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はてなキーワード: 現代アートとは

2013-12-03

http://anond.hatelabo.jp/20131202193456

ヲタク童貞の俺からすると

趣味嗜好って自分で選んでなるもんじゃなくて

結果的にそうなってしまものだと思うんだよ

古いヲタ場合それは非常に顕著で他のあらゆるジャンルで疎まれ嫌われたか

唯一自分を否定しなかった(付け加えると人が少ない故に石を投げる人が居なかった)

ヲタジャンルに居場所を見つけられたというのが大きい

 

狭義のサブカル

まりアニメとか漫画とかゲームとか

(旧時代に)隠れキリシタンのように隠さなければいけなかった趣味と違って

ロキノン系マイナー映画系、現代アート系の趣味の人は、自分で選んでそれを選んだんだろう

という所に劣等感を抱えてしょうがないのと同時に

「本当はお前らそのジャンルが好きなんじゃなくて、そういうのを好きという他とは違う特別な自分が好き」

なんだろうという侮蔑

「何故俺ばかり石を投げられるのか、同じマイナージャンルなのに顔か、キモさか?」

「そのオシャレな帽子をとって一皮むけばお前もセックスのことしか考えてないクソムシ何だろオラァッ」

とか

ごちゃまぜになった複雑なルサンチマンを感じてしまうんだよ


もっとも旧時代の糞ヲタク童貞の僻みみたいなもの

主体的メジャー趣味を選んだリア充諸氏がサブカル叩きする理由は知らね

2013-12-02

http://anond.hatelabo.jp/20131202000835

現代アートなんて鑑賞しても、勃たなくなった。

ただの変態だろ。

それが性欲多少発散できるようになって少しはまともにクラスチェンジしただけじゃねーか。

それをリア充とは言わん。んなこと言ったら世の中結婚したら皆リア充じゃねーか…

あ、お前らのリア充基準ってそういうレベルか…

リア充になるとアートかいらなくなるって話

結婚してからというもの

仕事帰りにライブなんて行かなくなった。

深夜に突然踊りたくなる衝動もなくなった。

わざわざ美術館に行くこともなくなった。

いや、行くことはたまにあるんだけど。感じなくなったっていうか。

現代アートなんて鑑賞しても、勃たなくなった。

単に歳取ったってだけの話かもしれない。

いや、歳の話じゃないと思ったからこうして書いてるんだけど。

誤解してほしくないのだけど、今でも音楽アートは好きだよ。

仕事中も、家でも、音楽がないとなんかしっくりこないから聴いてるし。

でもそれ以上は求めなくなった。

結婚して、毎日しあわせで、満たされていると、

自然と他のことはどうでもよくなってくるんだ。

アートとかわざわざ観賞する理由がなくなるというか。

いや別にあふれんばかりの事件級のしあわせが毎日降ってくるわけではないんだ。

かつての僕にアートが与えてくれていた衝撃や恍惚が降ってくるわけでもない。

しろ、なんにも起きない。

でもこの なんにも起きない が毎日続いてくれたらそれだけでいい。

それだけあれば他に何もいらない。

ああ、これがリア充ってことなんだと思った。

きっと世間一般的リア充イメージとは違うのかもしれないけど。

逆に毎日が満たされていなかったから、

ただ寂しかたから、

信じれる人がいなかったから、

アートにはまっていたのかもしれない。

あくまで自分の話。

2013-10-07

おまえの家のラッセン

絵画とか美術品は金があれば買えるけど、それらを所持してる家ってどういう内装なんだろうか

例えば自分の家に著名な芸術家の作品が置いてある映像想像してほしい

殆どの人にとってそれがいかに滑稽な光景なのかがわかるだろう


現代アートなら壁をコンクリ打ちっぱなしにしておけばたぶん調和しそうなのは想像できる

というか概ねの美術品はコンクリ打ちっぱなし対応できる気がする

コンクリ打ちっぱなし汎用性の高さ


じゃあラッセンは?

ラッセンはどういう内装がいいの?

ラッセンデカい絵とコンクリ打ちっぱなしの壁はあまり相性がよくない気がする

かといって中流程度の一般的な住空間には合わないだろう

というかラッセンの絵はインテリアアートと呼ばれているが

その名前に反してどこの家にあっても不自然なのではないか



そこで聞きたいんだけど、おまえらラッセンどう飾ってんの?

