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はてなキーワード: 生産物とは

2015-09-29

http://anond.hatelabo.jp/20150929124212

まり、市中で使われている労働生産性とは、つまり労働換金性」なのだよね。

質・量に優れた生産物を輩出しているなら、本来的な「労働生産性」は高い。で、「労働換金性」は低いが通貨価値がその分高い。

けど、そうした意味においても日本国労働生産性が低いのは、勘違いな「おもてなし」などの、判に押したような過剰サービスのせいだったり。

2015-07-31

ロボット労働者仕事を奪うのか。

奪うのだろうが、産業革命でも同様のことが言われ、

結果どうなったかといえば、サービスなどの3次産業や、娯楽、スポーツなどを職業とする人が現れた。

そして、土日を休みにするなど、多くの人は余暇を作ることができるようになった。

IT革命ロボット革命では同様のことがおこるだろうか。

 

IT革命がおこった現在、あまり産業革命のような変化は見られない。

一部でワークシェアが行われてはいるが、ほとんどの労働者は相変わらず週5で働いている。

クリエイティブなど、新しい産業も生まれはしているものの、効率的流通もあり、一部の才能の生産物だけで、

人々の余暇は消費されてしまっている。

結果、雇用が足りていない傾向が加速している。

 

では、ロボット革命が起きたらどうなるか。

ここからは、私の予測となるが、おそらく今の傾向が加速するだろうと思う。

雇用さらに不足し、新しい産業もそれほど生まれない。

これは資本主義性質上、資本を持つ物が進歩恩恵を独占するからだ。

一方で労働者を締め付けるほど利益を得られるために、より雇用コンパクト化し数は減少していく。

 

国よりも巨大企業が力を持ち始めた昨今、

人類は個人の利益を優先するかか、社会全体の利益を優先するか、将来が楽しみだ。

2015-07-18

アベノミクス経済学的にどういうものなのか

アベノミクス代表的政策解説してみたいと思います


~インフレ目標政策について~

単純な値上げだけでなく内容量減少という実質値上げも含めれば、最近は凄まじい物価上昇ですね。牛丼ですら最近は値上がっています。なんでこんなことをなっているのかというと、円安政策や量的金融緩和の影響もありますが、基本的には日銀が前年比2%のインフレ目標を掲げ、この目標を達成するために色々やっているからです。


~インフレ目標政策がなぜ必要なの?~

なぜこんなことをするかというと、デフレ脱却が一番の目的です。デフレ経済というのは供給過剰の状態の経済であり、需要が足りない状態です。供給過剰の結果として生産物の減産や価格の値下げが行われ、経済に悪い状況を与えます。このように、経済学ではデフレ基本的に悪いもの経済がうまくいっていないとデフレになる)です。

それだけでなく、急激なインフレデフレ経済を混乱させます。例えば、2年前は150円だった牛丼が去年は1000円になり、今年は20円になったとします。こんなむちゃくちゃな経済ではみんな困ってしまますね。そこで日銀インフレ目標を発表し、インフレ予想というものに働きかけることで実際のインフレ率を安定化させようというのがインフレ目標政策です。

~何が問題か?~

インフレ目標政策経済を「安定化」するものであって、経済を刺激するものではありません。インフレ目標政策によって日本経済が安定化することはあってもV字回復しません。経済を刺激する政策である量的金融緩和拡張財政政策とは違ったものです。

また、フィリップス曲線根拠に、インフレ率上昇(デフレ脱却)には雇用拡大効果があるとも言われます。また、インフレ率上昇は実質賃金を減少させるのでその分雇用拡大するのではないかとも言われますしかし、スタグフレーションのようにインフレ率が上昇しつつ実体経済悪化する場合や、逆にアメリカニューエコノミーのような場合もありえるため、インフレ率上昇が必ず雇用拡大に繋がるわけではありません。

~金融政策について~

金融政策には色々手段があります日本はずいぶん昔からゼロ金利政策という金融政策を取っていますが、あまり効果がありませんでした。そこで今回チャレンジしているのが量的金融緩和です。これは日銀がどんどんお金を刷って、そのお金市場にじゃぶじゃぶ投入する政策です。これによって市場でのお金価値が下がりインフレ率が上昇し、また外国為替市場では円安になります。これは経済を刺激する(景気底上げ政策です。

~何が問題か~

量的金融緩和はいつか必ずやめなくてはいけません。量的金融緩和をやめられない場合、極端に言えば経済ハイパーインフレーションに陥ります。でも、だからといって量的金融緩和を急にやめれば景気悪化します。極力悪い影響を与えずにどうやって量的金融緩和をやめるのか、その戦略出口戦略といいます出口戦略アメリカですら苦戦するもので、量的金融緩和を始めたはいいけどどうやってやめるのか、いつやめるのかは課題となっています

さらに量的金融緩和通貨価値を下げ、通貨安状態になります日本円も下がっており、それによる貿易収支改善が期待されていますしかし、通貨安政策というのは通貨競争につながるもので、本来IMFが禁止しており、やってはいけないことです。それでもIMFが黙認しているのは、日本が「量的金融緩和副作用として通貨が下がっているだけですよ。意図したものではないですよ。」という態度をとっているためです。

2015-06-06

http://anond.hatelabo.jp/20150605192829

なってるよ。日本はしばらく停滞してるのと、格差が開いてるから上の方を見たら相対的にどんどん貧しくなってるように感じるかもしれないけど、絶対的尺度でみて人類経済的にはどんどん豊かになってる。心の満足感は別にしてね。

経済的に貧しいっていうのは、物やサービスが手にはいらないってこと。お金が無いから欲しくても買えないんじゃなくて、そもそも売ってない。ここでいう物やサービスってのは薬や医療、簡便な移動手段通信手段、知へのアクセスとかも含んだ総合的な生産物ってことね。

とびきりの金持ちなら金にあかせて地球のどこかから調達してくることはできるかもしれないが、そもそもマスで生産するあてが無ければこの世に存在し得なかったもの(技術産物は大抵そうだ)については、社会が貧しい時には存在しないから、どんなに金を積んでも手に入れることはできない。

例えば細菌感染した時に医者行ったら抗生剤を出してもらえる、っていうのはものすごいことだよ。人類のこれまでの働きによってそういう世の中になった。(単に研究者医者が頑張ったからじゃない。社会全体としてそれを支えるだけの生産活動をしてるから、そういう世の中になったわけ。)

から今の世の中問題なし、なんて言うつもりはないけどね。格差はなんとかしなきゃならん。でも今まで得てきた豊かさは認識した上で、何が足りないか考えないとならんのじゃないか。

2015-05-15

なんでそこまで怒られるかわからん

こういうことを書くとこのアスペがとか叩かれるんでしょうけど、自分には他にぼやく先がないので書く。

ボヤキだから何が言いたいのかというツッコミは答えられないのであしからず

 

上司からこっぴどく怒られた。

 

とあるデザインが成果として求められるプロジェクトに参加している。

自分デザインセンスゼロだが、他に人がいない為、上司になっている。

そしてその下には新卒デザイナー部下3人がいる体制だ。

 

そこで定期的に上司に対し成果をプレゼンしているのだが、散々。

 

最初、私はデザインセンスはないもの技術者視点システム仕様発想ならお手の物?なので、その方向性でこの案件コテコテ方向性でまとめようとした。

 

が、上司から突き抜けるデザイナーの発想をなんだと思っていると指摘され、まあ上司はそうやって育てたいのかと思い、彼らの自主的アイデアを重んじることにした。

放置とも言う。

しかし、彼らは一般的新卒生だったようで、○☓で見たようなものばかりしか作れなかった。

しかもその理屈付けも中身も薄いものばかり(そうじゃないのも少しだけあったけど)。

 

その未熟さについて上司を中心に定期プレゼンで叩いていると、3人中2人が鬱っぽくなった。

特に鬱の1人は全然芽が出ない。

 

見かねて今回彼らに少しだけアドバイスをするようにした。

といっても自分の考えはこうだからこういうのどう?どう?こうすべきだよ!という方向性ではなく、マインドマップを描いて、ここは具体的にどう考えているの?ココは考えが抜けてない?というやり方だ。

 

これで、まだポジティブな1人と鬱の1人について、自分はまだまだだけど前回より壁を超えて成長したと思う。

しかし、上司視点では生産物ができるまでには程遠く、コスト効果に見合っていないと低評価だ。

特に全然芽が出ない一人は、まだ芽が出なくて、プレゼン内容もイマイチだった。

これは私の能力不足で怒られても仕方ない。

 

しかし、私に対しお前ももっと彼らへお前も真剣に怒って指導すべきだとか、いいかっこをしたいのか?などと何度も繰り返し攻め立てる上司の怒りについて、なんでそこまで熱くなるのかやっぱりわからない。

 

会社がここまで育ったのは、上司ビジネス才覚によるものが大きいし、尊敬する。

しかし、ボンクラ自分には思考理解できないことが多い。

 

上司と一緒に自分も怒ってなんで彼らが成果を出せるのか、今日も帰り道ずっと反芻してみたが、やっぱりちっとも良い手には思えない。

正直怒られている時は思考が止まるし、考えも守りに入るしで、それで前に進んだ時も有りますけれど、自分上司と同じ態度を彼らへ取ることについて、どうしても自分の中ですっと入らない。

 

今回も求められる結果が出なかったけど、やっぱり自分がやるべきことは上司の考えるポイントをできるだけ冷静に汲みとって、どうやってそれを現実に結びつけるかを彼らスタッフと一緒に考え指導することだと思う。

 

でも、そういう話、上司は聞く耳持ってくれないんだよなあ。

下手に社内で相談すると、批判的だと上司からまたご指摘をいただくし。

自分は、このやりとり自体不毛だと考え、黙ってしまタイプなので、同僚へ相談できず、モヤモヤする。

 

どうすりゃいいのかな。

今後の方針をまとめて、来週に向かう必要があるのだが、ぶつけどころのないイライラ思考がまとまらないので、増田に書いて、今日はふて寝することにした。

明日考えよう。

あーっ、晩御飯考えたり作るのがめんどくさい!

2014-12-04

http://anond.hatelabo.jp/20141204015525

その信用ってのは最終的に生産物=誰かの労働の成果によって払い戻されるだろ?

