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はてなキーワード: 混沌とは

2017-01-06

ポピュリズムがなんでダメなのか

http://anond.hatelabo.jp/20170106192307

ポピュリズムがなんでダメなのか、ちゃんとブログに書いておいたのに誰も読まないからこんなとこに改めて書く。読みもしないで「なぜダメ説明しない」と仰る方のためにわざわざ出張ってくるのもなんなのだけど、今夜はちょっとだけ時間があるので。

まず、ポピュリストを支持しているのはアホな大衆であるという決め付けがこの方にはあるようだが、それは事実ではない。ポピュリストを支持するなかには、もちろんアホな連中もいるが、それはそれ以外の政治家であっても同じことで、アホはどこにでもいる。その一方、賢明である人々、賢明であるとされている人々の中に、なぜかポピュリスト積極的に支持する人々が少なくない。ポピュリストの人気は、むしろそういう取り巻き連中の言説によって確保されている。

で、なんでそういう有能な人々がポピュリストを支持するのかといえば、それは自分の主張する政策を取り入れてくれるからポピュリストというのは人気商売から、最大限に人気が確保できる戦略をとる。そして、知識人にとって政治家評価は、どれだけ自分が主張する政策を取り入れてくれるのかにかかっている。そういった評価を確保したければ、あらゆる政策を見境なしに取り込むのがベストだ。だからポピュリストは、進んでそれをやる。

それって民主主義じゃないのかと思うひとがいるかもしれないが、全ての人々の主張を全て取り込むのは混沌であって、民主主義ではない。あらゆる主張を取り込んだときに生まれるのはカオスしかない。政策というのは、そういったカオスを避けるため、なにがベストであるのかを議論し、利害を調整して、落とし所をつけていくことだ。ポピュリストはそれをやらない。そして、カオスの収拾がつかなくなってきたら、弱いところを攻撃することで多数派を味方につけ、形だけでも民衆の総意が得られているような演出をする。そうなっても、自分の主張が政策に取り込まれているという事実にしがみつく知識人どもは、眉をひそめながらも、ポピュリストへの支持を続ける。その支持が実際にはポピュリストのパワーの源だということを意識さえせずにね。

ざらっとしか書かなかったけど、「大衆バカだと諦めるポピュリズム批判」なんて、表層的なマスコミ言い草だということがわかってもらえただろうか。もっと緻密な議論を見たかったら、歴史関係論文でも読んでみたらいいよ。ポピュリストがどんなふうに実権を握っていったのか、実証的な研究はいくらでもあるんだから

2017-01-04

ブラッディって何がカッコイイの?血なんていやだよ!痛いだけだよ!これのどこがカッコイイの?クレイジーのどこがいいのかわかんない!罪深いって何なの?罪があるの何がいいの!?犯罪者がカッコイイの?そもそも混沌って何!?カオス?だから何なの!?闇って何?黒ければいいの!?正義と悪だと何で悪がいいの!?何で悪い方がいいの?悪いから悪なんじゃないの!?右腕がうずくと何でカッコイイの?自分の力を制御できない感じが堪らないって、何それただの間抜けな人じゃん!ちゃんと制御できる方がカッコいいよ!立派だよ!普段は力隠してると何が凄いの?そんなのただの手抜きだよ!隠したりしないで全力で取り組む人の方がカッコいいよ!どうして二つ名とか異名とか色々付けるの?いっぱい呼び名があったってわかりにくいだけじゃん!英語でもなんでもカタカナつけないでよ!覚えられないんだよ!鎮魂歌って書いてレクイエムって呼ばないでよ!禁忌って書いてタブーって呼ばないでよ!聖戦って書いてジアードって呼ばないでよ!ギリシャ神話とか聖書とか北欧神話とか日本神話とか、ちょっと調べたくらいでそういう話ししないでよ!内容もちゃんと教えてくんなきゃ意味が分かんないよ!教えるならちゃんと教えてよ!神話に出てくる武器説明されても楽しくないよ!グングニルもロンギヌスもエクスカリバーデュランダル天叢雲剣意味不明だよ!何がカッコいいのかぜんっぜんわかんない!他の用語も謎なんだよ!原罪とか十戒とか創世記とか黙示録とかアルマゲドンとか・・名前が良いだろってどういうこと?雰囲気で感じろとか言われても無理だよ!相対性理論とかシュレティンガーのネコとか万有引力とか、ちょっとネットで調べただけで知ったかぶらないでよ!中途半端説明されてもちっともわからないんだよ!ニーズとかゲーテ言葉引用しないでよ!知らない人の言葉使われても何が言いたいのか全然わかんないんだよ!自分言葉で語ってよ!

2017-01-03

[] #11-2「バトルアンドファイト

≪ 前

前回までのあらすじ

俺、マスダ!

いま、この世界では『ヴァリアブルオリジナル』がすっげえ流行っているんだ。

かくいう俺も、その流行の住人なんだけどね。

今日も家で何気なくアニメを観ていたら、CMでなんてこったい!

新パック発売、しかCM放送と同時に販売だって!?

大変だ! 今すぐ買いに行かなきゃ!

俺一人だと年齢制限に引っかかって購入できないから、兄貴を連れてレッツゴーだ。

こうして、俺たちは町に繰り出したんだけど……おっと、ここから兄貴に語ってもらうよ。




くそお、どこもかしこも売り切れだ! ネットにも出回っていない情報からスタートダッシュは同じはずなのに」

数件ほど回っているが、店主から帰ってくる答えは「売り切れ」だった。

一応、いくつか在庫のある店はあったものの、新パック目的の人たちは多くいるようで混沌としており、泥沼の紛争地帯と化していた。

あの中を掻き分けるのは子供の力では難しく、もちろん俺はハナから興味がないので拒否する。

弟は指を咥えて見ているしかなかった。

「一部のコアなファン仕業です。これまでの発売時期や期間、アニメから読み取れる僅かな情報からヤマをはって、開店から並んでいたのでしょう」

いきなり俺たちに近づいて話を展開させてきたのは、俺の通っている学校OBであるジョウ先輩だった。

まさかあなたも……」

大人の中にも熱中している人間がいるとはメディアでも報道されていたが、まさか身近な知り合いにいたとは。

「小癪なのは意図的流通を少なくしている上、予約を受け付けていないことです。そうすることで店になだれ込ませて話題性を作り、購買層を煽っているのでしょう」

「平日のこんな時間帯に社会人が何やってんだよ」

弟がジョウ先輩に突っかかる。

口調が無意義で鼻についたらしい。

小童、覚えておきなさい。平日の昼間以外に働く人間だって多くいるのです」

「え、ジョウ先輩って夜間とかの勤務でしたっけ」

「ほほほ、兄弟そろってお子様ね。今日のワタクシは、有給ですのよ!」

今日、新パックが発売されることは正確には分からない。

まりジョウ先輩は新カードパックのために、発売時期にヤマを張って有給をとっていたことになる。

何日分使ったかは怖くて聞けなかった。

「既に5箱確保しました」

「5箱も!?