2013-09-29

奈良ラッセン論争について

奈良美智 「自分の作品のファンがラッセンも好きなら発表をやめる」 - Togetter

ムサビの受講生アンケートにおける「嫌いなアーティスト」に村上隆草間彌生会田誠カオスラウンジが挙がるも,奈良美智が挙がらなかったらしい。

それについて,武田氏(誰?)が「奈良美智好きな人ラッセンが好きなんだろう」という発言をしたらしい。

それについて,奈良氏が「武田さんの発言は、なんだか心外だなぁと思います。僕の作品が好きな人統計をとってみてほしいですね~。ほんとにそうだったら、発表を辞めます。本気で。」とtweetした。

ラッセンは「美術」として扱われておらず,他方で奈良は「美術」として扱われている。これは,ラッセン美術館に展示されない(あるいは美術館を発表手段としていない)が,奈良美術館に展示されていることに端的に表れている。村上隆美術館に入り鳴子ハナハル美術館に入らないのと同じである

もっとも,そのような,業界での位置づけ(奈良=内部者,ラッセン=部外者)という視点は,両者のファン層が重複するか否かと関係しない。

ファンになるか否かは,業界での位置づけではなく個々人の好みの問題であるから,作品あるいは商品自体の性質から導かれるはずだ。

 

ラッセンの絵は,海とイルカという具体的なモチーフを扱いながら何らの意味を持たない。

奈良の絵もまた,何らの意味を持たない。(それ故に,殊更に「嫌いなアーティスト」として認識する必要に迫られない。)

少女という具体的モチーフを扱っているかのように見えるが,実際にそこで行われているのは,キャンバスに直線を数本引いて「この線の緊張感が」と云々する古式ゆかしい現代アートのものである

作品のスタイルからして,ラッセンは中身の無い美しい物好きに,奈良は中身の無い顕学主義者に好まれるであろうから,両者のファン層は異なると予想される。

したがって武田氏の発言は失当であり,奈良が怒るのも尤もなのである

 

(などと書いてみたけど,何らの意味を持たないという点では草間彌生も同じなのに彼女ムサビ生に嫌われているらしいので,間違ってる気がする。)

2013-08-20

あなた達のなりふり構わない、汲めども尽きない韓国擁護のモチベーションの源泉がなんなのか知りたい。

http://anond.hatelabo.jp/20130820095920

昨今よくあるわざと醜さや違和感を感じさせるコンセプトの現代アートであるとか、

そういう文脈の奇抜な創作茶道パフォーマンスだって言うなら何やっててもいいけど

(まあその場合も笑っちゃうとは思うけど)

韓国人はあれが「韓国伝統茶道だ」「日本茶道の祖だ」って言ってるんだよね。

剣道とか空手とか全部同じことやってるんだけど)


元増田の言ってるのは

そういうのを無視して、というより意図的視線をそらすべく、

話をすり替えてるのがバレバレだよね。

あなた達のなりふり構わない、汲めども尽きない韓国擁護のモチベーションの源泉がなんなのか知りたい。


それにあなたの話そらしに乗ったとしても、

あのひどい作法を「茶道家として新風を起こそうとしてる」みたいに評価するのは

ちょっと無理だよね。

織部って言えばいいと思ってるでしょ?としか


道を修めたり心の深奥を極めたりした人が

雅趣を求めて奇抜なことをやりはじめるのと

素人詐欺師がそれっぽくしようとしてるけど無知と訓練不足で滅茶苦茶になってるのとは

やっぱり同一視するのは無理がありすぎるよね。

無理さの水位が詭弁で覆い隠せるレベルを超えすぎてる。

http://anond.hatelabo.jp/20130820021346

2013-08-16

美術館めぐりという趣味

ってなんかよさそうだなってふと思った。

でも美術館めぐり趣味っていうと、芸術自体じゃなくてだたの小旅行マニアと同じだと思われそう。

他人からの評価なんか気にしないとしても、そもそもまず実際行っても楽しくなさそう。

エジプト展とか歴史のロマンが感じられるものだったらまだいい(経験済み)けど、ごく普通の絵とか見ても何も面白く無いって感じてしまいそう。

2chとかだとバカにされてるけど、美術館とかで見て楽しいのは現代アートとかだなと思った。

一体何があるのかわからないというワクワク感が欲しいのかな。

予定調和の着飾った骨董品に興味はない、とか?

