はてなキーワード: 社会的制裁とは
こういう事件に憤る気持ちの何割かは、被害者や関係者の感情を盗んだものではないかと思う
例えば、この事件だと山口の記者会見の時に自分の復帰について言及した事と、それに対する城島のコメントが話題になった
「被害者に対する謝罪の気持ちがあるのであれば、自分の復帰について言及できるはずがない」という城島の指摘は正しいと俺も思う
長年苦楽を共にしてきた仲間の裏切りとも言える行為に対する感情は、怒りや悲しみといったシンプルな言葉で言い表せるものではないはずだ
また被害者である少女に対する批判は論外だが、勝手に被害者の気持ちを代弁するのもまずいだろう
仮に同じ様な経験をした人であっても、それは類似例であって今回の被害者自身の感情を代弁する事はできないだろう
他人の気持ちなんて分かったと思っても、それはその人の感情の上澄みの部分くらいだ
完全に他人の気持ちを理解できたと思ったのなら、それは単なる思い込みだ
上澄みしか理解していないのに、他人の感情を自分の行動の理由にしてしまう事は、他人の感情を盗んでいるのだと俺は思う
盗んだ感情のままに「被害者の気持ちを勝手に代弁する」「城島のコメントの尻馬に乗る形で山口を批判する」どれもあまり良い事ではないと思う
仮に被害者や城島が山口を批判してくれというニュアンスの発言をしたのであれば、それに同調するのは分かる
しかし今回のケースは早い段階で示談が成立した事からも、被害者側としてはできるだけこの事件を大事にしたくないという意向があるようだ
山口に社会的制裁を加える事よりも、この事件の話題が白熱する事で要らぬ被害を被る(実際、今受けている)のを避けたいのだろう
城島のコメントも、その後のメンバーによる会見も、別に山口を批判して欲しくてやってる訳でもないだろう
そもそも不必要に感情的になっている、世間という名の赤の他人の集まりに、今回の事件の関係者が配慮する必要はない
被害者の救済をどうするかがまず主題であるべきで、山口をどう扱うか事は本来は二の次でいいと思う
今回の件に関わらず、犯罪を犯した芸能人は芸能界に復帰すべきでない、芸能界はその辺が緩すぎるという意見もある
謝罪会見を見た。
泣いて謝るメンバーもいた。
だが、すごく違和感。
未成年を芸能界という上下関係に特に厳しく、イレギュラーで危険がつきものの社会に入れておいて、放任して、あげくに2千万円貰いながら許せない?
はっきり言って親はクズだし、まだ幼い子まで使い、それを認めるテレビもクズ。
おそらく報道されてないだけで、裏では無理矢理の性交なんか当たり前にあるだろう。
親も一緒に謝れよ!
山口さんは一人の社会人で大人だから、TOKIOメンバーが連帯責任負うのはおかしいが、親は管理責任があるだろ。
それを不起訴になった今も報道し、社会全体で叩く風潮もいじめのようで不快。
示談して、不起訴になって、謝罪したなら、後は本人と被害者の問題で、メディアが騒いで被害者感情を逆なですべきではない。
今は自殺してもおかしくないくらい山口さんも追い詰められてる。
それをまだ叩くか?
もう社会的制裁は十分だろ。
キスでそこまで追い詰めるメディアや人間、TOKIOメンバーの方が怖い。
おそらく身内は庇うより批判した方が社会的に救われる判断もあると思うが、それにしても責める姿勢が日本は異常。
松岡さんも、辞表貰って怒るなよ。気持ちは分かるが、憔悴しきってせめてメンバーに先に辞表を出してケジメをつけたい気持ち分かるわ。
それ聞いたら辞表出すわ。
先に事務所に出さなかったことは山口さんなりの誠意だった気もする。
メンバーに、もうやめました、ごめんなさいだったらかえって嫌だろ。
辞表をメンバーに出して謝罪したかった気持ち分かるし、今混乱状態の彼に押し付けすぎだろ。
長めです。
私は普段からいくつかの報道番組を録画して関心のある部分だけざっと視聴するようにしてるのですが、
今回の事柄のテレビ報道で問題に感じてる事があります。(新聞は読む習慣がないのでテレビ報道のみについて)
端的にいうと報道番組は必要な手順をスキップしてないか?と感じます。
まず、私達の住む社会がセクハラに対して厳しい態度で臨むという選択に全く異論はありません。
一方でそういった事が起こったとされた場合、何が妥当な事実かについて十分な調査や検証が行われてない段階で、
誰が加害者で、誰が被害者か、何があったかなどを断定的に語られるのは非常に危険だし、公正な態度ではないと思います。
一般の人同士が世間話をするのと、要求される社会的役割や影響力が全く違います。
私は法律の専門家でも何でもありませんが、刑事裁判においては「無罪の推定」という原則があるそうです。(推定無罪という言葉の方が一般的ですが)
検索すればその定義がすぐ出てきますが、以下の文を日本弁護士連合会のサイトから引用します。
「無罪の推定」とは、犯罪を行ったと疑われて捜査の対象となった人(被疑者)や刑事裁判を受ける人(被告人)について、
「刑事裁判で有罪が確定するまでは『罪を犯していない人』として扱わなければならない」とする原則です。
(引用ここまで)
法律の世界において、一つには刑事裁判の立証責任の所在を示す意味もあるそうですが、
