はてなキーワード: 行動経済学とは
新発売してすぐ売ることで安く楽しめるから絶対にパッケージでしか買わない奴がいる
そいつは穿きたいなって思ったパンティーでもダウンロード版でしか出てないと買わないとか意味がわからない
おっさんとかに売れないパンティーは買わない価値観が理解できないから、そういう奴が他にいたら誰か言語化しておしえてくれ
その人がパッケージ版のゲームを好む理由はいくつか考えられます。
まず、物理的なパッケージを持っていることでコレクション性があり、所有感を感じることができます。
また、新作をすぐに売ることで、一定の買い取り価格があることからコストを抑えることができるという考え方もあります。
ダウンロード版でしか出ていないゲームを買わない理由は、中古市場で売買できないため、コストを抑えることが難しいと考えているのかもしれません。
また、ダウンロード版はデータが消えたり、アカウントに問題が発生した際に再ダウンロードができないリスクがあることから、パッケージ版を好む人もいます。
ただし、そのような消費的な考え方は、自分の価値観に合わない人もいるでしょう。
例えば、ゲームを純粋に楽しみたい人や、ダウンロード版の利便性を重視する人は、そのような価値観を持っていません。
売れないゲームだと損した気持ちになるのは、行動経済学的な観点からも説明できます。
損失回避という心理現象によって、人は損失を避けるために過剰に反応することがあります。
そのため、売れないゲームに投資してしまった場合、損失感を感じることがあるでしょう。
しかし、これらの考え方は一部の人に限られており、他の人々はそれぞれ異なる価値観を持っています。
産みたくないという女性に産ませることができるか?に対しては「その理由が社会や環境にあるのなら産みたくなるようにすべき」が回答だ。
産みたくないという女性の産みたくない理由を取り除いたり、産みたくなるようなインセンティブを与えるんだよ。別の人が言ってるけど行動経済学で言うナッジという考え方だ。
個々個別の事案において強制するのではなく、全体としてそういう傾向になるように誘導するんだ。
何度も言ってるんだけど、壊れた機械のように同じことを繰り返すよね君は。ひょっとして言葉の意味が分かっていないのかな?
インセンティブっていう言葉が分からないのなら、これを見てくれ。https://eigobu.jp/magazine/innsenthibu
ナッジが分からないならここ。https://ideasforgood.jp/glossary/nudge/
岸田さんが今いろいろやろうとしているのもこの方向性。
「あなたは自分が思うより人に好かれている」と研究結果で示される - GIGAZINE
https://gigazine.net/news/20180921-liking-gap-in-conversations/
コーネル大学で心理学や行動経済学について研究を行う博士研究員のErica Boothby氏らによる研究チームは、5つの研究を行った結果、「会話相手が自分をどう思っているのか」ということについて本人と相手の間にギャップが生じていると結論を出しました。知らない人と会話を持った時に、相手は会話を楽しんでいるのに、自分はそのことに気づかないという現象を、研究者らは「認知の錯覚」と呼んでいます。
5つのうちの研究の1つでは、研究者は初対面の被験者をペアにし、「出身は?」「趣味は?」といった緊張を和らげるための典型的な質問を行ってもらいました。そして、被験者は会話の終わりに「あなたは会話相手のことをどのくらい好きになりましたか?」「会話相手は自分のことをどのくらい好きになったと思いますか?」ということを評価しました。
この結果、平均的に見て、「相手が自分のことをどのくらい好きか」という自己評価は「実際に相手が自分をどのくらい好きか」という評価よりも低くなったとのこと。これは、被験者が「相手が自分をどのくらい好きか」ということについて予測間違いをしていることを意味します。実際に会話の様子を録画した映像を分析しても、被験者は相手の「興味」や「楽しさ」を示す振る舞いを考慮していないことがわかるとのこと。別の研究では、人は相手との会話において生じたネガティブな瞬間から「相手が自分をどのくらい好きか」という考えが作られると信じる傾向にあることが示されました。
Q: 真実の情報の希少性が高まっている。数学を理解することが重要だという意見もありますが、なぜでしょうか?
数学は、情報の評価と伝達に厳密かつ客観的な方法を提供することができるため、しばしば真実を理解するための鍵と見なされる。数学では、厳密な論理法則と定義に基づいて、文が真か偽かが証明されるため、曖昧さや混乱、誤解の可能性が低くなる。また、数学の証明は独立に検証することができるため、複数の人が結果の妥当性を確認し、同じ結論に到達することができる。
情報が簡単に手に入るようになった現代では、真実と誤った情報を切り分けることがますます難しくなってきている。数理的手法を用いることで、何が真実で何が真実でないかという共通認識を確立し、情報の正確さを評価する根拠とすることができる。
しかし、注意しなければならないのは、数学は誤報の問題を解決する魔法のようなものではないということだ。他の分野と同様に、数学も人為的な誤りや偏見、操作の影響を受ける可能性があり、他のタイプの情報と同様に、数学的情報の評価には警戒心と危機感を持ち続けることが肝要である。
Q: では、数学的な情報のヒューマンエラー、バイアス、操作にはどのようなものがあるのですか?
