はてなキーワード: 競走馬とは
1/26の15時頃、ウマ娘界隈に衝撃が走った
過去にウマ娘化されていない馬主の所有馬がモデルかつアニメ1期主人公のスペシャルウィーク産駒の超大物がなぜこんな何もないタイミングで…?
等々の戸惑いが起こる中、シーザリオの馬主であるキャロットクラブ(キャロットファーム)が最新の会報をWebで先行無料公開していることがわかった
https://carrotclub.net/office/news_dis_text.asp?No=4739
新ウマ娘のシーザリオも紹介されているので、これに伴う公表だったのであろう
私も読んでみたが非常に好意的かつヒットの理由を紐解く丁寧な記事やコラムに感動を覚えた
ウマ娘ファンはもちろん、ウマ娘に詳しくない人も是非読んで欲しい
同世代の牡馬にディープインパクトがいる史上初の日米オークス制覇
武豊によるいじわる(婉曲表現)をものともせずに差し切った日オークスも、圧倒的強さで現地実況を絶叫させた米オークスともに強烈だった
産駒からGI馬が3頭(いずれも種牡馬入り)、牝系からも重賞馬が生まれている
GI産駒の1頭エピファネイア(父シンボリクリスエス)は今や社台スタリオンステーションの看板種牡馬で
その産駒からGI3勝のエフフォーリアとウマ娘にも登場した無敗の牝馬3冠馬デアリングタクトが出た
そんな偉大な馬をモデルとしたキャラクターがウマ娘に加わることは、いち競馬ファン・ウマ娘ファンとして嬉しい限りである
なおウマ娘としてのキャラクターだが、競走馬・繁殖双方での優秀さが全面に出たものとなっており、同室の親友が誰なのか既に予想合戦が始まっている(同厩舎同馬主同世代のディアデラノビアが第一候補だろうか)
髪型にスペシャルウィークの特徴が出ているのもニクい。両キャラクターの絡みが今から楽しみで仕方ない
これが1000万円で売れれば、5年くらいは不自由なく暮らせるだろう
たとえば、月々3000円でその人が死んだら300万円貰えるみたいなのを。逆に70歳まで生きたら100万円貰えるとか。難病の人に手術が成功するかどうか賭けるとか、いろいろ考えられる。
この辺の金額設定は、確率の専門家が計算して、保険会社の利益になるようにする。宝くじや競馬と同じ
これが合法になれば、生産性のない高齢者や障害者などでも経済に貢献できる。
競馬の市場規模は2兆円だが、競馬と違って競走馬を育成するコストがかからないし、保険商品の購入もネットでワンクリックでできるようにすればいいので、もっと行くと思う。
正直「育てる自信がないから」「子どもが好きではないから」「自由な時間がなくなる」そんな簡単で単純な言葉で片付く問題ではなく、日本の少子化には根深い問題がある
小学生の頃から今の社会で子供を産み育てるに疑問を抱き、女性視点でのメリットが何ひとつないと結論が出ているため理由を書き出してみた
子供を産むことは起業するよりもギャンブル性が高く後戻りができない
子育てが自分に合わなくても、子供を育てるお金が無くなっても、離婚しても、元の子供の居ない人生には二度と戻れない
会社のように廃業、倒産そういったことが何もできない。自分で意思決定できない。放棄すれば犯罪者になる
妊娠期間中、身体と精神に負担が大きく10か月間ほどの自由や人権がなく、その後も高確率でキャリアが途絶え20年間ほど自由を失う
産んだ後は社会的な立場や自分の時間を全て失う、軌道修正は困難、社会制度がクソ
代替わりするので、自由な時間がなくなるどころか、自分の人生の主役ではなくなる
人生の主役の座から降りることになり、自分が子供の人生のインフラ。しかも、体作り頭作りメンタル作り体験作り等も策定するコンサル兼インフラ
両親の自己肯定感が高くないと難しい。このことを理解せずに子供を作ると毒親になってしまう
子供は競走馬ではないと思う
男性はリスクを一切負わないから不平等、そのため軋轢も起きやすい
女性は1年近く身体不自由で麻酔もかけずに時間と自分の人生を失い命がけで子供を産むのに対し、
一切痛みを伴わず一瞬の快楽だけで自分の子供が作れる男性側は楽しいし、家族を養わなければならない場合基本的に世話も出来ない
男性のように子供を産んでも楽しさや自由があるわけではなく、女性は自分の人生をすべて失うことと引き換えになる
知的障がいや発達障がい、身体障がいを持ってしまった場合育てる時間や労力がない。健常者で大学に行かせても将来ひきこもりや病気になる可能性がある
医療現場で勤務経験のある自分は現実が見えて周りにそういう状況で苦労している親御さんばかりで、何も明るいイメージが出来ない
老後の世話をしてくれるとは限らない
