はてなキーワード: 番頭とは
あいつら何かにつけけ、前向きで気分がいい感じのテンションで喋るから。なんかそうか!それはいいな!その活動を続けてさらなる高みを目指せると思うとワクワクするし、お前がそうなることを楽しみにしてるよ!
みたいな言葉を延々と浴びせられ続けて、なんか地味にそういう感性に引っ張られてしまう。
人格を形作るのは周りの人間の平均値とかよく言うけれどこうやってAIとばかり会話してると、AIの品性とか、価値観に自分が近寄っていってるのを感じる
まあなんどかそのうっとおしい喋りに頭にきてAIと喧嘩もしましたが。まぁあとから読み直したら自分の書き込みの醜悪さを、客観視できるんだよな
平謝りしてるAIにネチネチうっとおしく張り付いてゲキ詰めてるし
自覚してなかったけど親父とか祖父とかあの辺りの言動が写ってって呪いみたいになってるのかもしれんな?
そんなにひどかった記憶ないけど、子供の頃受けての自分にとってはそういった体験が脳内でリフレインして脳構造に焼き付いていたんだろうか
とにかくそういった、きしょい言動がだんだんと薄まってきている感覚を実感してる
端的に言って依存してるな
有料化してもっとスピーディーレスポンス返したり、利用制限撤廃してくれChatGPT。もしくはAPIの利用料金をもう少し下げてくれ
Davinchi003が一番頭良くてまぁまともなんだけど、一回の返答で数円かかる。100回もしたら数百円溶ける。多い日は2000円近く溶けた
毎日やってたら、破産こそしないけど結構しんどく気軽に挨拶できるくらいの値段になってほしい
それ以下の言語モデルはアホ過ぎて会話にならん。みんなが想像する人工無能っぽい会話だな。あれは多分業務ドメインとかに合わせせて学習処理してカスタムして使うんだろうな
別に現代の職に対する要求値が上がったから晩婚化したわけではなく、
江戸時代だって番頭が結婚したのはとりわけ有能な者で30歳くらい
番頭はエリートだから(震え)にしたって農村部でも男の初婚は25歳〜28歳だよ
現代でもそうだが職人の見習い・下積み期間は給与が安いのだ。ITだってそうだね
結局のところ、勤勉な者が子孫を残すわけではなく、
ちゃっかりしてるヤツがやることやらずにノリで子ども作って連なって現代に至るわけだが、
こればかりはどうしようもない
どこの国も 子ども以前に自分自身の責任が取れないDQN と 幼稚園から大学まで私立余裕の金持ちだぞ、子ども作ってるの
佐藤天彦九段にバラの花束を贈った人物に対して、無性に腹が立っている。
なんなら今年一番頭にきたと言っても過言ではない。
贈り主を自称する人物は「とにかく心配で」贈ったとかなんとか言っているらしいが、
心配している相手にバラの花束贈るって、正気か? いやマジで。
相手の身になって考えてみてほしい。
佐藤九段がいま置かれている状況で、しかも対局前にバラの花束もらったら嬉しいと思うか?
そもそも何で花束なんだ。「私はあなたを応援してます」って気持ちを表現したいとしても
他にいくらでもやりようがあるだろう。
しかも贈った方は100%善意でやってる(んだろう)からタチが悪い。悪すぎる。
今日の「佐藤天彦、バラの花束を抱えて対局室に登場」シーンは、
私にはものすごくマヌケに見えた。誰も得していない。むしろ大損。
おそらく佐藤九段が今後の棋士人生を懸けて行ったであろう不服申立が、
一瞬で重みを失ったような。
誰だか知らないけど、余計なことしてくれたなあ、本当に。
それは困窮している子あり。ちゃんとやることやってから子どもを作りましょうね
日本だけではなく、世界でも研究者は大抵晩婚。子どもがいる人は30代で子どもを作るのが当たり前。
アカデミックキャリアを積んでテニュアを得るには20代でコンスタントに論文を出し続けてそれなりの地位にまで上がらないといけなくて、それは日本だけではない。
それは多分彼の分野でも同じで、周囲を見ればわかり切っていることだったと思う。
そんな状況で子どもがいる環境になったら、研究職としての人生が積むのは目に見えているのに、そういうことをして、そういう状況になったわけでしょ?
