はてなキーワード: 結果論とは
そうだぞ、世の常識に一歩近づけて良かったな
『Googleや他のテクノロジー企業の従業員が車中泊やテント泊をすることが多く報じられたり、米国の有名IT企業には、割とやりがい搾取を行う企業が多いよね?
厳しい競争ゆえに従業員に高いパフォーマンスや長時間労働を求める傾向があるよね?』っていうと、ちゃんとbingちゃんも認めるんだけど、
そのあとに "やりがい搾取" と "日本の伝統的なメンバーシップ企業(新卒・中途未経験から育てます)"の違いを尋ねても、
日本の長時間労働がどうたらとループ🔁 チャット内の欧米の事例すらすべてガン無視。強力な学習している模様
bingちゃんほか生成AIと雑談出来るようになるにはまだまだお時間かかりそうだわね
(なお、bingちゃんいわく重要ではない仕事はプレッシャーやストレスが少なくて楽で働きやすいらしいぞ。ChatGPTの時も思ったけどこれはトランパーも生まれますわ)
まぁそれとして、世の中にはわっっる〜〜〜〜〜〜〜〜〜い大人がおってなぁ・・・シャレにならないケースもあるのよな
日本の伝統的なメンバーシップ企業(新卒・中途未経験から育てます)とやりがい搾取ってどう見分けたらいいのか考えてみたんだが、
でも、うっし!内資の大企業に入った!よっしゃ!日本で公務員になった!あとは安心だゾ!とはいかず、
結局のところやりがい搾取を見分ける手段はなく、やりがい搾取でなくても要領やタイミングが悪いと死ぬが結論で、
自分にとってプラスになるかどうかってのがいちばんなのかなって思った
ワイは、高校を卒業したあと、バイト先のオーナーから紹介された職場に入った。その職場は、おそらく当たりな職場だったけど、ワイは1週間で辞めたった
新卒(高卒)で、月給25万円/土日祝日休み、しかも、会社に来ていちばん最初にやることは、お菓子の袋を開けたり、ソシャゲをしたり、ネイルをしたりするとかいう、
謎に貴族な職場だったので、『辞める意味がわからない』と周囲にめっちゃ言われたけど、もう入社2日目には辞めたかったよね
オーナーに紹介してもらったので、顔を立てなければと頑張ろうとはちょっとしたけど、やっぱり無理だったよね。月曜日になると、もう会社に行きたくなくて、速攻で辞めた
そのあと、やりがいを搾取するようなベンチャー企業で競争が少ないことをいいことに、自分のやりたいことをやったり、
外資系企業や大企業の誰でも狙えるポジション狙って経験したりしたら、まぁそれなりの給与になったよね
でも、遊んでてもほぼOKだったあの当たりの職場で働き続けていたら、おそらく現在の給与は貰っていないよね
あと、結果論だけど、在宅勤務できるようになったら、カメラONになっている時以外は基本やりたい放題なのよな
(まぁあの当時辞めた時はそんなこと考えてなかったけどな)
なんだこれ!!!
インフィニティ・ウォーではサノスがこれまでのヒーロー映画のヒーローポジションで描かれてたよな?
大いなる大義のために世界中に散らばるストーンを邪魔する敵を倒しながら集め、
その中で苦渋の選択で愛する者を喪って!そして最終的に、その大義を果たす!!!!
もちろん、その大義はサノスが一方的に感じているだけの大義で一方的に全世界に押し付けるってやり方は多分間違ってる。
だからこそ!
エンドゲームでは、サノスがなぜ間違っているのか。
なぜサノスはヒーローじゃなくてヴィランで、アベンジャーズはなぜヒーロなのかが描かれると思ってた!ら!
なんもなかったわ。
なんか誰よりも傲慢で自分勝手だった男、トニーが自分の命も顧みず自己犠牲の精神で指パッチンしたから勝った!みたいなこと言われたけど
サノスだってそうだったじゃん!