資産ってのもストックされた生産物(あるいは間接的に、生産物と交換可能な何か)にすぎないんだし。

必要生産物労働しないでも誰にでも好きなだけ得られるようになったら貨幣経済は成り立たないんじゃない? 実際、生産物の複製が限りなくタダに近くかつ生産量に上限が無い場合は贈与経済が成立する (エリックレイモンド参照)。贈与経済で得られる評判は交換不可能だ。

もっとも、たとえ物質的に不足が無くなったとしても、他人アテンションみたいなものは有限だからアテンション争奪でもって交換経済が残るのかもしれないけれど…

2014-10-09

公共事業での景気対策が厳しい理由

まとめ



これまで経済政策論争として多くを占めたリフレ・反リフレの間の論争が結論が出る前に現実の方がリフレで固まり少なくとも数年は続けられそうになってしまったため下火になり論争の中心が財政政策公共事業の方へと移ってくるようになった。そこでポイントとなる点を備忘のためにまとめる。

景気対策としての公共事業否定しても全ての公共事業否定することにはならない。また公共事業価値を認めたからといって景気対策としても有効であると認めることにはならないし矛盾しているわけでもない。

公共事業に限らず金融政策しろ何にしろコストがかかる。ここでいう公共事業コストとは公共事業によって引き起こされるマイナス出来事公共事業をやったために出来なくなってしまった機会損失を加えたもの。国の債務を家庭の債務と同様に考えるのは永続性を無視した誤解であるが、かといって国の債務国民資産であるので拡大しても何ら問題ないというのもまた国民の異質性・多様性世代など)を無視した誤解である過去に積み上げた債務高齢者に逃げ切られないうちに一部返してもらおうというのが原因となって消費税増税ゼロ金利が続くなか急いで決められたといった財政自由度の低下も異質性があるがゆえの公共事業コストの一つである

どのような社会的効用関数を想定するかは人それぞれで当然だが最終的には効用に結び付けて考える必要がある。いいかえればGDPではなく消費こそが重要であり失業の削減なども消費が増えるからこそ大切。また、今期の消費だけでなく将来の消費も重要になってくる。

以上の3点が考えるための大前提

この3つめの考え方にたった上で公共事業を考えるときに外せないのが小野善康先生論文(Yoshiyasu Ono, Fallacy of the Multiplier Effect: Correcting the Income Analysis, ISER Disscussion Paper, 2006. リンク

http://www.iser.osaka-u.ac.jp/library/dp/2006/DP0673.pdf)となる。(これはいわゆる小野理論として有名な貨幣限界効用に正の下限があるというものとは別。)その中身は論文小島寛之先生の解説(http://archive.wiredvision.co.jp/blog/kojima/200707/200707241130.html)などによるとして、簡潔に言葉を借りると

乗数効果は、国民所得を増やすという意味での景気対策には全く効果を持たず、また、その実質的効果政府が投じた金額ではなく、作られた公共物の価値依存する」

ということになる。つまりよく言われる穴を掘って埋めるようなもの場合GDPは増えるが所得や消費を直接には増やさない。GDPが増えるのは政府支出はその支出分と同じだけの付加価値を生んでいると仮定する以外に付加価値の算出が困難というGDPという統計作成上の制約による仮定の産物に過ぎない。無駄が増えるのも経済にとって有用というのは誤りである

このことが示すのはGDPが増えているからというだけでは公共事業には効果があったとは言えないということである公共事業効果があったというには、直接的に価値のあるもの生産が増えたか所得効果が働き消費を増やしていた必要があり、さらにそれらが公共事業コストを上回っていないと望ましいとは言えない。

ここまでを踏まえた上で公共事業効果がないという考え方、あるいは効果があるとしても小さくコストを上回れないという考え方について見る。財政政策効果がないとする理由としてよく挙げられるのは



の3点である。各々には次の留意点がある。

公共事業規模以外の影響を制御して考える必要がある。ただし公共事業の減少幅からすれば公共事業雇用に主導的な影響を与えていたというのは難しい。

これは産業政策が平均的にはうまくいっていないのと同じ問題である。とりわけ景気対策として公共事業の総額が先に決まり事業の精査の時間が限られる場合にはより一層困難が高まる

現在の状況においてマンデル・フレミング効果公共事業の拡大に効果あるかないかの点であまり関係がない。

マンデル・フレミングモデルに基いても日本海外の双方でゼロ金利が見られる状況では公共事業金利を変化させ得ないので為替や純輸出は変化しない。ただ、これはいつまでも関係がないわけではなくさらゼロ金利の壁があるために公共事業拡張と緊縮ではマンデル・フレミング効果の発動は変わってくる。どこまでいっても金利が下がり得ないので緊縮をしても外需増加によるキャンセルアウトが得られない一方で拡張はある程度を越えると金利上昇予想にともなう円高で外需減少を招く。ただこの場合もマンデル・フレミングモデルを一部変更し公共事業の拡大・緊縮にかかわらず中央銀行政策金利一定にたもつというようにより現代的な仮定を導入するとゼロ金利を抜けてもいわゆるマンデル・フレミング効果は働かない。

土木建設業での人手不足や着工の先延ばし及び未消化工事残高の増加や公共事業入札の不調、あるいはその結果としての人件費や入札予定価格の引き上げの報道が相次いていることからすれば公共事業親和性の高い業種で現実供給制約が起きていると言える。

公共事業の規模や事業数が変わらなくても入札価格が上がっていけば上述のようにGDPは上昇するが雇用社会厚生は直接には高まらない。マクロ経済への効果は単価の上昇にともない所得効果が働くことに依存する。しか過去給付金政策租税変化の結果からすると所得効果はかなり小さい。(たとえば堀雅博, シェー=チャンタイ, 村田啓子, 清水谷諭, 90年代経済政策と消費行動の研究1-地域振興券の消費刺激効果, ESRI Discussion Paper Series No.12. http://www.esri.go.jp/jp/archive/e_dis/e_dis012/e_dis012.html、あるいは渡辺努, 藪友良, 伊藤新, 制度情報を用いた財政乗数の計測, Working Paper Series No.28, Research Center for Price Dynamics, Institute of Economic Research, Hitotsubashi University, 2008. http://hermes-ir.lib.hit-u.ac.jp/rs/handle/10086/16306。)株価地価の大幅上昇といった大規模なものでないと所得効果意味のある効果量となりにくい。

供給制約に面している時には公共事業コストが上がる。それによって民間の他の事業が行えなくというコストが大きくなるため。

供給制約に面していない業種に対する公共事業を増やせば供給制約問題はなくなるが産業政策と同種の困難さが高まる

財政拡張機能しない理由供給制約によるものとき消費税引き上げのような財政緊縮は機能してしまう可能性がある。

供給制約は長期的には解消され得る。専門化・技能化している土木建設に即座に従事するのは難しくても時間があれば技能習得してから就業することも可能となる。問題技能習得に掛かる時間景気循環時間の大小および技能習得無駄にならず将来性があることの保証をどのように行うか。

最近建設業従業者数は興味深い。GDPの上では公共投資が大きな寄与を続ける一方で建設業従業者数は前年比マイナスが続いてきた。しか最近はそのマイナスがかなり縮小してきており技能習得などが進んでいるのかも知れない。

2014-07-13

http://anond.hatelabo.jp/20140713111049

潰れた会社が作っていたものが世の中に必要とされてるものなら、それを別の誰かが作るから労働力必要とされるっしょ。

生産性が上がってゆくと必要労働者は減ってくから、あぶれる人は出てくるけど、他に足りてないところがあれば吸収されるっしょ。

ぶれる人がいて、かつ労働力が足りてないところがない、つまり少数の労働者が無理せずに全員分の物やサービス生産できているって状況なら、それは「生産性の向上の結果、人類はほぼ働かないでも食べて行けるようになった」って理想的世界だよね。労働シェアするなり生産物を再分配するなり、政治的格差を減らすことは必要だろうけど。

2014-06-30

増田に書けばフィクションって事で済まされるよね!6

受付は他の人。

終業時間間際にやってきた、やけに若作りの夫婦。

周囲からひそやかに投げかけられる、いくつもの迷惑そうな眼差しもガン無視という勇者っぷり。



「お祓いをお願いします」

「(おいおい今何時だと思ってんだよ)」



終業時間間際。境内はひと気もない。そもそも雰囲気的にかなり入ってきづらい。まあ普通の人はこの時間に来ない。



「今年が前厄なので、厄払いを…」

「(おいおい今何月だと思ってんだよ)」



厄払いは二月頭までに済ませるものな上、今年は既にもう半分終わってる。まあ普通の人はこんな時期に厄払いしない。



「住所は…」

「(おいおいどこで受けるべきもんだと思ってんだよ)」



住まいは数百キロの彼方。その地元には有名神てんこ盛りな上、当社は厄払いの専門でもない。まあ普通の人はわざわざ遠方来て依頼しない。


「祈願料ですね、ではこちらで…」

「(おいおい相場いくらだと思ってんだよ)」



また例の金額。やったね。どうやら近眼なのか神社の大きさが見えないらしい。まあ普通の人はこんな金額を提示してこない。



で祈願。実質貸切。

世間じゃ残業代がなくなるとかなくならないとか言ってるが、そもそも神社にそんなものはない。サービス残業。労基仕事しろ

常識のない夫婦の為に安手間で営業時間延長&神社貸し切り。祈願してる間は終業できないから職員全員が残業残業代一切なし。労基どこ。

まあどっかその辺でダラダラしてたらこんな時間なっちゃって、本来目的思い出して来たんだろうなーというのが丸分かりな二人だった。

というか、

変な時間特に遅く)に来る客は、住所も妙、祈願内容もおかしく、祈願料も変と。

だいたい決まっている。



変な時期に厄払い受けにくる客ってのは、ホントにこういうのが多いんだが。

まあ、一つ言える事としてはだ。

常 識 が 無 い か ら 、 厄 払 い が 必 要 と 感 じ る よ う な 目 に 遭 う ん じ ゃ ね え の

と。

ちゃんと周り見て他の参拝者に合わせた行動も取れないようなルールブレイカーから日常でも周囲からやたら叩かれてて、その理由さえ自覚できずに、結局は「何か悪いものが憑いている!」みたいな他人のせいというクソろくでもない発想に行き着くんじゃねえのかと。

まず、厄払いどうこう以前に、自分に原因を探さないとな。



あと、かなりどうでもいい謎行動だったが、

祈願に案内する為に声をかけた際に、振り向いた妻の方がなぜか浮かべた、目ぇひんむいて顎を突き上げて下目遣いでこっち見るみたいな変な表情。

ずいぶん昔の一時期に広末ドラマとかでたまにやっていた仕草のようにも思うが、まぁ初対面の自分がその事を咄嗟に思い出すくらいだからしかすると妻の方は「〇〇ちゃんそうすると広末に似てるねー」みたいな事を昔誰かに言われた事があるのかもしれないが、とにかく美人でもない一般人にやられると正直気持ち悪かった。家でやれ。



追記:はいはいブコメ返しブコメ返し。馬鹿だねぇ。まだ噛み付いてくるよこのチャンコロ。

   単調な攻勢であくびが出るので、5・6ともにまとめて返答しとくわ。ふあーあ。(欠伸)

change_K

相変わらずつまらんな。才能ゼロ

俺以外に反応してもらえない露出狂の気持ちを教えてくれwww

change_K

まだやってたwww意地で続ける凡才芸www

oramudaさん、ブログで連載したほうが多少は当たる可能性が増すと思うよ。

急がば回れ



まとめて回答:はいはい嫉妬乙。

自分では何ひとつ生み出せないくせに、人の生産物上から目線で論評して、それで何かを作り出した気になっているだけの無生産者乙。

しかったら自分エントリ上げてみれば?

