はてなキーワード: 現物とは
どうしようもない。地元の小さな宝くじ屋で買ったら当たってしまった。
当籤番号何回も見返してって震えてる。マジで。
15日が給料日で支払日もその日なので、給料におまけでこれがくっついてくるのかと思うと怖い。
さあどうしたものか。分かりもしない。
かつて2015年だか、その辺りに高額当籤増田がいたからその記事を読んでも目が滑る滑る。
当日からまるで寝れなくて3徹した。金曜は休んだ。金土日が破滅した。今日出勤できるかわからない。
彼の7分の1の額なのにこんなに震えてる。小心者だ。
奇しくもあの増田とほぼ同じ27歳で、私もキモオタ。ちょっとばかし文章でオタクやってるくらいで彼とはだいぶ違うけど。
彼と同じく私も誰にも言わないでいる。言えるわけない。
使い途もちょっと思い浮かばない。というか趣味の勉強も手につかないし、今日の会議で何言うべきか何報告すべきかが全部吹っ飛んだ。
どうしよう、落ち着かない。
使い途今考えた。
・奨学金が一括返済の督促状が届いたのでそれをまずは返す
・母の墓を買う(納骨できてない)
でもこれで大体10分の1は出ていきそう。どうだろう、頭が狂って金勘定ができない。
とりあえず実家暮らしは継続する。恋人がいるけどこのことは絶対言えない。
友人たちは出世してるし彼らは稼ぎがいいから奢るとかも考えない。奢られてる側だし。
どうしたらいいんだマジで。
CS出身だから経済とか金融とか学んでこなかったし、今からでも勉強すべきか。
どうすれば泡銭にならずに済むか。
件の増田には返信で「10年保持せよ」とあったが多分私のこの調子だと1年もたない。
ああ、寝れない。寝れなくて視界が歪む。キーボードがおぼつかない。
父親が出勤する音が聞こえる。この土日、ずっと気が気でなかった。
私は分かりやすい性格だからバレるんじゃないかとヒヤヒヤだった。バレてるかもしれない。
怖い。本気で怖い。
私は精神疾患持ちだけど、よく「金が降って沸いたら精神疾患なんて吹っ飛ぶよ」って言説があるが、あれは私に関しては誤りだと断言できる。
当籤してからの精神は不安定だし、まだ現物がないから実感も湧かない。
あるのは当籤したくじの紙とタブレットに表示されている当籤番号。
マジで勘弁してくれ。嬉しいのは嬉しいけど、こんな大金運用できないよ。
怖いよ。
2021/09/13 4:15 追記
全然冷静にならない脳みそを回転させて今何すべきかを考えるけどやっぱり何も浮かばない。
月5万を本に費やしてるけど、それで懐を痛めなくなって快いのは確かかもしれない。
でも怖い。怖いよ。
2021/09/16 2:46 追記
なんか色んなコメントが来た。怖い。
大筋に分類して返信する。
・奨学金が一括返済の督促状が来ているのに月5万も書籍に費やしてるそのチグハグさは何
本を読んでないと心が落ち着かない。診断は降りてないけど強迫性障害か何かなのかもしれない。
小学校時代からずっと本を読むのが好きで両親に買い与えられてた。
学部に入ってから高い本を買うようになって、ニートだった頃も月5万父親に払ってもらって本を読み漁ってた。
その割にこんな、みんなに言わせれば端金の運用方法もわからないんじゃ、私って何してきたんだろうね。凹む。
・投資しろ 分散しろ 銀行に預けるな ニーサ イデコ 色々横文字
ありがたい。投資のこと何も知らないから少しでも選択肢が存在することを確認できたのは福音だった。みんなありがとう。
・毒親なのか?
神親です。親ガチャSSR引いたと思うくらいいい親でした(母親も)。
でも言えないのはやっぱり豹変したりなんかして壊れるのが怖いから。
当事者である私がもうこんなになってるのに親が知ったらどうなるかわからない。だから言えない。
私が通院に行くたびに「お母さんの……」って言われるので、それがストレスではやくなんとかしたいのです。
・もうバレてるよ
バレてると思う。バレてる前提で生活してるから、お父さんとも会話がおかしくなる。
上の空、鉄砲耳、何もできない。
お父さんは鬱が悪化したとか会社で何かあったんじゃないかとか勘違いし始めてる。
そうじゃない、そうじゃないんだよ。
近況は、昨日(水曜日)銀行に行こうと思ったけど足が震えて立てなくて、恥ずかしくも汚い話、便失禁するまで廊下で転がってた。
なんとかうんちは片付けたけど、本当何してんだ感がすごくて、自己嫌悪と無能感と絶望感でずっと泣いてた。
そんな感じです。寝れたかと言うと、やっぱりまだ寝れてないです。
ブルース・ウィンターハルダー(Bruce Winterhalder)は、動物間で食料が移動する方法と理由のモデルを調査している。盗みの許容、生産/嗅ぎ回る/機会主義、リスクを考慮した生存、副産物の相互主義、遅延した互恵主義、取引/現物でない交換、その他の選択モデル(血縁の利他主義を含む)。ここでは、リスクセンシティブな生存、遅延型互恵主義、貿易(現物ではない交換)に注目する。我々は、食料を収集品と交換することを遅延型互恵主義に置き換えることで、食料の共有を増やすことができると主張する。これは、変動する食料供給のリスクを軽減する一方で、バンド間の遅延型互恵関係が抱える克服できない問題を回避することで可能となる。以下では、親族間の利他主義と窃盗(許容されるか否か)をより広い文脈で扱う。
食べ物は、飢えている人にとっては、十分に食べられている人よりもはるかに価値がある。飢えている人が自分の最も貴重な価値物を交換することで命を救えるなら、その価値物を交換するために必要な数ヶ月、あるいは数年分の労働力に値するかもしれない。彼は通常、家宝の感傷的な価値よりも自分の命の価値を考えるであろう。脂肪と同じように、収集品も食糧不足に対する保険になる。地域的な食糧不足による飢餓は、少なくとも2種類の取引で食い止めることができた。