サノスは私利私欲のために全宇宙の人口を半分にしたわけじゃない。
元々、自分の星が人口爆発で資源がなくなって滅亡しちゃったから、宇宙がその轍を踏むことのないように考えた結果がアレだったわけじゃん!
人口を半分にすることで、残った半分を救えると信じてやったわけじゃん。
それこそ、自分の命も顧みずに。
だから、人口を半分にした後サノスは世界を征服せずに、農家になってサステナブルな生活を送ってたわけじゃん。
エンドゲームではインフィニティ・ウォーでアベンジャーズに足りなかった部分が補われて、サノスを"越える"ことでサノスに勝つ話だと思ってたのに別にそういうのはなーんもなかった。
前回は負けて、今回は勝ったことに映画上の論理的な理由がなんもない。
ドクストが言ってたように、アベンジャーズが勝つ運命をラッキーで引いたから勝ったってだけじゃん?
ちドクストが「1400万605分の1」って言ってたの、アントマンが偶然助かる確率だったらしい。
つーか、サノスは自分と仲間たちとで堂々と正面から敵を打ち破って石を集めたのに、
アベンジャーズがやったことは過去に帰って騒ぎを起こしてどさくさに紛れて石を"盗み出す"っていう、コソ泥じゃねーか!
それがヒーローのやることか!恥を知れ恥を!
まわせ まわせ PDCAサイクル! 休むことなく約40年間 守れ 守れ 報連相と社是!
ワイ、"働かせていただいてる"って言葉、皮肉やジョークの意味でも、自己啓発というかおかげさまでの精神的な意味でも割とすこ
正確には概念が通じないではなく、出羽守でもなかなか言わねぇような「欧米こそ至高、日本は土人が住まう国」をかましてくる
英語で話振れば反応違うんですけど、日本語だとホンマこの手の話題の反応酷い
『Googleや他のテクノロジー企業の従業員が車中泊やテント泊をすることが多く報じられたり、米国の有名IT企業には、割とやりがい搾取を行う企業が多いよね?
厳しい競争ゆえに従業員に高いパフォーマンスや長時間労働を求める傾向があるよね?』っていうと、ちゃんとbingちゃんも認めるんだけど、
そのあとに "やりがい搾取" と "日本の伝統的なメンバーシップ企業(新卒・中途未経験から育てます)"の違いを尋ねても、
日本の長時間労働がどうたらとループ🔁 チャット内の欧米の事例すらすべてガン無視。強力な学習している模様
bingちゃんほか生成AIと雑談出来るようになるにはまだまだお時間かかりそうだわね
(なお、bingちゃんいわく重要ではない仕事はプレッシャーやストレスが少なくて楽で働きやすいらしいぞ。ChatGPTの時も思ったけどこれはトランパーも生まれますわ)
まぁそれとして、世の中にはわっっる〜〜〜〜〜〜〜〜〜い大人がおってなぁ・・・シャレにならないケースもあるのよな
日本の伝統的なメンバーシップ企業(新卒・中途未経験から育てます)とやりがい搾取ってどう見分けたらいいのか考えてみたんだが、
でも、うっし!内資の大企業に入った!よっしゃ!日本で公務員になった!あとは安心だゾ!とはいかず、
結局のところやりがい搾取を見分ける手段はなく、やりがい搾取でなくても要領やタイミングが悪いと死ぬが結論で、
自分にとってプラスになるかどうかってのがいちばんなのかなって思った
ワイは、高校を卒業したあと、バイト先のオーナーから紹介された職場に入った。その職場は、おそらく当たりな職場だったけど、ワイは1週間で辞めたった
新卒(高卒)で、月給25万円/土日祝日休み、しかも、会社に来ていちばん最初にやることは、お菓子の袋を開けたり、ソシャゲをしたり、ネイルをしたりするとかいう、
謎に貴族な職場だったので、『辞める意味がわからない』と周囲にめっちゃ言われたけど、もう入社2日目には辞めたかったよね
オーナーに紹介してもらったので、顔を立てなければと頑張ろうとはちょっとしたけど、やっぱり無理だったよね。月曜日になると、もう会社に行きたくなくて、速攻で辞めた
そのあと、やりがいを搾取するようなベンチャー企業で競争が少ないことをいいことに、自分のやりたいことをやったり、
外資系企業や大企業の誰でも狙えるポジション狙って経験したりしたら、まぁそれなりの給与になったよね
でも、遊んでてもほぼOKだったあの当たりの職場で働き続けていたら、おそらく現在の給与は貰っていないよね
あと、結果論だけど、在宅勤務できるようになったら、カメラONになっている時以外は基本やりたい放題なのよな
(まぁあの当時辞めた時はそんなこと考えてなかったけどな)
ケンタッキーフライドムービーという小ネタが延々続くコント映画。
世界一ソウルがこもってない黒人シンガーとかクロいじりが多い。
黒人スラム街で「ニガー!」と叫んで怒った黒人集団に追いかけられながら逃げるだけのもの。
こういうのいまはすっかり無くなった?なんでなくなったかわかる?
