はてなキーワード: 言語道断とは
1 引っ張ってくれる男性が好き…私の好のみを先読みして楽しませて当たり前。
2 私の言う事が聞けない男性…器が小さい。
3 話し合いましょう…私の結論に向かって妥協しなさい、でも二人で決めたことよ。
5 家事…昼間どれだけ私が遊んでいようと、一緒にいる時間に私だけ家事をするものではない。
6 仕事…男性は家族を養うために絶対にしなければならないもの、女性は自分の生きがいのためにしてもいいし、したくなければしなくてもいいもの。
7 離婚…女性が相手に愛想つかしたら、慰謝料もらってするもの、男性が相手に愛想つかしたのなら慰謝料払ってするもの。
8 養育費…女性が子供を引き取ったら、相手が死のうが生きようが養育費を取る、逆の場合は払わないのがあたりまえ。
9 マザコン…男性が親孝行すると呼ばれるもの、女性の場合はそのまま親孝行。
10 趣味…男性の趣味はくだらない、女性の趣味は多いほど自分磨きができる。
11 家…結婚前に男性が家を買うなんて言語道断、女性が結婚前に買った家は人に貸して家賃は小遣いに。
12 保険…男性だけが負担して家族のためにかけるもの。なんなら保険金かけた後なら死んでくれた方がいい。
13 呼称…「お前」・「こいつ」呼ばわりしたら即離婚。男性→女性は「あなた」・「きみ」のどちらか。女性→男性は「あんた」・「お前」OK。基本は男・女性表現。
14 主婦…女性の仕事をしたくない人や就職できない人のためにあるもの。女性は男性社会に進出していいが、そのせいであぶれた男性が女性の主婦の特権を使ってはいけない。
大学生で趣味がある人は大体毎日金がない金がないと友人と集っては笑いながら金欠に喘いでる人が大半なのではと思うけど、自分もそのうちの一人。
高校の時にK-POPから2次元に乗り換えてかれこれ5、6年になる。趣味というか好きなものが無くなった時期がないから総じてヲタク歴は長い。
そんな私がグッズ以外に憧れがあったお姫様みたいなお洋服に出会った。それはロリィタと呼ばれる女の子らしさがぎゅっと詰まったファッションの一つだった。初めて見たとき自分の中にある可愛くありたい自分が興奮したことを覚えている。
私が出会った時は全盛期を既に過ぎていて、長年やってきたロリィタさんとかが多い印象を受けた。ハマるととことん追求を始めるタイプの私はまずネットでありとあらゆる情報を集めた。ブランドとか着こなしとか諸々。そこで思ったのは、制約多いなって笑。ファッション自体にあんまり興味を持てなかった自分からすると、ドロワーズは必ず履くとか、頭物は必須とか、JSKは単体で着ないとかファッションとは何ぞやみたいな感覚になった。
まあ、そういうもんなのかと受け入れて半年くらいかけてちまちまと集めてお家の中だけで着る程度には楽しんでいたのだけど、初めてテーマパークにロリィタで行ったとき、たくさんのキャストさんに可愛いと言われてとても嬉しかった。自分が気に入って買ったお洋服はやっぱり素敵なんだって思った。
インスタとかTwitterとかでもロリィタ関連はフォローしてるけど、海外のロリィタさんたちは自由にロリィタを楽しんでいて羨ましいなと思った。どっかのサイトではロリィタにローファーなんて言語道断だわ、みたいなこと書いてあったけどそんなのどこ吹く風でお洋服に合わせてたり、JSK単体で着ていたりと日本じゃないからこそ自由に楽しめているんだろうなって思って、こんなちっぽけな制約に振り回されている自分に悲しくなった。
ファッションって本来はもっと自由であるべきなんだなあと。もちろん、誇りを持ってお洋服を着ている方がほとんどだと思うからそういったお約束に対して今さらど新人の私が何か声をあげることはしないけど、好きなものを着たいというだけなのに、目に見えないしがらみに囚われている自分がちょっとだけ情けなく思う。
いや分かる。分かるよ。トータルコーディネートなんだということは。でももっと自由に楽しめる空気感であって欲しかったなって入り口付近をさまよっている人間は思っている。
それはさておき、中国のロリィタブランドがヲタク女の心にどんぴしゃで刺さってくる話をしたかったのだよ。
