「現代アート」を含む日記 RSS

はてなキーワード: 現代アートとは

2011-08-03

http://anond.hatelabo.jp/20110803081942

横だけど

この定義だと広すぎてカオス自体が「コミュニティ」含まれてしまうのでは、とか

原著作及び二次創作の送り手と受け手」まで限定したとしてもやはりまだ(二次創作者でもある)カオスが含まれるんじゃね?とか

「同じコミュニティから」(現代アートじゃないから)批判されてると思うんだけど、違うのかな?

批判の文脈は「同人としての文脈」だよね。

から、送り手と受け手としても含まれて、クリムゾン蛸壺屋のように批判されるべきだよね。

ここに対して、一貫して「僕らのやってるのは現代アートだ」って反論が出てるし、また同じ理路で擁護もされてる。

でも、それっておかしくね?

彼らはどっちなんだ?

アート分野?同人分野?

http://anond.hatelabo.jp/20110803015410

元記事を正しく読んでほしい。二点、指摘する。

  1. オタクコミュニティにおける「二次創作」はその成果物必然的にコミュニティ還元されるので収奪ではない。仮に、個々の二次創作同人活動主体による原著作者から訴えられるような行為を指して「収奪」と言うのであれば、それは誤りである。彼/女らは訴訟の場において原著作者に何らかの賠償を行っているため(少なくとも、元記事に挙げた三つの事件については)、原著作者に対して価値還元を(曲がりなりにも)行ったと見なすことができる。
  2. オタクコミュニティの対外的な閉鎖性・徒党性については、オタク迫害されてきた歴史を踏まえる必要があろう(例えば、宮崎勤事件に関する報道など)。偏見にさらされてきたオタクおよびそのコミュニティが、自身とそのコミュニティを守るために、無理解な他者に対して排他的・攻撃的になるのは理解されてしかるべきである。この点については「カオスラウンジが一番理解していない」との言葉があるので、あなたカオスラウンジが私の言葉で言う「無理解な他者」であることを理解しているものだと思っている。

ついでに二点、蛇足する。

  1. 現代アートコミュニティは〜著作権者の申し立てまでもに反逆する気はない」については、今後のカオスラウンジの動向に注目していこうと考えている。
  2. 他人はどうだか知らないが、私はカオスラウンジに謝罪しろなどと言うつもりは毛頭無い。むしろ、彼らには彼らの信じる「現代アート」を徹底的に突き詰めて、オタクコミュニティも納得する作品を世に出すことを望んでいる。それができなければ、彼らは自ら筆を折るだろうと信じている。

2011-08-02

カオスラウンジは他のコミュニティから収奪を行うが故に非難される

タイトルで言いたいことは言い切っているのだけど、以下補足。

カオスラウンジがこうなら二次創作同人*1は〜」という言説は比較として正しくない。「カオスラウンジ」は現代アートの活動主体のひとつであり、「二次創作同人」はジャンルを指す言葉からだ。正しく比較するなら「カオスラウンジがこうなら【ここに個々の二次創作同人主体(サークルもしくは作家)】は〜」もしくは「現代アートがこうなら二次創作同人は〜」である

では「カオスラウンジがこうなら個々の二次創作同人主体は〜」という比較を考えてみる。文脈はもちろん著作権である著作権法をあくまで愚直に適用するならば、原著作者の許諾を得ない限り、前者も後者違法であることに疑いはない。ここでよく持ち出されるのが「二次創作同人は黒ではなくグレー」「〜版元から黙認されている」という言葉である。これは、二次創作同人でも言わば「一線」を越えてしまった事例が存在する(有名なものでは、ときメモビデオ事件*2、ポケモン同人誌事件*3、ドラえもん最終話事件*4など)ことを考えれば、全ての二次創作主体に対して適用できるものではない。しかし、それでも、多くの二次創作同人サークル作家原著作者から訴えられることなく活動している。