正解は、ウケないから。
広義では上記の通りかもしれない。人種差別の意識が浸透したからかもしれない。
でも、それは結果論。正解は、黒人差別のギャグでウケたことに、差別だ!と訴え反対を訴える人が現れてウケなくしたから。
あなたが今笑ってるおもしろを笑ってはダメですって怒られるとそれはウケないし笑えない。
あれはなぜそうなったかというと怒る人がいるから。みんな怒られまで笑いたくないから。
人間全て怒られるのが嫌。イーロンマスクも習近平もプーチンも増税カリスマレスメガネも怒られたくない。
怒りは笑いに勝つ。だから怒ることの優位性を知ってる人はそれで人をコントロールしようとする。
だから公正性を保つという名目で怒りを封殺する風潮になってきている。「○○ハラ」などが顕著。アンガーコントロールも。怒る人を減らそうとしてる。
などという陰謀論は関暁夫に任せておけばいい(言われてみれば元お笑いがオカルトや都市伝説的なことに傾倒していく例は多い)。
お気持ちになるが怒りで笑いが減る状況は困るし嫌だ。
笑いはウケないと意味が無い。ウケることこそ全て。実は笑いはかなりデリケート。
笑いのためになんでもする人は多い。
ただしそれはウケるためで怒られるためではない。
ウケるために手を変え品を変え怒る人を刺激しないように笑いを作る。怒られたら変えて笑うようにする。
なぜなら怒りを生み出すのは簡単だから。笑わせるより簡単。怒るのも簡単。
そしてついには「人を傷つけない笑い」という言葉まで生まれる。
本当にそんなものが可能なのか少し考えるとわかりそうなものだ。試しに作ってみろ。少しでもセンスがあるならそれはおもしろくないことに気づくから。
かように怒られなく笑わせるということが難しい。年々難しくなるとベテランや笑いに真摯な人ほど言っている。
もはや3年前ほどの漫才やラジオのネタでも笑えなくなっている。そこで爆笑が巻き起こってるのに。
それくらいデリケート。
精密に彫刻された飴細工が笑いで、それを無邪気な怒り、あるいは正義の怒りでもいい、そんなお気持ちでダメにされるのはとても悲しい。そう笑いをダメにされても怒りは湧かない。上記の飴細工を壊しながら、「それはダメなものだ」と怒られたら、精緻であるほど、手間暇かけたものであるほど、怒りより悲しくなる。自分の芸術作品を壊されたらすぐに怒るよりも悲しさがくるのではないか、
その問いかけにはNONO。
怒る人たちと同じで、ただ笑いたいのだ。
幸か不幸か、次々と笑いを殺す人と同じスピードで笑いを生み出す人がいる。そこは頼もしい限りではあるが、自分が笑う前に怒る人によって笑えなくなるのが悲しいのだ。
残念なことに怒る人が笑いを殺したら、途端にそれは笑えなくなる。前記の中国を笑いにした漫才は「けしからん」として取り上げられる。その記事により好奇心で見ると笑いは減る。「これで笑うな」という呪いがかかった状態で見るからだ。
先ほども言った通り人間全て怒られたくない。その「怒られ」という呪いがかかってるともう笑いの量は激減する。
1990年代初頭に起きたバブル経済の崩壊とは一体何だったのかを、ずっと考えてきた。
ようやく到達した結論として、あれは「女性の社会進出潰し」だったのではないかと思っている。
戦後の日本の歴史は、一貫して女性が権利を獲得していく歴史でもあった。
1946年に公布された日本国憲法で女性の人権が明記され、女性の国会議員が初めて誕生した。
60年代の学生運動、70年代のウーマンリブ、80年代の男女雇用機会均等法成立と、ここまでは順調に女性の権利獲得は進んできた。
