はてなキーワード: 空気感染とは
20世紀は、Hiroshimaが原爆で世界的に有名になり、人類の愚行の象徴として今後の人類史で永遠に記憶され続ける都市名になった。
21世紀は、Tokyoがデルタ株流行下の五輪で世界的に有名になり、人類の愚行の象徴として今後の人類史で永遠に記憶され続ける都市名になるかもしれん。
デルタ株は、空気感染する。すれ違っただけで感染する。マスク関係ない。ロックダウンしてマスク着用義務化している国ですら流行している。これまでみたいに、感染者数が増えたら緊急事態宣言出せば減ると思っているのかもしれないけど、緊急事態宣言出しても実効再生産数が1.0を下回らず、新規感染者数が増え続けるだけになる。だから、専門家は捨て身で警告している。
「これまでとは違うんだ」と、皆、わかってない。緊急事態宣言は、日本で現状、唯一使える新規感染者を減らす方法。それが使えなくなる。ワクチンも接種率が7割超えれば新規感染者を減らせるが、到底間に合わない。接種率が7割超えるまで、今後、延々と新規感染者が増え続ける事態になるかもしれない。
Hiroshimaについては日本は純粋に被害者だったと言えるが、Tokyoについては日本が純粋な被害者だと国際的に思ってもらえないだろうな。
これまでのコロナと違い、デルタ株は空気感染する。デルタ株に感染した喫煙者がタバコの煙をふーーーっとやっただけで、他人に感染させる危険性がある。
喫煙者は、自分が無症状感染者なら人を殺す可能性があるのだ、人殺しになるのだという自覚を持ってほしい。
自分が人殺しになってもいいと思える人間だけタバコを吸うべきだし、喫煙者は「人殺し!」と名指しで非難されても怒る権利はない。
だって、喫煙者は、喫煙者に生まれてきたわけじゃないんだから。男女の違いや基礎疾患などは生まれつきだが、生まれつきタバコを吸っている赤ん坊はいないんだから。
喫煙者は、成人になってから、自分の意志で喫煙者になることを選んだ人たちなんだから。当然、自分のタバコの煙で人を殺してもいいと思っている人たちが喫煙者になったんでしょう。
喫煙者を見たら人殺しだと思った方がいい。CDCがデルタ株の空気感染を認めたことが広く報道されているのに、今もタバコを吸っている人間は、「自分が無症状感染者でタバコので煙で他人が死んでも構わない」という、他人の痛みを理解しない人間の心を持たない外道だ。
どんなにやさしそうに見えても、喫煙者は疑え。奴らは人の心を持っていない。
新型コロナウイルス感染症(以下コロナ)が流行りだしてからいつのまにか1年以上たちました。先の見えない自粛でみな疲弊していましたがワクチン普及により先進国ではようやく状況が改善されて先の見通しがたってきたように思います。
流行初期はコロナの特徴や性質が不明だったこともありプロアマ問わず多くの研究者が仮説を提示し、相互に検証したりしてさながら百家争鳴という状態でした。
それは当然だし健全なことです。特に、初期のWHOの政治的な動きや、これまでの悲惨な薬害の歴史を振り返れば公式情報や行政を疑っていくのは自然です。ただ、アカデミアの相互の検証プロセスによって研究者コミュニティの見解も徐々に磨かれて、現場の肌感覚とも突き合わされることでファクターX((日本やアジア人は感染率が低いのには原因があるのではとの仮説))などが否定されている中で新型コロナウイルスに対する世界でのコンセンサスはできつつあるようです。
ただ、そんな状況でもTwitterでは自説を撤回できないまま、敵に攻撃されたりファンにいだかれてカルト化していく動きがあるように見受けられます。
そこでTwitterのタイムラインで見かけたいくつかの印象深い出来事を記録として書いておきます。主観なので間違いもあるかと思いますがご指摘いただけたら反映します。
牧田寛先生。本記事執筆時点でフォロワー3.2万人で66万ツイートしているヘビーツイッタラー。博士号をもち、科学の関わるものごとに広く知的に、かつ断定的に意見を表明している。その自信あふれる姿勢から多くの人がファンになっているようで、凍結されたことについての記事でも多くのフォロワーが言及しているのが分かる(まとめブログですみません)。ここに掲載されている本人のTweetもすさまじいものがあります・・・。
【魚拓あり】コロラド先生こと牧田寛さんのツイッターが凍結 サブ垢に移動 PCR検査などコロナ関連の詳細なツイートをしていた : まとめダネ!
