はてなキーワード: 萌え豚とは
少しだけ真面目に言うならテーマというのは「主題」なわけ。「主」って言葉の意味はわかるよね。中心であり核心であり、即ち価値なわけ。価値があるから「主」というので、なければ単なる一部分にすぎないの。そんなものを「テーマ」とは言わないですよ。
だからテーマを論じたらそれはマウンティングになっちゃうわけ。少なくとも優勝劣敗が存在するわけ。そんで「作品に込められたテーマを探す競争」が人々の中二心をくすぐったりもしたし、作者すらそれに乗って崇高で深遠な「テーマ」を探す競争とかしてたわけ。でもあなたが言うとおり「テーマが主なら、作品は従か?」って疑問が当然出てくるわけ。「いやいやテーマと作品は不可分一体だよ」とか言ってごまかしてもダメなわけ。たかだか数行にまとめた「テーマ」が主なら、二時間の映像はいらなくて、最初っからテーマだけでいいでしょって話になる。おかしいよね。なんでそんなことになったのか?
そもそもむかしむかし「作り手・受け手」の関係において「受け手」は弱者だったわけ。「作り手」は神の代弁者、司祭、シャーマンつまり「天才」。受け手はただの虫けらで、神の子の手で一喜一憂し転がされ泣かされ笑わされ搾り取られるだけの存在だったわけ。でも「批評」という行為によって革命が起きたのが近代という時代だったの。書き手さえ気付かぬ作品のシンの価値を発見し確立する創造的行為としての批評、それが近代的なあるべき作品受容の姿となり、そこで発明された批評家の武器がすなわち「テーマ」なわけ。「この作品のシンのテーマは…」とかしたり顔で語る連中は、、ことごとくこの時代に生まれた連中のしっぽなわけ。
それに対して、受け手が100%の権力を握るべしとした20世紀の過激主義者がエンタメ派なわけ。どんな作品であろーが、オレたちが楽しめればいーじゃんていう。オレたちが楽しんだ事実だけが重要なのであって、作品のテーマとかそんなもんあってもクソ、みたいな考えは、一方で作品の質みたいなものを果てしなく劣化させてく危険思想でもあったのだけど。まあそんなことは昨今のアニメを見てる連中ならうすうす気付いていることだとは思うけど。萌え豚共だって自分らが萌え狂ってる作品が、50年後100年後まで人類を熱狂させるHOTコンテンツだなんて欠片も思っちゃいないでしょ? まあでも、「批評主義、テーマ主義」ってしょせんはインテリの玩具であって新しい階級主義だったわけ。それより、萌え豚の方が「ぶひー」言ってればいいから楽しいし多数派なわけ。急進派は多数派に敗北するのが歴史の必然なわけ。んなわけで、萌え豚が「テーマ=悪。エンタメ至上」という旗印の下に批評家オタクを駆逐していったわけ。
そんなわけで、この件についてはどちらが正しいってことも別にないわけ。「それぞれの時代における流行りの作品受容の在り方」でしかないわけ。いずれもその時代なりの必然があって生まれたスタイルなわけ。
それより、そういうエンタメ派全盛な脈絡の中であえて「いかにもテーマ的に論じられそうなコンテンツ」をぶっこんで来た所が庵野のタチ悪さだったわけ。つまりテーマを論じる批評という行為自体を巧妙にエンタメ化したわけ。わかりやすく言えば萌え豚という民衆の手にテーマ論という権力を解放したということで、これはまさしくアナーキズムの可能性の中心なわけ。これがゼロ年代のオタク概念の飽和を生んだ庵野革命だったわけ。そして今回は、ゴジラと震災と政治、なんつーメジャーコンテンツを使って(政治ももはや萌え豚の旗の下に果てしない劣化を始めていたというタイミングもあって)
一般人までまんまとそれに狂わされてるわけ。そこが庵野の手腕ですげーとこなわけ。だから、増田や増田やお前増田や俺増田がこうやってネットであーだこーだいうところまでひっくるめて、全部庵野の計算したとおりのエンターテイメントなわけで、つまり「やっぱり『シン・ゴジラ』すごいわ」というのがとりあえずの結論なわけ。
というわけで、これがライト左翼の語る「シン・ゴジラ」論なわけ。
http://anond.hatelabo.jp/20160816124615
(追記)ブクマに回答
id:tick2tack 批評オタクが「駆逐」されたのはなんでなのかな?エンタメ派が増えようが批評を続けることに問題はないように思える。単に注目・承認欲求が得にくくなったためとか?
