はてなキーワード: 潤滑油とは
今まで、割り振られたプロジェクトを一人で方針を練って取引先とコミュニケーションを取ってクローズする、個人事業主みたいな仕事のやり方でした。
あまり社内で協力を依頼することもなく、担当専門の仕事があればその人へ依頼するというぐらいでした。
管理職になると事業計画とか色々な事を聞いて部下となる人に説明するんですが、こういう人がいることに気が付きました。
他にもいるんですが、全員一致するのが「管理職よりも自分は上の立場」で、「管理職 = 秘書またはお手伝いさん」とみなす人が多いんだと知りました。
自分が管理職になる前は、管理職の人にはある程度の意思決定をしてもらうなど役割分担をして、その仕事をお願いしていました。
たまに雑談をするぐらい人が、肩書一つ変わるだけで役割ではなく上下関係の色眼鏡を掛けて人と接する人だったのか、という衝撃と学びがありました。
なんとなく仕事は回っているようには見えていたのですが、同じ部署の人たちがお互い「私が偉いのを、どうしてお前は理解できないのか? バカなの? まずは私の命令に従え」みたいな、いがみ合いが繰り広げられてたようでした。
観察したところ、振られた仕事を他人に押し付けて確実に定時上がりをするためのようでした。例えばパートレベルの人は、新人の頃にレクチャーされた仕事以上の事は「忙しいからやりません」と拒否し、可能な限り回避してきたようです。
その人が入社する前は半日アルバイトの人がその仕事をやっていて、問題はありませんでした。その人が来てからは仕事内容から変わってないどころか減らしています。
で、その人は何をやっているのか正直分からない状況です。少なくとも作業手順書は更新していないようです。
コロナによって売上が伸びないのに営業が歯を食いしばって頑張る中、それでも倒産なんてありえる状況なのに「他人がどう動くのは自由だが、自分の仕事は変えさせない」と自分の都合を最優先させている状態になっています。
この人達には心が無くて、まともな状況判断はできないのか、と思った事が何度もありました。
いがみ合いの緊張状態が続く中でも定時上がりは死守するので、連絡もなく遅延し周りの部署や客にやんわり迷惑を掛けている状態でした。
その人たちの仕事の関心はもっぱら不労所得やら社内ニートみたいな立場を狙っているので、改善とか出来ないと判断しています。
明確な事件とかが無いので解雇は難しいらしく、それができないならどうすれば良いんだ、という気持ちしかありません。
お互いがチームとして結束し、漏れがないように助け合い、連携して定例業務を完遂するというのはチャレンジング(実現不可レベル)なものらしいようです。
誰かがヘルプに入った瞬間にその場から別の人が離脱を試みたりと想定できない事が多発してました。
よくあるサイボウズの新人教育資料で見るような「チームで成功を!」みたいな世界では無いことは明らかです。作業品質がとにかく安定していません。
マニュアルを作っても見ないし、自発的にマニュアルも作っても他人に明け渡さない、口出しさせない(不備と訂正を指摘しても、仕事が分からない奴に何が分かるんだ等の反論して改善しない)状況で改善とか無理だとしか思えない状態です。
仕事に対してポジティブな考えがあれば、意見の相違は有っても落とし所を作っていくのは出来るのですが、まず仕事をとにかくしたくない、でも最大限の給料も賞与も貰う!!という人ばかりで、交渉や調整という解決手段が使えません。
結果、通常業務でも漏れが発生するため、対処療法の尻ぬぐいばかりをしています。
「仕事をしてもらいたければ、俺の雑用係になれ」と業務をこまめに止めてくるので、腹を括って仕事を肩代わりして影響が出ないようにしています。
根本対策が出来ないし、ビジネスに直接つながる仕事でもないのでモチベーションが上がっていません。
管理職になると大きな仕事をして、金を稼ごうという気持ちにはなっていたのですが、チームで何かをするという見通しを立てられないので、これはでかいハズレ籤を引いてしまったなという感想を持っています。
(以下返信)
嫌われ役をやる。怖がられろ。てめぇサボるなぶんなぐんぞぐらいのことを言え。