しかし、取引コストが高すぎて、バンドはお互いを信頼するどころか喧嘩をしてしまうことが多かった。自分で食べ物を見つけられない空腹のバンドは、たいてい飢えていた。しかし、取引コストを下げることができれば、バンド間の信頼の必要性を下げることができ、あるバンドにとっては1日の労働に値する食べ物でも、飢えているバンドにとっては数ヶ月の労働に値するかもしれない。
局所的ではあるが非常に価値のある取引は、上位旧石器時代に収集品が登場したことで、多くの文化で可能になったと、このエッセイは主張する。収集品は、必要ではあるが存在しない長期的な信頼関係の代わりとなった。もし、部族間、あるいは異なる部族の個人間で持続的な交流と信頼関係があり、互いに無担保の信用を得ていたならば、時間差のある物々交換が刺激されただろう。しかし、そのような高度な信頼関係があったとはとても思えない。上述した互恵的利他主義に関する理由に加え、ほとんどの狩猟採集民の部族関係がかなり敵対的であったことが観察されているという経験的な証拠からも確認できる。狩猟採集民の集団は、通常、1年のほとんどの期間は小さな集団に分かれて生活し、1年のうち数週間だけ中世ヨーロッパの市のような「集合体」に集まって生活する。バンド間の信頼関係がなかったにもかかわらず、添付の図に示されているような主食の重要な取引が、ほぼ確実にヨーロッパで、そしておそらくアメリカやアフリカの大物ハンターなど他の地域でも行われていた。
添付の図で示されているシナリオは仮定のものであるが、それが起こらなかったとしたら非常に驚くべきことである。旧石器時代のヨーロッパ人の多くは、貝のネックレスを楽しんでいたが、もっと内陸部に住んでいた人は、獲物の歯でネックレスを作っていた。また、火打ち石や斧、毛皮などの収集品も交換手段として使われていた可能性が高い。
トナカイやバイソンなどの人間の獲物は、一年のうちで移動する時期が異なる。ヨーロッパの旧石器時代の多くの遺跡から出土する遺物の90%以上、時には99%以上が単一の種によるものであるほど、部族ごとに異なる獲物に特化していた。これは、少なくとも季節的な専門性を示しており、おそらく1つの部族が1つの種に完全に特化していたことを示している。一つの部族のメンバーは、専門化した分だけ、特定の獲物種にまつわる行動や移動習慣などのパターンに精通し、それらを狩猟するための特殊な道具や技術を身につけていたことになる。最近観察された部族の中にも、特殊化した部族があることが知られている。北米インディアンの一部の部族は、バイソンやカモシカの狩猟、サケの漁にそれぞれ特化していた。ロシア北部やフィンランドの一部では、現在でもラップ族をはじめとする多くの部族が、単一種のトナカイの牧畜に特化していた。
旧石器時代にもっと大きな獲物(ウマ、オーロックス、ジャイアントエルク、バイソン、ジャイアントナマケモノ、マストドン、マンモス、シマウマ、ゾウ、カバ、キリン、ジャコウウシなど)が大きな群れをなして北米、ヨーロッパ、アフリカを歩き回っていた頃は、このような特殊化がはるかに進んでいたと思われる。人間を恐れない大型の野生動物はもはや存在しない。旧石器時代に絶滅させられたか、あるいは人間と人間の発射物を恐れるようになったのである。しかし、サピエンス・サピエンスが生きていた時代には、これらの動物の群れは豊富で、専門のハンターにとっては簡単に獲物を得ることができた。取引に基づく捕食の理論によれば、旧石器時代に大型の獲物が大規模な群れをなして北米、ヨーロッパ、アフリカを歩き回っていた頃は、専門性がはるかに高かった可能性が高い。部族間の狩猟における取引ベースの分業は、ヨーロッパの旧石器時代の考古学的証拠と一致する(確実に確認されたわけではないが)。
このように、群れを追って移動する部族は、頻繁に交流し、多くの交易の機会を得た。アメリカン・インディアンは、乾燥させたり、ペミカンを作ったりして食べ物を保存していたが、それは数ヶ月はもつものの、通常は1年はもたなかった。このような食料は、皮、武器、収集品などと一緒によく取引された。多くの場合、これらの取引は年に一度の交易遠征の際に行われた。
大規模な群れをなす動物は、1年に2回だけ領土を移動するが、その期間は1〜2ヶ月であることがほとんどである。自分たちの獲物となる動物以外のタンパク源がなければ、これらの専門部族は飢えてしまうであろう。考古学的な記録で示されている非常に高度な専門化は、交易があったからこそ実現したのである。
このように、時間的にずれた肉の交換が唯一の交易であったとしても、それだけで収集品の利用価値は十分にあると考えられる。ネックレスや火打ち石など、お金として使われるものは、取引される肉の価値がほぼ同じである限り、閉じたループの中で、ほぼ同じ量を行き来する。ここで注意してほしいのは、本稿で述べた収集品の理論が正しいとするには、単一の有益な取引が可能であるだけでは不十分だということだ。相互に有益な取引の閉ループを特定しなければならない。閉鎖的なループでは、収集品は循環し続け、そのコストを償却する。
前述したように、考古学的な遺跡から、多くの部族が1つの大きな獲物種に特化していたことがわかっている。この専門化は少なくとも季節的なものであり、広範な取引が行われていた場合はフルタイムで行われていた可能性がある。習性や移動パターン、最適な捕獲方法の専門家になることで、部族は莫大な生産的利益を得ることができた。しかし、このような利益は、単一の種に特化することは、1年の大半を食料なしで過ごすことになるため、通常は得られないものであった。部族間の分業が功を奏し、それを可能にしたのが交易だった。補完関係にある2つの部族間の交易だけで、食料の供給量はほぼ2倍になる。しかし、セレンゲティやヨーロッパの草原のような地域では、ほとんどの狩猟地域を移動する獲物は2種類ではなく、10種類にも及ぶことがあった。そのため、種に特化した部族が入手できる肉の量は、近隣の一握りの部族との間で交易を行うことで2倍以上になると考えられる。その上、余分な肉は最も必要とされる時に得られる。つまり、その部族の同種の獲物から得られる肉はすでに食べ尽くされており、食料がなければハンターは飢えてしまうのである。