どの系統にも属さない可愛いを突き詰めた感じのお洋服が多くてブランドサイトをざーっと見て回ると全部いいなって思えちゃう。あとお値段も日本のブランドの半額程度ってのも魅力的。財力のないヲタクからすれば恰好の優良ブランド。興味はあるけどお値段高くてどうしようって迷ってる人におすすめだよって言えちゃう手軽さ。
デザインもヲタク心を刺激するものが多くて(適切な語彙が見つからない)可愛いものが好きなヲタクなら素敵って思うよ多分。
恥ずかしい話、日本のブランドのお洋服を一着も買ったことがなくて、前述したように財力のないヲタクにはちょっとハードルが高め。あと新作は気づいたら売り切れが多くてもう手を出す領域にない。みんなどうなってんの。
街中を歩ける程度には控えめな可愛いお洋服を買い漁ってるので、もはやロリィタじゃなくても良いのでは疑惑はあるけど、ブランド様で買っているうちはロリィタと言ってもよいのかしらとは考えている。パニエもちゃんと買ったしね笑。
次に着られるのはいつになるかは未定だけど、可愛いお洋服がお家にあるだけで楽しいから良しとしよう。
毎度毎度結局何が言いたいんだと思うような文章だけど、女子ってそんなもんよね。別に何かアドバイスが欲しいわけじゃないしただただあーだこーだとりとめのない話をして共感してほしいだけ。そこに否定的な意見は求めてない。それで良いと思う。結論はロリィタって可愛くて素敵だから最高って話よ。
終わり。
■いい歳してゲーセン通い、恥ずかしくない?
まさか浮気じゃないでしょうね、と厳しく問い詰めたら、白状しやがりました。
ゲーセン通いですって。はあ、もうね。呆れてモノも言えません。
これならまだ浮気の方がマシに感じるってもんですよ。
聞けば、私の知らない間に二年間(二年間も!!)通っていたらしい。
それで、毎回千円程度、多い時には千五百円くらい使って帰ってくるらしいと。
これには私も怒り心頭! そんなムダ金使う余裕なんてウチにはありません!
激昂する私に対して夫はバツの悪そうな顔をしながらも、どこかから書類をおずおず持ってきた。
そういえばめっきり渡して貰わなくなったと思ったら、こっそり隠していたらしい。
当時の診断結果には、内臓脂肪やらコレステロール値やらの正常値オーバーな結果と、「要観察」の文字。
それが現在に近づくにしたがって、見てわかるように正常値に戻っていく。
私にこの診断結果を見せるのが嫌だった夫は、自分で何とか運動して改善しようと考えた。
ただ運動といっても、ランニングなどは単調でつまらないし、ジムは会費がかかるので通わせてもらえない。
(そりゃあそうでしょう! ジムに行くだけで月何千円とんでいくことやら!)
あれなら昔やったこともあるし、楽しんで出来るだろうから継続性も見込める。
そんなきっかけでゲームをはじめたら、気付けばドハマりしてしまい。
最初は簡単な曲もやっとだったのが、今では難しい曲も出来るようになり。
世界で数十人しかできないような曲も出来るようになったと(いかにも嘘くさいんですけど?)
健康診断の結果だってみるみる改善したし(本当に効果があるかは怪しいけどねぇ……たかがゲームでしょ?)
若い子たちをはじめ、色んな年代の人たちと交流できるようになったと。(どうせ、根暗なオタク君たちに決まってる)
そのゲームで知り合った、仲睦まじい老年のご夫婦と一緒に会話をしたり
(ハ! そんな人たちがダンスゲームなんてやるもんですか! パチンコ屋の間違いじゃ?)
若い人が企画した大会に出て、みんなで盛り上がるとかも楽しいらしく。(……もう絶句)
そうやって口八丁手八丁、私をだましにかかる夫。
ゲーセンなんて不良の巣窟、そこにいい歳した男が通うなんて言語道断!
浪費を増やすよりは断・然!健康的です。きっとすぐに慣れるでしょうよ、健康になりたい気持ちがあるなら。
ぴしゃりと言ってやりました。もうゲーセンなぞに出すお金なんかうちにはない。
……まったく、子供にいうような言葉を旦那に言う日が来るなんて。
やだやだ、もう中年も半ばなのにそんな遊びに興味持って散財するなんて恥ずかしくないですか???
