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はてなキーワード: 現代アートとは

2019-08-31

anond:20190831074231

現代アートと一緒で偉い人が言ってるんだから間違いないってことになったんでしょ

2019-08-19

anond:20190819051229

津田氏は、ITライターのような事をやっていたが、別にITに造詣が深い訳では無く、本人に言わせれば「食うため」とはいえ犯罪指南のような記事を書いて糊口をしのぐような仕事をしていた人物だ。溝口敦いくらヤクザノンフィクションを書いていると言っても「ヤクザの成り方」「ヤクザのような金儲け方法」みたいな記事は書いていなかったろうから根本的に作家としても何段も落ちるような仕事をしてきた人間だと思う。

どうして大学教授で大規模現代アート展のトップとかやっているんだ?本当に意味が解らない。

小田嶋隆だって、ITに詳しくない暇ねたIT方面ライターとして、その方面知識を伸ばす事も無く、埋め草のような与太記事を書いてきた作家だと思うが、なんで世間に物申すオジサン知識人みたいな顔しているんだ?そもそも良識左翼なんて心底バカにしたような記事を書いてたと思うんだが…これが老いるという事なのかも知れないが、本当に不思議

2019-08-18

anond:20190818215605

だいたい「芸術の基本を知らないくせに口を出すな」が通るなら、親方でもないくせに相撲にガタガタ言うなってことになるわけで

なんで現代アートフェミニズムに限って治外法権と、好きなように振る舞った挙げ句税金タカれる権利を無条件で認めるべきなのかわからない

相撲協会には公益法人なんだから俺の言うこと聞けって散々言ってたのにねえ

2019-08-17

イキらないとやってられない現代アートの悲哀

なんか不健全に見えるよなあれ

表現したいもの表現するじゃダメなんだよ

論文に近い

 

好きなことだけやるとオモコロになる

2019-08-15

tetora2氏ブコメ研究表現の自由について)

暇なので眺めていたら、面白かったので。シェアさせていただきます

b:id:tetora2

大村知事「河村市長の主張は憲法違反の疑いが極めて濃厚」…県には”京アニ放火”に言及した脅迫メールも | AbemaTIMES

表現の自由ガーはやめといた方がいいんじゃねーかな。お前ら人工知能学会自衛隊ポスターなど、何の違法性も無いイラストを難癖つけて時に撤去謝罪させただろ。表現の自由は出し入れできるもんじゃねーぞ。2019/08/05 13:40

抗議することは表現の自由侵害

ユミソン on Twitter: "愛知では「公金が・市民が」と言っていますが、先日のドイツでの展覧会では、日本からの助成は無く市民からの苦情もなかったのですが、日本政府が抗議に来ました。"

抗議も法に則ったものであれば表現の自由範疇だろ。お前ら都合が悪い事は「わかってない」とか言って逃げを打つよな。2019/08/05 18:47

抗議することは表現の自由範疇。ん?5時間前…?

「表現の自由」不要と言うに等しい 展示中止に危惧の声 [表現の不自由展・その後]:朝日新聞デジタル

表現の自由マンが噴き上がっているが、百田尚樹脅迫受けて講演会サイン会中止に追い込まれても同じように擁護しなかったよね。都合により出し入れ出来る表現の自由は便利ですなぁ。2019/08/06 11:28

都合により出し入れできる表現の自由…?んん?

貞本義行@腰痛 on Twitter: "キッタネー少女像。 天皇の写真を燃やした後、足でふみつけるムービー。 かの国のプロパガンダ風習 まるパク! 現代アートに求められる 面白さ!美しさ! 驚き!心地よさ!知的刺激性 が皆無で低俗なウンザリしかない ドクメンタや瀬戸… https://t.co/3wqZGCqLzd"

作品を壊せとも展示するなとも言ってないのだが、表現の自由であれほど噴き上がった皆様が個人攻撃をしているのは何なのか?自分の都合で信条を出し入れする節操しかな?2019/08/09 21:17

発言に対する批判個人攻撃表現の自由侵害。「自分の都合で信条を出し入れする節操しかな?」

貞本義行氏の件のツイートのどこに悪意を感じるか

アート作品に対する自由批評を許さない人が多いねえ。貞本義行人格作品にまで踏み込んで批判している奴は、表現の自由根本理解していない。2019/08/10 12:36

表現の自由根本について理解している(ドヤ)

増田はtetora2氏を応援しています

2019-08-14

[]2019年8月13日火曜日増田

時間記事文字数文字数平均文字数中央値
006210715172.877
01476405136.346
02298069278.260
03163071191.947.5
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0615102868.544
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171581062067.229.5
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2012914425111.840
211791366076.332
221271009479.530
2313313876104.349
1日265725086194.439

本日の急増単語 ()内の数字単語が含まれ記事

ティーンズ(12), 自責思考(5), 安全配慮義務(5), コミケット(5), 盆暮れ(5), アンパンチ(4), 綿矢りさ(5), 準備会(6), ロリマン(6), 他責思考(11), ビッグサイト(8), ルクセンブルク(3), 向き合う(29), コミケ(70), 向き合っ(34), アート(25), ステレオタイプ(13), 参加者(13), 青葉(9), 非モテ(49), 手作り(10), コミュ障(30), オリンピック(24), 夏休み(11), 展示(11), 弁当(22), N(16), コミュ力(11), スタッフ(16), コミュニケーション(28), ヘイト(16), 童貞(32), 韓国(52), イベント(33), 運営(23), 長文(14), 裁判(13)