このように、2つの獲物種と、同時ではないが相殺される2つの取引という単純な取引サイクルから、少なくとも4つの利益、つまり余剰の源が得られたのである。これらの利益は異なるものであるが、必ずしも独立したものではない:
1. 餓死しそうな時期に肉が手に入ること。
2. 肉の総供給量の増加:すぐに食べられる量や保存できる量を超えた余剰分を取引し、取引しなかった分は無駄になっていた。
3. さまざまな種類の肉を食べることで、肉から得られる栄養の種類が増えたこと。
食料と交換するために収集品を作ったり、保存したりすることは、悪い時期に備えての唯一の手段ではなかった。特に大きな獲物が得られない場合には、縄張り意識と採集権の取引が行われていたようである。これは、現在残っている狩猟採集文化の一部にも見られる。
アフリカ南部のクン・サン族は、他の現代の狩猟採集文化の残存者と同様に、限界のある土地に住んでいる。彼らには専門家になる機会はなく、わずかに残っているものを利用するしかない。ホモ・サピエンスは、最初にネアンデルタール人から最も豊かな土地と最高の狩猟ルートを奪い取り、ずっと後になってからネアンデルタール人を限界の土地から追い出した。しかし、生態学的に厳しいハンディキャップを負っているにもかかわらず、クン族は収集品を交易品として使用している。
他の狩猟採集民と同様に、クン族は1年の大半を分散した小さな集団で過ごし、1年のうち数週間は他の集団との集合体で過ごす。集会は、取引が行われ、同盟が結ばれ、パートナーシップが強化され、結婚が行われるという特徴を持ったフェアのようなものである。アグリゲーションの準備は、一部は実用的だが、ほとんどはコレクション的な性質を持つ取引可能なアイテムを製造することで満たされる。クン族が「hxaro」と呼ぶ交換システムでは、4万年前にアフリカで発見されたものとよく似たダチョウの殻のペンダントなど、ビーズのアクセサリーが多く取引されている。
クン族が収集品と一緒に売買する主なものは、他のバンドの領地に入り、そこで狩猟や採集を行う抽象的な権利である。これらの権利の売買は、隣人の領域で採集することで緩和できるような地域的な不足の際に、特に活発に行われる。先に述べたバンド間の食料取引と同様に、収集品を使って採集権を購入することは、スタンリー・アンブローズの言葉を借りれば、「飢餓に対する保険」となる。
解剖学上の現生人類は、意識的な思考や言語、そして計画を立てる能力を持っていたはずであるが、取引を行うためには、意識的な思考や言語、そして計画を立てることはほとんど必要なかったであろう。部族のメンバーが単一の取引以外の利益を推論する必要はなかった。このような制度を作るためには、人々が本能に従って以下のような特徴を持った収集品を作るだけで十分だっただろう。(このような制度を作るためには、人々が本能に従って、以下のような特徴を持つ収集品を手に入れることができれば十分であった。) これは、我々が研究する他の制度についても、様々な点で同様であり、意識的に設計されたというよりは、むしろ進化したものである。制度の儀式に参加している誰もが、その機能を究極の進化的機能の観点から説明することはなかっただろう。むしろ、究極の目的や起源を示す理論というよりも、行動の近親的動機付けとして機能する多種多様な神話の観点から説明していた。
食物の交易に関する直接的な証拠は失われて久しい。将来的には、ある部族の狩猟跡と別の部族の消費パターンを比較することで、今回の記事よりも直接的な証拠が見つかるかもしれないが、この作業で最も難しいのは、異なる部族や親族集団の境界を特定することである。我々の理論によれば、このような部族間の肉の移動は、大規模かつ特殊な大型狩猟が行われていた旧石器時代の世界各地で一般的に行われていたと考えられる。
今のところ、収集品自体の移動による間接的な取引の証拠が多く残っている。幸いなことに、収集品に求められる耐久性と、今日の考古学者が発見した遺物が生き残った条件との間には、良い相関関係がある。徒歩で移動していた旧石器時代の初期には、穴の開いた貝殻が500kmも離れた場所から発見された例がある。また、火打石も同様に長距離を移動していた。
残念なことに、ほとんどの時代と場所で、取引コストが高いために貿易は大きく制限されていた。一番の障壁は部族間の対立であった。部族間の主な関係は、良い日には不信感を抱き、悪い日には明らかな暴力を振るうというものであった。部族間の信頼関係を築くことができたのは、婚姻や親族の絆だけであったが、それは時折であり、範囲も限られていた。財産を保護する能力が低いため、たとえ身につけたり隠し場所に埋めたりした収集品であっても、収集品は数回の取引でコストを償却しなければならなかった。
このように、取引コストが高いために、現在我々が当たり前のように使っている市場、企業、その他の経済制度の発展が妨げられていた長い人類の先史時代において、富の移転は取引だけではなく、おそらく最も重要なものでもなかった。しかし、取引コストが高く、市場や企業などの経済制度が発達しなかった先史時代には、おそらく最も重要なものではなかったであろう。我々の偉大な経済制度の下には、富の移転を伴うはるかに古い制度がある。これらの制度はすべて、ホモ・サピエンス・サピエンスとそれ以前の動物とを区別するものである。ここでは、我々人間には当たり前で、他の動物にはない、最も基本的な富の移転の種類の一つである、次世代への富の移転について説明する。
しっかりしたスタンドに取り付けようとすると、取付金具が絶対にその窪みに入らない。
スペーサー挟んで長めのネジを用意しないと取り付けられない。
俺は届いたらすぐ使いたいんだよ!!!!