きっとトラバとかブコメとか付かなくて歯軋りするんじゃない? ねえ、自分の才能が存在しない事を認められないから文章を書かずにいるだけの、正真正銘の凡才君。

それから自分ブログでやったらどうとかそれはお前に命令される事じゃないから黙っとけこの豚野郎

自分ブログでやるわけないだろう? お前じゃないんだからさあ。 匿名日記に噛み付いて、反論されない安全なところからブックマークコメント一方的批判して、そんで当該記事において反撃を受けたらまたブコメ更新して、それもさらに反撃されたら自分とこのブログに記事を無断転載してまで攻撃を続けるような、卑劣低俗なお前とは違うんだからさぁ。

それから、6はトラバたくさんついたよねぇ?

自分以外には相手してもらえない」ていう、お前の指摘内容と違うねぇ?

反応しているのはお前だけじゃないし、一時間で関連ツリーに30トラバ以上は付いたねぇ。

そもそもトラバなんて欲しくもないから、これからは断固たる対応を取ると宣言したけどね。

ねえどんな気持ち? 自分の思惑と現実が食い違って、ねえどんな気持ち? 教えてよ!

アハハハハ! お前以外にもあの文章に反応する奴はいるんだよ? 道化だねぇ! その程度もわからない馬鹿なんだねぇ!

まぁこからトラバも一切付かなくなるだろうから、それに乗じて単純で低脳極まりないお前はまた「自分以外には反応されない」とか糞ブコメ付けるんだろうけどさ。

お前みたいな個人ブログで人の書き込み叩くような奴に対しても、トラバつけられた時と同じ対応するから

覚悟しとけよこのクソ野郎。

具体的には、一度ブコメつけてきやがる度に、ブログコメント欄に可能な限りの祝詞を書き込むから

それから増田の当該エントリの方にもお前のブコメへの反論をきっちり載せておくからね。

アウェーじゃなくホームなら何をされても防げると思ってるんだろうけど、きっちりアウェーでも片をつけるから

気付かなかったか放置していたのを、わざわざ教えてくれてありがとう

おかげで、はてな通報してそれで済ませてやろうという優しい気持ちも失せたわ。

宗教家って、根気強くないと勤まらないからねぇ。

こんな風にね。

(以下長文祝詞

相手の個人ブログにも同じ書き込みがあったので、しっかり同じ返答しておいてあげました★

馬鹿だねぇ。私はchange_kなんて奴知りもしなかったのに。勝手に噛み付いてくるから、足蹴にされるのにねぇ。

2014-06-28

http://anond.hatelabo.jp/20140627235819

生産者以外が紹介しちゃダメ」というつもりはないんですよ。

生産物の功績は誰に属するかという意図です。

私はまず「生産者ががんばった、偉い」と思うわけですね。もちろん運んだ人や卸の人もありがとうですけど、やっぱり「作った人が偉い」と思う。

しか東北復興CMだったと思うんだけど、畑や田んぼ生産物を手に生産者らしきひとがアピールしてたCMを見た覚えがあって。それの一幕に魚を手にした漁師さんがいたんですね。いやいやお前、他の人は自分生産したものを手にもってたけど、お前がもってる魚は運搬したものであって生産ではないだろ、と。

書けば書くほど自分偏屈な考えにとらわれてると思えてきたな。なんだかな。

2014-06-23

増田に書けばフィクションって事で済まされるよね!5

40代半ばくらいのおっさんTシャツジーンズにナップザックの旅装。まあぱっと見で祈願を受けにくるようなタイプじゃない。

つーか神社来て祈願依頼すんならドレスコードくらい気にしろ



男「ここは何をするところなんですか?」

*「(看板も見ずに入ってくるのかよ)ご祈願のお受付をするところですね」

男「ご祈願っていうのは、それはどんな祈願でもいいんですか?」

*「(うわ聞きたくねえなあ)ええ、どのような?」

男「じゃあ…〇〇〇〇(野球球団名)の必勝祈願を」

*「(おいおい)」



 まあ、神の家は迷える民の為に常に門戸を開いている。ゆえに、どんな下らない望みでも笑顔で受付はするが。

 こいつと同じように受付にやってきて、ガンの病気平癒祈願とか、家族生前お世話になりましたのでその御礼に、とか言う人もいる。

 正直、神頼みしなくても別に済むような願いなら、自力でどうにかするか、あるいは賽銭箱の前で各自勝手に祈って欲しいんだがな。



*「わかりました。それではご住所とお名前を…」

二人連れ「こんにちはー」

*「…こんにちは。ようこそお参りくださいました(あ、この方…)」



 ここで新たに入ってきた二人連れ。さすがに顔はよく覚えている。

 神社は客商売ではないにせよ、祈願受付にやってきて普通に札束を出してくる人の顔くらいは覚えていないとさすがに勤まらない。

 機嫌を損ねるとヨソの神社札束が落ちちゃうからね! 



*「(今日はあの方達いくらかねえ)はい、それではご祈願料をお納め下さい」

男「大体いくらくらい?」

*「(答えられねえんだよそのくらいテメエで判断しろ)そうですね、決まりはございません」

男「じゃあこれで(ハダカの野口×3)」

*「(うっわ安、大神社なめてんのかこいつ)ではこちらで、ご領収です」

男「ん」

*「(あの方達とは雲泥の差だね)只今よりご祈願を執り行いますから本殿へご昇殿下さい」

男「本殿ってのはあっち?」

*「(めんどくせえなあ見りゃわかんだろうが)はい、あちらの扉から…」



 祈願受付を終えて本殿で準備をしていると、既に昇殿済みのおっさんと、後から昇殿してくる二人連れの姿が見えた。

 今回受けるのは三人だけ。この場合普通であれば



 〇  〇〇



 こんな並び方で祈願を受ける。だが、



 〇

〇 〇



 なぜかトライアングルフォーメーションを組んでいる。

 ていうか、オッサンが正面でどっかりと胡坐をかいて、まったく場所を譲らない構え。

 普通は、後から昇殿してきた人間がいれば横にずれて場所を譲る。右と左に別れて座る。

 後から昇殿してきた人間が二十人くらいの団体だったりした場合は、移動しない場合が多いが、今回は二人だけなのでまあ普通は譲る。

 だがオッサンは特等席!みたいな感じで中央に鎮座し不動の構え。

 まあ、祈願の初心者みたいだし仕方ないか、それでも普通の人なら横にずれる心配りくらいするもんなんだけどなあ、と呆れつつ、一言お願いをするために近づいていった。



*「すみません、この御祈願は皆様三名様だけですので、少しこちらに移動して頂いてもよろしいでしょうか?」

男「…(無視)」

*「(シカトかよクソ野郎)こう、三名様で横にお並び頂きましてですね、皆さまで御祈願お受けいただいてもよろしいでしょうか?」

男「…(顔すら上げない)」

二人連れの偉い方「あ、よろしいです、私達ここで」

もう一人「(笑顔)」

*「えっ、そうですか? すみませんありがとうございます…」



 で結局オッサンは席を譲らず、真正面一番前の特等席(笑)で祈願受けて帰ってった。

 野球の観戦じゃねえんだから、好きなチームの必勝祈願に来てまで、バックネット最前列かぶりつきを確保してんじゃねえよオッサン。

 ていうか祈願料三千円の奴が、祈願料百万円を何度か記録している二人(今回は五万円だった)の前に堂々と座ってんじゃねえよ。

 たかが好きな野球チームの必勝祈願に来た奴が、大会社商売繁盛祈願しに来てるお方(当然二人とも正座)の前で堂々と胡坐かくな。

 下がれ下郎。

 こういうの見るとモヤっとする。

 神 社 来 た 時 く ら い 譲 り 合 い の 精 神 を 持 て や 。



<ついでに思い出した事>


常連おはようございます

*「(あ、常連人達だ)おはようございます

常連「御祈願お願いします」

*「本日はいもの御祈願内容で宜しいですか?」

常連「あー、今日はこの子ちょっと風邪をひいてしまったのでー、病気平癒も追加で」



家 で お と な し く 寝 か し と け 。







追記:はいはいブコメ返しブコメ返し。馬鹿だねぇ。まだ噛み付いてくるよこのチャンコロ。

   単調な攻勢であくびが出るので、5・6ともにまとめて返答しとくわ。ふあーあ。(欠伸)

change_K

相変わらずつまらんな。才能ゼロ

俺以外に反応してもらえない露出狂の気持ちを教えてくれwww

change_K

まだやってたwww意地で続ける凡才芸www

oramudaさん、ブログで連載したほうが多少は当たる可能性が増すと思うよ。

急がば回れ



まとめて回答:はいはい嫉妬乙。

自分では何ひとつ生み出せないくせに、人の生産物上から目線で論評して、それで何かを作り出した気になっているだけの無生産者乙。

しかったら自分エントリ上げてみれば?

きっとトラバとかブコメとか付かなくて歯軋りするんじゃない? ねえ、自分の才能が存在しない事を認められないから文章を書かずにいるだけの、正真正銘の凡才君。

それから自分ブログでやったらどうとかそれはお前に命令される事じゃないから黙っとけこの豚野郎

自分ブログでやるわけないだろう? お前じゃないんだからさあ。 匿名日記に噛み付いて、反論されない安全なところからブックマークコメント一方的批判して、そんで当該記事において反撃を受けたらまたブコメ更新して、それもさらに反撃されたら自分とこのブログに記事を無断転載してまで攻撃を続けるような、卑劣低俗なお前とは違うんだからさぁ。

それから、6はトラバたくさんついたよねぇ?

自分以外には相手してもらえない」ていう、お前の指摘内容と違うねぇ?

反応しているのはお前だけじゃないし、一時間で関連ツリーに30トラバ以上は付いたねぇ。

そもそもトラバなんて欲しくもないから、これからは断固たる対応を取ると宣言したけどね。

ねえどんな気持ち? 自分の思惑と現実が食い違って、ねえどんな気持ち? 教えてよ!

アハハハハ! お前以外にもあの文章に反応する奴はいるんだよ? 道化だねぇ! その程度もわからない馬鹿なんだねぇ!

まぁこからトラバも一切付かなくなるだろうから、それに乗じて単純で低脳極まりないお前はまた「自分以外には反応されない」とか糞ブコメ付けるんだろうけどさ。

お前みたいな個人ブログで人の書き込み叩くような奴に対しても、トラバつけられた時と同じ対応するから

覚悟しとけよこのクソ野郎。

具体的には、一度ブコメつけてきやがる度に、ブログコメント欄に可能な限りの祝詞を書き込むから

それから増田の当該エントリの方にもお前のブコメへの反論をきっちり載せておくからね。

アウェーじゃなくホームなら何をされても防げると思ってるんだろうけど、きっちりアウェーでも片をつけるから

気付かなかったか放置していたのを、わざわざ教えてくれてありがとう

おかげで、はてな通報してそれで済ませてやろうという優しい気持ちも失せたわ。

宗教家って、根気強くないと勤まらないからねぇ。

こんな風にね。

(以下長文祝詞

相手の個人ブログにも同じ書き込みがあったので、しっかり同じ返答しておいてあげました★

馬鹿だねぇ。私はchange_kなんて奴知りもしなかったのに。

勝手に噛み付いてくるから、足蹴にされるのにねぇ。

2014-04-24

仕事報酬について、そして自民党がもうダメな理由

昔は、事業を回して得た収益社員みんなのものだったし、社会全体で見ても生産物構成員みんなのものだった。

少なくともそうすべきだとされてきた。

でも今じゃ収益株主経営者のものだとばっかり言われるし、社会の中にはゲーテッドコミュニティを作りたがる輩が蔓延りだした。

自民党は今はまだ多くの票を集めるために大衆迎合の振りをすることもあるけど、幹部連中が気持ちの上で社会と断絶してしまってるから

時々漏れ本音は本当にどうしようもなくひどいものだ。彼らは中世以上に奴隷を欲している。

そして大衆迎合コストがかかるから大衆意識した選挙対策必要としない権力を求めている。

陳腐表現だけど試練の時代だと思う。

2014-04-09

http://anond.hatelabo.jp/20140408163241

まず共産主義というか共産制には「原始共産制」と「ハイテク共産制(とでも言いましょうか)」の2つの状態に分けられることを絶対に知っておかねばならない。

1.20世紀から言われる共産主義というか共産制がうまくいかないのはその独裁政治になりやすさと生産性低下にある。

これらは原始共産制の失敗例。

2.ではハイテク共産制とは何か?

