はてなキーワード: 考える力とは
自分はオリンピック反対派でオリンピック応援するのも嫌だと思ってる立場だ
伝染病が流行っててリスクが高い終息もしていない時期に大量の関係者が集まらないといけないスポーツの祭典をなぜやるのかと憤慨している
鈴木宗男とは真逆のオリンピック反対派だが、蓮舫のようにオリンピック反対してたくせにオリンピック応援してる見てる人間は気分が悪い
そもそものところ、やるべきでないタイミングで人が集まるスポーツの祭典を実行しようとするIOC、政府、東京都などに不満がある
ただできれば選手個人それぞれの意思でこのタイミングでオリンピックをやるのはおかしいと辞退してほしかった気持ちはある
まともな思考、理性があれば、このタイミングでオリンピックをやるのは無理だと判断できるのが普通だと考えるからだ
そういう判断をし辞退の決心や行動をできる選手がほとんどいなかったので、結局彼らも弱い流される立場の人間なのだろうと受け止めている
本題に戻すが、オリンピック反対派でオリンピック応援している人間は3歩歩いたら記憶をなくしてしまうような鳥頭の人間なのではないか
オリンピックを反対したのに、オリンピックを応援するその思考や感情が理解できない
もう少し筋を通すとか整合性を気にするとか全体の流れを考える力がない知的障害者か何かの類ではないかと愕然としている
オリンピック反対をしてたくせにオリンピックを応援し、そして今オリンピック期間中にコロナの新規感染者増加が止まらず過去最高を塗り替えていく
医療崩壊も止められず緊急搬送ができず死ぬ人が出たりするだろう
そういった流れになる可能性がとても高い
オリンピック反対をしてたくせにオリンピックを応援してる人に聞きたい
やっぱりオリンピックやるべきじゃなかったとオリンピック応援してた後に思った時にどうするんだ?自分が恥ずかしくなったりしないのか?
オリンピック賛成派から見てもオリンピック反対派から見ても、オリンピック反対をしてたくせにオリンピックを応援してる人は思考や感情の整合性が取れないヤバい人間の類になってしまうのではないか
やっぱり、ちょっと複雑な情報処理が苦手ってタイプなのかなぁと思いました。
仕事1つするにしても、その仕事を構成する小さな複数の仕事に分割して、
その小さな仕事を効率よくこなす順番を考えて、ときどき、イレギュラーな例外事例に対応できないといけないのが
慣れないとできないのかもしれません。
学生時代の試験勉強並みに、普段の仕事でやるべきことを細かくまとめて、繰り返し復唱して暗記する。
朝、仕事を始めるまえに今日やるべきことを想像してイメージトレーニングする。
てほしい。
プログラミングを理解できない人はいます。いい加減この事実を認めて下さい。
こういう話になると、やれ「教え方が悪い」だとか、やれ「順序立てて学べば誰でも理解できる」などという輩が出てきますが、それは事実に反します。
まず、プログラミングは手順さえ覚えれば誰でもできるようになると言うものではありません。プログラミングを理解するには、一定レベルの論理的思考能力を要します。それが身に付いていない人には無理です。また、どんなレベルの人でも、プログラミングで分からないことは出てきます。プログラミングができる人は、そういう時に、
といったことをして解決する力があります。そういう試行錯誤をしない人や、複雑だったり抽象的な概念を突き詰めて考えることをしない人に、プログラミングを理解するのは不可能です。
たとえば、再帰関数が分からないとしましょう。具体的に何が分からないのかは人によって異なります。たとえば、
など。これらを解決するには、自分で仕組みを突き詰めて考えたり、コードを書いてデバッグしてみたり、調べたり人に聴いたりするしかありません。講師が気の聞いた喩え話などをすれば、たちまち疑問が氷解するなどということはあり得ません。
また、一口に「プログラミングを理解する」と言っても、そのレベルは様々です。
最初の2〜3程度が「自分の思うプログラミングの全て」な人が、軽々しく「プログラミングは誰でも理解できる」などと思わないでいただきたいのです。それは実用上は全然足りていません。サンプルコードをググりながら、やっとこさVBAで複数のエクセルファイルを集計できる程度の人が「プログラミングできる」気になっていては困るのです。