何mm窪んでるかは製品によってまちまちだし、取扱説明書にはそんな数字は書いてない。
譲渡権が一度消尽されてるから「メ●カリ運営に」出品を違法とさせるのは現行法はたぶん無理。
現物なので偽物でもないわけだし。
正式な(たとえばISBNのついた)出版物でない以上、通報だけでは対処できない、「合法な」出品者へのいやがらせへの悪用可能だっていう言い分もわかるし。
国会図書館に現物同人誌を1冊献本してあるしその奥付にある著者の連絡先メアドから連絡する!くらいやれば、とりあえず話あいのステージには乗ってくれそう。
※譲渡権が一度消尽したものの転売が明確にOKといわれているのはゲームソフトの譲渡についてだが、古本も商習慣として合法。
・同人誌のコピー物やSNSからグッズをつくられてメルカリで売られた
これは明確に著作権法違反。ただし同人誌のコピー物は写真ではわからない程度の版ズレなどを指摘する必要があるかも。
一件程度の出来心風なら出品物を買い取って「写真ではわからん程度の不良品をおくられた」としてメル●リに連絡して返金垢BANさせるのが得策。
ツイッタで騒いでいても特段何も起こらないとおもうよ
業者なら相手の住所氏名を入手して訴えるとこまでもっていければ相手が業者の場合おかねいっぱいもらえる可能性もあり
・後日談
あ、全然ちがった。
1メルカリはそもそも規約に「許諾とってないキャラ同人誌は出品禁止」とかいてあって、
3その規約を指摘して(自分の書いた)同人誌が出品されてる(そしてとある事情によりそれは許諾をとっていないことをしっている)がどういうわけ?ときいたら
4メルカリ運営はなぜか「じゃあ許諾とったらどうですか?」みたいなことをいいだした。は?合法にしろっていってんじゃねえんだよ規約違反出品をとりさげさせろっていってんの
5とかやってるうちにメルカリ運営が気づいたのか、出品者が気づいたのか、勝手に出品はなくなっていた
6またもやツイッターで騒いだことで大勝利になってしまった・・
・考察
じゃあ、メルカリの出品カテゴリのコミックの下に同人誌がカテゴリまでつくってどっさりあるのなんでなんだ
制服の「着用済みベスト(特段エロくない)」はあんなに厳しく見張ってるのに?
つまり、許諾なくキャラクターなどを使用した同人誌「であって正規品でないもの」はダメといいたかったんだろうなぁ
でも知財高裁判決によって二次創作者も著作者であるってでちゃった
正規品でも消尽物かどうかのみわけはたしかにつかないしやっぱり現状の全部ダメにしたほうがいいのか
でもまあ盗品など横流し監視の目的にいうと出てきたほうがいい気がする?
いやそもそもメルカリでも売れないようなものを盗むやつおらんもんな、もっと厳しくしたほうがいいんじゃないのかね
そろそろ中国風になんでもチップつけるとかでアマチュア著作権法どうにかしてほしい
国産でないISBNが高価すぎるのもだよなぁ
先日竜とそばかすの姫を観てきた。シンエヴァ以来だから映画館行くの結構久しぶりだった。
一番いい席で観たいから人が少し空いてきた頃にと思って行ったのだけど、思いっきり隣席にカップルが来やがった。
冴えないオッサンと不釣り合いな美女だった。(俺がとってない方の)いい席に女が来たが、それは俺の隣になる。
そのことに気づいた瞬間その女、露骨に躊躇しやがった。「え、私ここですか?」みたいな。
けど次の瞬間、冴えないオッサンは気を利かせて「私はこっちに座ろうか」とか言って女とチケット交換して俺の隣に座った。すげえムカつく。女にキモヲタの隣ですか?みたいなリアクションされた後にオッサンが横に座るとか最悪だわ。つーかなんでオッサンの一人称は私なんだよ、それもムカつくんだよボケ!
狭い座席前でバタついたからか、オッサンは小声で「すいません」とか言いながら座ってた。何がすいませんだよ、ぼっちの隣に座ってすいませんかよ。ムカつくんだよ。細田守作品は非モテを救済する映画だろうがよ。観にくんなよ。
上映までの間にオッサンがカバン漁ったかと思ったら女にウェットティッシュ渡したりしてて、もっとムカついた。気配り出来る俺様()か?見せつけとんのか? つーか映画館のしょーもない癖にクソ高い軽食をガッツリ買ってた。上級国民様かよ、ふざけなんよ。
そう思う俺はSサイズの烏龍茶一つだった。なんかすごい惨めだった。
ただまぁ、上映が始まったら静かなもんで、問題なし。美女と野獣的なシーンは横に現物あるせいでキレそうだったけど。
なんやかんやで観終わった。正直横のクソカップルにイラついて全然面白くなかった。配信でもされたらまた観るか……とか思って荷物持って伸びとかしてたら、またクソカップル。
オッサンが「2個残っちゃった」と軽食のナゲットを手に持った。そしたら女がパッと口開けてそこにオッサンがナゲットを放った。
もう一個はオッサンが自分で食った。なんかこのやりとりがすげえ頭にきちゃって、狂っちゃって、オッサンの椅子を蹴った。
オッサンは案の定ビビった。ちょっと気分良くなる、かと思いきやオッサンが即座に「大丈夫ですか?」と俺の顔見て言ってきた。俺がぶつけちゃったとしか思ってない、心配してる顔だった。罪悪感しか残らなかった。最悪。
それでなんて答えたか覚えてないけど、「ああ、こういう人だから美女侍らせてるんだ」って思い知った。すげえ自己嫌悪した。
もうとっとと出ようと思ってそそくさと退室した。だが、この日の映画館は完全に俺を殺すために機能していた。
他の上映も終わる時間だったようで、エスカレーターがめっちゃ混んでた。並んでたら後ろにまたあのクソカップルが。
「細田作品やっぱいいねー」とか薄っぺらい事話して、「また新しいの出たら観に来よう」とか話してた。来んなよマジで。非モテを救済する映画だろうが、なんで観にくるんだよ。とか思いつつもさっきの自己嫌悪が尾を引いており、そういうことをすぐ考える自分に嫌にもなってた。
で、ようやく長く苦しいエスカレーターが終了、足早に烏龍茶の紙コップをゴミ回収の兄ちゃんに押し付け撤退。これで終わり、とはならないのが今回の映画館の怖いところ。
例のクソカップルが「これ、お願いします」「ありがとうございます」とかゴミ回収の兄ちゃんに言ってた。
ああ、俺はさっき何も言わずに押し付けたよな、ゴミ。とまた嫌になる。兄ちゃんも兄ちゃんで「またお越しください」とか言ってた。
ムラのある接客すんのかよ!とか思ったけど、それは俺が失礼な客だったからなんだろうな。
もう充分です、充分俺がキモくてカスなのはわかりました。殺してくれていいです。その代わりにあのクソカップルが映画館利用しないようにしてください。
アマゾンプライムで観た。
最後まで観たのだが、意味がわからなかった。この映画から、どんな教訓や気づきを得られるというのか?この映画を作った人は見た人にどのようなメッセージを伝えようと意図していたのか?まるでわからない。
解説を書いてくれているサイトがいくつかあったので読んでみたが、やはり意味がわからない。これはモダンアートの現物と、その解説を読んだ時の感覚に近い。
それだけならばいいのだが、制作者の悪意が感じられた辺り、問題があるようにも思えた。
・己を支配しようとする外部のものに対して、人である自身は無力なのだというすり込み。
・理不尽な出来事も、人である己には受け入れるほかないという無力感を与える暗示。
悪魔信仰を主題としているようだが、悪魔サイドに立って、観客・視聴者に影響力を行使しようとしているのではないかと勘ぐりたくなるようなつくりでもあった。
まともな神経を持った者が、果たしてこういう作品に意義を見出せるものだろうか?