この辺りは部下の人たちが自分たちのことを「善良な市民で被害者」というポジション確保に全神経を注いでいるので即、「管理職になったら人格が変わったパワハラ野郎がいるぞ」と通報するでしょうね。
あとはネチネチ監視、というのも「管理職が自分の仕事してない」みたいな他部署への印象操作や話のすり替えとかの攻撃連携できるようなので、とにかく彼らの卑劣な術に嵌まらないように注意しています。
自分たちに歯向かわせないようする体制は彼らが作っているので、モンスターだらけの部署にいたんだと腹を括って、「管理職としてパッとしないね」と評価されて、わざと配置転換を狙った方が良いかなという事も考えています。
新卒の採用面接時には自分のことを潤滑油だとアピールする人がよくいましたけど、今そんなことをアピールする同じ世代の人はいなくなってしまいましたね。
たいがい板挟みになってメンタル削られるだけ、っていうのが殆どですし。
年上の人がこれをバイブルにしてる人もいるとは思うので、無知を詰められるのを防いだり話が噛み合わないのを防ぐ目的含め読んでみます。
日本人は勤勉だ、という話がありましたけどその話は信じられないほど多くの人が手を抜いたり、平気で0から1の「害のある嘘」を言いますよね。
自分の仕事だけ、っていうのが自分で数字を作る部分もあったのでモチベーションはある程度あったので、一般社員のときはそういう明確な環境なのが良かったですね。数字に対しての評価が適切ではない、という疑念がずっと付いてきますけれど。
指摘ありがとうございます。直しました。
もしそうなら、結果を出せても出せなくても、次も似たような部署になるよ。
主語が欠落したところを「彼らが善良な市民」ではなくて、「私は善良な市民」と読み解いてしまったのかな...
とりあえずそこは補足してみました。
また「優秀なヒラを元増田に任せたい」は遭遇した事ないのですが、「任せる」話は要らない部下を厄介払いする時だけだと思います。
しかも年齢層は10代~アラサーが中核を占め、アラフォー以上は恐らく数える程度しかいないと思われる。
したがって、表沙汰にしないだけで行き違いによるトラブルなんて、掃いて捨てるほどあるのは想像に難くない。
ただホロの場合、先月まで在籍していた会長こと桐生ココが、表で燃えそうな火種については全て配信のネタとして消化し、笑って流す仕掛けになっていた。
つまり、会長は派閥の垣根を超えた調整役というか潤滑油になっていたんだなあと、まさか卒業から1ヶ月もしないうちに思い返す羽目になるとは。
「突然の活動休止で、私の誕生日記念ライブへの出演をドタキャンした子が、なんで後輩の2周年記念には出演するの…」
「私も、その子が休止宣言するずっと前から出演お願いしてた(;_;)」
とか、よりによって後輩のライブ当日に、そんなお気持ちツイートされてファンはどうしたらいいんだよっていう。
敢えて話していないことがありそうとか、2人の共通の友だちが頭抱えるパターンだとか、運営はダンマリ決め込むだろうなとか、まあ色々頭痛がしてくる。
なまじアイドル部の栄光と凋落とかを知ってる人なら、なおさら杞憂するだろうね。
あーあ。
お世辞をうまく処理できない。
とりあえず「ありがとうございます」とか「そんなんじゃないですよ~(笑)」とか言うと、それが偽りだとわかっているのに『自分はこういうことができてしまうのではないか?』みたいな観念が植え付けられて、調子に乗りやすい私は必ずミスを犯し、酷い失敗をする羽目になる。
自分にはそんなことはできない、とはっきりと認識しているから、ギリギリのラインで社会生活を営んでいるのに、お世辞を単なるコミュニケーションの潤滑油程度に考えているコミュニケーション強者の人々は、無根拠な褒め言葉を撒き散らす。
私は他人からの評価を滅多に貰えないコミュニケーション弱者であるため、他人の評価をまともに受け取れるプロトコルが脳内で構築できていないのに、コミュニケーションスキルに長けた人たちは軽々しく無邪気な善意でも以てしてそんな発言をする。
私にはそんな能力が欠片もないのに、彼らがコミュニケーションする周囲の環境においては当然に有しているという勝手な社会観念を持って無能な私にスキルがあるとでも押し付けようとする。
