンのある生活が当然になると、エアコンのない環境下に不便を感じるようになる。
コンビニのある生活が当然になると、コンビニがない時に不便に感じるようになる。
最新ゲームに慣れると、昔のゲームのシステムに不便を感じるようになる。
この時、便利は人々を幸福にしているだろうか。
便利は消えて、新たな不便が増えているのではないだろうか。
少なくとも現時点で不便を感じられていない領域にまで便利さを求めることは避けるべきだ。
しかし、際限なく便利さを追求するのが資本主義社会であるため、マクロ的には便利化の歯止めを効かせることは不可能だろう。
私たち個人にできることは、不便を当然と思えるように生活することである。
例えば、スマホを使わずに一日過ごすという手軽なものでもいいし、寺で体験修行をするのもいい。
さすれば、当たり前のことにも幸福を見出せるようになるだろう。俺にはできないけどね。
歩きスマホでホームと電車に挟まれ亡くなった中学生の子がいるけど、何をみてたんだろう?
増田のみなさんはどうだろう。歩きスマホをする時に一番画面に映っている率が高いのは、何?
世間的には歩きスマホの時に見られている画面って、調査するとLINEやtwitterみたいなSNS系が多く出るのは分かりきってる。
英語でも歩きスマホのことをtextingって言うぐらいだし、SNSを閲覧、入力しているのが典型的なパターンだとは思う。
でも、それらって実は、今まさにやらなきゃいけないって事はない。あとで読んだり返信したりしてもいいことがほとんどだ。
ダイヤや地図や施設などの調べ物をしながら、というパターンも多いだろう。だがこれらは立ち止まって確認しても問題ないものだ。
ところがこれがゲームだと、移動のついでに、1秒も逃さず画面を注視していないといけない状況が多々ある。
それに、「スマホで何やってたんですか?」という質問に「ゲームです」とか「○○(ゲーム名)です」と堂々と答えられる人はあまりいない。
なので、想像以上に歩きながらポチポチゲーをして脳の注意力リソースを画面に全振りしてしまっている人は多いはずだ。
もっと言うと、「SNSとか読んでるフリしてゲームしてますよ」という隠れゲーマーが大量にいるはずだ。
だから、そういうフリができてしまう縦画面ゲームにはなんらかの制約をつけるべきだと思う。
これが横持ちだとあからさまにゲームだと思われるし、堂々と横持ちでデレステしながら歩いてる人などまず居ないだろう。
だが縦画面はたちが悪い。
スマホには歩行中であることを検出できる機能やセンサーがあるのだから、注視を必要とする縦画面ゲームは歩行中は画面を隠す機能を課すべきだろう。
ポケモンGOのような、歩きスマホが前提だが注視や操作があまり必要ないものなら、歩行中制限はゆるくてもいいかもしれない。
だが若い子が遊ぶような複雑で頭を使うアクションやパズルや戦略的ゲームを、縦持ちで歩きながらできてしまうのは危険極まりない。
実際に事故で亡くなった子が何をしていたか、スマホが原因だったかはともかく、こういう自主規制についてソシャゲ各社は考えるつもりはないのだろうか。
ゲームユーザーの間では、少なくともそういう声は一切聞かないどころか、むしろ縦画面は歓迎されている。
その理由はもちろん「外でも遊びやすいから」だ。ゲーム内イベントの追い込みなども外でできるから、社畜でもボーダーを逃さずに済む、とか。
宗教問題について調査してたら、興味深いことが書いてあったのでメモ。
◆Amazonで購入される場合、中古を買ってください、新品と同じものです
アマゾンの価格を値上げしてます。新品で出品するのに、アマゾンからは1冊ずつしか発送依頼がないのですが、その発送方法の指定他で、発送費が1000円近くかかります。馬鹿らしいので、新品は売れなくてもいいと判断しました。アマゾンの中古で、新品同様の商品を出品できるように依頼していますので、そちらは旧価格のままです。
要するに、アマゾンに一冊ずつ新品を納品したくないための価格改定です。中古でも同じものを出してますので、アマゾン経由で購入希望の方は、中古を買って下さい。
小生「自営で最強なのは不動産業やで、大家業。ワシ資産3億あるんやで、毎月家賃500万入ってくるんやで。」
高卒から不動産投資を始めれば、小生の年齢までに3億貯まることになる。
家賃を貰ってそのまま再投資する不動産投資では、このように雪だるま式に資産が増えていく。
10年前にオウムを辞めた小生は、女房の虎の子1000万を元にこのようなやり方で資産を増やして来た。
世間一般のエリートコースを離れ、尚且つ元オウムというマイナスの経歴を背負った小生でも、不動産投資という手法では金銭面では十二分にリカバリーできたということになる。