それは生産に関してハイテクによる全自動システムになっていることである

実はハイテクによる生産の全自動システムは月日を追うごとに進んでいる。

そのせいで、コンピュータロボット生産システムのせいで、人間仕事が奪われ、人余りになっているのはみなさんもすでにご存知だと思う。

政治に関しては定期的な投票による民主主義でいいと思う。

簡単にいえばスタートレック人類社会想像してもらえばいい。

1は独裁になり生産物がなくなり生活しづらくなるが

2はうまくいく

そもそもが20世紀共産主義者は2を目指したのであるが当時はハイテクなどなかったので失敗したのである

【結論】2のハイテク共産制をすればいいだけ。

2014-02-08

http://anond.hatelabo.jp/20140208111330

知能犯釣りだと思いたい。

既存の問題を言葉を変えて表現しているだけに見えるし、大学勉強してそれに気付かないのは難しいと思うので。

とか逃げだけだと後味悪いし一応分解しておく

金融での儲け分は、実際に何かを生産した人間おこぼれ、というのはわかる。それを搾取と呼ぶと決めるなら搾取なんだろう

これはマルクスがいい加減だった(というか解決できなかった)部分。後に転形問題という大論争に展開する。

大元リカードの差額地代でええやんと思うのだが、マルクスはそれを捨ててるのでそうもいかない

※細かく言うと本当は価格価値の話だが、根っこはそういうこと。

環境インフラによって、人間生産性は大きく(時には何桁というオーダーで)変わる。ってことは、それによって増えた生産物の一部を環境インフラを整える原資を出した人が取るってのは別におかしくないんじゃない?

それがシュンペーターイノベーションアントレプレナー

http://anond.hatelabo.jp/20140207112747

教養マル経講義はとって、資本論も読んだんだけど、ちょっとこのへんよくわからないんだ。

金融での儲け分は、実際に何かを生産した人間おこぼれ、というのはわかる。それを搾取と呼ぶと決めるなら搾取なんだろう。

疑問なのは次の点。

  • 環境インフラによって、人間生産性は大きく(時には何桁というオーダーで)変わる。ってことは、それによって増えた生産物の一部を環境インフラを整える原資を出した人が取るってのは別におかしくないんじゃない?
  • 「何を作れば良いか」というのは自明ではない。発展途上国生活必需品が足りてないなら、何を作ればいいかはわかってるので、労働者生産手段を共有して、それで増えた生産物を分け合うってのはわかる。でもある程度成熟した社会では、作ってみたけど売れない(誰も欲しがらない)、という事態は頻繁に発生する。生産手段を共有して「みんなで話し合って何を作るか決める」だと、多分ろくなものはできない (委員会方式で作られたもの成功したものはあるだろうか?)。誰か一人が決めるとすると、その判断が間違っていた時の責任をどうする? この点で、「自分の金を投資し、判断が間違ってたら投資分は損になるけど、大当たりだったら分け前をもらえる」というモデルには合理性があるんでないの?

教えて偉い人。

2014-01-15

プログラマ会社的には

プログラマと呼べるようなスペシャリストが不在で、

多少書けるけど絶対に「プログラマです」とは名乗れないゼネラリストたちで構成されている会社

そんな会社だと、プログラムでなるべく解決する(コードが業務プロセスを頑張っちゃう)ために頑張るよりも、

業務プロセス開発プロセス全体で最適化するよう頑張った方が、

たいていはハッピーであることに気づいた。

プログラムで頑張ろうとすると、

学習コストがかかりすぎるか、

外注するのに設計しようにも結局学習コストがかかりすぎるとか、

外注とのスムーズな協力関係無駄に気を使うとか、

外注が逃げるとか、

引き継ぎ先がいなくて死ぬとか、

そんな余計なことが多かった。

反復性・正確性が求められるものプログラム化に適しているけれど、プログラムは解決の一手段だし、一分野にしか過ぎない。

プログラムによる生産物を主要な糧にして事業をやっていると、

ともすればプログラムスペシャリストでないことに大きなコンプレックスを抱くけど、

生産物割合ライト公共性も低い(例えばエンタメスマホアプリ)だったら、

無理にスペシャリスト風にやる必要はない。

身の程わきまえて、他の業務パラメータも見て総合的に結果を最大化しようというシンプルな結論に至る。

オブジェクト指向の本を読むのも結構だけど、もっと大きな見地から比較して

ライトフレームワークを選択して、ライト開発プロセスでやる選択がもっと歓迎されていいと思う。

そして、アジャイルとかTDD/BDDとかももちろんいいんだけど、開発現場からボトムアップ的な思想やツールでなく、

マネジメント視点経営視点から自分たちがライト層として開発するなら、という発想がもっとあっていいと思う。

プログラマ経営層になっての話は近年よく聞くけど、非プログラマ経営層でかつ開発もある程度やるよ、というスタイルもそれなりにあるのに。

こういう情報が出回りにくい理由は、そもそも人数が少ないか、文章に書く魅力/余裕がないか、文章化が難しいか、まだ分野的にこなれていないか、のどれか。

暇ができたらまとめたいなあ。。

その前に売上UP(白目)

2013-12-01

公共事業での景気対策が厳しい理由

まとめ



これまで経済政策論争として多くを占めたリフレ・反リフレの間の論争が結論が出る前に現実の方がリフレで固まり少なくとも数年は続けられそうになってしまったため下火になり論争の中心が財政政策公共事業の方へと移ってくるようになった。そこでポイントとなる点を備忘のためにまとめる。

景気対策としての公共事業を否定しても全ての公共事業を否定することにはならない。また公共事業価値を認めたからといって景気対策としても有効であると認めることにはならないし矛盾しているわけでもない。

公共事業に限らず金融政策しろ何にしろコストがかかる。ここでいう公共事業コストとは公共事業によって引き起こされるマイナスの出来事に公共事業をやったために出来なくなってしまった機会損失を加えたもの。国の債務を家庭の債務と同様に考えるのは永続性を無視した誤解であるが、かといって国の債務国民資産であるので拡大しても何ら問題ないというのもまた国民の異質性・多様性世代など)を無視した誤解である過去に積み上げた債務高齢者に逃げ切られないうちに一部返してもらおうというのが原因となって消費税増税ゼロ金利が続くなか急いで決められたといった財政自由度の低下も異質性があるがゆえの公共事業コストの一つである

どのような社会的効用関数を想定するかは人それぞれで当然だが最終的には効用に結び付けて考える必要がある。いいかえればGDPではなく消費こそが重要であり失業の削減なども消費が増えるからこそ大切。また、今期の消費だけでなく将来の消費も重要になってくる。

以上の3点が考えるための大前提

この3つめの考え方にたった上で公共事業を考えるときに外せないのが小野善康先生論文(Yoshiyasu Ono, Fallacy of the Multiplier Effect: Correcting the Income Analysis, ISER Disscussion Paper, 2006. リンク

http://www.iser.osaka-u.ac.jp/library/dp/2006/DP0673.pdf)となる。(これはいわゆる小野理論として有名な貨幣限界効用に正の下限があるというものとは別。)その中身は論文小島寛之先生の解説(http://archive.wiredvision.co.jp/blog/kojima/200707/200707241130.html)などによるとして、簡潔に言葉を借りると

乗数効果は、国民所得を増やすという意味での景気対策には全く効果を持たず、また、その実質的効果政府が投じた金額ではなく、作られた公共物の価値依存する」

ということになる。つまりよく言われる穴を掘って埋めるようなもの場合GDPは増えるが所得や消費を直接には増やさない。GDPが増えるのは政府支出はその支出分と同じだけの付加価値を生んでいると仮定する以外に付加価値の算出が困難というGDPという統計作成上の制約による仮定の産物に過ぎない。無駄が増えるのも経済にとって有用というのは誤りである

このことが示すのはGDPが増えているからというだけでは公共事業には効果があったとは言えないということである公共事業効果があったというには、直接的に価値のあるもの生産が増えたか所得効果が働き消費を増やしていた必要があり、さらにそれらが公共事業コストを上回っていないと望ましいとは言えない。

ここまでを踏まえた上で公共事業効果がないという考え方、あるいは効果があるとしても小さくコストを上回れないという考え方について見る。財政政策効果がないとする理由としてよく挙げられるのは



の3点である。各々には次の留意点がある。

公共事業規模以外の影響を制御して考える必要がある。ただし公共事業の減少幅からすれば公共事業雇用に主導的な影響を与えていたというのは難しい。

これは産業政策が平均的にはうまくいっていないのと同じ問題である。とりわけ景気対策として公共事業の総額が先に決まり事業の精査の時間が限られる場合にはより一層困難が高まる

現在の状況においてマンデル・フレミング効果公共事業の拡大に効果あるかないかの点であまり関係がない。

マンデル・フレミングモデルに基いても日本海外の双方でゼロ金利が見られる状況では公共事業金利を変化させ得ないので為替や純輸出は変化しない。ただ、これはいつまでも関係がないわけではなくさらゼロ金利の壁があるために公共事業拡張と緊縮ではマンデル・フレミング効果の発動は変わってくる。どこまでいっても金利が下がり得ないので緊縮をしても外需増加によるキャンセルアウトが得られない一方で拡張はある程度を越えると金利上昇予想にともなう円高で外需減少を招く。ただこの場合もマンデル・フレミングモデルを一部変更し公共事業の拡大・緊縮にかかわらず中央銀行政策金利一定にたもつというようにより現代的な仮定を導入するとゼロ金利を抜けてもいわゆるマンデル・フレミング効果は働かない。

土木建設業での人手不足や着工の先延ばし及び未消化工事残高の増加や公共事業入札の不調、あるいはその結果としての人件費や入札予定価格の引き上げの報道が相次いていることからすれば公共事業親和性の高い業種で現実供給制約が起きていると言える。

