はてなキーワード: 精神医学とは
何の作品を指しているのかはわからないけど、
あんたら本当はそんなものに興味ないでしょう。
意外と本当に興味あるのかもしれないよ。
庵野は単なるエクスキューズだけで心理学だか精神医学だかを自作のモチーフに取り入れたわけではないだろうし、
押井も単なるエクスキューズで都市論(パト1)とか戦争論(パト2)とか認識論哲学(攻殻他)を扱っているわけでもないだろうし。
「あれが欲しい、これが欲しい、殺したい、犯したい」とかといったわかりやすい欲望だけが“本物の”欲望であるとは限らない。
一見偉ぶっていたり建前論っぽく見えるようなメッセージだって、わかりやすい欲望ほどストレートではないにせよ、
「本当に興味のあること」のうちに含まれている可能性は十分にあると思う。
02年8月24日から29日にかけて横浜市で開かれた、第12回世界精神医学会(WPA)の推計によると、世界で日本が実質自殺率1位でした。
マスコミは同年、「自殺4年連続3万人超」「昨年 目立つ経済苦」などと報じました。遺書から動機や原因を分析したところ、「健康問題」が統計のある78年から連続してトップ。次いで2番目に多かったのが「経済・生活問題」で、内訳は多い順に「負債」「事業不振」「生活苦」「失業」「就職失敗」「倒産」でした。
年次別自殺者の推移を見てみると、1978年(昭和53年)から1997(平成9年)までの自殺者数は年2万人台でしたが、1998年には3万2862人に急増します。1997年からの増加率は50歳代男性54%、同40歳代男性33%で、以後この傾向に変化はなく、20003年の自殺者数は3万4427人に達しています。このことから1998年は、自殺者が3万人台に定着した「自殺境界年」、また自殺理由の中で「経済・生活問題」が一気に上昇した「自殺理由境界年」に、当たります。
同年以降、同一グラフ上に完全失業率曲線と自殺率曲線を描くと、両曲線の推移は見事に一致します。また、東京都立衛生研究所は「日本における自殺の精密分析」において、「自殺の増減は景気の動向と密接に関連しているといえよう」と記しています。以上から、自殺誘引の大きい要素の1つに、失業増加があることが分かります。同時にこの動向は、日本男性がマネーを生死の判断基準にさえしているという悲しき真相を、如実に語っています。
命あってこそ!
人の願望の極致は、マネーにではなく幸福にあります。マネーは単なる幸福になるためのひとつの、しかもニュートラルな手段に過ぎません。東京・上野公園に小屋掛けするホームレスにも幸福な人はいます。マイクロソフトの創始者で、世界有数の資産家ビル・ゲイツが幸福とは限らないのですから。
人は自殺するとき、うつ状態になるといわれています。しかし中には死ぬ前に生命保険に加入するなど冷静に計画を立てていた事例もありました。たとえ多額の生命保険金を受け取っても、遺族は悲しく悔しい思いに苛まれ、屈辱感・無気力感に襲われます。しかも、それらを生涯抱えて生きていかねばならず、いつまで経っても、遺族に春はやって来ないのです。
「自殺する勇気があれば、人生やり直せる」などと、よく人口に膾炙されている警句は正しいのです。仕事の失敗、失業・不治の病などに遭遇したとき、死を考える気持ちは痛いほど私にも理解できます。しかしその試練はあなたにとって、人生に一度の、最高の学びのチャンスでもあるはずです。その苦しみを成長の機会に転じることができたなら、それは人生最高の歓びであり、財宝であり、自信として結実します――。
スポーツでも「ピンチの裏にチャンスあり」と言うではないですか。事実、ノーアウト満塁、絶体絶命のピンチを凌いで、逆転勝利する場面を私たちはたびたび観戦させられます。また命あってこそ、逆転満塁ホームランを打つ至福の瞬間を味得することが可能だし、打たなくても、その希望を常に持ち続けていくことができるのです。
ニッポン人の劣化