頻出トラックバック先 ()内の数字は被トラックバック件数

学童弁当地獄母親達が死んでいる件 /20180404140258(26), ■増田でもボディビルのような掛け声を作るべき /20190813172427(22), ■韓国経済を抜かれた後の付き合い方どうなるのだろうか /20190812225348(19), ■結婚地獄 /20190813160448(13), ■自称現代アートに詳しい人たちの醜い優越感について /20190812185015(12), ■【追記あり】僕は異常だ /20190812141826(12), ■ゴキブリひとつだけ改良を加えて可愛くする方法 /20190812195522(12), ■19歳セックスの夏 /20190812202420(8), ■仙台来たら牛タン食べるという風潮 /20180812200713(7), ■助けて朝礼で話すネタがない /20190813162442(7), ■ティーンズ向けの物語の骨格 /20190813030011(7), ■「終わりがないのが終わり」ってもの何かある? /20190812184634(6), ■anond20190812185015 /20190813011841(6), ■トリエンナーレの件を検閲表現の自由侵害で訴えない人 /20190813194222(6), ■容姿の良い人って /20190813225901(5), ■甘くないめんつゆが欲しい /20190812201047(5), ■はてな民田舎」像アップデートできていない問題 /20190813082255(5), ■ゾンビ物が嫌い /20190813114856(5), ■結局、女にAEDセクハラなの? /20190813115725(5), ■ /20190813151928(5), ■KKO嫌悪感を抱くのは差別ではないか? /20190813155821(5), ■今から2年で彼女を作る方法 /20190813163933(5), ■コミュニティ内のネトスト野郎に物申したい /20190813203443(5), ■ /20190813225721(5)

増田合計ブックマーク数 ()内の数字は1日の増減

6528961(2577)

2019-08-13

anond:20190812185015

このエントリでいう「現代アート既存権力」について、コメントしている人たちが考える「権力=○○」が違いすぎて話かみ合ってない。

>「これはアート! わからないお前は勉強が足りない!」とか言っている人たちがいる。

素直に読めば、これは「アートをやっている人たち」を指すであろう。確かにこれはある。古参オタクがニワカの新参マウントするやつ。

ただ、その後の「権力」「カルト」というところを見ると、この増田現代アートのもの懐疑的である

コメントは当然ながら、あいちトリエンナーレ意識した書き込みが多いが、このエントリ自体もそれに触発されたものと考えるのが自然だ。

そう考えると、この増田あいちトリエンナーレをどのような視点で見て、このエントリを書いたのだろうか。

もし、作品撤去の件を肯定的に見ている場合、「あんもの芸術というなんて、頭おかしい」という意味でこのエントリを書いたのだろう。

からアートを「カルト」というし、「津田現代アートという権威を借りてヘイト展示をやったんだ」という論理が成立する。

一方で、作品撤去弾圧考える人々もいる。そうした人々にとって権力者とは政府政治家公権力あいトリに政治家発言した件)であり、

アート社会メッセージを送っただけなのに表現の自由を奪われた」となる。

また、タイトルの「醜い優越感」というキャッチーキーワードも気になる。

増田アートになんてこれっぽちも関わりなく生きてきた人間なのか、自分には理解できないものに対するひがみのようなものも感じる。

「これはアートだ、と言えば何やってもいいのか」というやっかみの気持ちもあるのだろう。

自称現代アートに詳しい人たち」は常に「アートなんて分からない人たち」を置いてきぼりにしてきた。

特に、全国各地にある公立美術館だって一般市民アート教育普及するための施設であったはずなのに、「自称アートに詳しい人たち」に私物化されてきただけであった。

からネトウヨにとっては「税金を使ってこんな展示をしてくれやがって」という気持ちになることはよくわかる。

しかし、今回の津田芸術監督はそうした「自称アートに詳しい人たち」側の人ではないのである

しろ、「自称アートに詳しい人たち」からは「素人のお前なんかにできない」と散々コケにされている側なのである

から津田さんにとっては「権威美術業界」(=アートではない)からもけなされ、ネトウヨ公権力から弾圧され、泣きっ面に蜂である

今回のあいちトリエンナーレ自分既存日本における美術業界権威に風穴を開けてくれることを期待していた。

だが、日本社会に立ち込めるネガティブ圧力を改めて浮き彫りにしてくれることとなった。

今回の件について、美術業界批評家美術史家、美術学芸員といった人たちから、まともな「批評」がなされるのだろうか。

これから日本美術業界は「自称アートに詳しい人たち」の自己満足展覧会と「クールジャパン」的な何かをやるだけの、一部の人たちの既得権益として温存されるのだろう。

自分増田とは違った意味で、「現代アートにおける批評性」がなくなっていることを危惧したい。

anond:20190813011841

「これはアートじゃない!」と怒って見せる人々が考える「アート」とは「自分を楽しませてくれるもの、喜ばせてくれるもの」なのではないか想像します。

「綺麗」とか「面白い」とか「何も考えなくてもよい気持ちにさせてくれるもの」こそ芸術アートであるべしと。とても感情的感覚的なものととらえているのではないでしょうか。

