はてなキーワード: 社会的制裁とは
某まとめサイトの運営者が損害賠償判決を受けたというニュースにおいて、このブコメが星を集めていた。
『被告のほうも「男性」じゃなくて実名で報道しようぜ。社会的制裁が加わるように。200万くらいの賠償額じゃ、この差別扇動サイト@hoshusokuhouの収益もきっとまだプラスだろうし。 』
率直に言って 私はあのサイトはやりすぎだと思っていたのでこの判決を支持するし、もっと言えば このブコメをした人の気持ちもわかる。
でも、どこかひっかかるものがある。
すなわち、このブコメはサイト運営者に対する社会的制裁を扇動してはいないか。
匿名性を基に誰かを攻撃するという点で、ブクマカと運営者は何が違うのだろうか。
もしかしたらこんな匿名日記でブコメを批判する私も同じなのかもしれない。
もっと言えば、この日記への批判ブコメも(つかないかもしれないが)。
「人を呪わば穴2つ」とは「呪いなんて存在しない。ただし呪う側は性根込めすぎて死に、呪われる側も呪いの効果を過度に心配する故に死ぬ。だから人を呪うときは墓穴は2つ用意しておけ」ということなんだそうだ。
正義マンってのは、自己判断で、良かれと思って、悪を断罪する人たちだ
「この人痴漢です」という声を信じ、被疑者をどこまでも追い詰めるような人だ
正義ぶったメディアもそうだし、廊下を走った子を捉えようとして廊下を走る委員長もそうだ
webで通報行為を繰り返す人もそうだし、SNSで皆で誰かに罵詈雑言を浴びせる行為もそれだ
関東大震災の時に朝鮮人を殺して回った人もそうだろうし、体罰をした指導者に非難するのもそうだろう
→その人の思想信条に依るし、騙されてる可能性もある、罪の大きさをその人が判断している
2.良かれと思っている
→自分が正しいと信じているせいでエスカレートし、タガが外れる
3.数の暴力に発展する
→同じ情報を多数の人が見ると、正義マンの反撃が果てしない規模で個人に向かう
この現象は構造的問題であって、一見すると非常に奇妙に見えるはずだ
正義の対象になる行為は、その程度が大きい場合もあるが、犯罪に満たない些細なものだったり、個人の思想依存のものだったり、それ以前に噂程度ということもある
しかし正義マンの逆鱗に触れると、ことの真相や行為の大小に関係なく正義執行されてしまう
「暴力は良くない」という理由で「暴力を振るわれる」というのが最も奇妙な例だ
そして、正義マンが自分で「このくらいの仕返しなら良いだろう」と思うような正義執行でも、その数が千や万になると大きな暴力となり奇妙な状態になる
正義執行がそもそもの行為の被害者や、関係者全員を不幸にするケースもある
そうなるともはや正義マンこそが悪という、これまた奇妙な状況が生まれる
こういった問題は、SNSの炎上や、ワイドショーのネタ、性の問題、ポリコレ周辺で多く発生していると思う
差別発言をしたものはリンチしてもいい、性犯罪者は皆殺せ、みたいな。おおよそ社会的な価値観とは合わない意見が展開されている
ただ個人で心がけることはできる
・真偽不明なことを拡散しない(自分の不用意な拡散が、誰かを正義マンに変身させている)
・正義マンの暴走を勇気を持って止める(これは非常に難しい。簡単に悪認定される)
ちなみに一時期、2chではこれが上手く機能していたことがあった
途中で「実は真相が違っていた」という場合に、安易にのっかって非難していた正義マン達が今度は追求される側になるという現象が起きたのだ
「こいつらは禄に調べもせず、スレの情報を鵜呑みにして叩いたバカだ」と言った具合に
私も何度も踊らされては、後から真相を知って自分の正義ぶった書き込みを恥じた覚えがある
やがて正義ぶった行為の愚かしさを学んでいくのだが、今の世の中全体の情報の流れ(SNS・メディア・ワイドショー)だと、そういうのが体験しづらくなっていると思う
そこはどうにかできるのでは? と思う一方で、暴走する正義マンはどこにでも居るので、仕組みだけじゃ解決しないなとも思う
ジャズミュージシャンの日野某が中学生をコンサート中にビンタした。
たまたま著名人が起こしただけでこういった体罰が問題になることは平成の世になってからでも星の数ほど起こっている。