数学的な情報には、ヒューマンエラー、バイアス、操作など、いくつか挙げられる。
数学的情報を評価する際には、このような誤り、偏り、操作の潜在的な原因を認識することが重要である。これは、数学的モデルの仮定、方法、結果を批判的に検討し、複数のソースから独立した検証を求めることによって行うことができる。さらに、基礎となるデータや方法を透明化し、オープンにすることで、より正確で信頼できる数学的情報の表現が促進される。
Q: AMSからよく本を買いますが、AMSは信頼できるのでしょうか?他に信頼できる出版社はありますか?
AMS(アメリカ数学会)は、数学および関連分野の質の高い研究を出版していることで知られる、評判の高い数学出版社である。その書籍やジャーナルは、数学者やその他の研究者に広く利用・引用されており、品質と厳密性の面で高い水準を維持しているという評判を得ている。
しかし、最終的には個々の著者の仕事に依存するため、どの出版社も、作成するすべての出版物の正確さと信頼性を保証することはできないことは知っておく必要がある。しかし、AMSのような出版社は、査読や編集の監視など、出版物の品質と妥当性を保証するための手順やプロセスを確立している。
その他、評判の高い数学出版社には、シュプリンガー、エルゼビア、ケンブリッジ大学出版などがある。これらの出版社も、出版する資料の品質と信頼性を確保するための手続きを確立しており、その書籍やジャーナルは数学界で広く利用され、尊敬を集めている。
特定の出版物を評価する際には、著者、出版社、ジャーナルや書籍のシリーズの評判、作品自体の性質や制作に使われた方法などの要素を見ることが有効である。さらに、査読済みの論文や専門家の意見など、独立した情報源を探すことで、提示された情報の信頼性と妥当性をより包括的かつ正確に理解することができる。
Q: 私は個人的に、人間の意思決定、すなわち、人間がいかに合理的に行動するかに興味があります。そのようなことを分析するために必要な数学の分野にはどのようなものがあるのでしょうか?
数学は人間の意思決定の研究に重要な役割を果たし、この現象を分析するために数学のいくつかの分野が使われている。重要な分野としては、以下のようなものがある。
これらは、人間の意思決定の研究に関連する数学の分野のほんの一部に過ぎない。使用する数学的ツールは、研究対象の特定の問題や分析対象の意思決定状況の種類によって異なる。
因果推論もまた、人間の意思決定の研究に一役買う数学の重要な分野なのである。因果関係の推論は、変数間の因果関係を決定するプロセスであり、介入や政策変更が特定の結果に及ぼす影響を研究するためによく使用される。
人間の意思決定という文脈では、経済成長、健康上の成果、政治的成果などの結果に対するさまざまな意思決定や行動の因果関係を理解するために、因果推論を用いることができる。これにより、研究者は、異なる意思決定の潜在的な結果を理解し、証拠に基づいてより多くの情報を得た上で意思決定を行うことができる。
観察研究、ランダム化比較試験、道具変数法などの手法がある。各手法にはそれぞれ長所と短所があり、どの方法を選択するかは、質問される特定の事柄と利用可能なデータの種類によって決まる。
線形回帰モデル、構造方程式モデル、ベイジアンネットワークなどの数理モデルは、変数間の関係を表し、データに基づいて予測を行うために、因果推論でよく使用されるものである。これらのモデルにより、研究者は因果関係の強さと方向を定量化し、介入や政策変更の効果について推論を行うことができる。
Q: 想像力を高めるために、量子力学を勉強した方がいいという話もあります。一方で、いろいろなことをやろうとすると時間が足りません。効率よく数学を勉強するコツはありますか?
数学の勉強は、確かに視野を広げ、想像力を高めることができ、効率的にアプローチする方法もたくさんある。ここでは、役に立つかもしれないいくつかのヒントを紹介する。
これらのヒントを参考にすることで、数学を勉強している間の時間と労力を最大限に活用し、より深く理解することができる。
Q: 数学の知識を使いたいのですが、一部の人は大学を卒業していないので、自分の能力を証明する形で数学を使うことはできません。社会的弱者が数学を武器に生き抜くとしたら、どのような方向性を提案しますか?
数学は、伝統的な大学の学位を持っていない人にとっても、個人的・職業的な成長のための貴重なツールとなりえる。
学歴に関係なく、人生やキャリアを向上させるために数学の知識を活用する方法はたくさんある。重要なのは、自分の数学的スキルを実用的かつ有意義な方法で応用する方法を見つけることである。また、データ分析やファイナンシャルプランニングなど、興味のある分野のオンラインコースを受講したり、資格を取得したりして、スキルをさらに伸ばし、雇用の可能性を高めることも検討できる。
Q: ギャンブルで勝つ、Youtuberになる、など、変わったキャリアを目指す人たちがいます。この人たちはどうやって数学を活かせるでしょうか?
