はてなキーワード: 等価とは
ずっと男女の違いを観察した結果、
という結論に達した。
綺麗に見えるように化粧をしたい、きらびやかな宝石を観に付けたい
大きい胸の女のポスターを貼りたいな
もちろん、
女性は男性にモテるために服飾欲を満たしているわけじゃないし、
男性も女性と付き合う為に美人をジロジロ見ているわけじゃない。
その女と付き合えるわけでもないし、エッチができるわけないのである。
多くの女性は、
モテるために着飾っているのではなく、着飾ると自分のテンションが上がる。と言っている。
男性も、エッチするためにポスターを貼っているのではなく、ポスターが貼ってあると自分のテンションがあがる。
女は見られる性であり、男は見る性である。
何も比較してないが…
という言明と
が矛盾していることを、君が認めないという点について私が糾弾しているんだよね。
仮にu:v→R (v∈Vは任意のOS)という写像があるとして、君の主張はu(初代Mac)=u(Windows 10)だ。ここまではいいね?
そしてそのような関数uが可算集合Vを台としてあるということは、先のツリーにもあるように素性のよい二項関係Rがあるということだ。Rからuへの誘導はほとんど自明だから省略する。
君の先の言明は「何も比較していない」すなわち「二項関係Rの存在は不要」と「俺は初代Macから10まで何不自由なく使える」すなわち「u(初代Mac)=u(Windows 10)」を等値しているのだが、私のここまでの話を理解していれば、この2つが等価だというのはおかしい、と理解できるはずだね?
ここまでの話はRが全順序か半順序かに依存していないことに注意しよう。つまりこれは
https://togetter.com/li/1419255
コメント数が千にも達しようかというコメントで異常に盛り上がってる珍しいまとめだが、わかってる人とわかってない人のやり取りなだけではなくて、どうもより深いことを考えてる人が結構いるらしくて興味深い。
簡単に言うと、
「ただテーブルの上に置かれている重量物の仕事量はゼロ」vs「いやそんなことはない」
である。
普通に読むと、前者の圧倒的勝ちなのであるが、どうもそうでもないらしい。
2体とも質量mの物体を両腕で腕を直角に曲げ腰あたりの位置で保持しているとしよう、片手でも良い。
右側のAはモーター出力調整で保持し続けているためエネルギー供給がなされている。
左側のBは腕の角度を機構的にロックしているだけでエネルギーは供給されていない。
一応、Aは音も振動も立てていないとしよう。要するに2体は見た目、区別がつかない。
等価ではないとするのが前者である。エネルギー供給がなされているじゃないか、と。
エネルギー供給が途絶えると物は保持できなくなるじゃないか、と、
機構ロックもエネルギー供給と等価とみなせる筈だ、というのが後者である。
同じ状態にあるのだから、機構的ロックも等価なエネルギー量を与えるべきであろう、と。
彼は決して物理学の欠陥を主張しているのではない。
細かい話だが、ロック機構に存在するであろう分子間力とか結合力など、そういうことを言っているのである。
エネルギー供給と、それらのロック機構が内部的にもつ力は等価なのだ、と。
なるほどなと思うが、疲れという用語が、疲れたら嫌だろ?という意味を内包している。
そして元の質問が人体の話になっている。
そういうわけで、前者が正しいような気になって引っ張られてしまうのだ。疲れるのが嫌な人間だから。
だがよくよく考えると、「ロック機構」で象徴されるような自然界の力が働いてなければ、前者も成り立たないのである。
故に実は、前者は説明していることは誤っていないのにもかかわらず、後者の方が正しいのである。
ところが、疲れはダメという考え方に囚われると、前者が正しいことになってしまう。
お分かりいただけるだろうか?