法律的にも社会のコンセンサスでもアウトである事は分かり切っているはずなのに減ってはいるが無くなる気配は無い。
西洋社会では体罰は絶対悪であり行えば壮絶なリンチすら受ける。
西洋人は知に優れ世間知を尊ぶ社会を作った。知に優れるからそのような社会的には理性に頼らないルールが必要な事を理解し実践している。
エコーチャンバーのような問題はまさに現代西洋社会を象徴している。
世間知の世間の範囲が個人の社会的地位により個別に隔離された結果で世間知が尊ばれている証左だ。
日本も西洋社会を模しているはずだから体罰を行なえば悪であり社会的制裁を受けるはずだ。
しかし日野氏の件にしても同様の理由で体罰を行なった件にしても世間で絶対悪である認識は無い。
私も絶対悪だとは言い切れないし体罰についての議論は紛糾するのが事実だ。
自分だって音楽のプロなら客前でふざけてる中学生のガキをどつきたい。
戦前の日本は全てが知に基づいた社会ではなかったのだ。情に基づく美しさを範とした江戸時代の慣習も当然残していたし現代も消えていないのが今も体罰が行われる証左だ。
大岡裁きは現代でもそこにある情の美しさは否定出来ない。現代日本の社会問題のほぼ全てが知で規定されるべきルールを情や儒が侵犯した結果だ。
日本の方針は今もこれからも日本的な僅かな良いものを部分残してあとは西洋を模倣します、といったもののはずだ。
政府首脳関係者も日本会議とかそっち系のグループに所属しそういった活動を行なっていると聞く。
刑罰は犯罪者を矯正し社会的制裁を与え犯罪を抑止するためのもので、被害者の復讐心を満たすためのものでは無い
人間には理性がある。
だが、”お前も同じ土俵に立つ” お前のレベルが下がるからやめとけ」と言うタイプが居る。
言いたい事は分かる。
でも、「なんでやられた側が我慢しないといけない」んだ? ガンジーなの? 痛みを感じない神様なの?
そういう「許しちゃう自分偉い」的な事を言っている奴らに限って
「やられたからやり返す!!」と敵意むき出しにして攻撃しに行くんだと思う。
相手の気持ちを汲むことが出来ないんだ。自分が実際にその状況にならないと。
性犯罪者には、同等の性犯罪をあてがう。二度とそんな気を起こさないようにトラウマを植えつける。
何の理由も無く苦しんで殺した人は、同じ苦しみを味わい"心が死ぬ"状態にする。
[追記]
精神的におかしかったので刑を軽くします!っていうのは分かる気もするけど
やったことは殺人だったりするから復讐する権利はあっても良いと思う。
あとから頭おかしくなりました演技する人も居そうだから、ホント悪いよね。
> cloq 人は殺してはならない。ならば、やられてもやられてなくても、そのことに変わりはないはずだ
先に相手が「人は殺してはならない」という基準を守っていない場合、こちらが守る理由はあるんでしょうかね。
重大犯罪は防げないかもしれないけれど、ほかの人が答えてくれたように再犯はなくなる。
特に、性犯罪については再犯率が高いと聞く。どうにかして欲しいものだ。
>刑罰は犯罪者を矯正し社会的制裁を与え犯罪を抑止するためのもので、被害者の復讐心を満たすためのものでは無い
とはいえ、「再犯を防止できているか」といわれたらYESとハッキリいえないと思う。
いじめをした奴は、心の底から反省したわけではなく再度行う事だってある。
ところが、このホテル、「みんなのウェディング」の評点は高かったんだよなぁ。普通、ブコメより、みんなのウェディングの方を信頼するよなぁ。
最初のプランナーさんが「現実的な見積もり」と言って出してきてくれたものを信用してしまった。間違いだったよ。
彼女は今更キャンセルできないって言ってるし、まぁ、普通に考えて、そのまま全額払うことになるでしょうね。ホテルとしてはボッタクり大成功、丸儲けですよ。同じ商売やってる人間として、こんなやり方は許せない。既に怒りは式場に向かっているので、式場に何らかの社会的制裁があるってしかるべきだと思うよ。
某エンジニアが40代の過渡期に、学生時代の修羅場みたいなことをしていて草なのだが、お金と、妻子があるだけ、余計厄介。
社会的制裁とか、どうでもよいので、不倫に至らないための方法を教える。