「同じカードでもデッキ複数入れることが可能ですから、多すぎて困るということはありません。それに運悪く目的レアカードを引き当てられないこともありますから、出来る限り確保しておきませんと」

ちくしょう! あんたらみたいな大人いるから、俺たちに1パックもこないんだ!」

「ほほほ、覚えておきなさい小童。これが“大人買い”というものです!」

「ひでえ! 子供みてえな大人だ!」

負け惜しみしか聞こえません。ほらほら、こんなところで油を売っていてよろしいのかしら?」

そもそも先に話しかけてきたのはジョウ先輩からのほうなのだが。

どうやら弟みたいな買い損ねた人間をおちょくって優越感に浸りたかったようだ。

「ワタクシはこれから開封作業で忙しいので、ごめんあそばせ」

ジョウ先輩は笑いながらその場を悠々と去っていく。

「くっ、まだだ。まだどこかに残っているはずだ!」

弟は踵を返し、走り出していた。

付き添うこちらの身にもなって欲しいものである

次 ≫

2016-12-25

ポッピンQの予告うるせえ!!

急に金切り声上げるな糞!

それにしてもトラウマ要素+臭い精神論幼児向けっぽいな

これだけ混沌としてると制作風景がどんなだったか気になるしそっちの方が数千倍面白そう

2016-12-24

早く第三次世界大戦か巨大隕石衝突が起きて欲しい

もうウンザリなんですこんな世界

何が世界平和ですか

破滅混沌と邂逅し

深淵絶望を味わいたい

文明崩壊後の世界でやり直したい

つらい過去を思い出し続けるより

その時その時を生きられるようになりたい

2016-12-18

http://anond.hatelabo.jp/20161218161432

ゲームじゃないけど秩序を好むのか混沌を好むのかただそれだけでしょ

2016-12-05

http://anond.hatelabo.jp/20161204235404

邦画和ゲーアニメドメスティックさの観点でそんな受けてる?

任天堂はいつも、丁度良いもの(と程よいケレン味のあるもの)を作ろうとしてるんであって、ドメスティックさを狙ってるとは思えないのだけど。

今度出すゼルダ新作は完全に海外オープンワールドだし、そのフォーマットの中での、任天堂が施してくるであろう丁度良いチューニングの上手さに期待と信頼がある。

相当にドメスティックペルソナ一定の評価を受けつつも、やはり売れてはいない。

日本らしさは混沌(WTF?!な。)に見出す人も多いし、混沌は丁度良いものと対極に在ることが多い。

極めてドメスティック渡辺謙マコノヒーの映画はあの顔ぶれでコケた。

などなど、必中足れとは勿論言わないけど、ドメスティック特化が正解なんて、まだまだ何とも言えない。

2016-11-19

日本人の美意識

日本人の桜の花の愛し方は実に変わっている。世界の人は普通、満開の花を愛するものであるが、日本人は散り際の桜をこそ最も愛するからである

それは諸行無常への愛である。一つの生を生き切った花を見送ると同時に、それは新しい芽吹きへの予感を伴っている。

それは死と生と常に変化し続ける世界をそのまま認める態度である。だから散り際は切なくはあっても悲しくはない、むしろ愛おしい。


同様に、日本人未完成もの、左右非対称な歪んだものを愛する(茶道の歪んだ茶器や左右非対称が基本の生け花のように)。

それは「世界には意味がある、完成形がある」という目的論への強烈なアンチテーゼである

現実をきれいに整理整頓して大きな意味をもって見ようとする欲望世界中にあるが、この欲望はあるがままの現実直視できない弱さでもある。

この混沌現実をそのまま受け入れて愛でる、そういう愛し方ができる日本は素敵だと思う。

2016-11-06

ネットにおける平日昼間民主主義危険性について

インターネットやばい

はてなしろ2chしろ、00年前後ははわりとぽわぽわしてて礼儀正しく、害があっても広がりにくかったし、各ポータルサイトゲスさは無かった。

2ch便所の落書きと言われてはいたが、馴れ合いによる相互承認や、情報を求める意識を持った参加者たちで良い空間を作ろうみたいな意識もあったし、クソくだらないジャーゴンオマエモナーなど)を共有して生まれるゆるい一体感もあった。

今はそうではない。

陰湿で、攻撃的で、快楽主義であり、セクト意識裏切り者を許さない)はあるけれど共同体意識助け合い相互承認)はほぼなくなった。

2chで「氏ね」ではなく普通に死ね」と使われ始めて久しい。もうみんな心のブレーキがなくなっている。

2chはてブコメント辛辣になっている。

ネットは「叩くことで上に立ったかのように振る舞う、安上がりな自己欺瞞他者へのアピール」でありふれている。

中には「叩くこと」への快楽に目覚め、それを目的化し、それを正当化するための言い訳としての「誰かの失敗」と「正論」を求める人もいるように見受けられる。

なんでこんなになっちゃったんだろう?

被害者ぶる気はない。僕も加害者の一人だからこそよくわかる。

平日昼間の言論空間ネット平和破壊したのだ。

ネットは真昼に炎上する。

00年代頃はまだ限られていたインターネット利用者だが、格安ブロードバンドで普及を見せ、その後スマホを介して国民ほとんどがネット参加者になった。

社会に出て一生懸命働いている人たちや真面目な学生は平日昼間にネットに入り浸ることは少ない。

平日昼間のネット支配しているのは、無職ニートである。その中で暗い要素を持った集団を抜き出すと「仕事にあぶれて苛立つ求職者」「世の中を諦めた世捨て人無職」「登校拒否の延長の引きこもり」「うつ病神経症統合失調症といったメンヘル」「発達障害などで社会適応できなくなった人たち」「終わらない家事と身近なストレスで心の許容量が狭くなった鬼女」「世の中舐めてる陽キャのニート」「レールからそれて戸惑っているニート」「世の中に喝を入れたいリタイア組」・・・。まあ、とにかくたくさんいるわけである