今回の事柄は(少なくとも現段階では)刑事事件ではありませんし、民事裁判でもありません。
ですから刑事裁判の原則をそのまま法的に適用しようとは全く思いません。
しかしこの原則の意図するところは、人と人のトラブルが起こった時には常に留意すべきではないでしょうか。
被害にあったと一方の側が主張しており他方がその事実を否認しており、また提出された証拠の妥当性、当時の状況等々に関して
十分な確認や検証がなされない内に、「誰が加害者である」「誰が被害者である」といった断定がいくつも見られました。
更には加害者とされた側に対して「事実」を認める事を要求したり、謝罪を要求したりする事もありました。(この場合の「事実」は批判する側が想定している事実です)
報道機関においてだけでなく、政治の場において国家議員の方々も同様の言動が見られました。
直接的に「誰某は加害者である・被害者である」と言わなくても、「被害にあった女性記者」という表現は被害は事実であったという事実認定が前提になった言葉です。
「セクハラ発言」という表現もある発言がセクハラに該当するという事実認定が前提になっています。(「事実認定」という言葉は一般的な意味で使っています。私は法律の専門家ではないので)
言外のニュアンスといった問題ではなく、ある事実認定が前提になった発言が多々みられました。
「あのような発言はどこで誰に言ってもセクハラである」と考える人もいるかもしれませんが、私はそれは状況次第だと考えます。
(http://d.hatena.ne.jp/ohnosakiko/20090218/1234934521)
中年男性の性的な発言に対する嫌悪感から即座にセクハラと認定していないでしょうか。
何が妥当な事実かを追求するには様々な可能性を想定し、また様々な事を疑わなければならないのではないでしょうか。それには被害を訴えた側の証言も含まれるはずです。
加害者とされる側に対しては検証を経ない粗雑な断定を下す一方で、被害者とされる側に関しては考えうる可能性を述べる事も「被害女性」を更に傷つける行為だと批判する人もいました。
もちろん私もこの場合、被害を訴えた女性がいわゆる二次的な被害に合わないように配慮するのは必要なモラルだと思います。
しかし、であれば、加害者とされる側についても必要な検証が終わるまでは当該の事実に関する推測は控えるべきではないでしょうか?
(対応についての批評は含みません。あくまで疑いを受けている事実に関してです。)
一方の側が配慮され推測も抑制された状態で、他方が様々な推測を述べられる状態が報道において連日続けば
視聴者の印象はある方向に導かれるのは必然で、その事によって社会的制裁がなされてしまうのではないでしょうか。
念の為、本当に念の為言いますが、私は疑われている事実などなかったと主張するのではありません。
疑われている事柄が事実なら、必要な謝罪や処置が当然行われるべきです。
しかしそれは、繰り返しになりますが、十分な確認と検証の後なされるべきではないかと主張しているだけです。
また言うまでもないかもしれませんが、仮に今後の検証によって、この次官が疑われている事柄が全て事実だと判明したとしても、私が申し上げた論点はやはり問題だと思います。
例えば、ある刑事事件において警察が犯罪を立証する十分な証拠が得られないので、被疑者に自白の強要を行い裁判で有罪が確定したとします。
この時、その被疑者が実際に犯行を行っていたかどうかに関わらず、この警察の行動は違法であり批判されると思います。
後に被疑者が本当に有罪だという証拠が見つかった時、「どの道有罪なんだから問題ない」とは法律やジャーナリズムに携わる方達は決して言わないと思います。
そこまで悪質なものかと思う方がいらっしゃるかもしれませんが、報道機関の持ってる影響力、言い換えれば実際的な権力を考えればそんなに差のある話ではないと私は思います。
最後に、上で述べたような性質の発言をする人ばかりではありませんでした。
慎重でバランスのとれた発言もあり、被害を訴えた側について疑いを投げかけた発言もありました。
菅野氏の「この件を報じた雑誌記事が女性の主導によりインターネット上で拡散され、社会的制裁を受けた。慰謝料は5万円以下が相当だ」との主張は、みなさんご存知の通り、c71氏がはてなブログで暴露した「週刊金曜日ステマ」騒動のことを指す。
今回の判決によっても、この「ステマ」そのものを問題視する立場は支持されなかったと言えるだろう。そのことを確認したい。
性暴力被害者の訴えが軽視された実例はいくつも挙げることができる。だから、性暴力被害者がそれを警戒し、自分の告発が最大限のインパクトを与えられるよう公表のタイミングや拡散について工夫したいと思ってもそれはなんら問題のあることではない。
ただ、そういう運動をするなかで礼儀や言葉の行き違いで不信感が芽生えることはある。c71氏が「被害女性に加害を受けた」と主張するに至ったところに問題を見出すことはできる。