年下の慕ってくれる女性ができたら、娘だと、思えば良い。
某氏は完全にちんぽに負けているわけだが、ちんぽに負けないための理性をどうやって保つか。
してはいけないと、倫理観を高めると、ちんぽとの戦いになってしまうので、如何にちんぽと戦わない土俵に持ち込むか。
娘と思って接すれば、彼女候補に、安心感を与えつつ、自分を安全圏に保ちつつ、自分の虚栄心を満たすことができる。
セックスもしなくていい(もちろんある程度あると思うが)
パパ活にまとめてほしくないが、大学教授(私立文系)の叔父も、学生を娘と呼んで可愛がっていた。(学生宅に泊まったり、現代ではできない逸話をよく聞く)
女性にとってのパパであれば、いずれ自立しなければいけないことを自覚しつつ、自立に向けた英気をやしなうことができる。
パパになれば、安心感を与えてあげれば、女性を満足させてあげることができる。満足させてあげれれば、自身も満足感を得ることができる。
不安定な女性は精神的な支えを求めてしまうので、2人の関係だけになればなるだけまずいし。
というか、メンヘラな女性が増えているのって、明らかに精神的な支えになってくれる人が欠けてるからだろう。
「だった」と明示的に書くのには理由がある。
わたしは現在20代で、比較的偏見の目も少なくなりつつなる世に生まれた方だと思う。
言うまでもないが、性同一性障害といのは「性自認」における「同一性」の障害だ。
よく性別適合手術まで受け、戸籍変更した元男性も言うが、性別適合手術を受けたからといって、遺伝子は変わらないし、元男である事実はまぎれもない事実だ。
要するに結局はアイデンティティに関する障害であると言うのがこの病の本質だ。
わたし自身は性別適合手術を済ませ、戸籍変更も済ませているが、その後もカミングアウトによる偏見の目というのは少なからずある。
これは良い悪いという話ではなく、性同一性障害の当事者をどう見るかなんて言うのは差別でも何でもない。
その人の捉え方だ。
もちろん、性同一性障害を理由に不当な社会的制裁を下すのは現在の法律では禁じられているが、どう思うかなんてのは自由でしかない。
話を戻そう。
先にも述べたが、性同一性障害はジェンダーの問題であると同時にアイデンティティの問題でもある。
アイデンティティを非難する理由の1つがジェンダーであり、ジェンダーというのは今の医療技術ではどうしても限界があるというのがこの病の難しい点だ。
しかし視点を変えれば、アイデンティティはジェンダーだけで構成されるものではない。
あたりまえのことだ。
「わたし」を構成する要素は性別であり、年齢であり、特技であり、苦手なことであり、実に様々だ。
トランスセクシャルや性的マイノリティというのはもちろんそれを構成する要素の1つだが、再三言うがそれだけではない。
その後も様々な方法で売りぬこうとするが、成果は芳しくなかった。
「いや、そういう善良な人間はかえって危険だ。時と場合によっては躊躇なく人を殺す」
俺たちは、もはや正攻法では無理だと考えていた。
「この石にスピリチュアル的な何かがあるって謳ってみる?」
「いっそ今回のことを社会問題にでも仕立て上げて、有耶無耶にしてしまう?」
「それもいいかもなあ。でも色々と面倒くさそうだなあ」
アレコレ案は出すものの期日は迫っており、俺たちは内心ほぼ諦めていた。
おもむろに、唯一売れた石の売り上げである500円を俺たちは眺める。
そうタイナイが呟き、俺も心の中でそれを復唱した。
他に買う人……。
「そうだ!」
俺は気づいた。
「マスダ、何か思いついたの?」
タイナイは要領を得ないようだった。
「いや、マスダ。その買う人が見つからないからこんなに苦心しているんじゃないか」
「忘れちゃいないか。俺たちには買う人のアテがあるんだよ」
更に言えば、あのエセ経営者へ仕返しもできる一石二鳥の方法だ。
職業体験という名目で、学生を酷い商売に加担させた罪は重いぞ。
「マスダの目が据わっている……酷いことになるぞ」
期日の時。
売り上げ報告の日だ。
「それじゃあ売り上げを見せて貰おうか」
俺たちは無言で売り上げを渡す。
「総売り上げは……500円。全然売れなかったようだな」
「いいえ、全部さばけましたよ」
俺の言葉を聞いて、眉をひそめる。
