はてなキーワード: 献立とは
自炊だとカロリーのわからないあなたに、『糖尿病食事療法のための食品交換表』という本がオススメ。
この食品はこの量でだいたい何キロカロリーなのかがわかる本。例えばご飯は150gで240キロカロリーだ、とか。
この本によると炭水化物のカロリーはだいたい1日に摂るカロリーのうち60%〜50%であることが理想らしい。そして、その他の食品もどのくらいの割合で摂ったらいいのかもだいたい書いてある。
それに合わせて献立を考えれば自炊でも簡単にカロリー制限ができる。
まぁ、80キロカロリーを1単位として数える、というちょっと独特な感じの表現なんだけど、慣れてきたら、ああ、ご飯1食あたりに肉魚類は1単位=ささみ80g or あじ60gなどを摂るのが適切なのか、とか分かってくる。
私は妊娠糖尿病になってこの本のお世話になることになったので、赤子の体重がある分そんなに痩せたという実感はないけど、同じご飯を食べてる夫がどんどん痩せてきている。
大丈夫かしら?
って思った矢先、
マーフィーの法則いわく、
しかも最悪なことに
この日は真っ白なスニーカーを履いてるの。
おかげで、
左足はカレーまみれ。
私はスマートに
右のもう一方の片足の方もカレー色に染めてもらえるかしら?
それはカレー皿にたっぷりと盛られたカレーほどではなかったけど
私なりのユーモア。
そんでもって
店内にかかっている曲は
俺にカレーを食わせろ!ってやかましいわ~!
今日の献立がカレーだからっていっても掛かったりしないわその曲!
床まで拭いちゃって。
一通り拭くと、
店を出ることにしたの。
まったくなんて日だ!って感じよね。
でも、
これ全部夢だったのよ!
それでね音や色はリアルなんだけど、
夢には匂いがないのかしら?
うふふ。
出先で軽く何かを食べるので
今朝はちょっと寒かったわね
あたたまるわ。
すいすいすいようび~
今日も頑張りましょう!
確かに、締切破りを治せない人は、子供の頃から時間にルーズというか、計画的に物事を進められない傾向にある。夏休みの宿題という物に関しても、おそらく学校では計画表を作ってみるもののその計画表を実行することはない。だから夏休みの最終日になって、ヒーヒー涙目で、親に怒られ手伝わせ、それでも終わらないから言い訳を考えるしかない……といった悪循環に陥ってしまう。
「まー俺、ガキの頃からクズだからwww」と笑いのネタにできるならまだいいけど、本人も責任感が強いのになぜか期日ギリギリでケツに火がつかないと重い腰をあげられなくて死ぬほど悩んでる人って、そこそこ多いと思うし悩みとしても自分クズですからと笑い飛ばせない位深刻だと思う。
思い出してほしい、子供の時のことを。
夏休みの宿題という、途方もない量のものを与えられて、嫌だー!こんなに沢山あったら終わらないよー!遊べないよー!と絶望しなかっただろうか。ここまではほとんどの人が感じることだからクズでもなんでもない。(勉強が大好きで仕方ない人ならそもそも大量の宿題が苦じゃないけど、そんな人間稀中の稀だから自分がそいじゃないのにそういう人間になる努力は無駄)
ここで選択できる道は2つ。
①見なかったフリして遊ぶ。
そして、②を選べない人、つまり①になった上に本当に夏休み最終日近くまで遊んで過ごせる人には、ひとつ決まった特徴があると思う。
それは、親が怒るだけでなにもしてこないこと。だと思う。
「宿題やんなさい!!やんなかったらご飯抜きね!」とか、「あんたいつ勉強やってんの!もっとしっかりしなさい!」とか「遊んでばっかりいると馬鹿になるよ!」
なんて怒るのだけは立派なんだ。でも、だからって一時間だけでもと机に縛り付けてその時間中後ろから監視して、「ほら、もっとキリキリ手を動かしなさい!」なんてスパルタ教育を受けた覚えはあるだろうか。たぶん、ないと思う。
本来、計画性というものは元来の性格にもよるけど自発的に生まれるものではない。いつまでになにをどのくらいしたらできる、というのは「習慣」だからだ。