もうちょっと『いい大人、分別ある旦那』だと思っていたのに、幻滅しました。
赤っ恥旦那に、残念な思いです。
かわいそうランキングで量刑や世間の注目度が決まるのはおかしい
と思っていた
被害者の松永さん一家は家族構成や年齢があまりにも俺の家族と似すぎている(そんな家族腐るほどいるだろうが)
なので残された松永さん(夫・父)の気持ちは「わかり過ぎてわからない」
もし自分が松永さんの立場だったら絶望や怒りを感じるメーターが上がりすぎてぶっ壊れるだろうというのがわかり過ぎるのでどんな感情か理解できない
なので俺は遺族である松永さんに感情移入し過ぎてしまうので、松永さんの意向に反してあのニュースから可能な限り目を背けるようにしていた
そんな中こんなニュースが目についた
https://www3.nhk.or.jp/news/html/20190718/k10011997541000.html
加害者である飯塚幸三氏に厳罰を求めるよう署名活動をするというものだ
俺はおそらく署名するだろう
選挙に行くのすらめんどくせーと思う俺だが、これに関してはインターネットで配布された署名用紙をずっとインク切れで放置されてるプリンタのインクを補充して印刷し、コンビニに切手を買いに走ってでも署名に協力するだろう
俺の大嫌いな「感情で裁く」ことに加担することになってもだ
勘違いして欲しくないが俺はもともとは人前だろうが一人のときだろうが感情的になることはほとんどない人間だ
お悔やみ欄でまだ若い方が亡くなって喪主に夫や妻と書いてあるだけで泣きそうになる
不幸にも亡くなった子供の話はもちろん泣くがはじめてのおつかいでも泣く
「あとあなた一人の署名で飯塚を死刑にできるんです」と頼まれたとしても俺は迷わずその署名用紙に本名と住所を書くだろう
というわけで俺は感情で物事を判断する愚かな人間側に行ってしまった
みんなゴメンな
余談だけど自分が事故の被害者になったとき加害者に厳罰を求めるかどうかは検察?に普通に聞かれたので、署名活動まではわからないけど、被害者や遺族が感情で厳罰を求めること自体は司法のありかたとして何もおかしくないことだと思うよ
エアープランツを知っているだろうか? 土がなくても育つという植物で、おしゃれインテリアアイテムとして人気である。チランジアやティランジアとも呼ばれる。少し大きなホームセンターに行けば売られているし、ダイソーで見かけたことのある人も多いかもしれない。
私は激怒した。エアープランツの間違った育て方がネット上に氾濫しているからである。検索をかけるとおおよそ植物系のキュレーションメディアみたいなサイトが上位を占めることとなっているが、だいたい間違えている。Googleも植物の育て方についての真偽を見抜く力はないようだ。
間違った知識を基に植物を過酷な環境で育てて枯らせてしまっても有罪ではない。なぜなら植物には脳がないからである。我々が植物に同情したり、罪悪感を抱いたりする必要はどこにもない。
だけど、どうせなら元気に育てたいじゃない。
本稿では、巷に溢れるエアープランツの間違った育て方をあげつらって批評し、なるべく元気な育て方を提案するものである。
あらゆる植物を育てるにあたって、問題となるのは水やりの頻度である。
「とりあえず土を常に濡らしておけばいい」というお手軽な植物は問題ない。何も考えずに朝晩に水をあげればいい。
ところが、サボテンや多肉植物のように「水をあげすぎると根腐れする」という植物に直面したとき、我々は混乱する。誰でも植物に水をあげたいという衝動を持っているが、それを抑制しろとサボテンや多肉植物は言っているのである。それは「困っているぽい人がいても助けるな」と言われているのと同義であり、我々の本能・善意・優しさが激しく揺らぐ。
で、エアープランツである。奴らはそもそも土に植えて育てるものではないので、この混乱は虚無へと昇華され、思考が完全に停止する。そして、キュレーションメディアに書いてある通りに3日に1度霧吹きで雀の涙程度の水を与えて、やがてその植物は枯れさらばえる。
エアープランツは実は水をかなり好む。だから、毎日たくさん与えて良い。水の冷たい冬以外は、キッチンの水道水を直接じゃぶじゃぶかけても良いし、数が多いなら浴室においてシャワーでざぶっと水をかけても良いし、究極、溜めた水の中にドボンと数時間くらい漬け込んでも良い(これをソーキングという。毎日は非推奨)。
