はてなキーワード: 縁起物とは
昔話桃太郎
http://www.arc.ritsumei.ac.jp/artwiki/index.php/%E6%98%94%E8%A9%B1%E6%A1%83%E5%A4%AA%E9%83%8E
桃を食べた爺さん婆さんが若返り、身ごもった子供が桃太郎だった。
・猿・犬・雉
『昔話桃太郎』では、この順に登場し、同じようなことを言って家来か従者になる。犬は「仁」、猿は「智」、雉は「勇」を、三徳を持って鬼退治に向かう背景には、江戸期の儒教的思想がある。
なぜ、この3匹の動物が描かれたのか。曲亭馬琴の『燕石雑志』によると、「鬼ヶ島は鬼門を表せり。之に逆するに、西の方申・酉・戌(さる・とり・いぬ)をもつてす」とある。「鬼門」は、鬼が出入りする方角として嫌われている方角で、東北(うしとら)の方角である。これは「陰」で、その反対の南西(ひつじさる)の方角が「陽」である。東北に位置する鬼を退治するには、その対極であるべきで、そこには、ひつじ・さる・とり・いぬが並んでいる。羊は弱者なので省かれて、さる・とり・いぬが選ばれている。鳥の中でも雉が選ばれたのには、よく闘う鳥とされていたかららしい。
方角説はこんな感じ。
吉備津神社縁起物語によると、吉備津彦命が、犬飼部の犬飼健命(いぬかいたけるのみこと)、猿飼部の楽々森彦命(ささもりひこのみこと)、鳥飼部の留玉臣命(とめたまおみのみこと)という三人の家来と共に、鬼ノ城に住む「鬼」である温羅を倒したとされているが、この家来たちを桃太郎の逸話に置き換えると「犬飼健=犬」「楽々森彦=猿」「留玉臣= 雉」となるとする説がある。
毎度のお運び、ありがとうございます。
今年も相変わらず「三大○○」なんてのが流行りましたな。
それにあやかりまして、「三題増田」なんてのをやってみたいと思います。
寄席なんかでやられる「三題噺」の 増田版 っていう趣向でございます。
ブコメが 3つ付きましたら、私がそれを見て、「あぁ いかにもそんなブコメが付きそうだな」っていう本文を、後から書かせていただきます。
それでは、お題をよろしくお願いします。
ただ、赤より緑色のほうが似合うと思うなあ。
承認欲求強すぎでしょ
それはパワハラというより、猫腹。猫だけに。
気がついたら4つあったので、四題ってことにしました。
もうすぐ父の還暦を迎える。
年末年始に家族が集まるので、少し早いけどささやかながらお祝いをすることになった。
いろいろと準備をしているのだが、さっそく問題が出てきた。
俺と母が 赤いちゃんちゃんこを調達しようとネット見ていたら、
父がやってきて「そんな恥ずかしい物は着ないぞ」と言い出した。
還暦といっても今の60歳は元気だ。父もまだまだ現役で働いている。
父の言い分はもっともなのだが、母は「縁起物だから」と こっそり注文してしまった。
「当日になれば着るしかないでしょ」と言っている。
そして会場探しだ。
弟は「どこも混んでるから」と家でやりたがっている。
父も(母のことを考えて)外食がいいが、肉料理は胃にもたれるから嫌だと。
からすみは、岐阜県の東濃地方、長野県の木曽郡南部と下伊那郡南西部、愛知県奥三河に伝わる銘菓で、米粉でつくった蒸し菓子のこと。
下記の地域では「からすみ」と言うと、鯔の卵巣の加工品ではなく、米の粉を加工した和菓子を意味する。
このからすみは、全体に細長い棒状の棹物菓子で、包丁で適当な幅に切って食べる。特徴的なのは、長い側面の上部を両側から
中央に向けて押し寄せたようになっており、切った断面が富士山のような山の形になっていることである。
これは、蒸した団子を長く伸ばし、このような形の木型に押し入れて作られる。
食味や作り方は名古屋名物のういろうに似ているが、より固く弾力があり、べとつきが少ない。
からすみの名前の由来は、子宝の象徴としての縁起物であるカラスミの形に似せて作ったという説と、中国で作られた富士山の形を
した墨、すなわち唐墨に形が似ているため、この名を取ったという説とがある。
この地方の各家庭では、桃の節句にからすみを作りお祝いをするという風習がある。
