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はてなキーワード: 被災者とは

2021-01-11

災害時にキャンピングカー危険被災者物乞いタカリにくる。

大き目だけど目立たないデザイン一般車両備蓄・寝泊りしたほうが無難

2021-01-04

anond:20210103233624

イラク日報隠ぺいしたのは日本国民自衛隊に非協力的だから

墜落事故が起きたのは佐賀県民が悪い

震災で死んだ被災者はみんな自民党投票しなかった人たち

あとは何だっけ

コロナ感染しているのも野党応援する愛国心がない人だけ

2020-12-20

anond:20201220231026

あのさ、これは環境問題に対する「一つの手段」だろ、どう考えても

何か災害が起きてテレビ番組寄付を呼び掛けた時に「寄付するカネなんてない俺も番組を見てるのに寄付を呼び掛けるな」って言うか?

いつも昼飯で買ってるパンくまモンパンにするとかでいいんだよお前は それも買えないのなら被災者の無事を祈って終わりでいい、そんなお前を誰も責めはしない

ニュース番組の1つの発言枠の中ですべての例を取り上げないとダメだなんてわけはないよな

2020-11-17

佐川東電

今日は一日中佐川急便荷物梱包をした。

荷主は芸能関係のグッズを扱う販売会社で、荷物は某アイドル限定DVDDVD辞書くらいのサイズの箱に入っていて、そいつをひたすら緩衝材で包んで段ボールに詰め込む。

佐川荷物の発送だけじゃなく梱包まで請け負いますよというのが表向き。実際の梱包作業人材派遣会社に丸投げし、時給1000円で雇われた私たちがシコシコと手を動かす。

現場における指示は派遣会社人間が出す……という建前になっている。もしも佐川人間が陣頭指揮を執ってしまうと、偽装請負になるからだ。

今日現場私たちにあれしろこれしろと指示を出していたのは派遣会社の兄ちゃんだったが、兄ちゃんのすぐとなりにはピタッと佐川人間が貼り付き、小声でボソボソと指示、ゲフンゲフン、独り言を口にしていた。

こんな風に書くと「佐川許すまじ」と憤る人もいるかも分からないが、私は別に何とも思っていない。佐川はまだマシである

私は以前、東電賠償業務従事していたことがある。3.11被災者が送ってくる書類受理し、賠償金を被災者に払う仕事だ。

聡明な人なら「あっ……(察し)」となると思う。そう、東電自身はこの賠償業務をしない。

業務はすべてトッパン・フォームズという凸版印刷グループ会社に丸投げされていた。

さらに驚くべきことに、トッパン・フォームズも実際の賠償業務はしない。もう一度投げるのだ、人材派遣会社へ。私はその人材派遣会社人間として賠償業務をしていた。

ピンハネである血税を2回もピンハネしていたのだ。原発IT業界日常的に行われている多重請負構造は同じ。

な〜んていうことをDVD梱包しながら今日は考えていた。

ちなみにここまで書いてきたことは全部嘘である。そういうことにしておかないと私が怒られて……おや? こんな時間に誰か来たようだ……

2020-11-14

少子高齢化が老人が生きているせいだというやつは、震災被災者にも死ねと言えよ

津波に流されるような弱者死ね被災者にも言えよ

老人だけ集中攻撃するな

2020-09-11

奴隷が鞭でたたかれながらそれでも客の前では笑顔を振り絞って働くおしんを眺めながら食事をしたい日本人が客の多数派

ただ食事をするだけなら弁当自炊で十分だろ

赤坂自民亭みたいに被災者のうめき声を聞きながらうまい酒が日本の最高の娯楽なの

織田信長も頭の骨で盃をつくっただろ

ろびこそわがよろこびしにゆものこそうつくしい

anond:20200911132225

2020-09-09

anond:20200909171757

もうおわったんだよ。コロナはたぶん。たくさんの損害を出して。被災者の中で大震災がおわらないように。僕たちの中で終わらないとしても。

もうおわったんだ。コロナは。

anond:20200909023744

無理くね?