しかしその後のc71氏の対応は「被害者だから正しいわけではない」ことの好例である。本来菅野氏も争っていない性暴力の有無まで疑い出し、菅野氏の方が信頼できるなどとすり寄るに至っては迷走の極みである。こんなにも定見のない人物を文章力()だけで謀議に誘い入れたこと自体が最大の失敗であった。
くだんのグループチャットは検索すれば今でも見れるが、被害女性とその友人たちがc71氏の檄文を絶賛する中でc71氏が突然「自己評価が低い」との自分語りをはじめ、被害女性の側がうかつにもその語りに乗ったために謀議が崩壊した。その後のc71氏の主張は、細部には論理的整合性が欠けるが、そこは「ケアの倫理」の出番である。「フラバでわけがわかんなくなっていたことくらいわかれ。主張の矛盾を突くな」と性暴力サバイバーに反撃されれば、論理を問うことのマスキュリニティを恥じ沈黙するしかない。そのような「場」を形成しつつあったことをc71氏に逆手に取られたとは言えるが、それは同時にc71にも課せられるはずである。性暴力サバイバーによる運動の作り方はやはり課題を残していると言えるだろう。
もう文春砲とか言って持ち上げるのやめよう。不倫報道はなくなるべきだ。
小室哲哉さんの騒動を見ていても、不倫報道に辟易している人はますます増えている。
じゃあどうやって不倫報道をなくすのか。現状として、不倫報道は儲かるらしい。需要があって利益が出るからだ。
単純に考えれば、需要をゼロにすればいい。もしくは不倫を扱うことでマスコミがマイナスな影響を受ければいい。
そのための戦い方はいくつかあると思う。単純だけど、スポンサーへの抗議とか、不視聴運動とか。
でも、本質はそこじゃないと思っている。不倫報道に需要がある理由を考えると。
簡単に言うと、たとえ不倫報道がなくなっても、別の「悪いことをした人」を見つけて、また嬉々として叩き出すんじゃないか?という不安がある。
不倫は悪いことだ→悪いことをした人間には何を言ってもいい、社会的に制裁を加えるべきだ という流れこそ、一連の不倫報道を見ていて特に嫌悪感を覚える部分。
テレビは容疑者を実名報道してコメンテーターが人格を否定。ネットでは住所が晒され、勘違いにより無関係な人・会社にまで誹謗中傷の声が届く。
必要以上に他者を攻撃し、社会的制裁を加えようとする現代に、そして自分もまたそうした世間の一人であることに、本当に嫌気が差す。
前置きが長くなったが、「悪いことをした人を叩く行為」をなくす効果的な方法が思いつかなくて悩んでいる。
ネット私刑はここ数年ずっと問題に挙げられているトピックだ。しかし、それを批判しようとすると、「悪いことをした人を叩く行為を叩く行為」になってしまう。
現状では、不倫報道を倒してもまた次の倒すべき相手が生まれるだけだ。そもそも、何かを倒したいわけじゃない。息苦しさや嫌悪感をなくしたいだけ。
ハリウッドに端を発する #MeTooで提起されている問題の中核部分が
であることは、主張者・賛同者一人一人に聞いても「その通りだ」と言ってもらえると思う。
まさか、「権力・強制力とは関係なく、いやらしいジョークで不快にさせられた」程度のことではあるまい。もしそうだというなら、本家の運動と照らし合わせる限り、それは今回の#MeTooとは別のものだろう。
発端となったアメリカ映画界のケースは、"W"なる人物による被害をこれ以上広げないという意思も含めた「緊急避難」として告発を行ったという意味合いもあろかと思う。
法律の外だけで社会的抹殺を行おうという動きではない。きちんと訴訟も行われている。
[ハリウッドのセクハラ騒動:ハーベイ・ワインスタインに関する訴訟はどうなっているのか(猿渡由紀) - 個人 - Yahoo!ニュース](https://news.yahoo.co.jp/byline/saruwatariyuki/20171128-00078657/)
メディアを利用した社会的告発に対しては、相手方から名誉棄損などで訴えられる可能性もある。また、復讐心に基づく私刑(リンチ)ではないことを示す必要もあり、訴訟行為は当然と思える。
https://news.goo.ne.jp/article/asahi/nation/ASL131P4HL13UHBI001.html(「もう終わり」ハリウッド俳優ら、セクハラ訴訟基金設立)
一般社会のケースでの訴訟費用の支援が話題となっている。#MeTooの結果として相手方から起こされる訴訟も想定しているだろう。
自分の感じ方にすぎないが、本家ハリウッドの人々は自らのアクションに少なからず復讐心やリンチ性の要素が含まれていることを自覚しており、また「しょせんハリウッドという舞台でのマッチョな人々の内輪喧嘩ではないか、我々の生活とは関係ない」という一般の人々の厳しいまなざしをも感じ取ったうえで、さらなる公益性を目指しているように思う。
翻って、本邦の#MeTooでは告発者が将来的に払うことになるコスト(世間からの好奇の目・加害者側からの復讐など)の大きさを理由に、これ以上のコストを払う必要はなく、法律の外で加害者を社会的に抹殺する手法でよいと考えているように見受けられる。