リースバック事業資金について、お金の出どころを問題視される方がいらっしゃるようなのでコメント。
まず私には、オウム・アレフ時代から親しい関係にある女性がいます。その女性は元出家者ですが、アレフ時代には、類まれなことに一部上場企業に就職して年収500万程得ていました。それ以前にも彼女は教団関連事業に携わり、個人の給与として累積で1000万近く給与を得ていました。
私はアレフ以前から資金管理者の立場でもありましたので、彼女の金をリースバック事業等に使いました。それがみどりの家族計画にある原資です。それを原資として、例えば200万で物件を買い、利回り66%で回し、その収益物件を600万で売り抜けるという感じで資産を増やしています。
バーカwwwwwwwww養分乙
あの西村博之ですら、「資産が1億円以上ない人はソシャゲに課金するべきではない」とまで警鐘を鳴らしています。
その理由についてですが、世の中の、特に日本のスマートフォンゲームの多くに実装されている「ガチャ」は、基本的に金持ちの人をターゲットにした料金形態だからです。
ガチャに課金しすぎて生活がめちゃくちゃになったというニュースよく聞きますよね。
そういう人はそもそもこのガチャ課金に手を出してはなりません。一般的な所得の人がフェラーリやランボルギーニを一括払いで買うようなものです。
しかし、そんなガチャという仕組みは、お金持ちの人にお金を使わせるのにはもってこいです。
お金持ちの人にも色々なタイプがいますが、その中には「カネを稼ぐことしかできない」連中がいます。
お金は余るほど持っているがそれ以外の取り柄は特にないという人々。
何かを発明できる才能もなければ、スポーツが抜きん出て上手いわけでもない、歌や楽器が上手いわけでもない、世間から称賛される何かをしているわけでもない、容姿も大したことない・・・
そういう人ほど、金稼ぎ以外の事でも優越感を得たくなるのです。
クラブでホストやホステスにお金をつぎ込んだりする金持ちにはそういうタイプの人が多いかもしれません。
そしてスマートフォンゲームのガチャというのは、ソーシャルネットワークが普及した今、こういう金を稼ぐ事だけしかできない人にとっては絶好の場だと言えます。
どんなに金持ちであっても、ゲームの大会でランキング1位になったり、国内大会、世界大会で上位というのは難しいでしょう。聞いたことはほとんどありません。並外れた実力が必要です。羽生さんみたいに将棋で勝ちまくって資産を築いた人はいるかと思いますが、その逆はほとんどいない。
しかし、ソシャゲはそんな金を稼ぐことしかできない人達に、優越感に浸れる場を提供してくれたのです。
課金しまくっただけで他人より強くなれる。超レアなキャラクターを何百万も課金して全部揃えた。それをSNSで自慢して何万人という人から称賛を浴びることができる。
高級車や豪邸は自分のまわりの狭い範囲でしか自慢できない上に、普通の人にはかけ離れすぎた世界に感じるので大して称賛されません。
一方、何十万人という人が遊んでいるゲームならそれだけの人に自慢できるわけです。
彼らにとって、ゲームに月100万円以上つぎ込むなど造作もない事ですから、"一般人が入手困難であればあるほど金持ちの人にとっては課金しがいのあるものになる"わけです。
重課金ガチャのあるゲームをやるなという意味ではなく、あなたの分のプレイ料金は金持ちの人が実質肩代わりしてくれているのだから、わざわざ大金を払う必要はないという事です。もし課金して優越感に浸りたいのであれば、あなたも何かで成功してお金持ちになってください。
重課金と言われているようなゲームは、上手いこと「金を稼ぐ事だけしかできないお金持ちの人」にお金を使わせることができているのではないでしょうか。
こういう人は経年と共に、今度は束縛ではなくて、「モラハラ」に発展すると思われるので、
1:カウンセリングを揃って受ける。
場合によっては経度のボーダーライン含めて精神科も視野に入れて、
徹底的に改善に向けて行動する。
ゴールはきちんとお互いが独立した個人として尊重しあえるようになるまで。
2:そんなパワーはないので別れる。
とっとと逃げる。
多分一番楽だし、今ならまだダメージも少ないと思う。
できてしまうと本当に大変だし、生まれた後に束縛が子供へシフトし、夫は子育てのストレスを
ただただ発散するためのはけ口としてモラハラモンスターへとなる可能性が本当に高い。
こういう人って一見すると外面はすごくいいし、冷静な時に話し合うと普通に対応するから、
本当にわかりにくいんだけど、ほんと気を付けないとマジでやばいからな。
