はてなキーワード: 生産物とは
お金に着目していると勘違いしやすいが、実物経済で考えるなら、労働力の遊休でも起きていない限り生産はその時点時点で技術的に頭打ちで、するとその生産物を誰かが多く消費できるようになるには誰かの消費を減らさないとならないことが分かりやすい。減税したら全ての消費者が購買を増やせるわけではない。その中で高所得者ほど減税額が大きい減税なんてものをやったら、低所得者は消費が減ってしまうんだよ。おそらく今だと食品やサービスの価格が上がるという形でな。
今のように人手不足が起きているのではない、労働力の遊休が起きている時期であれば減税によって雇用が増えて生産も増え、みんなの消費が増える事態もあり得るが、いつでもなんでも減税したら得ってことじゃないんだわ。
これまで10年以上コツコツ積んでいた投資信託を解約し、元手400万円程度から自分で実際に取引してみようと株取引をはじめた。
その結果の5年前から今日までの成績は+2,700%超の+2,732%だ。
他のエントリで失敗談が話題になっていたので成功談も必要だろうと俺自身の投資の考え方と共に書く。
まず投資を始めようとしたきっかけが、あまりの円高傾向に政府は円安傾向に振ろうと努力するのではないか?という予測が2019年頃から既にあり、2019年9月頃の日経平均株価は中・長期目線で大幅な上下動をすることもなく安定していた。
もしも本当に為替が円安傾向に振るのであれば、庶民でも手が出る現実味のある価格で推移している日本株、特に輸出企業の株を買えば儲けが出るのではないか?という欲目を持った。
更に言えば、中・長期目線で大幅な上下動をしていない日経平均株価を考えると素人投資であっても損失を最小限に抑えられる可能性が幾分か高いのではないか?という考えに至って投資信託をすべて解約し400万円程度で株取引をはじめた。
一番最初に目を付けたのは海運関連株だった。
何故、海運関連株なのか?という理由は明白で、実は俺自身が高校・大学と海運を中心とした船舶関連のことを専攻している早い話が船乗りとなれる資格である海技士資格保有者だからだ。
とは言っても実はリーマン・ショック直撃世代であり、就職氷河期を下回る就職率の影響をもろに受け就職が上手く行かず、当時は非常に競争率が高くとも他の求人数と比較すると絶対数自体は多かった中卒の給与か?と疑いたくなる超安月給の零細IT系企業へ就職をした。
地元に居た幼馴染の友人たちはコンビニバイトを奪い合っていたのでマシと言えばマシではあったが、地方民からすると工場生産が海外移転してしまったので非正規期間工すら無く、地方ではコンビニバイトですら競争率が非常に高かったのだ。
船乗りのスキルは塩漬けにせざる得なく、意味のない学生時代だったなと考えながら日々安月給で過ごし、か細くも貯蓄のために投資信託へ積立していたが、社会人となって初めて活かせたタイミングが海運関連株の購入動機へ繋がったのだ。
俺は学生時代の学習経験から世界の主要生産物と、その生産物が世界の何処の港で積み下ろしされているのか?を学生時代の古い知識ながらも大まかに把握しており、MarineTraffic.comあたりで船舶の動静を観る知識とスキルを持っていた。
つまり、投資素人である自分は将来の需要予測が必要な先物取引は全く手が出せないものの、海運の積み下ろしという既に需要が確定している海運動静を観測することによって、日本の製造業がどれだけの資源を消費しようとしているか?を推測できたのだ。
どのような積み荷を運ぶ船種が何処から何処へ運んでいるか?その積載量はどれくらいか?というのをAPIを用いてグラフ化し上下動を見ることが出来、実際にその上下動は時間が立つに連れて上昇傾向を示したのであった。
更に言えば、もしも逆に下触れが継続するのであれば投資撤退が示されており、海運の状況と海運関連株の財務状況と株価を見ておけば安全性を高められるという判断もしていた。
そして読みは当たった。
鉄鋼やゴム、樹脂などを運ぶ船の動静は明らかに活発化し日本へ運び入れている。このタイミングで俺は日本の製造業の株を400万円使い切って多数買い、その直後あたりで為替が円安へ振り始めた。
製造業が四半期短信を発表する毎に株価は見る見る間に上昇し、俺の成績は本日の時点で+2,732%だ。
俺の投資の決まりごとは信用取引をせず現物取引のみで行い、そして自分自身の得意分野を把握し、自分が納得できるやり方で取引しよう、出来れば中・長期でということだ。