仲の良い家族でも世話はしない。障害を持っていると世話はしてもらえないし、たとえ自分の言うことを聞く健常者が生まれても独立するとホームに入れて会いに来ないし、海外移住もある
ヤングケアラーや奴隷にさせることになる。昔のように子供が親と一緒に住んで下の世話までさせるのは虐待だと思う
「外見至上主義」や「能力による階層化」が進んだ今、「普通の人間」という水準が爆上がりして子供に求められる能力が高すぎる
ママ友付き合い、受験戦争、近所付き合い、親戚付き合い「子供を産んだ」ということだけが接点の人間との付き合いはリスクが多すぎるし苦痛
親戚やママ友からの、顔面比較、能力比較、セクハラなど、犯罪まがいの暴言や差別が子供と母親を傷つける
国が求めるような消費と納税が出来る子供を3人産んで大卒にするには財力も体力が必要
20代までに結婚、20代前半で第一子出産、35までに産み終えるなんて高校卒業してすぐ結婚するような女になるしかない
国から老後に2000万円貯金しろとも言われている時代に、さらに子供を1人の養育費と教育費総額約2,000万~4,000万円も用意できない
さらに住宅ローンもある場合、1億という金をどうやって稼ぐのか正直イメージできない。もっと安くできるという意見もあるだろうが
子供が労働力になった時代じゃあるまいし、学費をケチって子供に可哀想な思いをさせてまで産みたいと思えない
正直国の理想では10〜20代で子供を産むのがベストだが、高卒で結婚して金のない状態ですぐ産むなんて多くの現代女性には不可能
大学や働きながらの妊娠出産でヤリマン呼ばわり。職場や学校でマタハラを受けることもある。キャリアを維持するために産んでも育休が取れない。キャリア形成の出来てくる30代で産むのは厳しくリミットが訪れる
とにかく変化の激しい世の中で10代で計画的に80年以上も生きる人間を自分の意志で作ること自体が無理ゲー
この世の中に80年も生きる人間を作る方が大変だと思うが?
子供を産むことは起業するよりもギャンブル性が高く後戻りができない
子育てが自分に合わなくても、子供を育てるお金が無くなっても、離婚しても、元の子供の居ない人生には二度と戻れない
会社のように廃業、倒産そういったことが何もできない。自分で意思決定できない。放棄すれば犯罪者になる
妊娠期間中、身体と精神に負担が大きく10か月間ほどの自由や人権がなく、その後も高確率でキャリアが途絶え20年間ほど自由を失う
産んだ後は社会的な立場や自分の時間を全て失う、軌道修正は困難、社会制度がクソ
代替わりするので、自由な時間がなくなるどころか、自分の人生の主役ではなくなる
人生の主役の座から降りることになり、自分が子供の人生のインフラ。しかも、体作り頭作りメンタル作り体験作り等も策定するコンサル兼インフラ
両親の自己肯定感が高くないと難しい。このことを理解せずに子供を作ると毒親になってしまう
子供は競走馬ではないと思う
男性はリスクを一切負わないから不平等、そのため軋轢も起きやすい
女性は1年近く身体不自由で麻酔もかけずに時間と自分の人生を失い命がけで子供を産むのに対し、
一切痛みを伴わず一瞬の快楽だけで自分の子供が作れる男性側は楽しいし、家族を養わなければならない場合基本的に世話も出来ない
男性のように子供を産んでも楽しさや自由があるわけではなく、女性は自分の人生をすべて失うことと引き換えになる
知的障がいや発達障がい、身体障がいを持ってしまった場合育てる時間や労力がない。健常者で大学に行かせても将来ひきこもりや病気になる可能性がある
医療現場で勤務経験のある自分は現実が見えて周りにそういう状況で苦労している親御さんばかりで、何も明るいイメージが出来ない
老後の世話をしてくれるとは限らない
仲の良い家族でも世話はしない。障害を持っていると世話はしてもらえないし、たとえ自分の言うことを聞く健常者が生まれても独立するとホームに入れて会いに来ないし、海外移住もある
ヤングケアラーや奴隷にさせることになる。昔のように子供が親と一緒に住んで下の世話までさせるのは虐待だと思う
脱出させる装置は、機体構造に手を入れる(穴をあける)から無理だよな……。改造機あつかいで耐空証明の取り直しになる。コストかかりすぎ。
現実的には、競走馬を乗せるときのように、認定の訓練を受けた専門家が付き添って、非常時その専門家が責任持って脱出させる、と言う要件ならありかもしれない。
それでも、非常時の脱出時、持出を許可する、と言う所まで保障する程度。
費用は、専門家をひとり拘束することになるので、チケット別で千歳羽田間で20万ぐらいはかかると思うが、金持ちならそれぐらいなら出す気はする。非常時置き去りの条件で同伴許可なら、スターフライヤーの5万円は妥当かと思う。