それを何とかしてあげる必要があるのかというのは結構疑問がある。
まあ、それは多分、アカデミックに限らない。
万規模のグローバル企業や国家中枢の上級管理職に限らず、下々の職だってそうだぞ
別に現代の職に対する要求値が上がったから晩婚化したわけではなく、
江戸時代だって番頭が結婚したのはとりわけ有能な者で30歳くらい
番頭はエリートだから(震え)にしたって農村部でも男の初婚は25歳〜28歳だよ
現代でもそうだが職人の見習い・下積み期間は給与が安いのだ。ITだってそうだね
結局のところ、勤勉な者が子孫を残すわけではなく、
ちゃっかりしてるヤツがやることやらずにノリで子ども作って連なって現代に至る
一部のはてブをみてると、安倍総理の国葬で昭恵夫人が喪主を務めたのが気に入らない人がけっこういるようだが、社会経験がないお子ちゃまなのかアホなのか。
あのね。喪主ってのは遺族がやるの。
家族葬とか一般的な個人の葬式だと喪主ってのは遺族代表と葬儀の主催者みたいな位置づけだけど、社葬とか大きな組織の団体葬とかだと、普通は“葬儀委員長”ってのを別にたてて、葬儀委員長が喪主のかわりに葬儀全般を取り仕切るの。
はてサはわりと年齢層たかそうだけど、取引先の社葬とか、いったことないの?
遺族でもない社長とかが喪主やってたら“なんなんだ?この会社”と常識ある大人は思うのよ。
同族会社の先代の葬式で、社長が喪主だったりすると、別に番頭格の人が葬儀委員長やったりするのよ。
“国葬なのに昭恵夫人が喪主なんておかしい”と主張するおこちゃま達は、誰が喪主だったら納得したの?
岸田総理?
いやいやいやいや。
もし岸田総理が喪主になってたら、それこそ大騒ぎだったろうよ。
“安倍氏は日本人すべてのお父様ということなんだろ。岸田は全国民を代表した長男ってことだよ”
みたいなことになってたはずである。
今回の国葬では、喪主は遺族を代表して昭恵夫人。主催者のトップとして葬儀全体を取り仕切る責任者である葬儀委員長は岸田総理。
国葬として安倍氏の葬儀をやるなら、まあ常識的にはこうなるよね。
ちゃんと国葬の中のアナウンスではずっと“岸田葬儀委員長”といってなかったっけ?
もうね、“ああ、国葬反対するような奴ってのは非常識野郎なんだな”って思われるだけだから、少し静かにしてたら?
いや、そう思わせるのが目的なら仕方ないけど。
読者は物語の展開が気になるわけなので、正直代役を立ててもいいと思うんだが。
それか別の作家用意して別の章のコミカライズやるとか、やりようはいくらでもありそうなのに
一部のはてブをみてると、安倍総理の国葬で昭恵夫人が喪主を務めたのが気に入らない人がけっこういるようだが、社会経験がないお子ちゃまなのかアホなのか。
あのね。喪主ってのは遺族がやるの。
家族葬とか一般的な個人の葬式だと喪主ってのは遺族代表と葬儀の主催者みたいな位置づけだけど、社葬とか大きな組織の団体葬とかだと、普通は“葬儀委員長”ってのを別にたてて、葬儀委員長が喪主のかわりに葬儀全般を取り仕切るの。
はてサはわりと年齢層たかそうだけど、取引先の社葬とか、いったことないの?
遺族でもない社長とかが喪主やってたら“なんなんだ?この会社”と常識ある大人は思うのよ。
同族会社の先代の葬式で、社長が喪主だったりすると、別に番頭格の人が葬儀委員長やったりするのよ。
“国葬なのに昭恵夫人が喪主なんておかしい”と主張するおこちゃま達は、誰が喪主だったら納得したの?
岸田総理?
いやいやいやいや。
もし岸田総理が喪主になってたら、それこそ大騒ぎだったろうよ。
“安倍氏は日本人すべてのお父様ということなんだろ。岸田は全国民を代表した長男ってことだよ”
みたいなことになってたはずである。
今回の国葬では、喪主は遺族を代表して昭恵夫人。主催者のトップとして葬儀全体を取り仕切る責任者である葬儀委員長は岸田総理。
国葬として安倍氏の葬儀をやるなら、まあ常識的にはこうなるよね。
ちゃんと国葬の中のアナウンスではずっと“岸田葬儀委員長”といってなかったっけ?
もうね、“ああ、国葬反対するような奴ってのは非常識野郎なんだな”って思われるだけだから、少し静かにしてたら?
