「脱構築」を含む日記 RSS

はてなキーワード: 脱構築とは

2023-02-10

タバコを吸う事の正当性他人に向けて主張するのは、今の世の中ではあまりにも分が悪い。喫煙害悪の何たるかを語る人には、まあそうやろねとも思う。

さりとて吸いたいものは吸いたいし、別にダメとも言われていないので、すまんこwくらいに思って愚行権行使してる。非難言葉に対しては心をシャットアウトしてやり過ごす。

正しくない側で自身正当化せず、卑屈にもならない。逸脱と脱構築ですわ。

2022-12-24

会話してるとき意味不明質問してくる人がいるけどあれはなんなんだろうね。会話の内容(修飾関係がどうなってるか、代名詞は何か、文全体の論理的構造)が理解できてないってことなんだろうけど、それって日本語文法自体が危うそうじゃん。

でも日本語を話すことは普通にできるわけよね。彼らの言ってる受け答えは脱構築されたものとしては文法上等に異常はなく、ただ問題とする文脈に置かれたものとしては不適合ということなんだから

これは英語学習などの常識で考えれば奇妙なことだ。文法理解できずにネイティブ違和感を持たれない発信ができるとな。

あいった人種ってまじでなんなんだろう。ディスレクシアでは少なくともない。会話が理解できてないんだから。かといって知的障害かといえば知的障害ならまともに言葉を話せないはずなのでそれもないと思われる。謎だ。

2022-07-18

東浩紀さんが批判されてるけどさ・・・

東さんってデリダ好きだったよね、たしか

それでこれ思い出したわ。

でも,あれは本当のところ一種哲学貧民窟だね.ラッセルウィトゲンシュタインフレーゲ時代あんなゆるゆるな論理構成の本が書かれるなんて,耐えられないよ.あれでやってけるのは,相手にしてる読者が専門分野で有能な哲学者じゃないからじゃないかな.彼らは文学理論みたいな他分野の人たちに向けて話してることが多いよね.それに,哲学はいつもこんなふうに考える一派がいるんだ,「いや,ぼくらは自分たちの専門だけを狭くやるばかりじゃいけない.こういう他のアイディアにも開かれてなきゃね」って.新しいアイディアに開かれている方がいいってのは全面的に賛成だけど,まともで高度な哲学著作と,知的に許容できない著作との区別はしないとね.

このことは前にミシェル・フーコーに言ったことがある.デリダに対する彼 の敵対心ときたらぼくすら上回るくらいだけど,その彼が言うには,デリダは obscurantisme terroriste(テロリズム的蒙昧主義)って手法実践してるんだって.ぼくらはフランス語で会話してたんだ.で,ぼくはこう言った,「いったい そりゃなんのこと?」 で,フーコーが言うには,「デリダはすごくあやふやな 書き方をして,何を言ってるんだかわからなくするんだ.これが「蒙昧主義」の部分.で,人がじぶんを批判すると,『あなたは私を理解していないよ.あた まがわるいね』とくる――これがテロリズムの部分だよ.」 これが気に入ってね.脱構築について文章を書いたときに,ミシェルにその発言引用してもいいかなって訊いたら,「いいよ」って言ってくれたよ. フーコーしょっちゅうデリダと一括りにされてた.でも,それはフーコー に対してすごくアンフェアだよ.彼は思想家としてデリダとはまるで器がちがう.

https://blueeyedson.hatenablog.com/entry/20111201/1322730931

以下が背景ね。

ジャック・デリダによるサールへの最初攻撃は1971年行われた。サールはタイプ原稿9枚の感想を書いた。その後サールは発話行為自然な発展的研究主題として志向性研究に専念し、1983年『志向性』を公刊する。この書評はその直後であるデリダは、アメリカディコンストラクション派の無名雑誌ジラフ」に、サールの感想文を引用して解体たかのような長大文章掲載し、1993年サールに無視され続けたデリダは「討議倫理」に関するさらなる文章をつけて『有限責任会社』を1990年公刊する。日本ではこの版のみが知られ「サール=デリダ論争」というものがあったという神話法政大学出版局によって広められた(邦訳2003年刊、『ジョン・サールとの会話』にて詳述)。同年サールはNew York Review of Booksに”The Storm Over the University