「水をあまり与えなくて良い」という言説は「乾燥に強い」を履き違えた誤謬である。これら二つの言説はこの場合、両立しない。
私は昨年のあの猛暑の一番暑いときに家を3日間空けた。ベランダの日陰にエアープランツを残して。それでも奴らは、ある程度の傷みこそあったものの枯れなかった。だから、乾燥には強い。だけど、それは水をあげなくて良いということではないのだ。
某フリマアプリにおいてこう記述されているのが目についた。何を根拠に言っているのかわからない。
日本の夏は蒸し暑く、湿度が70%を超えるという。それでも水やりをしなくて良いと言うのか。先述の私が真夏に3日間家を空けたケースで言えば、3日間水やりをされなかったエアープランツたちは「元気」というよりは「耐えた」という有様であった。先程は書かなかったが、乾燥に弱い1品種は完全に枯れていた。
エアープランツはある程度の湿度があっても水やりの必要はある。私は梅雨でも秋の長雨でも構わず水をやっている。
玉村豊男『料理の四面体』では、調理法を「火」「水」「空気」「油」の四要素に解体・再構築することで、すべての料理の作られ方を普遍という名の白日のもとに晒した名著であると私は考えている。この考え方を応用すれば、私は「植物の四面体」として植物の育て方を「光」「水」「風」「気温」の四要素に解体できるのではないかと考えている。
例えば、サボテンが健全に生育するには「光」「風」「気温」が必要だ。森の奥深くに茂っているシダ植物などは殆ど「水」だけが必要だ。
このように考えると、エアープランツに必要なのは「水」「光」「風」である。「水」は先に述べた。「風」は後に述べる。
「光」である。エアープランツは明るい場所を好む。真夏の直射日光ではさすがに葉焼けしてしまうが、春の柔らかな光くらいならむしろ直射で育てたいくらいである。
エアープランツはおしゃれアイテムとして認識されており、いろいろなウェブサイトにおいて室内でのかわいい飾り方が提案されているが、正直、室内だと光が弱すぎると個人的には思う。光が弱すぎると成長することができず、そのまま萎れてしまうか、蒸れてある日突然バラバラになる。
南向きの窓辺ならギリ大丈夫かと思われるが、できればベランダの明るい日陰で育ててほしいところである。木漏れ日のように時々陽が当たるとなお良い。ある程度の光量があるならずっと濡れっぱなしでも構わないのではないかという仮説もあるくらいである(室内の暗い場所で濡れっぱなしだと十中八九腐ってしまう)。
私がエアープランツ初心者だった頃、室内で育てていたのだがなぜかうまく行かず、すぐに枯れてしまう(バラバラになる)のだった。そこで、思い切ってベランダに出してみたところ、そこからは殆ど枯れることはなくなった。「光」と「風」のおかげであると思われる。室内の明るい場所だとしても、屋外の日陰に比べたら光量は全然足りないのである。
言語道断である。私の知る限り瓶に詰めて元気に育つのは苔くらいである。
上で「水」「光」と述べてきた。落とし穴的な存在なのが「風」である。意外と思われるかもしれないが、植物の健全な育成には空気の流れ、すなわち「風」が重要な要素になる。
エアープランツにおいてなぜ「風」が肝要かと言うと、あげた水をなるべく早く乾かすためである。エアープランツは水を愛しているが、その水がずっと乾かずに停滞してしまうと傷んだり、最悪、腐ってしまうのである。
なので、最も適切な場所は屋外であり、屋外が難しいなら室内の明るくて風通しの良い場所となる。扇風機などで送風して、空気が停滞しないようにするのも良い。エアープランツの生産者さんは、ハウスの中で常に高湿度を保ちながら、大型の扇風機で送風している。
水→エアープランツは水が大好き。ジャブジャブとあげて良い。水やりのコツは、あげた水が完全に乾いてから次の水やりを行うということだ。これを守れば一日に何回でも水やりをして構わない。
光→エアープランツは明るい場所が好き。できれば屋外、難しいならかなり明るい窓際で育てよう。
風→空気が停滞しているとあげた水が乾かず、腐りやすくなってしまう。盲点だけど通風にも気を払おう。
私はズボラである。面倒くさがりである。シンクに数日間皿を溜めてしまうことはザラだし、掃除は苦手だし、ペットを飼うのにも向いていない。だけど、エアープランツは育てることができる。つまり、コツさえ掴んでしまえば難しくないということだ。