上記の大部分は、自分のプログラムを他人に見せるつもりのある人なら十分に習得しておく必要があります。ましてや、プログラミングで飯食おうと言う人間が、FizzBuzzに毛の生えたようなコードを読み書きするのに精一杯で、効率や保守性に気を配れないのは論外です。
上記の特に後半に書いたようなことは、誰にでもできることではありません。ちょっとしたコツや方針を守れば機械的にこなせるというものではなく、技術力の高い人でも熟考を要することです。彼らは、そうした高度なことを正しく考える力があるから、技術力が高いのです。そういう力は、誰かに用意してもらったカリキュラムを受動的にこなすだけではまず身に付きません。
ジャーナリスト、ノンフィクション作家として有名な立花隆。
「ぼくの血となり肉となった五〇〇冊 そして血にも肉にもならなかった一〇〇冊」で、次のような予測を書いている。
滅びるどころか、テレビゲームは社会に浸透し、eスポーツとして社会に益をもたらしている。
前頭前野のβ波がα波に比べて低くなる。
β波が低くなった状態は、痴呆症(認知症)の脳波と一緒になる。
森昭雄の学説と実験については、ゲーム脳を支持した連中に負けないくらい、反論と批判が多い。
森昭雄が実験に使った「α波β波解析用携帯型脳波計」に問題があるとか、
さらなる問題は、ゲーム脳を肯定し、いい加減な結論を下した立花隆だ。
立花隆は2000年代前半に話題となった「キレる若者」についても、鵜呑みにしている。
「最近の若者は羞恥心がない」「若者の相当数は脳機能が低下してる」などの俗説を、無批判に垂れ流している。
考えなければならないのは、ゆとり教育で週五日制になった結果、子供たちがいちばんふやした時間がテレビゲームに費やす時間だったという事実だ。(P.329)
デジタルゲームとeスポーツの発展において、立花隆の言説は害悪だ。
死んで良かった。
気乗りはしないし、これはあくまで個人的な考えだということを前提に聞いてほしい。
ぶっちぎりで感染拡大してるにも関わらず維新を支持し続ける大阪を
みんなで結託して、徹底期に大阪を叩きまくる
なぜこれが必要なのか
まともな思考力や倫理観を持つ人の割合が少ないと思う。遅れている人達だと言わざるをえない。
(俺の主観で申し訳ないが、みんな薄々気づいているのではないだろうか。)
アメリカはまともな人達が声をあげ4年でどうにか変わろうとしている。
だが日本は政治家の醜態や、オリンピック、コロナ対策のグダグダをこれだけ魅せつけられても一向に変わる気配がない。
考える力のない人たちに
まともなコロナ対策、正論を言ってもそもそも理解する頭がないし
感染して苦しんでいる人がいると訴えても
アメリカは前者の方法で気付ける人が過半数だから大統領が変わった。
最近はそうやってないがしろにされてきた社会の問題が相次いで表面化している。
自分の頭で考え問題を解決しようとするのを、冷笑する人が多い。
この世間の目を逆手にとる。
世間の目(権力者、マジョリティ、会社や所属する組織)に正論や倫理で対抗する形で運動を起こしても日本では盛り上がらない。
だが自分が多数派となって叩く側にまわれるのならば喜んで参加する人は沢山いる。
その標的を大阪にする。
維新の会はネオリベ的姿勢を打ち出すことで時代の波に乗り、若い層を中心に支持を集めているが
イソジンや、都構想の失敗、そして1000人越えの感染者とわかりやすい失策も多い為、
また政府によるメディア統制と違い、在阪メディアの影響力は大阪内に限られる。
大阪以外の人々は大阪で起こっている事を客観的に見ることができる状態だ。
ここで一気に攻勢をかける。
維新の失策を徹底的に晒し上げ、そんな維新を支持している大阪をこれでもかと叩くこと。
また、これらをなるべく穏やかな口調で紳士的に行うこと。
こういったやり方が有効なのは渦中にいる大阪に対してだけではない。
ああはなりたくないと思い、少しは自覚が芽生えるだろう。
俺だって本当はこんなことしたくない。
建設的な話合いで済めばどれ程いいだろうと思う。
だが考えれば考えるほど大阪をまともな地域に戻すにはこれしかないという結論になってしまう。
いや、こんなやり方はしたくないという気持ちは分かる。
でも仕方ないことだ。