[FNN]「これ以上わがままは言えない…」震災から9年、被災者向け仮設住宅からの退去期限が3月末に迫る

https://sp.fnn.jp/posts/00050704HDK/202003111840_morimototaro_HDK


富岡浪江、飯舘の3町村の住民原発事故の際、福島県内外に避難することを強いられ、そのうち応急仮設住宅に住むことになった人たちが今回の退去期限の対象となる。

まり被災者たちは強制的避難をさせられて住んだことのない土地に移り住み、なんとか慣れて生活を再建したところで、今回、そのようやく慣れた家から出ていかなくてはいけなくなるのである


今後どうするのかを聞くと、「とりあえず荷物の整理をして運んだりはしているんですけど…。どうしましょう?どこかシェアハウスとかを探すしかないのかな?もしかしたら当面はネカフェで寝泊まりすることになるのかもしれません」


Sさんたちの住む東雲国家公務員住宅は、被災者が退去した後、国家公務員であるキャリア官僚の住居になるのではないかと見られている。

なお、地震津波で家や街が壊れた人へもこの仕打ち

完全に壊れていない限り仮設住宅へも行けず自費らしい


[NHK] 壊れた家に住み続ける被災者

https://www.nhk.or.jp/special/plus/articles/20190402/index.html


宮城県石巻市に、今も壊れたままの家に1人で住む70代の男性がいる。家の外観は特に問題ないが、1階の柱は朽ちて中が空洞だ。床も抜け落ちそうで不安を抱えながら暮らし続けてきた。


震災直後の被災地には、自宅の1階が壊れ、かろうじて残った2階に逃れた「2階族」と呼ばれる人が数多くいた。男性もその1人。自宅の1階は津波で水没し、大規模半壊と判定された。国から202万円の補助が出たがそれだけでは修理しきれずに住み続けている。


地震が起きたとき男性は倒れてきたたんすの下敷きになり、足に大怪我を負ってしまう。けがのため避難所に行けず、壊れた自宅の2階で過ごすしかなかった。しかし、津波生活必要ものを流されてしまったため、厳しい暮らしに耐えかねて仮設住宅への入居を希望したが拒否されたと言う。


市役所に行って『仮設住宅に入りたいんだけど』と申請したのよ。そうしたら『あなた場合ダメだ』って。『何でダメなの?』と言ったら、

あなた場合自分の家あるでしょ。2階で避難してたから、2階の部屋があるから2階で住んで下さい』と。」(被災者男性

国は災害救助法運用基準で、仮設住宅に入居できる対象原則として次のように定義している。

「家が全壊・流出するなどして、居住する住家がない者に供与する。」(内閣府告示


70代の男性は、壊れたままの家で8年間も暮らしている。厳しい環境で次第に体調を崩し、病院通いが欠かせない。医療費がかさみ、食費にも困窮している状態だ。


うどんはね、3袋で百円なのよ。もやしは15円。もやしが一番安いのな、野菜で。おれ最近思ったのはさ、この震災になって7年目になって、自殺する人の気持ちが分かってきた。考えても考えても、生活が苦しくて苦しくてさ。生きる力っていうのが、考えれば考えるほど暗くなってきて、明るい気持ちが持てなくなったのよ。それで死んだ方が楽だなと思って。死んだ方が、何にも考えることないなと思って。」(70代の男性



[NHK]「震災直後は夢があったけれど…」 老舗菓子Tさんの9年

https://www3.nhk.or.jp/news/html/20200311/k10012325051000.html


岩手県宮古市で老舗の菓子店を営むTさん(63)は、今回のアンケート自由記述に「思い描いていた未来のようにはなっていない」とつづりました。


Tさん東日本大震災津波で自宅と店舗、そして工場を流されましたが、それでも震災の直後は前向きな気持ちになれたと言います


Tさんは、当時の心境について、「すべてを失いましたが、家族住宅フェアや見学会に行って再建するならどんな家がいいかと考えたりして、不謹慎かもしれないけど、楽しい、夢が持てた時期でした。店の再建もできない訳がない、お菓子屋さんをまたやるんだと、当然のように思っていました」と振り返りました。