公共事業の規模や事業数が変わらなくても入札価格が上がっていけば上述のようにGDPは上昇するが雇用社会厚生は直接には高まらない。マクロ経済への効果は単価の上昇にともない所得効果が働くことに依存する。しか過去給付金政策や租税変化の結果からすると所得効果はかなり小さい。(たとえば堀雅博, シェー=チャンタイ, 村田啓子, 清水谷諭, 90年代経済政策と消費行動の研究1-地域振興券の消費刺激効果, ESRI Discussion Paper Series No.12. http://www.esri.go.jp/jp/archive/e_dis/e_dis012/e_dis012.html、あるいは渡辺努, 藪友良, 伊藤新, 制度情報を用いた財政乗数の計測, Working Paper Series No.28, Research Center for Price Dynamics, Institute of Economic Research, Hitotsubashi University, 2008. http://hermes-ir.lib.hit-u.ac.jp/rs/handle/10086/16306。)株価地価の大幅上昇といった大規模なものでないと所得効果意味のある効果量となりにくい。

供給制約に面している時には公共事業コストが上がる。それによって民間の他の事業が行えなくというコストが大きくなるため。

供給制約に面していない業種に対する公共事業を増やせば供給制約問題はなくなるが産業政策と同種の困難さが高まる

財政拡張機能しない理由が供給制約によるものとき消費税引き上げのような財政緊縮は機能してしまう可能性がある。

供給制約は長期的には解消され得る。専門化・技能化している土木建設に即座に従事するのは難しくても時間があれば技能を習得してから就業することも可能となる。問題は技能習得に掛かる時間景気循環時間の大小および技能習得が無駄にならず将来性があることの保証をどのように行うか。

最近建設業従業者数は興味深い。GDPの上では公共投資が大きな寄与を続ける一方で建設業従業者数は前年比マイナスが続いてきた。しか最近はそのマイナスがかなり縮小してきており技能習得などが進んでいるのかも知れない。

2013-11-15

この記事は2ch知ったかぶりをした馬鹿突っ込みたいが、スレ違いな議論を続けたくないために、増田の場を借りて作っています

なお、この記事は「バカが考える単純な比較優位適用はできない」と主張するものであって、様々な複雑な要因をきちんと考慮した上での現代的な比較優位論を否定するものではありません。

 

単純な比較優位論には「国境を越えて生産力が移動しない」という前提があります

どうしてこの前提が必要なのか考えてみましょう。

 

  1. エックス国では 1生産力あたり、10リンゴ または 5ミカンが作れます
  2. ワイ国では 1生産力あたり、3リンゴ または 4ミカンが作れます

 

両方の生産物について、絶対的にはエックス国の方が優位です。生産量/生産の値が上回っているこの状態を絶対優位と言います

しかし、ワイ国はリンゴより小さな生産力でミカンを作れますが、エックス国はミカンを作るのにリンゴの倍の生産力が必要です。

ミカン生産効率 / リンゴ生産効率の値が上回っているこの状態をミカンに関して比較優位である、と言います

 

単純な比較優位論とは、比較優位に基づいてエックス国はリンゴを、ワイ国はミカンを多く作って交易した方が、結果的に両方の国でリンゴ量もミカン量も増える、というものでした。

具体的な計算はググってください。これはエックス国ではミカンを作るよりリンゴを作った方が、1生産力あたりで生み出せるものが多く、ワイ国ではその逆であることが理由です。

 

さて、ここで「生産力が国境を越えて移動しない」という前提を取り払ってみましょう。

わざわざワイ国に生産力をおいて 4ミカン/生産力 でミカンを作るより、ワイ国の全ての生産力をエックス国に移して、

5ミカン/生産力でエックス国でミカンを作れば、リンゴ生産量はそのままにミカンの量も増やせますよね。

比較優位より絶対優位に基づいて生産した方がいい、というわけです。

 

から単純な比較優位論には「国境を越えて生産力が移動しない」という前提があるのです。

 

»その他

>>労働者が容易には他産業に移行できないケースが多い

>労働者が他業種に転換しやすいようにすればいいだけ

農業従事者や単純労働者の多くは知的労働技術労働転向するのは極めて困難です。

また、知的労働間、技術労働間でも業務の専門化が進み、これらの労働者もそう簡単に職業を変えることはできません。

したがって、安易比較優位だ国際分業だ、と言って分野特化を進めようとすると、失業者があふれることになります

2013-11-03

私が『劇場版まどか☆マギカ[新編]叛逆の物語』を観ないたった一つ

私が『劇場版まどか☆マギカ[新編]叛逆の物語』を観ないたった一つの理由。

それは『魔法少女まどか☆マギカ』(以下まどマギ)という作品が実のところ魔法少女ものではないせいだ。

彼女らはことごとく魔法少女コスプレにすぎない。

もっと制作はすべて承知の上だろう。だから問題は受け手の側にこそある。

あなたもしかしてまだ本作を魔法少女ものとして思ってやしないだろうか。あるいはアンチ魔法少女ものと惑わされてはいないだろうか。

そんな素直なファンたちにこそ伝えたい。魔法少女現実に我々の社会を照らす光なのだということを。

魔法少女の系譜は危機に瀕している

最近だが『Fate kaleid liner プリズマ☆イリヤ』というアニメを観る機会があった。

嫌がる少女を無理矢理魔法少女にしたてあげたり、立派な女子高生がその衣装を着ることを揶揄したりと、なんとも悪趣味パロディ作品であった。

——このままでは近いうちに変格が本格を駆逐してしまうのではないか

その思いを抱かされたところに『まどマギ』の新作上映である

その日が来る前に、伝えておかなければいけない。

まどマギ』には魔法少女資格が欠けている

敢えてそう主張しよう。

魔法少女資格

それは何だろうか。

笑わないで聞いてほしい。

「すべての女の子の憧れの存在であること」だ。

この意味アイドルもの魔法少女ものとは姉妹関係にある。

魔法少女とは時代年代で移り変わる少女価値観を切り取り、輝きをまとわせるものでなければならない。それこそが魔法少女資格であり、約束事であり、存在意義なのだ

いま魔法少女と呼べるのはせいぜいキュアハートフラメンコガールくらいのものだろう。

ミンキーモモ』の光

ここで『魔法のプリンセス ミンキーモモ』(1982年)という作品を取り上げたい。

男性おたくを含め魅了した点で、本作の先駆けとも言える魔法少女ものの有名作品だ。

主人公12歳の女の子魔法の力で18歳に成長し、どんなプロフェッショナルにもなることができる。そうして「あなたの夢は私が守る」と視聴者に訴え続ける。

女性が働くということが闘争を意味した時代の作品なのだ

それでいて普遍的価値代表している。名作の所以だ。

繰り返そう。『まどマギ』には魔法少女資格が欠けている。

アンチ魔法少女という主張

すると賢しい人はこんなことを言う。

まどマギ正統派魔法少女ものだなんて思っていないよ。あれはアンチ魔法少女ものなんだ」と。

……いいだろう。

そのテーマで私に論戦を張ろうというのなら受けて立とう。

魔法少女とは何か

まずは魔法少女定義について掘り下げてゆこう。

アーキタイプ(元型)理論を利用するとすっきりする。

アーキタイプとはC・G・ユングによる精神分析の用語で、世界中神話民話に繰り返し登場する人物像を抽象統合したものをいう。物語分析おいてはキャラクター類型論の礎として重用される。

この理論に則ると魔法少女は〈お姫さま〉のアーキタイプ還元される。

〈お姫さま〉は特別な生まれを持ち、国じゅうの人々の期待を受けている。社会の善性を表現し、人心を希望で満たすことが彼女至上命題だ。

誰でも知っているように、すべての魔法少女フェアリーテールおとぎ話)の主人公なのである

アンチ魔法少女とは何か

では次にアンチ魔法少女について論じてゆこう。

本稿は二つの作例を扱う。一つは『少女革命ウテナ』(1995年)。もう一つは『マルドゥック・スクランブル』(2003年アニメ版は2010〜2012年)だ。

以降は『ウテナ』、『マルドゥック』と略記する。

知らない人は各自で Google にでも尋ねてほしい。

以下に読み解いてゆく。

鏡としての主人公

ウテナ』の真の主人公姫宮アンシーのアーキタイプは〈娼婦である。〈娼婦〉は〈お姫さま〉の反対で、他人にへつらい、虐げられ、社会の悪性を負わされる犠牲アイコンだ。

一方、表の主人公であるウテナは〈王子さま〉を目指す女の子というトランスセクシャルキャラクター

しかしこれは倒錯ではない。

洞察力を働かせればアンシー、ウテナのともどもが不在の〈お姫さま〉の鏡像であることに気づくだろう。

ちなみに敵対者である暁生は〈魔王〉。自らは何も生めず、他人を支配してその生産物を奪う男。暁生とアンシーの肌が黒く描かれるのはそのネガティブな心性が表出したためだ。

さらに続ければ枝織は〈悪女〉。力ある男に寄生してはダメにしてしまう中身のない女のアーキタイプ、となる。

閑話休題

他方、『マルドゥック』の主人公バロットが〈娼婦であることに説明は不要だろう。

なのでもう一つアンシーと共通する特徴をあげよう。

「不具の男性性の同伴」である

未確認生物サル?)のチュチュ典型的ダメ男の現身。人造ネズミのウフコックは使い手に依拠した万能の道具存在。そのいずれもが魔法少女必須アイテムであるマスコットアニマルの成れの果てだ。

ウテナ』の結末

そんなウテナとアンシーは最後にどこにたどり着いたのか。

「学園の外の世界」だ。

そもそも「世界の殻を破る」というフレーズは二度目の誕生メタファーである

管理されたままでいるのも、管理する側にまわるのも結局は同じこと。

選んだのは未知に挑むという生き方

王子さま〉でも〈お姫さま〉でもない。〈デュエリスト〉こそ『ウテナ』の提案するオルタナティブだ。

『マルドゥック』の結末

ではバロットはどうなっただろう。

彼女は当初こそ手にした力に溺れるものの、自分を裏切った男(野心の象徴)を殺すことはしない。逆に男を守ることで克つ。

さら最後の敵(破壊象徴)を相手に闘うときにも、バロットはひたすら耐え忍び、前のウフコックの相棒だったその男を止めることを考える。

運というものを理解したバロットにとってすでに暴力は勝利への要手ではないのだ。

どうだろう。

バロットはもちろん魔法少女ではない。

といってただ性別を反転させたダークヒーローとも違っている。

彼女男性とは異なる価値観武器を身につけたバトルヒロインとして成熟階段を登っているのだ。

ミンキーモモ』における自己否定

締めにふたたび『ミンキーモモ』の話をしよう。

この作品は途中、主人公事故死するという衝撃の展開を迎える。これは現実への決定的な敗北であり、魔法少女というテーマに対する叛乱であるとさえ映る。しか彼女はその後ふつう人間として生まれ変わり、それからも夢を求め続けるのだ。