数学の強い理解が役立つ型破りなキャリアはたくさんある。以下はその例。
自由と自律性を維持しながら、政府はどのように私たちの意思決定を支援することができるか?
自由な社会には選択の自由が不可欠である、という主張がある。しかし、政府が人々の選択を支援する行為はどの程度まで許容されるのか。政府は国民が世の中をうまく切り抜けるために必要な道具をすべて与えるべきなのか。同時に、国民が自分で選択し、失敗したときは責任の所在が証明できなければならない。
ナッジは、行動経済学を使って市民をより良い選択をするよう促す方法を詳述しているが、人々を操作することと同じではないのか?どのように自由が保たれているのか?おそらくナッジとは、選択肢を禁止したり経済的インセンティブを大きく変えたりすることなく、予測可能な方法で人々の行動を変える、選択設計のあらゆる側面を指すのだろう。ナッジとみなすには、介入を避けることが容易で安価でなければならない。ナッジは義務でも強制でも同調圧力でもない。
ナッジは「押し付けがましくない」という理念にもかかわらず、効果があることが示されているらしい。例えば健康関連のナッジが、より健康的な食事と栄養の選択を増加させるとか、オプトアウトシステムが決定についてストレスを感じなくなるとか、そういう話はある。選択設計で、より多くの人々が考えることを減らし、なおかつ社会や自分自身にとって良い選択をすることができるとされる。
では、政府が人々の行動に影響を与えるためにナッジ理論を用いることと、自由主義は両立するのか?政府が国民にとって何がベストかを知っていることを前提にしているのではないのか?
ナッジの要点は、選択の自由を維持することである。医者が「精神状態が悪すぎるので精神科に入院しなさい」といっても、患者は自由を保持し、その後押しを無視することができなければならない。多くのナッジは本来、情報の開示、警告、リマインダー、といった教育的なものである。
例えば消費者が十分な情報を得た上で選択できるように、燃費やエネルギー効率についての情報を開示することは、自由と矛盾するものではない。だが、明らかに行動経済学は、パンデミック時の政府の封鎖対策に影響を与えている。
この運動が行き場を失っていることを示唆するのは、行動科学は問題を単に個人の誤った選択の結果とみなす習慣に陥っていることだ。一方、ナッジ理論の肯定派は「政策の世界では行動科学者は構造的な問題にほとんどの時間を費やしてきた。タバコ税は構造的な問題に対処するもので、人々が将来の自分自身に課す害を削減しようとするものである。」などと主張している。
「ナッジ」といいつつ、特定の思想や行動へ誘導することで政治的な優位性を確保しようとする勢力が常に潜んでいることは注意すべきことだ。そのような意図がなくとも、誘導する必要のない方向へ一度舵を切れば、後戻りが難しくなることがあると考えたほうが良いだろう。
なんか急にリベラル様が「私達は9条があれば平和は守れるなんて言ってない! 9条は日本を縛るためのものと言ったことはあるけど!」「だから侵略させないためには、別に手を尽くす必要がある」と言っている。
日本で最高の知能が集まるリベラル様が間違いを言ってるはずがないので、自分の記憶が間違ってないか調べてみることにした。一般人から政党まで、いろいろとね。
また、憲法九条は、紛争を平和的に解決するという考えを、多くの国民に定着させてきました。こうして、他国に軍事介入しない、紛争の原因をつくらないということが、他国による日本侵略の要因をつくらず、平和を守ることにつながってきました。
このレベルの例なら私にも出せる。しかもこんな小粒ではなく大量に、だ!これを見ればリベラルどもも黙るだろう。
第11問 憲法第9条は、戦争を放棄し、戦力を持たないことを決めています。あなたは、この第9条は、日本の平和と安全に、どの程度役に立っているとお考えですか。リストの中からお答えください。
1.非常に役に立っている 29.4%
2.ある程度役に立っている 52.6%
4.まったく役に立っていない 2.3%
5.わからない、無回答 4.7%
そう、何とNHKによれば日本人の8割もが憲法9条が日本の平和と安全に資すると答えているのである!
どうだリベラルどもよ、これを見てもまだ9条が平和に役立つと言ったことがないなんて言えるか?言った人がいたとしても少数だなんて言えるか?国民の8割とはマイノリティーなのか?マジョリティーもマジョリティーなのである!
そして今明かされる衝撃の真実!大多数の日本人はお花畑リベラルかお花畑リベラルに洗脳された愚民だったんだよッッッッ!
おっといけない愚民なんて言葉は選民思想リベラル様の専売特許だったのであった。しかしまあなんて由々しき事態なんだ…。
日本は国際社会で、主としてどのような役割を果たすべきか聞いたところ、「環境・地球温暖化・感染症対策を含む保健などの地球規模の課題解決への貢献」を挙げた者の割合が63.9%、「人的支援を含んだ、地域情勢の安定や紛争の平和的解決に向けた取組を通じた国際平和への貢献」を挙げた者の割合が59.2%と高く、以下、「軍縮・不拡散の取組などを通じた世界の平和と安定への貢献」(41.2%)、
昨年度の内閣府の調査を見れば国民どもの思想を垣間見ることができる。4割が軍縮・不拡散を行うのが日本の役割だと述べているのだ。この夢想家どもがッッッ!