” 1990を掲載(未邦訳 http://www.ditext.com/searle/searle1.html )。ここで『社会的現実構成』に一部含まれポストモダニスト批判を展開した。1990年代社会生物学論争と「マーガレットミードサモア」による文化相対主義批判勝利さらに1994年アラン・ソーカルによる疑似論文投稿に始まるソーカル事件が起こり、以降フランス哲学者らの理論アメリカフレンチセオリー別称されるようになる。

https://freespeechact.wordpress.com/about/analyticphilosophy/searle/%E9%80%86%E3%81%95%E3%81%BE%E3%81%AB%E3%81%AA%E3%81%A3%E3%81%9F%E8%A8%80%E8%91%89/

2022-06-18

Hunter X Hunterの原稿が進捗ているらしい謎のTwitter情報が現れているけれども、暗黒大陸へ向かう船の中の、主人公たちとは微妙関係のない王族の話がまとまったとして、どうやってお話全体が終わるのか、または、物語全体の終わりに向けて、王族蠱毒が何の意味を持つかということを考えると、「得ることと失うこと」に何らかの意味がありそうと妄想している。

あの作者は連載が長くなると、それまで構築してきた少年漫画的な構造に飽きて、脱構築を始める感じがあるけれども、今回もきっとそうで、主人公ゴンが真っ当に力を得て成長する物語を既に手放している。成長して、父親を乗り越えるという流れを放棄すると、主人公が手に入れるのは何か。それはもしかすると「失うことで何かを得た」「全ての力を放棄することで別の何かを見出した」ことになるんじゃないか。念という超能力を失い、別の何かを得る。戦い続ける道を捨て、別の冒険に出る。そういった何か。

そこに行き着く前振りとして、念獣、他人に突然与えられた力を使った争いを描いているとすると。結末は「全てを放棄した人物が、戦いを終わらせる」みたいなオチ。真っ当に戦った人間勝利を得る直前に、全てを捨てた人間が答えにたどり着く。そんな妄想

2022-05-10

anond:20220510090614

お前みたいなクズが多かったから、かつて脱構築ってやつが持て囃されたんだろうな

2022-03-02

ロシアアメリカ中国

権威権力が一体化している国家が争っているよね

それらを分離すれば平和になるっぽい

権力を持つ人が権威も持とうとするとき軋轢が生じる

GHQ頭良かったのかも

だけど権威をあらかじめ持っている側に人権がなくなるわけで

人ではない何かに権威を持たせることができればいい

それこそが宗教なんだけども、宗教身体を巻き込むからなぁ

テクノロジーでなんとかならないか

生物としてのヒトを脱構築するみたいな

2021-08-26

anond:20210826224224

ホソモーシャルで脱構築っていう奴だな!俺知ってんだ。

2021-03-16

anond:20210315224407

そもそも正しいとかどうでもええねん

「正しい」とか言い出すと今の研究哲学だって難問やろうしな

p値出してハイ終わり〜なんて一分野だけの正しさやで

脱構築はたしか他人経験否定せず受け入れて構築していくみたいな感じやったわ

従来研究へのアンチテーゼにしても雑やんな

ちなみに一人一派もその多様性肯定から来てるねん

まぁこれが有効なんって哲学文学さらにごく狭いとこやろうけど

まりに前時代文系研究すぎるしその分野の人も気にしてへんちゃう

ただ、その研究のとこで脱構築だのなんやかんや言うのは好きにして〜って感じやけど、女性問題って現実問題フェミニズムって社会運動にこれ武器として携えたのアホちゃうかって思うわ