また、こんな振る舞いをよくしていてTwitterで批判されているのも目にする。
マスクに執着するコロラド先生、その本当の姿: 岩見浩造◆の福島原発事故研究ブログ
先の記事で引用されているこの分析が鋭く、Twitter教祖の基本動作の実践者というようにも思えます。
追記)その後、凍結解除されましたがNATROM先生によるブログではよりひどい発言が紹介されています・・・。
「コロラド先生」のツイッターアカウント凍結と過去の発言について - NATROMのブログ
2020/1からTwitterを開始して17万人フォロワーのいるウイルス研究者。
東京大学農学部畜産獣医学科を卒業し、京都大学ウイルス・再生医科学研究所の准教授という専門家(公式HPより)。一般向けの著書もいくつか。
ウイルスを研究している専門家であること、自分の専門の問題を解決したいという思いでいろいろ発信している。
ただ、Wikipediaからの孫引きする発言にみられるようにわりと危うさがあります(出典元のテレビとかには当たっていません)。
2020年6月12日に大阪府で開かれた「第2回大阪府新型コロナウイルス対策本部専門家会議」において、「コロナの感染は発症前後数日がウイルス伝達しやすいが、発症後7日以降は体内に抗体ができ、ウイルスを伝達しない。空気中にウイルスは飛ぶが感染しないレベル」と発言し、「満員電車でも、1人ひとりが黙っていたり、マスクをしていればまったく問題ない。接触機会よりも感染機会を減らすべき」と提言した[4][5]。なお、空気感染については米国疾病対策センター(CDC)が微細な飛沫とエアロゾル粒子が浮遊する空気の吸入により感染することを明確にしている[6][7]。
「筋肉に注射するタイプのワクチンが呼吸器感染症に効くというのは、合理的じゃない」
2021年1月17日放送の読売テレビ『そこまで言って委員会NP』に出演の際、世界で開発が進められていた新型コロナウイルス感染症(COVID-19)のワクチンに関して、「筋肉に注射するタイプのワクチンが呼吸器感染症に効くというのは、ちょっと合理的じゃない」、「治験は夏に行われたもののため、本当に冬に効くのか分からない」等と発言した。 これに対し、国立国際医療研究センターの予防接種支援センター長である氏家無限は、実臨床では感染経路のみでワクチンの効果が決まるわけではなく、また呼吸器感染症には効果がないとする発言についても、ワクチン開発で報告されている臨床結果と矛盾していると指摘した[11]。 BuzzFeed Japanが2021年2月にファクトチェックの取材を申し入れたが、宮沢は「論文における問題点、疑問点、感染の定義、論文の実験におけるPCRのこと、しっかり答えるとなると、回答は相当長くなります」、「今、いろいろなことに追われていて、時間がありません」として回答していない[11]。
Twitterで眺めていると、正義感・直観からの予断をして、多くの人に批判され、それをファンがなぐさめるということを繰り返すことで頑なになっている印象。
特に、大阪大学の物理学研究者の中野貴志先生が提唱したK値を広め、コロナの広がりを楽観的なものに錯覚させたことが印象深い。この楽観的な予測をもとに行政が意思決定する可能性があると思うと責任は重大だと思う(実際に大阪府知事の意思決定にどれくらい影響したかは不明ですが)。
ちなみにK値という後出しでの誤った予測については、著名な経済学者の大竹文雄先生や安田洋祐先生など自分も尊敬する先生もなびいていてそのあと撤回していないようなので残念です。宮沢先生になぜこんなにフォロワーがいるのか謎なんですがコロナ禍前のことについてお詳しい方いたら教えてもらえませんか。
起業家・投資家。2009年9月からTwitterを利用し1.4万人のフォロワーがいる。
コロナ以前から知的で鋭い言論をたまに目にしていたけれど、コロナ初期に統計データからBCG接種国で感染率が低いのではないかという仮説を見出し、この仮説を追い続けてしばしばTwitter上で医師アカウントと喧嘩している。今も精力的に海外のデータや記事を紹介したりしつつも、海外のワクチンでの成功を受け入れられないでいるようにみえる。