一方で、美術業界の人たちはアートを「思考表現」と考えている節があります。だから、見た目の美しさや子どもっぽい楽しさを生み出そうとするよりは、社会を生きる中で感じる様々なことをカタチで表現しようとしていると思います

楽しい、美しいだけなら、それは既にエンターテインメント業界の人たちがこれでもかとやっているわけで、「自分を喜ばせるものを作ってくれ。金なら出す」という一般の人々の欲求はそれで満たされているはずです。

もし、アート理解しようと思うなら、「この作品を通じて制作者は一体何を表現しようとしているのだろうか」と鑑賞者側が考える必要があります

「考える」ことができずに、反射的に「これはアートじゃない!」と怒ってしまう人には、現代アートは向いていません。

もちろん、よく考えて、論理的反論批評ができるなら「これはアートじゃない!」と怒ってもいいのかもしれません。ですが、他者作品意見反論批評ができるほどの知性を身につけるには普通の人が思っている以上に時間経験必要なのです。

anond:20190812185015

うーん違うんだよなぁ

“一部の”現代アートはずっと前から権威的で、その権威的な表現を持ち上げてきた層が「こんなのアートじゃない」って主語デカ断言してるのが今

https://anond.hatelabo.jp/20190812185015

田舎者が大嫌い

田舎から出てきて東京西側や都下に住んでる奴ら

自分たちは選ばれた人間だ、お前ら一般人とは違う

そんなカッペ現代アートを持ち上げて

一般人を見下しているんだろう

今回の騒ぎも同じだよ

anond:20190813103205

現代アート関係者には批判とさえ認識されない。残念。」が連中の思い上がりを象徴している。

美大出身者の学閥やお友だちごっこ権威と名声にしか興味のない自意識過剰学芸員美術評論家公立美術館新聞社の金で動いている商業展覧会しかやらず、たまに反権力的な内容の展示をやれば検閲される。そうした業界におもねる美術メディア(ビテチョーとか)はそうした業界人を褒めたたえるばかりで、業界内での批評精神、自浄作用も失った。税金で雇われたキュレーター自分たちのことを「アートピーポー」と自称していたが、「アートピーポーであることに酔っている変わった人々と自分には見えた。

学生の頃、一生懸命アート歴史勉強していたが、大人になり、現実アート業界を知って、ただの茶番だと我に返った。特にここ数年のアートシーンの劣化具合はあまりにひどい。

元増田の「要するに《現代アート》というのはすでに既存権力になっていて、彼らはそれを無批判に持ち上げることにこそ価値見出しているわけだ。」に共感する。日本全体を見ても「権力を支持したい。体制側が正義。」という人間があまりに増えすぎている。それは美術業界でも同じだ。SNSアートやってますと言いながらネトウヨっぽいリツイートをしている人って昔はあんまり見かけなかった。アーティストなら反体制だろというわけではないけど、自分の頭で何も考えていないか体制派を無批判に受け入れるし、自分の考えと異なる意見を知ろうともしない人がアーティスト簡単になれる時代なのだなと思う。

(=自分大学勉強するか、大学勉強した人に手配してもらう必要がある)というのも「大学先生が言っていることは正しいこと」という思い込みが後ろに隠れているわけだが、大学で学んだ経験がある自分からすると、大人になってから「あの大学教員の言っていることは偏ってた、おかしかった」ということは多分にあった。何も知識のない時は師やメンターの言うことをそのまま学ぶ時期であるが、学びが終わったら、「それは本当にそうなのか?」と考えられるようにならなければならない。

「偉い人がすごいって言ってるから、この作品はすごい」って言っているうちはまだまだ子どもである。そうした子どもばかりになっているのが今の日本アート業界なんだと思う。海外のことは知らんけど。

anond:20190813074515

今どんだけ必死アート無罪を唱えたところで、自分が気に食わなければ「お前のそれはヘイトから別」みたいにテノヒラクルーするのわかりきってるからなー

自分可愛い相手だけなんだよ、コンテキストがどうの現代アートがどうのと主語のでかいことをほざくのは

だいたい君らハラスメント話題なんかになると、「受け手がどう感じたかが全て」みたいなこと軽はずみに言っちゃうじゃない

それでなんでアートが絡んだ時だけは発信側の都合が全て通って、見る側が必死忖度しなきゃいけないとか思っちゃうのか

今までずっとそういう特殊世界権威主義政治的正しさの名のもとに軒並みシバき倒してきたはずなのに、自分党派に都合のいいアートだけはなぜか特権を認めちゃいたいわけだ

アート自由戦士かってwww

anond:20190812185015

表現不自由展」以前は私もそんな感じのことを思っていたんだが、表現不自由にしたい権力者現代アートに対してちゃんと青筋立てて怒ってるわけだから現代アート批判力もまだまだバカにしたもんでもないな、と今回は思い直したよ。

2019-08-12

anond:20190812233851

アニメーターIT企業の3次受け正社員くらい

現代アートはその更に下、5次受けに派遣出向してる感じ

anond:20190812232503

才能があり経済的に稼げる能力のあるデザイナーはみんな大衆的なポップアートに行ってしまい、いわゆる大衆イメージする現代アートにはポップアートへ進めなかった(つまりまともに就職就労できなかった)人が集う分野になってるんだよ