見え透いた嘘に見えたのだろう。
まあ、それも当然のことだ。
だが、嘘は言っていないのである。
「だったらキミたちの持っている、その石はなんだ」
「これは僕たちが買った石ですよ」
「……んん?」
むしろ「反省したから許せ!」という言い分を与えるだけである。
大切なのは再発防止策の立案と、隠蔽への対策であり、当事者の人間的成長のようなドラマティカルな事ではない。
また、反省させることこそが大切とする文化には社会的制裁(リンチ)を誘発する危険性がある。
究極的には、問題を解決し再発を防ぐ、それ以外のことは考える必要はない。
そもそもあらゆる問題の所在を人間性などに求める事が間違いだ。
問題なのは行った行為、過程、結果であり、それを誰がどういう目的で行ったのかは二の次である(よきソマリア人の法を適用すべき状況等は除く)。
そもそも同じ人間どうしで他人の人間性を否定し、自分の考える正義へと歪めようというのがおこがましいのだ。
そもそも何度でも犯罪を犯すのなら、そのたびに牢屋に入れればいい。
半端な事は考えず、犯罪者だから牢屋にぶち込むという判断こそが、究極の再発防止プランではなかろうか。
何故なら完全な再発防止など夢のまた夢だからだ。
http://anond.hatelabo.jp/20170608201513
これの元増田だけど、私は「痴漢」の定義が広すぎるのが問題だと思っている。
誰でもやってしまうような時速10キロのスピード違反から、飲酒をしてむちゃくちゃな暴走運転することまで、全部をひとまとめにして「交通違反」と呼ぶくらいの雑さがある。
これは先日にネットで話題になっていたマンガだが、手のひらじゃなく、手の甲で女の尻をなでるというセコイ痴漢がいるらしい。
しかし、そういうケースこそ逮捕の必要がない。というか、満員電車で女に触るというくらいの犯罪は、たった1度や2度やってしまっただけで過剰に責めたてるべきではないと思う。
もちろん、軽度のスピード違反でもくりかえせば免停をうけるように、再犯があまりに多すぎる者への対応は厳しくするべきだが。
ブコメに返答
id:shariasharia 痴漢をする人間が、ごく一部の重犯罪者しかいなくて、他の人間はまったく犯罪者になる動機がない犯罪なんだし、再犯率が異様に高い犯罪なので、むしろ終身刑にでもしなければなくならないぐらいの犯罪なんだが。
大多数の男は、実際にはまだ痴漢をやっていないというだけで、痴漢をやる動機を隠し持っているといえる。
例えば、「俺はゲイだから女に触ろうと思わない」→「動機はない」という主張には意味があるけれど、「俺は善良な市民だから痴漢をやろうと思わない」と主張をすることに何か意味があるのだろうか? それは犯罪者をモンスター扱いにして、自分たちとは違う存在だと切断処理しているだけじゃん……。
あと、ほんとうに少数の頭おかしい男だけが痴漢をヤリまくっていることが問題なら、なおさら私の意見が妥当ってことになるよ。
何度もくりかえしている男を逮捕するだけで、事件の発生数は大きく減って、社会秩序を維持できる。(逆に初犯の男を多数逮捕しまくっても、事件の発生数をほとんど減らすことはできない)
やはり最初の1回や2回の痴漢行為は逮捕せず、軽めの罰金だけで終わらせておけばいい。
そうすれば冤罪が起きてしまったときのダメージが少なくてすむし、それが冤罪でなくて本当の犯人だったら、それを機会に更生するならばよし、更生しなかったら極悪人として逮捕につなげるべし。
(容疑者が「極悪人」というほどの重大事件のときは、チンケな犯罪と違い、警察の捜査もそれなりに本気になってくるはずだ。それは結果的に冤罪を減らすことになる)
Id:NOV1975 だとしても冤罪の問題は何も解決しないけどね
冤罪があってはならないのは当然としても、重大事件になればなるほど刑罰も社会的制裁も重くなるんだから、警察はそのぶん慎重になるべきだ。
皆さん、トラバ、コメント、ありがとうございます。
賛否両論頂戴しましたが無職となって2か月ちょい、久しぶりに社会との繋がりを実感できました。
特に心身に対するお心遣いのあるコメントには、本当に感謝しております。
まとめてで恐縮ですが、要点ごとに返信させていただきます。