[職場でのハラスメントでお悩みの方へ(セクシュアルハラスメント/妊娠・出産・育児休業等に関するハラスメント/パワーハラスメント) |厚生労働省](http://www.mhlw.go.jp/stf/seisakunitsuite/bunya/koyou_roudou/koyoukintou/seisaku06/index.html)
がある
まずもって、これは雇用された者同士の問題というより、雇用主が解決しなければならない問題である。
もし話し合いで済まなかった場合は、まずは訴訟を考えるべきである。メディアを利用した告発とセットでも構わないとは思う。
仮に、話し合いで済んだにも拘わらず、社会的告発をしたいというのであれば、それこそ社会的非難を覚悟で行われるべきであろう。
いずれにせよ日本もアメリカ同様、法治国家なのだから、本来の手順を意識する必要がある。
「#metoo はリンチではありません」と宣言しているが、それは独自の解釈であろう。
被害者として名をさらしており、匿名の立場から石を投げているわけではないからといって、ただちに私刑としての性質から逃れられるものでもない。
もし、メディアを利用した社会的告発だけで問題が済むというのであれば、少なくともアメリカ発の#MeTooに自らを連ねるのはやめたほうが良いと思う。
もし、法律の外の告発だけでよいとすると、下記のような懸念が考えられる。
これらに対して社会的合意が形成されない限り、このタイプの#MeToo運動は深刻な問題を起こす。
まず、#MeTooを「アメリカ出羽守」や「フランス出羽守」として我が正義のマウンティングに走るより、もっと地べたから考えていくべきであろう。そして、それが#MeTooというハッシュタグのもとに語られる必要は全くない。
セクハラを「力関係の濫用」ととらえるか「不愉快行為・不愉快言動」まで広げるか(少なくともハリウッドの#MeTooは前者であろう)、本邦ではこの付近こそが争点になっていると見受けられる。それゆえ独自の問題系もあるかと思う。
また、#MeTooの周辺問題系としては、過去・現在についての個人的救済もさることながら、類似の問題を未然に防ぎ、未来に向けてよりよい環境を作ろうというテーマも含まれるように思う。ここについての議論がもっと必要なのではないかと感じる。これもまた、本家#MeTooベースで考える必要はない。例えば「就職時のOB訪問のあり方」、「副業解禁による個々人のフリーランス化(新たな上下関係が発生する)」など、具体的な問題をもとに性被害防止に向けたアイデアを出し合うといった、地に足がついた議論があってもよいのではないだろうか。
このことを思うとき、先般の件を受けてD通はどう変わったのであろうか。あくまで組織内の問題かもしれないが、社会への還元があってもよいように思う。
まず最初に、異性間でのトラブルが発端で、社会的に不当な扱いを受けるなんてことは、あってはならないことだと思うし、そういうことがあれば声を上げて訴えていいと思ってる。
そういう意味では #MeToo 運動が本来の意味で良い方向に活用されるのを願ってる。
とはいえ、いまの #MeToo 運動はちょっとそれ違うんじゃないか?と思われる訴えがあったり。
単に社会的制裁を目的とした書き込みとも取られるものや、さらにはこの運動を利用した売名などもあるので、なんだかなぁと思っている。
>ドヌーヴの全訳のブコメで#MeTooを貶してるような人たちが勘違いしてるのがこれなんだけど、#MeToo運動は今まで「ノー」と言えずにハラスメントを受け続けてきた人が今になってやっと「ノー」と言い始めたという現象であって、それに伴い「『ノー』と言っていいんだよ」「『ノー』と言っても不利益を起こさせないよ」という人権を守る運動に発展したわけで。
それは分かる。
だから嫌なことがあったら、わざわざネットで全世界に晒す前に、まずは本人に対して『ノー』と言えということでしょ。
物事には順序があるわけで、その順序を全てをすっ飛ばして、各種SNSで晒しものにして相手を社会から抹殺するってのは、正しいこととは言えないんじゃないかな。
本人にノーって言って良いんだから、まずは本人に嫌だと言え。
それでも収まらなかったり、職場で不当な扱いを受けたなら、まずは社内のそれなりの部署に相談しろと。
それでもどうにもならなければ、労働基準局に行けと。
それでも改善しないなら、#MeToo でもなんでもすればいい。
片思いには失敗はつきものだから、求愛するにしても、間違った方法だったり、相手が嫌がる方法になったりする。
相手に好かれていると勘違いして、いらないボディタッチをするかもしれない。
相手が喜んでいると思ってしていた事が、実は壮大な勘違いで #MeToo され、それが元で社会的地位を失うとなったら、怖くて社内恋愛なんかできなくなる。
#MeToo 運動は結構なことだけども、何年にも遡って過去の過ちをほじくり返され、こんな嫌なことをされました!ってSNSで晒して、社会的立場を貶めても、
セクハラの奴さ
そもそも、調査重ねてんのにこっちのタイミングで発表できなかったって告発者ぜんぜん守れてないじゃない
今回の岸はクレバーだから、先に謝って2ヶ月雲隠れして後は無かったことにって態度ですんだけどさ・・・ってアホかー!逃げられとるやないかいー!