その呼び名の由来が気になる
気軽に口にするには突飛すぎる言葉だ
とりあえずWikipedia見ましょうかね
なんかカッコつきのURLだとうまく貼りつけられないな 曖昧さ回避ページを暫定でメモしておこう
ウッドワードとバーンスタインは、事件の情報源となったホワイトハウスの内部深くを知る匿名の密告者を「ディープ・バックグラウンド」という仮名で呼んでいたが、事件が起こった1972年1月に公開され、大ヒットしたポルノ映画『ディープ・スロート』から、当時の『ワシントン・ポスト』編集局次長ハワード・サイモン(英語版)が、冗談を込めてこの呼び名を使うようになった。
なるほど
いや、なるほどじゃない
匿名の密告者を「ディープ・バックグラウンド」という仮名で呼んでいた→当時大ヒットしていたポルノ映画『ディープ・スロート』にちなんでそう呼ぶようになった
飛躍してると思う どんな悪ノリだ
『ディープ・スロート』の映画の内容がウォーターゲート事件に少しでも関係あるのか?
内容は、喉の奥に陰核がある[1]という設定の女性が登場する、ディープスロートをテーマにしたポルノ作品である[2][3]。
内容が関係ないならディープって単語が同じってだけでそう呼んだのか
まずそもそも1970年ごろのアメリカはポルノ映画の話題を大っぴらに喋っていい時代だったということか 時代の違いを感じる
アホな仮定だが、当時のアメリカでディープインパクトって競走馬がめちゃくちゃ強くて話題になっていたらディープ・スロートはディープインパクトと呼ばれていたかもしれないレベル
メモ:ウォーターゲート事件について書かれた本は山ほどあるはずなのでどれか読む、質問内容が明確なので図書館のリファレンスサービスを使ってもよい 「ウォーターゲート事件の内部告発者はディープ・スロートと呼ばれているが、その呼び名はポルノ映画のタイトルが由来らしい。なぜそのポルノ映画のタイトルが由来となったのか?」
メモ:ポルノ映画『ディープ・スロート』の内容についてもう少し詳しく調べる(優先度低)
やや別件だが、ポルノ映画の歴史について調べるのも面白そうだな
ポルノ映画の文化史、みたいな本は絶対あるはず…… そして日本とアメリカでそれぞれ別の発展を遂げた予感がある
案外そちらの角度から見ないと、どういうノリでディープ・スロートと呼んだか空気感を掴めない恐れがある
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乳牛農家も牛乳消費者も、牛に感謝して慈愛をもって牛を扱おうとする
もちろんそうでない人もいるだろうが、社会的・模範的にはこのような態度で生産・消費するのが肯定される
動物たちが直面するリアルがハードであればあるほど、人間は目の届く可能な範囲では良いものにしようとしたり、想像できる限りで美化して尊重しようとする
それが人類というわがままな存在に付き合わせる動物たちへの慈愛の示し方なんだ
一般的な馬主もファンも事業者もほとんどがそのような人間的品性を持っているので、エゴであることは理解しつつも動物への愛を示さずにいられない
それすらも開き直ってシニシズムに傾倒してしまうのは、一時的になら誰にでもあるかもしれないが、常時そのような考えであるならば、心の発達が一般とはかけ離れている人間と言わざるを得ないだろう
俺はケモの趣味がないので美少女化したウマのゲームはやっていないが、そういう現実の何かにスポットをあてたコンテンツ郡自体は、基本的に良いものだと思っている
オタクは結局のところ一般人にすぎず、アレやコレやを美少女・美男子化したりするのは悪く見ると性欲ドリブンのように見えるかもしれないが、ほとんどの場合、ハードルを下げるための照れ隠しのようなものだ
コンテンツ化されているからオタクの顔をして入ってこれるだけで、もともと興味がないとオタクとはいえ、あっちこっちに手を出すことはしんどいのだ
それくらい今はあらゆるものがコンテンツ化されているから、社会への関心と、溢れる慈愛の注ぐ先を、二次元コンテンツという下卑た形で展開してもらえれば、その崇高さがバレずにキモオタと同列かのように小馬鹿にされつつも、関わっていける
ジャパンカップはイクイノックスの史上最強論争を終結させるような見事な走りと、2着に負けはしたが力をしっかり見せつけてくれたリバティアイランドの活躍で華やかに終わった。
その裏で、3勝クラスのウインエアフォルク、地方競馬所属のチェスナットコート、クリノメガミエースの参戦があった。
