はてなキーワード: 自動車学校とは
薄々うちは毒親じゃないかと思っていたがここ数年それに拍車がかかってる
去年看護の専門学校(一応住んでる県では偏差値トップ)に入学して、今2年次なんだけど、専門学校に入学してからが本当に気が狂いそう
まず父親が去年家を出て行って、家からバスで20分くらいのところに住み始めた
母親は嬉しそうだったけど、私は複雑だった
もともと公共料金支払い能力のない人で、父親が家にいる時から電気が止まるのは当たり前で一回水道も止まってびっくりした
そんな状況でも父親に「払って!」って迫れないのは、父親が怖いから
手をあげないだけマシ そう思っても、お金の話を出した途端立ち上がって自分の書斎に行って、気分が悪ければ何日も私たちと顔を合わせない生活を続けるような父親の機嫌を取らなければいけなかったから
父親が出て行ってから機嫌をとることはなくなったけど、学費の催促もできなくなったし母親がパートのお金で生活費を賄うようになり、私たち姉妹にお金をせびったり八つ当たりするようになった
私ももう学校辞めたい 父親は学費払ってくれないし、車社会の今住んでる県で免許ないと生活できないのに自動車学校のお金も誰も出してくれないし、奨学金は母親のカードの返済に使われるし、私は何のために生きてるんだろうってなる
私ももちろんバイトしてるけど、母親の生活費の補填したり父親が払ってくれない学費の補填したり、自学の金を一括で出せるようなお金はない
お金で苦労したくなくて看護師になろうと思ったし、実際看護師の勉強は楽しいのに、私の周りは誰もそれを助けてはくれないんだね
みんなやってる前撮りも母親に「いらないよね?」って言われたら撮りたくても「うん」としかいえなかった
母親は父親にLINEブロックされてて催促できないくせに私に「なんでもっと学費の催促しないの?」って怒ってくるし
本当にリスカしそう
今まで頑張って理性でとどめてきたけど死ぬくらいならリスカくらいしてもいいかもってなってきた
本当に馬鹿みたいだ
早く死にたい
後悔するような人たちだったら今頃こんな仕打ち私にしてないと思うけど
給料が上がらなくて脱サラしたいけど、勇気が出ないサラリーマンのみんなに向けて
就職氷河期世代の既婚、都内在住。数年前に独立して年間売上1200万程度。
仕事は経費がそんなにかからない知的労働系の仕事(身バレ防止のためぼやかす)
妻は年収400万未満。財布は別々。家庭の支出の大半は自分が払ってる。
築30年超えのビンテージマンションをリノベした物件をサラリーマン時代に購入。3000万円台前半。
月々のローンは10万強。あと15年ぐらいで返済完了予定。快適さ最優先で選んだので、おうち大好き。
ちなみに仕事は自宅でやってるので、オフィス費は0。住宅ローンを一部経費に回してる。
一人の昼飯はAmazonや楽天で激安の時に買った松屋の牛丼と生野菜がデフォルト。
既婚者だからか、人望が薄いのか仕事関係の飲みは2~3ヶ月に1度。
予算は3000円以上1万円未満。
家族で外食は月1~2。行く店はだいたい決まっていて顔馴染みの店が数軒。
カフェはよく行く。ファミレスはサイゼ。テイクアウトでグリルソーセージ復活して嬉しい。
高いし食品添加物・化学調味料を避けてるのでコンビニはほとんど使わない。
意識高い系食品のお値打ち品も大好き。業務用食品通販も大好き。
靴、スポーツ系はアディダスとか、ちょっといいデニムはAPCとか、1~2万円程度の服を買うようになった。
スーツも一回オーダーメイドで作ったけど、ほとんど着る機会がないので、それっきり。
娘かわいい。もう一人欲しいけど年齢的に諦めてる。
免許ないので持ってないが、時間的にも経済的にも余裕が出てきたので自動車学校検討中。
免許取得後は、マイカーではなくカーシェアリングを使うと思う。
タクシーは割とカジュアルに使う。特に酔っ払ってて歩いて帰るのが面倒な時に駅から家までの1メーターとか。
現金400万程度、株400万円程度、その他フリーランスの節税対策でidecoや小規模共済は満額で支払い中。
サラリーマン時代は「お金に余裕がない」という感じだったが、今は欲しいものは我慢せずに買えるようになった(とはいえ最安値のタイミングやバーゲン狙い)。
あとはジムに通ったり、サプリやスキンケアにもお金が出せるようになった。
飲食店や小売とは違い、仕入れや家賃などの支出がないのも大きい。
売上は2000万以上を狙いたいけど、一人では捌ききれないので、仕事仲間に外注すると思う(ので、利益はそんなに増えないかも)。