(春〜秋)ベランダの日陰になる場所に吊るしている。数が多いので100均のワイヤーネットに大量に吊るしている。水やりは朝晩の2回。いずれも滴るくらいにたっぷりと与えている。朝昼夕晩の4回くらい与えても問題ない。
(冬)最低気温が5℃を下回るようなら室内に取り込む。北関東に住んでいるので、冬はおおよそ寒い夜は室内、暖かい昼は屋外で直射日光に当てるというサイクルになる。水やりは変わらず朝晩2〜4回くらい。
スペースの関係で吊るせないエアープランツは、100均で売っている網状の書類入れや雑貨入れに並べている。網状なのは当然ながら、通風を良くしてあげた水を停滞させないためだ。管理は上述と同じ。
*
たったこれだけ。明るくて風通しの良い場所で管理して、朝晩に水をやるだけ。乾燥に強いので数日は水やりを忘れても大丈夫。ね、簡単でしょ?
とはいえ、コツを掴むまでが難しいんだ。少なくとも「室内で瓶詰めにしておしゃれに育てる」という類の植物ではないかな。エアープランツは最初は誰もが失敗するに違いなけれど(私もだいぶ枯らせた)、コツを掴んでしまえば簡単に育てることができる。
土がいらないので虫が湧くこともないし、省スペースで園芸を楽しむことができる。エアープランツの魅力を伝えたくて本稿を書いた。
枯らせてしまっても大丈夫だ。なぜなら植物には脳がないからだ。エアープランツは君を呪わない。何度もトライアンドエラーを繰り返して、より良い植物ライフを!
エアープランツにはいろいろな種類があるが、本稿では「エアープランツ」と十把一絡げにして取り扱った。大きくは「銀葉種」と「緑葉種」に分かれるらしいけれど、それはあまり問題ではない。うちのエアープランツは銀葉種だろうが緑葉種だろうが全て上記の要領で管理している。ホームセンターやダイソーで売られている普及種はどれも比較的に丈夫なので、細かいことは気にしなくて大丈夫だ。
エアープランツは葉から水分を吸収するという不思議な植物である。だけど、根が生えないわけではない。おおよそ春頃、状態が良いと根が生えてくる。自生地では大樹の幹などに根を張って成長している。蘭などと同じ着生植物というやつである。「土が要らない」というのは「自生地では木などに着生している」という意味である。
なので、最も良い育て方は、流木・コルク・木片などに針金やテグスでエアープランツを固定するというものである。そうするとそのうち根が出てきて、その木片などに着生する。着生するとより元気に育つと言われている。
本文であえてそれを書かなかったのは、育てるにあたっての敷居を高くしたくなかったからだ。着生させなくてもきちんと育つ。慣れてきたら着生にも挑戦されたし。
私が最近、余って置き場所に困っているエアープランツに対して行っている育て方は、上述の100均の書類入れで管理し、
朝:室内に取り込んで南向きの窓辺に置く
ここから察するに、エアープランツにとって最重要なのは「風通しの良い場所で水をやる」ということなのではないかと推測される。もちろん明るさも大事だけれど、それと同じかそれ以上に。
正解は一つじゃない。私も未だにいろいろと試行錯誤している。居住環境や生活スタイルは人それぞれだから、それぞれの人にあった元気な育て方を見つけてほしいと思って追記した。
・葉先から枯れていく
「葉先から枯れていく」のは水が足りない証拠である。水やり量や頻度を増やすことが推奨される。また、上に挙げたソーキング(溜めた水に数時間浸ける)をすると一気にハリが出る。ソーキング後は風通しを良くすることを忘れずに。
「中心部がスカスカになりバラバラになる」場合、光量や通風が足りないと思われる。暗い室内で管理していると結構な確率でこうなる。はい、私もよくバラバラにしました。置き場所や環境を工夫することで回避できる。
腐女子人気がとかいうけど、腐女子=BL萌えという定義をして、去年より売れてる今年の映画に腐女子が萌え、燃える描写はないし
腐女子がとくに声高に叫んでる気配も無い。
ファンの大人数にアンケートをとるとゼロの執行人よりもから紅のラブレターのほうが人気なのが市場調査されている。
単純に映画を中心にして盛り上がっているのは確かだが、何故映画が盛り上がったのか。
シリーズを追ってきた人なら分かるが、映画が停滞していた時代に突如興行収入が上昇した作品がある。
それは本編展開に関わる内容で、当時としては原作者が劇場一作目を除き最も介入したものだった。