アメリカとは違ったタイプの国である日本に対してそれにあったやり方をするというだけだ。
最初から正義感に溢れているアメコミのヒーローのようなタイプと
最初は臆病あるいは性格が悪いが、事件に巻き込まれていくにつれ勇気のある
後者の場合は最初から正義の為に戦うことは絶対にない。ストーリーに関わらせるためには
自分の身の安全や、金、同調圧力など、ある意味不純な動機が必要になる。
(例えば、店員や部下を罵倒するのを我慢した人に電子マネーを支給すれば少しはマシな世の中になるだろう。)
日本はその段階にあるというだけだ。だから今正論を言っても無駄なのだ。
感染者が1000人を突破した日に聖火リレーをやるのはおかしいということ
当たり前のことを分かってもらうのは、「世間の目」によって多少なりとも状況が好転した
後でいい。というか説明した通り後じゃないと無理だ。
まあ、「なにゆえ勉強が必要か?」という問いを本気で考えている子供は頭が良くて成績もよいから心配しなくても良い。
少し考える力がある子はそんなことを考えてはいつつも、周りのヤベー連中を見渡した時に、とくかく勉強しねーのヤベーわ、って気が付くからだ。ソースは俺だ。
俺が小中学生のカテキョーやって気が付いたのは、まじで勉強嫌いの子供が多いって事だ。
いままで100人ぐらい見てきたけど子供の9割は勉強嫌いで、その内半分ぐらいは「超」勉強嫌いだ。
俺:「よし、じゃあこれ解いてみ」
子:「問3ね、わかった」といいつつ、1分間ぐらいボーっとしている。
俺:「手とまってんな、まず全体の個数があんだろ・・」
子:(よっしゃ、説明始まったぞ、これで勉強時間消費できるわ)と思ってるかの如く、ノートの余白に悟空の絵を描き始める。
こういう子供も一丁前に「勉強なんかする意味あんの?」みたいなことを言うけど、こいつらは勉強中にこういう質問を親とかカテキョーにしてくるんだよ。
つまり、その目的は勉強時間を少しでも減らすこと、勉強以外で時間を消費するためにこういう質問をして勉強から逃れようとする。
まあこいつらも冬休みに入るぐらいになるとカリカリやりだして、親なんかはようやく真剣に勉強しだした姿を見て感動するんだけどね。
ハックニー馬[※1]のしっぽのような、巫戯《ふざ》けた楊《やなぎ》の並木《なみき》と陶製《とうせい》の白い空との下を、みじめな旅《たび》のガドルフは、力いっぱい、朝からつづけて歩いておりました。
それにただ十六哩《マイル》だという次《つぎ》の町が、まだ一向《いっこう》見えても来なければ、けはいもしませんでした。
(楊がまっ青に光ったり、ブリキの葉《は》に変《かわ》ったり、どこまで人をばかにするのだ。殊《こと》にその青いときは、まるで砒素《ひそ》をつかった下等《かとう》の顔料《えのぐ》[※2]のおもちゃじゃないか。)
ガドルフはこんなことを考えながら、ぶりぶり憤《おこ》って歩きました。
それに俄《にわ》かに雲が重《おも》くなったのです。
(卑《いや》しいニッケルの粉《こな》だ。淫《みだ》らな光だ。)
その雲のどこからか、雷《かみなり》の一切れらしいものが、がたっと引きちぎったような音をたてました。
(街道《かいどう》のはずれが変《へん》に白くなる。あそこを人がやって来る。いややって来ない。あすこを犬がよこぎった。いやよこぎらない。畜生《ちくしょう》。)
ガドルフは、力いっぱい足を延《の》ばしながら思いました。
そして間もなく、雨と黄昏《たそがれ》とがいっしょに襲《おそ》いかかったのです。
実《じつ》にはげしい雷雨《らいう》になりました。いなびかりは、まるでこんな憐《あわ》れな旅のものなどを漂白《ひょうはく》してしまいそう、並木の青い葉がむしゃくしゃにむしられて、雨のつぶと一緒《いっしょ》に堅《かた》いみちを叩《たた》き、枝《えだ》までがガリガリ引き裂《さ》かれて降《ふ》りかかりました。
(もうすっかり法則《ほうそく》がこわれた。何もかもめちゃくちゃだ。これで、も一度《いちど》きちんと空がみがかれて、星座《せいざ》がめぐることなどはまあ夢《ゆめ》だ。夢でなけぁ霧《きり》だ。みずけむりさ。)
ガドルフはあらんかぎりすねを延《の》ばしてあるきながら、並木のずうっと向《むこ》うの方のぼんやり白い水明りを見ました。