その「習慣」を身につけるためにはなにをすべきか教えてくれる人はいただろうか。そして、どうやったら計画を立てられるのかといったところから教えてくれた人はいただろうか。
実は、この部分に教育が必要だと感じてない親ってのが一定数いる。自分の子供に計画性がないのは子供の性格がルーズだからであって、自分のせいではない。自分はきっちりしてるのに子供はだらしないから怒ってしつけてるけどさっぱり言うこときかないし、もういいわ!って感じの親。
確かに親がきっちりしてるのはいい。でも、それは多分親の親がしっかりと計画する、そしてそれをコツコツ重ねることを教えたからであり、自分の親に感謝すべきことではあれど、自分の子供のルーズさを叱る理由にはならない。
ウチの子なーんにもしないのよ!じゃねーんだよ。あんたがなーんにも教えてないんじゃん!って私は思う。そして、それを放置された結果、計画性を身につける機会のないまま子供は大人になり、将来苦労するのだ。
さて、子供の頃から締切破り癖のある人は、そんな親に心当たりはないかな…?だったとしたら、教育が悪かった。そうじゃなかったとしても、どちらにせよ計画性を習慣として身につける機会がなかったわけなので、環境が悪かった。自分がクズだからではないということだけ理解してほしい。
でも、そこで思考を停止させたらクズはクズのままだ。具体的に対策はある。しかもとびっきり簡単な。
それは、前の宿題の例のなかの②…日割りで目標を立てて実行する、これだけだ。
たぶん、これができない人は、おおよそ3つのチェックポイントで躓いている。
③計画通りにいかないときにどう立て直したらいいかわからないから計画立て損
計画を立てられないのは、全体像を把握できてないからだ。つまり、宿題なら何がどのくらい出ていて、ページ数はこのくらい、自分が一時間で出来るのはこのくらい……と、小分類くらいまでは把握する必要がある。
つまり、計画を立てるための時間も実は仕事や宿題のうちなのだ。
適当に感覚でぶっつけ本番で日割りして終わらせられる天才型には確かに無駄な時間なんだけど、そうじゃないから締切を破るんだと自覚したほうがいい。
計画を練ることには練習が必要だし、慣れないうちは難しい。親や身近な人に頼れるんだったら一緒にやったほうがいい。(これは、協力者の意識を協力させる方向に持ってくためにも非常に重要)計画を立てるのを面倒がる、阻止してくるなど厄介な人間しか周りにいないなら恥を忍んででも「それ」を依頼してきた人間に直接相談するのがいい。(宿題だったら先生ね)「終わらせたいと思い計画を立てたのですが無理のないスケジュールでしょうか?」と聞けば誰も嫌な顔をしないはずだ。普通。もし嫌な顔されたり相談乗ってもらえないならそのことは締切破ったときに文句言っても大丈夫。だって計画の立て方わかんないんだもん。やれないよね。
なお、計画するのが面倒だという考えも、計画も宿題のうちだと考えることで解決する。むしろ、計画さえ立ててしまえばあとはその通りやればいいだけなんだから計画が一番の宿題って言ってもいいほど。そこを面倒くさがるからお前は夏休み最終日に苦しむんだ。そこんとこ理解して。
わざわざきっちり計画を立てるのは、「夏休み序盤までにはあそこまで終わってればまぁ大丈夫っしょ」なんてふわっとした計画を頭の中でたてるだけだと実現しないからだ。じゃあそのふわっとした計画はいつどのように実行するんだよ?今?今は忙しい?じゃあいつやるの?やんないでしょ?じゃあ終わらないんですね。つまり何をいつまでにやる、そして何日までにこれが終わるといった明確な筋立てはやはり必要なんですよ。
計画を立てたことのない人はなんでもいいから練習してほしい。自炊の献立表一週間分とかでもいいから。案外時間はかかるし手間もかかるしめんどくさい。でも計画さえ立ってればあとはそれやるだけだから。実行するときにやるべきことを考えなくて済むのは、やるべきことを考えてくれた自分のおかげ。自分にも自信がつく。いいことずくめなんです。
たぶん、続かないのにも2パターンある。
②不測の自体でできない