うーん。

めんどくせえからやっぱり行かないでいいや。暑いし。

オサレ自分に酔いたい一時的な衝動だろ、多分。

でも日々の仕事に疲れた自分には遊園地映画よりは美術館のほうがまだ落ち着けるなとも思うのも確かだなあ・・・

うーん・・・

あ、その芸術に詳しい人と一緒に行くのがいいかな。

それでいて上から目線講釈垂れないような人。

でもそれも最近は館内イヤホン案内みたいなのもあるし必須じゃないか。。。

うーん。。。僕は何がしたいんだろう。

2013-03-30

好きを貫くのは馬鹿、新鮮さを貫け

公私ともにアイデアマンと認めるこの俺が創造力を発揮する秘訣はというと何と言ってもある1つの心構えにあると思う。

だいたい創造性開発といえば好きを貫けってことと、インプットアウトプットを増やせってこと、それからKJ法に始まる発想法を身につけろと、そういうことしか言わない。これでは本当の創造力はつかない。

スーパーIT高校生"Tehu"と考える 創造力のつくり方』も何か新しいことが書かれているかなと思ったけど特に書かれてなかった。ってか創造力について記述ほとんど無いだろこの本。

その心構えとは、これ「新鮮さを貫け」である

だいたい気付かないといけないよ。好きを貫くことによる視野の拡大ってのは実はその裏で視野固定化も孕んでいることに。

俺は世の中で素晴らしいとされているあらゆることが好きになれなかった。好きを貫けとか糞くらえと思っていた。だからこそ「新しさに目を向ける」ことに気付けたのだろう。

新しさに目を向ける、という発想こそが創造力開発の妙薬なのだ

暮らしのなかで積極的に新しさを見つけようとする。そのためには予想を立てることが不可欠である。予想を立てて現実と照合する結果、違いに気づき驚きが生まれる。

君は新しさに驚く日々を過ごしていますか?新しさは心の栄養ですよ。予想を立てないから違いに気付けずありきたりの日常に見えてしまう。

それから好きを貫いたり1つの目的目標のために身を粉にしたりすると一気に新しさが見えなくなってしまう。もっと柔軟にならないといけない。

音楽を聴く時もみんな「イイ曲」を探そうとするんだよ。それが駄目。イイ曲ってのは自分既存のモノサシでイイ曲ってこと。それでは視野が広がらない。

そうじゃなく「新しい曲」を探そう。本当に「イイ曲」なんて1000曲に一曲で、そのためにせっせとCD買いまくるのはご苦労なこったとしか言いようがない。馬鹿である。一種のギャンブル中毒スロット馬鹿と同じ。

そうじゃなく「新しい曲」を探そう。「新しい曲」であれば50曲に一曲はそういう曲が見つかる。新しさが無いかなと注意深く聴いていれば5曲に一曲はそういう曲が見つかる。

そうやってどんどん新しい感覚を心に取り込んで味わっている人と、固定したモノサシで「イイ曲」ばかり追い求めているとでは、心の豊かさに雲泥の差が生まれるのは言うまでもねえことだ。

facebookにも「イイネ!ボタンがあるがあれは「新しい」の意味で用いるべきなんだ。「良い」の意味で使うと心が狭くなる。評論家気取りで良い悪いを判定しているとまたたく間に心が死んでしまう。

少しでも新しい部分がないか耳を澄ませて生活しないと。パクリって言葉を多用する人間も危ない。あいつらは新しいものまでパクリ認定してる。

あれもパクリこれもパクリ連呼してる人間がさあ自分が作り手側に回ったとき何も出来なくなる。自分の首を絞めちゃってる。だから新しさに鈍感なヤローは何も作れないんだ。

これまで話を聞いてこう思った人もいるだろう。新しさだって1つのモノサシに過ぎないからそれに拘るのは視野を狭くするんじゃない?現代アートも新しさに拘って珍妙な方向へと迷走してるように見えると。

それはある意味正しいように見えるが現実には新しさを追及していけば1つの新しさだけでなく色んな新しさを求めるようになるから狭い視野に陥ることはない。

現代アートと言ってもいろいろあるが理屈に拘って迷走してる人もいるのは事実である。だがそれは新しさに拘っているからではない。新しさに拘ることで珍妙アートが出来るとすれば