(あすこはさっき曖昧《あいまい》な犬の居《い》たとこだ。あすこが少ぅしおれのたよりになるだけだ。)
けれども間もなく全《まった》くの夜になりました。空のあっちでもこっちでも、雷《かなみり》が素敵《すてき》に大きな咆哮《ほうこう》をやり、電光のせわしいことはまるで夜の大空の意識《いしき》の明滅《めいめつ》のようでした。
道はまるっきりコンクリート製《せい》の小川のようになってしまって、もう二十分と続《つづ》けて歩けそうにもありませんでした。
その稲光《いなびか》りのそらぞらしい明りの中で、ガドルフは巨《おお》きなまっ黒な家が、道の左側《ひだりがわ》に建《た》っているのを見ました。
(この屋根《やね》は稜《かど》が五角で大きな黒電気石[※3]の頭のようだ。その黒いことは寒天《かんてん》だ。その寒天の中へ俺《おれ》ははいる。)
ガドルフは大股《おおまた》に跳《は》ねて、その玄関《げんかん》にかけ込みました。
「今晩《こんばん》は。どなたかお出《い》でですか。今晩は。」
家の中はまっ暗《くら》で、しんとして返事《へんじ》をするものもなく、そこらには厚《あつ》い敷物《しきもの》や着物《きもの》などが、くしゃくしゃ散《ち》らばっているようでした。
(みんなどこかへ遁《に》げたかな。噴火《ふんか》があるのか。噴火じゃない。ペストか。ペストじゃない。またおれはひとりで問答《もんどう》をやっている。あの曖昧な犬だ。とにかく廊下《ろうか》のはじででも、ぬれた着物をぬぎたいもんだ。)
ガドルフは斯《こ》う頭の中でつぶやきまた唇《くちびる》で考えるようにしました。そのガドルフの頭と来たら、旧教会《きゅうきょうかい》の朝の鐘《かね》のようにガンガン鳴《な》っておりました。
長靴《ながぐつ》を抱《だ》くようにして急《いそ》いで脱《と》って、少しびっこを引きながら、そのまっ暗なちらばった家にはね上って行きました。すぐ突《つ》きあたりの大きな室は、たしか階段《かいだん》室らしく、射《さ》し込《こ》む稲光りが見せたのでした。
その室の闇《やみ》の中で、ガドルフは眼《め》をつぶりながら、まず重い外套《がいとう》を脱《ぬ》ぎました。そのぬれた外套の袖《そで》を引っぱるとき、ガドルフは白い貝殻《かいがら》でこしらえあげた、昼の楊の木をありありと見ました。ガドルフは眼をあきました。
(うるさい。ブリキになったり貝殻になったり。しかしまたこんな桔梗《ききょう》いろの背景《はいけい》に、楊の舎利《しゃり》[※4]がりんと立つのは悪《わる》くない。)
ガドルフはそれからぬれた頭や、顔をさっぱりと拭《ぬぐ》って、はじめてほっと息《いき》をつきました。
電光がすばやく射し込んで、床《ゆか》におろされて蟹《かに》のかたちになっている自分の背嚢《はいのう》をくっきり照《て》らしまっ黒な影《かげ》さえ落《おと》して行きました。
ガドルフはしゃがんでくらやみの背嚢をつかみ、手探《てさぐ》りで開《ひら》いて、小さな器械《きかい》の類《たぐい》にさわってみました。
それから少ししずかな心持《こころも》ちになって、足音をたてないように、そっと次の室にはいってみました。交《かわ》る交《がわ》るさまざまの色の電光が射し込んで、床に置《お》かれた石膏《せっこう》像《ぞう》や黒い寝台《しんだい》や引っくり返《かえ》った卓子《テーブル》やらを照らしました。
(ここは何かの寄宿舎《きしゅくしゃ》か。そうでなければ避病院《ひびょういん》か。とにかく二階にどうもまだ誰《だれ》か残《のこ》っているようだ。一ぺん見て来ないと安心《あんしん》ができない。)
ガドルフはしきいをまたいで、もとの階段室に帰り、それから一ぺん自分の背嚢につまずいてから、二階に行こうと段《だん》に一つ足をかけた時、紫《むらさき》いろの電光が、ぐるぐるするほど明るくさし込んで来ましたので、ガドルフはぎくっと立ちどまり、階段に落ちたまっ黒な自分の影とそれから窓《まど》の方を一緒《いっしょ》に見ました。
その稲光りの硝子《ガラス》窓から、たしかに何か白いものが五つか六つ、だまってこっちをのぞいていました。
(丈《たけ》がよほど低《ひく》かったようだ。どこかの子供《こども》が俺のように、俄かの雷雨で遁げ込んだのかも知れない。それともやっぱりこの家の人たちが帰って来たのだろうか。どうだかさっぱりわからないのが本統《ほんとう》だ。とにかく窓を開いて挨拶《あいさつ》しよう。)