承認欲求と言えばそうですね。すごそうな「批評」に感心してくれる人が減ったら批評のやりがいがない。エンタメ派によって「今時『テーマ』とかムキになって論じちゃう批評ってイケてない」というイメージが広まりましたしね。あと、積極的に駆逐しなくても、エンタメ=楽しい、と一動作に対して批評=考える+論じるの二動作。後者は前者にどうあがいても敵わぬ理屈ッ(成る程っ!)、みたいな。「楽で楽しい」方向に流れるのは時代と歴史の必然でもあるように思います。
SEGAが提供する基本無料のアーケードカードゲーム コードオブジョーカーS(通称COJ S)。
コイツが今まで全く手を出さなかったWeb広告打った後、広告も消えて、カード販売のばらまきも初めて、
ゲーセンでもプレイヤーが減っているので今年いっぱい持てばいい方かな、という状況だ。
さて、この日記では盛り上がっていたゲームが一回のバージョンアップで冷や水を浴びせられたかのごとく衰退していく様とその理由を説明しておこう。
元々、COJは初期のころゲーセンでカードバトルゲームというおよそゲーセン住人には受け入れられなさそうなもので始まったため、散々な状況だった。
まだシステムも立ち上がりで穴が多く、クソゲーといってもいい内容だったが改善を重ねて、
「基本無料」というゲーセンには珍しい手法を取り入れることで客層を増やし、不死鳥のように(元々売れてないからこの表現はおかしいが)蘇った。
バランスもこなれていき筐体の売上も順調で決算の上位に食い込むほど売れたタイトルとなった。
しかしそんなCOJも落ち目の切っ掛けになるものがやってきた。
まず、馬鹿プロデューサー(P)だがこいつは放任主義のくせに手を出すと余計なことをして手柄だけはかっさらってきたカスだ。
やったことはバランスを乱高下させてわざと話題性を出すという策や、
既存カードを消したあとにしばらくして新カードで刷り直すという祝!復活商法だ。
これについていけなくなったプレイヤーから消えていき刺激を求める層からも愛想つかされてシリーズは終了。
今、新シリーズの企画があるが嫌な思い出があるファンがどれだけ戻ってくるかは疑問。
COJでもPを務めていたわけだが、Sへのバージョンアップ前から余計な事をしはじめた。
まずCOJのシステム周りは外注で作っていた。内部にシステム調整できるだけのノウハウがないのだ。
これを内部だけでやるという決定をしたのがPだ。
それなのにろくに技術力のある人間を入れずに、バイト上がりのゲーマーに任せようという手腕だ。
この話だけでもう終わってると気づくだろうが、
理由はバージョンアップに合わせてカードプールを整理したいということだが、
要するに外注の件と合わせてコストカットをしたいだけという内容だ。
この2つにゲームを面白くする要素があるどころかつまらなくする要素でしかない。
案の定、バイト上がりたちがカード調整しはじめだしたころからユニットの能力もデザインもおかしくなりはじめる。
肝心のCOJ Sの内容というのも酷い物だった。
・ジョーカー2枚化
といった内容だ。
他に真新しい内容はない。
ぶっちゃけた話、赤・緑・青・黄に新勢力紫を足しただけの内容だ。
紫ゲージをどうにかして溜めることで強い効果を発揮できる。
つまり新システムが完全に新色のためだけに存在するといった内容だ。
ここまで聞けば分かるだろうが、これは三国志大戦の勢力「漢」とまるで同じだ。
漢も決起ゲージを3つまで溜めると強力な効果を発揮するが、これに関係しているのは漢だけだ。
特定の色にしか効果がない新要素というのはどう扱っても調整が難しくなる。
なぜなら強くすればその色ばかり優位になってしまうのに、弱くしたら誰も使わなくなる。
悲しいかな、何も学ばないPとバイトのアイデアが採用されたわけだ。
まずこんな内容は外注なら通さないくらい穴ぼこなのにこれが新バーの目玉なのだ。
終わった。
そしてキャラデザインも落ち着いたものから萌え豚に媚びたデザインになり、
年齢層いくつでやってるのかろくに調査もしてないんだろうなと思わせる改変っぷり。
というか萌え豚に媚びたところで1世代前のポリゴンなので無理にコストかける必要もなかったんだが。
そしてジョーカーという試合中にキャラが固有で使える切り札を2枚にするという変更だが
これが地味なくせに露骨に調整面倒になるという要素で不安しか覚えない。
無理やりねじ込んだ感がすごい。
と、まあ褒めるところ一つもないバージョンアップだったが、
本当に褒めるところ一つもないので閑古鳥が鳴いている。
広告も打ったしばらまきもやってるのに人が帰ってこない、何でだろう?