この出来事はいわば魔法少女という夢を現実に呼び込むための通過儀礼である。実のところ『ウテナ』で視聴者を騒がせたウテナ処女喪失シーンはこの発展ともいえる。

魔法少女とは何か、そしてアンチ魔法少女とはどういう所業なのか、理解されただろうか。

魔法少女まどか☆マギカ』の主人公

それではようやく『まどマギ』の話に移ろうと思う。

結論からいえば暁美ほむらはダークヒーロー女性版に過ぎない。

そして鹿目まどかの正体はヒロインへの変身を期待されながら最後ヒーローに変身するという、高次元のシェイプシフターであった。

結局、本編はまどかときゅうべえの二人がひとりよがり正義に溺れたほむらにしっぺ返しを見舞う結末で幕を閉じる。

それに続く今作は——サブタイトルを信じるのなら——アンチヒーローとなったほむらがすでに叶えられたまどかヒロイズムを覆そうとする物語となるはずだ。

実際、予告映像を観た後の私の予想は「どうせビューティフルドリーマーではじまってレイアース2で終わるんでしょ?」であった。

90年代過ぎて自分でも嫌になるがそれはさておき。

皆が『ファウスト』要素探しに忙しいようなので私が代わりに言うのだが、『まどマギ』の思想世界は『魔法騎士レイアース』のそれそのままである。

願いの力を世界の第一原理として位置づけ、その上で自己犠牲を否定するのなら、『レイアース2』の提示した可能性のいずれかに落ち着くのが妥当である

ゆえに、いまの私に物語面に対する期待はない。

食べてはいけない

無論、映像・演出面のクオリティであればいくら期待してもよいのだろう。

しかし、だ。

まどマギ』本編がやってみせたのは一見ヒロイズム糾弾であるようで、その実勝つために既製概念ルールを変える行為の全面肯定に他ならないのだ。

そんな作品である以上、魔法少女の外観は「釣り」以外の何物でもない。理解して食いつくのなら言い訳もできよう。舌に乗せたら甘美な味がする餌なのだろう。

しかし、我々は豚ではない。

食うためだけに生きるのも、食われるために生きるのも、どちらも御免被ると私は思う。

あなたもまたそうではないか

——部屋の灯りが落とされた。

そろそろこのノートパソコンを閉じなければいけない。これ以上の照光と打鍵音は周囲の観客の迷惑だ。

最後に。

これだけは言っておく。

忍野扇ちゃんは僕もかわいいと思います

2013-10-21

日本に欠如しているのは「生産性概念」ではない 「生産力」と「需要」の概念

■前提■

界隈で喧しく「生産性概念欠如」が取り沙汰されている。曰く、日本企業社会には生産性という概念が欠如しており、これが経済の停滞や労働搾取をもたらしている、

というものだ。多くは企業者の立場からのもので、日本企業文化的制度的な生産性軽視を論じている。そうした「文化的背景」や「企業の人事制度」という点は今後も

議論されるべきであろう。、、、だがこのエントリーで論じたいのは、他エントリーで多くなされている下記のような主張が「本当だろうか?」というものだ。すなわち

  >生産性を向上させれば、同一のアウトプットに対しより少ないインプットで済む

  >従って、生産性の向上は「アウトプット量の拡大…よりよい商品提供」か、「インプット量の減少…余暇の拡大」を生む

  >かくして、生産性の向上により、社会の富や厚生の拡大がなされるのだ!

という主張である。一見正しいように思えるし、うん、実際の所間違いではない。

だが筆者は、多くの論で曖昧に付されている点があると考える。それが何かといえば、「インプット労働力時間だけど、アウトプットお金なの?それともモノなの?」

という点だ。生産性の問題を経済の問題として考えるのであれば、そして個々の企業ではなく将来に渡る社会全体の変化を取り扱うのであれば、それが「名目」なのか「実質」

なのかという点を明確にしなければならない。そして実際、この点を明確することでより有益な論点が摘出できる。

そこでひとつ、明確に「生産性」と区別して論じられるべき概念を提案しようと思う。「生産力」だ。

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■「生産性」と「生産力」の違い■

本論では下記のように用語の定義を行いたい。

  ・「生産性」:一単位労働力投下に対し、アウトプットとして得られる「金額」の増加分

  ・「生産力」:一単位労働力投下に対し、アウトプットとして得られる「モノの量」や「モノの質」の増加分

簡易な例を提示しよう。

皆さんが田んぼを耕して農業生産を行うとする。一定面積の土地に対し、100の労働を投下し、100kgのコメ生産し、それを100万円で売っている。いまここで新たな技術

開発され、80の労働100kgのコメ生産できるようになった。するとどうなるだろうか?

  ・「生産力」は、100kg / 100労働 だったのが 100kg / 80労働 となった。1労働に対する生産「量」でいうと、1.25倍となったわけだ。

  ・「生産性」は、100万 / 100労働 だったのが 100万 / 80労働 となった。これも「生産力」と同じ、1.25倍となっている。

かくして我々は 「いままでと同じ量働き、1.25倍の所得を得る」か「いままでと同じ所得で、80%働き、20%を余暇に充てる」という選択肢を選ることになる。

、、、だがここには重要大前提存在する。生産力と生産性がおなじ動きをするのは、「コメ価格が変わらない場合に限る」のだ。


■「生産力」の向上は「生産性」を向上させるか?■

ではモノの価格を決定するのは何であろうか?

もし「生産力」の拡大が個々の企業のみで起こったのであれば、その企業が他社に比べて競争優位を持つにとどまる。つまりその企業が「今より低い価格でも戦える」ように

なるだけで、価格はその企業戦略によるだろう。だが検討するべきは、こうした「生産力」向上が社会全体で実現した場合、つまり我々の望む「日本社会生産性拡大」が

実現しようとした場合だ。

社会全体でみた商品の価格決定は、極めて単純に「需要量と供給量のバランス」によって決まる。つまり「足りなければ高く」「過剰なら安く」だ。そして、、、賢明な読者の

方ならお気付きの通り、「生産力」の向上は「供給量」の増加をもたらし、その供給量に「需要量」が追いつかないのであれば、、、価格は下落し、「生産性」は向上しない。

労働に対する貨幣的評価が変わらなければ、給料名目賃金)は、上がらない。

もちろん、価格が下がれば需要が増える場合もある。つまり「欲しいけど価格が高くて買えなかった」製品生産力が向上した場合価格の下落が需要の上昇を呼び、全体として

収益が拡大、生産性の向上をもたらす。これは成長産業モデルであり、企業間の厳しい競争市場の拡大が循環している場合生産力=生産性の拡大は至上命題となるだろう。

しかし、「需要」がそれほど増えない産業は?

例えば例に挙げた「コメ」。食べ物という商品は、いくら価格が安くなっても食べる量がそんなに増えるわけではない(かと言って不足すると大問題)。コメしろ野菜しろ

需要量に対して供給量が10%上回っただけで、価格20~30%下落したりする商品だ。つまり農業の「生産力」向上は「生産性」を減少させる。(蛇足となるが、TPPの議論

などで「農業生産性を上げれば万事上手くいく」と言っている論者には、量と価格関係を厳密に区別できていない方が多い)

さらに、「需要」が拡大しない産業における「生産力」拡大は、単純に失業者を増やす。なぜかといえば100の固定需要に対し、それを満たす供給量の生産必要労働力が減る

からだ。生産力が向上しているから、より多い生産不要なら、「働く人が過剰になる」。こうした「特定産業における過剰人口」は、本来であれば成長産業に仕向けられる。

成長産業はその需要が満たされるまで労働力を吸収し、その需要が満たされるよう生産力の向上を図る。つまりよく言う「生産性の低い産業から生産性の高い産業労働人口

移行」するのだ。、、、だがいま見てきたとおり、「生産性の低い産業」とは単に「需要が満たされており」「且つ生産力向上を図り」「過剰人口が発生した」産業も含まれる。

必ずしも努力や工夫の足りない・低レベル産業ではないということを留意するべきだろう。


需要のない環境下での「生産力向上」■

さて、今までのところを整理しよう。

  1.「生産力」の拡大が「生産性」の拡大をもたらすのは、価格が変わらない場合

  2.「需要」が頭打ち環境下では、「生産力」拡大は「生産性」の縮小をもたらす

  3. 社会全体で需要=成長産業がない場合、「生産力」拡大は失業をもたらす

多くの方がお気づきと思うが、今の日本は完全にデフレ経済需要不足だ。そうした環境下での「生産力」向上がなにをもたらしたのかは想像に難くない。産業の多くが内需に頼る

この国で、デフレ経済を15年ほども続ければ、企業内での「生産力」向上への意欲が毀損されているのは驚くに値しない。むしろ、厳しい雇用規制により失業者が街に溢れかえる

ような状況が避けられていると考えるべきであろう。(もっとも、雇用規制が新たな成長産業誕生を阻害しているという論者もいるわけで、循環的な問題を紐解くのは一筋縄では

いかないということか。紐を解くのに縄では足らぬとは皮肉なことだ)

また、アウトプットの量が給与に評価されないというのもご納得いただけるのではないだろうか。これは必ずしも労働者だけの問題ではなく、企業自体が「生産力」向上=「生産性

縮小というジレンマを抱えているのであり、作ったもの貨幣として実現しないという社会全体の問題を内包していると見るべきだろう。

、、、そして、こうした「モノやサービス実体生産」が「貨幣としての生産」に結びつかないという問題は、一国の経済おいてより根本的な問題として取り扱われる領域でもある。



社会的生産性とはなんだろう?■

エントリーを書くきっかけとなった記事から一部引用しよう。

  生産性概念が欠如しているのは企業だけではない

  http://sencha77.blog.fc2.com/blog-entry-338.html

   >消費者が新たな消費者子供を産み育てられるような社会にならない限り、生産性の高い社会はいえないし、

   >そういう社会で在り続ける限り、企業生産性も低いまま、改善されることはないでしょう。


さて、筆者もこの国の根本的問題は少子化にあると考えているし、少子化に限らずいかに「人間の活動」を活発にするかが社会幸福に直結すると考えている考えている。しか

これまでの議論を踏まえると、ひとつの疑問が生ずる。

子育て生産性ってなんだ?」

上で「生産性」を金額による評価基準と定義した。しか子育てはカネを生むだろうか?残念ながらノーだ。いやノーであるどころか、、、子育てはカネを生み出さずむしろ消費する。

まり生産性」で見ればマイナスだ。実際我々はそう感じているのではないだろうか?子供を産み育てれば、それだけお金必要になるではないか子育てにかかる金額と子供を持つ

ことによる幸福とはどちらが大きいだろうか、と。いや、子育てに限った話ではない。今や恋愛も、結婚も、はたまた地域へのボランティア活動すら、「カネを費やす消費活動」と

化しているのではないか

本質的に我々の社会を豊かにするのは「生産力」のはずだ。モノを作り、サービスを生み出し、それを社会の成員と分かち合うことで世の中が豊かになる。しかしそういった「生産活動」

の中には、「貨幣経済」を基に置くものとそうでないものとがある。「貨幣経済」に基を置く活動、一般に我々が「仕事」と呼ぶものは、すべからく貨幣=金額によって評価され、その

評価によってより効率的生産志向し、新たな生産物を生み出し、社会全体に流通する。一方で「非貨幣経済貨幣によって評価をされない活動、例えば家事や、友人との交歓や、

恋愛から結婚まで、お金にはならないが社会に欠かすべからざる活動が行われている。

貨幣経済」(あるいは市場経済資本主義)は、あくまで「生産力の発揮」をより効率的に行うのに資する存在であって、それ以上でもそれ以下でもない。事実これまで見てきたように、