アーティストも生きてるのでお金必要であり、優秀な人は現代社会需要の高いポップアートお金を稼ぐんだ

まりポップアートでの就職就労一般人感覚で言う大手企業就職と同等のものなわけ。超優秀な人はトヨタとか三菱地所へ行くイメージだ。優秀な人からどんどん有名企業へ行くのは何処の業界も同じ

現代アート一般人感覚でいうところの派遣とかアルバイトとかそういうレベル比喩じゃなくて本当に派遣とかアルバイトしながら現代アートを“やるしかない“連中も多い

その辺の美術界の認識を前提に考えないと駄目なんだよこの問題

自称現代アートに詳しい人たちの醜い優越感について

「これはアート! わからないお前は勉強が足りない!」とか言っている人たちがいる。

こういう人たちには現代アート批判するという視点が完全に欠如している。

要するに《現代アート》というのはすでに既存権力になっていて、彼らはそれを無批判に持ち上げることにこそ価値見出しているわけだ。

「俺たちはわかっている。俺たちはすごい」とね。

ここで崇められているのは《現代アート》というひとつ偶像であり、そこには《現代アート分かってる人(びと)》という信者の群れが存在するということになる。

これは極めて保守的カルト的なものに見える。

現代アートもかつては批評性を持ち得たのかもしれないが、現時点においては運動性を失いすでに腐っていて、残っているのは本質を失い形骸化したカルト的な何かだ。

大衆バカだが嗅覚はある。

当然《現代アート》も《現代アート分かってる人(びと)》も支持されない。

あとは滅びを待つばかり。

https://anond.hatelabo.jp/20190810170536

1)

いや、専門家批評・論評も、素人の「このアニメつまんね」の一言も、どちらも作品に対する評価だよね、というだけの話で。

もちろん議論していただくのは構いませんし、一方で別に議論しなければならないわけでもない、プリミティブな感想で済ますだってアリでしょう?と。



2)

teebeeteeさんは「手法」「技術」「様式」あるいは「文化」のような言葉妥当である様に仰いますが、「いつものやり方」といった意味を持たせたい場合、(「手法」ではなく)「風習」という語彙の選択は、それほど無茶苦茶な事でもないでしょう。また、例えば「慣習」であればteebeeteeさん的にOKだったのだろうか?という事も気になります辞書的には、あまり意味の差はないようですが。



それと、嫌韓の人たちが使っている言葉なので、「かの国」は問題のある言葉である…の様な考え方は、とても真っ当な思考だとは言えません。完全に順序が逆転しています

恐らく、貞本氏のツイートには『“かの国のプロパガンダ風習”っておかしいよね』の意味が含まれているとは思いますが、では例えば『A氏のスキップって変ちくりんだよね』と言った時、それはA氏という人物全てを否定した事になるのでしょうか?と。



敵愾心について。その内容、またはもたらす影響力の大きさによって、思想表現が「絶対悪」にされる事こそが「価値観自由競争市場)」に反する、正に「表現不自由」ですよね。『「表現」はどの様な「影響」を与えてもよい』というのは最早、前提レベルです。

teebeeteeさんがその様にお考えかどうかは分かりませんが、『「とある表現」は悪影響がある』みたいな考え方の時点で、思考が捻転してると気付くべきです。それを「悪」と設定するのも、「別のとある思想」以上のものではないのですから。せめて『私にとって都合が悪い影響がある』と言うべきでしょう。

もちろん、あくまでteebeeteeさんの中では「悪い事」だ、という限りにおいては、特に言う事はありませんが。同様に、人道なんてものも(ぶっちゃけ武士道だの騎士道だのみたいな存在ですし)、普遍的規範として掲げず、teebeeteeさん個人それとしているに留まるならば、やはり特にこちから言う事はありません。



3)

まず貞本氏の『現代アートに求められるのは、面白さ!美しさ!驚き!心地よさ!だ』という考え方があり、それに対してブコメで『貞本氏は現代アートへの理解が浅い』といった様な批判がある、というのを踏まえての話です。


まり(teebeeteeさんも貞本氏の「現代アートに求められる」の事をあまり一般的ではない、と仰っていたが)、『「もっとアートに親しんでほしい」的なイベント』としては、むしろ貞本氏の様な理解こそが本流であって、「不自由展」のようなものの方が異端ではないの?という話です(別に異端から即、展覧会から排除せよという話ではない…もちろん不人気ゆえに淘汰される事はあると思うが)。



4)

という事は、例えば「このアニメつまんね。もっとxxxな感じだったらよかったのに。」といったものは「独善」だ、という事ですか?だとしたら、それはやはり極々正当な「独善」ですよね。

先に述べた通り、貞本氏のツイートに「潰す(中止・撤回させる)」といった意味は見受けられません。また「運動」(抗議活動)によって中止・撤回させよう!…といったものでもありません(そもそも現時点でそれをする意味はないが)。


自分の興味や許容範囲芸術祭押し付けていいのは、正規専任された芸術監督だけ”というのもおかしいです。むしろ逆に、すべての人が正当な需要の発露として“押し付け”てよいはずです。


北海道物産展別に北海道じゃなくてもいいけど)のラインナップは、確かにバイヤーさんが「キュレーション」したものかもしれませんが、だからといって客や客予備軍が『あの店は良かったし、あの店はイマイチだった、もっとこんな感じの展になって欲しい』『この程度の品揃えでは行きたくならない、xxxとかあればいいのに』と、その需要を発露してはならないなんて事はないでしょう?まぁ、あれらの場合もっとダイレクトに売上が物語ってしまますけれども。

またそれが、店頭で、あるいはSNS等で「この店は相応しくない!閉店すべし!」といった抗議活動を行う事とも全く違う、という話も理解できますよね?



