はてなキーワード: 空即とは
昔から色即是空、空即是色と言われるように、意識なんてあると言えばある、無いと言えば無いと言う程度のもの。
原子が流れ分子が波打ちシナプスのミステリーサークルが不確かな論理的輪郭を持つ
そんなのが崩れることは当たり前。むしろ一瞬も意識が同一を保つことはなく、もし意識を生存の定義とするなら、常に我々は死に続けている。
花が咲いて枯れて土になるように、ヒトも生きて死に朽ちるように、雨が川になって海に戻るように、全ては一である。
お前はそこにいない。お前は全てだ。お前は世界だ。シナプスのつながりが特定の表象を生み出すように、縁がお前の輪郭を形作る。一瞬として同じ形はない。全ての瞬間で何も変わっていない。
一つのシナプスが死んでも、脳は動き続ける。一人の人間が死んでも、お前は動き続ける。
お前は意識の中に居るのではない。お前は意識ではない。お前は脳ではなく、お前はホモ・サピエンスではない。
お前は知覚できない古代からの物質の本流の先端に在るだけであり、連綿と続く因果こそお前だ。
因果は全が一になり、一つとしてつながりのない存在はなく、それこそがパラメータの集合のゲシュタルトとなっている。世界のゲシュタルト、お前のゲシュタルト。
いやたしかに日本の仏教がふにゃふにゃなのは同意なんだが、大乗仏教の歴史をざっと見ると、龍樹とか世親とかのビッグネームがいるじゃん
こいつらが説いた理屈はかなり強度がありそうに思えるから、潜在能力としてはなかなかしっかりした教理がありそうに思える
ポストモダンというのは基本的に「色即是空」としか言っていない。
仏教はそこから「空即是色」としてこの世界を引き受けようとするところがある。
ポストモダン的に言うと、すべてのものには本質や根拠、意味なんかなくて、単に名前をつけられた存在にすぎない。
でも仏教は、であるが故にこの世の中をどういうふうに引き受けるのか、この現世の中で意味ある生を生きていくのか、その精神をもう一度問う。
大乗仏教はプレモダンのように思えて、実はポストモダンを超克し得る可能性があるらしいんだわ
(色即是空空即是色つってるからここで言及されてる「仏教」は大乗仏教のことだわな)
こんな感じで、上座部を現代思想として捉えたとき、どういう視点を提供できるのかについてわりと気になってるんで、詳しい人いたら教えて欲しい
僕は人付き合いが苦手だ。色々神経過敏ですり減りやすい。耐えられない。
俗世に疲れた。もう何もいらないし肉体も要らない。比較や競走に疲れた。
どいつもこいつも褒められたいばっかりで、疲弊する。
世の中の不条理を憐れむことすら飽きた。何かを外から遠巻きに見て人の愚かさを笑うのももう飽きた。
なんというか社会に抗ったり線を引いたり、色々頑張ってみたり、疲れて隠居してみても、この肉体が窮屈で面倒だ
仕事して上司のオナニー説教聴くのも、そこから逃げて隠居することも、
すべてばかばかしい
生きてる間になにか答えが欲しい訳でもない
もう何もいらない。欲もない。
仏道に入ろうか
でもそれをして何か得られるものがあるとは思ってない。
人ととして生きている今は
人のためになにか施しをしたいとか
ほめられたいとかもべつにもうない
もう人に迷惑かけたくないな
いっそ大真面目にふざけようか?
人は人生一度限りなので
例え、いっそヤク中になり全身にタトゥーを掘ったとて、女とヤリまくったって、過激な性倒錯に陥ったって、退屈なのは退屈だ
人が嫌いだけど芸人や落語家は好きだな。僕とって笑いは麻酔みたいなもの。彼らは世の不条理や無常を鋭く抉り、鮮やかに笑いへ変えてくれる。麻酔を作ってくれる人。大真面目にふざけている。痛快で存在が好きだな
もう死にたい
中島: ポストモダンというのは基本的に「色即是空」としか言っていない。
仏教はそこから「空即是色」としてこの世界を引き受けようとするところがある。
ポストモダン的に言うと、すべてのものには本質や根拠、意味なんかなくて、単に名前をつけられた存在にすぎない。
でも仏教は、であるが故にこの世の中をどういうふうに引き受けるのか、この現世の中で意味ある生を生きていくのか、その精神をもう一度問う。
色即是空というとニヒリズム的な響きがあるが、ニヒリズムといえばニーチェである。
科学的知性や理性によって神を殺した我々は、もはや神によって与えられた生きる意味や価値を信じることはできない。
そうして無意味になった人生に対して、彼はニヒリズムの打倒を叫び、生の肯定を要求した。
大乗仏教の色即是空から空即是色へという流れはこれに似ているようにも思える。
もしかすると次のようなことが言えるかもしれない。
仏教とは、あらゆる物語を剥ぎ取った上で展開された思想である。
色即是空的な宗教的真理に基づき、初期仏教や上座部仏教は現世からの解脱を志向し、大乗仏教はあえてこの世界で生きようとする。
仏教は物語の喪失の彼岸にある思想であり、神の死を乗り越えて生み出された価値である。