しかし、再建は当初思い描いたようには進みませんでした。仮設住宅不自由生活を送りながら仮設店舗営業を続け、震災の2年後には工場を再建。しかし、売り上げは震災前の10分の1にも届かず、不安材料けが増えていく日々が続きました。


Tさん震災2年のアンケートに、

▽「震災1年頃までは明るい夢を持てたが、それが2年たっても実現出来ない。むなしさを感じる時が多々ある」と書き、震災3年のアンケートには「仮設3度目の冬はマイナスイメージ言葉しか思い浮かばない。全てを失った震災直後は、それでも立ち直るという強い意志希望が芽吹いていた。当時の思いは3年で日に日にやせ細り、しおれかけている」と記しています


当時の胸の内についてTさんは「復興のつち音が響きたくさんの人が来て復旧復興に尽力してくれていることが励みになって自分も明るい気持ちになれたが、そういう人たちが去っていくと人が減り静かでさみしくなった。売り上げがゼロの日もあり、切なくて、自分たちでお菓子を買ってレジお金を入れたこともあった」と語りました。


それでも「完全復旧する」と意気込み、店の再建という夢に向かって進んでいたTさんに「建設費の高騰」が追い打ちをかけました。復興需要の増大などで震災前1坪あたり50万円程度だった工事費用が、2.5倍近い120万円程度にまで上がったのです。


工場に加え震災から5年後に自宅を再建し、すでに多額のローンを組んでいたTさんは、震災6年のアンケートに「歩みが減速して、1度勢いを失うと、強い気持ちを持続させるのは難しいと実感している。借金を増やしてでも店舗再建を目指すことは正しいことなのだろうか?」などと、自分が選んだ道は正しかったのかと自問自答を繰り返していた当時の心境を記していました。


震災から6年半近くたった2017年の夏、仮設店舗の退去期限が迫る中、Tさんは店の大きさを当初の計画の半分程度に縮小してようやく再建を果たすことができました。


Tさんは「店と工場が離れてしまうなど当初考えていなかったことが重なった。行政方針が二転三転して読めないのでその時その時で対処していたら借金が1億を超えてしまった」と話しました。


ところが、ようやく戻ることができた街は思い描いた姿とは変わっていました。住宅高台移転商店街もなくなったため店の周囲ににぎわいはなく、震災前は大勢いた自転車や徒歩で店に来る客は今はほとんどいません。


Tさんは「元の場所に戻ったら悪くても震災前の半分は売り上げがあるだろう」と思っていたと言いますが、震災の影響で商品の卸し先が廃業したこともあって、売り上げは震災前の3分の1程度にとどまっています

2020-08-28

壊すだけ壊して何も成し遂げなかった7年半だった

NHK安倍晋三首相辞意表明を見た。

本当に虚しい。この7年半はいったい何だったのか。

安倍首相公約を実現したなら、俺みたいに総裁選ときから一貫して安倍に反対していた者には残念なことだが、安倍支持者にとっては喜ぶべき結果であろう。

あるいは政治の舵取りに失敗しとにもかくにも何も影響力を発揮できずに辞めたというなら、支持者には残念かもしれないが俺のような反安倍派には喜ばしいことのはずだった。

実際には、何も公約を成し遂げず、それどころか状況を悪化させ、そして日本の、わが国の統治機構を壊すだけ壊して終わった。

憲法改正されなかった。日本官僚機構は、民主党政権とき以上にズタズタに破壊された。日本経済は上向かなかった。むしろ失速した。スタグフレーションが加速している。拉致被害者も戻ってこなかった。憎むべき独裁国家拉致された同胞を奪還できなかった。北方領土交渉にも失敗した。現状維持すらままならず、ロシア世論を硬化させ、ロシア政府をより頑なな側に押しやるだけの日露交渉だった。トランプとは上手くやっていた? どこが? 大統領就任する前から会いに行き、何度も歓待ゴルフにも付き合っておきながら、結局トランプはわが国の国防の根幹たる日米同盟への懐疑的姿勢を捨てなかった!