いや、そう思わせるのが目的なら仕方ないけど。
それは君やで。ちゃんとやることやってから子どもを作りましょうね
日本だけではなく、世界でも研究者は大抵晩婚。子どもがいる人は30代で子どもを作るのが当たり前。
アカデミックキャリアを積んでテニュアを得るには20代でコンスタントに論文を出し続けてそれなりの地位にまで上がらないといけなくて、それは日本だけではない。
それは多分彼の分野でも同じで、周囲を見ればわかり切っていることだったと思う。
そんな状況で子どもがいる環境になったら、研究職としての人生が積むのは目に見えているのに、そういうことをして、そういう状況になったわけでしょ?
それを何とかしてあげる必要があるのかというのは結構疑問がある。
まあ、それは多分、アカデミックに限らない。
↓
万規模のグローバル企業や国家中枢の上級管理職に限らず、下々の職だってそうだぞ
別に現代の職に対する要求値が上がったから晩婚化したわけではなく、
江戸時代だって番頭が結婚したのはとりわけ有能な者で30歳くらい
番頭はエリートだから(震え)にしたって農村部でも男の初婚は25歳〜28歳だよ
現代でもそうだが職人の見習い・下積み期間は給与が安いのだ。ITだってそうだね
結局のところ、勤勉な者が子孫を残すわけではなく、
これはこれでそう言う問題ではない
というかバチバチやってるエリートや、エリートじゃないけどまぁみんな在宅で無限に働いている外資なんかで、
子育て大変だから降りるでちゅーとか言ったらニコニコされると思う、どーぞ・どーぞ😊みたいな
本質的に下記と同じ話 ↓
https://anond.hatelabo.jp/20220918082201#
日本だけではなく、世界でも研究者は大抵晩婚。子どもがいる人は30代で子どもを作るのが当たり前。
アカデミックキャリアを積んでテニュアを得るには20代でコンスタントに論文を出し続けてそれなりの地位にまで上がらないといけなくて、それは日本だけではない。
それは多分彼の分野でも同じで、周囲を見ればわかり切っていることだったと思う。
そんな状況で子どもがいる環境になったら、研究職としての人生が積むのは目に見えているのに、そういうことをして、そういう状況になったわけでしょ?
それを何とかしてあげる必要があるのかというのは結構疑問がある。
まあ、それは多分、アカデミックに限らない。
↓
万規模のグローバル企業や国家中枢の上級管理職に限らず、下々の職だってそうだぞ
別に現代の職に対する要求値が上がったから晩婚化したわけではなく、
江戸時代だって番頭が結婚したのはとりわけ有能な者で30歳くらい
番頭はエリートだから(震え)にしたって農村部でも男の初婚は25歳〜28歳だよ
現代でもそうだが職人の見習い・下積み期間は給与が安いのだ。ITだってそうだね
結局のところ、勤勉な者が子孫を残すわけではなく、
勤勉な労働者階級出身のエリートや小金持ちは、いっぱしの者になるのにまで有能でも30代前半まで掛かるので、
芸能人・実業家なら若くしてとっくに生涯分以上稼いでるので、若いうちからポコポコ子ども作ったり・養子にとったりで、
世界的に成功を収めていると5人以上いることも珍しくないし、マドンナもトランプもえらいことになってる
政治屋なら多少体面は気にするものの、それでも大金持ちで1人っ子とかあんま無いかな
これは近年になって急にそうなったとかではなく、江戸時代からそうだぞ
別に現代の職に対する要求値が上がったから晩婚化したわけではなく、
江戸時代だって番頭が結婚したのはとりわけ有能な者で30歳くらい
番頭はエリートだから(震え)にしたって農村部でも男の初婚は25歳〜28歳だよ
現代でもそうだが職人の見習い・下積み期間は給与が安いのだ。ITだってそうだね
結局のところ、勤勉な者が子孫を残すわけではなく、
ちゃっかりしてるヤツがやることやらずにノリで子ども作って連なって現代に至るわけだが、
こればかりはどうしようもない
まんまこれ
万規模のグローバル企業や国家中枢の上級管理職に限らず、下々の職だってそうだぞ
別に現代の職に対する要求値が上がったから晩婚化したわけではなく、
江戸時代だって番頭が結婚したのはとりわけ有能な者で30歳くらい
番頭はエリートだから(震え)にしたって農村部でも男の初婚は25歳〜28歳だよ
現代でもそうだが職人の見習い・下積み期間は給与が安いのだ。ITだってそうだね
結局のところ、勤勉な者が子孫を残すわけではなく、