ちなみにCSVデータを見ると一番軍縮云々に賛同しなかったのは30代で26.1%しか賛同していない。次が18-29歳の37.3%なのでここだけ異様に低いのが分かる。不思議だね。
いや、ちょっと待ってほしい。「9条が日本の平和に役立っている」と主張したからといって「9条があれば日本は平和」と言ったことにならないはずだ。「他国に軍事介入しない、紛争の原因をつくらないということが、他国による日本侵略の要因をつくらず、平和を守ることにつながってきました」という文章を読んで「わあ、9条があれば侵略されることはないんだね!」と読解する人間はさすがにおるまい。確かに共産党は近いことを言ったこともあった気がしないでもないがこの文章だけではそうとは捉えられない。意外なことに原文を読んでも「他国に軍事介入しない」とは他国の戦争に自衛隊を派遣して怨みを買わない、「紛争の原因をつくらない」とは武器輸出をすることでイラクのような平和を脅かす集団を作るということをしてないという意味で、結果侵略される要因を作ることにならないため平和に資するのだといった程度のことしか書いていないのである。
第13問 あなたは、現在の世界の情勢から考えて、日本が戦争や紛争に巻き込まれたり、他国から侵略を受けたりする危険性がどの程度あると思いますか。リストの中からお答えください。
4.まったく危険はない 0.5%
5.わからない、無回答 1.9%
このように国民の8割が9条が日本の平和に役立っている一方で、国民のほとんどは侵略される危険性があると考えているわけだ。少なくとも国民大多数の中ではこの2つが両立しているということが論理必然的に分かる。
「9条が平和に役立つ」は「9条があれば侵略されない」ではない。データから国民全体の傾向として言えるのは「9条は平和に全く役立たないという意見の持ち主は限りなく少数派」、「多数派は9条は平和に資するがそれで侵略されないとも思っていない」といったところだろう。まあ相手の主張を0か1かで考えるのは楽だが、わりとこんな感じで程度問題だったりもする。「9条が日本を守ってきてくれた」と言う人に「どれくらい役に立ったの?」と聞いて「100%」と返ってくるかは微妙なところだ。そういうものである。
一応補足しておくと今同じ世論調査をすれば「9条が平和に役立っていない」と答える人が増えるのではないだろうか。この2017年の調査にはやはり集団的自衛権を巡る数々の議論があり「戦争に巻き込まれる可能性」が俎上に上がった余波が残っていると見るべきだし、その前に行われた2002年調査はイラク戦争直前でテロ特措法が成立するなど既存の法体系で対処できるか心配された時代であった。実際、同調査では2002年の方が2017年よりも憲法改正賛成派が多く、また9条が平和に役立つと答えている人も少なめである。ウクライナ侵略が行われている今であれば恐らく2002年調査に寄るかそれ以上に変動するかもしれない。国民世論と秋の空でただですら世論はぶれまくるのに出来事1つで更に右往左往するものだ。これは何があってもそこまで政治信条をあまり大きく動かさない我々政治厨が見逃す点で大抵国民世論に確固たる思想信条の基盤があると”必要以上”に考えがちだ。
ところでこれ1974,1992,2002,2017と調査が行われているのだが9条が平和に役立っていないと答えた人は1974年が一番多いのはちょっと面白くないですか?
個人的な意見を言えば、9条に全く平和に資するところがないとは思ってはいない。自衛隊派遣を巡って毎度国会が空転しているのを見れば軍事を増強しても他国視点だと侵略してくるとはあまり思えないというのはあるんじゃないか。専門家ぽく言うと安全保障のジレンマを軽減する信頼醸成措置的な何かになる要素はあるんじゃなかろうか。安全保障のジレンマは元々はリアリズム(国際政治学の学派の名前で一般的な意味とは異なる)が言ってたことで、信頼醸成措置は第二次安倍政権が作った「平成26年度以降に係る防衛計画の大綱」でも使われている言葉だから言葉としては存在するけど使い方が合ってるかは知らん。
なおデータで言えば一般抑止は計量するのが難しいので何とも言えないが、明日にでも戦争が始まりそうな状態から戦争をやめさせるという緊急抑止については統計分析が存在する。当然9条のデータなんて存在しないのだが、軍事同盟については緊急抑止についてのデータが存在する。代表例はHuthの研究なのだが何と相関関係はマイナスである…。まあこれは選択問題とか色々な理由で一般抑止はあるんじゃねっていうのは言われている。データで証明できてないじゃんwwお気持ち乙wwという世界ではないからね。
それ自体はどうでも良いのだが、同時に緊急抑止に関係あるのは長期の軍事力ではなく短期の軍事力だという分析結果もある(一般抑止は分らんが)。日本ではあまり聞かない議論なんだけど闇雲に軍事力軍事力言うよりその辺何が抑止に効果的なのかとかもうちょっと表で議論されてほしいんですけどね。
抑止とは、費用と危険が期待する結果を上回ると敵対者に思わせることにより、自分の利益に反する行動を敵対者にとらせないようにする努力である。したがって合理的敵対者に対してのみ働き得る機能である。