日本とアメリカは20世紀後半から21世紀初頭に、絶頂期を迎えた近代科学文明の優等生でした。特に、日本はこの文明の熱心な教徒であり、保守も革新も哲学者もみな、その礼賛者でした。その執念が実って日本は今日の経済大国・技術大国になったのです。ところが、いまわが国は長期不況の下にあり、労働者は失業や賃率の低下・長時間勤務・サービス残業に直面し、またフリーターやニートも増えています。それに加えて、年金受給額の引き下げと負担増、近い将来に予想される消費税率引き上げが追い討ちをかけます。労働者にとって茨の道は長く、さらに厳しくなっていきますが、この程度ならまだいいのです。
亡国の兆候ともいえる事件が日本社会の隅々にまで広がり、それは明示的にあるいはメタンガスの気泡のように、不気味にぶつぶつと隠れて噴出し始めています。たとえば、最近のマスコミ紙面を見てみましょう。「世帯所得、4年連続減」「個人自己破産 24万人」「雇用悪化が家計圧迫」「週50時間以上労働日本人4人に1人」「離婚率上昇中」「世帯の所得格差最大に」「働かない若者、年28万人に急増」「ニート急増、社会の機能不全映す」「不登校10年で倍増」「増える若者のひきこもり」「小学生1割強抑うつ傾向」「日本の高校生 自分は駄目」「検挙率 少年、成人の8倍」「10年で治安悪化86%」などの見出しが踊っています。
さらに憂慮すべきことは、東京都衛生局のアンケートに対し、18歳から24歳の層が「仕事の疲れがとれない」「生活に張り合いを感じない」と答えたことです。他の調査では「授業中じっとしていない」が小学校で8割、中学校で6割、高校で5割、「首、肩のこり」「不登校」「腰痛」「腹痛」が中学校、高校とも8割でした。これはいわば一昔前の老人に特有な症候群でした。日本の若者は、精神的にも肉体的にも確実に老化に向かっているのです。
ともあれ実質世界一豊かな日本なのに、皮肉にもその豊かさ指標マネーを苦にして自ら命を絶つ同胞が後を絶ちません。しかもこの数の陰にはその10倍??20倍もの自殺候補者がいると推定され、日の出の来ない日没を見送るような、なんともやるせない心境にさせられます。
だが、《自殺大国》になったのは不思議でもなければ偶然でもありません。
芝伸太郎は、「日本人」、「鬱病者」という言葉を同意語的に用いています。つまり内向性・律義・几帳面・苦労性・馬鹿正直・融通がきかないなど日本人一般の人格構造を極端にしたのが鬱病者の人格構造だからです。この風土の中で培われてきた繊細な日本人のメンタリティーが、価値観をマネーに置く文明、人間疎外の文明に拒否反応を起こしているからのです。
わけわからん。
増田は精神医学に例えてくれた。つまり、今は定義されていないが、百年後、あるいは二百年後には非モテが権威づけられる(なんらかの病名がつく)可能性があるということでいいんだよね?
現に非モテ好きなおねーさんがたも「あなたたちを好きな人はここにいるよ!」って声をあげているわけで。
おねーさん「がた」ってあんた、こんだけ何年も非モテ議論をぐだぐだやって、やっと一人か二人出てきただけでしょうに。それまでは「非モテだのなんだのとか言ってるような奴は嫌われて当然」のような声しか出てこなかったんだぜ?
それに、非モテ男が「非モテ女が好きだ」とか言ったときは、「お前らの妄想を現実の女に投影するな」だの「非モテ女はお前らみたいな奴らの都合の良い女ではない」だの「誰がお前らを相手にするか、思い上がるな」だの散々ボロカスに言われたという経緯が過去にあるのはご存知か。
そういう経緯を考えると、「非モテ好きなおねーさん」が本当に存在するのかどうか、非モテ男が疑り深くなるのは当然だよな?俺は非モテを30年近くやってきてるが、少なくとも現実世界でそんな奴は見たことないぞ。
少なくともこの話は、
そして自称非モテの書いた話を読んでいると、ああ、こんなこと思ってちゃそりゃモテないよお前、誰が好きこのんでお前みたいな自虐的な人間と付き合うかっつの、と思う。まともな女なら一緒に居て満足できる相手と付き合うもんだろ。一緒に居てすさみそうな相手と付き合うかよ。居るとしたらどんなマゾだよその女。
なんてとこから始まったわけだしな。
文章を読んで。
私が分からないのは、まずは非モテと、なんちゃって非モテの定義だよ。そこが分からない。
増田は精神医学に例えてくれた。つまり、今は定義されていないが、百年後、あるいは二百年後には非モテが権威づけられる(なんらかの病名がつく)可能性があるということでいいんだよね?