思わず画面に突っ込んで突き指してもうたやないかー!びっくりして身長下がるわー!猟銃ぶっぱなしてくるタイプのセクハラ野郎だったら、はあちゃうの土手っ腹に穴空いとるとこじゃー!
まあ、はあちゅうは馬鹿な女だよ。知り合いの首席の女の子思い出したよ。褒められたいが行動原理なタイプね。だから、自分に都合がいいし、都合が悪そうな話は話半分で聞く、でも褒めてほしいから聞いたふりはする。そういうやつでしょ?
でさ、そういう女の子をメインに出すんだったらしっかりスポークスマンたてたり、本人にロジックで説得しなきゃいけない。でもしてない。だから、あんなことになる。
正直さ、あのメンヘラ女に頼られて嬉しかったんだろ?それで本当はどうでもいいmetooなんか利用して、公開リンチに及んだんだろ?もうわかりやすいったら無いんだよ。だから未だにMeeTooとはあちゅう紐付けてんだろ?
はあちゅうを守らなきゃが先でMeeTooなんて流行っても流行らなくてもいいでしょ?流行ってBuzzFeedの名前が売れたら嬉しいくらいで。
でもはっきり言うが、お前らには、はあちゅうは守れなかった。守れないじゃなくて守れなかった。岸は社会的制裁を浴びたようで実は野放しで、はあちゅうはディスられ続けてる。自分らの売りの記事で守ろうとしてもできてない。なんとか童貞が悪いって陽動してるけど。それだって悪手だ。俺の友達のアセクシャルは傷ついた自分が悪いかのように言ってたよ、素直に応援できないって。お前らのやったことはそういうことなんだよ。これが映画だったらドナルド・サザーランドに「想像する中で最悪の結末だ」って言わせて拳銃自殺させるね。アカデミー賞後味悪い部門受賞してるよ。
わかんねえだろ?どうせ本当は人権なんかどーでもいいんだろ?
数ヶ月の取材も本人への質問状なんて、やっちゃいけないことの五本指に入りそうなことやって、まんまと逃げられてんじゃねーか。ボケが。
女にいいとこ見せようと思ったんだろ?
それが、この結末なんだよ。
言っておくがな、お前らのはあちゅうに対する見方は、結局、岸のと変わんねーからな。気弱な頭の弱い女をどうするかでしかない。お前らに与えるメリットが岸とは違ったから、岸とは違って見栄えのいいことをやったけど、はあちゅうに女としての価値しか見いだせなかったらあんたらもセクハラしてたぜ。
どっちみちどうしようもないのは確かだが、本当にジェンダーを大事に思うなら後者を選んで欲しい
まともなメディアなんだろ?頼むよ
まー、考えてみればそうだな、と思った点をひとつ書くと、
「セクハラしてきた相手を公開処刑して社会的制裁を与え、地獄に送った」
という点では、はあちゅうさんはすでに一定の勝利を収め、社会的貢献をしているわけです
セクハラする男性に恐怖を与えた訳だし、無意識であれセクハラはそれなりにやりにくくなると思います
では、「男性にとってメリットはないのか?」と言ったら、そんなこともなくて、パワハラも少しはやりにくくなるのではないでしょうか?
