はてなキーワード: 落選とは
先のセンバツ選考で、大垣日大と聖隷クリストファーが話題となっている。比較の結果落選となった聖隷クリストファーには各界から応援の声が多数寄せられているが、逆転での選出となった大垣日大には心無い言葉がこれでもか!と投げられている。
前提として、大垣日大は加害者ではない。センバツの選考は各高野連の選考委員が行っており、そこに大垣日大が入り込む余地は無い。自分の事を聡明であると思い込んでいる諸氏が「日大」繋がりで裏金を連想していようが、現状はただの妄想である。
しかし、各種SNSでは大垣日大"に"非難が集まっている。これはずいぶんとおかしい。「辞退しろ」「一回戦で大阪桐蔭に大敗すればいい(巻き込まれた大阪桐蔭も良い迷惑である)」といったものはもちろん、キャプテンの意気込みにまで批判が集まっているのは、どう考えてもおかしい。言葉を選ばずに言うと、本当に気持ちが悪い。
「英断」「大人の対応」「自分が当事者だったら」...大人達があらゆる表現を使って辞退を促していることに、なぜ違和感を持たないのか。私にはどうしても分からない。
2000年6月の第42回衆議院議員総選挙では、前回の選挙で破った無所属の増原義剛に敗れ、比例復活もならず
気落ちしているときに知人から、科学技術振興事業団(現・科学技術振興機構)に勤務していた河井案里(当時の姓は前田)を紹介される。
東京で紹介者をまじえて夕食をともにし、2次会で赤坂のスナックに行った。
「天城越え」を歌う案里を見初め、
なんで作家になれないんだろう。
ろくに私の小説を読んだことがない母親に「こんな小難しい文書いてるから受賞できないのよ!私の言う通り書けば賞が取れるのに!」などと言われた。
大喧嘩した。私は私の文章が好きだ。三年、自分の好みの文章にするために小説を書き続けてきた。
公募の評価では文章は書けてると言われている。だから能力は無いわけではないはずだ。私は母親のために小説を書いてるわけではない。なのにどうしてここまで言われなければならないのだろう。
母親の言うことを聞けば何もかもうまくいくと教育されてきた。高校は私立のマンモス高、女だから短大に上がり、大企業に就職して鬱病になってやめた。それでなんか知らんが小説家を目指した。私は精神障害者だ。その上身体がめちゃくちゃ弱い。どのくらい弱いかと言うと1キロ歩けなくてタクシー常連。都内に就職したくても通勤で倒れてしまう。だから家でできる職業を目指した。それがどんなに非現実的かも知らずに。
努力しても意味ない、と言う本を読んで本ごとゴミ箱に投げ捨てた。そんなのわかってる。才能業は私に向いてない。私は私の物語の主人公にはなれない。それがわかってるから悔しかった。落ちた公募やコンテストは二十を超える。これで一次で落ちるなら諦められた。でも毎回そこそこの成績を叩き出してしまう。少なくとも一次で落ちたことは最初の一年、片手くらいしかない。だからまだ才能があるんじゃないかと思うんだ。
今までもココでだいぶ愚痴った。増田のみんなは優しいから、もうちょっと頑張れるよって言ってくれる。現実の人達はいい加減現実見なよ、底辺が成り上がれるわけないじゃんなんて言う。村上龍だか誰かが13歳のハローなんたら(検索避け)で作家は最終手段なんて言ってた気がする。最終手段にも手が届かないって死んだ方がいいのか。
頑張ってる人はいっぱいいる。Twitterで傷の舐め合いをしてると、自分から行動して努力してる人は沢山いる。同業の作家志望者はその人たちを馬鹿にするけど私はすごいなあと思う。
諦めたくないなあ、と思うけどタイムリミットはある。三十路になったら現実を見ようと思った。あと一年。まだ努力が足りない。いくら努力すればいいんだろう。
小説家を諦めてシナリオライターになろうとした。派遣社員で。結果は全社落選。派遣でも落ちるって何?私はやっぱり才能ないのかな。
もう嫌だな。
私は誰かに頑張れって伝えられるような話が書きたかったのにな。
今は異世界転生悪役令嬢ですよって言われて、書きたいものは売れてから書けばいいじゃないですかって言われる。
でもそれじゃ遅いんだ。早くしないと自殺する三十歳に間に合わない。もうODの後遺症でだいぶ身体にガタが来てて、痙攣が止まらなくなった。薬漬けであんまり長生きは出来ないだろうなと思ってる。だから死にたかったのに、こういう時に限って、サイトに知らない人から応援メッセージが来るんだよなあ。私の小説が誰かの頑張れになってるならもう夢は叶ったんじゃないかなあ。もういいか。
立民のネットメディアへの1500万円提供 背景に“活動家”の仲介業者が
新年早々、立憲民主党が揺れている。ネット番組の配信などを行う「Choose Life Project」(CLP)が、2020年3月から約半年間にわたりおよそ1500万円もの制作費を立民から受け取っていたことが発覚。CLPに出演していたジャーナリストらが1月5日に抗議声明を発表したのだ。