だけど、現在ネットで言われている非モテって、科学的なものというよりは社会学的なものなんじゃないの?
(ネット読んでるかぎりじゃ、二つが非モテに都合の良いようにごっちゃにされてる感がある)
だって今までずっと自分のことを非モテだと認識してきたのに、好意を寄せる女の子が現れたら、その瞬間になんちゃってに変わるの?
それは科学的じゃないよ。周囲の認知と自己の認知で変化するものは科学的ではない。
じゃあ社会学的?にって考えた場合は、ネットで声をあげている非モテの9.9割方がなんちゃって非モテに属すると思うんだよね。現に非モテ好きなおねーさんがたも「あなたたちを好きな人はここにいるよ!」って声をあげているわけで。
仮に非モテは科学的に説明のつく、つまり脳の機能に何らかの異常をきたしているためにコミュニケーションに不全を抱える病だと考えた場合は、好意を寄せる女の子が現れたとしても、なんちゃって非モテに変化することはないんだけどさ。認知がどうのという前に脳の機能が非モテと考えるなら、非モテは周囲の状況に左右されない。つまりなんちゃっては、脳の機能が正常であるのにもかかわらず、非モテを装う人間、となる(好意を寄せる女の子の存在に左右されない)。こちらのほうが私にとってはわかりやすいけど、でもこれだと違うんだよね?
平たく言ってよくわからないんだよ。
非モテってなんなの。
診断する「権威」がなければ正統なものではないという考え方は文字通り「権威主義」じゃないかな。第一それに、「なんちゃってメンヘラ」も実際に「うつ病」の診断書をもらえてしまうんですよ。つまり、精神医学ってのは発達途上の学問なわけで、「セキュリティホール」がまだまだ沢山あって、そこを突いてきたのが「なんちゃってメンヘラ」なわけです。
で、精神医学の権威ってのも、つい百年前にはいなかったわけですよ。フロイトにしたって今からみればかなり怪しげなことを沢山言っている。いや、精神医学に限らない。ニュートンだって錬金術師でした。そういう風に、正統性が与えられている「権威」というものは、そういう半分呪術のようなところからの長年の積み重ねによってはじめて生まれてくるものです。だから、非モテが「権威」づけられていないのは仕方のない話だし、歴史が極めて浅い非モテ論は必然的に怪しげなものになる。確かに非モテの側にその辺の認識が足りてるかというと不十分だと言わざるを得ないのはその通りだけれどね。
ただし、あなたの言っている「真の非モテ」というのは「誰が見ても非モテ」という、極めて狭義の非モテの話じゃないかな。メンヘラーの例で言うなら、統合失調症や躁鬱病の重症患者に相当する。でも、それ以外にメンヘラーが存在しないかと言えばそんなことはないわけで、むしろそれ以外はメンヘラーではないと言い切ってしまえば、それは単なる戸塚ヨットスクール主義になってしまう。逆に、非モテは全て発達障害とか人格障害だとか言ってしまうと、某umetenのような電波ブロガーになってしまう。
何事によらず、確立された方法論が存在しない分野における真実ってのは、グレーゾーンの中のどこかに存在するものだと思うよ。もちろん、それが限りなく白に近かったり限りなく黒に近かったりすることはあり得る。しかし、100%の白とか100%の黒ってことがないことだけは確かだろう。
友人と深夜語り合いながら思い出した自分は、「思春期だったから」ということで片付けられないような怖い自分だった。
僕は中学の卒業式にもらった色紙や、後輩からの手紙が一枚も残っていない。
なぜなら、やぶいたから。
卒業式の日、沢山の後輩と話して手紙ももらった。部活の同級生とは色紙交換したり、「高校でもハンドボールやろうな」なんて熱く語り合っていた。