-------

後、納得したというより、やはり「風習」の解釈は考えすぎだと思うが、teebeeteeさんが「風習」という言葉にそのような意味見出したため、そう感じる事になったという事については、あくまでteebeeteeさんの内側の話であり、こちから文句を言う筋合いはない、teebeeteeさんの勝手である、という話ですね。

これは、最初ブコメから一貫してそうです。

一方で、これはteebeeteeさんに向かって言うわけではないのですが、感想が「事実化」する、という現象には気を付けたほうがよいでしょう。



例えば、『貞本義行差別主義者だ(と思う)』という自身の内側で熟成された感想しかなかったものが、https://b.hatena.ne.jp/entry/4672773449994362818では既にいくつかのコメントにおいて「事実化」しており、『差別主義者が言い訳している』という見方しか出来なくなっている様子が観測できます



また、

などは、もやは「ゲスパー」としか言い様がありません。




貞本義行氏の件のツイートのどこに悪意を感じるか

貞本さんのツイートBBC特集話題の「犬笛」表現に加え、女性蔑視ルッキズムやI have black friends論法も同時に使ってるので、差別主義者の典型表現がふんだんに詰まった文章になってるんですよね。2019/08/10 06:36

も紛うことなき「事実化」ですが、まずこの「犬笛」判定が「エスパー」と紙一重である事には注意された方がよいですし、また「犬笛」か「エスパーかに関わらず、記述されていないそれを責めるという事は、つまり内心への糾弾である…という事くらいは認識された方が賢明でしょう。

少女像を燃やして

イダハンの少女と同じだね。

みたいな現代アート日本で展示したらどうなるんだろう?

2019-08-10

貞本義行氏の件のツイートのどこに悪意を感じるか

というツイートに対して、

https://t.co/3wqZGCqLzd"

所詮個人の(特定集団の、というべきか)感想だし何を言おうが勝手だが、胸の悪くなるような悪意でグジュグジュの言語感覚が本当に気持ち悪いので、人の目に触れるところに文字を書いちゃ駄目な人だな、と思った。

という罵倒ブコメを書いたところ(陰険でよくない習慣だ)、

特に胸糞悪くなる様な文章では無いと思うのだけれど、どのあたりがそうなのだろう。もちろん、胸糞悪いというのも、個人感想なら勝手だし、ブコメを書いちゃ駄目な人だとも思わなのだが。

という質問を頂いた(冷静でよい質問だ)。

私の書いたことを反復してやり返されてるあたりに煽りを感じなくもないけど、

上記ツイートを読んで胸が悪くならない人にとっては正当な疑問だと思うので、

説明を試みる。

 

1) 「キッタネ少女像

「キッタネー」なんて言うのは、論評の範囲を外れた軽蔑吐露しかないと思うが、

ここは文頭でもあるし、多少どぎつい表現で書き出して読み手を引っ掛けるのは、

穏当ではないにせよ、表現手法の一つと言っていいと思う。

ぎょっとするけど、まぁ何を言うのか読んでみるか、と思わされるところはある。

ただし問題は、後段で「キッタネー」と思う理由言語化を試みていないところにある。

あえて斟酌するなら、技術の不足や表現杜撰さによって不快を感じた、ということで、

イラストレーターの鋭敏な美的感覚からすればそういうこともあるだろうと思う。

別にイラストレーターじゃなくても言って良いんだけど)

「そんな重いもの表現するのに、そんな適当仕事でいいのか?」という方向で、

表現意図を(賛同しないにせよ)酌んだ上で、その実現における難点を、

実物に即したかたちで(つまり実際に観察した上で)言語化しているのであれば、

「キッタネー」と文頭で言うことぐらいは許されると思う。

でもそれをしないで「キッタネー」とだけ言ってるので、やはり論評とは言えない。

単に政治的文脈に対する不快感を、仮構した芸術的不備に転嫁しているように読める。

ただしこれだけなら「感想」の範囲ではあって、明確な悪意までは感じない。

単にぶっきらぼうで露悪的な言動を好む人なんだな、と思うだけ。

 

2)「かの国のプロパガンダ風習 まるパク!」

天皇写真を燃やし〜」という作品についての論評として書かれているのだが、

ここで「風習」という語を選択するところには、明確な悪意が込められている。

この文脈作品表現引用元を指摘する)で「プロパガンダ」と連結しうる語は、一般的には

手法」、次点で「技術」「様式」、あるいはちょっと意味を拡大して「文化」といったところである

しかしそれらの語を選ばず、あえて非標準的な「風習」という連結語を選ぶことの含意を分析すると、

プロパガンダ」に「風習」という語が含む土俗的、前近代的イメージを付着させ、

かつそれを、発言者揶揄対象としている(おそらく)東アジアの一民族が古来から持つ習俗

と考えていることが見て取れる。

言い換えるなら、特定民族に対して「未開人」「土人」などと呼称するのと同型の差別的認識を、

しっかり内面化し、かつ機会があれば表現するのをためらわないからこそ、

風習」という語が(「手法」や「文化」を押しのけて)ここで選択されているわけである

作品についての論評の一部(引用元の指摘は端的な論評と言える)ということで、

ギリギリ許容されうるのかもしれないが、婉曲的なヘイトスピーチである

婉曲的、は外してもいいかもしれない。

 