なぜか。もちろん、主体の数が多すぎて原著作者が訴えきれない、あるいは主体の経済的な利益が小さすぎて訴え損になるという考えはある。しかし、それに加えて、私は彼/女らがコミュニティにその成果物および/または価値を(結果的)に還元しているかだと考える。ここで言う「コミュニティ」とは、原著作の送り手、受け手、その他一切合切関係者の集まりという意味である。彼/女らの成果物はそれが二次創作であるがゆえに、必然的にコミュニティ還元される。二次創作物によって原著作のファンが盛り上がり、その盛り上がりがより深いコミュニティを形成し、さらに新たなファンを呼ぶ事例を、私はこれまでに何度も見て来た。とある作品の同人イベント原著作者がお忍びでやってきて、参加者に対してこっそり「ありがとう」という言葉を残していった例も知っている。また、価値還元としては、二次創作同人活動きっかけで、その原著作者と関係がある商業媒体に登用された二次創作同人作者も知っている。価値とは何も経済的なものに限らない。むしろ長期的に見れば、人的な価値還元経済的なそれよりも利得が大きいだろう。

さて、カオスラウンジである彼らは他のコミュニティから収奪を行っていると言える。彼らのホームグラウンドたる現代アートからでなく、オタク系の諸コミュニティから、だ。彼らはその「アート」の素材をオタクコミュニティ依存しているにも関わらず、その成果物現代アートコミュニティに向けて公開されており、しかし彼らが得た価値オタクコミュニティ還元されることはない。控えめに言っても、カオスラウンジからオタクコミュニティに向けて、オタクコミュニティが有する価値(=カオスラウンジにとっての素材)の利用について対話の申し出がなされた例を、私は知らない。この申し出は価値を利用される側であるオタクコミュニティからでなく、利用するカオスラウンジからなされて然るべきであろう。この対話を行わないまま、または不十分なまま事を進めるのならば、カオスラウンジオタクコミュニティからの批判を甘受しなければならない。その上で、アートの力でもってオタクコミュニティを納得させる、素晴らしい作品によってグウの音も言わせないのが筋だろう。このふたつができないのならば、彼らの括弧書きの「アート」はアートではなく、ただの収奪に過ぎない。そして事実オタクコミュニティからは彼らの「アート」活動に対する批判が上がっている。「水かけアート」に対するデザイナーからの批判*5が最も分かりやすい一例だろう。

そう、カオスラウンジの「アート」の諸問題の本質は、著作権法論でもなく、同人論でもなく、実はアート論でもない。コミュニティ論なのだ。対話が不十分なままに収奪する者と、収奪されることに反発するコミュニティの問題なのだ。したがって、この問題は次のいずれかが為されなければ解決したとは言えない。カオスラウンジオタクコミュニティからの収奪行為を謝罪し、今後一切の収奪を行わないという宣言をし、それを履行する。あるいは、カオスラウンジが行う「収奪」行為が収奪でないとオタクコミュニティに対して対話または括弧書きでないアート作品の発表による説得を行う。それまでは、収奪されたオタク系の諸コミュニティからの「作品を勝手に使うな!」という類の非難は許され続け、カオスラウンジが許されることは決して無いだろう。

2011-08-01

たとえテレビが公共物だったとしても、それはハードの問題で、ソフト別に何流したっていいんだけどな

俺なら現代アートゴリ押ししちゃうけど君たちついてくるのかい

http://anond.hatelabo.jp/20110801111207

ちょっと話はズレるが

ふたばの、現代アート投稿してる層は

「ちゃんと規約読んだよ!pixivお金儲けしたい事も知ってるよ!だから現代アートグッズとか作って売ってもいいよ!ロイヤリティとか要らないよ!プハプハ鳥ぬいぐるみとか、レズッ友宣言のfigmaとか作ってね!」

とかそんなノリです

現代アートは、pixivの発展とお金儲けを、投稿者及び権利者の同意がある場合のみ、積極的に応援します。

2011-07-31

http://anond.hatelabo.jp/20110731091859

面白い事思いついた!