1984年の男女雇用機会均等法成立によって女性労働者(もっと言えば総合職女性)が増えていく流れになるはずが、バブル崩壊後の平成大不況によってこの層の女性たちが深刻な就職難に襲われてしまったのだ。
学生運動・ウーマンリブ運動は団塊の世代の女性たちが担ってきたものであるが、その土台の上に、次の世代となる団塊ジュニア世代の女性たちが社会を動かす指導者的な地位を目指す流れは完全に破綻した。
平成大不況が落ち着いた2003~2004年にかけて当時の小泉政権は「女性管理職の増加」を政策の一つとして掲げたが、その時点で各企業・役所には幹部候補となりえる団塊ジュニア世代の女性が全くいない状況になっていたのだ。
結果論かもしれないが、バブル崩壊と平成大不況によって女性の社会進出の流れは完全に断ち切られ破綻したのではないか。
その後の第二次安倍政権の2020年までに女性管理職30パーセントを目指す2030問題も結局実現しなかった。
バブル崩壊によって当時の男性側も深刻なダメージを受けたが、女性の社会進出を阻止するための自爆攻撃みたいなものだったと理解している。
今週の呪術廻戦でお笑い論が展開されてたけど、面白さって理屈や理解の問題じゃなくて感じる事なんじゃない?って思った。
このギャグはフリオチが簡潔にテンポよく展開される事で面白さを生み出しているのではないかと分析した所で、じゃあ実際の問題として「背骨を抜いたら立ってられへん」を本当に面白いと感じるかどうかはまた別の話だろうから。結果論的というか。
チャリの乗り方をいくら言葉で説明してもそれはコツ程度にしかならなくて、一発で乗れるようにはならない。転ばずに進める身体の感覚そのものは受け渡せなくて、転びながら自分なりに感覚を掴んでもらうしかない。言葉にして外部化された感覚っていうのは心の中にあった時と比べてひどく不出来なコピーだと思う。
チャリはまあ大抵の人が乗れるようにはなるけど、じゃあトマトが嫌いな人にトマトを美味しく感じる感覚を説明してみても好みが変わるとは限らないように、いくら何かを面白いと思う感覚をプレゼンしてみても自分が抱いてる感覚そのものは受け渡せない。
「歳出予算はその年度に使い切ってください」
「持ち越しは一切してはいけません」
「余りが出たら『別に必要なかった』という証拠として、次の予算審議の材料にさせていただきます」
結果的に年度の後半は『如何に効率的にピッタリ使い切るかを考える』のモードに入ってしまう。*1
財布の中身と相談してギリギリで使い切ろうとするテレビ番組の「◯万円ピッタリお買い物ゲーム」みたいなことを10月~3月にかけてどの省庁もやってる。
そこに向けた準備も考えると純粋な費用対効果だけで考えて伸び伸びと動けるのは4月~6月ぐらいまで。
7月以降は予算が付きすぎた事業では必死に使い切りを模索し、足りてない事業については爪に火を灯すような使い方になる。
「俺たちはこの事業にコレぐらい金がいるんだぜ!だから税金をくれだぜ!」
と言って貰ってきてるので自分たちの管轄であっても事業間でホイホイお金のやり取りをして全体をフラットにするとかは駄目。*2
だから金がない中で必死にやりくりするんだけど、それをしたらしたで「じゃあやっぱ足りてたんですね。最初のドンブリ勘定なんだったんすか?」みたいな事を次の予算調整で言われる。
必要な所に必要な予算を必要な形で配るっていうのを本気でやろうとしてるとは思えないんだよね。