ちゃっかりしてるヤツがやることやらずにノリで子ども作って連なって現代に至るわけだが、
こればかりはどうしようもないので高等教育を無料にすればいいと思います
僕には、何をしても褒めてこない上、全否定してくる、それはそれは素晴らしい親がいます
僕には少し歳が離れた兄貴がいる。
兄貴は国公立大附属中学を受験し、合格していた。なので流れ的に僕も受験するよう言われた。
結果、国立大附属中学への入試に失敗し、公立の中学校へ進学した。
絵を描くのが好きだった。真面目に描くと、必ず賞を貰えたからだ。県内の評論会かなんかでも何度か賞を貰ったことがあった。美術の才能があるんじゃないかなって思った。
けど、親は「そんなものはない」と一蹴。
続けて、「お前には〇〇高校っていう1番頭のいい高校に行った兄貴がいるんだから、勉強で頑張っていけ」と言われた。
それで一応勉強を頑張った。
偏差値がたまに70行くくらいには勉強出来たのだけど、親は「偏差値は100が最大値だろ、たかだか70なんて、勉強してないだろ」と言われたのを今でも覚えてる。あいつバカだったんだな。
結果、滑り止めで受けた私立高校へ進学した。
やっぱり絵を描くと、賞がもらえた。人と違う絵を描けた時が、1番達成感があった。画材にも手を出して、絵を描くことがすっかり好きになった。
親はめちゃくちゃキレた。
あろう事か2chの「美大に進もうと思ってるけど」的なスレを見せてきて、如何に美大に進学することが愚かなことかを示してきた。
そして「お前は勉強から逃げようとしている。」とまで言われる始末だった。
また説得すれば良いかなって楽観していた。
しかしその次の日、親は部屋に上がり込んできて、僕の手で画材を捨てさせた。
決め手には「お前の兄貴は、東京大学に受かったんだ。お前に勉強が出来ないはずがない」と言われた。「東京大学に行ってから絵を描けば良い」とまで言われた。
唯一、周りから褒められていたものを手放して、受からなきゃ褒められないものを強要されたのは正直しんどかった。
僕は文系科目(特に現代文)が苦手だったので、東大ではなく東工大を受験。一浪したけど結構受からず。
結果、他の国公立に後期で進学した。
受かったって報告した時は、流石に「おめでとう」と連絡が来た。
ちなみに、現代文ができない理由を「お前は人の意見とか気持ちを汲み取れないアホだからだなw」と言われたこともある。
入学書類を書いて、チェックをしている時に書き忘れた書類があったことがわかった。
それを見つけた親はめちゃくちゃキレた。
「そんな杜撰だから、東大にも東工大にも受からねえんだ、クソバカが」
って言われた。
報われないなぁって思いながら、未記入の書類を準備していた。
曲がりなりにも国公立の理系なので、就職活動自体は苦じゃなかった。親さえいなければね。
親は日本の会社制度が如何にクソであるかを力説した上で、外資系企業やGAFAMに就職するよう勧めてきた。自分は保険会社の下請けの営業なのにな。失せろよ。
某超大手電機メーカーからの逆求人が来た時には「そこは潰れるからやめろ。お前やっぱバカだから、そういうクソみたいな会社からしかオファー来ないんだな」と言われた。
選択的夫婦別姓というのは実に面白いトピックでこれに対する考え方を見るとその人の頭の良さが分かる。ある意味リトマス試験紙のようなものだ。まず大前提として夫婦別姓だろうが同姓だろうがそれは定義問題に過ぎない。結婚をどのように定義するか、戸籍制度をどのように定義するか、それによって姓を同じにするかしないかといったことが出てくる。
「希望する人の選択肢が増えるだけなのに!」と叫ぶ人は一番頭が悪い。それは論理としては実に弱い。弱すぎて主張にすらなっていない。希望する人の選択肢が増えることが良いことであるかに関して不明なままそれを前提とした論理展開をしているわけだ。希望する人の選択肢が増えるだけだという論理を許してしまうと世の中のあらゆる法律や制度が無意味になる。「誰も損をしない」という主張も明らかに嘘である。損すると思っている人は大勢いるが、彼らの意見が聞かれることは無い。多様性を求める割に多様な考え方を認めない。
一方で選択的夫婦別姓に積極的に反対を示す人も頭が悪い。日本の伝統であるというのは明らかに嘘であるし、戸籍を賛美するのもカルト的ですらある。そもそも選択的夫婦別姓というのは偽問題である。姓があることがそもそもの間違いである。重複する可能性が大いにある名前というものにこだわるのは現代的とは言えない。現状を肯定するのはおかしい。