立民は資金提供を通じて、自分たちに有利な世論誘導を行っていたのではないか――。そんな疑念が渦巻く今回の騒動だが、
と立民関係者。
「CLPには立民から直接資金提供がなされたわけではなく、ウェブコンテンツ制作を行う会社などを迂回して資金が注入されている。このスキームこそ、今回の騒動の肝なんです」
そもそもCLPは、TBSの子会社で「報道特集」などの制作にあたっていた佐治洋氏らが16年に立ち上げたもの。20年春、資金難に喘ぎながら活動を本格化させた彼らを立民に繋いだのが、そのウェブ制作会社の社長だったという。
もっとも、いくら番組づくりにカネが必要とはいえ、確たる実績もなかったネットメディアのCLPにポンと1500万円とはあまりに高額。
この点、別の立民関係者によると、
「実は、提供された資金の全額がCLPに入っているわけではないんです。そのうち何割かは“手数料”として、仲介したウェブ制作会社などに抜かれてしまったといいます」
まるで“トンネル会社”を経由した迂回融資。ところが、このように効率の悪い経路をたどるのには、ワケがあるという。
先の立民関係者いわく、
「この手の“迂回”はうちではよく目にします。たいていが事務局トップの秋元雅人氏と福山哲郎前幹事長との阿吽の呼吸で行われるのですが、発注先に共通しているのは、どこも市民運動などに従事していた“活動家”の会社だということ。今回のウェブ制作会社も、社長は『ピースボート』の共同代表などを務めたジャーナリスト。これまでもPR活動などで立民とは付き合いがあり、党内では知る人ぞ知る存在ですよ」
税金や寄付金が原資の政治資金を、惜しげもなく“活動家”の会社に流し込む。これこそが秋元氏の真骨頂だといい、
「北海道自治労出身の秋元さんは、市民運動が何より好き。17年の衆院選でも学生団体SEALDsの元メンバーとの連携を成功させた根っからの“左寄り”です。彼は市民運動を担う活動家たちがメシを食えるようにと、彼らに会社を作らせ、そこを通じてビラ作りや広報といった党の業務を外注する手法を編み出した。今回の騒動も、秋元さんにとって大事なのはCLPではなく、その前の“迂回先”にカネを落とすことだったのでしょう」(同)
40人以上が離党の準備?
実は、この騒動を発端に立民は一気に崩壊に向かう可能性がある。政治ジャーナリストの藤本順一氏が話す。
「すでに枝野幸男前代表を中心に40人以上が離党の準備を進めているようです。昨年の衆院選で140人以上も立民候補者が落選しましたが、その多くが今も支部長を務めており、財政負担が膨らんでいる。おまけに、泉新体制で枝野氏ら旧執行部の意見が通らなくなったので、落選議員というお荷物は立民に押し付け、選挙に強い議員だけで新党を立ち上げようという構想です」
分裂が表面化するのは参院選後とか。
「国民民主と都民ファーストの合流が実現すると、立民は厳しい。立民の支持母体である連合の芳野友子会長と連合東京の斉藤千秋事務局長、都民ファの荒木千陽代表は“女子会”仲間で、連合東京が国民民主を支持するのは既定路線なのです。参院選での票の激減が立民分裂の狼煙となるでしょう」
ブーメランも分裂もいつか来た道だが……’22年の立民から目が離せない!?
https://news.yahoo.co.jp/articles/8def08b7bb4b6845171f53d2e4d51d03e57720b1
赤松健は「非党派的にマンガ表現規制に反対する人」としては最も政治的な力を持っていた。その力の源泉は何よりも「党派争いから中立である民間人」であるところに負っていたと思う。
いっぽう山田太郎は「表現規制反対を国会で訴える議員」であることに存在価値があった。議員でなければ彼はさほど著名とはいえない実業家であり、彼の力の源泉は議員であることそのものにある。
したがって、山田が自民党に入ったのは、まあわかる。彼は票田とするオタク界においては「余所者」だからだ。彼は赤松や竹宮惠子のように有名作品の著者であるわけでもなければ、本人が熱心なオタクであるようにも見えない。彼は「村の声を聞き、代弁してくれる国会議員」ではあっても「村の名士」ではない。彼がオタク村において有力者として扱われるためには国会議員であり続ける必要があり、そのために最も手っ取り早い手段が自民党への入党なのだろう。
それに比べて、赤松は人気漫画家としての知名度と人望を持ち、長年政界へのロビイングをやってきた「村の名士」だ。国会議員でなくともその声には重みがあるし、あくまで「村の利害」の代弁に徹し、党派的でないからこそどちらの陣営とも話をすることができた。オリジナル笑顔で駆け抜けられた。言うまでもなく、「党派的に中立であること」は山田が持ち得ない政治的資源である。国会議員である以上はいずれかの党派に所属することになってしまうのだから。