結局いろんなグチグチした話集めただけやんな

2021-03-15

anond:20210315224111

この学問脱構築ってどういう意味なんだろう

男だらけでやってきた学問には論理破綻が見られるから女が正すってことかな

女の論理が正しいとされる根拠はなんだろうか

anond:20210315133310

女性学(じょせいがく、英: women's studies; 仏: études féminines)とは、第二波フェミニズムからまれた新しい学問領域であり、従来の男性中心主義的な学問客観性中立性を問い直し、これまで度外視または過小評価されてきた女性存在経験問題・関心を顕在化、言語化理論化し、これによって従来の知の体系の脱構築を目指す幅広い学際的研究である[1]。

領域としては社会学人類学法学経済学地理学倫理学文学歴史学哲学など従来の人文・社会科学の各領域個別にまたは分野横断的に関わる学問であり、女性研究音楽アート映画メディア等に関するフェミニズム批評さらにはケア倫理エコフェミニズムなど新たな概念提唱されている。

増田が言ってるのもっと雑な世界やろうけど、アカデミックの方もこんな感じやからそんな現状らしいで

2021-01-30

anond:20210130183106

なんでかというと上座部の方が今となっては教理があるから

大乗仏教って何をやるんですかっていうと、お葬式やって、ふにゃふにゃしたお説教して、いい加減なもんでしょ。

言うほど大乗仏教って教理いか

いやたしか日本仏教がふにゃふにゃなのは同意なんだが、大乗仏教歴史ざっと見ると、龍樹とか世親とかのビッグネームがいるじゃん

こいつらが説いた理屈はかなり強度がありそうに思えるから、潜在能力としてはなかなかしっかりした教理がありそうに思える

ポストモダンというのは基本的に「色即是空」としか言っていない。

仏教はそこから空即是色」としてこの世界を引き受けようとするところがある。

ポストモダン的に言うと、すべてのものには本質根拠意味なんかなくて、単に名前をつけられた存在にすぎない。

から脱構築して宙吊り状態で生きろと。

でも仏教は、であるが故にこの世の中をどういうふうに引き受けるのか、この現世の中で意味ある生を生きていくのか、その精神をもう一度問う。

そこがポストモダンを乗り越える一つの入り口になるんじゃないかと思ったんです。

https://technique.hateblo.jp/entry/20110602

あとついでにこの記事示唆的なんだけど

大乗仏教はプレモダンのように思えて、実はポストモダンを超克し得る可能性があるらしいんだわ

色即是空空即是色つってるからここで言及されてる「仏教」は大乗仏教のことだわな)

こんな感じで、上座部現代思想として捉えたとき、どういう視点提供できるのかについてわりと気になってるんで、詳しい人いたら教えて欲しい

2020-09-30

anond:20200929162302

横だけど。

「男をやめた」「男を降りた」←この手の表現気持ち悪さってツイフェミちんぽ騎士団気持ち悪さと同質のものなんだよな。

どうせおまえら以前は如何にもなホモ世界観で弱い男子嘲笑って蔑んで生きてきたくせに、何を今更という気分がすごい。(被害妄想)