もし、この売上で独身だったら、自己投資額も更に多いだろうし、渋谷とか新宿から徒歩圏内に住んで遊んでる時間も多いと思う。でも、今の生活もそれなりに好き。
車両は、左折するときは、あらかじめその前からできる限り道路の左側端に寄り、かつ、できる限り道路の左側端に沿つて(道路標識等により通行すべき部分が指定されているときは、その指定された部分を通行して)徐行しなければならない。
教習所や自動車学校で習っているはずなのだが、それをすっかりと忘れて、わざわざ右側に一度膨れて左折をする奴がいるのである。
右側にわざわざ膨らむという行為は、周りの車からすれば危険な行為なのだ。
その常識に従わないということは、後続車からしたら予想外の挙動をしているということでもある。そして予想外の挙動というのは事故に繋がりやすい。
二輪車の巻き込み事故や、隣車線の車両との接触の危険性も高いだろう。
このようなリスクが生じることはちょっと考えればわかるはずである。
なぜわざわざ右に膨らみたがるのか。
右に膨らんで曲がったほうがスムーズに曲がれると言うかもしれない。
スムーズに曲がれる?その通りだろう。
だが、そのせいで周囲の車に迷惑をかけていると気付いてないのである。
周囲の車のことを考えれば、右にわざわざ膨らむことはしないはずだ。
それをしているということは、そいつは全く周囲の車のことを考えてない自己中である。
車両感覚に自信がなく、左側に寄せられないと言うかもしれない。
運転技術の稚拙さで周囲の車に迷惑をかけている一例である。左端に寄って曲がれるようになるまで初心者マークを貼るか、もう一度教習所に通って練習することをおすすめする。
安全運転をするためにはある程度の運転技術は必要不可欠なのだ。
そんなところで、周りの車のことを考えないで走ってないだろうか?
そもそも安全運転をするために必要な運転技術を持っているだろうか?
春から進学する予定の専門学校なんだけど、何かの事情で射精科の専属教員のいちばん若い人が女に代わるらしい。
正直いってこんな時期に言いだすのさすがに無くないか?って思ったけど、友人とかによると新しいのはノンケ界隈では割と有名な奴らしくて「お前ほんまツイてるな!○○さん直々に教われるとかめっちゃ羨しいわ」「さすが増田はエリートだもんなあ、将来はお世話になるかもしれんでよろしくな!」とかからかわれて余計ムカつく。
だいたい人生で一度も射精したことありません、みたいな奴に射精教えられるわけなくね?自動車学校の教官が無免許どころかハンドルも握ったことありませんレベルだろそれ。
正直もう普通に大学に進学すればよかったかな、とも思ったけど、でもこの進路を認めてくれた両親の期待を裏切るわけにもいかないし、何かめっちゃつらい。こんなんで春から大丈夫かな…
両親は最終学歴中卒・高校中退で現トラック運転手・水商売の絵にかいたような元ヤン。
下に一回り離れた妹、弟がいる。
子どものころは男なのに母のお古を着せられたり、体操服やランドセル、日用品の諸々は親戚のお古が当たり前なレベルの貧乏だった。
正月にもらったお年玉はすぐさま回収されて子供たちの学費か生活費に充てられていたので、お年玉でほしいものを買うとかいう経験をしたことがない。
お年玉で買ったゲームソフトを見せ合う同級生たちがいつも羨ましかったけど家が貧乏なのはわかっていたので、新聞チラシの裏に俺が考えた最強のゲーム主人公を描いたり伝説の剣を作ったりして過ごした少年時代だった。
そうやって成長していったから貧乏の辛さはわかっていたし、将来はちゃんとした企業に入ってふつうの生活ができる大人になろうと思ってたけど、貧乏な家に生まれた時点で将来もほぼ決まっている。
高校生で進路を決める時もちろん大学進学を希望したが、貧乏な我が家では大学進学費用を捻出することは不可能だ。
反対する親に「頑張ってバイトして学費を貯める、入学後の生活費も自分で稼ぐ、金のことで迷惑はかけない」と訴えたけど、「そんな金があるなら実家に入れろ、家の状況をわかっているのか、妹と弟のためにも高卒で働け」と押し切られ、俺の大学進学の夢は散ってしまった。
元ヤンの親父はめちゃめちゃ怖くて、口答えすると鼻血が出るまでボコボコにされるからチキンな俺は怖くてそれ以上言えなかった。
同級生たちは将来の夢も決まってないけどとりあえず大学にいく、という奴が大半でそれがひどく妬ましかった。
みんな大学に進学できるという事のありがたさを何一つ分からず、ぬくぬくと親に守られ真っ当な人生を歩んでいく。
今思い返すと笑えるが、当時の俺は世界で誰よりも自分が不幸だと思っていた。