結局、自分が知らない業界の株を買っても何で上昇しているのか説明が付かない。説明が付かないということは儲けが出たとしても偶然に過ぎない。
何故こういう値動きをするのか?を自分自身が納得できる結論を出して投資は行うべきで、何の説明もなしに勘で買うのは撤退するのも勘になってしまうし絶対に良くはないのだ。
みんなも得意分野を持とう。
https://archive.md/m3u6E#selection-495.0-495.47
The Problem With Saying ‘Sex Assigned at Birth’
「割り当てられた性」が採用される理由のひとつは、敬意に満ちた婉曲表現が提供され、特にノンバイナリーやトランスジェンダーの人々にとっては、厳しい生物学的現実のように感じられるものを和らげることができるからである。誰かが「出生時に女性に割り当てられた」と言うことは、その人が生物学的に女性であることを伝える、間接的でより丁寧な方法であると考えられている。この用語は、トランスやノンバイナリーの人々との連帯を示すと同時に、伝統的な性の理解は時代遅れであるというラディカルな考えを伝えるためにも機能する。
「出生時に割り当てられた性別」の表現は、善意によるものかもしれないが、進歩ではない。私たちは礼儀正しさや連帯感の表現に反対しているわけではないが、「出生時に割り当てられた性」は人々を混乱させ、生物学的事実について疑念を抱かせる可能性がある。また、私たちの伝統的な性に対する理解を正す必要があるから、このような表現が求められるのでもない。
そうではないのだ。セックスは、私たちの種にとって重大な結果をもたらす基本的な生物学的特徴であるため、それに関する誤解を助長することには問題がある。
性差は健康、安全、社会政策にとって重要であり、文化と複雑な相互作用をする。女性は男性に比べ、薬物による有害な副作用を経験する確率が2倍近く高いが、この問題は女性の薬物投与量を減らすことで改善できるかもしれない。一方、男性はCovid-19やがんで死亡する確率が高く、殺人や性的暴行の大部分を犯す。"割り当てられた性 "が死亡数を増加させるわけではない。重要な事柄に関する用語はできるだけ明確にすべきである。
影響力のある組織や個人が「出生時に割り当てられた性」を推進するとき、彼らは、「セックス」、「男性」、「女性」のような、社会で誰にとっても馴染み深く、性の意味合いを議論するのに必要な言葉を使うことで、市民が辱められるような文化を奨励している。これは通常の検閲のようなもので、特定の意見を公的に支持することを抑制するものではない。もっと巧妙で、そもそもその意見を議論するのに必要な語彙そのものを抑圧しているのだ。
より急進的な「割り当てられた性」の支持者は、生物学的事実としての性という考え方そのものが疑わしいと異議を唱えるだろう。フランスの哲学者ミシェル・フーコーや、最近ではアメリカの哲学者ジュディス・バトラーに関連するこの見解によれば、性とは何らかの文化的生産物であり、赤ん坊に男か女かのレッテルを貼った結果である。したがって、「性別」よりも「出生時に割り当てられた性別」の方が好まれるべきであると主張する。
この立場は、人間が自然の摂理から免除されていることを暗黙の前提としている。残念なことに、私たちは動物である。有性生物は少なくとも10億年前には地球上に存在していたし、人類が進化しなかったとしても、オスとメスは存在していただろう。セックスは、分娩室での言語的儀式やその他の文化的慣習の結果というわけではない。
一部の学者によって蒔かれた混乱にもかかわらず、私たちは性別の二元論が人間の発明ではないことを確信できる。
「出生時に割り当てられた性別」の問題は、確立された生物学的事実から会話を遠ざけ、政治的アジェンダを吹き込むことである。私たちは、医学的、社会的、法的な問題に関して、意見を明確に述べ、最善の方針を打ち出すのに役立つ共有言語を必要としている。その共有言語こそが、たとえ強い意見の相違が残っていたとしても、相互理解と民主的な審議の出発点なのである。
https://archive.md/m3u6E#selection-495.0-495.47
The Problem With Saying ‘Sex Assigned at Birth’
「割り当てられた性」が採用される理由のひとつは、敬意に満ちた婉曲表現が提供され、特にノンバイナリーやトランスジェンダーの人々にとっては、厳しい生物学的現実のように感じられるものを和らげることができるからである。誰かが「出生時に女性に割り当てられた」と言うことは、その人が生物学的に女性であることを伝える、間接的でより丁寧な方法であると考えられている。この用語は、トランスやノンバイナリーの人々との連帯を示すと同時に、伝統的な性の理解は時代遅れであるというラディカルな考えを伝えるためにも機能する。