最後に1つだけ。引用した『軍事学入門』は軍事に詳しくリアリスト(国際政治学の学派の名前ではなく一般的な意味と同じ)であれば必ず通った書物だ(過言)。ちなみに自分は軍事通でもリアリストでもないダメ人間なのだが。読むと至極当然の抑止についての説明が書いてありますね?ところが最近の議論を見ているとこの当たり前の話を忘れてないか…という人がいる気もしないでもないのでここで紹介しておく。
もちろん「合理的」のニュアンスが難しいところだとは思うが。行動経済学が人間は非合理という話をした時、既存の経済学の「合理性」を拡張すれば対処できるものもあるよねって話になったりもしたんよね。その意味でこの「合理的」を「プーチンは戦争を起こす際に損得勘定もできないアホバカオタンコナス!だから軍事抑止力も意味ないんだ😭」って話にできるかは別の話。
身長差別(英: Height Discrimination)、あるいはハイティズム[1](英: Heightism)は、身長に基づいて個人を差別することをいう。原則として、身長がある集団内における通常の許容域に属さない個人に対して行われる差別的取り扱いに関する言葉である。
身長差別は、平均身長より大幅に背の低い男性に対して行われるのがもっとも一般的である。また、こういった差別は一般的に受け入れられ、無視されている[2][3]。高身長の女性の中には、身長を小さくするため、多量のエストロゲンを使う人もいる[4]。
研究によれば、人間の脳は身長を社会的ステータスや健康状態を見極める指標として用いている傾向が確認できる[5]。脳は自動的に身体のサイズを、リーダーとしてのポテンシャル、権力、強さ、知性と結びつけている。この効果は生後10ヶ月ほどの幼児にも見受けられた[5]。身長は、ある個人の栄養状態が良いことや、高い社会的ステータスを持っており、したがってリソースを幼児に供給してくれることを示す指標となっているからだと、進化心理学者[誰?]は理論づけている[5]。また、身長は他にも一般的な健康や身体的な強さをも示すが、後者は支配力を行使する上で有用になりうる[6]。前述の特徴と身長の自動的な連想は、女性を評価するときよりも、男性を評価するときに、より強くなると見られている[5][6][7]。
ある研究によれば、環境要因を排除した場合の身長の遺伝率は55.4%(標準誤差は4.4%)であるという[8]。
"ハイティズム"という用語は、社会学者であるSaul Feldmanが、「The presentation of shortness in everyday life—height and heightism in American society: Toward a sociology of stature」と題した論文で用いたのがはじまりである。この論文は1971年に開かれたアメリカ社会学会(英語版)で発表された[9][10]。ハイティズムという用語は『Second Barnhart Dictionary of New English』(1971年)にも掲載されており[11]、1971年発行のタイム誌に掲載されたFeldmanの論文によって広まったとされる[12]。この単語は、「接辞の変わった用法」を通じて新しい単語を提供するタイム誌の慣習の一つの例であるといえる[13]。ただし、タイム誌自身は、この単語が1991年版の『Random Webster's College Dictionary』に収録されるのに反対していた。彼らは、『ランダム・ウェブスター』を「読者の気分を害さないように必死で、良い用法だけをのせる」、「疑問符が浮かぶような数多くの用法に権威を与えるが、そのうちの多数はポリティカル・コレクトネスの考え方に染まっている」辞書の例としてあげている[14]。 ハイティズムという語句は、セクシズムという語の用法を模倣するような使い方、特に偏見や差別に関係した使い方が増加していることの一つの例として見ることができる[15]。
ハイティズムはデートでの選好においても一つの要素となる。身長が、性的魅力においてもっとも大事な要素だという人もいる。
高身長の男性の方がかなりの程度生殖に成功しやすいという事実は、高身長男性がより結婚しやすく、より子供を持つ可能性も高いことを示唆する研究により証明されていた。例外は、戦争などで著しく男性が少ない社会だけだ[29]。しかしながら、最近の研究では、この理論に疑問符をつけるものも多くなっており、身長と子供の数の間にはなんの関係もないことがわかっている[30]。さらに、脚の長さや脚と体の比率に関する研究では、高身長の配偶者に対して著しい選好がみられるという考え方と対立する結果が出ているという。2008年の研究では、高身長にしろ低身長にしろ、極端な場合は魅力が減るとの結果が出ており、2006年の研究では、脚と体の比率が低い男性と比率が高い女性は美的アピール度が増してみえることがわかっている[31][32]。進化生物学的観点からいうと、これらの発見は身長と健康に関するデータと一貫性があるといえる。したがって、生物学的論拠、もっと具体的に言えば、背の高い配偶者への選好に関する進化論的論拠は疑わしく、具体的なエヴィデンスを欠いている。また、Journal of Family Issuesに発表されたある研究では、高身長への選好は進化論的なバイアスというより、社会的期待によるものだと示唆する証拠も見つかっている[33]。