ここまでの敗因を揃えられたのもまるでユーザーが何をしたいのか理解してこなかったことと
面白いゲームにするためのコストをケチろうとしたツケが素直に返ってきてるということ。
よくもまあ、短期間でここまでつまらないゲームに変えることができたと若干感心気味である。
もし今まで通りデザインは社内で、システムは外注でという方策で続けていたのなら
100万くらいはまだ使っていたと思うが、もうその金を回す必要がなくなってしまった。
経緯といっておきながら長々と書いてしまったがまとめると
・COJS始動、旧カード使用禁止、失敗はわかってた新勢力の追加、特に新鮮味の無い新バー、終わってる調整
・閑古鳥
・ばらまき効果なし
・閑古鳥
何はともあれCOJに合掌。
そしてPは死んで欲しいくらい愛してるよ。
わかった、お前の理解力に合わせよう。
まず原作のコンテンツ的価値が原作者の発言力や選択肢を変えることを説明しよう。
強者パターン:面白い 売れる 他社に流れて欲しくないくらいの作品
こうやってメディア化に対しても手綱引いて原作者の思惑通りにするのには
実際にそうやって主導権握ってるやつもいれば逆に放任して任せてる場合もある。
原作通りに再現してほしいなら発言に力が出るだけのコンテンツ的な価値を生み出す能力が必須。
それがクリアできてない時点で何を言っても負け犬の遠吠えにしか過ぎない。
弱者パターン:くまみこ(期待値低い 萌え豚アニメ 波及効果低め 原作の売上並み程度)
そこでできる選択肢は手伝うという体で監修してチェックして駄目だしをする以外にはない。
あと露骨に監修しないにしても監督と仲良くなって作品の理解を上げるとか愛してもらうようにするとか
金のかからないテクニックを使って作品完成度に影響させることもやろうと思えばできる。
それ含めて様々な努力をくまみこはしなかったのに自分の負けポジも自覚せずにファン目線での発言。
例え利益率が低くてもそれをできる人間が原作者の自分しかいないならやるべきことであったのにあの発言。
やらないならやらなかったときの結果(くまみこ騒動)を受け止める以外に選択肢は無い。
「手弁当になるからやらない」という選択をしたから今の結果があり、
それに疑問を持っているようでは自分の負け犬ポジションを理解していないことにも繋がり低IQの証左。
負け犬は負け犬なりに方々走り回りケアして小銭になるように苦労しなきゃならんのよ。
とりあえず別にアンタのゆず作品に対する薄っぺらい感想なんか聞いちゃいないし
そういう優越感ゲームしてる態度こそがサイコーにムカつくと言ってんだけども。
ゆず作品その他のどの辺が「似非オタク」を釣ってて、まんまと釣られてるユーザーのどこがダメかを語ってくれたほうがまだマシだよ。
率直に言って、アンタは二次元作品楽しんでたわけじゃなくて一部の二次ヲタを見下すことを楽しんでただけに見える。
だいたいさ、
たとえばkanonなんて
自分が手元に残してすらいないKanonを例に出すのに何か葛藤とか違和感とかないの?
「好きなエロゲは?」と聞かれて、ゆず作品、サガプラ作品、あかべぇ作品、さよ教、ゴアスク、好き好き大好き、辺りを答えて即、俄かゆとり認定されるようなのや、「オレ、ボカロ曲聞いてるからオタクかもwww」みたいな草生やしそうなのが今時のオタクだったのか。
(別にこれらを挙げることが悪いのではなく、これらを上げる人は得てして狭く浅い知見を以て「自分を重度のオタク」だと自称する法則を発動させる)
二次元をファッションの一つとして、自分を彩るアクセサリの一つとして、程よく緩く、ノリで「○○は俺の嫁」とか言うような連中にはなりたくなかったし、そうならないようにしてきたつもりだった。
↑この辺サイコーにムカつくんだけども、
結局のところ、アンタは単に他者を見下すツールとして二次元使ってただけじゃないの?