うまくお世辞を処理することが出来ない以上、私が選択することになったのは「私を肯定する意見のうち根拠がないものを全て否定する」ことだった。
中身のない勝手な思い込みか、根拠薄弱で突飛すぎる提案は全て無価値で、私にとってはむしろ害悪だった。
だから、褒められた時私は絶対に真っ向から否定するか、無視する。
中身のない肯定はこの世で最も有害なコミュニケーションだと、勝手に思っている。
人によってはこれを愛という。
東京での人の道でのすれ違う時の様子には時代の変化も感じます。
私は昭和の高度成長期育ちなのですけど、子供の頃は都内の狭い道を大人同士が交差する時に「すみませんな」、「ごめんなさいよ」、「どうもね」等と声を掛け合って体を捻じ曲げるようにしてでも衝突を避けている人が大勢いましたね。下町だったからまだ江戸期から明治、大正、戦前の昭和までの庶民文化の片鱗が残っていたのかも知れません。衝突率は酔っぱらい以外はほぼほぼゼロです。
まぁ、無愛想な人もいるので頭を気持ち下げて片手をちょっと上げて無言の「どうも」サインの人も沢山いたけれど。個人的には、この時期に東京は地方からの大量の集団就職とかで来た人々が暮らしていて、地方のなまりを聞かれるのが嫌で黙っている人が増えたのかなと感じていました。そして、この無言派の人々が増えたよね。結果、無言同士の「どうも」サイン交差がメジャーになってたな。まだ聞こえるか聞こえないか位の小さな声かけが残ってたけど。
平成の中頃になってから気がついたのは「おや?日本人(東京でだけど)は全く無言で交差するようになったなぁ」と言う変化。ベビー・ストーラー(ベビー・カー)を押して来るお母さんや松葉杖の人に道を100%譲っても、かなりの人は無言「どうも」サインもないんだなー。まぁ、感謝して欲しいから道を譲ってる訳でもないし、個人主義とやらの時代なんだろうが、知らない人同士のコミュニケーションや潤滑油は消えたと感じたかな。悪意で解釈するとそれが当然の権利だとか主張されてる感じ。善意で解釈すると、そこまでシャイで内向的な人が増えちゃったの?と言う感想。そんなんだと結婚生活やら家庭生活大変だろうなとか余計な事を思ったりする。さらに雨の日なんかには「傘かしげ」すらしない人も激増しているから、無言のぶつかり合いをよく見るようになった。私はそういうの嫌なんで速攻逃げてますが。。そのうち、出るんじゃないかな、「お前の傘で怪我したろ治療費払えよ」詐欺。
因みに、米国とか雑多な民族が一緒に暮らしてる国だと、知らない人同志の声掛けやあいさつは常識レベル。日本で暮らし始めた米国人とかと目があうだけであいさつしてきたりする、あれ。あんな感じ。ビジネス街ではいちいち挨拶なんかしないけど、郊外の住宅街とかだと知らない人同士でも挨拶してた。日本ではバス待ちとかでは皆黙って静かに待ってるけど、米国(といってもワシントンDC近辺)では結構、知らない人同士でも会話する。ある時、赤ちゃんをだっこしたお母さんと私だけでバスを待ってたら、そのお母さんがいろいろ話しかけてくる。私もそういうのに慣れて返していると、途中で、そのお母さんとっても安心した表情になったんだよね。その時の雰囲気である事を悟った。あなたはヤバイ人じゃないよね、安全な普通の人だよね、私達親子に手出ししないでお互い何事もなくバス乗っていきましょうね、と確認してるんだなぁ、と。因みにこの国では通行で体がぶつかるなど絶対禁忌だからまず無い。もしそれが起こったらかなり面倒くさい。
米国から日本に帰ると、日本を良くも悪くも感じた。デパートのガラスドアの向こうに女性がやってくる。私が慣れたのは男性がドアを開けてあげて、女性をまず通してあげる文化。女性はニコッと微笑んで「ありがとう」と言ってくれる社会。日本でこれをやると女性が戸惑うか、極度に恐縮される。もしくは一部は過剰に喜ばれる。まぁ、早いもの勝ちで通ってく文化に、そう文句がある訳ではないけれど。
私は特に今の日本の悪口を言いたいわけでは無くて、その特徴や変化を述べたかっただけ。今の日本、暮らしやすくなったところもたくさんありますよ。例えば、昔は赤ちゃんを「おんぶひも」するのはお母さんの役割で、お父さんがこれをすると周りから奇異な目でみられて大変なプレッシャーがあった。我が家ではお母さんが疲れたら、赤ん坊のおんぶは犯罪ではないと社会の逆風に逆らってお父さんがおんぶしてたのですが、隣から物笑いの種にされたりでもう大変。今は普通にお父さんも「だっこひも」できる時代で良いよなーと感じます。