いや、まあ、トランプアメリカ基準でも常軌を逸した大統領だし、上手く付き合えないこと自体安倍責任ではないにせよ、途中で軌道修正しようとは思わなかったのだろうか? なぜ、トランプいくら歓待し阿っても決して日本に融和的な姿勢なんて採るはずがないことすら理解できなかったのだろうか?

彼は影響力を、日本を良くすることに使おうとしなかった。これは、俺の思うような日本にならなかったという意味ではない。もし俺の持つ理念と異なっていたとしても、彼が己の理念に従って日本を導き、それなりの結果を残したのであれば――そう、日本を「美しい国」にしたのであれば、気に食わないけど信念はあるやつだ、という評価をしていただろう。ひょっとしたら、俺はあいつには投票してないがあいつは俺のプライムミニスターだよ、と言っていたかもしれない。

そのかわり、彼は自分の影響力を、徹頭徹尾自分とその身内のために使った。森友、加計桜を見る会ひとつひとつは小さな問題だ。けれどその小さな事件隠蔽するために――つまり「ごめんなさい」と言いたくないがために、国家統治機構をメチャメチャにした。公文書改竄し、破棄し、隠蔽した。検察官の定年を違法に延長した。憲法に背いて国会を開こうとしなかった。そして党の規定を変更してまで、自民党総裁任期を延ばした。

異なる思想信条の持ち主が寄り集まって、議会で討論したり、選挙で舌鋒鋭く相手批判したり、ときには汚い言葉で罵り合ったりするのが民主国家政治の姿だ。どんな政策を推進するのかは思想信条によって異なり、それを選挙議会で争っているのだから政権が変われば政策が変わるのは当然だろう。問題は、そもそも民主政治の基盤となる制度を掘り崩していることだ。それは超党派擁護されあるいは改革されるべきものなのに、彼は自分利益のために――自分の虚栄心のためにそれをぶち壊したのだ。

そしてコロナ禍。毎日のように防災服を着た官房長官記者会見し、市民から「寝ろ」と言われていた9年前を、総理大臣避難所を訪れ、被災者から呼び止められて立ち止まっていたころを、あの日本史に残る災害の日々を思い出す。今、この世界史に残る災害の日々において、総理大臣記者会見にも国会にも姿を見せず、官邸で働き詰めになっているわけでも国内各地を視察してまわっているわけでもなく、ただ私邸に引っ込んで表に出てこないだけなんていう状況が、こんなにも長続きするなんて思ってもみなかった。まさか未曾有のコロナ禍のなかで、気にしていたのが感染状況でも経済の復活でもなく自分連続在任記録だったなんて。

民主党政権のただなかにいるときは、これは悪夢だと思っていた。今でもそれは変わらない。彼らはあまりにも下手くそで、内輪もめばかりしていて、行政の混乱を招いた。あの時代悪夢民主党政権と呼ぶにふさわしい。