①の場合、勉強を1日4時間やって一週間で夏休みの宿題を終わらせるなんてアホみたいな計画を立ててるときだ。それでやりきれるなら確かにあとの三週間遊び放題なんだけど、だいたいの人はそもそも1日に4時間も勉強に時間割けないからやめとけって思う。四週間でやりきるなら1日一時間でいい。そのほうがずっと実現可能な目標だ。どうせ締切日は新学期初日だし、早期クリア特典があるわけではないし、そもそも1日一時間なら三週間遊び放題と大差ない。遊びの時間を減らしたくなければ一時間早く起きることで本当に簡単に解決する。毎日俺と同じ時間遊んでるアイツが試験に合格したのなんで!?って驚かれるような人がやってる方法だよね。そういう人は寝てる時間も君と一緒。その一時間を生活に組み込んでるかどうかの違いだけであって、その人だけ1日が30時間もあるわけではない。
なお、続けて習慣化するとなんでもスピードアップしてくるから、最初のころは一時間かかった内容が10分で終わるようになったりということもざらにある。そうなると時間対比でも効率の上でも出来高が6倍になるから、だまされたと思ってやってみてほしい。一時間をクオリティを上げることに使うこともできるし、50分を寝る時間に回すこともできるってこと。徳しかしてない。
②に関しては生きてる以上仕方ない。ライン生産のロボットじゃないんだから必ずどこかで目標までやりきれない日がでてくる。でも毎日不測の事態が起こってるなら、その不測の事態を「起こること」と設定した上で計画を立て直しする必要があるし、不測の事態で1分たりとも自由時間がとれないのなら、提出先に相談する(自分の環境と状況ではできないとはっきり言う)必要もある。1日2日の不測の事態なら、無理のない計画さえ立てていれば他の日ちょっと頑張れば十分挽回可能なのだ。
実行していて時間が足りない、計画が楽観的すぎたと感じることは多々ある。夏休みの宿題だって、人によっては2ヶ月かけないと終わらないものかもしれない。
もちろん早く終わらせる努力は必要だけど、自分の全力を振り絞って、無理のない計画を実行してても終わらないときは終わらない。それは決して自分の能力が低いんじゃなくて、単純に自分のキャパを越えてるのだ。そこは個人差。
宿題なら……たぶん量の問題ではなく、その部分の勉強が理解できてないとかだと思う。それはいくら自分で頑張ったって仕方ない。わからないところを飛ばして、先生やわかる人にアドバイスを求める必要がある。わからないのは恥ではない。理解できないを放棄することのほうが恥。そのために先生は存在しているのだ。
このことに注意してやることで、後天的に計画力を鍛えることは十分に可能。
自分も、親に面倒がられてそのあたりを育てられなかったくちなので、普通の人と比べて苦労した。でも、親の教育を恨んだって仕方ない。自分の人生は自分で作るもの。だからこそ、人に直接害を及ぼしかねない癖は、自分で摘み取るべきなのだ。
もう10年以上前になるだろうか。当時の職場に25前後の女性が入ってきた。
なぜか俺が教育係に抜擢されてしまい、上司(女)と新人と3人で、顔合わせを兼ねて昼ごはんを食べに行くことになった。
上司と新人は、午前中の面談(雑談と就業規則説明)で既に仲良くなっていた。いや、後から考えると、なんか上司がすごく優しかった。まるで母親のような優しさ。
料理が届いた。
新人「あの増田さん、よかったら私のご飯も食べていただけませんか?」
俺 「いいの?おかわりしようと思ってたから、食べられるよ」
ここで上司が目をうるませながら語りだした。
なんでも彼女は、幼いころに両親が離婚し、伯父(叔父かも?)夫婦の養子になったらしい。
しかし血の繋がっていない義母から愛されることはなく、食事は他の家族とは別のものを出されたのだそうだ。
みんながご飯を食べている時に、パンやうどんを食べさせられたのだと。
それがトラウマで、一人暮らしを始めた今でも、ご飯を食べると気分が悪くなるから、食べられないと。
ん?
待て待て。その話を真に受けたのか??