って投稿する→アカウント制限される

それを3回繰り返したらもう心折れたよ

なんで規約違反してないのに現代アートタグつけた絵を投稿しただけでアカウント消されるのか

最初アカウントなんて、アカウント番号6万番代で、ランキング入りした事こそ無いけど結構色んな人にブクマされた絵を投稿したアカウントなんだけどなぁ

メールアカウントの制限解除してくださいって送っても無反応だし、pixivは何がしたいのかわからん

pixivものすごい現代アート出会った

  1. http://www.pixiv.net/member_illust.php?mode=medium&illust_id=20703509現代アートタグに対する苦言)
  2. http://www.pixiv.net/member_illust.php?mode=medium&illust_id=20704195スクショの左右HIRAKI)
  3. http://www.pixiv.net/member_illust.php?mode=medium&illust_id=20704625 (蟹コラ)
  4. http://www.pixiv.net/member_illust.php?mode=medium&illust_id=20705923 (蟹イラスト

1→2の流れが特に秀逸。テキストとして読まれるべき1が、スクショというイメージ的な理解+HIRAKIという機械的な技法により、そのテキスト性を換骨奪胎される様はまさに衝撃の一言。加えて言うなら、2の作者はそのようなことを意識せず、ふたば的な思考パターンで「とりあえずHIRAいとくか」と作っている(ように見える)点も末恐ろしい。

2→3→4の流れも見逃せない。スクショ+HIRAKIにより2の画像の左上と右上に配置されるようになった1の陰陽マークが、3と4においては目として使われている。1におけるユーザアイコンとしての意味を剥奪され、2で記号的に配置されていただけのこのマークが、3の作者によって目として解釈される余地が与えられたのだ(3の作者自身もそう解釈していたのかもしれない)。4ではコラの領域を完全に離れ、蟹としての意味けが分かりやすく強化され、さらに「現代アート」の文脈=「息できる?」が泡を吹くという蟹的な記号で以って付け加えられている。元の記号の意味が完全に失われ、新たな意味、文脈、記号が与えられている。このアナーキーさはアートとして擁護するしかない。

1から4に至るまで 00:11→00:29→00:41→01:24 と1時間しか経過していない点、そして2、3、4の作者が全て異なる点も特筆しておく。これだけ短時間のうちにこういったコラボが成立することが恐ろしい。いや、もはやこれは「コラボ」という陳腐言葉で片付けることはできない現象かもしれない。

2011-07-29

http://anond.hatelabo.jp/20110729122535

キュレーター挑発的な態度・と解釈されうる態度をとったこと、

作家が幼い無防備な反応を返したことが問題を必要以上に悪化させたのだろうか。

元ネタへのリスペクトが感じられず馬鹿にされてると感じたとか

合ってるんじゃね?