それは新しさがマジョリティに理解されないからであって、それは視野が狭いのとは別問題である。発想法みたいに機械的に理屈でひねり出した新しさではなく、

ちゃんと本人の感性が新しいと感じたのであれば、それは同じ感性の持ち主には感動として伝わるはずである珍妙に見えても一部の人には価値あるアートなのである

好きを貫くデメリットをもう1つ書いておこう。それは好きには限度があるということ。例えば作曲家が「イイ曲」ばかり作ろうとしていたら必ず壁にぶつかる。

作曲センス技術が成長してどんどん「イイ曲」が出来ているうちは良いが必ずどこかで壁にぶちあたる。芸術家の苦悩と言えば聞こえは良いがはっきり言って自業自得馬鹿である

「イイ曲」ではなく「新しい音を追い求める」というスタンスでいけば一気に視野が広がる。「イイもの」以外は全部捨ててしまうのではなく、その中にも面白い音がたくさんあることに気付く。

「新しさ」を追い求めると興味が特定分野に限定されない効用もある。例えば、ポップスばかり作曲しててジャズに全く興味のない人が新しさを求めはじめるとどうなるか。

最初ポップスの中から色んな新しさを見つけようとする。だけどよくよく聴いてみるとジャズ要素の入ったポップスに新しさが見いだせるかもしれない。あるいはポップスの中に新しさが見いだせなくなって

他のジャンルも聴こうとしてジャズにたどりつくかもしれない。そうして自分の興味分野がどんどん広がっていくのが新鮮さを貫くメソッドの大きな効用である

そしてジャズの新しさを一通り取り込んだ心でまたポップスを色々聞き直してみると面白いことにこれまでとは違った聞こえ方がしてさまざまな新しい新しさを発見できるようになる。

そうやってどんどん新しさが見つかって心が広がって楽しみが尽きることがない。新しいもの探しをしない作曲家は駄目なんだよ。「イイ曲」ばかり作ろうとしてる作曲家感性が窒息死してしまう。

2012-06-23

http://anond.hatelabo.jp/20120623201743

それはまた別の話で、現代アート音楽場合

その「アザとさ」に敏感な層が、それを嫌って寄ってこなかったりする。

2011-09-05

http://anond.hatelabo.jp/20110904140916

もうちょっとマシなまとめにならなかったのかこれ。

カオスラウンジの作品の評価と現代アートというジャンルの評価と「不謹慎」って錦の神輿がぐちゃぐちゃになってて気持ち悪い。

2011-08-17

社会人ならルールは守りましょう

→ただのルール守れないアホでした


→ただのルール守れないアホでした


→ただのルール守れないアホでした(流通者が)


はあああああ?運転したって自動車じゃねーし!自転車だし!カンニングだああ?書いただけ!証拠なんてねーだろばーかばーか!ww

→ただのルール守れないアホ共でした


→ただのルール守れないアホでした


2011-08-14

http://anond.hatelabo.jp/20110813025031

個人的な見解ですが、梅ラボさんが作ったコラージュと、美味しんぼコラージュは「やってる事」はそんなに違いが無いと私も思います

じゃあ、何が違うのかと言うと

前者は製作者サイドが不快感を示している。使用するなと、明言している。

後者はそうでない。

と言う事だと考えます

日本場合著作権による罰則は基本的に親告制なので、著作者が何らかの行動を取らない限り、法的には罰する根拠はありません。

梅ラボさんの件では、コラージュに使用されたキャラクター創作した掲示板で、大きな騒ぎになりました。

中には「勝手に使うな!」という意見も出ているようです。(ただ、掲示板自然発生したものだけに「著作者」が曖昧な点、なんともできないようですが)

一方、美味しんぼコラージュでは原作者の方が明確な著作権侵害として、なんらかの行動を取ってはいませんので、白ではないが、黒でもない。というまぁいわゆるなぁなぁの状態です

もし仮に、美味しんぼの作者がこれらのコラージュに対して、「著作権侵害からやめろ」と言ったのなら、その時点でNGです。この手のコラージュを作っちゃ駄目でしょう。(元から駄目といえば駄目ですが)

それを無視してコラージュを作り続けるなら、梅ラボさんと同類です。彼らに梅ラボさんを叩くことは出来ないでしょう。

また別の視点として、単純にそれが好きかどうか、と言う点も大きいのではないでしょうか。

一方は、アートとしても別段優れたものだと(叩いている人たちは)感じない。よく分かんないし、むしろ嫌悪感すら抱くこともある。

一方は、改変ネタは、ギャグとして面白いから受け入れやすい。(別にこれを「自分の作品」として発表してる訳でもないし)