もちろん、悪意のある抽出であり、心のきれいな方々もたくさんいるのだが、悪貨は良貨を駆逐するものだ。

そういった人々は暗い感情や怒りを、炎上快楽で気晴らしするのである。いわばweb放火魔だ。

火を生み出す力の喜び、何かが燃えていく光景を見つめる陶酔、生贄を取り囲む祭りの高揚感・・・

彼らは毎日ネットに入り浸るうちに中毒になり、炎上目的化する。

また、中には承認の場をネットに求める人も出てくる。

ニコニコ黎明期のようにクリエイティブな方向で承認を求めていれば平和だったのだが、今のニコ生DQNのほうが受けやすい。

はじめしゃちょーヒカキンみたいな発想力とパフォーマンスを持っているわけでもない人たちは、過激な毒のショッキングさで目立つしかない。

これはネット言論空間にも言えることで、有吉や張本みたいに「きっつい毒舌」「鋭いお叱り」を出来る人間承認されやすい。

何かを褒めている人間承認されることはほとんどない。

熱心な語りもいらない。消化しにくいからだ。

まり、ワンフレーズで響き、嘲笑と「俺たち情強だよな」といった満足感を生むネガティブ言論をしたがり、見たがるようになっているのだ。

問題は、そういった平日昼間の言論が「ネットの声」「ネット常識」とされて一般層へ輸出され、ネット文化となり、新たな放火魔教育してしまうことだ。

本来ただの過激派愉快犯にすぎない言論が、いつの間にか「民主主義」になってしまう。

現実でも起きうる/起きているかもしれない事態が、ネットではものすごい勢いで波及している。

誰かが火を消さなければいけないのではないか、誰かが防火壁を作らなければいけないのではないか

ホッブスによれば自由とは混沌であり、万人の万人に対する闘争なのだネットはそちらに向かいつつある。

東浩紀ネットルソー社会を求めたが、あんもの絵空事である

言葉を聞かない悪意の力の前に理想は役に立たない。

悪意は急速に感染し、ネット支配する。

「私達には関係ないこと」と高みの見物を気取る人たちは、いつか自分たちが悪意の生贄にされるかもしれない未来を予期していない。

自分のところまで悪意が登ってくる可能性を考えていないのだろう。しかしすぐとなりをよく見てみると良い。

シェルターの中にいる隣人が、悪意の炎を瞳の奥に隠しているかもしれない。

こんな空間に、子どもたちを晒すことが出来るだろうか? 

大人たちが壊れてしま空間なのに、子供リテラシーかいう頼りない防御策を教えて何とかなると?

ネット治安を維持するための善意言論を発信していくべきだろう。強硬的な手段ではなく、新しいモラルを共有できる仕組みを考える段階に来ている。

それと同時に平日昼間勢の心を癒やす必要がある。彼らの本当の問題ネットではなく現実にある。現実が変わらなければ彼らは変わらないだろう。

ネット現実リンクしており、ネット日本未来実験である。このまま手をこまねいて見ていれば、現実社会も今よりさらに厳しいものになっていくだろう。

2016-11-01

増田ホッテントリって

あん混沌をそのままウェブサービスにしたみたいな状態からどうやって浮上してくんの?

タイトル釣りやすい感じにしとくって工夫はまあわかるけど。

あとは3〜4usersもあれば新着には載りそうなので、

セルクマちょっと露出させて増田マイスターみたいな人に発見してもらうのを待つ、って流れなのかなー

2016-10-09

http://anond.hatelabo.jp/20161008230620

今の所貴女恋愛という形での他者必要としていないという、ただそれだけのことと思います

恋愛というのは、他者という混沌を受け入れてそれまでの己を壊す作業でありますので、いま貴女はそういう状況にないのでしょう。人間そんな簡単に完成してしまうことは出来ませんので、放っておいてもそのうち貴女恋愛をするのではないでしょうか?

このような場所他者意見を求めていることからもその萌芽は窺えますしね。

「なこと言われても私の周りはみんな恋愛してるのになんで私はし難いのかわからないのがやだ」とおっしゃるならば、一つ私見を。

貴女他者に媚びる演技をすることを不誠実だと仰いますが、この不誠実って誰に対する不誠実でしょう?そのまま読めば、騙された相手への不誠実と言うことになるのでしょうが果たしてそうでしょうか?

貴女は自立した強い人間たれと自分を律してきたのだと述べておられますが、不誠実はそれに対するものなのではないですか?

勿論相手を騙したくないという気持ちはあるのでしょうが、この「相手」というのは貴女の中には実像として定まっているものではありませんね。

例えば相手によっては貴女普通にしていれば(その人に比べれば)貴女とぼけて隙がある、ということにだってなり得るんですからね。

「そんな人間いなかったしそんな関係には憧れない」とお思いでしょうが

なんにせよなんらかの二人称関係が想定されているようには見受けられないのです、貴女文章からは。

まり貴女が想定している強い貴女は、他者の前で媚びて嘘をついたりはしないと、だのにそれをやったら自分に対して不誠実だと、そういうお話だと思うんですね。

大体相手に不誠実というのなら、自分恋愛という役割を演じられないと親に開き直ることはしたくないので、自分社会的完成の一助のために恋愛をしておきたい、なんて動機恋愛するなんてことのほうが驚くべき不誠実ではありませんか。

まとめます、要するに貴女は今の所自分のことで手一杯で他人を受け入れる余裕がない、他人に目を向けてないので恋愛が出来ない。身も蓋もない話ですが当たり前の事ですよね。

多分貴女は聡明で、しっかりした性格で、何事もソツなくこなす成熟した大人として他人から評価されているのでしょうが、その所為で「実は私は他者を受け入れるという事については他の女の子よりも疎いのだ」という事に周りも貴女も気づいていないんですね。

しか人間そんなに簡単には完成なんて出来ません。貴女自分を壊す必要に迫られた時必ずや恋愛というものは訪れることでしょう。

そう遠くないうちに。

2016-09-30

オタクをやめたい

東に自担現場あれば、足と宿とりチケ探し。西に自担が載る雑誌あれば、値段を見ずにあるだけ買い。南に自担に興味を持つ人いれば、行ってフォトセを渡してやり。北に自担が映りこむかもしれないデビューコンサート初日を報じるワイドショーあれば、友人に頼んで録画してもらう。

雨にも負けず風にも負けず。長い間そうやって過ごしてきたから、ジャニオタのやめ方が分からない。

今の職場で働きだしてから、例えば初日千秋楽自担誕生日といった、絶対に外せない現場に入れなくなった。でもTLでは誰かしら入っている。数ヶ月前なら自分も入れたのに。という風に思ってしまってしんどい

同担とは同意見にならなければいけないみたいな圧がしんどい。同じ舞台で同じ人を観ていても、どう感じるかは人それぞれなのに「今年去年より楽しいよね!」と言われるとそうは思ってなくても、肯定せざるを得なくなる。

自担がいるならどこでもついていくタイプオタクをやめるのってどうしたらいいんだろう。

人と比べるのもしんどいし、昔の自分と比べるのもしんどい。でも自担かわいいし、見れば好きだと思う。でも今は現場に行きたいという気持ちが無い。確実に自担がいる現場があるのに。

いるなら行くしかと思ってチケット確保したけど、いまひとつノリきれなくて手放した。雑誌も載ってるから買ったけど、開けてもない。義務感というか、起きて顔を洗うのと同じような感覚オタクをしている。オタクをしていた。