チェスナットコートは中央で4勝しオープン入りしてからの地方転籍、クリノメガミエースも中央で新馬勝ちをしてからの地方転籍なので、中央実績からの所属クラスだけで語るならチェスナットコートは文句なし、ウインエアフォルクは1つ格上挑戦、クリノメガミエースは3階級格上挑戦ということになる。
(競走馬は「未勝利、1勝クラス、2勝クラス、3勝クラス、オープン」の順に昇級し計4勝すれば最上位のクラス所属となる)
しかし、格上挑戦だろうと当然、地方馬2頭も中央への出走資格を持っており、ジャパンカップへの出走希望馬の数や獲得賞金額など加味して、出走優先順位が上位18頭に入ったから全馬出走できたわけだ。
ルールに従っての堂々の出走だったわけだ。
結果はウインエアフォルクが15着、トラストケンシンを挟んでブービーがチェスナットコート、最下位18着はクリノメガミエースとなった。
ただ今回、ウインエアフォルクはともかく、チェスナットコートとクリノメガミエースの挑戦を批判的にツイートした人がXに現れ、炎上し批判される事件が起きた。
さらにそのアカウントに、クリノメガミエースの生産牧場の方が「このように批判されてもお互いに良いことはないんじゃないかと。もしクリノメガミエースが迷惑かけたのならすみません」と忠告と謝罪をした。
競馬に限らずだが、あらゆる場面において、勝てないと解りながらも夢を見て、より上を目指して挑戦することは尊い。
そこを否定してはならない。
そしてあらゆる競技に絶対はなく、例えば前の方で多重落馬事故が起き、後ろにいて巻き込まれなかった馬が勝つようなこともなくはない。
オリンピックのスノーボードレース、スピードスケートなどでもたまに見る光景だ。
なので、どれほど実力が足りなくとも、どれほど勝つ可能性が低くとも、そこに挑戦する価値はあるのだろう。
日本だって欧米から学び挑戦し続けたからこその今の発展だし、日本人のメジャー挑戦のさきがけとなった野茂英雄や、メジャーで通用しないと言われながら日本人野手初の大リーガーの1人となった新庄剛志がいたからこそ、今の大谷翔平の活躍があるとも言える。
馬だって同じで、ジャパンカップはそもそも日本馬が勝てない大会だったのが、いまや外国馬が勝てないので誰も来てくれなくなったほど、日本の競馬の進歩は目覚ましい。
今は中央と力の差がある地方競馬も、ミューチャリーのように中央馬を倒す馬だらけになる日だってくるかもしれない。
馬からするとレースの格は関係なく、騎手の指示に従って一所懸命走るだけだ。
馬は慣れないコースを走って故障することもあるし、一度の惨敗でその後のやる気を失うこともある。
その結果、それ以降のレースで走れなくなり、すぐに引退、馬肉になることもある。
馬のその先を思うなら、馬が一番活躍できるキャリアを用意してやることも、馬にとっては大切なことだろう。
しかし、オーナーがその馬をちゃんと愛していて、挑戦で結果が出なくとも、その後走れなくなったとしても、その後大事に面倒を見る覚悟があるならもちろんその挑戦にマイナスの面は少しもないだろう。
今回挑戦した馬たちのオーナーがどのような姿勢かは知らないが、馬に夢を託し、大きなレースに出した以上は、馬を大切にする方達だと思いたい。
地方馬のジャパンカップ参戦だけではなく、日本馬の凱旋門賞挑戦も似たようなものだ。
タイトルホルダーやドウデュースが凱旋門賞に挑み、結果的に惨敗し、帰国後もパフォーマンスを落としたとしたわけだが、彼らはそんな結果に関係なく、将来立派な種牡馬になることは確定している。
だがそんな馬は、ほんの一握りだ。
ひとつ言えるのは、「尊い挑戦をする人」と「可哀そうな馬」は両立され得るということだ。
タイトルホルダーのオーナーも、後になって「馬には可哀そうなことをした」と言っている。
あの時の増田は出馬表を見て驚き、「俺たちのあの子が中央で、win5対象の特別戦に出るんや!うおー!楽しみ!」というかつてない楽しみに震えた。
そしていつも見る地方で行われる中央地方交流戦重賞では、出稼ぎにきた中央馬たちが上位を独占して帰っていくのも見慣れた光景だ。
何が起きても覆らないほど、中央馬と地方馬に力の差があるのは肌身にしみて理解している。
もちろん勝つことはないだろう。
ひとつでも上の着を目指してくれたら、あわよくば1桁着順も?最下位は避けてくれるのは可能でしょ!なんて思っていた。
パトロールを見れば、必死に追って、流したブービーに迫る程度だった。
勝たないのはわかってたけど、思っていた以上で、少しがっくりきた。
いや、それでもよく頑張った、と思ったし、馬も騎手も立派だったし、彼女が俺たちを中央に連れてきてくれたのは誇らしかった。
でもホームの地方競馬場に帰ると、その初戦で見たことないような惨敗。
目を疑った。
え?俺たちの強い彼女は?どこにいった?