昔は良くも悪くも男尊女卑の時代。この時はみんなが喜んで暮らせる鍵は男にあって、男が周りを思いやって親切に努めるとかなりうまくいっていた。今は良くも悪くも女性の権利の時代。この時期にみんなが喜んで暮らせる鍵は女にあると思うな。女が周りを思いやって親切に努めると何が起こるだろうか。東京の通行で、実は女性がぶつかってくる時代の電子記録に、残しておきたい思いです。
よく俺は毒舌だと言われる。
同僚と他の同僚の話になったとき、俺は他の同僚の問題点を何点か挙げた
その問題点がストレートすぎたのか同僚は笑いながら俺のことを毒舌だというのだ。
一見するとこれはその場にいない同僚の悪口を言いあいながら笑っている酷い人間たちのように見えるが
俺はその時は悪口を言ったつもりはない。
しかしもちろん、悪口を言ったつもりはないがそれが通らないのも自覚している。
そういった奴らは笑顔だ。
俺は思った、どちらが比べてマシな人間なのかと。
本気じゃないから笑い話にできる。
言われた本人も冗談だと思えば、聞き流せるだろう。
俺は言えると答えた。それはまじめな内容だし、本人に言える内容だという自負がある。
俺は悪口を何度も言うことはしない。
変えようがないならこちらが我慢するしかないってことが分かってる。
冗談で言うやつらは何度も言う。
それが笑い話だから、もし笑われたくないなら変えろと笑いながら言う。
反論しても本気で言ってるわけじゃないと逃げられる。
ほぼ無敵だ
俺は反論は歓迎している
笑い話が減ったら困るからだ
同じミスを繰り返してほしいし、同じ愚痴をずっと言い続けたいのだろう
できればそのまま笑い話として消えてほしいと奴らは願っている
俺はこう比べて、俺のほうがマシだと思う
でも人間性では奴らが勝ってる
なぜなら笑いは社会の潤滑油であり、俺が進んだ先には笑いのない世界だと思うが
そちらのほうがより人間らしいだろう
お金なんてものは実体経済をうまく回すための潤滑油と人々の初期資源配分の決定をしているものに過ぎない。
たとえば介護労働問題。お金が無いから人が集められず過酷な労働環境や海外から「奴隷」を招こうとなっているわけじゃない。他の労働をしている労働者を呼び寄せてやらせるだけの価値が無いという実体経済の配分問題があるからこそ起きているのだ。だからお金で解決するような簡単な問題ではない。
あるいは、いま食べていくためのものは、これまでに生産して食べなかった残りで保ったものと、いま生産したものだというのが実体経済。こう考えると、高齢化で生産をする人が減る中で食べる人は減らない時に、一人分の分け前はどう頑張ったって減ることが分かるだろう。これはお金があればどうにか出来るという問題ではない。
はじめに経済の専門家はないのだが、こういうニュースわからないと駄目だな。と思いつつ勉強していたらなんとなく分かるようになった人間だ。
なので自由にコメントして添削してくれ。もちろんわざと簡単にするために細部の正確性を犠牲にしたり、追加で説明したい事を省略している事を考慮してくれると嬉しい。(コメントでその当たりを指摘してくれると集合知になっていいかも。気にせずに指摘してほしい)
まず、経済学というのは、なんでも理屈をつけられるものの、結局、何かを予想できるものではない。という事は現実を見ればみなが知っていると思う。
経済は論理では大まかにも説明できない。謎の時代に生きている。逆にいうと飛んでも理論でも簡単に後付けできる。
なので意見がわかれるし、永久に終わらない議論になる。国語の感想が千差万別であるのと同じだ。物理学や統計学のようにはいかない。というのが私の見方である。
まず、基本的な知識として、人類は「金本位制」から「貨幣経済」に移行する事によって経済を大きく発展させた。
金は総量に限りがあるので、お金の動きが物理的な動きに縛られてしまう。
一方で「貨幣」は、「この紙切れを貨幣とする!」と国が決定する事でその価値をみんなが「信用」する事によって、価値が定まっている。さらに今は国家毎に通貨を決めているので、国の間でも貨幣の価値は相対的である。