事例としては、私の弟の元嫁がこんな感じだった。子供できる前はまさにこんな感じ。
本当に、最悪だった。子供もできてしまっていたので本当に大変だった。
とまぁ大げさに書いたけど、多分思ってるより、根が深そうだったので、
少し警鐘的に書いている。
自分の考えを発表することには慣れているが、このような匿名の場で発言することが少く、もしかすると思慮分別に掛けた失言があるかもしれないが、そこはどうかご寛恕いただきたい。
一サラリーマンでしかない自分が、差別だの階級だのという深刻な問題について色々熟思することになった発端は、近頃流行りの、フェミニストや助勢権利問題に関して盛んに議論しているような場面をネットでしょっちゅう見掛けたことである。ここで敢て話しておくが、私の身の回りではフェミニストがどうこう、男がどうこう、女がどうこうという大局的な視点の議論はあまり行われていない。一体どこのどういう層が、どういう考えからこうした議論をしているのだろうという好奇から眺めるうちに、自然と自分がこうした差別について考えるようになったのである。
極端な話、こういうものは不特定多数に向けて発信されるのだから、その不特定多数の中で刺激を受けた人間がまた不特定多数に情報を発信し、こういう聯関が幾度となく続いて奇妙な合戦が始まるというのが実情である。何百人もの眼に触れれば、一人くらい「お前が言えたことじゃない。俺はこういう差別を……」と言って反撃してくるものも居るだろうし、それを見て「問題をすり替えているだけだ!」と批判してくる者も一人は出てくる。一人の意見が数百人に伝えられて色々な思想を掘り出すのはネットならではの現象。現実を見たら、まるでそんな議論起きてないじゃないか!と思っても何もおかしくはない。しかし、こういう前提を受けた疑心の強い私は「口に出していないだけで、こういう考えや不満を持っている層は一定数いるのでは?」と勘繰って、更に色々のことを調べた。あくまでもフェミニズムや女性差別、セクハラ問題、Metoo運動などについてだが、本当に多様な議論があるものだと内心驚いた。少年漫画をジェンダー論の視点から語るもの、男性差別と女権拡張論を一緒くたにして語るもの、ポリコレ棒をひたすら恐れるあまりありとあらゆる人権を憎悪し、また差別されることに怒りを覚えた人間たちが、そういう特定層が属している集団全体の問題へと広げて争うこと………。
大概の議論には少なからずこうした不毛な要素が孕まれているが、ネットは憎悪の導火線に火をつけてあちこち爆発させるのに非常に適した性質を持っている。文字数制限があるSNSもまた、そういう性質を持っている。ほんの微妙な解釈の違いが、やがて不毛な言葉遊びに繋がり、いつの間にやら人種差別、性差別の話題に敷衍されている。そうした事例をいくつも見る度に一番疑問に思うのが、「何故これほどまでに単語が錯綜しているのだろうか」ということである。
情報過多のこのご時世は、少しでも少ない語数、少しでも簡潔な言い回しで知的に物を表すのが良いとされている。微妙に差異がある言葉を言い尽くして、詳細に伝えるなどは馬鹿のすることと切り捨てられる。そのために、一つないし二つの意味合いしか持たない言葉や、本来いくつかの分岐がある言葉が下位互換の概念を包括することで、とことん省略しようと試みている。こうした考えを持っているのはおそらく私だけではない。著名な人物で言えば、かの三島由紀夫もこうした問題に警鐘を唱えている。
民主主義という言葉は、いまや代議制議会制度そのものから共産主義革命までのすべてを包含している。平和とは時には革命のことであり、自由とは時には反動政治のことである。長崎カステーラの本舗がいくつもあるようなもので、これでは民衆の頭は混乱する。
自分で言うのもなんだが、私は古い人間だ。未だに家父長制度があり、男女間は厳密には不干渉であるべきで、それを易易と超えるような浅はかな行為は慎むべきだという考えを持ち、性犯罪で女性側がだらしのない格好をすれば「何故襲われるだろうと予測できないのか」と疑問に持つような人間だ。そうした考えは、先進的な思想家や活動家からとにかく攻撃され、時代遅れと呼ばれて封殺される。それでも、フェミニストの中には色々な考えがあり、ラディカル、リベラル、いずれの思想は言葉の上では微妙に、根本では大きく異なっている思想にもかかわらず、リベラルがラディカルに、ラディカルがリベラルに、なんとも不思議な混濁が起きる。こういう事を近頃は主語が大きいと言うと仄聞したが、単なる無知ではなく露骨な印象操作のためにこの事態が起きるのはあまりに不毛である。喫緊の問題は、こうした語義の混乱が争いを招く事態を避けることだが、それを実現するのはとても難しい。