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%81%8B%E3%82%89%E3%81%99%E3%81%BF_(%E8%8F%93%E5%AD%90)
毎年この時期はバイト含め故障者リストが凄い事になるもんだが、今年は…まだマシなのかね。
あ、ちなみに神主になるにあたって信仰心の有無とか問われる事は一切ありません。
休むのが当たり前の暮れ正月に皆が遊びほうけてる横で死ぬような思いして正月期間中ぶっ続けで働くってのは高い理想と篤い信仰心のない奴にはとても勤まらなかろ、って判断らしい。
いやいや、別にお金や生活費の為であれば誰でも働けると思うんだが。違うんかね。
まあ人間誰しも、自分が就いている仕事や属してる業界が世界で一番多忙で大変な仕事だと思うもんだ、って事なのかねぇ。
こっちは斯界以外も知ってるしもちろんそれ以上の辛酸も舐めてきたから(でなきゃ斯界になんざ来ねえよ)、お正月の神社が多忙を極めるにしても世界で一番大変な職場だとはとても思えないが。
暖房効いた室内で寒い寒い言いながらあっつい甘酒をふうふう言って啜りつつこなせる仕事を激務と呼んだら、これまでに斃れていった世の大勢の社畜達の英霊が浮かばれぬものよのう。あと誰だよ甘酒にハチミツ入れるってアイデアを思いついた奴は。天才か。
もちろん参拝客にも客単価っつーものがあり、また賽銭単価というものがある。
それこそさっき書いたような俺も毎日買っている甘酒の売上(自腹)のような収益事業の収益、祈祷や神札御守り授与や賽銭などの宗教法人事業の社入、それらをひとまとめにし、
その額を当該時間帯内の推定参拝者数で割ったものが、おおまかな参拝客の客単価となるわけだ。
同様に、賽銭単価は賽銭収入を当該時間帯内の推定参拝者数で割ったものである。
で。賽銭単価というものは当然ながら“財布の中に入っている事の多い貨幣”の価値の比重が大きくなりがちだから、額に多少の変動はあれど比較的安定しており、想定の範囲内に収まるものなのだが。(財布に入っている可能性の高い、あるいは枚数の多い貨幣はどうしても100円10円となりがちなため、賽銭における比重も大きく、賽銭総額も平均額もその二つの硬貨に大きく左右される)
客単価がなあ。
想定していたよりも少ないんだよなあ。
基本どこの神社も、よっぽど変わった事がない限り毎年それほどデカい参拝者の変動はないもんだから、だいたいどのくらいの数の人がくれば、どのくらいの社入がある、ってのはもう見当がついている。
そのデータに従えば、別に細かく計算せずとも例年の客単価は出る。○○○万人きたから今の社入はだいたい○○○億、○○○億を○○○万人で割れば例年の客単価平均額は出てしまう。
ただこれが少ない。想像以上に少ない。
より端的に言うと、みんな神社に来て賽銭は入れるしおみくじは引くんだけど、御守りやお札を買うのは全員ではなく、また縁起物を受けたり祈願を受けるのはごく一部、となる。
賽銭+おみくじ+御守り1ヶ、くらいの客単価を想像してたんだけど
それよりはもう少し安かった。
社入が不十分とはまったく思わないんだが、どうも客単価の低さが気になる。いや斯界においちゃ普通の額なのもしんないが。
うーん、やはり金使わせる仕組みが足りないのかねぇ。
正月の神社はクソ寒いから皆速攻で帰っちまうんだよねえ。当たり前だが。
正月は不便を楽しむもんだから、寒い寒い言いながらえっちらおっちら参拝して鼻水すすりつつゾンビみたいにあーうー言いながら寒い境内うろつくのが醍醐味なんだろうと思ってたが。
やはり高齢者やゆとりに優しい、あたたまりポイントというか採暖所というか人をダメにする焚火みたいのを境内至近に設け、まるで八甲田山死の彷徨のごとくピクリとも火のそばから動かない強固な意志を示す人々が気軽に手に取れるような温かい食べ物飲み物がそばにあったら収益上がんのかねえ。
まあやり過ぎると人の波がそこで止まって境内にまったく人が上がってこなくなるのでその辺は塩梅ですが。
どんど焼き風の庭“火寮”設けといて、炉端焼きっぽく棒に刺したモチとか箱に入れて置いといたら売れそうかねぇ。
というか参拝者が持ってくる古い神札類を燃やすお焚き上げの火によって参拝者自身が温まれるシステムになっていれば一番いいんだが。