からジャニオタやめたいと思っていても、仕事が終われば一番にツイッターを見て、何か変わったことは無かったか確認してしまう。息をするように。

ツイッターやめてテレビの録画もやめればやめられるのかもしれないけど、自担かわいいから見ていたいし。どうしたらいいのか、どうしたいのかが分からない。とにかくこの混沌から抜けたい。

2016-09-01

それでも私はジャニーズ事務所に夢を見る



誰が何と言おうと、私はジャニーズ事務所に夢を見続ける。

そして、少しでも前で歌いたい、踊りたいという熱意に満ちたジャニーズJr.のあの煌めきに満ちた目に、何度だって心を奪われるだろう。

歌い、踊り、太鼓を叩き、宙を舞う。華麗なダンクシュートを決め、息ぴったりのファンカッションやダブルダッチも見せてくれる。

あれもこれもと詰め込まれ混沌のようにも思えるステージを秩序立てるのは、彼らの熱量だ。

同じステージに立つ他のジャニーズJr.は、彼らにとっては仲間でありライバルである

自分たち仲間が「ジャニーズであることの誇りと、その仲間へのライバル意識。この相反する二つの感情が融合したとき、彼らは得体の知れない輝きを放つ。

それは幻想かもしれない。ファンの妄念かもしれない。

それでも、彼らのとびきりの笑顔や悔し涙、真剣眼差しには嘘はない。

彼らの作り上げる「ジャニーズワールド」が、どうか彼らのためのものであって欲しい。

永遠なんてもの存在しないことは嫌というほど分かっている。明日には全てが崩れ去る可能だってある。

それでも私はジャニーズ事務所に夢を見る。ジャニーズ事務所提供する最高のエンターテインメントに夢を見る。

2016-08-15

増田小惑星男児は入ってこないでほしいということ。

夏休み増田に行ってきた。

クソみたいな短レストラバ合戦はとても美味しくて、ヤフー糞袋でやるような質問記事についたブクマ想像以上に参考になって満足なひとときだったのだけど、ひとつ不満が残っている。

増田の最新エントリ一覧(深夜)に男児が入ってきたことだ。

男児といっても小さな子供ではなく、声変わりも済んで、触腕、鉤爪、手が自在に伸縮する無定形の肉の塊と咆哮する顔のない円錐形の頭部を持つ少年だった。

万物の王である盲目にして白痴の神らしき女性と2人で入ってきたのだが、旧支配者なんてひとりで風呂に入れるだろうに、何故他の増田もいる増田に連れてくるんだ。

私はログインしてからまだ5分ほどだったが、名状しがたきおぞましさを感じたのですぐにあがってしまった。

本当はアザトースの方に非常識ではないかメッセージをとばしたかったのだが、家族水入らずのインターネットに水を差すような真似はできなかった。

さなミ=ゴなら微笑ましく見ていられるが、這い寄る混沌を受け入れることはできない。これは、私がもはや正気を失ったためなのか?

障害をもっていてひとりで無限宇宙中心部で不浄な言葉を吐き出せなかったのだろうか。それなら、ランドルフカーターは何をしているんだ?

どうしても母親なしで増田に入れないのなら有料の輝くトラペゾヘドロンがあるだろう。そちらを使えばいいのに。

はてなはてなで、千の異なる顕現のうちいくつまでがはてなのサービスを利用していいのかを明記していない。そもそも増田の入口に90度以下の鋭角がないのでわんわんパークもできない。

私は混沌宇宙に入りたくてわざわざグン増田まで来たのではない。気分が悪かった。さっきも吐いた。濃緑色嘔吐物に、無数の蛆がのたうっている。その一匹一匹が妙なる甘きコーラスを織りなし、まるで天上の音楽を聴いているようだ……ああ、ブラウザに、ブラウザに!


http://anond.hatelabo.jp/20160815142746

2016-08-04

http://anond.hatelabo.jp/20160804124110

これはもう、文学のせいですよ。

何となくつの単語が並んでたら対義語な気がしちゃう

戦争と平和』の他に『罪と罰』も。

でもよく考えたら、両方とも対義語じゃない罠。

戦争武力行使)』とは二者間の対立姿勢から

対義語はどちらかというと『話し合い』。

平和』は世の中が混乱なく状態対義語は『混沌』『動乱』。

ちなみに『罪』の反対は『功績』。

『罰』の反対は『報償』。

図書館未来について考える

図書館戦争を読み、司書資格を取得した。(TSUTAYA図書館はいかんですよ)

最近思うのは「もうあの作品図書館必要でない」ということだ。

すべて電子化すればいい話だからである

図書館戦争コラボCM電子書籍コラボしていたが、いかがなものか。

日本世界的に見ても、電子書籍の波から遅れている。

日本特有文化にあるのかもしれない。「舟を編む」などを見ると、質感やビジュアル、物に拘る日本人らしい購入欲ともいえる気がする。

しかし本はなんであるべきか。質感が大事なのか。

いや違う。なによりもまず「情報である

情報電子化すれば良い時代になった。だから本も電子化すればいいのだ。

そうはいかない日本人の頑固なところではあるけれど、その価値観はいずれ若い人たちによって変革を遂げていく。

今30代の人が80歳まで生きるとする。あと50年くらいか。30代というと、電子書籍理解しつつも、紙の本に執着してしまうお年頃だろう。

その人たちは、きっと死ぬまで紙の本が無くならないでほしいと祈る。また人口比率も多い世代ではないだろうか。

なので後50年以上は、紙の書籍は消えないだろう。

しかし50年後は「紙の本なんて見たことなぁい!」と言うギャルが増殖しているだろう。某理系ミステリィ作家が、近未来もので似たようなことを書いていた気がする。

対して「は?バカじゃないの?」と言う争いもネット上で起こっているだろう。人間進歩しない。

まぁ、紙の本はコレクション的に売れるのかもしれない。

まりだ。図書館未来はもう50年も無い。このままだと。

本は電子書籍にすることによって、出版社を通さずとも発売できる時代にもなった(出版社未来も危うい)。

出版不況とも言われている。わざわざ自分の本を買ってもらえずに、タダで置こう。と、思える作家がどれだけいるだろうか。

図書館に本を置くことで作家利益が出るのか、個人的にいろいろ考えてみた。現段階で言えることは、そういう仕組みは確立されていない。そして確立するのもまだまだ時間がかかりそうだということだ。色々と理屈はあるのだが全体的に見ると「図書館によって作家は損している」としか言いようが無い。新規読者を獲得しても早々に新作を入荷する図書館がある。その時点で購入意欲は収まり作家は損をすることになるのだ。

こうなると、図書館は誰のためにあるものかという話になるだろう。

お金を払えない人のために存在する。これで間違いが無いだろう。

しかお金が払える人も借りている。本が売れない。図書館だけのせい、とは言わない。でも悪循環は止まらない。

このままだと作家団体ボイコットされても仕方がない(既に抗議はされていたり…)。近い将来の図書館存続のために必要なのは「作者」と「図書館」のwinwinな関係であろう。

しかし考えなければならない。もっと遠くの未来。紙の本に必要性が無くなった時代の話。

著作権が切れたものは、電子書籍無料配信される。作者が本の金額を定めることも可能になった。無料~300円程度で永久に手に入る状況だ。

もっといえば月額金を払うと、図書館に置いてないようなものレンタルできる時代だ。

それはつまり、『図書館』の必要性が無くなることと同義である

勉強する場所なら、静かで、もってきたコーヒーが飲める施設でもあればいい。つまり公民館など。

…困ったな。書けば書くほど図書館未来が消えていく。

なかなか手に入らない本といえば、専門書だろうか。分厚いし、高いし、そういうのは図書館必要になるのだろう。

しかし専門書だって今は専門ごとがほとんどネットに載っている時代だしなぁ。困ったもんですね。

はたして少し遠い未来図書館必要としてくれる人が居るんだろうか。みなさん図書館は好きですか?