それから2、3日たって、僕は家で一人手紙や色紙を読み返していた。ふと思った。「これやぶいたらどんな気持ちになるのかな」
やぶった。全部手で何回も引き裂いて、きれいにまとめてごみ箱に捨てた。その時の感想はまだ覚えている。「ふーん。」それだけだった。
今だったら絶対できない。やぶかれたら、やぶいたやつをぶちのめす。絶対。絶対変だったんだ。
まだある。
高校の時、彼女がバレンタインに大きなチョコレートケーキを作ってくれた。頑張って作ったんだろう、ワンホールほどもあるケーキはきれいにラッピングされて、丁寧にリボンまで掛けてあった。彼女はケーキの入った紙袋を渡しながら、「まぁ家族でたべてよ」とか言って笑っていた。僕はお礼をいって彼女と別れ、家に向かう電車を待っていた。待ちながら、ケーキが重かったので駅のゴミ箱に捨てて、普通に電車にのり、家に帰った。
捨てる時の気持ちは本当に普通で、ポケットのゴミを捨てるように、本当に普通だった事を覚えている。
人間じゃないと思う。
「重いから捨てた」なんて、プログラム通り動く、ただのロボットの反応じゃないか。
まだあるけどもう言いたくない。
精神医学や心理学なんてやってるボンクラ共がよく言う「環境と親の愛情不足が原因」っていうのなら、僕は結構素質がある。両親共働きで、鍵っ子で、学童保育に土曜日も通った。軽犯罪ぐらいならしたことあるし、煙草も5年生で吸った。小学校でも中学でも学級崩壊クラスだったし、3年生の時に6年生にいじめられたこともある。お父さんは仕事とか単身赴任とかで、4年生から大学入るまで全然会えなかった。お母さんが仕事に疲れていて、晩ごはんがポテトチップスだけな事だって何度もあった。
まぁ、僕はそれをネタにして皆と笑っていたし、別に不幸だとかは本当に一度も思った事がない。学童も小学校、中学、高校、全部おもしろかった。でも、ほんとはどこか病気だったんかなあ。
いつも皆とネタにして笑ってたけど、周りに誰もいなくなった時、本当の僕、おかしかった僕が出てきていたのかも知れない。すげー怖い。表でヘラヘラ、裏で冷酷。これじゃほんとのジキルとハイドじゃねーか…なんかすごいな。
でも思う。僕は元々自分で「根本は悪の人間」って知ってたし、周りにもそう宣言してきた。だけど、とりあえずそれがあんまり表に出ていないのは、友達のおかげなんだろう。学生時代はずーっと部活やサークルをやってきて、周りの皆のそばにずっといられる環境だったから。それがでかい。一人の時はゴソゴソしちゃうのだ。やっぱり僕は。
読んだ人に知って欲しいのは、友達は大事ってことと、僕みたいな隠れビョーキ野郎みつけたら優しくしてあげてってことです。どっかにいるからね実際。
>で、あなたは感じるの?
>ちょっと前に書いたけど法律抜かした責任ってのは結局は共感に近いものだと思っているからね。
>あなたは責任はないと思うの?
すれ違っちまったけど。感じるよ。少なくとも今感じてることについては、実感はあるよ。
ただそれが彼が感じているものと正確に同一なのかは、わからない。自分の体験から痛みを抽出して合成してものだから。でも第三者のそれではなく、加害者のそれではある。
すごく辛かったと思うよ。やられた方は。全部感じた。そしてその傷は癒せない、という現実を含めて。
でも、責任って、共感だけなのかな。それで被害者は満足するのかな。自分は許せないけどね。ぶっ殺したい。まあそのあたりはループなんだけど。
>ていうか臨床精神医学とかそういう話にいつなったんだ。俺は治療して欲しいなんて言ってないんだが・
追記に書いたけど、あなたが「親」だけにこだわってるように見えたからさ。それで生きにくいのなら専門家の治療を受けた方が素人の生兵法よりいいよ、という話。まあ親にこだわらない責任論みたいだからAC理論はいらないんだろうけど。
で、あなたは感じるの?