「出生時に割り当てられた性別」の表現は、善意によるものかもしれないが、進歩ではない。私たちは礼儀正しさや連帯感の表現に反対しているわけではないが、「出生時に割り当てられた性」は人々を混乱させ、生物学的事実について疑念を抱かせる可能性がある。また、私たちの伝統的な性に対する理解を正す必要があるから、このような表現が求められるのでもない。
そうではないのだ。セックスは、私たちの種にとって重大な結果をもたらす基本的な生物学的特徴であるため、それに関する誤解を助長することには問題がある。
性差は健康、安全、社会政策にとって重要であり、文化と複雑な相互作用をする。女性は男性に比べ、薬物による有害な副作用を経験する確率が2倍近く高いが、この問題は女性の薬物投与量を減らすことで改善できるかもしれない。一方、男性はCovid-19やがんで死亡する確率が高く、殺人や性的暴行の大部分を犯す。"割り当てられた性 "が死亡数を増加させるわけではない。重要な事柄に関する用語はできるだけ明確にすべきである。
影響力のある組織や個人が「出生時に割り当てられた性」を推進するとき、彼らは、「セックス」、「男性」、「女性」のような、社会で誰にとっても馴染み深く、性の意味合いを議論するのに必要な言葉を使うことで、市民が辱められるような文化を奨励している。これは通常の検閲のようなもので、特定の意見を公的に支持することを抑制するものではない。もっと巧妙で、そもそもその意見を議論するのに必要な語彙そのものを抑圧しているのだ。
より急進的な「割り当てられた性」の支持者は、生物学的事実としての性という考え方そのものが疑わしいと異議を唱えるだろう。フランスの哲学者ミシェル・フーコーや、最近ではアメリカの哲学者ジュディス・バトラーに関連するこの見解によれば、性とは何らかの文化的生産物であり、赤ん坊に男か女かのレッテルを貼った結果である。したがって、「性別」よりも「出生時に割り当てられた性別」の方が好まれるべきであると主張する。
この立場は、人間が自然の摂理から免除されていることを暗黙の前提としている。残念なことに、私たちは動物である。有性生物は少なくとも10億年前には地球上に存在していたし、人類が進化しなかったとしても、オスとメスは存在していただろう。セックスは、分娩室での言語的儀式やその他の文化的慣習の結果というわけではない。
一部の学者によって蒔かれた混乱にもかかわらず、私たちは性別の二元論が人間の発明ではないことを確信できる。
「出生時に割り当てられた性別」の問題は、確立された生物学的事実から会話を遠ざけ、政治的アジェンダを吹き込むことである。私たちは、医学的、社会的、法的な問題に関して、意見を明確に述べ、最善の方針を打ち出すのに役立つ共有言語を必要としている。その共有言語こそが、たとえ強い意見の相違が残っていたとしても、相互理解と民主的な審議の出発点なのである。
需要の話はお前しかしてないよ。俺は一貫して「安いか高いかの話だ」と言っているわけだからね
というのも、例えば農産物の価格は現状、純粋な需給バランスで決まってない。「食べ物は安くないといけない」という国家戦略で決まっている。売っても安いんだよな。
なにいってんだこいつ。価格は受給で決まるぞ?
ここで海外の輸入品の価格が上がる。国内の生産物の価格やコスト、安いままでいけんのか?
いや無理だろ。連動して国内生産品の価格も上がるだけだ。「国内の生産物のほうがコスト安い」なんて話が成り立たないと思うんだよな。
お前頭大丈夫か?なんで輸入品に価格を連動させるんだよ。それは輸入品のほうが安い場合だろ。
それ「自給自足」の話じゃないけどまあええわw言葉尻嫌いらしいしw
その話、「国内の生産者を優先する」というのがどういうことかイメージ湧いた上で言っているかな。
今国内の生産者に足りないのは、たぶん需要じゃないのよ。だいたいは価格なのよ。
というのも、例えば農産物の価格は現状、純粋な需給バランスで決まってない。「食べ物は安くないといけない」という国家戦略で決まっている。売っても安いんだよな。
だもんで、専業農家がまあ成り立ちにくい。農業の担い手が居ない。供給が増やせない。
ここで海外の輸入品の価格が上がる。国内の生産物の価格やコスト、安いままでいけんのか?