ってのも当然あると思います

まり梅ラボさんは作った人が「やめて」って言ったのに止めないから叩かれてる。しかも、その作品は全然良いものだと思えない。

美味しんぼは(今のところ)言われてないし、単純にネタとして面白いから受け入れられてる。

そういう事なんじゃないかなーと、私は考えました。

最後に、本旨とは関係のない事です

不特定多数の人物が作ったキャラクターを、梅ラボという特定の作家コラージュした、現代アート

特定の作者が作った美味しんぼという作品を、不特定多数の人物がコラージュした、改変コラっているのは面白い対象だな、と思いました。

本当にどうでもいいですね、すみません

2011-08-13

re:なぜ現代アートには糾弾が相次ぎ、美味しんぼコラは受け入れられる

http://anond.hatelabo.jp/20110813025031 に対する私見。ブログに書く程でもないんで此処に。


元増田が疑問に思っているように「おいしんぼ」を加工して遊ぶという行為カオスラウンジは似ているようにも、見える。

じゃあ何が違うのかっていうと「使った元ネタ」の出自が何かって話なんだと思うよ。


カオスラウンジコラージュと、おいしんぼのコラージュで決定的に違うのは、カオスラウンジコラージュ元ネタ二次創作であり、おいしんぼが商業作品である、という点。

これだけ。


ちょっと前に村上隆自分のやってる事を翻訳だ、って言ったのをきっかけに揉めたのを覚えている人もいると思うけど、これに当てはめて考えるとわかりやすいんじゃないかな。

村上隆翻訳事件については http://togetter.com/li/46166 http://mojix.org/2010/09/03/murakami-mukatsuku http://tsunoga.blog32.fc2.com/blog-entry-298.html らへんを読んでくれ)


「おまえら」は商業作品をコラージュしたり二次創作したり、という「翻訳」をして、それを「おまえら」の世界で楽しんでいる。

それに対して「カオスラウンジ」は二次創作コラージュするという行為を通してアートに「翻訳」した。ついでにいうなら「翻訳」をきっかけに金儲けもしたw

そういう事なんじゃないかな、と思ってる。


アートっていうのは「権威」によって「これはアートだ」と認められる事だ、と思う。

その権威が何処かの美術館に飾られる事なのか、なんたらビエンナーレ入賞することなのか、村上隆美術手帖に絶賛されることなのか、何処かのオークションで何億って価格落札される事なのかはともかくとして「これは、アートだ」と認められさえすれば、便器にサインをしただけの簡単なお仕事ですアートになるよっていうのが20世紀初頭からアートシーンを支配している「空気」だよね。

カオスラウンジは、だから「そういう空気」が支配している世界二次創作コラージュするという「翻訳」をして、その「翻訳をした内容(と行為)」がアートとして認められた。


でも「おまえら」からすれば「自分たちの愛が穢された!」って事になるんだろう。

いつも自分たちが商業作品を二次創作という形で「翻訳」して楽しんでいる事と全く同質なのにね。


カオスラウンジがやってる行為MADの違いが何処にあるのか説明出来る人はいないんじゃないかな。

元増田の疑問は、まさにそこにあると思う。

二次創作を更に二次創作するサークルもいると聞くが、それは「おまえら」の世界の中で完結する行為から許容されうる範囲の事なんだろう。(揉める事もあるって聞くけどね)


上手く表現出来る気がしない(だから増田に逃げたというのもあるんだが)のだけれど「お互い、人の財産を奪う事の罪悪感は低いんだけど、自分たちの財産が奪われる事には敏感だよね」って事に尽きるのではないかな。(財産、という言葉は適切ではないように思うけれど、他に上手い言葉が思いつかない)


個人的には、カオスラウンジの「作品」を見ても手段も内容もたいした事ないなあ、と思う。

じゃあ何がアートとして評価されたんだろうと自分なりに篩に掛けて残ったのは「二次創作コラージュする」という行為(水浸しもだけど)であって、それだけは既存アートシーンには(おそらく)存在なかったと思うからだ(思いついたけど誰もやらなかっただけなんだよ、という「批判」はあるとは思うけど)


そんなわけでカオスラウンジの皆さんの今後の活動を生暖かく見守っていきたい次第でございます

一回「やらかした」事というのは、それが何であれ、二度と繰り返せないのがアート世界であるにも拘らず、バッシング覚悟で二次創作コラージュするという「翻訳」をしなければカオスラウンジという集団のアートとしての価値は無価値であると言っても過言ではないだろうから