ガドルフはそっちへ進《すす》んで行ってガタピシの壊《こわ》れかかった窓を開きました。たちまち冷たい雨と風とが、ぱっとガドルフの顔をうちました。その風に半分声をとられながら、ガドルフは叮寧《ていねい》に云《い》いました。
「どなたですか。今晩《こんばん》は。どなたですか。今晩は。」
向《むこ》うのぼんやり白いものは、かすかにうごいて返事もしませんでした。却《かえ》って注文《ちゅうもん》通《どお》りの電光が、そこら一面《いちめん》ひる間のようにしてくれたのです。
「ははは、百合《ゆり》の花だ。なるほど。ご返事のないのも尤《もっと》もだ。」
ガドルフの笑《わら》い声は、風といっしょに陰気《いんき》に階段をころげて昇《のぼ》って行きました。
けれども窓の外では、いっぱいに咲いた白百合《しらゆり》が、十本ばかり息もつけない嵐《あらし》の中に、その稲妻《いなずま》の八分一秒《びょう》を、まるでかがやいてじっと立っていたのです。
それからたちまち闇が戻《もど》されて眩《まぶ》しい花の姿《すがた》は消えましたので、ガドルフはせっかく一枚《まい》ぬれずに残ったフラン[※5]のシャツも、つめたい雨にあらわせながら、窓からそとにからだを出して、ほのかに揺《ゆ》らぐ花の影を、じっとみつめて次の電光を待《ま》っていました。
間もなく次の電光は、明るくサッサッと閃《ひら》めいて、庭《にわ》は幻燈《げんとう》のように青く浮《うか》び、雨の粒《つぶ》は美《うつく》しい楕円形《だえんけい》の粒になって宙《ちゅう》に停《とど》まり、そしてガドルフのいとしい花は、まっ白にかっと瞋《いか》って立ちました。
(おれの恋《こい》は、いまあの百合の花なのだ。いまあの百合の花なのだ。砕《くだ》けるなよ。)
それもほんの一瞬《いっしゅん》のこと、すぐに闇は青びかりを押《お》し戻《もど》し、花の像はぼんやりと白く大きくなり、みだれてゆらいで、時々は地面《じめん》までも屈《かが》んでいました。
そしてガドルフは自分の熱《ほて》って痛《いた》む頭の奥《おく》の、青黝《あおぐろ》い斜面《しゃめん》の上に、すこしも動《うご》かずかがやいて立つ、もう一むれの貝細工《かいざいく》の百合を、もっとはっきり見ておりました。たしかにガドルフはこの二むれの百合を、一緒に息をこらして見つめていました。
それもまた、ただしばらくのひまでした。
たちまち次の電光は、マグネシアの焔《ほのお》よりももっと明るく、菫外線《きんがいせん》[※6]の誘惑《ゆうわく》を、力いっぱい含《ふく》みながら、まっすぐに地面に落ちて来ました。
美しい百合の憤《いきどお》りは頂点《ちょうてん》に達《たっ》し、灼熱《しゃくねつ》の花弁《かべん》は雪よりも厳《いか》めしく、ガドルフはその凛《りん》と張《は》る音さえ聴《き》いたと思いました。
暗《やみ》が来たと思う間もなく、また稲妻が向うのぎざぎざの雲から、北斎《ほくさい》の山下白雨のように赤く這《は》って来て、触《ふ》れない光の手をもって、百合を擦《かす》めて過ぎました。
雨はますます烈《はげ》しくなり、かみなりはまるで空の爆破《ばくは》を企《くわだ》て出したよう、空がよくこんな暴《あば》れものを、じっと構《かま》わないでおくものだと、不思議《ふしぎ》なようにさえガドルフは思いました。
その次の電光は、実に微《かす》かにあるかないかに閃《ひら》めきました。けれどもガドルフは、その風の微光《びこう》の中で、一本の百合が、多分とうとう華奢《きゃしゃ》なその幹《みき》を折《お》られて、花が鋭《するど》く地面に曲《まが》ってとどいてしまったことを察《さっ》しました。
そして全くその通り稲光りがまた新《あた》らしく落ちて来たときその気の毒《どく》ないちばん丈の高い花が、あまりの白い興奮《こうふん》に、とうとう自分を傷《きず》つけて、きらきら顫《ふる》うしのぶぐさの上に、だまって横《よこた》わるのを見たのです。
ガドルフはまなこを庭から室の闇にそむけ、丁寧《ていねい》にがたがたの窓をしめて、背嚢のところに戻って来ました。
そして背嚢から小さな敷布《しきふ》をとり出してからだにまとい、寒《さむ》さにぶるぶるしながら階段にこしかげ、手を膝《ひざ》に組み眼をつむりました。