そこからスタッフとの兼ね合いにより完全に連携とはならずも年々原作者介入の割合が増えていき、
大幅に興行収入をアップさせた純黒の悪夢では原作でのその後のシリーズに大きく関わるラムを登場させた。
ラムは未だに映画でしか喋ってない。ラストのほうは静野監督がハチャメチャにしてるので気にしないで欲しい。
その後から紅のラブレターでさらに伸ばすのだが、これも初めての試みとしてアニオリキャラを映画に出す前に馴染ませようと原作に登場させた。
今までの映画は「原作にあってもなくてもいい時間軸」とされてきたが、から紅は原作と密接に関わることになる。
さらにヒットしたゼロの執行人は原作で謎だった降谷零の人物像や正体に迫る物であった。
今年の映画にしたって京極真VSキッドは原作で人気の話を劇場化したものだし、
今まで以上に原作者の発案が多く冒頭はそのまま青山のプロットを使っているので、
コナンはテレビアニメのみで追う人も多い。未だにサザエさんの次くらいに視聴率をとるアニメである(サザエさんは強い)。
新一と蘭が正式に付き合うことになったのだ。と、書くと最近追ってない人でも展開が進んでるのかと気付くだろう。
そう、名探偵コナンは80巻付近を境に本筋に関わらない話が極端に減った。
90巻以降は毎話なにかしら組織の話が動いていると言っても良いだろう。
それまでといえば露骨な引き伸ばし、本編に関わることのない単独話が多くマンネリになっていた。
そのマンネリこそが凄いと思うが(日常殺人ものというジャンルを作ってきたのである)
やはり展開が進むコナンは面白いに決まっていた。意外にそれだけの話なのだろう。
全盛期の半分でも人気があれば社会現象化できるレベルのポテンシャルを持っているコンテンツだ。
原作、映画、この2つが同時進行することで、劇場版だけ見てきた人と、原作展開だけ追ってきた人の両方を取り込み、
口コミを増やす結果になっているのだ。ファンの熱を利用することこそが、何よりもの宣伝になっていたという形ではないか。
やはり作品ファンを大事にすることは、もとのコンテンツ人気を利用するならば必須なのだ。
いつかのワーナーだか東宝のプロデューサーが「原作ファンなんて映画に来る人の数に比べると微々たるものなので、
映画で初めて観る人を大切にする」というようなこと発言していた。
しかしその映画を観る数百万人のうちの一体何人が、映画の宣伝をしてくれるほどハマってくれるのだろうか。
それならば、原作やテレビアニメで応援してきた層に宣伝をしてもらったほうが良いではないか。
原作一巻あたり15万部とすれば15万人の宣伝部隊となるのだから。
話が逸れたが、ちなみに青山剛昌が口出し修正しまくってるスピンオフも大ヒットである。
青山は台詞カットなど言語道断だとアニスタと喧嘩してきた。露骨なストーリーカットに負けず、自分を強く持った作家のモデルケースになるだろう。
プライベートで付ける分には構いませんが、出社する日に付けるのは禁止というルールです。
この記事ではなぜ弊社で香水を禁止にしたのか、私の考えを書いていきたいと思います。
①ご飯が不味くなる
弊社では業務中にお菓子を食べたり、飲み物を飲んだりすることは禁止しておりませんが、
香水が匂ってくると途端に食べているものが不味くなってしまいます。
その人には好みの匂いでも、他の人には不快に感じる場合があります。
③自己中
一番の理由はこれです。
ほとんどの人は付けすぎており周囲に匂いを撒き散らしています。
要は自分がよければそれでいいという考えです。
これにより1名退職者が出ましたが、自己中な人間が消えて結果的に良かったと思っています。
「天皇陛下への発言は言語道断」って見出しが乱れ飛んでるけどさ、元のブルーグバーグの記事:
https://www.bloomberg.co.jp/news/articles/2019-02-08/PMLGIP6KLVR801
を見ると、こう述べているんだよね。
よくネトウヨ諸氏は言うよね。発言の一部を切り取って……云々、って。アンタラまさにそれやってんじゃん。
これの更に元になっているであろう英語版:
“It only takes one word from the prime minister, who represents Japan -- I wish the emperor would do it since he will step down soon,”...