いや無理だろ。連動して国内生産品の価格も上がるだけだ。「国内の生産物のほうがコスト安い」なんて話が成り立たないと思うんだよな。
https://archive.md/m3u6E#selection-495.0-495.47
「身体性別はない」と主張する能川センセイ、ニューヨークタイムズのまともな記事読まなくちゃ!
The Problem With Saying ‘Sex Assigned at Birth’
「割り当てられた性」が採用される理由のひとつは、敬意に満ちた婉曲表現が提供され、特にノンバイナリーやトランスジェンダーの人々にとっては、厳しい生物学的現実のように感じられるものを和らげることができるからである。誰かが「出生時に女性に割り当てられた」と言うことは、その人が生物学的に女性であることを伝える、間接的でより丁寧な方法であると考えられている。この用語は、トランスやノンバイナリーの人々との連帯を示すと同時に、伝統的な性の理解は時代遅れであるというラディカルな考えを伝えるためにも機能する。
「出生時に割り当てられた性別」の表現は、善意によるものかもしれないが、進歩ではない。私たちは礼儀正しさや連帯感の表現に反対しているわけではないが、「出生時に割り当てられた性」は人々を混乱させ、生物学的事実について疑念を抱かせる可能性がある。また、私たちの伝統的な性に対する理解を正す必要があるから、このような表現が求められるのでもない。
そうではないのだ。セックスは、私たちの種にとって重大な結果をもたらす基本的な生物学的特徴であるため、それに関する誤解を助長することには問題がある。
性差は健康、安全、社会政策にとって重要であり、文化と複雑な相互作用をする。女性は男性に比べ、薬物による有害な副作用を経験する確率が2倍近く高いが、この問題は女性の薬物投与量を減らすことで改善できるかもしれない。一方、男性はCovid-19やがんで死亡する確率が高く、殺人や性的暴行の大部分を犯す。"割り当てられた性 "が死亡数を増加させるわけではない。重要な事柄に関する用語はできるだけ明確にすべきである。
影響力のある組織や個人が「出生時に割り当てられた性」を推進するとき、彼らは、「セックス」、「男性」、「女性」のような、社会で誰にとっても馴染み深く、性の意味合いを議論するのに必要な言葉を使うことで、市民が辱められるような文化を奨励している。これは通常の検閲のようなもので、特定の意見を公的に支持することを抑制するものではない。もっと巧妙で、そもそもその意見を議論するのに必要な語彙そのものを抑圧しているのだ。
より急進的な「割り当てられた性」の支持者は、生物学的事実としての性という考え方そのものが疑わしいと異議を唱えるだろう。フランスの哲学者ミシェル・フーコーや、最近ではアメリカの哲学者ジュディス・バトラーに関連するこの見解によれば、性とは何らかの文化的生産物であり、赤ん坊に男か女かのレッテルを貼った結果である。したがって、「性別」よりも「出生時に割り当てられた性別」の方が好まれるべきであると主張する。
この立場は、人間が自然の摂理から免除されていることを暗黙の前提としている。残念なことに、私たちは動物である。有性生物は少なくとも10億年前には地球上に存在していたし、人類が進化しなかったとしても、オスとメスは存在していただろう。セックスは、分娩室での言語的儀式やその他の文化的慣習の結果というわけではない。
一部の学者によって蒔かれた混乱にもかかわらず、私たちは性別の二元論が人間の発明ではないことを確信できる。
「出生時に割り当てられた性別」の問題は、確立された生物学的事実から会話を遠ざけ、政治的アジェンダを吹き込むことである。私たちは、医学的、社会的、法的な問題に関して、意見を明確に述べ、最善の方針を打ち出すのに役立つ共有言語を必要としている。その共有言語こそが、たとえ強い意見の相違が残っていたとしても、相互理解と民主的な審議の出発点なのである。
何度も何度も言ってるしいろんなところで言われてるのに
ソフトウェア開発を予実管理しようとするアホ経営者が多すぎてしんどい
営業分野で言うと過去に誰も進出したことがない新規市場の開拓をずっとやってるのと同じ
それに対して
と言っても意味がないのと同じな
「頑張ります」とは言えるけれど実績がどうなるかなんて誰も分からない
ソフトウェア開発もこれと同じなのに
「このソフトウェアを1ヶ月で作ってな」
って言ってくる奴が多すぎる
確約できるのは「1ヶ月後に出来上がったものが生産物になります」ということぐらい
家や機械と違ってソフトウェアはその都度全然違う新しいものを作るし
それらを利用する部分は不確実性しかないので全体は結局不確実になる
なのでマネジメントするなら
「出来上がっているもの」
をベースにしてどうするかを考えるべきで
何度この手の話をしても
搾取って「労働者が生み出した生産物を資本家が無償で奪い取る」こと全般を表した言葉なんだから時給1500円にしたところで搾取の構造は変わってない。
その後生まれた、革命ではなく体制側に入って構造を変えていく社会民主主義路線なら賃上げが搾取構造の脱却に繋がる話にも多少正当性が出てくるけど、マルクスは最終的に革命でしかこの搾取体制を脱却できないとしてるんだから、この説明はすごく違和感がある。
話の要旨とは関係ないんだけど、マルクス主義の話をする時に「搾取」に対する理解や見方ってすごく大事だから気になってしまった
https://togetter.com/li/2258314 デザフェス58に出展して被害多数の「糸を引くマフィン」は罪に問われる?
