はてなキーワード: 結婚式とは
俺は医局内でうだつの上がらない眼科医の父親と、同じくうだつの上がらない乳腺外科医の母親の一人息子として生まれた。
うだつの上がらない両親は医局内で粗雑に扱われており、かと言って開業する気概も資金もなく地方や郊外の関連病院を行ったり来たりしていた。
スポーツも不出来で両親と同じく気弱な俺が平穏な学生生活を送ることができたのは、幼稚園から高校までエスカレーターの私立男子校に進学したからだろう。
母校は俺が入学した時には既に開成や筑駒などに大きな差をつけられていたが、同級生には芸能人や経営者の子息がたくさんおり、彼らとの格差を感じずにはいられなかった。
高校を卒業した俺は1年間の浪人を経て都内の私立大学医学部に進学した。
部屋の先輩はスポーツ推薦で入学した他学部の学生であり、俺とは全てが真逆だった。
合コンに明け暮れ、大量の酒を飲み、それにも関わらず部活で結果を示していた。
先輩は善意から俺を合コンや遊びに連れて行ったが、お互いに気が合わないとわかってからはコミュニケーションも殆どなくなり、寮から出られる二年目以降は祖母の家に帰った。
大学を卒業した俺は東京を離れ地方の総合病院にて初期研修に入り、そのまま内科の道に進んだ。
当初は呼吸器の道に進もうと考えていたが、実習中に見た気管支内視鏡のおぞましさと患者の辛そうな様子を見てやめた。ちなみに内科のローテート中でもこの気管支内視鏡を目にするのが一番嫌だった。
妻は俺が女性経験がないことを知ると「その歳で…?信じられない…」とドン引きしていた。
結婚式の際、地方で代々事業を営み財力もあり顔の広い義父の招待客でホテルが埋め尽くされる中、隅っこで父と母が小さく座っていた。
結婚後、妻との営みは片手でちょうど数えられる回数しかなく、妻は俺の性的能力の低さを侮辱し俺は男性機能を喪失した。
そのため俺と妻の間には子供がいない。
完全な家庭内別居が始まり、消化器内科医として一人前になった頃にちょうど病床の母が亡くなった。
見舞いも拒む妻は当然葬儀の日にも予定を入れており、俺は一人で東京に向かった。
続く
子供ふたりの結婚式を終え、諸々のことも終えて、やっとゆっくりできる時間ができたので少しネットに放流しようと思う。
上の子と下の子は10歳近く差のある兄妹で、周りの子供1人とか歳の近い兄弟家族に比べると子育ての時間は長かった。人によってどこまでが子育てになるかも違うと思うけど、私は子が社会人になって2年目ぐらいにやっと手を離れたな、と感じた。ふたりとも大学から一人暮らしをしていたけど、やはり働いて初年度はこちらもどうかなーと心配になるので、2年目で大丈夫だな、と思えた、まあ私の問題である。手を離れた、というか私が離しても大丈夫、と思えた、というべきか。
上の子が高校を卒業して実家を出た時に、ああもうこの子と一緒に毎日過ごすことはないんだ、とふと実感し泣いた夜があった。
自分の親もこういう気持ちだったんだろうか、と思って無性に両親に会いたくなった日があった。
私は20代前半で上の子を産んだし兄妹が10歳近く歳の差があったから、人生の半分以上を子育てにかけてきた。そう考えるとすごく長いような気もする、それでも子供の親でいられた時間は短かったなと感じて寂しい。
子供が自分の世界を持って、交友関係を持って、親の知らない趣味を持って、親の知らないところに出かけて…こっちはお金のことを含めて子育てでいっぱいいっぱいな時に、子供は子供で成長していた。うちは共働きで、ふたりともそこそこ忙しい職種だったのでそれをゆっくり見ている時間がなかったのが悔やまれる。
だから、親でいられたな、と感じる時間はとても少なかった。一緒な家でご飯を作り食べて洗濯をし買い物に行きテストのことで揉めて進路のことで話し合って、そうやって過ごした時間はひとり18年程度、なんて短いんだろう。寂しいなあ。
でも下の子には子供がいるので時々孫を連れて会いに来てくれるのはそれはそれで嬉しい、赤ちゃんのかわいさに何十年ぶりに触れて若返ったような気がする。なにあのほっぺた、上の子は生まれた時からむちむちでほっぺがぷくぷくで可愛かったなあ、なんて思い出したり。
楽しい子育ての時間をありがとう子供たち、無事大きくなって毎日それぞれの人生を生きているだけで、私の人生には少しも無駄な時間はなかったなと思える。
社会人のパートナーがいるかと言う率は、あからさまに賃金との相関関係がある。相対と言うより絶対値で350万円あたりに閾値があるので、若い人の給料がそこを超えられるように社会構造を改善する。
例えば、休日出勤が多くても給与が高いとか、給与が低くても平日夕方遊びに行けるような時間で終わるとかだと、婚姻率が良いという調査結果がある。
そこで、取り急ぎ、平日何日かはそのままどこかで遊んで帰宅できるような時間帯に帰れる日があるようなぐらいまで軽減すると恋愛しやすいと言う例がある。
そのため、学生時代に恋愛をすることを推奨すると言う方法がある。