それからたまらずまたたちあがって、手さぐりで床《ゆか》をさがし、一枚の敷物《しきもの》を見つけて敷布の上にそれを着《き》ました。
そして睡《ねむ》ろうと思ったのです。けれども電光があんまりせわしくガドルフのまぶたをかすめて過ぎ、飢《う》えとつかれとが一しょにがたがた湧《わ》きあがり、さっきからの熱った頭はまるで舞踏《ぶとう》のようでした。
(おれはいま何をとりたてて考える力もない。ただあの百合は折《お》れたのだ。おれの恋は砕けたのだ。)ガドルフは思いました。
それから遠い幾山河《いくやまかわ》の人たちを、燈籠《とうろう》のように思い浮《うか》べたり、また雷の声をいつかそのなつかしい人たちの語《ことば》に聞いたり、また昼の楊がだんだん延びて白い空までとどいたり、いろいろなことをしているうちに、いつかとろとろ睡ろうとしました。そしてまた睡っていたのでしょう。
ガドルフは、俄かにどんどんどんという音をききました。ばたんばたんという足踏《あしぶ》みの音、怒号《どごう》や潮罵《ちょうば》が烈《はげ》しく起《おこ》りました。
そんな語はとても判《わか》りもしませんでした。ただその音は、たちまち格闘《かくとう》らしくなり、やがてずんずんガドルフの頭の上にやって来て、二人の大きな男が、組み合ったりほぐれたり、けり合ったり撲《なぐ》り合ったり、烈しく烈しく叫《さけ》んで現《あら》われました。
それは丁度《ちょうど》奇麗《きれい》に光る青い坂《さか》の上のように見えました。一人は闇の中に、ありありうかぶ豹《ひょう》の毛皮《けがわ》のだぶだぶの着物をつけ、一人は烏《からす》の王のように、まっ黒くなめらかによそおっていました。そしてガドルフはその青く光る坂の下に、小さくなってそれを見上げてる自分のかたちも見たのです。
見る間に黒い方は咽喉《のど》をしめつけられて倒《たお》されました。けれどもすぐに跳ね返して立ちあがり、今度《こんど》はしたたかに豹の男のあごをけあげました。
二人はも一度組みついて、やがてぐるぐる廻《まわ》って上になったり下になったり、どっちがどっちかわからず暴れてわめいて戦《たたか》ううちに、とうとうすてきに大きな音を立てて、引っ組んだまま坂をころげて落ちて来ました。
ガドルフは急いでとび退《の》きました。それでもひどくつきあたられて倒れました。
そしてガドルフは眼を開いたのです。がたがた寒さにふるえながら立ちあがりました。
雷はちょうどいま落ちたらしく、ずうっと遠くで少しの音が思い出したように鳴《な》っているだけ、雨もやみ電光ばかりが空を亘《わた》って、雲の濃淡《のうたん》、空の地形図をはっきりと示し、また只《ただ》一本を除《のぞ》いて、嵐に勝《か》ちほこった百合の群《むれ》を、まっ白に照《て》らしました。
ガドルフは手を強く延ばしたり、またちぢめたりしながら、いそがしく足ぶみをしました。
窓の外の一本の木から、一つの雫《しずく》が見えていました。それは不思議にかすかな薔薇《ばら》いろをうつしていたのです。
(これは暁方《あけがた》の薔薇色《ばらいろ》ではない。南の蝎《さそり》の赤い光がうつったのだ。その証拠《しょうこ》にはまだ夜中にもならないのだ。雨さえ晴れたら出て行こう。街道の星あかりの中だ。次の町だってじきだろう。けれどもぬれた着物をまた引っかけて歩き出すのはずいぶんいやだ。いやだけれども仕方《しかた》ない。おれの百合は勝ったのだ。)
ガドルフはしばらくの間、しんとして斯う考えました。
初めて聴いた時は衝撃がでかすぎて1時間くらい聴いてました。だんだん考える力が出てきて、うわ顔いいなとか、声めちゃくちゃ通るなあとか考えつつ、アーカイブに行きました。
めちゃくちゃ好きだこの人。超好き。
語り口は穏やかで聞きやすく、かつ本人の感情がよく伝わってくる。かっこいい大人として見ていると急に男の子の部分が出てくる。でもちゃんと一本の筋が入ってる。
歌えば普段の穏やかさとは別の荒々しさや色気が出てくる。
この人を推すと決めた。
10年以上オタクやってるけど生きた存在が推しになるのは初めてだった。今までは漫画やアニメのキャラが推しだったし、その推しもなぜか死にがちだった。知った時には原作が完結していたり、原作の中で死んでたり、推す過程で死んだりした。