行動経済学者のダン・アリエリーの研究によれば、アメリカ人女性は高身長男性とデートすることに対して並々ならぬ選好をみせ、低身長の男性が魅力的と判断されるには、高身長男性よりもかなりの額を稼がなければならないという[34]。また、オンライン・デーティングを研究する社会科学者によれば、男性も身長の低い女性を好むとされ、実際に低身長の女性と高身長の男性はより多くメッセージを受け取る傾向にあった[33]。ただし、女性は高身長の男性を理想とするが、実際のヘテロカップル間の身長差は、理想の身長差ほどは開いていないこともわかっている[33]。
2012年に行われたある研究では、男性も女性もトレードオフの手法を用いて身長差について妥協しようとしていることがわかった。男性は妻よりも1%高い賃金を稼ぐことで、1.3BMI分を埋め合わせている可能性があり、女性は高等教育を1年多く受けることで、2BMI分を埋め合わせている可能性がある[35]。さらに、2015年の研究では、男性も女性も高身長の配偶者を持つことで、利益を得ていることがわかった。夫の側では、妻の身長と相互関係にある優れた点、たとえば教育知識などに起因する長所を得ることができる。妻の側でも身長の高い配偶者を求めているが、これは高身長者は高賃金を得やすいからである[35]。また、全米経済研究所の調査によれば身長の低い男性は、若いが著しく教育水準の低い女性と結婚する傾向にあったという[33]。
それでもなお、ポスト工業化社会における文化的レベルでは、身長と魅力の間の社会学的関係は存在するといえる。この文化的特徴は、一方で近代化した世界には適応することができるが、他方では超自然的な人間の本質というわけではない[36]。ヘテロ女性の出会い系サイトでの行動に関する定量的研究では、高身長男性に対する著しい選好が示され、女性の大部分は平均よりもかなり身長が低い男性を受け入れないことが示された[37]。フローニンゲン大学とバレンシア大学での研究では、魅力があり、肉体的に優位で、社会的に力を持つライヴァルに対してもっとも不安を感じていた男性は、自分たちの身長が高ければ高いほど、嫉妬を感じにくかった[38]。この研究では、ほとんどの女性は他の女性の身体的魅力に嫉妬を感じていたが、中ぐらいの身長の持ち主はほとんど嫉妬を感じにくかった[39]。オランダとスペインの研究者によって作成された報告では、平均的な身長の女性はもっとも繁殖力が強く健康的な傾向にあるから、似た特徴を持つ女性に対して脅威を感じにくい傾向にあったと述べられている[40]。
アメリカ精神医学会の公式月刊誌である『American Journal of Psychiatry』に発表された調査結果によれば、スウェーデン人男性では身長の高さと自殺率の高さに強い負の相関関係があることがわかった[48]。これは、成人男性の精神障害の原因に子供時代から晒されていることの重大さの表れかもしれないし、低身長の男性が成人になってから生活の中で直面するスティグマや差別を反映しているのかもしれない[48]。1,299,177人のスウェーデン人男性を18歳から、最大で49歳まで追跡し、出生、徴兵、死亡率、家族、戸籍などのデータのレコード・リンケージ(英語版)による研究を実施した[48]。すると、身長が2インチ(5cm)増加すると、自殺のリスクが9%低下することがわかった[48]。
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E8%BA%AB%E9%95%B7%E5%B7%AE%E5%88%A5
寝言かなと。
言葉だったな。
新しい資本主義ってのは。
中身がない。
45歳定年唱える人も、みな爺さんと言う…
https://www.gqjapan.jp/life/business/20120625/new-business-heroes-of-capitalism1
結局、これなんだろな。
新しい資本主義が日本から生まれる可能性はある!【1】──竹中平蔵 × 佐藤 優
小泉内閣で金融の国務大臣をつとめた「平成の鬼平」こと竹中平蔵・慶應義塾大学教授は、いま、どこに資本主義のフロンティアがあると考えているのか? 最近、行動経済学者としての竹中平蔵に注目する、元「外務省のラスプーチン」佐藤 優を対談相手に迎え、変わりつつある資本主義の最前線を討論する。司会は、経済アナリストの「ぐっちーさん」がつとめる。
【岸田さん構文】
国語力ないよ。
いろいろしくじってきたが、その後のことも考えると、人生で一番大きなしくじりだったと思う。
を検討していた。
コンピュータと人工知能に関心があったということが候補を選んだ理由だった。
当時、LinuxやFirefoxなどのオープンソース活動に興味を持っていた。
また、脳科学や認知科学、人工知能など人間の知能に関する分野にも興味を持っていた。
研究分野としてはOS・コンパイラなどのコンピュータの基礎研究という印象を受け、
工学の方が自分の嗜好に近いと考えて工学部の学科を検討することにした。
工学部機械情報学科はロボティクスを中心とした情報を扱っていて、