それは、米アレルギーだぞ。
× 愛されていなくてお米を食べさせてもらえなかった。
○ 愛されていたからお米以外を食べさせてもらえた。
だぞ。
毎食毎食、わざわざ米とは別にパンや麺類を用意するのが、どれだけ大変か。
献立によっては、パンに合うようにアレンジもしてくれただろう。
(お前の言葉を借りるなら)血のつながっていない、義理の姪のためにですよ。
すごく優しいお母さんじゃあないですか。
ということを、やんわりと言いました。
場がしらけました。
全く参考にならないだろうけど、私自身食べる事も人に振舞う事も好きだから自炊は全く苦ではないです。
食べる事に楽しみを見出す、というのは難しいと思うけど、それもまた近道かもしれないな、とは思います。
あとは作り置きとは考えず、ざっくりと一週間若しくは短期間(3日とか)献立を決めておくとかはどうでしょうか。
余裕があるようであれば食材を腐らせないようにその日のご飯の材料はその日に買いにいくとか。
余ったらその食材を元に次の日に作るものを決めればいいですし。
献立を作成する場合はある程度最初から作る物を決めていれば、その都度その都度の「何作ろう、食材はあれがあるけどこれがないから作れない…」という迷いが消えるんじゃないだろうかと思います。
献立を作るのもなかなか難しいけど、今は色々サイトとかで提案してくれてる方やアプリがあるので参考にしつつ組み立てるのも楽しいのかな、とは思います。
ただ今取り敢えず増田は生きている状態を保ててるんだから、無理はしなくても大丈夫だとは思いますが…
あとはとにかく家事は面倒くさいと思う事もあるけど、結果それを放っておくと更に面倒くさい事になるっていうのが大きいですね。
ってなんだよ
足りないもの・不要なもの、取った方が良いものって人それぞれだと思うし、みんなに万能な献立なんて存在しないはずだ
となれば自炊でなんとかするしかなくなるわけだが、どう考えてもできる気がしない
絶対偏る自信がある
生活が1人であればあるほど確実に。
夫にすぐ怒られる。
よく怒られるのは、ものを落としたりこぼすこと。その他はADHDっぽい所作(診断は受けてない)や、夫に構わず自分の世界にこもること、献立の組み立てかた、など。
私の理想は「夫はなぜ悪いか理由を説明し、行動を指摘してもらい、私自身で改善すること」なので、その度に説明をうけて所作を直している。
しかし、私は忘れっぽい上に、行動を直すには何度も回数をこなさなくては治らない性格である。
それゆえ、同じことで何度も怒られる(「あの時、直すって言ったのに直ってない!」等)。
たまに人格否定も入る(これはモラハラだと思ったので指摘済み/直ってないけど)。
最近は、直らない自分に嫌気がさして、そして怒られてばかりで考えるのも嫌になってしまって、上記のような怒りを買うと黙って泣いてしまうようになった。外出先で人が多いところであっても思わず泣いてしまう。この間は電車の中だった。
夫は私が泣くことに対しても腹を立てている。泣くとまともに意見の交換ができないからだそうだ。そして、努力不足の逃げであるとも。
そのほか、いろいろなことで怒られるのだけど、思い出したくなくて、怒られた内容をすぐに忘れてしまう。
「どうして〜なんだ!」とは言うが、人格否定は毎回ではないのでモラハラの証明にもならないし、何より覚えている会話の内容が少なすぎて、相談もできない。
夫がどうしてこんなに私を許せないのかがわからないし、怖い。怒らずに指摘してくれと言っても私が悪いそうなので、余計に怒られる。直す努力はすると言ってくれている。
私が力を入れた活動は自炊です。私は、大学院生として自活した生活を始めてから3年半もの間、自炊を継続しています。私は、自炊を通じて、与えられた課題に対して、さまざまな制約があるなかで、相違工夫を凝らすことで課題解決をすることを学びました。
大学院の修士課程に入学した私は、博士課程へ進学する意思のある学生を、修士・博士課程の5年間、一貫して支援するためのプログラムに応募し、採用されました。修士課程に入った後は、自立した生活を送りたいと考えていた私は、月20万円の奨励金を利用し、親元を離れ一人暮らしを開始しました。一人暮らしの開始当初から、自炊を行い、美味しく栄養バランスのとれた食事を摂ることで健康を維持し、また食費を節約して、学費などを全て自分で賄うことを目指していました。
自炊を継続するにあたり、アパートのガスコンロが一口であるというリソースの制限、食費の予算は月に1万5千円という金銭的制限、生活の大部分を研究に割かなければならないという時間的制限、という3つの制限が存在しています。食材の調達、予算・出費の管理、献立の決定や実際の調理などは、当然全て自分自身で行います。したがって、美味しく、栄養バランスのとれた食事に満ちた生活を自活しながら送るために、私にできることは、リソース・金銭・時間、3つの制約を創意工夫で乗り越えることでした。