それに比べるとこの7年半は、悪夢はしょせん夢にすぎず現実の災厄とは比べものにならないのだと思い知らされた日々だった。

この時代を何と形容すればいいのか、俺にはまだわからない。

2020-08-14

anond:20200814010735

生存義務がないなら311の時も被災者が全員安楽死するまで放置でよかったのに

自分が死にそうになったら生きる権利があるとかわめくんだろ

じゃあ病人も殺したらいけないでしょ

2020-08-05

anond:20200805152528

仙台は数年前まで震災バブル地価上昇してたけど今は下がってるとどっかで聞いたような

元々あったマンションとかが壊れて引っ越し需要が増えた上に他所地方被災者仙台に流れ込んだから

福島金持ち仙台疎開したりな

2020-08-01

人は他人気持ち理解できない

なのに他人代弁者として大きいことをいう人は他人気持ちのせいという責任逃れをしながら自論でやり込めたいだけの詐欺師ではないだろうか

障害者気持ちを考えろと叫ぶ健常者

被災者気持ちを考えろと叫ぶ非被災者

ただの正義マンの延長であり娯楽でしかない

もちろん他人気持ちを考えるのは大事だと思うがどこまでいっても想像しかないことを理解して代弁するなんておこがましいことはやめたほうがいいんじゃないだろうか

2020-07-31

anond:20200731223839

だよねえ

被災者は金がないんだから金庫を盗むくらい許されるべき

2020-07-25

anond:20200725192756

被災者はほかの平和日本人も道ずれにしたいか安全太陽光に置き換わると困るんだろ

2020-07-24

お前らって苦しむ人を更に苦しめたりトドメ刺すの大好きだよな

大好きで仕方ないよな

弱者を痛めつけることで絶頂ちゃう特殊性癖だもんな

犯罪被害者天災被災者いじめられっ子かに嬉々として追い打ちしかけるもんな

苦しみの吐露に「うんち」「でもキモ」「パンティー」「👁️👄👁️ウィー」とクソトラバつけ、そうでなくてもトドメ一言や傷口に塩塗り込む様な事を言う

あるいは茶化して笑い話にしようとする

お前らみたいな人格歪んだソシオパスが隣に潜んでると思うと日本って歪んだ国だなと思う

お前ら、間接的に何人死に追いやったと思う?どうせお前らのことだからゴミが処理されただけ」とか「撃墜スコア増えたわ」とか抜かすんだろうな

この外道

追記

外道共がピーチクパーチクさえずってんな、カス

お前ら前もそうやってネットリンチ楽しんでただろゴミ共、忘れてないからなクズ

死んでくれ

2020-07-21

『この投稿コロナ関係がある疑いがあります

体験記憶

’90年代のはじめ頃、オカルト分野に興味を持っていた私は、ある新興宗教団体主催する(オカルト的な)催しに参加した。

その催しは、参加者運勢を占ってくれるという類のもので、(新宿駅西口に机を並べていたような)占い師みたいな人が適当に占ってくれたのかというとそうではなく、ガチムチ能力者っぽい人たち(50〜70歳くらい)が現れ、私のリーディングをして、「あなたは2021年の7月頃に死ぬ」そして、「同じ時期に沢山の人が死ぬ」と言い、後者について、とても不思議に感じているという意味のことを私に話した。

それを聞いた当時の私は、『ノストラダムスの大予言』に強い興味を持っていたので、ミレニアム(1999年から2000年)の時期に全然関係のない話で、しかも、2021年という当時の自分にとっては遠い未来についての予言でもあり、とてもがっかりしたことを憶えている。

なお、その能力者の人々には社会常識もあり、会場にいた若い女信者が私を宗教施設に案内しようとしたのに対して、私が未成年だという理由で、そのまま家に帰してくれた(当時はカルト宗教団体詐欺商法に対する知識が欠落していたので、オウム真理教でなくて本当に良かったと思う)。

分析解釈

上記体験についてはすっかり忘れていたが、今年、コロナ問題生活に影響するようになってきて、マスクを買ったりコロナ効果があるという既存薬について調べるようになって、ふと、この件を思い出した。

当時の(宗教団体の)能力者の人々は、沢山の人々に対して(アカシックレコードの様な感じの)リーディングを行ない、何かを探っていたのだと思う。

どうしてこの件を思い出したのかというと、現在的な知識解釈すると、「2021年の7月ごろに私が死亡する」「同じ時期に沢山の人が死ぬ」という30年近く前の予言は、コロナの今後を占う上での材料になりうるからだ。

もっとも、それは「曖昧記憶の上に築き上げられる真偽不明もの」であり「私が個人的に感じている事柄」に過ぎない。それが前提条件だ。

率直に、その材料を元にコロナの今後を予想すると、「来年コロナ問題終結せずに日本蔓延(第2波)し、しかも、強毒化する」と解釈することが出来る。

私は地方政令都市ベッドタウンに住んでいるので、私が感染して死ぬという仮定だと、東京大阪あたりの感染爆発では収まらず、地方都市にも蔓延するというストーリーになる。

だが、実際には来年コロナ蔓延など起こらず、普通にオリンピックが開催されて、私もこれを書いたことをすっかり忘れていて、レスリング柔道試合に熱中している可能性もある。

しかし、また、私を含む多くの日本人は、もしかしたら、「ある種の思考停止に陥っている」のではないかな、とも感じる。

どういうことかと言うと、現状として、世界中で1400万人、アメリカで376万人、ブラジルで209万人、インド107万人がコロナ感染していて、未だに感染者の急激な増加が続いている。