3)「低俗ウンザリしかない」

現代アートに求められる」もの(あまり一般的ではないようだけど)を列挙して、

それらが皆無である、という論評のあとに書かれた慨嘆である

これは個人感想であって、自由発言されるべきものだとは思う。

ウンザリしかない」で済むはずのところを、

より辛辣にすべく「低俗な」と付け足すところに、悪意の奔出が感じられるのだが、

低俗ウンザリしかない」と乱暴につなげてしまたことで、

発言者ウンザリすること」自体を「低俗下品で程度が低い)」だと言っている、

とも解釈しうるので、「(作品が)低俗なことにウンザリ」と補うべきだったと思う。

悪意が先走りすぎて言語が崩れている箇所、と言える。

揚げ足を取るみたいだけど、見てて気持ちのいいものではない。

「胸の悪くなる」とまで言ったのは、こういうところである

 

4)「育つのを期待していたんだがなぁ……」

言うまでもなく、展覧会の将来を勝手に先取りして否定して悲観してみせるのは、

現在行われている展覧会あるいは個別表現の評としては、意味のあるものではない。

気に入らないからって勝手に潰すな、ということ。

発言者としても「これは良くないな」と思ったからこそ、自己リプライ要望を書いて、

自分の望むようなものであれば応援したいのに、というポーズを見せているのだと思われる。

それはそれで独善的無礼な話だが。

あと、ドクメンタ瀬戸内芸術祭だって発言者不快に思うような

プロパガンダ解釈しうる展示がまったくないとは思えないけど(なにしろ大きいから)、

それはまた別の問題である。耳に入らなければOKなのかもしれないし。

ただし、勝手によその芸術祭権威を借りてきて論難の武器に使うようなのは

まり責任感のある言動とは言えない。虎の威を借るなんとやらに見える。

名前を出すなら、せめて一つくらいはモデルケースを挙げて論じて欲しいところである

(例えば前回のドクメンタ出展された、佐川一政を扱った

ドキュメンタリー作品……の話は余談に過ぎるのでやめよう)

 

ついでなので、上記ツイート自己リプライで書き足されている部分についても、

悪意を感じる箇所を指摘しておく(埋め込みは省略)。

 

5)「いかれた協賛メディア

別に協賛メディアが展示の内容を指示しているわけではないし、

いかれた」というのは不穏当な表現である

どのメディアを指していってるのか知らないけど。

 

6)「プロパガンダアートに仕込む行為も全く否定しないけど正直

アートとしての魅力は俺には全く響かなかった」

アートとして失敗してると思うなら、プロパガンダとしても効力は薄いと予測できるわけで、

ひっそり敵失を喜んでいればいいんじゃないでしょうか。

そういうわけにもいかないのかな。

 

以上のようなわけで、拙ブコメ

「悪意でグジュグジュの言語感覚が本当に気持ち悪い」

「人の目に触れるところに文字を書いちゃ駄目な人」

というのは不当で過剰な個人攻撃だったかも、という視点から検討してみたんだけど、

主に2)の理由によって、撤回するほどでもないな、という結論になりました。

もちろん露悪的な言い方であることは進んで認める。

今後ものを書くときには、ヘイト部分を矯めるよう気をつけたほうがいいと、

老婆心ながら心配申し上げるものである

ツイートは見ないけど作品は楽しみにしています

2019-08-07

何故あいちトリエンナーレはここまで社会の関心を持つようになったのか?

報道や各種メディア個人が様々な媒体で伝えているこの事柄に対して、私個人のごく私的見解など、どうしようもない話の一部になるのだろうけれど、つらつら書いてみようと思う。

検閲

今回発生した問題検閲問題ではない。現在紙面やネットで騒いでいる検閲という問題は、当事者の手を離れた部外者による場外乱闘であった。扇情的な展示に対して、権力を扱う不用意な政治家が、自制せず権利侵害する発言を行ったことは大問題であるが、ここまでくるともはや展示云々ではなく、国家自治体による権利侵害(の実行又は脅迫)という、大事問題だが、別方向の問題として切り離して考えるべきで、後述する問題を覆い隠してしまうことになる。展示を取りやめたのは、大量の抗議や脅迫犯罪予告により、芸術祭にかかわる方々の安全を確保できなくなったという状況に陥り、該当展示の実行委員会(実行キュレーター)の同意なしで中止に至ったという顛末理解している。