http://anond.hatelabo.jp/20160424051708
コレのラインナップにしたところでさ、アンタそれっぽい有名作を広く浅く残しすぎ。
ニワカでも知ってるタイトルばっかりで「ゆず作品、サガプラ作品~」と大差ないようにしか見えないってのもあるけど、
それ以上にアンタのオタクとしての根っこの部分が何にも見えてこない。
マクロスΔは萌え豚と腐に対する媚を100歩譲って許したとしても機体がダメ
シリーズ最新作の最新のバルキリーがメサイアの焼き回しとかクソ&クソ— アリシア@ファランクス機完成 (@0_4ALICIA) 2016年4月3日
うわぁここまで媚ないと視聴者獲得できないくらい落ちぶれたのマクロス— ecu (@ecu_400ps) 2016年4月3日
あとはマクロスΔが有りがちな媚に媚びるだけのアニメとならない事を祈るばかり— かまぼこ (@kamaboco0710) 2016年1月8日
最近のマクロスは萌え豚と腐女子に媚びまくってるからなんかなぁぁ— じゃむおぎさん (@jamogisama) 2015年12月31日
それにしてもマクロスΔはオタクに媚過ぎて好感持てないな 7並の神作であることを祈ろう— 山本タカヤ (@eins_zwei_drei4) 2015年12月14日
Fはまだ漢らしいキャラが居たから好きになれたが
萌えと腐女子に媚売るようなタイトルにはして欲しくなかったな・・・
初代マクロスから観てる俺からしたら— 優@今年こそゲーム三昧 (@suisan0080) 2015年10月29日
ちょっとマクロスΔはオタクに媚びすぎじゃないですかねぇ...— 髑髏本卍丸 (@terekyasu2525) 2015年10月29日
次のマクロスで豚に媚びうったらもうしらねぇ— キイロイリコチャン (@LIONHEART_FF) 2015年10月29日
でも、マクロスは媚売りしないで欲しい。
歌と戦闘で魅了して欲しい— 490Power_zip (@sigure_s15) 2015年10月29日
マクロスΔの媚に来た感— なるほどなー。 (@b8b02990a3bc4ff) 2015年10月29日
はあ????????????????????????????????????
こいつら正気でこんな事言ってるのか
超時空要塞マクロスは当時からオタクに媚びまくり100%の作品でまともなSFファンからは叩かれていたっていう、大前提であるべき歴史認識が出来ていないのか今の自称アニオタって。
媚びて媚びて媚びて媚びて媚びて媚びて媚びて媚びて媚びて媚びて媚びて媚びて媚び抜いてこそのマクロスシリーズなのと違うの????
今までのマクロスは媚びてなかったと本気で思うのならもう病気ですよ頭の。
オタクがオタクのために作ったオタクアニメの金字塔が超時空要塞マクロスであって、派生シリーズはその時代に合わせてマイナーチェンジしてるに過ぎないってのはもう常識だと思ってたよてっきり。
そーかー、今の若い人たちって昔のマクロスは「硬派」なアニメだと思い込んじゃうぐらい、見識が劣化してるんだね。
軽く絶望を覚えるわ。
むしろ持ち上げているのばかりでは?
夜だけど、これからアイマス論をグダグダ語っていくよ。諸事情あって、アイマスについて調べることになったので、実況プレイ動画を見たり、友達に取材したりして僕なりにアイマスの魅力を理解して、なおかつ面白いものがかけそうな気がしているので、その話を書いていこうと思います。
まず、僕がアイマスについて調べて驚いたのは…女子のファンが多いことです。どちらかというとラブプラスっぽいイメージがあったのですが、ラブプラスとの明快な差は女子から愛され具合だと思います。女子がラブプラスに話しかける感覚で美希ちゃんを溺愛する姿を見て「あれ?どっかで見たよね?」と
『閃乱カグラ(カスタマ要素・女子のペット的な魅力)+パワポケ(何気に難易度が高いミニゲームの詰め合わせとその達成感)+けいおん!(の沢ちゃん的なポジ)=アイマス』だと思う。特に特化してるのは「けいおん!」の部分で、女子に友達であり、友達でない関係が女のアイマスファンを創ると思われ
アイマスに似ているゲームで閃乱カグラとラブプラスの名を挙げたけど、その二つは女子が性的対象になるから女子には人気が出ない。女の子は女の子と友達になって、キャラを見て・その後に本音をぶちまけ合うコミュニケーションを欲しているからかわいいとか愛でられるとかそれだけでは満足できない。
アイマスって男子にとって魅力的なことよりも、「女子にとって魅力的な美少女ゲーム」ということにこそ価値がある。「キャラ萌え」をしたキャラと男の場合は恋愛感情を求めて「2次元嫁」になるけど、女の場合は百合になっちゃうから「友達(甘やかし気味なペット)」の関係を実現できるのが斬新!!