ロボットのハードウェアへの興味が低かったことから優先順位を下げた。
そして、
を候補として考えた。
機械系のカリキュラム・研究も含まれていて、2つの学科が扱っている分野が共通していた。
違いとしては、システム情報工学では応用物理系の内容を中心に扱い、
知能社会システムでは機械系から社会工学・経済工学まで扱っているという違いがあった。
そして、次の理由から知能社会システムコースを候補として考えた。
私は教養学部での講義からゲーム理論やシェリングの分居モデルなどの話題に触れ、
また、当時行動経済学や経済への物理学の応用などの書籍を読み社会科学系にも興味を持っていた。
人工知能やマルチエージェントや進化計算などの複雑系にも興味を持っていた。
また、自分の関心がある講義が他学科にも分散していたことから、
講義を取りやすいことも良いと考え、自立して科目を選択できると考えた。
また、製造業や電器メーカーの不調から従来の工学系学科に進んでよいのかと悩んでいた。
できて数年の学科だということで新しいことができるのではないかと無根拠に考えていた。
そうして工学部システム創成学科知能社会システムコースに進むことにした。
そうして、システム創成学科知能社会システムコース(PSI)に進学したが、
思うようにはいかなかった。
幅広い分野を扱いつつ、講義数が少ないということで全体的に内容が薄く、未消化気味だった。
また、講義間の関連性が薄く、体系的に学べることが少なかった。
などの工学の基礎となりうることは扱うのだが、基礎に留まっていた。
また、講義を受けてのレポートが中心で理工学の演習は少なかった。
工学部だから機械や電気ではなくても理数系を基礎として扱うのだろうと考えていたが、
予想とは違い少なかった。
統計は理工系でも社会系でも重要なものだからもっと力を入れて欲しいと思う。
そのため、ディスカッションやプレゼンテーションなどの機会があったが、
幅広い分野を扱っているということもあり、学生層が広かった。
その分、興味が合いそうな同級生を見つけにくかった。
カリキュラムが少ない分、就職活動を頑張って学部で外資などに就職しようという
学生も多かった。
全員が全員そうだということはなく、修士も進むことを考えている学生もいた。
他学科聴講は思ったよりもできなかった。
受けたいと思った講義の時間が被っていたり、前提知識が不足していたりして、受講が難しい場合があった。
学科での講義に関心が持てず、モチベーションが下がっていたということもあった。
研究室には学部3年後期に配属される。カリキュラムの少ない分をそこで補う想定らしい。
しかし、私が所属していた研究室では、学部就職する学生が多く、
他大学からの院生やポスドクが中心であまり教育が受けられなかった。
システム創成は機械情報学科や計数工学科と違い、情報理工学系研究科ではない。
進振り時点ではそこまで差を考えていなかったが、講義の内容やPCなどの設備が違っていた。
大学院でより専門性を高めたいと考えて情報理工学系研究科に進んだが、
実力の不足から、大した実績を上げることができなかった。
学部では幅広い内容を身に着けて、大学院で専門性を高めるということを考えていたが、
他の研究室に進学するならば、その研究室と密に連絡を取って、院進学前から
必要な勉強・研究計画作成をしないと、講義や就活で研究に必要な時間が取れなくなる。
このようなことから、大学院では成果を出せず、就職活動もあまりうまくいかなかった。
振り返ると、それまでの人生で初めて大きな意思決定をする機会だったが、そのことを十分に認識できていなかった。
取捨選択するということができず、幅広いカリキュラムがあるということから選択肢がありそうな道を選んでしまった。
安易に考えず、具体的にメリット・デメリットを書き出して、検討すべきだった。
それまでどれかができるということではなく、どれもできるようになろうとしてきたことがあり、
立花隆さんの影響を受けていて、文理ともに学ぶことに憧れていたが、
その難しさを分かっていなかった。
意思決定をするために必要な情報を集めて、裏を取るということができていなかった。
まあ、サークルに工学部の先輩がほぼいないという事情もあった。(普通工学部は忙しいからな。)
もう少し聞けていれば、進学先を再検討していたと思う。
自分が目指すような幅広い分野を学ぶということを行うのであれば、基礎を幅広く身に着けることを
念頭において進学先を選ぶべきであった。
そう考えると、情報科学科や計数工学科に進むことを考えるべきだったと思う。
理学部情報科学科については小中高からプログラミングを扱っている人が多いと聞いていて気遅れしていた面もあった。
独学で学ぶようにはしていたが、学科に進学した方が教育や同級生など成長できる機会は多かった。
学部で情報系の基礎を身に着けて、大学院で応用に広げることも十分考えられたが、当時はその想定ができなかった。
あと、当時情報科学科や電子情報学科が進振りの最低点(底点)が非常に低く、避けた方がよいかなと思っていたところもあった。
進振りで高い点のところを目指していたわけではないが、つい点数に左右されてしまった。
今の機械学習やディープラーニングは自分が当初やりたかったことに非常に近かった。