税金使用したイベントについて

芸術市場が大きい欧米諸国に対し、日本国は元々芸術品の売買に対して諸国のような減税優遇措置をとっておらず、バブル期を除き、民間ギャラリーを経由した売買や、流通操作伝統工芸品を大型百貨店の展示場で、国内のみ通用する相場販売する程度であったが、バブル期90年代の大型公共投資連続からハード面での地域振興策資金コンプライアンスの両面で実行が不可能になった自治体における「少額で、短期間で既存インフラ活用でき負担が少なく、運が良ければ国際的知名度を上げることができる。」ツールとして、この10雨後の筍のように芸術祭が乱立する事態となった。そこでは、ノウハウのない自治体が、自称地域文化担い手である新聞社に丸投げ、そこからコネ採用された力のないキュレーターは、自身の貧弱なコネクションで囲い込んだ微妙作家しか呼べず、投下した税金の割に貧相な芸術祭になった場合自治体が運悪く山師に金を預けてしまい、多額の不適切支出泣き寝入りになった場合。など皆さんが思っている以上に税金使用したイベントにはトラブルが多い。税金が投入されるイベントは前提条件として・補助金申請等の手続煩雑・大小の自主規制や、地域ルールに縛られる・税金が原資なので、疲弊した財務状況の自治体では開催不能批判を招く場合がある。税金芸術より生活政策資金が回されるのは当然である所詮流行りの水物なのだが、皆さんが思っているより所謂コスパの良い地域振興策なのでなくならないだろう。

表現の自由

今回の問題では、アートと異なる展示がなされているという意見が多く出ているが、大きく表現の自由と括られる中でも、その自由の元に「どの媒体で」「どのような手段で」「どの程度の深度で」、成果物として表現しているかは人それぞれ、所属する社会により異なるという点。またアート政治と不可分であるが、極端な扇情アジ)を行わなくとも、その行為そもそも自由行使しなければ表現できない、自由平和な状況でなければ創作活動はできず、人の創造性を発揮できない点が大前提であり、自由の中で個々人が世界との関わりの中で何らかの美醜混じった真理を見つけ、それを昇華したのがアートとすると、今も表に出ない問題の一つ、表現の自由行使する媒体手段の衝突という背景が見えてくる。

新聞社や論壇を中心とするジャーナリズムは、文字を用い、抽象化している諸概念文章化し、権利自由を、守り、啓蒙し、扇情したりするわけだが、小説などと異なり「直感的に察する/察させる」機能は弱く、相手文字化、文脈という論理化してしまった問題に対し、「同意するか」「同意しないか」の二者択一を求めてしまう。そして問題となった展示は、実行委員会の多くが学者又はジャーナリズム出身という状況で、同じ表現の自由でも、性質が異なる表現を行ったことが原因にあり、一般市民が考える「アート」とイコールにならなかった。「これはアートではない」という声である表現はしているが、アートではないと。

ステートメント芸術、或いはキャプション芸術と呼ばれるもの

アーティストと名乗る作家にも問題がある、この「ステートメント芸術」と揶揄される表現は、業界に詳しくなれば詳しくなるほど根深く、呪いともいえる。

アートという行為物質/空間/映像/音楽意図が伝わるよう、意識特定ベクトルへ向けるよう誘導し、表現しなければならない所なのだが、その実力がない作家の中に、延々とそれらしい説明文を付けて意味づけする行為や、文脈という補助要素を主要素に持って来て、実態だけを見ても理解不能となる。そのような作家は大体退場していくのだが、言葉が主戦場ジャーナリズム界隈と親和性が高いので、変な形で融合してしまうことがある。

文脈を追うのが現代アートだ」という解釈誕生である。一面では事実だが、全てではない。

ビジネス世界でこの行為を言い換えた表現としては「ストーリー」という言葉がある、そしてこれを最大限活用した米国企業セラノスの末路は多くの人を巻き込み凄惨ものであった。

・何が問題だったのか

監督芸術キュレーター経験がなく、自身の分野であるジャーナリズム文脈解釈した表現を、芸術祭ねじ込んだ為、酷く食傷を起こしてしまった。

食傷を起こしてしまった後の対応が、構造理解している人の不足で収まっていない。

食傷を起こした理由は長々と書いた。経緯として自分たち表現の自由最前線で、他の作家は何も考えていない。ように捉えられてしまキュレーション自由世界におけるジャーナリズム優越性)をしてしまったのが原因にあると考える。結果、津田氏がFM番組発言したように「自分一人ならナイフで刺されてもいい覚悟だが、関係のない人を闘争に巻き込んでしまった」という発言につながっている。

表現自由であるから闘争を持ち込むなとは言えないが、徹底的なゾーニングと仕掛(言語化できている主張表現に容易にアクセスできる導線を作る)ことが必要であった。言語化できている(と思われる)主張表現に対して、実態が追い付いていなかったのではないだろうか。

不特定多数威圧行為は、少数で行う創作活動にとって凶悪暴力であり、過去も多々あり、これからもなくならない。すべての事柄に寛容な社会など来ないし、永遠に付き合わなければならない。

②をわざわざ書いたのが、今回の騒動で最も被害を受けている、他の参加作家に対して謝罪対策を行っているのかよくわからない状況だからである

・誰が最も被害を受けたのか

昨日声明文を出さざる得ない状況に追い込まれた、他の参加作家である。それぞれの表現を深化させて今日を迎えているが、キュレーターバランスを取らず、独自プレイヤーとして創作活動我田引水した結果。必要のない状況で、自身作品を見てもらうという重要事柄を達成されないまま原理原則論確認や主張を行わされたのは、イベント主催者として責任が重大である表現の自由大事だと言うに決まっている。また、作品撤収せざる得ない状況に追い込まれ海外から参加者に対して、展示機会を奪った結果になった事も忘れてならない。マスコミが何をキーヴィジュアルとして記事にするか理解して、扇情的人形を配置しているのは明白で、記事を見た輩が抵抗/抗議を通り越して、挑発解釈してしまった訳である撤収した2人は、必要のない場面で・積極的日本側の行為に抗議を行う・無視した場合自国内で起きている扇情的民族主義の標的になることを避ける。2者択一判断に迫られた。