自分の敵は自分っていうか、針のむしろを用意したのは自分自身なんだし。10年代日本アートシーンの騎手としてがんばってくだしい。


http://anond.hatelabo.jp/20110813025031

叩くのは感情的ものであって理屈は後付けなんだと思うよ

笑いを与えてくれたコラには好意的になり

他人の作品(自分愛着のある作品)を踏み絵にして不快感を与えた現代アートへは攻撃的になる

その攻撃段階で著作権なんていう都合のいい武器があってそれが使われただけで、

はじめに「相手をぶん殴りたい」って感情がわかなきゃ武器は握らないでしょ。

誰も公正で厳格な著作権の番人としてインターネットの中をうろつき回る事を望んでるわけじゃないんだよ

多分、美味しんぼコラだって美味しんぼのそのシーンがたまらなく好きな人が見たら同じ武器糾弾するんじゃないかな、

http://anond.hatelabo.jp/20110813025031

だれが見ても元ねたがわかりパロディだということがわかるからだろ。どっかの漫画家だか作曲家がいった言葉だったと思うけど、

ばれてくれないと困るのがオマージュパロディ

ばれると困るのがパクリ

で、現代アートのはばれると困るのかどうかはしらないが、出典をはっきりさせず、(たとえそれが画風なのだとしても)わかりにくく加工することで、結果的に「ばれてくれないと困るオマージュパロディ」とは見られなかったってこと。

2011-08-07

http://anond.hatelabo.jp/20110804185133

歴史上の人物だったりいろんな擬人化だったりってのは結局「興味があったから」「好きだから」という以外にないと思う

現代アートなんか好きでもないし興味も無いから取り込まないだけでしょ

2011-08-06

村上隆はモノを見る目がない

カオスラウンジなんて大した美術教育も受けてないしオタ度も薄々だし単なるオタとアート勘違いした徒花的存在(あるいはアウトサイダーアート)にすぎないという事にはみなさんそろそろお気づきだろうが、なんでここまで無駄に色々できちゃったかってやっぱり村上隆が一旦認めちゃったことが最大の問題だと思うんだよな。

別に大した価値基準もない現代アート業界のなかで、別に公募展とかでも受賞歴のない奴らにとって村上隆の評価ってのはそれこそ成り上がりのための特急券みたいなもんだったんだろうなと(故に駄サイクルと言われたりもしてるんだろう)。

ただ村上隆って、実のところ創作(と言うと反発する人もいるだろうが)の力はかなりのものを持っているが、人のもんを判断する審美眼みたいなものは決定的に欠けているんじゃないか最近それに気づいた。

村上隆の作品とそこに対する理論構築に関しては個人的にかなり評価しているが、自作以外に対する批評感想それから村上隆取り巻きその他もろもろは正直言って完全無視で構わないんじゃないかなーと思っている。

海洋堂行った時にあまりフィギュアを見る目がないか専務におもいっきりバカにされてたり、ちょっとアレな作品を持ち上げがちだったり、たぶん見る目の無さってのは昔っから今まで一貫して変わってないんだろうな。

まあ名選手が名監督になるってわけでもないのはあたりまえのことだし。

村上のおじさんにはワークス体勢でバンバン作品を作っていって欲しいが、無駄下部組織作ったりして自分の方向性以外の方面に手を出そうとしてる最近の活動は正直言ってやめた方がいいかなと思います