「貨幣」を生み出す事で、経済は物理的な制約を取り払われ、経済取引の物理的制限がとりはらわれた。これは人類最大の発明であるかもしれない。
例えば、Aさんは100万円を銀行に預け、その100万円が銀行によって別のBさんに金利をつけて貸し出したとする。
Bさんがさらに別の銀行に預けたとする。そうすると、Aさんが預けた100万円と、Bさんが別の銀行に預けた100万円で、合計200万円が計算上は存在する事にある。
これが「信用創造」だ。物理のお金は増えてないのに、銀行の帳簿上のお金が増えていく。
Aさんは100万円持っていると思っている。Bさんも100万円を持っていると思っている。いつのまにかお金を持っている人が増えている素晴らしい。
こうやってお金が巡っていくと、物体として存在する実在のお金(マネタリーベース)よりも、帳簿上のお金(マネーストック)が増えていく。これがどれだけ増えているかが経済の指標だ。
経済が回っている(上向きに)というのは、この「信用創造」が生み出されている状態を言う。
逆に言うと、誰もお金を借りてくれなければ「信用創造」は生まれないわけだ。その状態は経済が停滞していると言う。
日本政府が行っているのは、現実のお金「マネタリーベース」を増やす事で、お金を借りる人が増えて「マネーストック」が増えるのでは?という事だだった。
だがみんな知っている通り、これは上手く行ってない。
当たり前だ。普通に考えて、別にお金がだぶついたから借りる人が増えるわけではない。
ただ、実は上がる可能性も万が一にも無いわけでもない。予想ができないのだから。なので、論理的でなくても、全否定も嘘になっていまうのが、難しい所なのだ。
さて使われないお金は、政府の支出として税金として使われているはずなので、民間には流れているわけだ。マネタリーベース(物体としての通貨の量)は確実に増える。
ただ、銀行は金利を稼ぐビジネスだ。ただお金を眠らせていると自分達の食い扶持が稼げない。
銀行はあなたのお金を投資に使うし、失敗すると銀行は倒産する。倒産すると、あなたの預金は、上限1千万までしか戻ってない。
いづれにしても、余ったお金は、そうして株式市場や債権市場に流れ込む。
日本の経済が株式の価格とかけ離れている事が指摘されているのはこれが理由だ。
同時にこうしたお金で底上げされた市場に対して、お金の供給が止まるとどうなるか。
市場の参加者は「あ。もうこれ以上あがらないな」と思ってお金をマーケットから引き上げるだろう。
なので、実体の伴わない株価の大暴落が始まる可能性がある。なのでもう止められないのだ。
ちなみに、株をやっている人の間では、金融緩和の話が出る度に「いやー。儲けさせてもらって悪いな」と話題になる。
今、コロナで全体として企業業績が市場最悪なのに、株式市場が上げているのはそういう理由だ。
いずれにしても、日本のように国債を発行して、それを日銀が無尽蔵に買う事で、刷ったお金が結局は、そう言った取引に流れているわけだ。
通貨発行量を十分にコントロールして、株価が成長しているアメリカの経済と比較すると異常だ。と言われる背景はここにある。
国が国債を発行し、それを日銀が(銀行を経由して)間接的に買うことで、日銀はマネタリーベースを増やしている。
ただ、無尽蔵にお金を印刷すると、そのお金は価値がないと見なされる日が来る。
なんせ、貨幣は金と違って紙切れなのだ。こうしてインフレが発生する。だが、日本円はまだその価値を保っていると言える。何故かはわからない。なぜなら根拠も無く印刷され、物理的に増えてしまった日本円の価値は論理的には下がっているはずなのだから。
だがマーケットとしては、まだそう言った反応はしてない。これは一重に「日本」が信用されているからとしか言いようがない。
ただ、一方で、日本円は既に貨幣価値に対する論理的な(物理的な?)根拠を失っていると言える。なので一度、価値が下がりはじめると、止まる要素が無い。と言われている。
だが「借金を返さなくても大丈夫だ」という主張をする人は「信用」という部分については触れない。もっとテクニカルに「日銀がお金を刷るから借金ではない」という話だけをしている。
それはそうだ。無からお金を生み出しているから誰にも返す必要はないのだ。