だいたいその理解でいいと思う

pixivで(主に)二次創作作品を発表してる人たち」であり、位置的には広い意味では上記「おれら」側だと

ネット上でも理解されてたように記憶してるのだけど。

というよりあんま知られてない人達だったと思う

実際に破滅ラウンジ感想とかも「面白い」「分からんけど面白い」「ただただ分からん」の三種類が主で、

今回みたいな敵意をぶつけているものとかほとんど見た記憶がない。

どこで一気に反転して「あいつら」になってしまったんだろう。

あなたはかなり以前からあの団体を見てきた人のようだけど

アートな人の間以外で、この騒動以前時点の評価は「知らない」「だれそれ」状態だと思う

から「反転」ははっきりと違うよ

「おれら」とは違う高尚ぶった「現代アート」の連中が

むしろアートを特権的な立場に規定して上下関係を求めたのはカオスラウンジサイドだったと思う

けど化外民族アートな人以外の人々)はその上下を理解せず拒否したので激突になった

ふたば民が怒った理由

閉鎖性のある内輪の場所で遊んでいたら、土足で入り込んできて

「お前等のおもちゃは俺等も好きなように使わせてもらう。今後もそこら中の他人のモノは俺等のモノだかからよろしく」

と言い出す輩が現れた。

住民がそんなことやめて謝罪して取り下げろって抗議しても横文字のアート論をならべてまともな返答をしないし

「体力のないコミュニティが潰れても仕方ない」と普通に考えたら宣戦布告しかとれない発言までしてきたんだよ。

その過程同人との差違やウォーホルだの著作権商標権だので2ヶ月の間、散々議論されてきたけど

ここ数週間はカオスラウンジの面々はほぼ完全無視を決め込んでいた。

おそらくPixiv騒動が無ければカオスラウンジは今回の騒動を無かったことにしていたと思う。

そういう背景があっての現代アートタグの祭だから

理解しろとは言わないけれど、今回の件に言及するなら調べた上で行ってほしい。

Pixiv絵師についてはまた別の理由なのでそちらも知ってからにしてほしいけど

自分絵師ではないのでここでは割愛

カオスラウンジ騒動への個人的な感想

カオスラウンジのアレのどこら辺がここまで激しい敵意を喚起するのかがちょっとわからない。

マジでからない。

権利処理が緩いこと、訴えれば確実にクロなケースも相当な割合で黙認され続けてることが

同人ネットを含む豊かな文化の背景にあるのは間違いないように思える。

(中には明示的に許可を出しているところもあるがまだまだ少数派)

やっぱ商売しようとしたというのが致命的なのかなとも思うけど、同人アンソロ商業コミックとかです

ここまで激しく叩かれたりはしていない。

一次権利者がNGを出したら、二次創作同人だろうとネット上の二次創作絵だろうとコラ絵だろうとカオス作品だろうと、

法的にはほぼ同等に真っ黒になるのがほとんどだと思う。

商売して利益出してるかどうかは権利者側の訴えるかどうかの判断材料になるだけで、

法的な黒白の度合いには基本的には関係がない。(よね?)

「おれら」とは違う高尚ぶった「現代アート」の連中が、表舞台で堂々と「おれら」のネタで商売しようとしてる、

けしからん、みたいな感じなのだろうか。

キュレーター挑発的な態度・と解釈されうる態度をとったこと、

作家が幼い無防備な反応を返したことが問題を必要以上に悪化させたのだろうか。

そこに限定してならば、まぁ理解出来るんだけど。

でも今回ふたばでキメこな騒ぎが起きるまでって、そもそもカオスの人たちって

pixivで(主に)二次創作作品を発表してる人たち」であり、位置的には広い意味では上記「おれら」側だと

ネット上でも理解されてたように記憶してるのだけど。

実際に破滅ラウンジ感想とかも「面白い」「分からんけど面白い」「ただただ分からん」の三種類が主で、

今回みたいな敵意をぶつけているものとかほとんど見た記憶がない。

どこで一気に反転して「あいつら」になってしまったんだろう。

やっぱ商売しようとしたことが大きかったのか。

それとも「堂々と」商売しようとしたことがポイントなのか。

現代アート」というパッケージングが問題だったとか?

今回のコピペ紹介で初めて知って、元ネタへのリスペクトが感じられず馬鹿にされてると感じたとか?

マジでからない。

これに関連したPixiv対応が最悪だってのには全く留保無く同意出来るけど、あそこの運営がアレなのは

今回の問題以前からずっと一貫しているので、そこには特に理解困難な部分とかはなかったりする。

でもカオスそのものへの敵意の激しさは自分にとっては理解が難しい。

マジで誰か教えて!