昨日声明に協賛したのは参加作家全員でないだろう、検閲を受けたわけでもない、こういうキュレーターミスによる騒動に対してのスタンス作家ごとに異なるのは当然である

・なぜここまで注目が集まったのか

芸術本質的生活必需品とは言えない。生活環境が改善し、可処分所得余暇がある状況下で初めて人は関心を持つようになる。今の日本問題は起きているが、ネットで百家争鳴する位この国は文化的に成熟しており、得体の知らない世界に関わりを持ちたい気持になったのは素晴らしいと思う。物事の全ては飛び込んでこそ妙が分かる。威圧脅迫はださく醜悪である。そしてアートはこんな長文も飛び越えて一瞬であなた感性に突き刺さる力を持っている。

2019-08-06

anond:20190806181823

まあアート一枚岩じゃないからね

現代アートとかは裏をかくことばっかやって嫌い

別の遊びだろあれ、しか尊大

喩えるならブクマカみたいな感じ

昭和天皇写真を燃やしたら何が悪いのか?

あいちトリエンナーレの件。いろいろ論点はあるがとりあえずこれについての違和感を書く。

(1)天皇写真を燃やすのはコーランを燃やすのと同じ?

フィフィなどが言っているこの意見。多くの共感を集めているが、コーランとの類比には無理がある。

以下、二つの反論を示す。

(1−1)天皇は神か?

この発言戦前国家神道彷彿とさせるカルト的な考えの表出に見える。

天皇現人神とする国家神道を前提しなければ、こんなことは言えないはずではないか

天皇制は、少なくとも表向きは、宗教ではないということになっている。

それなのになぜ、昭和天皇写真コーランになぞらえられるのか?

それは天皇を人ではなく神のようなものだと考えているからではないか

(1−2)宗教は聖域か?

そもそも現代アートにおいて、宗教は決して聖域ではない。

Piss Christの例もある。

https://freespeechdebate.com/ja/case/小便キリスト/

もちろんこの作品自体が大きな批判を集めてはいるのだが、

少なくとも宗教権威を例に出しても議論は終わらせられないということは言える。

現代アートについてろくに調べもしていない、感情的な反応の域を出ないだろう。

しかも、(1−1)で確認したとおり、天皇宗教権威ですらないのだ。

(2)天皇家族が悲しむ?

もう一つ、全く別の観点から批判もあった。

天皇も一人の人である。その写真を燃やすことは関係者を悲しませる。

から天皇写真を燃やすのはよくない。

これは(1)とは真逆だ。(1)は、天皇宗教権威として扱っていた。

これに対してここでは天皇は人として扱われている。

この意見を真に受けるなら、すべての人の写真を燃やす表現NGだということになりそうだ。

本当にみんなそう言えるか? たとえば元彼写真を燃やすようなドラマ表現NGか?

しかもそれはすべての死者にまで拡張して適用されるべき基準なのか?

まして、天皇は人ではあるが、ただの人ではない。

建前上は政治的宗教的な力を持たない象徴ということになっているが、

実際にはどう考えても権力を持っている。

(今回こんなに大きな問題になっていることがそれを証明している。)

非常に特殊立場の人であり、しかもその特殊さは権威に結びついているのだ。

通常の人と全く同じ基準適用することは難しいだろう。

天皇制の廃止は主張しないが、通常の人と同じロジック適用できるかは怪しい。

また、なぜあなた勝手家族の代わりに傷ついているのかもわからない。

上皇天皇が悲しみを口にするなら、ある意味では理解できる。

(ただし、その場合はその権威の大きさがゆえに別の問題が生じるだろう。)

しかあなたはそれとは関係ないただの他人である

勝手自分の考えが日本国民代表していると考え、

それに合わない人を抑圧・排斥しようとする人が多数派になりつつある現状には、

相互監視社会の幻影が見え、薄ら寒い思いがする。

それを排斥することは多数派福祉あなた福祉ではあっても、公共の福祉ではない。

こういうときに「国益」という言葉が使われるのも恐ろしい。何が国益かなぜあなたに分かるのか。

非国民」が投獄されるような社会まであと一歩、いや、半歩の距離しかないだろう。

日本で人々が安心して暮らせなくなる日はそう遠くないのではないだろうか。

私が感じているのは憤りではなく、悲しみであり、恐怖である。どうしてこんな世界になってしまったのか。

2019-08-05

anond:20190805002419

横だけど、あいちのやつはジャンルが「現代アート」なんで、それともちょっと違うと思う。

ピカソキュビズムにびっくりして単に上手いだけの絵が評価されなくなって、更にデュシャンみたいな変人がでてきたせいで、びっくりさせたもん勝ちみたいになっている。

アニメが「アート」じゃないとしたら、キモいからとかじゃなくて、単に上手いからだよ。

 

そういう意味で、もう一人の増田も言う通り、西洋人も「アート」なんて理解してないも思うよ。

一般人にははなからわからんし、わからせようともしてない奴らは。

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