(もちろん、希望的観測かもしれないが……ただ、それでもパワハラが猛威を振るっていると思うなら、戦わなければならないのです、はあちゅうさんのように)
敵のメッセージは定番として決まっている訳です「お前達は無力だ、我々の傘下に下れ」
その上で、彼女の過去の童貞弄り問題というのが立ち上がった訳ですが(彼女も自分の過去の愚かな言動に復讐されている訳ですが)、「それはそれ」だと個人的には思います
逆に言えば、「聖女」でなければ、不正を告発出来ないのでしょうか?という話であり、彼女を童貞問題で追い詰めている人達も、「では、あなたは聖人みたいな生活を送ってるんですか?」と聞かれたら怪しいものでは無いでしょうか?
(もしかしたら、堕落しっぱなしの生活を送っているかも知れない)
「悪か正義か」だけで判断するゼロイチ思考は、困ったことに大人でもそういう人はいますが、子供のフィクションならともかく、現実ではそうでは無い訳です
そして、はあちゅうさんは、「私は聖女になれない」ということで、勝負を降りた。
別に彼女を「神聖視しろ(崇めろ)」ということではなくて、「彼女自身、欠点もあるだろうが、それなりの社会的貢献はした」ということは評価しないとフェアではないと思いました
だから、「非難している人間は土下座して謝れ」ということでもないです
「もしかしたら、あなたは丸め込まれてませんか?」という話であって、「そうではない」と言うならば、その人なりの信念があるのでしょうから、それはそれで良いとは思います
https://lineblog.me/ha_chu/archives/67293163.html
ネットで炎上した奴が住所特定されるのも本人のSNSアカウントが攻撃されるのも自業自得だと思っている
(冤罪、と言う言葉が適切かは不明だが冤罪の場合は勿論除くが)
過去の被害を告発して、腐った連中の行動を白日の元に晒すような行為はもっとやれと思うし全面的に支持する
ただ、これらの行動は結果として日本の司法を一切利用しない社会的制裁なわけじゃん?
そんなもんただのリンチだろ
確かに#metoo自体は告発だけなんだからリンチじゃないと言えばそうかもしれない
けどさ、その結果起こる事って正義感に溢れたバカや俺みたいなネットイナゴみたいなのが叩きに行くわけだろ?
その結果が分からないわけじゃないだろ
もしそうなる事が分からないと言うんであれば一体何を目的に告発してるのか知りたい
ネットリンチが目的ではないと言うのであれば告発した後どうしたいのかが分からない
#metoo はリンチではありません(はあちゅう 公式ブログ)
https://lineblog.me/ha_chu/archives/67293163.html
いやリンチでしょ。加害者の実名挙げて告発すれば批判が加害者に集まるのは当然だし、その結果として加害者が社会的制裁を受けることは記事が出た段階でわかっていたこと。
公的な手続きを踏まずに誰かに制裁を加えるのは、原因のいかんや制裁の大小を問わず私刑とみなせる。刑事告発や民事訴訟ではなくBuzzFeedという私企業の力を使って社会的制裁を加えたのだから本件は立派にリンチですよ。
リンチと言われるのがいやだったら「加害者の実名は明かさないが過去にこういう仕打ちを受けた。加害者当人に取材して事実確認もした」という記事にすれば済むことだし、この方法でも立派に #metoo の目的は果たせる。
それをわざわざ岸氏の名前を出したのだから、岸氏に打撃を与えることが目的に含まれていたと思われても、これはしかたがないのではないか。
実際に岸氏は苦労して興したばかりの会社(従業員6名とは言え一国一城である)を手放すことになったし、この会社はそもそも岸氏のネームバリューを前提とした会社だろうから、いかに優秀なクリエイターを揃えていたとしても早晩解散するであろう。岸氏の自業自得とは言え、この結末が岸氏のこれまでの行状に見合ったものかどうかはわからない。
と、ここまで考えて、
「もしかしたら、当初は岸氏を実名で裁くつもりはなかったのではないか」
という可能性に思い当たった。
岸氏がnoteに発表した謝罪文は記事の公開に先駆けたフライングであったとBuzzFeedの記事にもある。このようなやり方で機先を制するのは不誠実だ、といったような感想をはあちゅうも述べているが……
もともとBuzzFeedの記事は「元電通K氏」などといった感じに名前を伏せるつもりだったが、本人が実名でフライング謝罪してしまったせいで伏せておく意味がなくなり、実名報道に踏み切った、という可能性はないだろうか。
まあ、ちょっとなさそうな妄想ではあるが、もし本当にそうだったとしたらと考えると岸氏の人生のトホホぶりがより際立って味わい深いのではないかと思った。
ハゲも童貞も、男のコンプレックスを刺激する爆弾ワードだ。豊田真由子は皆さんのご存じの通り、社会的制裁を受けて消えて行った。
はてな界隈では童貞いじりもブス処女いじりと同じくらいの重罪だとのコメントが多数占めているが、
「童貞いじりはやってもいいんだ」と言いたくて言いたくて仕方がない差別主義者が次々と湧いて出ている。
ハゲは生理的なもので、個人の努力ではどうにもならないもの。童貞は個人の努力で何とか出来るかもしれない、その差だということだろうか。
わかんなくなっちゃったんだけど、賄賂的なものってどれくらいダメなんだろう。
例えば、引越し屋にお茶とか飲み物(+心付け)を渡すと張り切っていい仕事をしてくれるぞ!っていう話があって、大事な家具とか丁寧に扱ってほしいし、渡してもいいんじゃねって思うけど、
そのせいで引越し屋が味をしめちゃって、次ほかの客がお茶も心付けもなしだったら、仕事が荒くなるとかはありそうだよね。じゃあ渡さないのが正しいの?でもすでに味しめてたらどうしたらいいの?