周囲に流されやすい人がこういうものを繰り返し観ていれば、己を無気力にするのではないかという懸念だけが残った。
追記:
観て、ためになる映画が良い、というのは勝手な決めつけに過ぎないということらしい。
人格の向上を促してくれるコンテンツといったものを私は求めて、そういう雰囲気のものを好んだりするのだが、世の人々が求めるのはそういうものではないということのようだ。
世間が高く評価するものは、世間が求めているものを上手に提供できているということであり、世間の求めに上手に応えられているということなのだから、確かに価値を与えているといえる。私には価値を感じられなくとも、世間一般には高い価値を与えている。
世の人々は、見て楽しいものを求めている。それはそうだ。自分にもわかる。ホラー映画であれば、ハラハラドキドキさせてくれる2時間が求められているのであって、その欲求を満たしてくれるものには皆喜んでお金を払う。人生に役立つ、人格向上に資する、そんなものを求めているのではない。
世間が求めるものの優先順位を、己の勝手な思い込みで決めつけてはならないのだ。うむ、勉強にはなった。
追記2:
・それにしても、映画批評のわかりづらさよ。自称映画通の人々の独りよがりの評にはおそれいる。まったく感銘を受けない文章というのも、ある意味すごい。
・サンダンス映画祭なるもので絶賛されたのだそうだ。なんのこっちゃである。本当に面白い物語を観たり読んだりしたことあるのかと訊いてみたい。
マスクはもちろん不織布。一日に一回必ず変えている。
会社でもリモートワーク、ソーシャルディスタンス、衝立などの万全な感染対策を自らが指揮をとって行っていた。
当然一人外食もない。料理が好きなので、家で食べたほうが安心できる。
ところが、一昨日から発熱して、今日検査を受けたら陽性だった。
まさか。
同じく発熱外来にくる若い人たちが大きな咳をするのを横目で見ながら、俺は陰性なんだからうつったらどうするんだ。くらいの気持ちで検査結果を待っていた。
それなのに結果は陽性だった。
ワクチンは11日前に1回目を接種済み。おかげさまで症状は肺炎もなく軽症という判断とのこと。
コンビニだろうとどこかに入るときは絶対にマスクを外さなかったし、この暑い中、屋外でも確実に人が視野にいないときしかマスクを外していない。
コンビニのドアも指は使わず、基本足で開閉をする。出入りの消毒も徹底してきた。
上の階の窓から無音のくしゃみを飛ばされたのなら仕方ないけど、それ以外に考えられない。
それで思いついたのが、先週の日曜日に、大手家電量販店の取り置き商品を受け取りに行ったときのことだ。
特定はされるだろうけど悪戯な風評被害はやめたいのでこのまま伏せて書く。
そのあたりは駐車場料金が高く、買い物ついでではないととてもじゃないけど車でなんか行ける場所ではない。
その時は1万円を超える買い物だったので2時間の駐車サービスがついたのだ。
人とみつにならないように気をつけながら受け取りカウンターで支払いをすませる。
考えた結果、別のフロアにあるカメラコーナーだけを回ることにした。
それも、駐車場から一貫してエレベーターは使わずエスカレーターだ。
ネットで気になっていた現物を、触ることなく一通り眺めて、時間にして10分くらいだろうか。
店員と話をすることもなく、そのままそこをあとにした。
もうこれしかない。
おそらくどこか途中でエアローゾルがマスクに付着してしまったのだろう。
それはほんの僅かな量だったかもしれない。
しかし、その後マスクを交換することなく呼吸を続けたことで、付着したエアローゾルを吸い込んでしまったのではないかという可能性だ。
これなら、コンビニでも同じことが起こり得る。
(屋外を通る分、殺菌は期待できるが。)
しかし、言いたいことは、清潔な不織布マスクを使っていたとしても感染のリスクは十分にあるということだ。
1日に1回の交換頻度を高いと取るか低いと取るかは意見が分かれると思う。
しかし、身近な人間に聞いた限りだと、不織布マスクが半分、そのうち少なくとも1日未満で交換する人は1/10しかいなかった。
1日一回のマスク交換しかしなかった僕を責めてほしいのではない、毎日交換していれば感染を防げると油断している人がいるのであれば、そうではない可能性を考えていただきたい。
今回指摘したいのは、不織布に限らず、マスクに付着したウィルスを吸い続けることでマスクを貫通してしまう危険性だ。
それは不織布に限らず、すべてのマスクにおいて同じだと言える。
しかし、不織布を交換して使っていれば安全ではないということに警鐘を鳴らしたい。
いつ連絡があってこれからどうなるかなんて全くわからないが、一人でも感染しないように感染した人間は知恵を出すべきだと思うし、そうして知恵を出した人間を愚かだという切り捨てるだけの世の中であるべきではない。
そんな状態にも関わらず、医療従事者の人たちは感染者の不安を少しでも取り除こうと丁寧に丁寧に説明をしてくれた。
あとから発熱外来に来る人間は、絵に書いたようなマイルドヤンキーみたいな若者で、こんな人間たちと一緒に感染してしまったことがどうしようもなく悔しかった。
新しい鞄が欲しくてネットで探しているのだが、この点でなかなか悩んでいる。
機能的には、あるところまでは値段と比例しているはずだが、それ以上はブランドもの特有の、デザインに極振りしたようなものになる。
先日1500円で売られていたワイシャツを買った時には、着る前から糸がほつれたりしていて、速攻でkonmariとなった。
こういった事態の繰り返しは避けたい。