これは結局金の問題にはなるんだけど、一人暮らしができると恋愛しやすいのと言うのが明らかなのだそうで。ただこれは転勤を嫌がるとか家賃の高騰とか色々と逆風が布言えて現実的ではないかもしれない。
昔よりも地縁血縁が薄くなっている中で、さらに社内恋愛も減っている助教で出会いが無い。
そこで、地域スポーツクラブとか、趣味の団体で若者向けの出会いの場を作ろうという動きをやっている所はある。
結婚をしようと考える時に、経済的な理由が一緒に存在すると結婚しないまま過ぎてしまう、と言うこととがあるらしい。それも結婚式の費用とかではなく、同居するにあたっての引っ越し費用だとか、そう言う現実的な費用。
昔は、結婚した直後はお互い生活レベルが若干下がっても、一緒にいられるからいいよねみたいなところがあった。
しかし、現在は結婚によって生活レベルが落ち場合には、落ちなくて済む条件が整うまで待ちましょうということになって、そのまま過ぎてしまい分かれてしまう、と言うことがあるとのこと。
そこで、新婚夫婦だけが格安で借りる事ができる安い住宅などを整備した自治体があり、それが結構な婚姻率と出生率を達成して話題になったりしている。
結婚すると言うことがどういうことなのか、リアルにイメージできない環境の人が増えている。例えば核家族化などで親戚づきあいが減っているとか。
一方で、特殊な事例ばかりがメディアなどで伝わり、インターネットでは離婚報告などは多く話題になる一方で、マジョリティの普通に結婚生活をしている人の情報が出てきにくい。
そこで、結婚を考えているカップルに、先輩夫婦をメンターとしてアサインして交流させるということをやっている自治体がある。
結婚するとお金が出る自治体や、転居に補助金が出るところ、婚活パーティーや結婚相談は実はかなり行われている。そんなに積極的に宣伝してないケースが多いけれども。
結婚式って、子育てプロジェクトのキックオフMTGだったのだと、最近気付かされた。
・プロジェクトキックオフまでのストーリー共有(ふたりの生い立ち)
プロジェクトキックオフに必要なすべての要素がきっちり揃っている。
結婚式を通じて、プロジェクトへの協力メンバーへのオンボーディングを行うことで、
親族・友人との円滑な支援体制を構築することが目的だったと考えれば、
人生とは理不尽なものであるとは言うが、普通に生きてきてそんなめちゃくちゃな理不尽にあうことはほとんどない
だが理不尽とは言わないまでもなんだか釈然としない、プチ理不尽とでも言うべきイベントは人生においてちょくちょくある
例えば引っ越しの時、原状回復ガイドラインに従わずに法外なクリーニング料、修復料を請求してくる不動産屋
例えば初めて行く歯医者、保険診療からなんとか自由診療に誘導しようとあれやこれやでセラミックだの変な治療だのを勧めてくる
お葬式のときにお坊さんにわたす心付けもそう、気持ちだけで結構ですなどと言いながら明確な相場があり、それでやる気が全く違ったりする
こういう初手で理不尽がぶつけられて、こちらが労力を使って対応しなければならない状況が昔からずっと嫌いというかうんざりしていた
だいぶ前の話なんだけど、なんか未だに自分の中でくすぶってる話がある。
結論から言うと、俺は当時金がなかったので社会人の女子Aかし俺に対してご祝儀の金銭的なサポートがあったらモヤらなかった、という話。
まあセコイとか思われるのはわかってるけど、当時はマジでお金がなかったんだ。
少し吐き出させてほしい。
登場人物は
俺
女子A (Bよりは仲が良い)
女子B (話はするがそこまで近い間柄ではない)
ともに大学の同期。俺は大学院に進み、女子は二人とも学部で就職した。
その2年後、Bが結婚することとなり俺とAを新婦側として招待してくれることになった。
新婦側に男を呼ぶのってあんまりないしなんでかな?と思っていたら新婦の知人テーブルは他にも出席する人たちがいて、
Aはそのままだと完全に知らない人しかいないテーブルに居続けることになる。だから地元でくすぶっているであろう俺を
知人として出席させればAも安心できるだろう
という話だった。その話をAの前でBはし、Aは爆笑して「増田君ありがと~」と言っていた。
当時修論で死にそうになっていた俺はバイトどころではなくお金がなかったので
本当に貧乏な食事をしていた。そこにお祝儀の3万は本当にキツい。なんなら2か月ぐらいはいけるんじゃないかという額だ。
そのことはAも知っていたのだが、特になにかあるわけでもなくそのまま結婚式はおわった。
当然、Aが俺にお金を支援する義務もないのだが、正直Aのサポートとして俺は参加することになり、特にそこまで仲の良かったわけでもないBにご祝儀を
出すことになったのだ。
社会人としてしかもまあまあ大きい企業に勤めていて実家暮らしならお金がないわけでもないだろうし
少しはだしてくれてもよいのにな・・・
と正直思ったのだ。
そんな話だ。