https://togetter.com/li/2258264 デザフェス58に出店していた菓子屋で購入したマフィンの内容物が糸を引く状態だったとの報告が相次ぐ
https://togetter.com/li/2258634 デザフェスなどのイベントにおいて飲食店は出店料が高いので利益を出そうとすると歪みが生じるという話
https://togetter.com/li/2258690 例の腐った糸引きマフィン屋、マフィン以外も色々ヤバい
ttps://togetter.com/li/2258635 デザフェス「納豆の匂いがするマフィン」に食品製造に詳しいおじさんが可能性を考察していく話…悪意はなかったと思うが無知は罪
ttps://togetter.com/li/2258507 砂糖は立派な保存料なので、ヘルシーだからと勝手に減らすのは危険
ttps://togetter.com/li/2258649 過去に食品業界の一部を騒然とさせた山崎製パンが出したリリースから食品表示と食品添加物について考えてみた話
ttps://togetter.com/li/2258954 デザフェスのマフィン屋さん「マフィン購入者のみ返金対応」とのことだけど、体調不良になった人は「生産物賠償責任保険」で通院費等がカバーされる可能性がある
ttps://togetter.com/li/2258938 マフィンの件のおかげで爆速で衛生管理の大切さや添加物の役割など様々な知識が周知されている。この短時間ですごい。
盛り上がったのは個人でやれそうでやれないちょっとやれるマフィン屋の思考実験としてかなりイイ材料だからじゃね。
やってはいけなかったことが盛り盛りで半可通でもつっこみたくなるマフィン屋としてとても優秀。
そりゃ学級会で「みんなで一つずつ考えていこう」ってなるわ。学級会によって主催側もいろいろと未整備のところを整備したりするし。
ハンバーグ屋は素人じゃやれないことは明確。高速道路に無免許がベンツ乗って入って逆走したようなものでさすがに誰もそこまでのバカをやらんから学べない。おまわりさんこっちですでおわり
よくよく考えるとこれが東京の文化! って感じのものがイマイチ思い浮かばない。
地方で生まれた文化を、東京の人に受ける様にカスタマイズされた文化ってのが多い印象なんだよね。
どうも東京で発生して、東京で発展した文化ってのがイマイチ思いつかない。
海外の音楽とか流行してるものって昔なら東京でしか触れられないって感じだったけど、個人の情報発信力が強くなった現在はそうでもなくなってきてるよね。
中国とか韓国とかの流行り物だったら、東京よりも距離的に近い福岡の方が入ってくるの早かったりするし。
東京ならではと俺が感じるのって、なんでもかんでもすぐ行列になっちゃう人の多さくらいなんだよな。
田舎の人間からするとラーメン食べるのにそんなに並ぶの!? とかやっぱ思っちゃう。
住んでる人口も交流人口も多いから、文化が発展しやすいってのは分かる。
文化を消費する、商業化するって事でいえば、東京みたいな大都市が圧倒的に有利なんだと思う。
結局のところ文化的な生産物も農作物とか海産物みたいな他の生産物と同様に、生産地から消費地に流れてるってだけの話なんじゃないだろうか。
あと物余りってのは要は市場に出すまでもない生産物のことだよ。
痛みやすくて出荷できない果物とか、人気がなくて値がつかない魚とか、形が悪い野菜とかね。
田舎、特にど田舎に住んでみれば分かる事なんだが、物のやり取りに現金を介さない事が多いんだよ。
物々交換だったり、労力との交換だったりね。
現金を入手する機会が田舎の方が少なくて、だからこそ現金の価値が高くなる。
賢いひとが数字を見たらそこまでではなかったとしても、価値が高いものだという常識が作られてるんだ。
そういう環境での時給1500円の仕事ってのは、すごい価値のあるものなんだよ。
そんな価値がある仕事に就くのは、それに見合う人材じゃないと割に合わないって意識があるんよ。
逆に言えば現金収入が少ない自分は、価値がない人材だって田舎の人間は思いがちでもあるのよね。
これは都会からの移住者にやたら高く期待しておいて、期待外れだったからといじめたりする原因でもある。
なんか聞きかじりで適当言ってない?