火種も大量に確保、参拝者も採暖でき、神社側が費やすお焚き上げにかかる労力も大幅に軽減される。
東北あたりのどんど焼きが確かまさにそういうシステムだったが、あれって実はよく考えられたシステムだったんだな。皆がめいめい持ち寄った古神札類をまとめて燃やして暖を取りつつモチ焼いて食う。
実に無駄がない。
親が結構な毒だと気がついたので距離をおいていたが、親が家族全員に身代わり申を手作りしたので縁起物なので貰ってほしいと渡してきた。
身代わり申は庚申さんの縁起物で、赤い体に白い頭の人形のぬいぐるみを家族の人数分繋げて軒先に吊るすお守りだ。
断るのもなんだかなぁと思って受け取ったが、人形が逆さまになっている、上二つの私と旦那が逆さまで子供は普通の吊るしかた。
これ逆さまでは?と言ったら、わざわざ奈良町で見てきて作ったんだから間違いないと言う。
そうだったかなーと思いながら吊るしていたが、旦那が急病で救急搬送されたりあまりいいことがなかった。
奈良町に観光に行くとやはり逆さまで間違ったんだなと思ったが、兄弟の家にいくと逆さまじゃない手作りの身代わり申がぶら下がっていた。
何となく親の悪意を感じて不気味になり身代わり申を片付けたが、これごみとして捨てて大丈夫な物なのか?神社は系列が違うしどう処分すればいいのかと頭を悩ましている。
親は何のつもりで家の分を逆さまに吊るしたんだろう。
認識、するのは特定個人、今回はロールプレイとして読者本人を想定してたんだ。
読んでくれてるからまず仮定状況ありきとしない限り読者本人の個人的視点からのとこちらが勝手に予測していたので。
という情報について
という情報を
これは婚姻届を受理して一般に第三者が「婚姻関係にある」と両者間の事情や経歴を踏まえずとも結婚の事実を認識することができる状況となったことになる。
婚姻しているから得られるメリットや、制約も、第三者から「婚姻している」という前提でアプローチさせることになる。
たぶん、この認識の話をされているのだとおもうのだけど、今回のロールプレイは、個人視点
という情報を
ということを想定していて、ここから先が大きく欠損していた表現情報で、あなたを混乱させた原因だと思います。
結婚する両者が、あなたに対して婚姻状況にあるという情報を流布する必要性があった
・これから両者は同一の行動指針によって社会活動するにあたって、あなたとなんらかの情報共有や接触がある可能性があるため事前認識を得ておきたい
・両者間の婚姻について価値観の差異がある場合理解されるのか、拒否されるのか、判断するにあたっても情報として告知の必要がある
などといった状況から、結婚式の招待やはがきでの告知による婚姻関係の成立をあなたに告知する必要がある方が
いたとして
その告知をうけとっていない人たちは、婚姻関係を結んだかどうかを
例として、婚姻関係一覧表というものがあって婚姻関係にある人物が確認できる情報源などあるのか
はために指輪をしていることを見ると想像はできるがそれが婚姻なのか婚約なのか、または縁起物なのか
など
あなたは何人の知人の婚姻関係を知っていて、何人の恋人関係の行く末を知っていて
それはその当事者たちが、なんらかの告知を自発的にあなた個人に対して特定の情報発信をしなければ
↓
式かはがきくらいじゃない?
(電話でも友達からのうわさでもかまわないけれども、今回は式とはがきに限って例を抽出した)
ということなのです。
誤解の要素は
だれの認識なのか
わたし → 読まれている方個人
挙式の意義として結婚、婚姻関係というのは社会的な価値についての考察なので認識とはまず公知、社会的な措置や待遇の変化などを想定されていて読まれたのではないか。
挙式、はがきといった情報により個人に知らしめるという話題に限って当方が書いたのは、結婚や挙式といった情報を呈して得たい理解の範囲や対象は、知人友人レベルなのではないか。
結婚するということを世界平和、同じ状況にある不特定多数の救うべき対象にむけているわけではなく、あくまで個人の意思で個人間での取り決めではないか、という当方の見解。
を踏まえています。