そして、フランスにおける致死率は17.4パーセントイタリアが14.4パーセントでもある。

日本では感染者2万4642人、致死率4.3パーセント、死者1001人。

私もそうなんですが、海外における惨状を、どこか「対岸の火事」だと感じ、自分とは関係のないことだとタカをくくっていはしないでしょうか。少なくとも、私自身はそう。

最近も、豪雨災害がありましたが、自分自身が被災していれば別ですが、そうでない以上、被災者本人の精神的・物質的な痛みに鈍感になってしまい勝ちなのです。

そう、「今年のイタリアフランスアメリカが、来年日本」になる、コロナ問題は「対岸の火事」だとでも感じていたところが「此岸火事」になる可能性がある。

太陽活動の低下とコロナ蔓延

ところで、発展途上国では浄水施設が整っていないので、ペットボトルに入れた水を6時間太陽光に曝してから飲用することが推奨されている。

これは、太陽光に曝すことにより、水に含まれている細菌(のかなりの程度)が殺菌・消毒されるからだ。

また、朝、日光毎日浴びることが健康につながることは常識になりつつある(体内でビタミンDが生成される)。

ところが、その日光の源である太陽活動低下が科学的に確認されている。

※A Decade of Sun(YouTube)

https://www.youtube.com/watch?v=l3QQQu7QLoM

太陽活動が低下すると、スベンスマルク効果火山活動が活発になり、地震が多発し、雲が多くなり、農作物が不作になります経済活動が低下する。

直近では、1645年から1715年のマウンダー極小期太陽活動が低下していますが、ルーベンスブリューゲルが『嬰児虐殺』を描いた飢饉の時期(暗黒の中世)にあたる。

なお、スベンスマルク効果太陽活動の低下については、(国内では)神奈川大学学長桜井邦朋氏が研究されている。

※眠りにつく太陽――地球寒冷化する(祥伝社新書215) (amazon

https://www.amazon.co.jp/dp/4396112157/

太陽活動減退で「ミニ氷河期」が2020年から2050年にかけて到来する可能性(GIGAZINE

https://gigazine.net/news/20180217-global-warming-solar-cooling/

※あと5〜10年で地球は極寒に? 最新の太陽研究予測WIRED

https://wired.jp/2015/07/14/mini-ice-age-earth-sunspots/

太陽活動の低下、地球への影響は?(AFPBB

https://www.afpbb.com/articles/-/3004321

この太陽活動の低下により、日光による地表に対する浄化・殺菌作用が低下している、また、個々人の浴びる日光の力が弱まることにより、健康改善作用が低下している可能性は高いと感じる。

また、そのことが巡り巡って、人間免疫力が低下するなどして、コロナウィルス蔓延につながっている可能性も「なくはない」。

ちなみに、マウンダー極小期前後の時期と、(主にヨーロッパで)ペスト蔓延した時期は重複している。

【おわりに】

冒頭の体験は、過去体験記憶に基づいて記したのみであり、私自身が、来年自分死ぬということを予言宣言しているわけではありません(だから来年、再来年頃、私が普通に生活していても怒らないでくださいね。ちなみに、全く収入が無くなっても2〜3年生活する分くらいの蓄えはあります)。

コロナ終結して、東京オリンピックが無事に開催され、街なかに活気が満ち溢れるようになり、この国が繁栄していくことを願っています

また、現代社会ディストピア化し、死亡イベントが多くの人間にとって「生地獄と化した現世から解放」だと感じられるようになる、そのような未来現実化するような事態は避けなければならないでしょう。