そもそもネットで選ばず、店に赴いて現物を見ながら確かめるのが最も良いのだが、自分は引きこもりで店員と会話するのが怖いし、
それ以上に会員カードを作らされるのが、今後もその店で服を買わなくてはならないような心理的な楔を打ち込まれるようで嫌なのである。
プロパンガス使用料が高いのには背景があって、ちょっと問題じゃないかと思ってる。
都市ガスサービス地域なのにプロパン使用のマンションやアパートがあるのは変だと思わないだろうか?都市ガスの方が使用料が安い。ならば競争原理によってプロパンは市場から追い出されて域外でしか営業できなくなるはず。
ところが競争原理によってプロパンに切り替える集合住宅が増えていくんである。
プロパン会社の営業地域に物件を持っていると営業が回ってきて「うちに切り替えてください」と来るんだが、手ぶらでは来ない。読売新聞の巨人戦チケットみたいなみやげを持ってくる。そのみやげというのは水回りの設備なんである。
このみやげは戸数によって変わるんだが、自動給湯器とか洗面台とか場合によってはシステムキッチンなんかをタダでつけてくれる。工事費もガス会社持ち。
例えば八戸のアパートのリフォームで切り替えるんなら全室に自動給湯器付けてくれるなんて大盤振る舞いを平気でしてくれちゃう。自動給湯器って一個20万近くする。8戸なら150万くらいか。
しかもバランス釜や瞬間湯沸かし器なんかと違って外から蛇口まで配管が必要だから外壁穴開けや床板めくる必要もある。そういうの全部請け負ってやってくれる。工事費含めたら250万くらいをサービスしてくれちゃうわけよ。
アパートリフォーム予算、200~300万位だとしてその同額分バックマージン来るって事だから大家としてはそりゃ飛びついちゃう。
そのリベート分はどこから取るの?って言えばガス代に転嫁されてるわけで。つまり入居者が払う。
契約はガス会社と入居者で交わされるのに決定権は使用料払わない大家が持ってる。だから競争原理のせいでガス代が高くなる事になってる。
ゼロ年代のネット経済論議では市場競争が価格を下げるという原則を信じ込んでる人が多数居て「ああー、そーじゃないんだよー」と思っていたが、決定権がどこにあるのかとか、市場慣行を知る方が大事な事の方が多いんですよ。
蛇足だが、既得権である相続集合住宅経営よりも企業が買収した住宅が増える方が家賃が下がると信じてる人も多く居たけど、不動産取得費が転嫁されるから安い家賃の家なんか出来ません。
自分は今は廃業したが大家の方だったのだが、これじゃ入居者はたまらんわなと思う事然りだ。配送コストと企業のスケールメリットの小ささでただでさえ高いプロパンガスが更に高くなる。
量販店がインセンティブ商売に傾いていて通常商品にお得感が無くなっており、それで「店頭販売のパソコン」はDELLなどの外資ダイレクト系に駆逐されてしまった。その駆逐直前の量販店パソコン売り場に似た市場状態だが、「決定権者と名目契約者が違う」という構造故にDELL PC(=都市ガス)が排除されてPCデポが拡販しているという状態だろう。
しかもこの読売営業商法、契約としてしっかりしてなくて変なトラブルも多いと聞く。
携帯ショップの割賦何年縛り契約みたいにちゃんと特記事項書いた契約書交わすんじゃなくて口約束の事が多いらしい。それで「もう○○年経ってるから」とガス会社切り替えしようとしたら元会社に怒鳴り込まれたとか。
また営業手法も強引で、契約前に「うちでサービスできる工事かどうか確認しますので鍵を預けていただけませんか」と言われて番号式鍵ボックスをドアノブに掛けて番号を伝えておいたら勝手に工事が完了していた。な、なにを言っているか判らないが恐ろしいものをみた。
リンナイの給湯器なら「お風呂が湧きました」と言ったところか。もう工事しちゃったから契約しないんなら外す工事必要だねぇ、という言外の脅迫である。押し沸きって言うの?こういうの。
あと、中古物件を買って水回りもボロイからガス会社変更して巨人戦給湯器おまけで貰う方向でリフォーム契約したら元ガス会社に怒鳴り込まれたってトラブルも聞く。じゃあ契約書あるんですか?と聞くと「無い」と。無いけど品はうちのもんだから現物剥いで持って行くよ!と。やっぱPCデポだこりゃ。
この読売ガス商法、大家は数戸の契約牛耳ってるから来るけど、個人宅だと契約一戸だけだから相手にしてくれませんので悪しからず。他所のバックマージン転嫁で上がったガス代支払うだけでございます。
レトロゲームの偽物がここ数年通販サイトなどで目立ってきている。
本稿ではその原因や、「偽物の質」の紹介、偽物の販売方法、買い手側の対策と反応あたりを主軸に語ってみたい。
なお私の専門分野はファミコンカセットのみであり、レトロゲーム全般としては事実と齟齬があったり記述が不十分である可能性がある。ご海容いただきたい。また不備を指摘していただけたらありがたい。
発売から数十年が経過し、ソフトの評価が定まり、さらに希少性も高まっている。
特に、箱や説明書がついている状態のいいものは値段が跳ね上がる傾向がある。
「悪い嘘」「優しい嘘」があるように、偽物にもいろいろなパターンがある。
一般流通していたファミコンで一番高価な『サマーカーニバル92烈火』の偽物は2010年代後半からアジア圏からやってきている。
上述の通り完全品となると値段が跳ね上がるため、箱と説明書と付属の葉書などを偽造するもの。
全部偽造のものもあれば、中身のソフトだけ本物で入れ物その他を偽造するパターンがあるようだ。
後者は、ゲーム芸人フジタという人物がyoutubeで紹介している。