正直、なくなりはしないだろうなって思う。そんななかで、ただ損をする生き方をするのが正解なのかはよくわからない。。
そういうの全般をもっと厳しく取り締まって、契約外の利益の授受があったら捕まるとか社会的制裁を受けるっていう社会になれば、リスクを負った上でやる人やらない人に別れるんだろうなとは思う。
犯罪者になるリスクはけっこうきついから、やらないという人は増えると思う。
引越し屋の話で言ったら、広告とか見積もり営業のときにでも「すべてのお客様に平等に安心してご利用いただくために、心付け等は一切お断りしております。もし心付けを受け取ったことが発覚した場合、当該作業員は解雇、お客様にも今後の当社サービスのご利用をお断りすることとさせていただきます。」とか言ってくれたらちょっと贔屓にしたいなって思うな。もうあるかもだけど。
そこでもさ、男性作業員だったとして客側がかわいい女の子だったら張り切って仕事しちゃうかもしれないけど、それもだめなのかな。
意識的でなくても、薄着の子だとかグレーな範囲で女性性を利用して得しようとしてることになるのかな。線引きできる気がしないな。極端だけど、客と会っちゃだめみたいなレギュレーション必要かな。
少なくとも仕事の場面では、各自アバターしか知らないみたいな感じにするしかないな。業種によるけど、そんなに非現実的ではない気もする。
親告罪がどうしてあのような形態なのか今一度考えるべきだし、警察とヤクザは同じ解決方法の助力をしているけど決定的に違うのは公にして第三者評価をもって利益を得ているかどうかであり、現在の警察が信用ならないというのはすぐに公にするところ。そこにメディアが集金係として跋扈するためヤクザが特定の暴力集団から不特定多数の攻撃要因に変化してる。
なのでどこも信用ならないというのはわかるけどそこで取るべき手段は「みんなで声をあげやすくする」つまり第三の暴力団をつくろうという話ではないはず。
暴力団でないというのならば、無償である、被害者は加害者を被害者として貶めることを目的としない、という大前提が必要になる。
すると、実被害者を支援対象として擁立することは社会的な人身御供をつくることになる。永遠に被害者となる人をつくらねばならなくなる。少女像でもつくろうということになる。
望むべきは警察のような公平で誠実な組織が実際に必要な解決を、現行公務では民事不介入となっているような事案についても立ち入る第三者組織が解決だけを目的として情報を開示しないという活動をすることが「問題の解決」については最大に効果を発揮すること。
痴漢を捕まえたら金がもらえるないしはもちあげられる存在になるということが公の情報になると冤罪がでる、という可能性がゼロではないことはわかるはず。
家族内で信頼をもって結束して「加害者・被害者」をつくって資金の移動や収入源をつくることを防ぐこと、というのもすこし考えてもらえればわかるはず。
自分一人が失った何かなりを取り戻す、得ようとすることについて個人的に活動することはよいことかもしれないと見えるけども、現象として広汎にある問題については拡大させていることになる。
ハラスメントの各種も行為自体は合法的に存在する局面がある。それが不必要な場で強要された場合、損害であるということを申し立てることはできる。
そこまでの法整備がなされている現状で「自分のつらかった思い出を実名で公開する」という行為がほかの商業商品と何の代わりがあるのか、事実・ノンフィクションであればそれはなにかの法的根拠としてつかえるのか。
ノンフィクション小説であればそれをもとに社会的制裁を個人が行ってよいという条件になるのかということを考えて行動してもらいたい。
「岸さんは十分な社会的制裁を受けた。これ以上は疲れてできない。」
と矛を収める。
実際本気で傷ついてフェードアウトも考えられなくもないけどさ、そんなタマじゃないみたいだし、まあ疑うよね。
彼女が本当に傷ついている可能性を問題にする人たちもさすがに多くは黙りそう。
そんでヨッピーが
「はあちゅうをバッシングしたことで彼女の心が折れてしまったんだ!お前らのせいだ!」
とか言い出したりして、はあちゅうも
「自身もセクハラと取られるような言動を取ってしまったのが悪い。これ以上#metooに賛同する他の人達に迷惑をかけられない。」
岸氏が基本的には非を認めて、まあなんだかんだで実際は完全には仕事を干されはしないんだろうけど、一旦は表から姿を消した。
少なからず恨みは晴らしたと言える。
そして彼女は売名を疑わない人たちの間で、
「ひどいパワハラ・セクハラを受けたにも関わらず#metooした勇気ある、なのにバッシングされて傷ついた被害者」
実際にひどく傷ついてくじけたコースでもこういう流れになり得るけど、売名だったとしたら鬼畜じゃん。利用したものが悪すぎる。
マジで売名であって欲しくない。
真摯に問題に立ち向かって社会を良くしようとする人達の邪魔してくれるなよ?