https://twitter.com/j_sato/status/1396761791451975680
参考)BCG仮説について(2020/9/6)
新型コロナ BCG仮説の現在 予防効果は証明されたのか?(忽那賢志) - 個人 - Yahoo!ニュース
これだけ知的な人でも、データを客観的にみて考えを改めることが難しいのか、と暗澹たる気持ちになる(まだ氏のほうが正しい可能性はなくはないけれど、賛同している専門家はいないようにみえる)。
あと、経済学者の飯田泰之先生もj_satoさんにlikeつけていてちょっと悲しくなる・・・。
コロラド先生凍結の知らせを聞いて、思い返しているなかで浮かんできた他おふたりについても書いてみました。3人の性格も思想もばらばらで一緒にするなよ、と怒られるかもしれませんがご容赦を。疑似科学グッズを売るとか商売でやっているなら理解しやすいのですが、実績があって知的で社会に貢献しようという意思を持っている方々がカルト化していくのは複雑な気持ちになります。
そう書いているとカラパイアでこんな記事をみました。間違った情報を書いた人を手ひどく批判することがかえって逆効果になると示唆されています。社会をよりよくしたいという正義感から間違っていることを指摘することはSNSでよくみられますが危うさもありますね・・・。
なぜなら水分を含んだ飛沫は重いため2m以上離れれば感染能力はない(ことが多い)からだ。
その場合、空気感染というのは事実上麻疹、水痘、結核等の感染力が激ヤバなものに限られる。
逆に感染症研究者の定義では空気を媒介とした感染を指し、2m以内か2m以上かなんてのは関係ないとしている。その意味でインフルエンザも「短い距離での空気感染」としている。
感染症研究者が「コロナは空気感染だ」と警鐘を鳴らす時言いたい事は「3密避けて2m以上でも油断するな」だ。
一方、マスコミが「コロナは空気感染だ」と報道するときは「麻疹、水痘、結核並の感染力がある」と誤解させようとしている時だ。
両者では伝えたい意図が全く異なる。
空気感染ということもできる。ただしその場合はインフルエンザも空気感染となる。
参考情報:https://medical.nikkeibp.co.jp/inc/mem/pub/report/t344/202008/566635.html
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論理は?
空気感染かそれにものすごくちかい飛沫感染かがわかっていればそのどちらかを決定することまでは暫定的にもとめず、とりあえず実効性有る予防手段として初期にマスクと三密回避、中期にm-RNAワクチンができたことのほうが重要なんだよ。
一種の権威主義とも言えるけど、「権威だけ」を盲信しているわけではない点が違う。
科学分野は他の専門家による検証が比較的容易なため、専門家を名乗る人はテレビ番組などでも発言は慎重になるので肩書は信頼性の指標にはなる。
だからこそ悪意のある専門家でも、「◯◯は◯◯の効果が期待できると言われています」というような、
検証されても逃れられるように断言しない言い方を多用してミスリードを狙う。
また、専門家の主張に対してそれは、仮説として言ってるのか、事実として言ってるのかの峻別は素人でも認識する必要がある。
つまり主張のフォーマットを意識して、仮説か、事実か、ミスリードを狙っていそうかを見極められる程度の能力が一般人が持つべき科学リテラシー。
例を挙げると「空気感染してる可能性がある」という仮説と「空気感染するというデータはない」という事実は矛盾しないし「空気感染するというデータはなくマスクの効果は期待できない」はミスリード。飛沫感染だとしてもマスクは有効なので、
「権威」という言葉に納得できないのであれば、われわれは、ある話題について、誰を、どの程度まで信じることができるか、という「実践感覚」を持って生活していると言い換えてもよいだろうか。