『アイマスに女性が感じてる感情を男に代替すると暗殺教室の殺せんせーが近い』んじゃないか?特に修学旅行に行く時にミニ四駆まで詰め込んで「あれ?先生の方が楽しんでるね」と生徒に言われちゃうあの感じ。ゲームの世界で滑ってるギャグを飛ばすP及び製作者を斜に構えて見る美希…そうこの構図
アイマスについて調べて思ったのは『萌えの議論をするときにやるべきは「美少女を愛でる感覚」の細分化だ!』事。美少女になりたい・美少女をペットにしたい・美少女と恋愛したい・美少女とセックスしたい・美少女を街で見かけた・美少女と友達になりたい…どこをチョイスするかで作風が多様化できる
女子の場合、恋愛要素も性的愛玩物要素もない(というか、中学生設定の子もいるから描くとやばい)からこそアイマスの女の子を妹とか友達とかそういう風に思い込めるし、思い込んでも後ろめたさがない。これは弟じゃダメ!女子の精神年齢は男より早く老いるから思春期の冷めた感情が共有できない。
アイマスのソーシャルゲーム版や2だとユニットを作るらしいけど、1だと本当にマンツーマンゆえ、親友なんだ。これも女子のとってよかったのでは?女同士だと人間関係に疲れる(ような錯覚も含め)を感じるが、親友であり相方だから、(プレイヤーとキャラの)ガールズトークにのめり込めるのでは?
女子の中には「彼氏」のことを「相方」と呼ぶ人がいるんだけど、これは女子の欲しいものを如実に表した言い換えだと思う。話し相手というか、頼れる(ちょっぴりだけ上下関係があるが)本音で語れる相手というか…性的であったり、ラブリーである必要よりももっとポップな関係。そっちの方が大事なんだ
「女性」という「性」の面白さは生まれながらにして「お母さん」になることを宿命づけられながらも、防衛本能ゆえに性行為(もしくは性的対象に見られること)に嫌悪感を抱くということ。アイマスというゲームはちょうどお母さんになれることがいいんだと思う。それもその子を性的対象にしないでいい事
あとはアイマスの魅力のうち「声」の比率が大きいと思った。これは調査してないからわかんないけど、ソーシャルゲー・アニメ化などをしても人気で有り続けられる理由って、見せ所が視覚ではなく、聴覚だからだと思う。喜怒哀楽全部出せるシナリオ(及び演技シーン)と声がかみ合ってるのが素晴らしい!
アイマスのゲームの中で色んな歌を歌うシーンがあるけど…あれって、もち歌(キャラソン)以外も歌うのが返っていいのだと思う。アイマスが女子にも人気な理由はテンプレなキャラの部分の可愛さと、テンプレになりきれない成長シーンやキャラ違いの歌を歌うシーンや表情演技とのギャップの魅力だと思う
昔、友達から「声なしでAV見てご覧。抜くどころか虚しくなるから」と言われて、やったことがあるんだけど…アイマスってそんな感じ。もし、映像演出と声がなくて、エフェクトなしで体育館の舞台みたいな場所で踊ってるだけなら…「エフェクトをはさむ」というオーディションのゲーム性は確かにハマる
あとはアイマスについてみていて思ったのは、ゲームやコミュニケーションにランダム要素が多いから、パワポケの「(目押しかTAS芸でもしない限り)絶対にオールAをつくる方法なんかねーよ!」というあの感じが好き。…正しい(と思われる)選択肢を選んだときでさえ「大丈夫かな?」と戸惑う感じ!
アイマスのテンション・プレゼント・オーディションとリアクション・レッスンなど結構肝心なところがランダムだから、ベスト・グット出すのが大変。でも、女子の場合、アクションやSTGが脳の構造の問題で苦手でランダム絡むゲームの経験が少ない。、ゆえに、女子がやる分にはランダムは新鮮な要素!