え?
漫研女子Aがキャラ似顔絵がうまくてお弁当だのチョコだの差し入れされては似顔絵書いてるのまで取り締まる気かね?
売ってるといってもデジタル原稿からいくらでも量産できる同人誌よりかなり悪質度は少ないよね?
まあ、一時期ヤフオクにあったパヤオとかアニメ色紙を見てかいただけの筆致の全然違う偽物は言語道断だけど
似顔絵とわかってその似顔絵がほしい人、直接売ってくれることに価値があるとみとめられる人はどう欲求を満たせばいいわけ?
とらは本人が真正だし返せといってるものにアシが書いた偽物だとの判定つけてむりやり売ったりしてる
同人誌もそうだけど一点物だの一限頒布の総数が少なければオークション式に価値が上がってしまうことはある。
それは出す側だけじゃなくて買う側、市場側の事情でもあるよね。
それがはてブの総意じゃなかったの?
教員の働き方がブラックすぎて、教育学部の倍率がヤバイことに。 - Togetter
http://b.hatena.ne.jp/entry/s/togetter.com/li/1309183
日本の英語力は国際的に見ても壊滅的だから、英検の上級やTOEICの高得点を持っている教師に低学年からの厚い教育を期待するんじゃなかったの?
情報理論の時代遅れの知識ではなく、プログラミングの実務面にも明るい教師を求めるんじゃなかったの?
運動会で組み体操などの危険な演目に走らずとも児童全員に見せ場を用意し、児童の安全にも完璧に配慮できる教師を求めるんじゃなかったの?
児童のエスニックバックグラウンドの多様性に配慮して、日本語が拙い児童にも個別にケアし、場合によっては外国語しか話せない保護者の方ともコミュニケーションを取りつつ、誰もが劣等感を抱かず自分のアイデンティティに誇りを持てる教室作りを目指すんじゃなかったの?
発達障害や運動協調障害の児童にも配慮して、誰もが自分のペースで学びを深め、体育の時間にも競技を安易にやらせて終わり、ではなく運動が本当は楽しいことを伝えるべき素質が教師に求められるんじゃなかったの?
糖尿病や重度身体障害、知的障害の児童も特別支援校や特別学級へと排除するのではなく、適切なケアを提供しつつインクルーシブ教育を推進するのが今の教師なんじゃなかったの?
家庭科では子供を持たない人生もあっていいことなど多様なライフタイルの存在を伝え、ジェンダー平等の追求だけでなく性的少数者の児童にも寄り添い、誰もが自分の性のあり方に誇りを持てる性教育の実践家としての教師、じゃなかったの?
アルビノの生徒に髪を染めさせるような人権侵害は言語道断として、そもそも無意味な校則で子供達を縛るのではなく、自主性を尊重した上で公共心を養わせ、自分達の手で自然とルール作りを行うことのできる場を教師は提供すべきなんじゃなかったの?
さくらんぼ計算や掛け算の順序、漢字の瑣末な書き順といった意味不明なカリキュラムに拘泥するのではなく、生徒の多様性と教育の本質を理解し、かつ学びが速い生徒の能力も尊重してカリキュラム外の高度な代数や三角関数を用いた解法を用いた算数の答案にも合格点をつけられる教師が21世紀のありうべき教師像じゃなかったの?
イジメを未然に防げるよう児童同士の関係性を日々気にかけて、それでも起きてしまったら迅速な関係児童へのケアと関連公的機関との連携、さらに社会へのコンプライアンスを全うできない教師は失格じゃなかったの?
何、あらゆる事態に対処できる有能な人材は有限だとか、私生活のことも考慮すると教師一人一人の時間は有限だとか、トレードオフ構造を今さら理解しましたみたいに、皆しおらしくなっちゃってるのよ。