だから、加賀美ハヤトのことを知れば知るほど毎日楽しかった。ほぼ毎日配信してくれる。Twitterが動いている。リツイートでファンアートを回してくれる。オンラインライブで動いて歌う社長を見て、ずっと泣いていた。あ、この人、ほんとにいるんだ。ここで歌ってる。
今までバーチャルYouTuberには馴染みがなかったから、いろいろと調べて行った。その過程で、中の人、俗に言う「魂」「前世」のことを知った。そらそうだ。現実である以上、必ずアクターがいる。当たり前。ただ、デリケートな話題なのはよくわかる。野暮だ。ハリーポッターを見て、「ただのCGだろ」というくらいには無粋だと思う。
当然、社長にも中の人がいる。が、前世があることは予想してなかった。実況や歌い手にほぼ触れずにきたせいもある。
調べていくうち、「加賀美ハヤトの前世はタラチオ」ということが目についた。野暮だ、と思いながら、タラチオさんの動画を開いた。
めちゃくちゃ似ている。本人だと言われたら信じるだろう。YouTubeのTCG対戦動画での笑い声や話している時の声を聞けば聞くほどそうとしか思えなくなってきた。無論、ただの推測だ。ものすごく声の似た別人という可能性もある。ただあの歌声が赤の他人という可能性を考えられなかった。
私の好きな歌をタラチオさんが歌っていた。社長が歌ってくれたら、こうなるんだろうな、と、すとんと腑に落ちた。
加賀美ハヤトの魂がタラチオさんということを仮定すれば、彼は今二足の草鞋を履いている。タラチオさんは今も活動していらっしゃるし、なんならライブだってしている。社長はこうして毎日配信してくれている。
どっちが本当なんだろうか、という気持ちが頭をもたげてきた。もしかしたから、もしかしたら、加賀美ハヤトはそのうちいなくなるんじゃないだろうか。生身での活動の方がよほど楽なはずだ。事務所所属よりも、個人の方が自由に動けるのかもしれない。もしかしたら、
ぐるぐる考えながらYouTubeを開いて、もはや癖になっている動きでWITHINをタップした。毎日聴いている。
すごくかっこよかった。
4ヶ月前に聴いた時、ただ歌詞としてしか認識していなかったものが、加賀美ハヤトの言葉として目の前に叩きつけられていた。
社長は初配信でこの曲のショート版を流したらしい。つまり、歌声を速攻で出したということだ。これだけの魅力ある歌声が、埋もれるはずがない。初配信の時に、私と同じことを考えた人がいたはずだ。その人たちにも、この曲は届いたはずだ。
「重ねないで名付けないで この声の在り方」
「この音だけは否定させない」
「啓かないで導かないで 暗がりを愛して
祈らせて この造花が枯れるまで」
わかっていたんだろうか。わかっていたんだろうな。覚悟したんだろうな。
もう一回聴いて泣いた。社長の人となりはアーカイブを追うかぎりではあるけれど知っている。音楽で嘘をつくような人では絶対にない。この人ほど全力で歌ってはしゃぐ人を知らない。あの3D配信が信じられない人はいない。いたとしたらそいつはひねくれすぎている可哀想なひとだと言い切れるくらいには。
加賀美ハヤトは加賀美ハヤトとして生きていることを理解した。タラチオさんはタラチオさんとして生きていることも理解した。彼は彼であるだけで、ただそれだけ。
「it」がなんなのかなんて考えなくてもわかる。全てが彼のうちにある。
ぐちゃぐちゃになっていた気分が落ち着いてからタラチオさんの歌を聴く。上手い。好き。これはもう実質社長。
社長のアーカイブを見る。面白い。好き。やっぱり社長はA型殺しだよ。
社長、ありがとう。あなたを見つけられたから、私は今生きています。ボイスドラマまで絶対に死ねない身体になってしまいました。もちろんその先も、社長が活動するかぎり死ねません。
どうか身体に気をつけて。タラチオとしての活動も、これから追います。生きていてくれてありがとう。タラチオがいたから加賀美ハヤトがいる。Grotesque最高でした。
ただ私はやはり加賀美ハヤトが推しなので、社長としての活動の方が好きです。好みの問題ですね。YouTubeで仲の良い方が上げている動画にタラチオさんがいるとニコニコしてしまいます。推しがラフに付き合える友人がいるということはとても良いことです。アラサーランク帯のコラボも大好きです。コラボ配信待ってます。
加賀美ハヤトは、いいぞ。
心の底からおすすめします。こんなにカッコいい大人で、全力で遊ぶ男の子で、とんでもなく良い歌声の人を、私は知りません。