現代アート周りでくだ巻いてる人がDMCオーディエンスしか見えなくなってきた

むしろ彼らが「スゲー!東京タワーも濡れてやがるぜー!」みたいな事を言わない限り

あいう作品って意味を持たないんではとすら思えてくる

2011-08-05

http://anond.hatelabo.jp/20110805173217

いやーほんとはねー

言葉は通じてるんだよ。

オタクにもそれがわかるからこそ怒りを買うわけで。


現代アートって元からオタク業界より脆弱もので、

オタク的なものに対してコンプレックス持ってるんだよ。

だってオタク的なものの方が多くの人に受け入れられてるし

ビジネスもいくらでもあるし。


昔、絵画芸術が担ってたものって今はオタク業界が担ってるからね。これはマジだよ。

から現代って、芸術家なんてものは浮かばれない世の中なのよ。

「だから商業ベースの上で月ごとのお給料もらうデザイナーになりなさい」

って美大生なんかは何度も言われてる筈なのにそれでも芸術家を選ぶ以上、

自己責任だけどね。



彼等はー、

自分だけで耳目を集めるようなパワーもイメージも持たない。

からオタク界のものをちょろまかしたい。

そう思ってるって言うだけなら別にカオスラウンジだけじゃないんだよ。

カオスラウンジたまたまうまくいって、調子こいてやりすぎてただけで、ああいうのがあいつらだけなわけじゃない。


でもコンプレックスが捩れた変なプライドがあるから

「我々はお前らより上層である

 我々のやってることに不満や嫌悪を抱くならそれはお前らが高尚な芸術を理解できていないからであり

 お前らが我々を理解できるレベルになれば解決する。」

みたいな態度しか取れない。


オタクと同じ言葉でしゃべって普通に疎通しちゃったら

「何でお前人の描いた絵持ってくの、自分で描けよ」

「いや俺あんま絵上手くないし、全部自力で描いた絵が注目されなかったんだよ」

なんて会話をしないといけなくなる。

からオタクと同じ言葉を喋れても、アート語だけを喋るわけ。

言葉通じるのがばれるほうがよっぽど命取りだから


通じてしまったら

オタクから盗んだものオタク界のルールに従って返さなきゃいけないし

「たいした絵がかけない〇沢君」として、オタク階層に(それも中間より下のほうに)組み込まれて終わりになってしまう。

それじゃ嫌なんだよ、

芸術家やろうなんていう自己顕示欲旺盛な人は。

現代アート云々

マフィア同士の縄張りを巡った抗争みたいなものと考えた方が良いんじゃないかな。

互いに独自の正義ルールがあって、そこで衝突してるんだし

から第三者が見たら「犯罪者同士がなんかやってる」と見える。

マフィア同士の抗争だから

「殺しは良くない」とか「強盗とかするな」っていう法律的な問題をいくら話しても解決するわけがなくて

どちらかが潰れるか縄張り争いから撤退するか、何らかの形で和解するまでは終わらないと思う。

2011-08-04

http://anond.hatelabo.jp/20110804200925

後期ピカソはよく子供落書きみたいだと揶揄されるが実際に描くとなると非常に難しい。

一方で現代アート幼稚園児の落書きに見え、実際に写真屋さえあれば幼稚園児でも作れる。

こりゃピカソを越えたな()

2011-08-03

http://anond.hatelabo.jp/20110803144146

逆に隠れルールを撤廃してあらゆる作品を受け付けた場合、悪意や宣伝などの作品が溢れかえり、結局pixiv価値はなくなって使われなくなる。

ただのセミの絵から「悪意や宣伝」を見出して削除したところで、誰の利益にもならんと思うけどね

そもそも、島宇宙状態にあってジャンル間交渉の乏しいpixiv価値が、「現代アートタグのゴタゴタで大きく損なわれるとも思えない

まり、大がかりな対応(大量削除&垢BAN)を行ったこと自体が悪手

「隠れルール」(≒利用規約13条9dや18の「その他当社が不適切と判断する」云々)の意義自体は否定しないけどね

http://anond.hatelabo.jp/20110803101110

スラムダンクジョジョハンターハンターの作者が他所からトレス=「収奪」しても何も文句を言わないが、

あなたはなぜその事実を知っているのですか?

話題になったからではないのですか?

私の記憶では批判されていたし、実質的な「おとがめなし」について皮肉的に言われているとも思いますが。


と言う話はさておき。

今回も、無名のカオスラウンジではなく有名なアーティストが同じ事をしたら文句を言わなかっただろうね。

仮に現代アート界の巨匠(誰だか知らないけどさ)がやったとしても批判されるよ。

自分創作物を「切り捨てて踏ませる」ために利用されて「私の作品が使われた♪」とか言うわけないべ。

http://anond.hatelabo.jp/20110803100204

そういう意味で彼らががんばるなら、ディズニーとかで遊ぶことになって、それはそれで批判されてるよ。

だって、それらを踏みつけたり、キメラにしたり、水かけたりして、「アートだっ」って言うわけでしょ。

今と全く同じ文脈で批判されると思うよ。

けいおん!ジャケット騒動で垣間見れる。


現代アートとしての文脈であるなら、「なぜアートを貫かないのか」と批判されるべきじゃないかな。

彼らの言動・思考は幼すぎて、まだ自分アートとか口にすべきレベルじゃない。

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