ちょっと前に書いたけど法律抜かした責任ってのは結局は共感に近いものだと思っているからね。
あなたは責任はないと思うの?
主治医については、親の責任云々というのはAC理論にもろに関係してくるでしょ。でも臨床精神医学ではそれがすべてじゃないよ、という例を出しただけ。すべての人に主治医を持てという話ではない。それとも何か違う疑問?
AC理論に親の責任が関係してくるわけであって親の責任にAC理論が関係してくるわけじゃないんじゃないのかな。良く知らんけど。
>単純に因果関係があって、そこから責任関係ってのは生まれるんじゃないのかなってだけの話なんだよね。
ま、理論としてはそうなるでしょ。でもそれを適応したら社会が成り立たないんじゃない?
あんまりひどければその責任は問われるだろうけどね。例えば永山則夫死刑囚だっけ?社会の責任ってやつ。
>じゃああなたが子供を産んで子供を傷つけ続けて育てても子供が成人した瞬間に責任なんて全く感じなくなるのかって話にもなるわけだし。
感じる人は感じるし、感じない人は感じないでしょ。それはその人の良心。人とのつながりなら感じていって、そこから何かを生み出していって欲しいけれど、そう単純でもなかろうと。家庭は密室だから、国家責任とか犯罪責任とはまた違う複雑な要素が絡んでいると思うよ。
主治医については、親の責任云々というのはAC理論にもろに関係してくるでしょ。でも臨床精神医学ではそれがすべてじゃないよ、という例を出しただけ。すべての人に主治医を持てという話ではない。それとも何か違う疑問?
(追記に対する返信に対する返信)
聞くに、責任に関しては「親」に限定する必要はないんじゃない?
単に人を傷つけてしまった場合の話だけすればいいのでは。
親子の場合は深く潜在意識に入り込んでるから治療が必要な場合が多いのでその例を出した。
責任については、実感はあるよ。その償いの方法がわからないけれど、考える。
672 :名前は誰も知らない :2007/03/16(金) 22:42:50 ID:pX7AgFxZO
準ひきこ森とかいう本読んだ。
俺の見たところ、例として挙げられてる学生の中に、
精神医学的な処置が必要かもしれない人が何人かいる。
こんな粗雑な克服方法を、専門家ヅラして語ってんじゃねえよボケ。
673 :名前は誰も知らない :2007/03/16(金) 23:10:20 ID:pX7AgFxZO
ああ、確かに教授ですら話しかけられないような風貌で、キャンパス内を歩いてる奴って、学生時代の俺のことだぜ。
19とか二十歳の頃の俺のバンド仲間とかも似たようなもんだったぜ。
何とか生きていこうと必死だったんだ。
そんでどうにもなってねえじゃねえかっつわれればその通りだけどさ、
俺達に触んじゃねえよ。
つうかお前の自伝だろ、これ。
674 :名前は誰も知らない :2007/03/16(金) 23:33:52 ID:zqqPXqUB0
>>672
あれね。俺も読んだ。そして燃やした。
要するにこの手の本は内向的な人間の不安を煽り立てて搾取しようってだけなんだなと
今更ながら気がついた。本当に今更だ。
「私はうつ病じゃないんですか?」
「うつ病ではありません。」
「私は統合失調症じゃないんですか?」
「統合失調症でもありません。」
「一体何の病気なんですか?」
「あなたは神経症でもアスペルガー障害でも精神発達遅滞でも躁鬱病でも摂食障害でもナルコレプシーでも認知症でもない。」
「じ、じ、人格障害だとでもいうのですか?」
「じゃあ、なんだっていうんですか!」
「つまり、あなたは精神医学の枠組みでは疾患や障害にはあたらない、ということです。」
「先生、私は一体何だというんですか!」
「標準偏差のなかに入る、ごく普通の人、ということになると思う。」
「……。」
「ただし、それは精神医学の物差しで言えば、の話です。善悪の物差しで言えば、一般に、あなたの所業はクズ、と呼ばれるに値するものだと思います。」
「クズ…。」
「違うというのですか。」