「脳の構造」の問題で、女子の方が方向音痴なんです。方向音痴なだけじゃなくて、立体全般がダメなので数学(図形)嫌い、動きの激しいゲームがダメなどがあります。平面が得意で立体がダメな構造になってて、男はその逆。口紅の細かい色分けがわかんないから化粧や髪染めに気づけない脳の構造なんだ
衣装の色違いを細かく設定できる当たりが(特に女の子にとって)親切設計だよなぁ…。ゲームだけじゃなくて、アニメのアイマスも色がすごく綺麗だったし…。なんとなくほかの男性向けとは路線が違う気がする。語れば語るほど、他の男性向けの要素とは違う魅力にたどり着くアイマス。
本当はアイマスに詳しい友人及びはてなの有名人に「アイマスについて教えろ」と言っても良かったんだけど、…東方ファンやパワポケファンとして言わせてもらうと、世界観が広大なゲームは自分なりの結論を付けるしかないと思うから、仮説を作ってそういう友達に聞いて、仮説を裏付けるのがちょうどいい
僕がパワポケについて問われたら、10~12当たりの、あのド派手アクションのパワポケが好きだと言うけど、野球が真面目に絡む1・2・8辺りが好きな人も居るからねぇ…。東方も…ネタだらけの二次創作は原作の雰囲気がなくなるから嫌いだし。アイマスもそういう意味では難しいテーマだと思う
僕の中では「男性向けゲーム」としてのアイマスの完成度はそんなに高くない。恋愛対象年齢じゃないし、エロ要素はあるにはあるけど、薄い本でやるかクリアする気持ちを捨ててのパイタッチだからカグラには劣るし…コミュで考えるとギャルゲは他にある。そう考えるとアイマスは実は女性向けだと思った
調べていくと意外と女性に人気があり、男向けのその手のゲーム(衣装をカスタマできたり、キャラと会話できるゲーム)と比較したときに、アイマスがやけに異色で恋愛要素が少なかったため、「女の子が友達同士になる発想でやってるゲームとしての方が最適では?」と感じた次第です
あと、僕の中でわからないのは多媒体化されてるアイマスはどういったファンがメインになるのか?って事。アイマスって攻略対象がユニットになってるゲームとソロのゲームでカプで考える人と、自分とアイドルの関係で考えちゃう人がいると思う。そこらへんの論争を見てみたいなぁ…怖そうだけど
個人的にはね…アイマスは萌え豚ゲーだと思ってた。今日調べるまではモバゲーで「働いたら負けTシャツの人」に貢ぎまくる奴らのせいでキモオタゲーのイメージがあったわけです。…AKBとかラブプラス的な性的愛玩物的なイメージ。
ええ、ごめんなさい。このまとめでなんとか勘弁してください><
http://b.hatena.ne.jp/entry/anond.hatelabo.jp/20151225144922
このブコメ群を見る限り、「アニオタ」と「アニメ好き」は別の存在であるらしい。
オタクという言葉はもはや「深夜アニメ見てればオタク」「知識を深めようとしなければオタクではない」「創作に手を出さないうちはオタクではない」みたいな不毛な論争を起こす言葉でしかなくなっている。
元増田のような知識欲のないアニメ好きな人を表す言葉が欲しいんだけど、「アニメ好き」という呼称は(少なくともネットでは)一般的なんだろうか。私はあまり見たことがない。
いつもの。
お馴染みのあのアニメを見てるんだけど、このアニメ見てるとテンプレラノベっぽさっていかにアホの子を出すかなんだろうな…と大真面目に思えてきた。昔から「自分のことをかわいいと理解した上で色気を振りまいてくる娼婦のような女子高生キャラ」はいたんだけど、最近のテンプレラノベはそれよりも…ある時期までは「(自分がかわいい・お色気を期待されている理解してる)娼婦のような女子高生」が出てくるラノベが増えていると思うんだが、最近はそれをさらに突き抜けて「男子中学生の恥ずかしさを詰め込んだようなアホの女の子を入れる(むしろ、彼女達こそラノベらしさ)」になってない?