当たり前だ、生産物の価格なんてほとんど海外からの原料輸入レートで決まるんだから
工業などの貿易財を扱う大規模業態やサービス業でも国際水準の高付加価値労働がその地域にあるかないか
というワンファクターで決まっている
小売だったら壊れた冷蔵ケースを買い替えるとかそういうの。
帳簿の上では買い替える金はあるんだけど、現金としては存在してないから買えないか割高になるってケース多いんよ。
人件費も同じで、時給上げるだけの利益が帳簿上で出ていても、今すぐ払える現金はないって会社少なくないんだよ。
だから国や自治体がちゃんと利益でてるか調査した上で、時給アップを目的とした低金利融資とかやるのはありだと思う。
実際に時給を上げたかどうかもきちんとチェックする必要があるから、手間はかかるけどね。
あと地方が滅びるって言っても、地方の中核都市とかが即死するって話ではないよ。
ただ田舎の時給1500円の仕事と、都市部での時給1500円の仕事が等価って事はないと思うんだよ。
元々生産物が余りがちな田舎の方が金銭の価値は高くなりやすい。
だから田舎の感覚だと時給1500円で雇うなら相当優秀じゃないと割に合わないという常識が出来上がってる。
そして最低賃金を1500円に上げたとしたら、その常識が変化するよりも都市部へ人材が流出するペースの方が早い。
だって同じ時給1500円でも都会に行った方が求められる能力が低くて済むんだもん。
田舎の基準にあぶれた人はさっさと都会に行くし、田舎の基準で時給1500円で雇われてる人達も都会で働けばもっと高い給料で働けるんだから都会に行っちゃうでしょ。
すること自体の話をしてんの?
どこでするかの話はしてないの?
した結果をどうするかの話はしてないの?
②どこでするか: 場所によるでしょ 許可されないって場所が理由もなしにそれを取り決めてても問題ないでしょ
③した結果を: 場所と相手によるでしょ 必要な取り決めがある場所には持ち込まないのが当然でしょ
②それをするかしないかと 場所を貸すか貸さないか 第三者との交渉で①の成立事由「同意」が得られてないことに文句をつけるのは①の時点の契約が破綻するのと同じで言ってみれば「①ですることが同意が得られず行ったつまり犯罪」と同じで違反行為を行使しようとしてるわけでしょ
③その場所でできたから したものはすることではないから としてその場所に付帯する近辺や近しい状況にその話題を摺り寄せるのは①の同意と②の対象外の第三者に対して与える影響と同じでしょ
たとえば公営のプールで撮影会ができてえちえちな写真をとっていいよとモデルさんと交渉してできました ってのまでは良いでしょ
それが成立するのと同じ意味で「公営のプールが撮影会を拒否する」のもありでしょ モデルさんに同意がとれなかったらあきらめるわけじゃん
同意がとれなかったからといって権利とかなんかで訴えて本人の評価を損ねるように活動するみたいなのってもはや犯罪でしょ
モデル界隈に「モデルはみんな~」みたいな無関係な人たちに主語を大きくしてつっかかるなんてもってのほか
表現の自由とかそういうんじゃなくて、もとから交渉の仕方なんじゃないの?
なのでプールだろうが山奥だろうがその場所の管理者が許可しったりしなかったりは交渉次第でどうにかすべきじゃん
結局全部許可をとっていけばいいだけの話で得られなかったらゴネるとか犯罪者じゃんってだけでしょ
公営でやったとかその場を外からみれたとかその生産物が流布されたり風評がおきたりするのは③の問題なのでそういうことをしないって②に盛り込んで①を行えば問題ないと思うんだけど