海外に目を向けてみましょう。「図書館 世界」で画像検索

ああ、こりゃー日本図書館は生き残れないって思ってしまう。海外図書館は「ここに行きたい」と思わせる。博物館化している。

日本図書館公民館の延長のようなものほとんど。そして今から図書館増設しようという時代でもないので、世界の素晴らしき図書館模倣し新たに作ることもできない。

図書館が無くなれば、リファレンス能力を持った司書の行き場もなくなるのだ。

書いてることがまばらになっている。これが今の自分感情である

「紙の本はもう古い。しか愛着を持っている。でも電子書籍の方が圧倒的に便利だし、電子書籍時代はあっという間に訪れる。図書館は好きだけど、このまま図書館が存続するとは思えない。どうすればいいんだろう。わからない。しょうがないのかもしれない」

そういう時代だ。そう受け入れるしかないのだろう。

今生きている人たちは、その混沌とした時代を生きている。

そう考えることで、少しだけ本に対する見方が変わるかもしれないね

平和の反対語

僕(34歳)が小学生の頃、「平和の反対語は戦争」と学校で教わったのだけど、小学生の頃から今に至るまで、ずっと違和感を感じてきた。

戦争がなくたって、大地震病気蔓延隕石落下とか、平和じゃないじゃん。反対語って普通一対一対応してるもんだろ。

平和の反対語は混沌とかじゃねーの?って思ってたんだけど、ふと思い出してさっきネットで調べたら同じようなことを言ってる人が結構いた。

背景には左巻きの当時の教育がとか色々疑ってしまうのだが、本当の反対語は何なんだろう。やっぱり戦争なのだろうか?今でも「平和の反対語は戦争」って教えてるんだろうか?

2016-08-02

http://anond.hatelabo.jp/20160802075457

そういう時心の中では「ンオアッハー!ホンガガホンガッ、ポーーン!!」とか思ってる。

あとからTwitterとかに出力しようとすると(今のは早くどけよ!的な苛立ちの感情だったかな?)って語勢やテンションから分析する感じ。

そうでなければ、すぐどっかに流れていくから消えてしまう。だって直後じゃないと意味わかんないし。

チッって舌打ちですら、その場で即座にレスポンスできる人はすごいなって思う。マナーは悪いけど。

頭の中では、意識して紡ごうとしないと、意味のある日本語にはならないので、嫌な事があっても悪口が頭に浮かぶってことも全然ない。

上司イラついたら「フンギャラホンギャードコドコドゥー」とか思ってる。怒りを表明するときだけそこから言語化する感じ。

正直、黙ってたら何かを書くとか打ち込むとかしないと、頭の中はなかなか言語化されないので、

おばちゃんの「ここグーっといってグイっ!といってキュンや」みたいなのも真っ青な混沌の渦に沈む。

黙って、手も動かさずに、ってなると思考がロクにできない。

というわけで、元増田みたいに心の中でも日本語感情が処理されてるとか、頭の出来が違う感あってちょっとうらやましい。

2016-07-28

これ系での個人的史上最高の名文っていうと

http://anond.hatelabo.jp/touch/20160728154543

↑これよりも

↓これ

(前略)

「これは“秩序”に対する“混沌から宣戦布告である! 私の名前は“蝶(バタフライ)”!完璧ならざる世界に戦いを挑む "君の"友人である!!」

闇のイージスのこれはシビレ

2016-07-21

70だかのジジイに絡まれ酒した

主に絡まれてたのは一緒にいた友達だったけど、飲んでた店の閉店で家に帰ろうとしたら強引にスナックに連れていかれた。

ジジイ足元フラッフラになってたし、帰ろうとしたら何言ってるかわからないけど大声出すしで、

放置してのたれ死なれてもあれかなーと思って、一応ついて行ったけど、自分の体力とか精神力に余裕がない場合はあーいうのは見捨てるのが正解だったっぽい。

ロクなもんじゃいねもっとちゃんと自分が気乗りするかどうかで判断しておけばよかった。

ジジイ語録

「ここらじゃ同和も総連ヤクザも一緒くたじゃ!」(まあそういう混沌とした土地柄ではある)

「それぞれもう随分偉い立場になってるけど、誰かが調子に乗ってナメたこと言ったらすぐ地区の上の者がシメ上げるし、今の立場がどうでも先輩には逆らえん」

総連のお偉いさんになっとる奴も、ここに来てワシらが「オゥ」って声かけたらペコペコするんじゃ!」

高校生の頃は同級生がいたから組長のトコに「オーッス」って遊びに行ってたもんじゃ

「このでかいマンション同級生の親の持ち物じゃ」

「(通りすがりスナックで)なんやこの店は!こんな店知らんぞ、この辺は○○が仕切っとんじゃないのか!」

「オゥママ、ワシ○○の連れやけどな、ここらで商売やっとったら○○知っとるやろ?ここの店はいからやっとる?」「○○さん?ちょっと存じ上げませんが……お店はかれこれ20年ほど……」

喋ることの9割が地域自分のろくでもなさの自慢と、各組織親玉と繋がろうと思えば繋がれるんだぞ的な自慢。

ボスと直接マブダチとかですらなさそうだった、後輩(同じ学校だっただけで絡んだことない)とか同級生の親とか、そんな感じ。

田舎実家地主とかだとたまにいるよね、昔同じ学校に1年通ってただけで、「昔ここの息子を中学でよく世話してやったんだけど!」って急に何か変な頼み事しに来る頭のおかしな人。