例えば、西尾維新(というよりも、この場合は物語やめだか)がラノベかどうかを議論する上で、ヒロインの娼婦っぽさとか設定の中ニっぽさに着目するならラノベよりもクサいから、ラノベにカテゴライズしてもいい。でも、ある時期からのハーレムラノベに出てくるアホの子はほぼ出てないから今の基準だと。僕が西尾維新が苦手(少なくとも、あんまり文学的だという評価をしたくない)なのはめだかボックスに代表されるような「読んだだけでお腹いっぱいになるような中二」なんだ。ある時期までラノベには多かれ少なかれそういう雰囲気を入れるものだったが、最近のは形骸的に中ニという作品が増えた? 落第騎士で学んだことはアホの子も萌えキャラにすると許されるというかいじりがいがあるという「可愛い子は正義」「オタクは本質的にはフェミニスト(女の子びいき)」ということだと思うの…。個人的感想だから、異論は認めるし、僕自身おかしな事言ってる自覚はある。落第騎士見てると頭悪くなりそーだけど、逆に言うとテンプレでラノベ書いている人がなんでそんなことをするかを考えながら見てると「あー読者的にはこうだから、こうなってるのか」と感じることがしばしばある。頭悪そーなことには変わらないけど、自分が好きな作品・ガチで語る作品はウケへんもん…
主人公が唐変木すぎてセクハラにも相手からの好意にも気づかないというラノベの主人公の設定って要約すると(というよりも、女性が身もふたもないツッコミをするとするなら)「ガキ」なんだろうね。それも悪い意味ではなく、煩わしい性欲がない代わりに性を隔てるデリカシーもないという両方の意味で。すご~く変な言い方かも知れないけど、落第騎士ってホモアニメだと思ったほうが(登場人物全員男子で、男子校的な場所にいると思ったほうが)ぶっちゃけしっくり来ると思うんだよなぁ…。ちゃんと女の子らしい視点とか、キャラを持ってる人がいないし、女性目線入れると簡単に崩壊しそうな意味で…。女の子を女の子として書く必要がなくなってると考えるとテンプレラノベって童貞でも…いや、むしろ童貞の方が書きやすい?男がかっこいい男を主人公とかすぐ死ぬキャラとして配置して、男子的な幼さは女の子に埋め込んでしまえばいい。あーそう考えると、女の子っぽさが何かとか考える必要ないわ。
ハーレムラノベでドンドンヒロインの影が薄くなって、主人公が他の女の子には親身になって行くという現象を学術的に言い表すと「クーリッジ効果(ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%AF…)」と言っていいと思うの。浮気は本能。新しい女の子は別腹!!
萌え豚はフェミニスト ※半分はネタだけど、もう半分はジブリ社屋のトイレが女性のモノのほうが広い理由を尋ねられた時に「それは宮さんがフェミニストだからです」と鈴木さん(だったかな?)が答えたのを元ネタにしてる
姫さんなんか言動の(斜め上な)色ボケっぷりを外して評価すれば、刑事モノとかアクション劇の“バディ枠”ですわね… 負けず嫌いが過ぎて時々逆噴射する熱血・正義漢だと思えばいいと。「男子中学生の小っ恥ずかしさを女の子に詰め込んでかわいいかわいいという系統のキャラの代表格は柏崎星奈だと思う」的なことを1,2週間前ぐらいにいったらヴァーミリオンが肉っぽくなり始めてきた…。予想どおりっつうかなんつうか
禁書からずっと続いてる、ラノベ世界に都合よく湧いてくる悪役のヤンキーってなんなんだろう?悪く言うつもりかどうか以前にあいつらの存在自体が謎。本来、フィクションの中で出てきたヤンキーって主人公一味よりは現実味を帯びたキャラクターのはずなのに、なぜかヤンキーの方が現実味がないキャラクターに感じて萎えるんだよなぁ…。アレなんでだろう?数日に一度は、近所でヤンキーらしき人見てるから「いない」とはおもってないんだけどなぁ。異能力使いよりも非実在性をヤンキーに見出してしまうのはなんでだろうか?NPC的な割に人間味を見いだせないラノベに出てくるヤンキーほど謎なキャラクターも珍しい。舞台装置といえばそれまでなんだけど、もっとうまくやれないのかが謎。いや、下手だと感じるライトノベルにしか出てきてないからヤンキーが出てきちゃう時点で下手くそなラノベなんだけどぱにぽにとかパンストみたいにヤンキーが楽屋裏で出演陣と楽しく盛り上がってないと整合性が取れないぐらいの舞台装置っぷりに困惑する現象を何と名付ければいい?
おそ松が腐に人気というのは顔学歴職歴生い立ちハイスぺ暗い過去がなくても腐はハマることができるんだっていう証拠!
みたいな腐ってすごいでしょ系文句が回ってきてうへった
正直二次腐なんか表に出てきちゃいけない日蔭者なんだからドヤ顔ですごいだろアピールなんかすんなよと
一次ならまだしも二次BLは色々と問題があるから隠れようって言ったら
「今は一般向で活躍してる○先生も×先生も昔は二次BLをやっていた」
「どうしてBLばっかり自重しないといけないの!?男オタだって萌え豚だって!」
「原作者と公式サイドは腐を公認してネタにしてまーすw外野がうるさく言うなやw」
みたいなことをマジに返されてげんなりした思い出がある
>あれ、腐女子には言わないの?