さて「国債」はやがて「償還」(利子をつけて国債を買ってくれた人に現金として返す事)を行う必要がある。
日銀は「国債」をたくさんもっているので、5年だったり10年の償還期限があり、期限が来たら、政府に現金を利子をつけて返してもらう必要がある。
これが「借金」と言われる所以だ。ちなみに、国債は金融商品なので、民間人でも購入する事ができる。期限が来たら利子をつけて政府がお金を返してくれる定期預金のようなものだ。
だが。日銀は国債の償還を、期限が来ても政府に迫らない。なぜならば日銀は政府の子会社のようなものだから、政府のいいようにコントロールできる。
でも決まりとして償還期限が来たら何かをしないといけない。それが経済のルールだ。
そのため日銀は、お金を返してもらうと同時に、新しい国債を買うのだ。
これを繰り返す事で、政府はお金を返さなくてよくなる。実質として「無期限の国債」というものができあがる。
政府は、日銀からどんなにお金を調達しても、そのお金を返す必要が無い。というからくりはこういう仕組みだ。
ちなみに正確には、政府から国債を買っているのは銀行だ。そして銀行から日銀が買っている。
わざわざマーケットを通して取引しているのは、そこに「市場の原理」が働いているように見せかけるためである。
だが実際にはみんなが知っている通り、国債は全て日銀に流れて行くのだが、そこは「建前」が必要なのだ。
ちなみに「日銀のバランスシートが-」などと言ったり、いろいろ視点を変えて話を難しくする事もできるが、基本はこんな感じだ。
今、各国がコロナ対策のためにやむを得ず、お金を大量に印刷している。
経済の刺激に使うためだ。
そのために現在起きているのが何か。というと金の価格の上昇だ。
もともは「信用」という「気分」によって維持されている貨幣が、貨幣の大量印刷によって物理的に価値が下がってきている。
その信用が崩壊する万が一の状況に備えて、物理的な価値が維持される「金」に資産を変換しておこう。という人々が出て切るのが現状だ。
日銀と安藤議員の会話に「国債残高が減るとマネーが減少します」という事は「日本国民は間違いなくまずしくなる」という事です。会話がある。
これは、よく知らないと正しい会話に聞こえるが、ハイパーインフレで、マネーがたくさんある国を想像して欲しい。その国は豊かな国だろうか?
もしこれが「金」のように価値がある程度固定されてものであれば、たくさんあれば良いにこしたことがない。
お金というのは、量が意味もなく増えると価値がなくなり、「信用」というものに基づいているため、こうした勘違いが起きる。
一方で「信用創造」で帳簿上のお金が増えるのは意味がある。それは経済が回っているからだ。
そう言ったケースでは、お金の需要が高まっているため、「マネタリーベース」もわずかに増やしてあげないと、いくら帳簿上でお金が動くと言っても、市場でお金が上手く回らない。
経済が上向いていると、貨幣の流通量があがあり、わずかにインフレになり、インフレの目標を設定するというというのはこうした背景になる。
ただ、国がただお金を刷って市中に回して「マネタリーベース」が増えるのは、実体の経済を何も伴ってないため、貨幣の価値を落とすだけなのである。
502 Bad Gateway ―アクセスが集中したサイト(1999~2020)
いつもなら私はこれはスパムかなと思って通報するのですが通報しないでください。
私はスパムではありません。そこに眠ってなんかいません。せんの風に。線。
しょうもねぇ。擬態していきたかったのに俺は。生きたかった。活きたかった。逝きたかった。日活ポルノ劇場。ポルノハブ。
透明人間になりたかったのに、社会に出た瞬間存在をはっきりとさせなければならなくなる。
何者にもなれない人間は透明人間になるしかなくて、透明人間になりたくないのに、透明人間になりたがる。
社会の歯車になりてぇよ。私は御社の潤滑油になりたいよ。なりたかったのにね~。
潤滑油どころか、お前がなれたのはなんだよ。錆だよ錆。
ガチギギチイtギイチイギチと社会を止めたのはお前だよ。小さな政府。小さな社会。
バカだね~。お前は本当にバカだよ。そういう風に自己卑下してればだれか救ってくれると思ったか?