これから何があっても、あなたを推します。いつか卒業したり、万が一炎上してなし崩しに引退したとしても、あなたの歌を忘れません。
ツールを使われると人間が普通に画面をタップしていたのでは不可能な行為が出来てしまいます。
いわゆる「直接叩く(HPの画面をクリックするのではなくURLを直接入力してページに飛ぶようなもの)」と表現されるような、本来アクセス出来ないデータにアクセスするような行為も行いかねません。
場合によってはユーザーのゲームデータが破損することだって考えられますが、その場合公式が保証を行うことは出来ません。
そんな状況で食い下がられても面倒なので最初から禁止しています。
いわゆるぶっこ抜き(ユーザーが直接アクセス出来ない空間から数値・画像を抜き取ること)やハッキング対策です。
自動化マクロが暴走して不本意な課金を行ったり、間違ってキャラクターを削除したからと補填を求められても困ります。
ゲームにおけるあらゆるユーザー側のあらゆる行動は毎回人間による意思決定を経由している事は、お金が絡むゲームにおいて必要不可欠な要素です。
そのため、意思決定を伴わない操作を行うツールの使用は禁止、少なくとも自己責任とされています。
難しいことを考えられない人はこれでいいしょう。
個人的には「先生が死ねと言ったら死ぬのかお前?」と小学生みたいなツッコミを入れたくなる程度には、オツムの程度が小学生な回答ではありますが、考える力が足りない人にとってはまさに模範解答と言えます。
なぜ「教職員だった」ではなく、「教職員を自称する者」と表現したかって?
「へー」
「まあ子供にモノを教える立場としては観ておいて損はないだろうと思って」
「食育の中でも、命を食べることに焦点を当てた作品でね。子供に自分で考える力を与えている」
「はあ」
その過程で紡がれる言葉、振る舞い、価値観、どれをとっても教職員のそれだ。
上手く言えないんだが、俺が知っている教職員という人種は、もっと人間くさい生き物なんだ。
身なりは整えても高潔さとは無縁で、地に足が着いているから靴底は泥まみれ。
教職員といっても色々あるだろうけれど、現場で生きる人間は大なり小なりそういうもんだろう。
だが、その客は違った。
酷く不気味に思えたが、それでも俺は水飲み鳥に徹し続けた。
この客が実際のところ何者であれ自分には関係のないことだし、やることだって変わらない。
実際に教職員をやっている人間も、自分のことを教職員だと言っているだけの人間も、赤の他人である俺にとっては同じなんだから。
13人の客、その2人目は酒造りに関係した仕事をしているらしい。
この客もまた、本当に酒造りに携わっているかは怪しい人物だった。
「うーん観たことあるような、ないような……あらすじを言ってくれたら思い出すかもしれません」
「酔っ払ったサラリーマンが、特殊部隊とかヤクザ相手に大暴れする邦画なんだけど」
「すいません、その説明で思い出せないなら俺の記憶にはないです」
客は映画に出てくる酒が、いつも扱いが悪いことに腹を立てていた。
「映画業界の奴らは、酒を酔っ払って物語を動かすだけのツールだと思っている。酒には職人達の涙と汗が文字通り入っているのに」
客はそう愚痴りながら、酒の色んな種類や製造方法をくどくど説明し始めた。
「こう、素手でわさわさ~ってやるわけよ。衛生面とか気になるかもしれないけど、菌を増やすためにあえてやって「るの」
「はあ……」
「麹の近くには仮眠室があってね。具合を確かめるため、すぐ近くの部屋で寝泊りしているんだよ」
酒が飲めない俺は水飲み鳥になるしかない。
ティーンエイジャーが酒について言える事は限られている。
仮に飲める歳だったとして、この客はビデオ屋のバイトに何を期待しているんだ。
ひょっとして、現在進行形で飲んでいるんじゃないのか。
そう思って鼻をすすってはみたが、その客からアルコールの香りは漂ってこなかった。
むしろ酒を飲んでいてくれた方が納得はできた。
「酒税法も細かく設定されてる割には、みなし制度があったりガバガバすぎる。そのせいでストロング系とかの安い悪酒が出まくって、それを持て囃すアル中が蔓延って一般人を困らせるんだ」
こっちも今まさに困っている状態なんだが、この客には分からないようだった。