千葉雅也氏の以下のツイートには頷き過ぎて首が千切れた。

2020-09-08

anond:20200907223020

元増田の言いたいこととブコメの内容や流れとがかけ離れてしまっているのでちょっと書きたくなった。

要点は以下の通り

元増田は「傷付いた」概念解体しようとしている

まず「傷付いた」という考え方は、多くのブコメが書くように、ある。存在している。

ただし、他の感覚全てがそうだけれども、「傷付いた」という言葉言語によって諸人が感覚を構築してきたという背景・歴史がある。

構築にはある程度共通経験少女漫画でもなんでも)があり、日本語としての「傷付いた」がこれを結びつけている。

元増田はこの「傷付いた」を一度構築し直しませんか? と言いたいのだ。

ただ、言い方が結構雑で「嘘の概念」とまで突き放してしまっているので、

ブコメでは「傷付いたことがある」「元増田感情が欠落している」などの反応が多く、建設的な議論に発展しにくい要因になってしまっている。

ところが、元増田は「傷付いた」概念解体してどのような効用があるのか明言できていない

では、元増田はどうするべきだったのか。

もっと感情を「傷付いた」カテゴライズに放り込むデメリットや、そうしないことに関してのメリットを示すべきだったと私は感じている。

元増田ブコメなどへの返信でようやくその片鱗をみせているが、確かに「傷付いた」を一度考え直してみるのは良いことなのかもしれない。

ただし「ムカついた」「ビビった」もまた「傷付いた」と等しく、感覚言語で取りまとめられているに過ぎない。絶対的指標は、ない。

元増田もまた人生の中で、他の人が「傷付いた」ような経験をして、色々「ムカついた」り「ビビった」りしているのだろう。

その感情の処理がどう効用があるのか、「傷付いた」を常用している人に訴える射程がないと、話が噛み合わないのだ。

「傷付いた」の現状

元増田がなぜ「傷付いた」概念に疑問を抱き、それを脱構築しようと考えたのかはわからない。

以下は私個人の感じていることだ。

ネットでは「繊細ヤクザ」というスラングがある。

誰しもが情報を色々なところで発信できるようになり「私はこんなに傷付いています!(だから配慮してね)」「私は傷つく恐れがあります!(だから配慮してね)」が必要以上に溢れている世の中になったことは確かだ。

誤解のないよう述べておくと、当然社会的に十分以上の(例えば違法仕打ちなど)をされた人が必死の訴えでそう述べるのは重要なことだ。そして人生の中で「傷付いた」経験は各員日々生じているだろう。

しかしたら元増田は「傷付いた」で周囲を困惑させるある少数の人々の振る舞いが気になっているのかもしれない。

終わりに

じゃーこの増田&ブコメから何を考えればいいのだろうか。せっかくの秋の近く火曜日。何かちょっとでも考えたほうがいいような気が、私はしている。

元増田が雑だけど訴えている通り、確かに「傷付いた」カテゴリになんでも放りこまず、もう少し考えるってのは大事かも、と思う。

ブコメでも、自分が「傷付いた」と感じるときはどういう時だろうか、と考察している方がいる。

「傷付いた」を一度解きほぐすことは、確かに自分生活心理面を考える上で役立つかもしれない。

同時に「ムカつく」「ビビった」も解体してみるといいだろうし、「怒り」「安楽」など当たり前にあるような言語で示される感情の、それぞれの内実を省みることは、きっと生活重要と思う。

2020-05-04

日本語圏の不自由について考える

「いつかの休日、野山を散策していたら大きな栗を抱えた一匹のリスを目撃した。」という事実があったとして、果たしてその話題は日の目を見ることがあるだろうか、という事を思案する。

「栗の実をほおばる栗鼠の姿を描いた絵画」は果たして公開されることが許されうるのか。「栗と栗鼠」という題を避けたとしても、コンテクスト批評から果たして逃れうるものなのだろうか。

リスは「栗鼠」の音読である。栗とリスはかように関連性の高い語句であって、栗とリスの語句は決して忌避されうるものである筈がないのであるしかしながら、この「陰核」なるものを想起される

事を回避する手段が完全に奪われて久しい令和の世に於いては、この栗とリスはもはや暴力であるかのように我々日本語話者の脳細胞に直接作用せしめ、思想とは無関係女陰のある一点

イメージを否応なく上書き破壊脱構築してゆく。嗚呼このおぞましき精神的DVたるや、何故に大きな栗の木の下で遊んでいるのは二匹の可愛らしい栗鼠であってはならないのか。何故に

この詩的かつ純粋空間於いて栗と栗鼠が存在すら許されず原罪を抱えたままで楽園追放されうるか

2020-04-08

anond:20200408170522

降りた先にまた新しい男性性が生まれ

 

自分適当に言ってみて思ったけど、これ脱構築だな。こりゃ今日流行らんよ

2020-03-25

anond:20200325143025

現代建築における脱構築主義代表する建築家の一人で、コンテストに優勝しても、デザインが奇抜すぎて建築されなかったことも多いことから、「アンビルト(建たず)の女王」の異名を持っていた