お察しの方も多いかもしれないが、ヤフオク・メルカリあたりが「主戦場」になる。
具体的にはあげないけれども、悪名高い出品者が名前を変えながら活動している(悪名高いのに名前変わるのは変かもしれないが)。
2ch5chにレトロゲームの偽物に関する情報スレがあるので気になる方は見てみると良いだろう。
偽物を買わないようにすることと表裏一体になっている。
よくわからない話だが、本物より安い。コピー商品であることの言い逃れになるのだろうか。
これも言い逃れのために書いている。値段の安さとセットになっており、ある種「誠実」と言える。
もちろん、偽物(データをコピーしたもの)を売るのはどうかとも思うが、後述の、買い手側の「プレイできればそれでいい」という問題につながる。
この辺りは普段鍛えているであろう各自のインターネット筋力が試されるところ。
本稿では深入りしない。
個別のソフトには、もちろん本物と偽物とを見分けるポイントがある。わかりやすいもので言うと、カセットの形状が異なるものがある。
他にラベルのデザインなどで違いを見つけられればよいのだが、実は、違いを指摘してネットで情報発信すればするほど、対策を促してしまうと言う問題がある。
昨今、偽物への注意を促す文章がネット上にも増えてきたがあえてこうした見分け方を書かない場合も多いようだ。
スーパーファミコンはここ数年で地獄の様相を呈しており、中の基盤のニンテンドーのロゴまでも偽造したソフトがあるらしい。
今までは中を見たら一目瞭然だったものが、これで本格的に区別がつかなくなってきているそうだ。
これらはかなり大切なムーブで、お店はプライド持って販売している。偽物売ったら評判が下がる。本当に迷ったらぶっちゃけ駿河屋で買った方がいいに決まっている。
竹馬やベーゴマと違い、テレビゲームはゲームの情報こそが本質だ。そして、テレビゲームではその本質が容易にコピーできてしまう。
偽物でも遊べてしまう。ここに、偽物販売が蔓延する裾野がある。そして頂にはプレミアソフトの偽造の問題がある。
俺はもちろん現物を取り扱ってこそだと思うけれども、エミュレーターの問題なども絡んで、とても難しい問題と思っている。
・レトロゲームソフトは増えないのだから、希少性は増すばかりで、すなわち偽物は増え続けるものと思う。
・普通は商品価値の下がる「カセット背面への名前の書き込み」「ラベルの剥がれ」などは、今後逆にそのソフトが純正品であることの証左となり、むしろこっちの方が値段が高まるかもしれないとも感じている。
連休前で仕事が入ってこず暇すぎるので、何となく思い出したからダラダラ書く。
昔の職場でのこと。昼休みに外でご飯を食べて帰って来たら会社の玄関にオナホがあった。別に会社の商品とかそういうのではない。全然普通の業種だし、しかも使用後のようでシリコンがむき出しになっていて、ハンドタオルの上に洗って干されてるような感じだった。
あまりの事態に頭が真っ白になって固まってオナホを見つめていたら、同僚の30代既婚のお姉ちゃんがクスクス笑いながら
「ねーそれ、変な形してるし、なんかプニプニしてて面白いよね〜」
といっても、自分は当時アラサーの女。漫画やネットでは死ぬ程目にしてきたけれど、オナホの現物なんて初めてみたので、もしかしてオナホではない…?と思って、こっそりそれをスマホで撮影して、友人のグループと彼氏にLINEで「会社にあった」と画像を送った。双方からすぐに返事が入り「オナホじゃん」と言われた。オナホであることが確定した。
そしてこのオナホの出所だが、一択しかなかった。社長(50代おっさん)だ。
当時の会社はマンションのワンフロアを借りて店舗にし、同じマンションの住居の物件を数室借りて、事務所や倉庫にしていた。その1室に社長の住居もあったが、この日は社長が外のマンションを買ったので、そちらに移るために引っ越しをしていた。先程笑ってた同僚のお姉ちゃんも
「社長の部屋に残ってたからって、大家さんが持って来てくれた」
と話してくれた。その荷物が玄関にあって一番上にかなり目立つ感じでオナホが置かれていたのだ。
社長はバツイチの一人暮らしで、引っ越しは再婚して新しい奥さんと一緒にで暮らすためのものだった。完全に社長のオナホ(使用済み)だ。
それににしても、世間でのオナホの認知度って低いんだなってビックリした。事務所には私以外にも30代女性が先程のお姉ちゃんも合わせて2人、50代女性が1人いて、みんな既婚者で性の方向に経験がない、とかではないはず。しかしみんな「変な物(笑)」という認識だった。笑ってたお姉ちゃんは私が見てる時にもツンツン触っていたので、知らないふりをしていたわけではない。荷物を持って来てくれた大家さんも50代くらいの夫婦。悪意あってわざわざ目立つ様には置いてないと思う。むしろ私が大家だったら返却するにしても外から見ても分からんようにするかな…。
そんな感じで事態の深刻さと、面白さに気づいてるのは私だけだった。笑いそうになるのを必死に堪えつつも、いつまでも会社に玄関にオナホがあるのはよろしくない。しれっと処分すべきか…いやでも触りたくないな…どうしよう…と考えてる内に友達と彼氏から「どういうこと?」といLINEも入ってくる。どういうことなのかは私が聞きたい。
まあ、後今日入ってくるのは社長くらいだろうし、その時に本人がこそっと捨てるだろうな…来客さえなければ…と考えてた丁度その時に、社長が来客を連れてきた。しかも20〜30代の若い営業の男性という、オナホ知らん訳がないやろうって年代の人だった。あまりのタイミングに笑いを堪えるのが辛かった。