われわれは義務教育の教科書に書かれていることは概ね正しいと認識している。義務教育で教える内容はいわゆる「定説」として確立されたものであり、すでに複数の専門家による批判・検証を経て正統な保守本流の知識としての共通認識が成立したものであると理解しているためだ。初等教育過程で学ぶ知識の体系はほぼ権威による学びである。もちろん理科であれば実験をおこなうことによって、社会科であればフィールドワークを行うことによって、学んだことを経験によって確認する機会は設けられている。しかし学ぶ知識のすべてについてそのような検証を行うわけではない。教えられる知識が検証可能であることを示し正当性を担保するためと、検証する方法論を学ぶためである。
われわれは新聞やTVというメディアの情報が概ね信頼できることを知っている。しかし100%信頼できないことも知っている。各メディアごとに信頼度は異なり、同じメディアの中でも話題や分野によって信頼度が異なるという感覚も持っている。BBCやCNNのいうことは信頼できるがスプートニクや大紀元はトンデモだとか、岩波書店の出す書籍の内容は信頼できるが幻冬社の本は紙くずだとか、われわれはこのような無数の相場感覚、実践感覚を日々の生活で養いつつ、またそれを以って触れる情報の真偽のグラデーションを判断しているのだ。ここで見落とすべきでないのはそれら相場感覚、実践感覚はあくまでも「感覚」であって客観的基準ではないということである。
元増田への反論に論文査読や再現可能性、反証可能性を持ち出すのは筋違いの議論である。それらは原理的な主張としては正しい。しかしわれわれは全ての情報についてそのような判断をしているわけではない。例えば「SARS-CoV-2は空気感染する」という言説を聞いた時、それを主張する論文に当たり、誰が書いたものか、査読は誰が行ったか、それぞれの研究者の業績等を調べて真偽度を判定するというのは「原理的には」可能である。しかしそのようなことをあらゆる情報について行うことは余程の暇人でなければやっていられない。多くの場合はその分野の権威とみなされる研究者が論文に信頼性があると判断した(あるいは信頼性がないと判断した)という事実をもって自身の判断の参考にするだろう。すなわち権威による判断である。
初等教育で学ぶ知識の体系に照らして真偽を判断するということは可能であろう。しかし初等教育で学ぶ知識の体系というのは権威による学びであったことを忘れるべきではない。その知識の体系全てについて実験などによる経験として検証したと主張できる人は少ないだろう。(あとで、検証することが原理的に可能であるとしても)我々はそのように<権威によって>「定説」として与えられたものをもとに真偽を判断し、その真偽の判断が他の人の言説にどのように現れるかを以ってその人に対する信頼度を評価し、その信頼度においてその人の言説に現れた事象の真偽を評価するのである。そのような信頼と評価の積み重ねから真偽のグラデーションを判断する実践感覚が生まれているのだということ、多くの生活の場においてその感覚に依存しているのだということを忘れるべきではない。
空気感染じゃなくてエアロゾル感染ですし、HIVの免疫不全と全く異なりますね。
色々あって心が不安定なのだと思いますが、ご自身の理解力の無さを省みられて、少しでも良い人生がおくれると良いですね。
手遅れにならないと良いのですが。。
本当に難しい。
コロナ最初期段階から言われてたことが、結局ほぼほぼ当たってた件について
↓
Twitter医師団&ブクマカ「そんな事実はない!正しく恐れて!」
↓
(A) 何件同じ事例が見つかったら、科学的に概ね正しいと言えるか(疫学的正しさ)
(B) どうやってメカニズムを実験的に解明したら、科学的に正しいと言えるか
という問題があって、
臨床医というか、現場で患者を診てる医療関係者は、とにかく救える命を増やしたいから、
最初の1例からでも、空気感染かも?抗血栓薬効くかも?死亡率高いかも?