頑張れ頑張れできるできる自分なら絶対できる自己正当化しなさい。そんなブランドあったなそういえば。
私は透明人間になりたかっただけなのに。バカだね~;;本当にバカ。
増田の知りたいWindows 2000ではないが、開発部署でWindows1000がたくさんいる部署にいるのでその話をしよう。
私は大手SIerでWindows 1000が見渡す限りあちこちにいる部署で働いている。
渡されるPCは2GBのPCどころかシンクライアントというモッサリモサモサのIEとOfficeしかまともに動かないPCもどきである。
流石にこれでコードを書かせることはないが、IEの使いにくい社内システムを使って事務作業をする毎日である。
ただWindows 1000は別に残業時間が短いというわけではない。恐ろしく低い生産性のもとで月40時間ぐらいは残業しているのである。
実は大手SIerのWindows 1000や、商社のWindows 2000 (おそらく部下なしで課長相当のポジションが多いだろう)が
1000万や2000万を働かずに貰えるのはからくりがある。
ここには管理職があまりいないので実感がわかないかもしれないが、管理職以上の間は古い大企業においては
未だに異常なパワハラやセクハラが横行している事が多い。飲み会での暴力や休日での強制ゴルフ、女性であればセクハラといった
表沙汰にならない事件は日常茶飯事なのである。しかしWindows 1000やWindows 2000は、年上ということもあり、
そのような〇〇ハラスメントの常連と言った連中(特に上級管理職に多い)の扱いが非常に上手い。
こういう人たちがいるからこそ、上級管理職の各種ハラスメントが一般社員に被害を及ぼさずに業務を円滑に推進出来るのである。
またこのような人たちは潤滑油として、ネットサーフィンをしつつ毎日残業して社内に存在していることが重要である。
週一ぐらいのペースでピンサロにいく
乳首舐めてもらうのも好き
ちんこを舐められている時はむなしさを感じる
単に人肌に触れている面積が少ないこともある気がする
情けない声出しながらいってもいいか聞いて
いいよの返事を待って出すのがすきだ
大体口の中に出すように誘導してくることが多い
それに反して手コキで外に出すことに開放感があるのかもしれない
女性に何かを許されるということに憧れがある
引きこもっても代わりとなる娯楽は楽しめる
でも体験が足りない
たまの楽しみがなくなるだけでこんなに辛いとは思わなかった
今もやっているデリヘルはあるだろうけど
なんかデリヘルって怖い
呼ぶなら自宅に呼びたいけどいきなりはハードルが高い
外ですることも難しいご時勢、
全てが許されているようなそのシチュエーションと
単に我慢が聞かなかっただけかもしれないが、
誰かに許されなくても自分で自分を許すことはできるのかもしれない
家の中でも外でしかやれないと思っていた
中出しする許しにも似た外だしはできると気づいた
翌朝起きると乳首が痛いことに気づいた
ヘタクソに過剰にいじりすぎたからか、
これから少しずつ慣れていくのかもしれない
でも実際にどうなるかも分からない
俺の乳首が駄目になる前に
一刻もはやくコロナが沈静化することを祈った朝だった
ぺぺローション→アストログライド→オリーブオイル(2019年12月4日現在)
デスクトップパソコン&モニタに向かって、おとなの動画をみながらシコシコ。
フィニッシュは、あらかじめ敷いておいたサランラップの上にぶちまける。
そのあとパンツとズボンをはいて、シャワーを浴びずに出かけたり、読書したり、眠ったり。
気持ちいい。
後始末がめんどうくさい。
ローションよりも気持ちいい。
鉱物油ローション。人体に吸収されない。無害。
後始末しやすい。ティシューでふけば、ほとんどヌルつきが残らない。
ローションにくらべて皮膜が薄い?せいで刺激が強い。
すなわち亀頭が強くなりすぎる。
ゆえに遅漏になりすぎて困った時期があった。デリヘルの時間内でイケなくなる弊害。
ローションよりも割高。Amazonで1瓶1,200円。
ローションよりも気持ちいい。
安い。入手しやすい。70gの小瓶ならば200円以内。中瓶でも400円程度。
使っているのはAJINOMOTO、エクストラバージンはニオイがきついので普通のオリーブオイルが良い。
若干ながら「食べ物を粗末にしている」という罪悪感にとらわれる。
射精できないことよりも (´・ω・`)ゴメンネ って嬢に言われるのがつらい。