大学院でそちらに進もうとしたが、実力不足から挫折してしまった。
情報科学科や計数工学科に進学していれば、その分野に進むチャンスが大きかったと思う。
教養学部時代に自分がやりたいことについて、教授に相談したり、一般書籍ではなく学会誌を読むなどしていれば、
進路を明確に決めて、進振りでの失敗も避けられたのではないかと思う。
進振りでは点が足りなくて進学できなくて失敗したという話を良く聞くが、
これは進学先の選択を誤ったという話である。その分、あの時選んでいればという後悔が大きい。
システム創成について、自分の失敗から悪い面ばかり記載してしまった。
私の進振りでのしくじりを具体的に書くことで何か参考になればということで書いたものである。
自由度が高い分、自分で計画を立てて行動できる人にとっては良い面もあると思う。
私自身は進路・キャリアを良く決めないまま進学してしまったため、うまくいかなかった。
など学科の色がはっきりしてきて、その方面に目指す人にとっては良い学科と思う。
(カリキュラムはあまり変わっていないらしいという話も聞くが。)
失敗したと思っても、将来どうなるかは分からない。
現に情報系学科は過去は非常に底点が低かったが、今は高騰している。
システム創成ではないが、大学院で他分野に進んで研究者として業績を上げている知り合いもいるので、
あまり後悔せず、前を向いて進んで欲しい。
共産主義がうまくいかないことは、マルクスの「共産党宣言」を読めばわかるだろ。岩波書店が無料で公開してくれてるから、読めよ。オレは、読んだうえで批判する。
https://www.iwanami.co.jp/moreinfo/tachiyomi/3412450.pdf
供給が固定されたら、需要側が変化する必要があるわけで、それはつまり消費者は選択する自由がなくなるわけだ。人間は「選択できない」という我慢はできないよ。よって、共産主義は間違っている。
マル経も会計上は資金の一致はしないといけない。そうでないと、輸出入で不都合が生じるからな。じゃないと GDP の計算ができないし、ソ連や中共が GDP の報告をしないだろ?日本が GDP を気にしないのは、投資される側じゃないからだ。海外からの投資というのは、マクロ経済学では大切な部位なわけだ。ソ連や中共は海外貿易をしてるのに、上記の共産党宣言には何も書いてない。そうなるとスターリンやトロツキーが言うように「世界同時革命」が必要というわけさ。例えば、日本が共産化すると国家というボーダーを消さないと共産主義に齟齬が生じるわけ。なぁ、『日本』共産党という政党がいかに不勉強かわかるだろう?それに、もう日本に共産主義なんていらないのですよ。ケインズという、国家というボーダーを使役すると経済をカンフルする方法を編み出した天才のせいで。マクロ経済学を駆使すると、供給に規律を持って対処できるので、もはや国家として共産主義を選ぶ理由はありません。
人間は「良い思いをしたい」という生き物で、ソ連においても「良いものを求めた人民」が観測されています。つまり、共産主義であっても「モノは同一価値ではない」のです。共産主義は自由を奪う思想です。
上のなかで一番 共産主義に迎合する領域なのは計量経済学だ。計量経済学は統計学だから、数値をごまかすと一致するからな。つまり、ある時期までは共産主義は『良すぎる』はずだ。そして、ある時期からは共産主義は資本主義に負ける。ネトウヨが「オリンピックから何年後に中共が滅ぶ」というのは、まぁまぁ嘘じゃないと思う。そのターニングポイントは計量経済学では見ることができるはずだ。それは、歴史がジャンプするときに、みられる。
医学生物学論文の 70%以上が、再現できない - 目次 | Nature
心理学の研究結果、6割以上が再現不可能 検証調査 写真1枚 国際ニュース:AFPBB News
心理学研究の信頼性に疑問を呈した論文は「誇張」、米ハーバード大研究者ら 写真1枚 国際ニュース:AFPBB News
再訪 ミルグラムの服従実験 : 実際のところ何を証明したのか?
Did Stanley Milgram's Famous Obedience Experiments Prove Anything?
「スタンフォード監獄実験」は“世紀のイカサマ”だった!? | 世界的に有名な心理学実験の「巨大なウソ」を暴く | クーリエ・ジャポン
スタンフォード監獄実験は仕組まれていた!?被験者に演技をするよう指導した記録が発見される : カラパイア
うっひーマジっすか。行動経済学は再現性皆無、カーネマン&トヴァースキーもかなり悪質なチェリーピッキングしていて、鉄板と思われていた損失忌避すらかなり怪しく、ナッジなんて現実ではほとんど効かない! うーん。アリエリの不正問題は知っていたが、こんな本丸まで揺らいでいるとは!
ttps://b.hatena.ne.jp/entry/s/twitter.com/hiyori13/status/1435954260882067458
「行動経済学は死んだ」騒動のメモ|ふろむだ@分裂勘違い君劇場|note
ttps://b.hatena.ne.jp/entry/s/note.com/fromdusktildawn/n/nbecfb941b31e