名前聞いてもそんなのが学校にいたようないなかったような程度で、誰お前喋ったこともねえよみたいな。なんかそういう人と同じ匂いを感じた。

田舎DQNがそのまま育ったような?地域密着DQNジジイ

言ってる本人もなんか社長らしくて、まあ俺らなんかよりははるかに金持ってんだろうに、なんか全体的に小物っぽくて哀しくなる。

喋れば喋るほどジジイ自身自分には特に何もないと思ってるんだろうなーっていう。

ちゃんと自分生業の話でもしてくれればなんだかんだスゲーって思う事ありそうなもんなのに。

スナックで隙あらば店員さんにボディタッチしようとしてさりげなく手を引き剥がされてたりしててホントお店の人に申し訳なかった。

同じ話を10周ぐらいしたところで限界を感じた店員さんから促されて退店、

とりあえずジジイお金を払ってもらった弱みがあるけど、それ差し引いても睡眠時間削られるし、残念な時間の使い方だった。

2016-07-12

海外の人のKINGSGLAIVE感想レポを訳すよ 2

その1はこちら

原文(http://www.novacrystallis.com/2016/07/we-watched-the-first-10-minutes-of-kingsglaive-final-fantasy-xv/

We watched the first 10 minutes of Kingsglaive: Final Fantasy XV

By André Mackowiak on July 11, 2016

こちらは、最初10分間のみの映像を観た人のレポートですが、ネタバレが含まれます

↓↓引用コカラ↓↓

先週フランスで行われたJapan Expoで大きな出来事となったのが、Final Fantasy XVだ。イベント中、ファンは「KINGSGLAIVE FINAL FANTASY XV」(以下キングレ)の最初10分のワールドプレミア特別上映などの新しいコンテンツに触れる栄誉に浴した。ちょっとしたサプライズとして、映画監督した野末武志氏による90分にもおよぶ講演もあった。

壇上で野末氏は、キングレの開発について一歩踏み込んだ解説を行い、アドベントチルドレンFF7ACC)よりも格段に大きな役割をどのように果たしたかを語ってくれた。

以下のレポートには、ちょっとしたネタバレや、記憶を頼りにプロットを要約したために起きる矛盾が含まれ可能性がある。というのも、最初10分間にはかなりたくさんの情報が詰まっているからだ。

どうぞその点をご理解の上お読みいただきたい。

映画は、いくつかのフラッシュバックからまり、観客は、ルシス王国を守り続けてきた最後クリスタルの魔力の概要を知ることができる。

しかし、このクリスタル敵対するニフルハイム嫉妬を生むこととなるのである

開始後すぐ、ニフルハイム兵によるルナフレーナ・ノックス・フルーレ故郷であるテネブラエ自治区侵攻が描かれる。

ここで我々は、幼いノクティスが重篤なケガから回復中であり、車いす生活を余儀なくされていることを知る。

敵兵たちが空から雨のように降下してきたとき、ノクトとルーナは2人とも森におり、周りを取り囲まれしまう。

強力な相手に二人は追い詰められ、あわや斬り殺されようかというところで、レギス国王が現れ、剣をふるい強力な炎の呪文で敵を蹴散らして彼らを救う。

レギスは素早く意思を固めるとノクトを肩に担ぎあげて、ルナフレーナと共に逃げる。

呪文による炎に逃げ道を塞がれたルーナの兄レイヴスは、倒れた母を救ってくれるようレギスに懇願するが、敵兵が背後に迫っているレギスには届かない。

このままでは逃げ切れないと判断したルーナは突然立ち止まり、引き返して自らニフルハイムに捕らわれ、友人たちが逃亡するための時間を稼ぐ。

それから月日が経過し、物語の時点ではニフルハイム軍勢はルシス王国首都インソムニアのすぐそばに展開している。

この「王都」はクリスタルによって維持される強力な魔法障壁によって保護されているが、どれだけそのバリア攻撃をしのげるのかはわからない。

都市を取り囲むエリアは、すでに帝国軍制圧されており、城壁部分は空から攻撃さらされている。

ニフルハイムの揚陸艇が兵士を降下させ、戦場では銃弾が飛び交い、廃墟と化した建物の周りに死体の山が築き上げられていく。

敵軍は機械や魔導アーマーだけではなく、FFシリーズでおなじみのモンスターさえも操ってルシス攻撃を仕掛けてくる。

混沌の中をべヒモスが突進すれば、通り過ぎた場所にはルシス兵士たちが斃れる道が残る。

そうかと思えば別の場所では、巨大な蟲の大群が戦場を横切っていく。

巨大なファイアストームが地平線のかなたに出現し、インソムニアに向かってゆっくりと近づいてくる。

壁の上では、王の剣(Kingsglaive)の魔導マスターであるロウ・アルティウスが仲間たちと共に町を覆うバリアを維持しようと必死努力を続けている。

しかし、魔導士たちは疲れ果て、膝からくずおれていく……。

主役であるニックス親友リベルト・オスティウムは、敵に奇襲をかけようとしている。身につけた制服や装飾品は、FFシリーズジョブ忍者」を思わせる。

リベルトは、隠れて相手に知覚されずに複数の敵を倒す術を使う。

空襲が激しさを増すと、地面が打ち震え、建物が崩れ、足元にひびが走る。

嵐が近づく中、我々は敵軍の飛空艇さらに増え、ケルベロスなどのより危険な敵が出現したことを知る。

ニフルハイムの高官が命令を下す。「シ骸を放て!」

嵐の向こう側には、まだ奥の手が隠されていたようである。鎖につながれ、煙に包まれた巨大なモンスター飛空艇によってインソムニアに向かって引きずってこられる。

モンスターは暴れだし、いくつかの飛空艇破壊すると、鎖を引きちぎって地上の兵のもとへと落ちてくる。

リベルトは、突進してくるべヒモスの首もとに強烈な一撃を放つことに成功する。一方クロウ最後の力をふりしぼっているが、もはやこれ以上バリアを維持することができそうにない。

王の剣を率いるドラット将軍は敗北を悟り撤退命令を下す。リベルトは炎を吐くケルベロスと遭遇し、呪文を使って気をそらそうとするが失敗に終わり、崩れたガレキに挟まれ、刃も手の届かないところに転がるというピンチに陥る。

ニックスは、ドラットーの命令に背き、倒れたリベルトを救うために走り出す。ニックスは、投げた刀のところにワープ魔法を使って移動することができる。

ケルベロスを警戒しつつ、ニックス戦闘区域外へとワープできるようにリベルトの剣を拾う。

後方に戻った王の剣の隊員は無事を喜び合うが、ドラット将軍ニックス命令違反を咎め、彼の力はレギス国王から借りたものであると諫める。

ここでプレビュー映像は終わった。

たった10分間の映像だったが、おそらく何時間でもいかキングレの映像が素晴らしかたかを語り続けられるだろう。それぐらい圧倒的な映像美だった。

何年もの昔、初めて「Final Fantasy: The Spirits Within」を劇場鑑賞したときですら、スクウェア・エニックスCG業界トップクラスの才能を揃えており、あの映画写実的表現への彼らの最初の一歩となったことは明らかだった。その数年後、アクション満載のFF7ACCでその路線さらに深まり、ついにこのキングレですべてが結実した。信じられないほどの視覚的なクォリティを実現するために、スクウェア・エニックス内のチームであるビジュアルワークスは、「アサシンクリード」、「ジュラシックワールド」、「ゲームオブスローンズ」などで知られるDigic PicturesやImage Engineなどの欧米スタジオにも協力を仰いだという。