社会全体として需要がある限り「生産力」向上が図られてきた。、、、では「非貨幣経済」の効率性はどうだろう?結論を言えば上昇した。家事を例に取ればわかりやすいが、すべて

手作業でやっていた時代から炊飯器洗濯機システムキッチンなどなど「生産力」の向上は著しい。しかし、しかしだ、こうした「非貨幣経済」の活動を支える機械設備が増加した

ということは、それの購入や維持により多くのカネがかかるということだ。しかし「非貨幣経済」の生産活動自体はカネを産まない。

まり、「非貨幣経済」においても、「生産力」の拡大は「生産性」の縮小、、、というよりマイナスへの増進を意味する。そして「貨幣経済」においては失業者が生み出されたが、

こちら「非貨幣経済」においては、マイナスとなったカネの補填が絶たれるが最後、単純にその活動自体が萎縮し、消滅する。



成熟した社会於いて

さて、話が随分と大きいところに来てしまった。

上記のような問題を如何に解決するか?については意見がないことはないが、本来の話題から外れるのでここでは省略しよう。ここで主張したいのは、「生産性」を考える上では「カネ」と

「モノ」を厳密に区別するべきということだ。そして「モノ」の生産は必ずしも「カネ」として実現しない。それは「貨幣経済」においては「需要」(…同じく「モノ」単位としても観測

されるべき)との関わりのため。そして「非貨幣経済」においてはもともと「カネ」でその活動を評価していないためだ。従っていか社会を豊かにするかを考えるときは、まず「モノ」的な

生産活動をいかに好く行うかを考えるべきであろう。

個人的には、貨幣経済がなくなることはないだろうし、資本主義限界が来たとも思っていない。しかし、それらはあくまで社会全体の機能の一部として位置づけられるべきものであり、

その一部にすぎないセクターの「カネ」という評価基準をありとあらゆる部面に適応させるのは、おそらく「非貨幣経済」の縮小で見たとおり、我々の生活を徒に貧しくするだけに終わる

だろうと思うのだ。



■終わりに■

なるべく短く、平易にまとめたため、こうした分野を専門に取り扱っている人なら「なんて適当な内容なんだ」と思われること請け合いの論となっている。例えば価格下落は実質賃金の上昇を

もたらすとか、失業者の増加は人件費を引き下げ新たな均衡をもたらすとか、はたまた供給需要を作るから需要不足は社会的に起こりえないとか?

また私個人としても、未だ考えのまとまっていない領域が多くある。「質」の向上は「生産性」に結びつくか?社会的に見て「余暇」と「失業」は何が違う?海外貿易による影響は?貨幣

よらない活動の促進を国や公的機関はどのように実施できる?

はいえ、一般の方々へ思考の枠組みとして「生産性」と「生産力」の区別とその必要性は明快に提示できたと思う。また、単一企業視点にとらわれず、マクロレベルで「生産力」と「需要」を

見なければ、我々が抱く本質的課題には接近できないこともご理解いただけると思う。筆者個人としては、後半の「貨幣経済によらない生産活動」というところをもう少し掘り下げたいが、

私的にまとまっていないこともあり、簡易に付した。当論がネット界隈の皆様方にとって有益であればありがたい限りであるし、私個人としても皆様の様々なご意見・反論を得たいという気持ちに

溢れているということをご提示し、筆を置きたいと思う。

2013-05-10

http://anond.hatelabo.jp/20130510092708

>これはそういうゲームなのです。

ゲーム現実を基礎として可能性や実現度に関して人間の知覚において擬似的に体験させることで快楽を得る嗜好の形態です。

現実ゲームに似ているのではなく、ゲーム現実を基礎として現実世界において存在できるように作成された商品です。

ゲーム現実の下位クラスであることを認識するには大人になって感覚による知識などを得ることが必要ではないか想像されます

現実ルールを基盤にしていないゲームがなにかひとつでもありますか。

たとえば「夢」現実はいまのところ存在していませんが、夢と似た構成のゲームがありましたか

「Aさんに声をかけたらBさんだった。Bさんはカエルで、私は橋を渡ろうとしたら足元が崩れてちがう商店街に移動して、お店で飲み物を買おうとしたらそこは実家だった。実家農家でまわりに民家はなく。」

みたいなストーリー自分自身がたった一人体験したという以外の話を、夢という記憶に近い情報を共有できていない現在の段階で聞いたことがありますか。

現実ルールを基にしてはいますがそれをゲームという感覚で共有しようとしている行動自体が「夢みたいなもの」ではないですか。

あなたの夢見た世界現実にする手段としてはゲームがあると思いますが、世界オーナーメーカーユーザーも無いですよね。

世界を支配しているのは特定個人だ、という「夢」も抱くのは自由です。それをおしゃべりして受け入れられる友達は、社会に出たら数が少なくなっていくのではないでしょうか。

>これから数十年後、日本の子供達は公務員家族の子供がメインになります

匿名掲示板で自由を謳歌されているようですが、匿名なので個人について意味はありません。どれが僕の文章ですと開示いただいた分だけをまとめとして情報総合的に得ますさらに他にも文章があったりまたは他人の文章を項目に加えても判りようがありません。

それを踏まえて匿名の方が特定個人や団体を指摘しても「フィクション作品にでてくる団体が実在しているか、またはそれらを具体的に指摘しているものか」という価値観には疑問を匿名である私個人は抱きます

もちろん今後それが発生するか、その市場規模はと思い図ることができる情報でないことではあります歴史成功例があるから効果があるだろうというのは意味の無い発言ということになります

では転じて意味のある発言と考える候補とすると「歴史成功した例を私が実際に取り組み始めます。この結果がでることは自分確信しております。」ということになります

実行すること自体にのみ「意味」という他人の評価を得る結果を生成します。

行動すれば結果はでる、だがしないまたは行動しても結果は目に見えているという情報のものはその時点で情報としての役割を終えている末端消費商材ですので、情報を得た時点で取引が終了しているものと同等の価値転売時にどれほどの価値になるであろうかと考えます

特定の業界を席捲した成功者いかにして市場の全てを掌握できたかという伝記本を情報として販売したとしても、その業界にはもう他者の立ち入る隙は無いという裏づけ情報を手に入れてもその市場に入るための手段に自身の研究として使う以外、転売したりするときに本の値段以上の価値が発生するものでしょうか。

これから時代、これがメインになる、これが大多数になるであろう、こういう流れになる、はどの業界のどの部分がどういう方向になるのか、ただ大きなタイトルをもってきて「こうなる」というのでは「大きな船は遠くまで旅ができる、しかし小さな港につけることはできない」といったなにやらすごい発言のようですが実際の船を所有するオーナーはそんな名言を教えていただかなくてもわかっている話で実際そういった条件を前提に行動をされていくことと思います

この文章をはじめ、なにがどうなるというのを行動もせず発言すること批評すること、批評について賛同者に実行者を含めない場合または評論自体が感覚として自身が認識したことを羅列するだけでは「自分感覚自己紹介しているだけ」ということになります



自己紹介自体には自己という存在を相手に知らしめることとして十分な意味がありますが、匿名である状態での自己紹介にはなんら意味はありません。



②が文章の大半を占めるので、お伝えしたい内容のほとんどになります最後

日本世代現実経験理論などはご感想に述べられていることについてご自身と、お話をされていることとに一切関係がありません。

世界のなにがどうなっても、いつもどおりの仕事をしていつもどおりのお給料をもらって、いつもの買い物にいったらいつもと違っていてショック、ということになるかと思いますがご自身には変化が一切なく供給されるものについての変化にご自身が感想を抱くだけで、それはご自身単体の感想です。

世界が変わったのにみんな何にも思わないのかよ俺だけが世界の異変に気付いているのかよ」とかフィクション作品にまみれているという雰囲気がまた未成熟さを感じさせるのだと思いますが、大人になればそこまでピュアな心を維持できません。

他の方がとくに顔色を変えずに消費税が割り増しされた商品を買っていく様子をみて「社会おかしい」とかよりも自分家計会社残業時間鑑みることなどを一例にしたいと思います

自分残業時間生産された商品が流通市場の何割り増しになってコストをいくら下げて売上がどれほどあがってそこからの納税分で社会サービスがいくら向上して社会がよくなるとか、考えなくても日々の業務を懸命にすることで成果はでるはずなので考慮する必要意味もありません。

そのうえで労働と対価と社会性についてご自身の環境を疑問に思うことがあれば、発言の方向性はまたちがったものになるのではないかとおもうところから社会生活が充分ではないのではないか」という感想を受けることになるのではないでしょうか。

総理がバカで右翼経済が滞って日本人意識が低くて戦犯で商品のレベルが下がった、とそういう見識をお持ちだとお話をされてなにがどうなるのですか。

だれが、どうするのですか。

ご自身が満足する以外に、ご自身が満足するためだけに自分ストーリーを人に「そうだね」といわせしめんとしている以外が、なにか文中に存在していましたか

教育現場では「うんそうだね」とは言われなくても実際に今後行動する指針や論理の基盤としての知識をできるだけ記憶の引き出し上部にもってこようと繰り返し伝達したり、行政は「うんそうだね」という書き込みだけではなく実際に生産、消費、成長を促すことを紙切れに書いた文字や電子の塵にしないように印紙をはりつけて価値のある物質として約束物質化したり発言を物質化したりしていますが、末端で消費する個人は自身の時間や身体能力などを消費して自分自身を切り売りしなくてもよい備蓄を得て、それを交換に他人の生産物と交換していますが、ご自身は消費するだけで他人から金銭を必要とするような生産、再利用性や価値を文中のどこに含まれていたかを考えて、「無料匿名なのに再利用価値がある情報だ」という評価を一人の対話者から得ていることで「一人から義務教育以下の消費行動である」と認識されている可能性があります

世界に問題があふれているなら、解決してください

それをしている大人がわるい、というならだれが悪いのか、だれと話をしてどういう方向にすすめれば問題は解決するのか、個人名または団体に発言者ご自身が依頼できる数の案件を挙げてみてください。

たとえば、日本は最低でなんの価値もなくて失敗ばかり、なら日本以外の成功している国に移住してください。

移住できない理由について、移住を許可しない人間名前と、移住を許可するための条件を教えてください。

移住先が見つけられないのであれば、日本よりよい国の条件を挙げてみてください。

また日本をよくするのであれば、誰がどうするかという意見はもちろん重要ですが、その人たちを動かすための方法コスト回収方法を教えてください。

それらを解決しましょう。

移住したいがお金がない、とかあるかもしれませんがそれならお金を稼いでください。

どうやったらお金がかせげるか、それをご自身で考えるのは大人であれば必要だと思いますし、しろといわれたことをするのであればご自身の生活を24時間ソーシャルメディアで流せばいいのではないかと私は意見します。人にいわれたことに隷属しねぇ、とか言われるのでしたらご自身で考えてください。ご自身でお金の稼ぎ方が思いつかないのであれば、それがご自身の「国内での価値なのだと思います