しかし、今回赤松は自民党の議員候補になることを選んだ。それは「党派的ではないこと」という彼の政治的資源を自ら捨て去ろうとする行為だ。政治に目覚めたばかりのトキメキ弾けそうなのかもしれないが、安直にすぎる行動だと思う。アンチ自民党のオタクは大勢いる。彼らは『ラブひな』や『魔法先生ネギま!』の作者の話には耳を傾けるかもしれないが、自民党の国会議員の言葉に耳を傾けることはないだろう。つまり、表現規制反対派は「どちらの陣営とも話ができる村の名士」を1人失ったことになる。かくいう増田もアンチ自民党オタクなので、残念ながら赤松には投票できない。
だが一方で、近年、フェミニズムに基づく表現規制を訴える人びとが急激に共産党や立憲民主党に根を張り、ついには先日の衆院選で共産党が「社会的合意」に基づく表現規制を示唆するに至った。言うまでもなく、到底受け入れられる政策ではない。これらの勢力の伸長が赤松に旗幟を鮮明にすることを選ばせたのだとしたら、支持できないにせよ非難もできないかなぁとは思う。ひょっとすると涙隠した笑顔に気づいてほしいのかもしれない。
それにしても、吉良よし子に1票を投じたオタクとして、彼女があんな主張をするのは本当に残念でならなかった。池内さおりの落選はシャーデンフロイデな朗報だったが、彼女に代表される路線は今後とも共産党の中枢に残り続けるのだろう。彼女たちのような勢力が実権を持っている限り、共産党への投票は選択肢に入らない。一票ごとドキドキ色づくこの選挙が未来地図になるのだから。
立憲民主党については、共産党のような上意下達型の政党ではなく、また本来の意味でのリベラリストもそれなりに多いので、選挙区では是々非々で対応することになると思う。自分の選挙区に立った立民の候補が表現規制にもオタク蔑視にも与していないならその候補に票を投じるくらいの信頼は置いている。積極的にオタク向けアピールをしろとは思わない(もちろん、してくれるに越したことはないけれど)。表現規制に賛成せず、オタクを侮蔑するようなことを選挙民に見えるところで言わないでいてくれればそれでいい。出会い系サイトを使って辞任したどこぞの元知事も、温泉むすめ関係での雑な発言などオタクを侮蔑するようなことさえ言わないのなら支持してもいいのだが、世間ではああいうことを言うと支持者が倍増したりするのだろうか。
しかしそうなると、仮に自分の選挙区が与野党一騎打ちの構図になり、自民の候補が赤松のようなオタクに親和的な表現規制反対派で、立民(or共産)の候補が池内のような限界フェミだったとしたら、投票先に迷うだろうと思う。公文書の隠滅、統計の改竄、五輪の誘致、災害対策における無能っぷり、人権条項を削ったやべー改憲案、いつまでも選択的夫婦別姓や同性婚に反対し続ける固陋さ、そういった諸点を鑑みるとどう考えても自民党への投票なんてできないのだが、しかし他方で表現規制推進派の限界フェミにも投票できるわけがないので、仮にそうなったら白票でも入れる以外に道はなさそうだ。幸いにして、増田の選挙区の立民候補はまともな人のようなので、安心して投票しているが。政策の先へJumpしたら受け止めてくれるかな?
これは本質ではないだろう
選挙で勝つには票をまとめられなきゃいけないわけで、そのためには組織票を得る、つまり組織同士のお付き合いで選挙戦以前に支持を得ておかなくてはならない
立候補者というのはその組織の担ぐ神輿であって、それはもちろんリーダーシップがあって有能でなければならないのは勿論だけど、それ以上に「組織が安心して担げる人か?」というのが一番大事になる
じゃあそれはどういう人なのか?というと、もともと組織内で信頼されていた人物とか、前任者が信頼していた人物とか、とにかく組織の関係者がそれに当たる
そして最もそれに該当して担ぎやすいのが、前任者の息子となる
それが世襲が増える原因
選挙で勝つには地盤(地元有力者の支持)、看板(知名度)、カバン(お金)、の3つが必要とされるけど、世襲は上記の理由で地盤100点、看板初期値70点、くらいから始められる
経済的負担を軽減するのはカバン要素を多少減らす程度、もしくはそのどれでもなくて、落選後の安心感があるかどうか程度でしかない
温泉むすめみたいにエロとは別の理由で叩かれた作品だって割とあるのに
全部ひっくるめてエロ関係で叩かれたかのように言う貴方がまず雑です。
次に理由はエロ関係で叩かれたけど本当に性的なのか微妙なケースもありましたね。
宝塚だってぶっちゃけ性的消費を理由に「叩かれる事自体」はあります。
その叩いてる人が今まで微妙なケースで萌え絵を叩いていた人達と違うなんてジャッジできる特権なんて誰にもありません。
また宝塚についてのtogetterまとめを見て「萌え絵全般」を擁護してた人達だっているし
そういう人に引用元が
という文章で批判してなかったと言い切れるものでは無いと思うし、仮に「萌え絵全般」を擁護してた人を批判してはいないというなら
雑な批判をしてた事には変わりありません。
最後に貴方は厄介な人がいるだけで萌え絵を描くのはやめたと言いましたけど、まぁそれは自由だし嫌な事やるより好きな事やった方がいいと思います。
でも同じように「貴方」を含めた厄介な人達に辟易している人だっていて