2011-07-25

http://anond.hatelabo.jp/20110725152917

ごめん言ってる意味がさっぱりわからない

あなたと知識や文脈を共有して無いからだと思う

個人的にはサブカルとか現代アートとかそういうクラスタで語られてるテーマ、語ってる人達

全く魅力感じない

2011-07-20

現代アートってなんなんだ

最近pixiv見てると現代アートタグやらプハプハ鳥だとかよくわからんジャンルが増えてて疑問を覚えた。

ググってみたらカオスラウンジがどうの東浩紀がどうの二次裏がどうのとあって、一応の出所はそこらへんなのかなーと理解した。

でもそのプハプハ鳥をよく描いてる人がキャプション東方厨がどうのと言っていた。この騒動に東方がどう絡んでいるのかがよくわからない。

まとめもツイッターの発言をまとめたやつばかりでどうも俯瞰しづらい。

2次創作が盛んな東方projectが騒動に関わるのもなんとなくわかる気がするんだけど詳細は分からない。

大まかに語れる方おりません?なんだか騒ぎの核心がわからなくてもやもやするので教えていただきたい。

2011-06-13

http://anond.hatelabo.jp/20110613133414

挑戦的wwとかありがたがってるのはなんでもすぐに「現代アートww」「前衛すぐるww」とか言ってるアホだけかと思ったけど。

そんなモノ出すなら主力商品を値下げしてください。

2011-05-23

http://anond.hatelabo.jp/20110523143624

オタクの話してんだから十分でしょ、何言ってんのこのキチガイ

誰もオタク以外の現代アートの話なんてしてないでしょ、どこ読み違えたの?

コンテクストがどうとかはよくわからないんだけど

自称現代アート(特にオタク系)というものはどうしてどいつもこいつもごちゃごちゃした作風なの?

俺が知らないだけでもっとシンプルなのも存在してるのかな。

2011-05-21

http://anond.hatelabo.jp/20110521164451

界隈の意見はどうでもいいけど、ブコメにいる「現代アートが最悪云々」言ってる奴の観測範囲が狭すぎて爆笑した

あいつの中で現代アートなんてのは村上隆サブカル界隈しかないんだろうな

2010-11-07

映画しんぼる」の正しい解釈ネタバレ

松本人志監督作品の映画しんぼる」を見た。以下「しんぼる」及び「バベル」の相違点について言及しているため、両作品のネタバレ含むので注意。






松本人志テレビで見せるフリートークと、コントで演じる役とのギャップが激しい芸人である。フリートーク自我を全面に押し出して、コントでの演技は別人格かのような憑依型。この二つを偏らず両立させて、しかも成功している。

映画しんぼる」においてもまた、見た目奇抜だが、無口で平凡な思慮の浅い男(それでいてどこか狂気をはらんでいるような)男を自分に憑依させて演じようとしている。

では、何故見た目を奇抜にする必要があったのか、果たしてこの主人公があのような服や髪型のチョイスをするような人間だろうか?

見ているとそのような矛盾や違和感が何度も起こる、矛盾や違和感だけを繋げて映画にしたといっても良いぐらい出てくる。しだいに全てに何か理由があるんじゃないかと思うようになり、どうしてもそれを考えてしまう。最終的に「くだらない」が「面白い」って事ね、という所に一応行き着くが、やっぱり「で、それが何なの?」という疑問の答えにはなっていない。

この映画が、観客の解釈や理解をうながす為に作られているのは間違い無い。「もっと理由や意味を考えてみて!」と言われているような、そうやって考えるのが面白いという事だろうか。その結果裏切られてしまうカタルシスを楽しめ、そういう作品なのかもしれない。


解釈や理解しようとする事自体を楽しめ、というテーマだとして、ではその映画に正しい理解や解釈の正解は存在するのか? 存在しているはずだ。その方が面白いから。

という訳で、正解を探す事にする。

僕が考えた正解なんじゃないかと思う答えを検索してみると、バラバラの要素としては既出なのだが、統一されたものが無いのでここにその解説を書いてみよう。

タイトルを付けるなら「小日本人」

しんぼる」は、日本人海外に対するコンプレックス表現した作品だ! と強く断言してみる。


しんぼる」は、2006年カンヌ国際映画祭監督賞を受賞した「バベル」という映画を非常に意識した作品である。

バベルネタバレになるが、バベルメキシコ出身の監督脚本家による映画で、ナショナリズム的な視点から観ると、思慮の浅い日本人のせいで、モラルの無いモロッコ人の子供が銃を使い殺され、それに巻き込まれた白人自分達の事しか考えない。それにひきかえ他民族子供低賃金で助けるメキシコ人は陽気で善人だ、という解釈が出来る。松本人志ナショナリズムが強い思想の持ち主なので、バベルを観てメキシコ人ふざけんなよと、日本馬鹿にすんなと怒ったはずだ。