自分は言っているし、言われている場も幾らでも見ているよ。オタ系のネットなんかだと。
むしろ女の方が「性的なことを口にするのははしたない(=男は性的なことを口にしないと恥ずかしい、インポ扱い)」だから、
叩かれやすいかもね。
元増田が例に出しているけど、
二次元ものならまだしも、ナマモノ(3次元、所謂リアルの男性、有名無名問わず)だと角が立つからねー。
実際に職場の男性2人でBL妄想をしている腐女子(同人誌らしきものを作って職場の女子に配ってとかなんとか)に迷惑をしている男の人が
2ちゃんでスレ立ててたのを纏めたのを見たけど、まー腐女子ひでぇだったしね。
腐女子側がセクハラ(報告者男性→BL腐女子OLへの)だって逆にさわぎたててた、みたいな展開だったかと。
報告者も同僚男も勿論ノンケ。報告者が話盛ってた感じでもなかったから、職場環境の悪さが伝わって来て、余計に悲惨だった。
それ以前に、二次元作品でも、元々の作品のファンには男女いるわけで、その男女のファンから、勝手なBL妄想している腐女子は普通に叩かれてるよ。
進撃の巨人とかの二次創作で、勝手にホモカップル作っている腐女子とかに対してね。
腐女子がオナニーの為(実際に抜いているかどうかは知らんが、目的としてはオナニー以外のなにものでもないだろこれ)に
原作設定を無視、キャラ崩壊、アリもしない捏造カップルに捏造設定と、原作を自分のオナネタの提供元にしか考えていないレベルのバカだとな。
普通に原作読んで(アニメ見て)喜んでいる、作品をこよなく愛する男女のファンから叩かれているけれども、
腐女子側はなぜか「「萌え豚や百合厨(の男オタ)」の「女叩き」と勘違いしている例が多い。
そんなに自分の性暴力性を認めたくないのかな、って思うけど。傍から見てると。
要は、「男だから」「女だから」って、情報発信源の性別の問題じゃないと思う。
1980年代に反解釈がやってきたころにも反権威主義だのを掲げる実際はただの反知性主義の人間たちが過剰に持ち上げ、そいつらの反解釈の実践がしょぼすぎて下火になったが、Charlotte擁護で見かけるとは思わんかった。あの時と同じようにやはり同じような反知性主義の人間が持ち上げていたのでもう苦笑するしか無い。
反解釈は何も考えずに豚になれっていう知的怠惰とは全く逆だ。自分が興味ない部分は全部解釈って枠に押し込めて無視し、自分が興味ある点については感性って言えばおっけーみたいなヌルい態度のやつがソンダクを引き合いにだして何かを悟ったかのように語ってるのマジで滑稽。ソンダクの理論がそんな簡単に実践できるようなものなら誰も苦労しないが、バカはすぐこの理念みたいなところに吸い寄せられて、わかった、俺の感性で勝負すればいいんだ、という勘違いを起こす。反解釈的態度というのであれば、「キャンプの奥の奥にある純真なもの」について自分が官能的態度で感じ取ったものを語るべきだ。だが殆どの人間はそれが出来ない。僕は反解釈的態度で見て楽しめましたって言ってる割に書いてる内容が全くそういう話じゃない。自分が好きだから好意的に解釈するって言ってるだけ。それはただのえこひいきであって反解釈とは程遠い知的怠慢にすぎない。Charlotte擁護してるやつも、"評価するべき点としては、綺麗な映像の数々、楽曲の質、不満を感じさせない人体の動き・アニメーションといった「作品外形」が高水準な所・そして「毎話楽しかった」ところ"などと書いているが、それはそれすべてCharlotteの本質に関係ない部分であってPAWORKSすげえアニメすげえという話しかしてない。これを今期終わった後のワンパンマンの評価に置き換えても何も変わらない。つまり何も語ってない。こいつは作品そのものについては何も語らず逃げたのだ。キャンプそのものは確かに語ろうとすると逃げていくようなものであるが、その輪郭を語ることはできる。それすらもせずにワンパンマンでも語れるようなことしか語れていない以上80年代によく見かけた「エセ反解釈信者」だ。。Charlotteという作品そのものについて語ることから逃げて、僕はこの作品楽しめました。なぜなら反解釈的態度を手にしているからですってアピールしてるけど、成果物が全くCharlotteという作品そのものについて語れていない以上オマエがそう思うんならそうなんだろうなって話にしかならねえ。ただの豚なら余計なもの持ち出してないでブヒブヒ言っていればいいのだ。