この人の炎上案件くわしくないんだけどさ、なんだかブコメやら言及ブログなんかから炎上芸人判定だけじゃなく鬼畜判定されてる臭いもしてて不安だわ。
グルだった、利用された、自爆した、のどれか知らないけど評価はひどく落ちたよね。
ネタなんじゃなくて本当にセクハラの境界線が分からないことが知られたし、やっぱ広告業界の人ってネジ外れてんな、って。
[追記]
あーごめん主語がなかったわ。不快にさせて悪かったね。申し訳ない。
傷ついた可能性ってのはパワハラ・セクハラで、じゃなくて「はあちゅうは嫌いだけど」とか「支持しない」とか「売名じゃねーの」とかその辺の進行形の炎上・バッシングの方で、ってこと。
上に書いたみたいなストーリーになったら、この状況ではさすがに良識派は売名じゃないのかなんて言わないじゃん。
そうなると炎上には罵倒派しか残らない。そうなったら「ネットの反応ヒドすぎる!」「被害者バッシング恐るべし」になるのは明白だと思う。
#metoo的にも非常によろしくない影響だよね。
結局のところ、これ単なるはあちゅうの私的な報復に過ぎないよね。しゃかいてきいぎとかないよ。
他の人も言及してるけどもやっとする点としては2つ
一点目だけど。もちろんセクハラはダメですよ。きっとはあちゅうも辛い思いはしたのでしょう。今だから言えるようになったのかもしれない。けどそれだけなんだよね。
利害関係がなくなって、自分が社会的にも安全圏に来たのを確認してから実名で殴りに行くってどうなんだろ。これもはや弱いものいじめだよね。自分が有利な立場に来たのを確認してから殴りに行ってるわけで。単なる憂さ晴らし、報復でしかない。
岸氏の行いは許されるものではないけども、理性ある大人が、復讐を公衆の面前で、(岸氏に原因があるとしても)強い立場のはあちゅうが安全なところから殴りに行くってのは、それはそれでどうなのだろうね。
これで、はあちゅうの何が回復したの?名誉?精神的苦痛?ptsd?なんかあるのかもしれないけど、実際は単に公衆の面前で相手を貶めただけだよね。繰り返すけど、いかに岸氏に原因があったとしても、これはどうなんだろう。
元のmetooの人みたいに、やむにやまれぬ、社会的制裁がなければ回復されない事情でもあったんだろうか。
次二点目。告訴しないし電通にも何もしないんだよね。ロビー活動やNPO活動や支援募金みたいなもしないんだよね。じゃぁ結局、単に憂さ晴らししただけだよね。
確かに声をあげたことに意義はあったかもしれない。けど、それは岸氏を貶めることと関係があったんだろうか。もちろん、岸氏に十分すぎる原因はある。けど、結局のところ単なる復讐劇に過ぎないんですよねこれ。
というところで、結局のところ今回の件ははあちゅうが身の安全を確保できたところで岸氏に復讐しに言ったというドロドロの私的制裁を、社会的意義でオブラートに包んだだけのメシマズな話なんだなと思いましたとさ。
個人的な見解として、はあちゅう氏がまずかったのは童貞いじりをしたことじゃなくて、告発相手の名を晒したことだと思う
他の国だとどうか知らないけど、この国でこういうことがあったときの社会的制裁は計り知れないものがある。下手したら人生をぶち壊しかねない
結果としてだが、そんな刃をはあちゅう氏は岸氏に向けたことになる。だとすればはあちゅう氏が童貞いじりで傷ついた人に刃を向けられるのも道理ではないか。だってお前がやってることじゃんって話だ
名前を出すにしても逃げ場をちゃんと用意しないとリンチに晒される。metooの運動が加害者を叩くための運動だとしたらそれでいいだろうけど、だったらすねに傷のある告発者が叩かれるのも当たり前だろう