やってる感を出すための資料作りを皆で頑張って、それに対して超絶究極絶対神大蔵省スーパーエリート様がやってる感のある感じで予算をお出しくださってエヘヘヘあっしらのような下賤の下っ端役人如きにお恵みくださってくれるんでげしよげへへへ。
まあ税金でやる以上は先にいくらかかるかキッチリ見積もってからやれってのは事実だとは思うんだが、それにしたってもうちょっと効率的にというか実態に即したやり方は出来ね―もんかなと思う。
なまじっか複雑な分最終的には「お役人様のご機嫌を上手に伺った人の勝ち」って所が強くなってる気がしてならん。
んでまあ世の中なんだかんだ水物だから未来予知しきれなかった部分でボロが出てくる。
無茶苦茶だぜ。
保身しか考えてない結果からくる完璧主義に囚われきった官僚の逆効能の完成形だよ。
結局はセコセコ手を動かして胡麻をするか必死に誤魔化すかしかねーんだわ。
そのくせして表向きは「完璧に我々の予想通りでした」と言い切らないといけないのが狂ってんだよね。
※1 予算をピッタリ使い切る
予算をピッタリ使い切ると言っても完全に財布を0にする使い切りは基本的に不可能。
入札方式を取っているのでどうしてもブレが出るのだ。ブレが出ないように会社と事前に値段を決めてそれを書いてもらうとかは当然NG。なので予定していた契約額±10%ぐらいのブレはそれぞれの契約ごとに発生する。契約したけど役所のガワにお金がないのは絶対にあっちゃいけないので予算は余る側に向けて調整される。
絶対に余るのだけど、余らせすぎると次年度以降に予算を削られてしまうので、予算を使ったという証明のために「最後は文房具でも買って1000円単位ぐらいまで頑張って使い切れよ」と仄めかされたりする。年度末に無駄な仕事してて本当アホ。
実はちょっとしてる。切り分けが曖昧な分野では多めに予算がついた方からお金を出す感じで。
一般家庭でも「知育ゲームはゲーム用お小遣いと勉強用お小遣いのどっちから払うの?」とか「旅行先で飲むお酒は個人のお小遣いから払う?それとも旅行用のプールから払う?」みたいな「どっちの予算からお金を使うか」っていう問題は起きるでしょ?
それと同じ感じである程度都合よくお金を融通しあってから「これはもう完全にこっちの予算で使うべきだったわけで何もおかしくないんすよね~~。まあ結果的にこっちの事業で使う頻度が多くなっちゃってる気はするんですけど、それは結果論みたいな話でしかなくて~~~」みたいな感じで説明して乗り切ってる。
やりすぎると問題になるから『足がつかない範囲で』は意識することになる。
んで下手にやると「じゃあやっぱこの事業はこの予算でイケるってことっすね~~~」で全然足りてない予算が次回以降の実績になったりするので、血の涙を飲んで「金がないせいで何年も事業が遅れてんだよ。どうにかしてくれよ」と言うために裏技を使わないこともある。
日本に限らず新陳代謝が上手く行かずに落ちぶれたのは、アメリカのデトロイトやそれこそ文中にあるアルゼンチンなどいくらでもあるし、日本という国においてって言うのは無茶があると思う。
あと国がそこまで責任を持つべきなのか疑問だし、個別企業が国全体の将来利益を念頭に戦略を考えているわけではないよねって反論を考えられるならそれに対する答えも書いて置いてほしかった。
当然の疑問なのに事前にそう言われちゃうと質問も出来ないじゃん。
そもそも全体の文章から国としてやれってのは読み取りにくいし、ソニーを思いっきり例に出してるから個別の企業について言ってると思います。
すでに言っているように、失敗している例を結果論で「日本のエリートってまじ無能だなって思う」って気持ちよくぶったぎってるのが気に食わなかっただけです。