2020-01-12

フェミニズムさん労働と闘ってください

バカにしてるとかじゃなくてマジで闘って欲しい まずは女性解放とかLGBTQでいいし俺が生きてる間じゃなくていいけど、とにかく労働と闘ってくれ

だっておかしいだろ 「気付いたら生まれてた」としか言えない状態なのに時間経過とともに勝手に「成熟した」ことにされて、お前はもういい大人だ、お前を育ててくれた社会に報いるためにも自己責任において金を稼げ!って社会が言ってくるんだぞ

これが人権侵害じゃなかったら何が人権侵害なんだよ

「やりたいことだけやって生きようなんて甘え」みたいなのが普通に受け入れられてんのダメだろ いやこれまではそうだったのかもしれないけど、そういう規範みたいなのを壊していく 脱構築?っていうのがフェミニズムの根幹にあるらしいじゃないっすか

出番っすよ

働かなくていい社会を作るか、どうしても作れないっていうんだったら子供を作るのをやめさせる これしかない

2019-12-30

ネタばれスターウォーズの続3部作は何をやろうとしていたのか

スカイウォーカー夜明け」については、ほぼこの記事同意

ネタバレレビュー批評】『スター・ウォーズスカイウォーカー夜明け』は何を終わらせたのか

─ 『最後ジェダイ再考から読み解く完結編 | THE RIVER - Part 2

https://theriver.jp/tors-review-2/2/

では、続3部作は、何をしようとしていたのか。

そもそもスターウォーズ1983年に完結している

今回、「スカイウォーカー物語が完結」と、さかんに宣伝しているけど。

それはフェイク。

そもそもスターウォーズは、1983年エピソード6の「ジェダイの帰還」で完結している。

から、新三部作(プリクエル・トリロジー)は、前日譚を描いているわけで。

今回の続三部作は、「ジェダイの帰還」で終わっていなかったことにして始まっている。

ちょっと意匠を変えて悪の帝国を復活させて、レジスタンスは、まだレジスタンスのまま。

なぜ、あらためてスカイウォーカー物語を終わらせる必要があったのか

三部作と新三部作は、よくも悪くもスカイウォーカー家の物語ありすたからね。

スターウォーズユニバース拡張・発展させるためには、それを脱構築(?)する必要があった。

三部作作品として成功しようが失敗しようが、メッセージは明確だよね。

これからスターウォーズシリーズは、どうなるのか

スターウォーズユニバースは、これからも続く。

三部作ずつ描くというスタイルからも抜け出して、もともとの構想にあった連続活劇 - Wikipediaになったんだ。

三部作の行き当たりばったり具合は、結局そこを目指していたんだ!

もう誰にも止められないビッグビジネスだし(w

今回、スカイウォーカー物語区切りがついたので、「ハンソロ」みたいな中途半端キャラの復活は必要ない。

いっそ、フォースも忘れ去られた、さらに数百年後とか描いて欲しい。

あれだけの科学技術があるんだから、もともとの素質と厳しい修行必要フォースは、機械仕掛けで置き換えて。

科学に裏打ちされた風の、超大作スペースオペラ連続活劇になるのだ。

ファンは、必ず観に行くよ!

2019-11-09

anond:20191107140353

節子、それ社会学フェミニズムやない、文学理論フェミニズムや。フェミ違い。

何にでも「ジェンダー関係の不均衡」を見出して語る芸の一派でな。

他にも見出すべきネタによって、「階級闘争」(マルクス主義)、「統一のある経験可能性」(ニュークリティシズム)、「エディプス的葛藤」(精神分析)、「転覆的なエネルギーの封じ込め」(ニューヒストリシズム)、「テクスト自己脱構築的な性質」(ディコンストラクション)、「帝国主義の閉塞」(ポストコロニアル理論)、「ヘテロ・セクシュアルな基盤」(ゲイレズビアンスタディーズ)とかいろいろあるんや。

ログイン ユーザー登録
ようこそ ゲスト さん