映画に登場するキャラクターは、あまりにも人間らしいため、うっかりするとコンピューターで生成されているのだということを忘れてしまう。

このまとまりの良さがあるからこそ、合成用のグリーンバックの前で俳優が演技をする従来の映画に比べて映画世界説得力が増しているのだ。

ヒモス、ケルベロス呪文効果などの見慣れたFFの要素の取り入れられ方も素晴らしい。

個人的には、特にワープエフェクトが気に入った。ゲーム本編のものと似ているが、人物のまわりに火花が散り、効果音も非常にマッチしているのでとにかくスタイリッシュなのだ

キングレは、「現実に基づくファンタジー」というコンセプトを驚くほどうまく体現している。

建造物衣服技術車などの中には現実世界を思わせるものもあるが、呪文や魔導アーマー、モンスターとの親和性もある。

2つの世界の融合が、FFXVを単にゲームとしてではなく、より広い観客を対象とした映画として非常に魅力的な存在にしている。

始めのうち、John R. Grahamが下村陽子とのコラボレーション制作したというサウンドトラックについては不安を覚えていた。

プレビュー映像では、音楽が少し単調で陰鬱すぎるように思われたのだが、最初10分のBGMは、控えめに言って非常に堅実な出来だった。

ほんの短い時間のうちに、キングレで展開されるストーリーが複雑でワクワクするものになることがわかった。

アクションシーンは「ゴジラ」のように素晴らしく、徐々にモンスター召喚獣が明らかにされていく手法も良かった。

キャラクター物語のカギを握るようなので、ニックスルーナが映画アニメゲームの中でどのように関わっていくのかが楽しみだ。

これだけのプロジェクトである映画館で観るのが正しいというのは明らかだ。

↑↑引用コマデ↑↑

10分間見ただけでこの把握力。

訳者は実際に映画を観たので、ちょっと解釈が違うところもあるのですが、あえて訳注はつけないでおきます

フランスではまだ上映館未定なようなので、彼らにも映画館で楽しんでもらえるように日本でも動員数を増やしませんか。

本文には映像からキャプチャ写真もあるので、よろしければ冒頭のリンクから観てみてください。

2016-07-11

昔の地味なアニメって

アニメである必要性がないものがかなり多い気がする

なんでわざわざアニメでそれやるの?って感じで、今よりも混沌としてた感じがする

2016-07-03

[]

黒白を読んだ。脳髄が痺れる感覚ってこういうことを云うんだと思う。何と言えばいいか、すさまじい物語を読んでしまった。

民俗伝承テーマになった漫画というと、最近では千年万年りんごの子を読んだ記憶があるのだけれど、それとこの黒白とでは全然毛色が違った。

無論、大いなる“山のもの“を扱った漫画ではあるんだけれど、黒白のほうがタイトル通り黒くて白い物語だった。深みがあるとか考察のしがいがあるとかそういうんじゃないんだけれど、より幻想的というか混沌としていて、勢いのある下巻の最終部の読後感も相まって物語に呑み込まれしまった。

黒白は雪女伝説が秘匿されているとある東北の村を舞台にした漫画なんだけれど、文献から引用や、重要な人物となるユキが三人もいることもあって、結構難しい内容になっていたと思う。自分阿呆なのでたくさんよく分からない部分があったんだけれど、なんとかかんとか読み続けて、結果として切り取られた物語に打ちのめされてしまった。中巻冒頭のゼミ内容から類推するに、かなり難解で意味の分からない物語になっているけれど、根本的にそれ自体には意味などなくて、どのような物語で区切るのかが意味の創生であり、人間としての特性なんだろうなって思った。

年齢的に真ん中にあたるユキをめぐるミステリアスストーリー展開は、ケイゾク映画を髣髴とさせる感じで面白かった。主人公幼なじみ関係は下巻で怒涛の展開を見せるんだけど、その辺りの勢いの付け方や、そこから繋がる神楽家内部のある種猟奇的描写スリリングで読んでいてゾクゾクした。

最終的にユキは”山のもの”を鎮める巫女のような存在になったのかな。本物の雪女のような姿になってしまったけれど、その変貌を遂げたことで何を失ったのだろう。まだ分かんないからよく整理して考えてみよう。あと考えて分かんないことの一つに、主人公が受講しているゼミ教授が挙げられるんだけれど、一体全体彼(あるいは彼女か?)は何者なんだろう。松樫教授も気になる。この二人はなんか不思議。九車教授は何かしらの観測者なんだろうけど、うーん。

とにもかくにもすごい漫画だった。一気に読むと疲れるので、時間がある時に読んでもらいたい。おすすめです。

2016-06-25

貞子vs 伽椰子を観ました(超ネタバレ

ネタバレでーす

[] ウォーターフォールメリット

http://simplearchitect.hatenablog.com/entry/2016/06/20/080807

から始まった何年ぶり何度目かのウォーターフォール (vs アジャイル) 論争だが,この記事もその反論記事支援記事も含めて,「ウォーターフォール採用する(せざるを得ない)理由」について書いてあるものはあっても,「ウォーターフォールメリット」について書かれた記事が見当たらないのには驚く。

各種記事

私は間違っていた。ごめん。ウォーターフォールは何のメリットも無い

http://simplearchitect.hatenablog.com/entry/2016/06/20/080807

まずこの記事。「メリットはない」って言ってるんだから,書いてないのは当然なのかもしれないが,アジャイルメリット=なぜアジャイルがいいのか,についても書かれていない。これではFUDといわれてもしかたない。

日本アジャイル流行らない理由

http://ledsun.hatenablog.com/entry/2016/06/21/102501

日本アジャイル流行らない理由」≒日本ウォーターフォール採用される(消極的な)理由は書いてあるが,ウォーターフォールメリットについては書かれていない。

ウォーターフォール開発プロセス有効

http://ledsun.hatenablog.com/entry/2016/06/21/102501

タイトルから期待して読んだが,「ウォーターフォール課題と言われてるものは,実は解決されてるよ」という記述が大半を占める。

最後の一節は「アジャイル問題」として,「変化に人間がついていけない」点が挙げられていて,その裏返しでウォーターフォールがいいよ,ってことを言いたいのかもしれない。しかし,アジャイルは「変化に機敏に対処する」ことが眼目であって,何でもかんでも変化させなければいけない,というものではないので,指摘自体的外れに見える。

ウォーターフォールアジャイルを考える

http://arclamp.hatenablog.com/entry/2016/06/23/172941

冒頭,

まず、「ウォーターフォールは何のメリットも無い」は嘘です。何のメリットもないもの存在するわけないので。

とあって,メリットを語ってくれるかな,と期待させるが,結局「スコープが確定しているならウォーターフォールでいい」,という消極的採用理由が述べられるだけで,メリット積極的採用理由は述べられていないように見える。

ウォーターフォールメリット

ではウォーターフォールメリットは何なのか?