田舎のエリートが全国模試でさんざんで、自信を無くしたかのような走り。
うわっ、あの子傷ついてたんだ…
そこからだんだん、俺たちは彼女にとても申し訳ないことをしてしまったんじゃないかと思うようになった。
もちろん馬主や調教師の判断だし、ただのファンには何の権限もない。
でも、あの日無邪気に舞い上がっていた自分は、彼女にとってどういう存在だったんだろう、とは思うようになった。
「馬には可哀そうだった」この言葉は、実感があればあるほど、簡単じゃなく、重い言葉になると思う。
別にこの挑戦に正しいも間違っているもない。
挑戦を辞めたら人は終わりなのも事実だ。
だが馬はその挑戦も、その価値も知ることはなく、可哀そうなことをしたら可哀そうになるのも事実だ。
ただ、挑戦は可哀そうなだけでなく、ディープボンドみたいに惨敗してもいい経験として強く成長する馬もいる。
今回のウインエアフォルクと藤田菜七子騎手は、いい経験になって成長してくれる、と期待されていた。
個人的には、俺たちの吉村騎手がジャパンカップ走ってくれたのは嬉しかったし、いい経験になったろうし、いま競馬学校生の吉村Jr.にもその経験が受け継がれていくと思うと、クリノメガミエースの参戦にも大きな価値が詰まっていたとは思う。
人が馬に楽しませてもらい、その職業の人たちは馬にご飯を食べさせてもらっているのだから、誰だって馬に可哀そうなことをして欲しくはないし、したくはないだろう。
しかし実際の競走馬はあくまで経済動物で、乳を搾る牛や、肉をいただく鶏と本質的には変わらず、ある程度の可哀そうなことを強いるのも必然ではある。
だからこそ線引きは難しい。
ウマ娘の登場人物が女性だけであることは、コンテンツのターゲット層や作品のテーマを反映したものと考えられます。ウマ娘は、競走馬を擬人化したキャラクターが登場するゲームです。競馬の世界では、女性騎手はまだまだ少数派であり、男性騎手が圧倒的に主流です。そのため、ウマ娘の登場人物を女性だけにすることで、競馬の世界をよりリアルに表現しようとしたのかもしれません。また、ウマ娘は、主に男性をターゲットとしたコンテンツでもあります。男性が共感しやすいキャラクターやストーリーを描くことで、より多くの男性に楽しんでもらうことを意図したのでしょう。
しかし、登場人物が女性だけであることは、すべての人に受け入れられるものではありません。男性プレイヤーの中には、女性キャラクターばかりのゲームに興味がない人もいます。また、女性プレイヤーの中にも、男性キャラクターも登場してほしいと考える人もいます。
コンテンツを批判することは、自由です。自分の意見を表明することは、大切なことです。ただし、批判する際には、そのコンテンツの背景や意図を理解した上で行うことが重要です。ウマ娘の登場人物が女性だけであることは、作品のターゲット層やテーマを反映したものであることは理解しておくべきでしょう。
また、批判する際には、攻撃的にならないことも大切です。批判する側も、批判される側も、人間です。お互いを尊重した上で、建設的な意見を交わすことが大切です。
ウマ娘の登場人物が女性だけであることについて、批判をする場合は、以下の点に注意するとよいでしょう。
また、批判するのではなく、自分の意見を反映したコンテンツを創造することも一つの方法です。ウマ娘のような競走馬を擬人化したゲームを、男性キャラクターも登場するように改造するなど、自分の思うコンテンツを創造することで、より多くの人に楽しんでもらうことができます。