「そういうのはわかんないんだけど、雰囲気として自由じゃないなーってゆうか、なんかもっとかいことしたいし。俺を満足させられない世間って、俺さえも満足させられるようにするってことが社会じゃない?」

とか、権利は主張して責任責任といっても「なにかしろ」という命令ではなく「自身に対する入金先の明示と、交換する有価物の項目を明示する」ことを責任と称しその責任放棄している状態を「中学生みたい」と言われているのではないでしょうか。

買えもしない車の乗り心地を評論したり、いやなら出て行ける店に居続けて文句をいったり、こうするともっとよくなるという意見について実行内容に一切加担する要素がない状態のことを「きみのその行動をもし実際に行うとしたら、君ではできないので他に代理として行う人がいるのか」という状態を保護者つきという状態と表しているのではないでしょうか。

大人さんの方でしたら「税金、おさめてるし」以外の社会参画とご自身で取り組める改革についてご意見を発してみてはどうでしょう

子供の方でも税金は納めてらっしゃいます。もちろん保護者の方のお財布から

保護者の管轄化にあることが「子供」と評価される基準で年齢や容姿ももちろん含みますが「親に生活を維持してもらっている状態」を何歳になっても「子供」だと評価されることもあると思います

子供である場合は「保護者生活がよくなりますように」といった意見の出し方が理想的という基準からも「子供」と揶揄するにあたって、評価者の見解から小学生やら中学生などといった表現をすることがあるかもしれません。

仕事お金もなくても、デモには参加するとかいう人も、いると思います

行動だけじゃない、言葉にも意味がある、というのであれば公証人役場にいって印紙を貼るべきです。

有料サービスWebメディアを使うことでも、それなりに価値はあるのではないかとも、思います

この「私個人」という匿名の相手に対して一言一句、ご自身の感想を述べるのはご勘弁いただければと思います匿名の私とあなたがなにをどう交流してもお互いにも閲覧される状態にも何も意味がありません。

私自身も、匿名アノニマスダイアリーという日記をつかって自分の文字を自分のために書いただけであって、お返事を全文引用されて書かれても拝見できませんしお返事も差し上げることができないと思います

もし返事をされても匿名ですので、返事を「送った相手からの反応」という事実としてお返しすることができません。

もちろん「私はこの文章があなたのものだと確証しているので、こう書いた」と「日記」に「自分の思い」を書かれるのはご自由です。

重ねて「そんなことはない、俺は大人だ。」という主張をする方法として挙げたいのは「ご自身の社会参画と憂思する案件に対するご自身の取り組みの紹介」を用いるで、指摘された「存在理由をビーコンのように発するのは出席簿に返事をする学生みたいなもの哲学的にハイと返事しようが理化学的にハイと返事しようが大人は子供の夢想をにっこりわらって処理するだけ」を回避できるのではないかと、私は思います

人に見せたりしない日記に、誰かや何かに対して、どうしたほうがいいとか、書いたりしたこと、ありますか。

匿名日記が「日記であることは、ご自身のためだけに記録する媒体であることを意味するにちょうどよいタイトルなのではないかと感じています

アノニマスダイアリー自体に閲覧数が多いからそこに便乗して自己を個人として紹介していっても、だれにも見せない日記に本当の俺はちがうんだといくら書いてもというそれに似ていませんか。

世界を変えるにはまず自分から、その自分のために自分以外の書き込みもある日記という存在はなんだか有効に活用できそうではないかと、私は感想を持っています

2013-04-26

http://anond.hatelabo.jp/20130426200254

搾取とは何だ。都市部からモヒカンヒャッハーとやってきて種もみでも奪っていくのか。違うだろ。

そんなに人材生産物都市部への「流出」(というか売買だが)が間違っているというのなら、売ってる奴らをどうにかしろよ。

こっちは売られてるものを買ってるだけだ。売ってる奴らはそれこそお前らの身内だろうが。

2013-04-12

あくまでも一例でしか無いけど、資本家が強かったのは、工場とか何億円もする機械とかが必要生産手段を資本によって独占できたから。という事だけど。

 

今の時代は、生産手段その物が陳腐化して非常に安くなった。とくにIT系では生産手段つまりSDKは0円が基本。

工業資本であった金型も、今や3Dプリンターで激安。

まり、『産手段を資本によって独占できない』という状況だから、通常の概念資本意味を成さない。

 

逆に、『生産手段を資本によって独占できない』状況だからマーク・ザッカーバーグスティーブ・ジョブズのような特異な個人が、

過去の『生産手段を資本によって独占』していた産業をひっくり返してしまう。

 

大量の資本を有していても、開発者がいなければ何も出来ない。そういう時代に、資本論の訂正は必要ないんだろうか?

まり資本論では生産物陳腐化その物には触れられていたが、生産手段の陳腐化についてはどう触れられているんだろう?

生産手段が極めて安くなり、資本を持たない個人でも生産できる時代についてどのように述べられているんだろうか?

2012-09-21

http://anond.hatelabo.jp/20120921160021

インフレが上がる過程失業率が下がるから、その人たちの生活は楽になる。

今まで働き口がなくて働いていなかった人が生産活動に参加するから、増えた生産物の分だけ社会保障に回したりする余裕も増える(社会保障向け増税が小さくて済む)。

2012-06-20

ソーシャルメディア本気で取り組む ➡ アレ?出会い系アプリの開発しちゃった的なストーリー

ソーシャルメディアの作る未来というものにワクワクしたもの

感じて頑張ったのに気がついたら出会い系アプリ管理してましたという

ちょっと痛いストーリー

ソーシャルメディアの可能性を信じて、

新たな仕事をしようとした。

従来のパラダイムの枠を超えたところで、

情報クラスター、小規模だけれども楽しく有意義コンテンツ

流れ込む仕組みを作ることで世の中を楽しくする仕事がしたいと思った。

その想いは今も変わることはないが、功を焦りすぎたのだろうか、

ソーシャル上のプラットフォームで使う出会い系アプリなどという

およそ自分正義に反する事業に手をつけてしまった。

今にして振り返ればソーシャルメディア事業に全面的に

舵を切るという会社の方針は、一時の気まぐれの方針転換でしかなかった。

結局はホムペ制作請負で飯を食って来た会社

サイト運営、バズるコンテンツについての知見は皆無だった。

もちろんそれは私は努力することでいくらでも補強できたことで

それを自分の成果がだせない言い訳にする気持ちはない。

まぁ「お互いの顔と実名が見えるSNSで身元確認もバッチリ!これまでにない

安心感セフレを見つけられるアプリです!!」ぐらいに振り切れたら

相当話題になったかもしれんが。

ただ、なぜ関係者全員が二の足を踏みながら、世間をはばかるような

態度で開発を進めるようなアプリに手をださなくてはいけなかったのか。

理由は至ってシンプルで単に何百万というカネが入ってくるからである

上司は必竟ソーシャルメディアビジネスドライブする力になるとは

信じていなかったし、社員は相変わらず受託開発のスタンスで働く人達なので、

仕事を選ぶ基準はどれだけ売上が立つかというその一点だけだ。

もちろんそれはビジネスの基本だ。

だが私は言いたい。はたして自分良心に背いてまでしなければ

いけない仕事などあるのか。カネなんかと引き換えで

そんな事に手を出せるのか、恥ずかしくないのかと。

なぜ社員が、年間の工数のおよそ5割程度を割いて一生懸命に作ったアプリ敬遠される。

「かなり斬新なアイディアで作ったけど、結局は出会い系、、うわーキツいわー」

みたいな雰囲気を作られて非協力的な態度を示されたら、

一緒に頑張った私とプログラマーは実に悲しい思いをする。

思い切って突き抜けてコンセプトを強烈に打ち出してしまえば、

こんな後ろめたい思いはしないだろうに、なぜそれができないのか。

なぜ血反吐はく想いで作り込んだアプリを堂々と世間にだしてやる事ができないのか。

マジでなえる。今でも思い出すと気持ち悪くなる。

今でも会社サイトにはこのアプリは実績として

乗せられていない。発注もとの実績にも乗せられていない。

いわば臭いものに蓋だ。

制作者として、こんなに屈辱的なことがあるか。

理由は簡単だ。それが誰の良心にも反していたからだ。

こういう仕事がしたい。こういう事をしているんだぜ!と

家族恋人、友人にアツくはなせるような仕事とかけ離れていたからだ。

だが上司にとってはそんなことはどうでもいいのだ。

結局売り上げが入ってくればどんな仕事でも受けるのがこの会社

スタンスなのだ。だったら私はわざわざ転職してまでこんな

零細企業には入っていなかった。

私も甘かった。人の本質を見抜く力が足りなかったのだ。

会社としての思い切った方針転換も、流行にのっかるだけの気まぐれ

しかなかった。

まぁ、それでも私は自分の想いをあきらめずに仕事を頑張って来た。

そのせいで体にガタが来て、上述の通り心も痛んでいたのでうつ病になってしまった。

正直、肉体的な疲労だけなら気合いで乗り越えられたと思う。

でも私が結局この会社から売上を取ってくるだけの要員という側面でしか

評価されない事に気づいて、なんだか悲しくなったし、どうせうつ病から

回復して復帰したところで前と同じように終電まで働く事になるのは明らかだ。

からやめた。

こういう封に考えたのは理由がちゃんと理由がある。

今まで毎日終電近くまで働いてサービス残業時間なんて月80時間ぐらいのレベルだったのに、

制作や開発でさらに売上を取っていけという数値目標をだされたからた。

私も負けず嫌いな所があるのでそうやって吹っかけられるとついつい

突っ走る傾向があるのだが、現実的にはその目標を実現するには売上単価を

考慮するとどう考えても毎日深夜3時ぐらいまで作業しないと到達できない。

はっきり言って死ぬ生理学的に無理。確実に死ぬ

急性結膜炎とかになって、ある日布団の中でぽっくり逝くこと請け合い。

だいたい労働生産性なんてさ、経済学ちょっとかじった人ならすぐイメージできると

思うけど、投入量を増やせば増やすほど効果は逓減していくものなの。

から単純な一次関数みたいに生産物は増えていかないの。

そんな事も考慮しないでとにかく生産性を挙げて仕事しろの一点張りじゃ部下はついてこねーよ。

もう既に毎日深夜まで作業してヘトヘトの状態で頑張ってんだよ。

もう効率とかの問題じゃないから。ビジネスモデルの問題だよ。

から私は体調が回復した今でもその会社に戻る気にはなれなかった。

仕事を選べるような立場では無い事は重々承知している。

自分の想いとぴったり合致した案件なんて「はぐれメタル」と会うぐらいレア

もんだという現実も知っているし、甘えに甘えた発言だということは理解できる。

だがそれでも言わせてほしい。言うからには煉獄の炎で焼かれる覚悟だ。

コロコロ方針転換ばっかでカネカネうるさい奴らのために自分人生を使うのは嫌だ。

自分良心に背くぐらいなら私は潔く失業者になる!

ココまでの事を要約すると、こういうことだ。

アホらしくてやってられん。もぅええわ!!!!

長文におつきあいいただきありがとうございました。

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