そうやって高校を卒業した後は、地元の携帯ショップや工場、呉服屋などを転々としながら死んだ目で働き続けた。
田舎の資格不要高卒可の仕事なので、月給は手取りで10~13万ってとこかな。
そこから家へ6万、残りで自動車学校のローン返済や日々の車維持費、食費、日用品費などを捻出すると貯金もなかなか出来ない。
それでも3年ほど掛けて引っ越し代と当面の生活費を貯めて実家から逃げてきた。
色々あったので簡単に言うと安月給過労で体と心を壊し、先月退職してめでたく無職になったという感じか。
26年間生きてきて、いいことがあったかと言われると何も思い出せない。
親への感謝なんて毛ほども感じないし、大事なものも何一つ作れない人生だった。
唯一の救いは現在の実家は若干だが裕福になったようで、妹弟は希望の進路に進み特に不自由なく暮らせていそうなところか。
とにかくもう疲れ果ててしまった。
真っ当に育ってきた人と話すと「貧乏でも努力すれば幸せになれるよ」「死ぬくらいなら頑張れば何でもできる」と言われるが、大体そういう人は家族に恵まれ自分の知らないところで色々な人に助けられて生きてきた人たちだ。
生まれてきた環境ですべてが決められてしまうやるせなさや頑張っても頑張っても次々と困難にぶち当たる辛さを知らない。
死ぬ人間は本当に死にたかったわけじゃなくて、すべての事から逃げ出したくて最終的に死という手段しか残されていなかっただけだ。
読みにくさについては言及しないで頂くと有り難いです。
字書きをしていて、3年ほどご長寿ジャンルのそこそこ人気のCPの界隈にいた。
そのCPにハマった時は人生で最も筆がノッていて、自分自身も若く溌溂していた。
「ワイ、文章力はないかもせえへんけど、解釈においては天才とちゃうんか!?」と勘違いしていた。
Aさんは連載初期からのオタクで、解釈違いに厳しい人だった。そんな人に作品が好きと言われて嬉しかった。
そもそもこの界隈、解釈違いが多すぎて生き辛かい。その中で解釈がほぼ一致しているAさんとは、非常に話が合った。もうAさんしかいない!と思うぐらいに。
Aさんは発行物は00年代のもの、それととある字書きの作品を好んで読んでいた。その字書きをBさんとする。
Bさんは暗い話、明るい話もどちらも書ける。更に人間の深い深いところまでも文字で表現してくる。
正直、どうしてこんなに書けるのか恐ていた。
限界医療学生で、原稿するよりも症例報告を書く方が大切だと逃げ続けていた。お陰でコピー本しか出した事しかない。
しかしAさんが先述したCPだったらBさんの作品が一番好きと言った。
そこから私の焦りが始まった。
「いや、あの人解釈違い映画に沸いてたじゃん?そもそもカプのデュエットの歌詞にも肯定的だったじゃん??」と心の中で反論した。
私はAさんの一番になれていなかった事が何故か嫌だった。
フォロワーにどんな巨大感情抱いてんだよって思われるが、本当にそうだった。
ようやく実習がはじまり、本格的に書くものが小説から症例報告に変わっていった。
久しぶりにパソコンの前で「疲れたし一丁ホモ書いてやっか!」と意気込んでも千文字も行かずにストップする。
そしてその書いたものはもう二度と日の目を見ない。
いよいよ本格的に書くのをやめた時がきた。
私も書こうと思ったのに、先延ばしにし続けて追い越されてしまった。
その新刊を読んで私の心は完全に折れた。
△が事故で亡くなるのだが、その数年後に△の両親と○が食卓を囲むシーンがあった。
そこで○のセリフで私は殴られた。
作品の核心部で身バレするから書かないけれど、「これよりすごいセリフを書けない」と悟った。
それがひどく軽薄なものに感じた。
もう何も書く気を失った。
終いにはAさんもBさんを絶賛していた。
表にもう二度と出す予定もないし、別の界隈に移れたけれど、そこでも書く気は起こらなかった。
別ジャンルの□◆は好きだが、妄想しようと思っても出来なかった。
字も出てこない状態だ。
Aさん宛になにか書こうと思っても、出来上がったものは拙くボロボロだ。
ムシャクシャして消した。味気もない文章だった。
このとおり私は、体裁の整った文を書けなくなった。
ただ惰性に流されるまま生きてきた私では、ぺらぺらとした、薄暗い話しか書けなかった。
才能もなければ人望もない、誰かの一番になれることも叶わなかった。
結局あると思っていた才能は持っていなかった。
書いていた頃は楽しかった。
天才だったし、いかに文を5文字と7文字の組み合わせで書けるかとか挑戦していた。
今は無理だ。書くだけで精一杯だ。