コロナに対する上で何かのヒントになる、少しでも役に立てば幸いです。

2020-07-17

東北自己責任になったじゃん  anond:20200717000047

基本的自己責任の国だぞ、生活保護医療保険があるからなんとかなるだろうの精神

にも関わらず、生活保護医療保険を無くそう・縮小しようというバカがいる

現場猫コラはセンス抜群ですきだが、医療保険のクソキャンペーンイラスト提供していた オリジナルのくまみね氏の方はブロックしている。お前はすべて自己責任でいけ

[FNN]「これ以上わがままは言えない…」震災から9年、被災者向け仮設住宅からの退去期限が3月末に迫る

https://sp.fnn.jp/posts/00050704HDK/202003111840_morimototaro_HDK


富岡浪江、飯舘の3町村の住民原発事故の際、福島県内外に避難することを強いられ、そのうち応急仮設住宅に住むことになった人たちが今回の退去期限の対象となる。

まり被災者たちは強制的避難をさせられて住んだことのない土地に移り住み、なんとか慣れて生活を再建したところで、今回、そのようやく慣れた家から出ていかなくてはいけなくなるのである


今後どうするのかを聞くと、「とりあえず荷物の整理をして運んだりはしているんですけど…。どうしましょう?どこかシェアハウスとかを探すしかないのかな?もしかしたら当面はネカフェで寝泊まりすることになるのかもしれません」


Sさんたちの住む東雲国家公務員住宅は、被災者が退去した後、国家公務員であるキャリア官僚の住居になるのではないかと見られている。

なお、地震津波で家や街が壊れた人へもこの仕打ち

完全に壊れていない限り仮設住宅へも行けず自費らしい


[NHK] 壊れた家に住み続ける被災者

https://www.nhk.or.jp/special/plus/articles/20190402/index.html


宮城県石巻市に、今も壊れたままの家に1人で住む70代の男性がいる。家の外観は特に問題ないが、1階の柱は朽ちて中が空洞だ。床も抜け落ちそうで不安を抱えながら暮らし続けてきた。


震災直後の被災地には、自宅の1階が壊れ、かろうじて残った2階に逃れた「2階族」と呼ばれる人が数多くいた。男性もその1人。自宅の1階は津波で水没し、大規模半壊と判定された。国から202万円の補助が出たがそれだけでは修理しきれずに住み続けている。


地震が起きたとき男性は倒れてきたたんすの下敷きになり、足に大怪我を負ってしまう。けがのため避難所に行けず、壊れた自宅の2階で過ごすしかなかった。しかし、津波生活必要ものを流されてしまったため、厳しい暮らしに耐えかねて仮設住宅への入居を希望したが拒否されたと言う。


市役所に行って『仮設住宅に入りたいんだけど』と申請したのよ。そうしたら『あなた場合ダメだ』って。『何でダメなの?』と言ったら、

あなた場合自分の家あるでしょ。2階で避難してたから、2階の部屋があるから2階で住んで下さい』と。」(被災者男性

国は災害救助法運用基準で、仮設住宅に入居できる対象原則として次のように定義している。

「家が全壊・流出するなどして、居住する住家がない者に供与する。」(内閣府告示


70代の男性は、壊れたままの家で8年間も暮らしている。厳しい環境で次第に体調を崩し、病院通いが欠かせない。医療費がかさみ、食費にも困窮している状態だ。


うどんはね、3袋で百円なのよ。もやしは15円。もやしが一番安いのな、野菜で。おれ最近思ったのはさ、この震災になって7年目になって、自殺する人の気持ちが分かってきた。考えても考えても、生活が苦しくて苦しくてさ。生きる力っていうのが、考えれば考えるほど暗くなってきて、明るい気持ちが持てなくなったのよ。それで死んだ方が楽だなと思って。死んだ方が、何にも考えることないなと思って。」(70代の男性



[NHK]「震災直後は夢があったけれど…」 老舗菓子Tさんの9年

https://www3.nhk.or.jp/news/html/20200311/k10012325051000.html


岩手県宮古市で老舗の菓子店を営むTさん(63)は、今回のアンケート自由記述に「思い描いていた未来のようにはなっていない」とつづりました。


Tさん東日本大震災津波で自宅と店舗、そして工場を流されましたが、それでも震災の直後は前向きな気持ちになれたと言います


Tさんは、当時の心境について、「すべてを失いましたが、家族住宅フェアや見学会に行って再建するならどんな家がいいかと考えたりして、不謹慎かもしれないけど、楽しい、夢が持てた時期でした。店の再建もできない訳がない、お菓子屋さんをまたやるんだと、当然のように思っていました」と振り返りました。