特定を避けるため一部ボカシている点、ご容赦ください。
警察も被害当事者(金融機関)ではないので効果は期待できない」とのことです。
通報したいのですが、今だと情報源が私だと特定できるため、それによる逆恨みを避けたいと思っています。
強い守秘義務のある税務署ならともかく、金融機関だと相手方に情報が漏れる可能性もありますので。
社会的制裁を与えても、ホームから突き落とされたら割りに合わないと思っています。
3.証拠書類について
アドバイスに従い、適切に処理をさせていただきます。ご助言下さり、ありがとうございました。
4.高い基本給について
一見高く見えますが、賞与なし、サービス残業込なので、交通費を引いて時給換算すると1000円ぐらいです。
5.社長の考えについて
不正を知っている人間を懲戒解雇するなどありえない、とのコメントを頂戴していますが私も不可解です。
ただ私が気付かなかっただけで、どこかで恨みを買っていた可能性もありますし、真意は全く分かりません。
6.傷病手当金について
健康保険組合から貰っているものなので、会社の存続には関係ないと思います。しかし本当に良い制度です。
勇気を持って性被害を告発したことが一部で英雄視されているけどどうなのだろう。
銀行強盗に入るのだって勇気がいる。勇気がある行動だからというだけでは素晴らしい・賞賛すべきとはならない。
そう考えたとき、では性被害の訴えが不起訴になり検察審査会に申し立てたことを記者会見で発表するのは良いことなのだろうか。
泣き寝入りをさせない、声を上げやすい社会を作るというのはあくまで司法に訴えることについてのはずだ。
この会見は、逮捕されれば即悪人扱い、推定無罪の原則なにそれおいしいの、という国民性を利用した、
法的手段を経ないで私的に社会的制裁をくわえるリンチ行為なのではなかろうか。
そのようなものは、被疑者が実際にやっていようがやっていまいが、あって望ましいものではない。
もちろん、今回の不服申立の結果、やはり不起訴のままとなった時に、誰もが何もなかったものと扱ってくれるようなら記者会見に問題はない。
しかし、実際にはずっと色眼鏡で見られることになるだろう。うまくやったな、と。
今回の件について、ついている弁護士から民進党が仕組んだものという説も流れているが、
そんなのは完全に的外れな妄想だろう。しかし、そうではなくても民進党がこの件について取り上げ始めたので
国会でも名前が出て、私的な社会的制裁の効果は今後さらに大きくなるのは間違いなく、これがこの日記を書いた理由の一つでもある。
http://www.news24.jp/articles/2017/06/02/04363208.html
詩織さんは記者会見をしないと事件が揉み消される、なかったことにされると主張しているが、
実際にはこれまで検察は捜査をして証拠集めもした上で不起訴と判断したのである。
そして検察審査会への不服の申し立てに応じて審査することだろう。
記者会見をしなければなかったことにされて不服申立を受け付けてもらえなかった、というわけでもない。
もしそうなら記者会見は不可欠のものであったが、そうではないので記者会見はただ社会的制裁を与えるという私刑のためだけのものになっている。
確かに不起訴は詩織さんの望む結果でなかったし、不服申立の結果も望むものとならない可能性もある。
でも、それははたして”なかったこと”にされたと言えるのだろうか。
詩織さんはただ検察審査会に不服申立をするだけにして推移を見守るべきで、記者会見をするべきではなかったのではないか。
少なくとも記者会見をするにしても、検察審査会の決定を踏まえた最終的な結果が出てからにするべきではなかったか。そう思えてならない。
#追記
まさか銀行強盗に入るという例に飛びつく人がこれだけいるとは思わなかった。
勇気を出して何をやるかが大事であって勇気を出しただけでは素晴らしいとはならない
と言っているのだから、反論としては『性的暴行を受けた、デートレイプ・ドラッグ
をこっそり飲まされた、なのに不起訴になって不服だ』と現段階で記者会見することは
素晴らしいことだ、その理由はこれこれだ、という形にして欲しかったです。