だからしんぼるでは、同じ文脈で皮肉たっぷりに、思慮の浅いヘンな日本人のせいで、メキシコで不条理な出来事が起こり子供が不幸になる、バベルと同じくそ因果関係に理由は無い。また物語舞台となる国の数も同じ。バベルアメリカモロッコで起こる出来事と違い、しんぼるでのロシア中国で起こる出来事は不幸ではなく、ただくだらない出来事なのだが、これはバベルの偶然性による不幸に対する皮肉なのだろう。バベルの偶然性による不幸が、メキシコ監督恣意的なナショナリズムにすぎない事への批判である。

さらに、映画撮影の仕方も同じで、カットバックを使った演出もさる事ながら、しんぼるにおいてメキシコの場面での映像は、ドキュメンタリーのような手ぶれのあるハンディカメラ映像なのだが、これはバベルが終始そのように手ぶれのある映像だからである。


次いで、上記のバベルに対する皮肉を、さらに拡大して日本の文化による世界に対する皮肉、あるいはバベルを絶賛したカンヌフランス)のアートシーンに対する皮肉として、現代アートの文脈でアイテムが構成されている。

まず主人公の髪型衣装は、フランス芸術文化勲章を持つ海外でも評価の高い草間彌生の格好で間違いない。脱出劇としては広すぎるあの白い部屋もインスタレーションそのもの。飛び出てくる意図的に日本の物に偏ったアイテム、それを使っての笑いは日本の文化の文脈のようでいて海外向けの笑いでもあり、これは海外でウケる日本現代アートのコンセプトそのものである。

バベルカンヌに反発を覚えながらも、欧米文化の中で迎合して同じ舞台に立たないかぎり世界的に受け入れられないというジレンマを抱え、それに対して下ネタパロディという形で皮肉をこめ、彼らの持つ日本人イメージを利用して、滑稽な道化のふりをして笑いを取り、しっかり世界にウケる現代アートの文脈にそって作品を作っている。

そして映画クライマックス最後最後に、神のような姿になった主人公の背後の壁に立体的な世界地図が現れる。多くの日本人は何の疑問も持たないと思うが、外国人にとっては違和感のあるシーンである、その世界地図日本が中心となっている。


このように「しんぼる」という映画は、日本日本以外の世界意識した作品である。世界に向けて表現しながら、媚びずに日本的であろうとした訳だ、しんぼるというタイトルも、英語ひらがな表記であるのはそういう理由だろう。

要約すると、松本人志による海外アートシーンを皮肉った「日本最高!」を世界に向けて表現した映画


おそらくアートの文脈を松本人志が知っていたとは思えないので、その文脈を組み込んだのは脚本を共同作成している放送作家高須氏によるものなんじゃないかと思われる。


憶測だが、バベル脚本家監督菊地凛子演じる聾唖女子高生イメージを、例の毎日新聞waiwai事件の、元ネタの記事を見て得たんじゃないだろうか。元ネタ(http://www8.atwiki.jp/mainichi-matome/pages/435.html) 女子高生ノーパン、チラ見せ、男を誘惑、家で裸、という点が同じである。最もリアルに創り込むべき役なのに、日本にそんな女の子居る訳がないというような人物を設定した矛盾。海外受けするメジャーアニメ映画でその様なイメージ女子高生キャラが居てそれの影響を受けたとは思えないんだが、しいて挙げるなら岩井俊二作品の女子高生不安定さと元ネタの記事を合わせた感じだろうか。

2010-04-17

死んじゃう!ラウンジ宣言

キャラクターを描かないと死んじゃう死んじゃう死んじゃう停止しちゃう

キャラ

キャラクターを描かないと死んじゃう死んじゃう死んじゃう停止しちゃう

描く方が

岡田斗司夫不死鳥である

一億総プチクリ化は現代アートベーシックインカム化によって完成するのである

by白瀬

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