入ってくる時は特に何もなかったが、更に事態が悪化したので、本当に捨てるべきかどうかも考えていたけれど、社長と営業さんとの打ち合わせは早々に終わり、会議室から出て来た。玄関は私のデスクからは死角だが営業さんが「ありがとうございました〜」と元気よく言った後に妙な間があった。多分玄関で2人ともオナホを凝視してたんだと思う。すると見送りに出てた同僚お姉ちゃんが
「それ、面白いですよね〜プニプにしてるんですよ〜w」
と畳み掛けていた。きっと、男2人、そこに乗っかるしかないってなったんでしょうね。営業さんは
「や、本当、何なんでしょうねぇ〜これwww」
と完全ににやけた言い方で言っていた。一方社長は
「なんだこれは!!気色悪い!!」
とキレ気味に声を荒げていた。本当に気色悪いよ。
「大家にも確認してきたけれど、知らんって言ってたから捨てるぞ!!」
と必死に自分のものではないアピールをしてオナホを処分して、一応事態は収集がついた。
でも私には一つだけ心配なことがあった。笑ってた同僚お姉ちゃん、ちゃんと手を洗ったかな…。
その日の夕方、事務所はその同僚お姉ちゃんと私の2人になったタイミングでこそっと
と教えてあげた。
同僚お姉ちゃんは「ぎゃーーーーー!!!」って叫びながら洗面所の方に行って、凄い勢いで手を洗いだした。やっぱり知らんかったんだ…。
その後しばらく「社長が気持ち悪い…」と言っていたので、言わない方がよかったかな…とたまに思い出してゴメンと心の中で謝っている。
やあ、今回の一件で、また東京五輪がより高い理想に近づいたよ。これもみんなの高い倫理観にもとづいた活動の成果だと思う。まずはお祝いをいうよ。おめでとう。
ところで、実をいうと僕は五輪にはそれほど興味はないんだ。むしろ小山田圭吾のこれまでの音楽活動のほうに関心を持ってきた。いま現在でもそうだよ。もちろん例の雑誌インタビューの件は(リアルタイムでもないし、現物も読んでないけど)知ったうえで、ずっとコーネリアスとその関連の音楽を好んで聴いてきた。つもり僕もクズが好きなクズさ。
そこでみんなの意見を聞かせてほしいんだが、これから先、小山田圭吾がやってもいい音楽活動はなんだと思う?
公共イベントの音楽がダメなのはわかった。民間イベントの音楽もダメなのか?
NHKの仕事についてはまだ不透明だけど、民放のTV音楽はやってもいいのか?映画音楽は?
私はコーネリアスこと小山田圭吾の熱狂的なファンだ。中学生の時、たまたまフリッパーズギターの「シングルス」を手に取ってから、それからずっと小山田圭吾が好きだ。彼の曲も、佇まいも、ファッションも、生き様も、ずっと尊敬し、参考にしてきた。ツアーも幾度となく参加した。好きすぎてメールアドレスにもしていたし、待ち受けも「POINT」のアー写だった。
もちろん今回の大炎上の元ネタになっているQJも知っている。というか、15年以上前に件の記事を知って、本当にこんなこと書いてるのか?とあちこちの古本屋を巡って手に入れた。現物は実家の棚にある。
そんな彼が東京オリンピックという"失敗が約束された"イベントの音楽を担当すると聴いた時は心躍った。ようやくオリンピックを(一部だけでも)肯定することが出来る!見るという動機が出来る!と、とても嬉しく思った。
彼のイジメについての記事は2chの古くからコピペとしても存在していた。彼のスレッドが立つたびに連投され、また、いじめについてのスレッドが立つたびに書き込まれていた。誰の執念かは知らないが、そんな書き込みが広がるにつれ、「ウンコーネリアス」と呼ばれていたことも知っている。熱心なアンチの賜物。しかし、そんな揶揄など、まだ可愛いものだった。
東京オリンピックの「失敗」を心のどこかで願う人々が、政治家や運営者ではなく、彼を次のターゲットにした。そして、火がついた。
このオリンピックをどうにかして失敗させたい人、イジメに対してどうしても許せない感情を持つ人、コーネリアスのアンチ、運営に女がいないと叫ぶフェミニスト、菅政権反対派、反自民、自分が参加予定のイベントが潰された人達、自称人権派の方々、話題に乗っかりたいだけのご意見発信人、ガヤツイッタラー、ストレス発散したいだけの暇人などなど、SNSの標的が彼になった。色々な理由を付け、「イジメ反対」という大義名分を掲げると、1番叩きやすいのが小山田圭吾だった。
私は、ネット上で燃え盛っていく炎を見て「なぜ?」と思った。なぜ彼が40年も前に行ったイジメでこんなに叩かれなければならないのか。贖罪をしてない、謝ってない、気分が悪い、嫌な気持ちになった、という意見も散見された。いやいや一体何様のつもりなんだ?と。知る必要もない情報を得て勝手に嫌な気分になる。嫌な気分になったらその当人を匿名で叩く。いじめられた当人でもなく、その場にいたわけでもなく、30年前に雑誌に語った40年前のいじめの話をぶり返され、人格を否定され、そして作品をも否定される。
叩いてる人達がやっていることは彼が過去個人に行ったイジメ以上のリンチだ。
謝罪文を載せると「辞任しろ」の嵐。謝っても許されないSNSのリンチ。「イジメ反対」という大義名分を盾にしていとも簡単に行われるハラスメントの数々。海外メディアへのチクリ。
日本中の人々が叩いてる相手は、ただ1人の日本人だよ。ただ1人のアーティストだ。正論や論破は1番簡単な暴力だと誰も気付かず、いや、気付いてないフリをして自分の意見を通すために叩き続けた。正義感という名の拳で何万という人達が1人の男を殴り続けた。
そして先ほど、小山田圭吾がオリンピックの音楽担当を辞任した。
良かったね。
もう誰も正直に生きることの出来ない世の中が、オリンピックの後に待っているよ