そりゃオランダ語由来の和製語なんだから、語そのもののは使わないだろ。
「ラベル」とほぼ等価なんだから意味としては一緒だし、「表現が違うから別だ」と主張するなら話のできないやつだって思うだけ。
先に断っておくが、スマホ弄りながら運転する馬鹿を擁護するわけではない。
「携帯電話で通話しながら運転」を規制する必要があるのか?という趣旨である。
通話内容に気を取られて運転に集中できない可能性が予見されるものの、片手が奪われないから良いらしい。
何も持たない片手運転と違い両手を使わないといけないときの初動が遅れると思われるが、食いながら運転は問題ないらしい。
無言でもいいし、仮想の彼女と会話を愉しんでいるつもりで、独り言を呟きながらというのもアリだ。
そんな馬鹿なことするわけないと言うかもしれないが、気分が落ち着くという人もいるだろう。
ハンズフリーで着信したはいいものの、嫌な上司からで、太巻きを耳に押し当てないと落ち着かないケース。
ついさっき寄ったコンビニで太巻きを買わなかった人は、モックを代わりに耳に当てたくなる衝動に駆られるだろう。
傍から見たら太巻きではなく携帯電話に見えるが、あくまでモックであって携帯電話としての機能はないのだから、太巻きと等価である。
想像だけど、そもそも夫自身が「我が子が生まれる」というライフイベントを前に、不意に自分の趣味に疑問をもったのがコトの始まりだったんじゃないか。あなたは夫を、同じ「ヤバい」趣味もち、として「同士」と認識してたのかもしれないが、夫にとって「趣味」は、何かの代替にしか過ぎなかったという可能性。そう整理すれば、それはよくある「音楽性の違い」みたいな話になる。
高校生がバンドを組む、お互い、他の人と違って「音楽好き」でNo Music,No Lifeだよななんて言いながら楽しく仲良くやってたりするんだけど、しばらく経って双方に彼女できたら、片方は以前と変わらず音楽に打ち込んで依然ガチ勢だけど、もう片方はなんか以前ほどの熱量で音楽やらなくなって、あれひょっとして俺ってモテたいからバンドやってただけなんじゃね? って今更のように気付いたりして、そうなるまでは分かんなかったりするんだよね。そういうの。で、後者はその自分自身への疚しさからつい口に出してしまう。「音楽とか、そろそろいいんじゃね? 俺らもいい大人なんだしさ」
たぶん、夫は、これまでその趣味で人生の何らかの空白を埋めてきたのであって、それがとても深刻な空白であるほど彼は自分自身を趣味ガチ勢だと認識してきただろうけど、子供ができたこれまでの過程の中で、ふっとその空白が満ちてしまったのかもしれない。その瞬間彼は、自分がもはやガチ勢ではないと気付いてしまったのではないか。あるいは、これまで完全にファンタジーとして機能していた自分の趣味が現実と強い関わりを持ち始めた瞬間に、ファンタジーとして機能しなくなり始めたのかもしれない(妹のいない妹属性マニアが、突然妹ができて妹がファンタジーで無くなるとともに、妹属性マニアでなくなるような現象)。だが、その場合は、あらたなファンタジーをどこかに求めるだろうし、それなら、突然安易に他人の趣味に踏み込んだりはしないだろう。おそらく前者の想像が正しいと思う。あなたの夫は、実は同士ではなかったのだ。最初から。それは彼の勘違いに過ぎなかった。
この想像が当たっているなら、おそらくあなたが混乱しているように、あなたの夫もまた混乱の極みにあることと思う。あなたはまだ夫を遠ざけることが(何なら物理的に)できるが、夫が本当に「やめさせたい」のは過去の自分自身の行為であり、それは、何をしても消すこともできなければどこまでもつきまとう呪いである。自分の過去、変化した現在の自分、どちらも受け入れがたい彼は、いま救いのない混乱の中にあるだろう。普段なら、今までならしなかったようなあなたに対する一連の言動も、つまるところその混乱が生んだやつあたりに過ぎない。正直、彼の心がどうすれば、どのようになれば元に戻るのか、想像もつかない。
これは、何か目の覚めるような画期的なアドバイスとかではない。事態を分かりやすく整理しようとしただけの何かだ。余計なお世話だ分かってるよバカヤローと言われればそれで終わる、ただの落書きだ。ただ一つ言いたいのは、結婚というのはだいたい勘違いでできているのだから、勘違いが即「婚姻を継続しがたい主な原因」とはならないってこと。そして私が期待するのは、こんな風に整理したとき、たとえ勘違いに根ざした絆であっても、「情」に基づく対応があなたの側からは可能なのではないかってことだ。あなたは結婚するとき、病めるときも健やかなるときも……と誓ったのではないだろうか。あなたの夫はいま、明白に病んでいる。100%夫自身の責任であると思うが、病んでいる。病んだ夫の病んだ行動を、自分に益がないものと切り捨てる判断をするなら、それはもちろん止めようがない。だって、あなた自身もいま明らかに平常ではないのだから。妊娠・出産という、およそ通常ではない時間を過ごしているところなのだから。無理をして夫に寛容になれ、とはとても言えない。ただ、平常ではない二人が、意地を張ったまま早急な決断をしても、それは誰も幸せにはしないと思うな。あなたの幸せとはいったい何か。
あなたは問題なく善なる人であり、そして、おそらくあなたの夫もただの善なる人なのだ。お互いにまだその一点について同意し合えるなら、そこには落としどころというものが必ず存在し、幸福な未来もあり得るはずなのだ。
それにしても「俺も止めるからお前も止めろ」はないね。それは卑怯だ、だって全く等価じゃないんだから。オタマジャクシと魚の友情。お前は実は蛙だったのかもしれないけど、私は魚なんだ。「そろそろ陸にあがろうぜ」なんて言われてもどうしようもない。そんな気分だろう。それでも蛙が無茶さえ言わなけりゃ、水の中でなら仲良く暮らせたりするかもしれないんだよ。願わくば時間が万事うまく解決しますように。やれやれ。
国の根本の基準なので犯罪で失われたものから口約束の交換まで国の中の基準のすべての基礎となるので
その金で交換するという保障でもってして交換する品は必要な時に必要なものもありそのタイミングでは
予約や残り物といったものをまだ交換できる可能性の部分だけ交換要素として金にかえる「割引」などできるし
必要な時必要だとされるものが多く脱落者を選別するために「割高」という方法もある
その金の差だけを奪うかどうかということにのみおいてビジネスというなら交換に等価となりえない
等価物を等価以外で交換しようというのでWIN WINにはならんだろう
ビジネスってのは土から掘り起こしたり海から取り上げたりした0の価値から順番に
その国の価値基準で決められた方法で交換していくもので基本的ににはLOSEなどない