それを語る前に,まずウォーターフォール定義しておく。現在日本ウォーターフォールとして認識されているプロセスは,国防総省式の「戻りの線」なしのものである。即ち,確定した要件なり仕様なり(以下まとめて「スコープ」と呼ぶ)は変更しない。「ウォーターフォール」という名前自体が,この一方向性に由来している。従って,ウォーターフォール定義としては,「(フェーズゲートを超える際に)確定したスコープは変更しないプロセス」で良いだろう。

この定義に沿わないプロセスは,「偽ウォーターフォール」であり,以下に述べるウォーターフォールメリットを受けることはできない。メリット享受できないだけでなく,この種の「偽ウォーターフォール」は(「偽アジャイル」同様)大きな害悪を撒き散らす。

さて,「確定した要件仕様は変更しない」ことのメリットは何か。パッと思いつくのは「手戻りがない」ということである。確かにこれはメリットと言えるかもしれないが,手戻りがなくてうれしいのは主に作業者である。これでは弱い。もう一歩踏み込んで「手戻りがない」と発注者/受注者含め何がうれしいのか。

答は

納期 and/or コストぶれるリスクを小さくできる」

である

すごく当たり前のことなのだが,これが書かれている記事が見当たらない。

そしてウォーターフォールメリットはこれだけで,それ以外にはメリットと言えるものはおそらく存在しない。

やはりウォーターフォールにはメリットなどほとんどなかった

ここで,前節で登場した三つの要素「スコープ」「コスト」「納期」に注目してみる。

よく見るとこれらは,いわゆる「QCD」に対応している。ちなみにここでいう Quality (品質) は「バグがない」等の「問題の不在」だけを指すのではなく,本来意味での「品質」,即ち利用者の役に立つか,使いやすいか,ということまで含むものであるスクラムアジャイル)を知る人であれば,「トレードオフスライダー」の「品質」に相当するものだと理解してもらえればよい。

そうすると,前節のウォーターフォールメリットは,以下のように言い換えることが可能である

ウォーターフォールメリットは<品質を固定することで>コスト納期ぶれるリスクを小さくできる点にある」

これで問題が明らかになった。要するにウォーターフォールは,コスト納期のために品質二の次にするプロセスなのである

その結果,これまでどんなことが起きてきたか

あくまで変更を行わなかった場合

開発の途中で,要件仕様問題が見つかったとしても,あくまウォーターフォール定義に殉じると,出来上がるのは「使いにくい」「使われない」システムである

事業会社IT会社に転生させることが、これからSIerミッション」 ( http://gothedistance.hatenadiary.jp/entry/2016/06/20/153941 ) に,その実例らしきものがでてくる。

禁を破って変更を行った場合

これを行った瞬間からウォーターフォールはその(ほぼ)唯一のメリットを失い,混沌が始まる。

最も多いパターンは,発注者側が(もはやスコープ品質を固定するという前提が失われているにも関わらず)納期コストの確定というメリット享受を譲らず,プロジェクトデスマーチ化する,というものであろう。あるいは,コストは譲るが納期は譲らない,というパターンの方が多いかもしれないが,いずれにせよデスマーチ化につながりやすいことは間違いない。

そしてこの副作用として何が起きたかというと,受注者側がそれを見越して納期コストバッファを積むようになった。当然それは見積もりの不透明感につながり,発注者側に受注者が「ボッて」いるのではないかという不信感を植えつけることになった。要するにお互い不幸になったのだ。

うまくいくのは非常に限られた条件が成立する場合のみ

スコープの変更の必要が生じたら,どちらに転んでもいい結果は得られない。となると,ウォーターフォールがうまくいくのは,「スコープが明白で,変更の可能性が全くない」開発案件に限られる。統計をとったわけではないので,そのような案件がどの程度あるかはわからないが,直感的には「ほとんどない」のではないかと思う。なぜなら,そこまでスコープが明白であれば,今はパッケージSaaSのようなレディメイドのものを導入する方が安いし早いしリスクも小さいからだ。

もう一つの可能性としては,スコープが変更不要になるまで,とにかく事前の準備と調査を徹底的に行う,というパターンもありうる。しかし,これは「準備と調査」の過程事実上いろいろ試作することになる(そうしないと変更のリスクが消せない)ので,もはや作業プロセスの大半が実はウォーターフォールではない,ということになるだろう。

アジャイル銀の弾丸ではない

ではアジャイルプロセスを導入すれば,これらの問題はすべて解決するか,というとそういう話ではない。ウォーターフォールメリットが(ほとんど)ないことと,アジャイル有効であることとは,独立議論である

そもそも「アジャイル」というのは考え方であってプロセスではない。だから,考え方を理解せずにプロセスだけ導入すると「偽アジャイル」になって,害悪を撒き散らすことが多い。

アジャイルの考え方は,主に以下の2点でウォーターフォールと大きく異なる。

1. スコープの変化がありうることを前提としている

2. スコープ品質=役に立つこと(=使えないものを作らないこと)が最優先であり,そのためにコスト納期が変化を(ある程度)受け入れる

この考え方こそアジャイル本質であって,CI/CDやDevOpsなどは,変化にすばやく対応するための道具にすぎない。もっといい道具があればそれを使えば良いし,CI/CDがなくても変化に迅速に対応できるのなら使わなくてもいい。

また「スコープに変化がありうること」は必ずしも「スコープをできるだけ確定する」こととは矛盾しない。リスクを下げるために,スコープはできるだけ確定する努力をする,というのはアジャイルでも変わらない。変えるべき時は変える,という点が違うだけだ。なんでも後で決めればいい/変えてもいい,というのは「偽アジャイル」であって,害悪しかない。

もちろんこれがあれば何もかもが解決する,という類のものでもない。上述の2点があるだけで(少なくとも今のたいていの開発案件において)ウォーターフォールよりマシになりうるとは思われるが,別の問題(例:納期コストの変化をどう扱うかという問題)も,同時に導入されてしまう。特に日本では請負契約によるソフトウェア開発が一般的であり,これが「納期コストの変化」と絶望的に相性が悪い。

もっとも,今の「ウォーターフォール」によるソフトウェア開発が,請負契約の成立条件である契約時にスコープを確定(し,変更しない)」を厳密に守っているわけでもない以上,これだけを理由アジャイル否定するのはどうかとも思う。

契約については,IPA等でも取り組みがあるようだが,いずれにせよ契約を行うのは発注者と受注者であり,受注者側だけでどうこうできる問題でもないので,発注者側の意識の変化を期待するしかいかもしれない。

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