と情報共有しようと発信するのに対して、
研究医的な立場だと、その影響力の大きさから、ある程度の症例を集めるか、
少ない症例でも実験的にメカニズムを解明できない限り、何も言えない。
結果として、それぞれの立場にはそれぞれの正しさがあって、
(ごはん論法=朝ごはんは食べましたか?いいえ食べてません。(食べたのはパンだったから))
があって、
マスクが有効であるというエビデンスは無い と言いつつ、マスクは有効ではない とは決して言わない。
なぜなら、
空気感染するというエビデンスは無い と言いつつ、空気感染しない とは決して言わない。
なぜなら、
じゃあ、「新型コロナはインフルエンザより致死率高いらしい・・・」とか「新型コロナは空気感染してる可能性あるらしい・・・」とか言ってたやつは何か根拠があったのか?
知識がないために恐怖心をかきたてられて、より最悪シナリオを自分から望んでしまい、その恐怖感を自分だけで抱えていることができずにネットで根拠のない持論を述べただけだろ。
専門家は可能性の話と、現在判明していることの話をする。可能性の話は無駄な恐怖心を煽りパニックを引き起こすおそれがあるのでより慎重になる。だが可能性を捨ててはいない。この違いがわかるか?
福島原発事故のときの枝野の「ただちに影響はない」もそうだろ?最悪ケースのリスクは想定したうえで現状判明していることベースでパニックを抑えるような伝え方をした。
そりゃ、誰も正解を知らない未曾有の強い感染症に、無責任な最悪ケースを根拠なく断言し続けていれば、ウイルスの強さの実態が判明するたびに当たるだろうさ。専門家は判明前には断言できないんだから。
結果だけ見てどっちが正しかったじゃないんだよ。根拠のない意見は仮説に過ぎず、仮説とその時点で判明していることを比較する意味のない主張をを恥じろ。
致死率と死者数は別物だぞ。正しく恐れろ。
思ったように免疫働かないことが分かってきました
そもそも医者は「現時点で確証はないから慎重に」と言っているのであって
何でもかんでも不安を言い立てていればそのいくつかは当たるに決まっている。
おまえは闇雲に恐れているだけだ。
正しく恐れたまえ。
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Twitter医師団&ブクマカ「そんな事実はない!正しく恐れて!」
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Twitter医師団&ブクマカ「そんな事実はない!正しく恐れて!」
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Twitter医師団&ブクマカ「そんな事実はない!正しく恐れて!」
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思ったように免疫働かないことが分かってきました
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Twitter医師団&ブクマカ「そんな事実はない!正しく恐れて!」
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Twitter医師団&ブクマカ「そんな事実はない!正しく恐れて!」
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新型コロナはどうやら血栓ができて心停止とか脳梗塞に繋がる可能性が・・・
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Twitter医師団&ブクマカ「そんな事実はない!正しく恐れて!」
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なあ、これなんなん?
他にも上げればキリがないんだが
もちろん中には間違ってた噂もある
でも最初期に言われてたことが、ここまで的中してるって偶然で済ませられるレベルなのか?
本当に適当に恐怖を煽って言ってただけなら、こんなに当たるわけないだろ
正しく恐れてとか言って、必要な警戒心を薄めていくことに全力だった連中、増田にもブクマカにもいたよな?
正しく先を見据えていたおまえらは、当然いま現在こうなっているような未来の可能性もすべて考慮に入れていたはずだ
なかったことにして平然としてる奴らも散見されるけど、いい加減申し開きすべきだろ
いったい何を目的にして、人々の警戒心を薄めようとしていた?
本気で最初期に言われていたことがすべてデマと信じていたのだとしたら、さすがに間違ってましたの一言ぐらいあってもいいんじゃないのか?