まず私が着目したのは、時間的制限でした。この制限は、毎日料理をするのではなく、週末に作り置きをして、平日の間は研究室の電子レンジや冷蔵庫を活用することで改善されることがわかりました。また作り置きは、大量の料理を一度に作ることになるため、調理の順序を工夫することで、一口しかないのガスコンロの性能を無駄なく発揮することができます。週末作り置きによってリソースの制限も改善することができました。最後の制限である金銭的制限は、調味料の買い置き、週末のまとめ買いや、季節による野菜価格の変動を学ぶことで改善されました。
一方で、あまりにも様々な制限を意識するあまり、食材費の過度な削減や、料理時間のいきすぎた短縮をしてしまうこともありました。それによって、完成された料理の味が満足のいく水準を達成できず、本来の目的の1つである健康維持に支障をきたしてしまいました。食生活の乱れによって健康を損なったときに、自分が満足できる料理の味の水準や、バランスのとれた栄養を摂るために必要な食材を見直し、いき過ぎた制限を抑制することができました。私は、継続した自炊を通じて、制約がある中でも、与えられた課題に対し、求められてる水準を明確にした上で、創意工夫をこらして課題を達成することを学びました。
おわかりいただけるだろうか。
毎日スーパーに買い物行くと「何もねーな・・・」と思ってしまう。目の前に品物がたくさんあるのに、だ。
自分の感覚がおかしいのか?とよく考えてみたが、1日1回買い物に行くと仮定した場合、たった3年で1,000回を超える。
飽きるのだ、飽き飽きするのだお店の品ぞろえに。店を変えろ?遠いんだよ、別の店。
だから夕飯の献立を組み立てたいが、同じレパートリーになってしまうのだ。
「夕飯何が良い?」→「なんでもいいよ」と答えられたら本当に何でもいいんだな、ってことで肉野菜炒めにする。
あの頃は何をするにも全力でただ目の前の出来事のみを楽しんでいた。
幼稚園の送り迎えはおばあちゃんがしてくれていた。
やがて小学生になり少しずつ目の前の事以外にも目を向けられるようになったのはこの頃だろうか。
両親が共働きなので、平日の夕飯は殆どおばあちゃんが作ってくれた。
不味いなんて一度も思った事はない。
何もしないで目の前に並べられた夕飯をひたすら口に運んでいた。
そして、中学高校と進むにつれ次第に大変そうに母が考えた献立通りにご飯を作ってくれていたのを覚えている。
やっとその時気がついたのである。
あの時もっと夕飯を作る事手伝えばよかったと。
その思いを何処かで抱えつつ今日まで生きてきた。
何をするにしてお節介だったおばあちゃん。
嫌だと思っていた時もあった、そうじゃなかった時もあった。
でも、そういうのも含めて全部思い出だ。
そして、いつまでもずっと元気で生きている世界が続くものだと何故か思っていた。
勿論そんな筈はなく、次第に弱っていく姿を見てなんとも言えない気持ちになった。
何れ自分もこうなってしまうのだろうか、両親もこうなってしまうのだろうかと考えてしまった。
こういう考えをしていつも思う、もっと優しく接してあげればよかったと。
いつも後悔してばかりだ。
あの時手伝えばよかった、そんなに怒る必要も無かったと。
その帰り道、後ろに乗りながら急なカーブにいつも危ないと思ってたこと。
そんな何気ない出来事が今では本当に大切な思い出だ。
そんなおばあちゃんの葬式を今日に控えながらこの文章を書いている。
直接面と向かっては恥ずかしくて言えなかった。
ごめんなさい。
ほんとに今までありがとう。
今頃何してんだろうなぁ。
http://anond.hatelabo.jp/20170613200342
自炊するのにかかる、買い物、献立、調理、片付けは、なんやかんやで小一時間かかる。三食全てとなって日にはもっとかかる人も多いはず。
多い人で7時間、
少ない人では1時間。
この中に、自炊にかかわる一時間をわざわざねじ込む価値があるかどうかというと、かなり微妙。
得るものとしては、簡単な料理スキルと、僅かに浮く食費、人によっては栄養バランスが良い食事。
しかし後ろの2つは、そもそもスキルがある程度ないと、効果的に得られない。
残業がほぼなく、ドアtoドアで通勤が20分未満、かつショートスリーパーが、身支度には時間がかからない人。
つまりは、ひとり暮らししていけるようなライフスタイルの方が、効果的かつ効率的に自炊生活を送るのは、比較的難しいことがわかる。
フルタイムで働きながら朝夕の食事用意して、離乳食も作って、こどもお風呂に入れて寝かしつけして、できる限りがんばってるのに、なんでそんな上から目線?ケンカ腰?で文句言われなきゃいけないの?
「宅配届くんだけど何時ならいいですか?」→「平日は無理だって言ってるだろ」とか、そんな何回もしてるやりとりでも無いのになんでそんなに言い方きついの?
自分が体調悪いのもわかるけど、「食事で栄養摂れてないと思うんだよね」とかどういうつもり?「夕飯では野菜を3品以上入れろ」っていうからがんばって献立考えて、日曜に5日分の食材買って毎朝作ってるよ。これ以上どうしろっていうの。「夕方帰ってきてから炒めるとか簡単な調理はできますか?」って聞いたら無理って言うし、なら好きなもの買ってきて食べろよもう……。
時短で働いてるそちらが家事育児多めに負担したっておかしくないけど、別にそこをどうこう言うつもりはないです。今のままでもいいのでもっとこちらの気持ちを汲んで欲しいです。