しかし、再建は当初思い描いたようには進みませんでした。仮設住宅不自由生活を送りながら仮設店舗営業を続け、震災の2年後には工場を再建。しかし、売り上げは震災前の10分の1にも届かず、不安材料けが増えていく日々が続きました。


Tさん震災2年のアンケートに、

▽「震災1年頃までは明るい夢を持てたが、それが2年たっても実現出来ない。むなしさを感じる時が多々ある」と書き、震災3年のアンケートには「仮設3度目の冬はマイナスイメージ言葉しか思い浮かばない。全てを失った震災直後は、それでも立ち直るという強い意志希望が芽吹いていた。当時の思いは3年で日に日にやせ細り、しおれかけている」と記しています


当時の胸の内についてTさんは「復興のつち音が響きたくさんの人が来て復旧復興に尽力してくれていることが励みになって自分も明るい気持ちになれたが、そういう人たちが去っていくと人が減り静かでさみしくなった。売り上げがゼロの日もあり、切なくて、自分たちでお菓子を買ってレジお金を入れたこともあった」と語りました。


それでも「完全復旧する」と意気込み、店の再建という夢に向かって進んでいたTさんに「建設費の高騰」が追い打ちをかけました。復興需要の増大などで震災前1坪あたり50万円程度だった工事費用が、2.5倍近い120万円程度にまで上がったのです。


工場に加え震災から5年後に自宅を再建し、すでに多額のローンを組んでいたTさんは、震災6年のアンケートに「歩みが減速して、1度勢いを失うと、強い気持ちを持続させるのは難しいと実感している。借金を増やしてでも店舗再建を目指すことは正しいことなのだろうか?」などと、自分が選んだ道は正しかったのかと自問自答を繰り返していた当時の心境を記していました。


震災から6年半近くたった2017年の夏、仮設店舗の退去期限が迫る中、Tさんは店の大きさを当初の計画の半分程度に縮小してようやく再建を果たすことができました。


Tさんは「店と工場が離れてしまうなど当初考えていなかったことが重なった。行政方針が二転三転して読めないのでその時その時で対処していたら借金が1億を超えてしまった」と話しました。


ところが、ようやく戻ることができた街は思い描いた姿とは変わっていました。住宅高台移転商店街もなくなったため店の周囲ににぎわいはなく、震災前は大勢いた自転車や徒歩で店に来る客は今はほとんどいません。


Tさんは「元の場所に戻ったら悪くても震災前の半分は売り上げがあるだろう」と思っていたと言いますが、震災の影響で商品の卸し先が廃業したこともあって、売り上げは震災前の3分の1程度にとどまっています

2020-07-12

受刑者被災地ボランティアしたら減刑する法律必要

保護観察中の人とかも熊本ボランティアしたら解放される法律を作れば、被災者の復旧が早まるのではなかろうか

2020-07-08

自民党以外を勝たせた地域は「国民の敵」だから、つまり大雨でも津波でも救助は後回しでは

anond:20200708190431

国民の敵」罵倒自衛隊三佐の弁明で明らかになった"クーデター"より恐ろしい事態自衛隊で進む"安倍私兵化"

https://www.excite.co.jp/news/article/Litera_3980/

暴言3佐 訓戒のみ/「国民の敵」依然食い違い - 日本共産党

https://www.jcp.or.jp/akahata/aik18/2018-05-09/2018050902_01_1.html

訓戒のみとゆうのはつまり自衛隊は三等空佐発言のほうが正しいと隊員の全員が思っているといこと

まり自衛隊が持っているであろう自民党投票しなかったリストに載ってる人=「国民の敵」は災害時に救助ヘリに見捨てられるのでは

手を振ってる被災者無視するような露骨なことをしなくても、国民の敵が多い地域は救助ヘリの順番を後回しにするだけで合法的に殺せる

大雨の被災者共産党員はいるのか?

自衛隊人殺しだと嫌悪している共産党

今回の大雨の被災者で、共産党支持者なのに自衛隊に救助してもらった人はいないよね?

救助してもらうなら自刃するんでしょ?

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