しゃべった時に発生する微細な飛沫がエアロゾルとして、空中を漂い、それを吸い込むと感染する。
だから、みんなマスクして微細な飛沫の掃き出しと吸い込みを防ぎ、
黙食といって、食べるときはしゃべらないようにすることで、どうにかクラスター感染を抑えきれていた。
今のところ、スパイクタンパク質の変異が感染力に寄与するだろうという仮定から、
もっぱら、スパイクタンパク質の変異部分のみに着目してN501Y とか命名しているけど、
本当に怖い変異は別にあって、例えば、エアロゾルが乾燥して飛沫核になっても感染力を維持している(=空気感染する)とか、
あるいは、
飛沫核までいかなくても、従来なら 1㎛のエアロゾルまで活性があったのが、0.1㎛のエアロゾルでも活性をもつようになったとか、
みたいなことが起きてるんじゃなかろうかと思えてならない。
大阪の事例だけだけど、
N501Y変異株は空気感染するし高齢者じゃなくても重症化するって話だけど実際はどうなんだろう。
でも、自分が仮に地方在住なら、そういう目的で引っ貸してくる首都圏住民に嫌悪感を持つかも。
もっとも、今の勢いが続くなら、地方でN501Y変異株が蔓延し始めるのも時間の問題かもと感じる。
もしかして、今こそ(ワクチン利権でハブられている)イベルメクチンの出番では?
自分は、イベルメクチンを1週間に1錠飲んでいるけど、安心感が全然違う。
北里大学HPにイベルメクチンの論文がアップされているので、興味があったら読んだらいい。
自分は臆病な方なので、イベルメクチンがなかったら、東京や大阪には絶対に行かないし、地元の商店街にも絶対に行かないと思う。
飲んでいるのは、アリエクで5〜20ドル(1錠あたり約5〜20円)で売っている家畜(牛・豚)用イベルメクチン。英語とかでググりまくって、成分・中身は人間用と全く同じだということを確認した(人間用には申請・承認されていない)。
アリエクで「ivermectin」で検索したら出てくる(人間用に承認されていないので、飲用は自己責任)。
自分の場合、(15ドルくらいのを1週間に1錠7.5mg)飲用しはじめて1カ月以上経ち、体調は快調、かつ「安心感が全然違う」のは間違いない。
2〜4週間位で届く。
Covid19感染者を見つけるためのPCR検査が絞られてきたことがこの三度目の要請に至った理由だと考える。
無症状感染者を見つけるための社会的検査、事業所への頻回検査や希望者への検査を渋ってきた。
無症状感染者を早期発見することで感染を広げることを止める事の意義を理解できず、また、濃厚接触者として、接触者の検査すらも厳選したことで、何度も感染の山を作ってきたことは吉村洋文氏の責任であると私は考える。
「どうしたら感染を防ぐことができるのか、感染を防ぐためにはより多くの感染者を見つけることが必要だ、どうしたらそのような検査ができるのか?」ということを考えてこなかったのである。
政治が無能であり、私たちの命が守られていないことは、政治が悪いということが分かってもらえない。
言葉が届かないもどかしさをずっと考えている。
その感染防止の個性の穴を、SARS-CoV-2は見逃さないのである。
たとえばウレタンマスクが好きだ、そのマスクは、不織布マスクに比べて半分しか感染抑止効果がない。
たとえばマスクから鼻を出してしまう、SARS-CoV-2は空気感染なので、空気を吸い込むだけで感染してしまう。
屋内での食事は、マスクをしないから危険である。夜の飲食店ばかり槍玉にするのは感染の山をおさえる、スプレッダーイベントさえコントロールすれば十分であって、感染を防止するためではない、感染の数を少しだけ減らしたいだけなのだ。
酔っぱらいはみんな嫌いだから攻撃してもいいのだ。そういう気持ちさえ政治利用されている。
SARS-CoV-2に対抗するためには、個人の力では無理なのだ。
ところで、私は新型コロナウイルス感染症とコロナと呼ぶのはためらっている。
「ころな」という名前の子はいないだろうか?いじめられてはいないだろうか、といつも気がかりなのだ。
パンデミックが始まって一年以上が経過してしまった。一年である。
感染者が少ないというのは非常に優位だった。
数が増えれば対処できないからだ。ヨーロッパが制圧できないのは、数が多すぎるからである。
日本は感染者数が少ないからこそ、コントロールできるはずだった。
従来株でも、毎回、感染の波を大きくしてきた。それは政治の無能さを示すものだと思う。波を低くしていくこそが、低く維持することこそが、政治の役割である。