はてなキーワード: 法曹界とは
同じページへ追記されるとはてなブックマークでは議論ができないので、追記分のみこちらに文字起こししました。
画像で掲載されていたのでOCRしています。ちょこちょこ読み取りが怪しいので随時修正します。
NHK「おはよう日本」報道局ディレクター大淵光彦と称する人物からDHCの広報部に
電話が入り、当方の「ヤケクソくじ」の説明文に人種差別の問題が含まれていて、今に
至ってもまだホームページに掲載が続いているがその理由を聞かせてくれとのことで
あった。名前を聞いて、明らかに在日系が好む日本名であることから、NHKを騙るコリ
アン系の反日日本人かと思ったが、NHKに問い合わせてみると確かに在籍しているとの
こと。小生は常々、日本の朝鮮化ということを何よりも危倶しているが、その元凶である
NHKからの問い合わせに小躍りした。NHKの状況を全国民に周知させる絶好の機会
だからである。朝鮮化ということではNHKは最も触れられたくない問題のはずである。
これはもう日本国民の誰もが気がついていることであると思うが、NHKは幹部・アナウ
ンサー・社員のほとんどがコリアン系である。出演者についても、学者・芸能人・スポーツ
選手の多くがコリアン系であり、ひどいことに偶然を装った街角のインタビューさえコリア
ン系を選んでいる。予めリストアップしているのである。特徴のある名前とつき出たあご、
引きしまった小さな口元、何よりも後頭部の絶壁ですぐに見分けがつく。サントリーが日
本海を「東海」と言おうが、社員・タレントをコリアン系ばかりにしようと-私企業である
から誰も文句は言えない。NHKは全国民から強制的に受信料をむしりとっている公的
機関であるから放置するわけにはいかない。誰がこんなふうにしてしまったのかというと
自民党の一部のコリアン系の国会議員であるが、野党はコリアン系だらけだからNHKの
やることには誰もストップをかけない。コリアン系は長い歴史の中で中国を常に宗主国と
してきたから、宗主国のやることには逆らえないというDNAができている。韓国の歴代
の大統領を見るとよくわかるONHKは朝鮮半島の悪IIは絶対に言わない。これは同族だ
から当然のことだが、親分の中国にも何も言えない。党員のほぼ全員がコリアン系である
立憲民主党は、総務省の役人がNTTの接待に応じたとかのどうでもよい文春の三流記
事を盾にして連日のように国会でがなり立てている。そんな場合ではなかろう。国境を侵
して侵入している敵には即座に銃撃して追い返すのが常識であろう。
小生のことをマスコミ(これもコリアン系ばかり)は人種差別主義者だと言うが、人種差別
というのは本来マジョリティがマイノリティに対して行う言動を指すのであって、今や日本
におけるコリアン系はマイノリティどころか日本の中枢をほとんど牛耳っている大マジョリ
ティである。毎日ものすごい数で帰化人が誕生している。数だけの同族でマジョリティで
はなく、彼らは東大・京大・一橋・早稲田を出ていることから政界・財界・法曹界・マスコ
ミ界という日本の中枢をすべて牛耳っている大マジョリティである。
小生はもともと経団連の会員であったが、呆れ果てて昨年の12月に退会した。経団連の
会員は日本を代表する有名企業ばかりで、コリアン系などいないと思われるでしょうが、
ここ数十年の間に続々とコリアン系が増殖して、幹部や一般会員だけでなく、会を支え
る事務局員までコリアン系で占められるようになった。そのため、彼らは日本のために
働いているのではなく、何かあると必ず中国寄りの態度を示し、韓国には常に同情的で
ある。中国がウイグル族などの少数民族に対してやっていることは明らかに人種差別の
最たるものです。アメリカで白人が大多数を占めていた昔なら黒人や朝鮮人は差別の対
象になっていましたが、今は一大勢力を形成していますからもう差別とは言えないで
しょう。数の力を頼って、西海岸の朝鮮人は今や市議会の中心層になっており、やりたい
放題でマイノリティの日本人をいじめています。言いたい事はきりがありませんが、NHK
要は自分が何を言いたいかというと「健康診断の検査つらい」なんですが。
それについていろいろと考察した長い文章が下に続いているだけ。
日本人の寿命が長いのって、国民皆保険があるからお金の負担が安いことと、会社員が35歳以降に人間ドックを毎年受けることで早期発見・治療しているからなのだろうか?人類の医療で生かされてる(活かされてる)んだよな、健康的な意味でも、寿命的な意味でも。そりゃあそうだ。予防医学だよな。歯医者の定期健診を受ける、とか。
でも、トシくって様々な検査がちょっと辛かったりするのを目の当たりにすると、
「検査をしたり医療を受けたりしてまでも生き永らえたいというモチベーションが、果たして自分にはあるのだろうか?」
積極的安楽死か、消極的安楽死か、なんか、そういうのが脳裏によぎる。
会社員でいる以上は、自分を労働リソースとして供出しているのだから、その「労働リソースとして将来的にどのくらい使えるか」ということが会社的には気になるわけだし、あと法律で決まってるのかな?その辺の理由で、会社側から言われたとおり健康診断を受けなきゃならない。「直せばまだ労力として使えるのならちゃんと直せ」というのが、営利企業や国力といった視点からの論理と言えるだろう。
なんか、「自分の体は自分だけのものじゃない」という感覚がする。「公僕」、会社や社会の共有物かのような感じがする。
あ、検査がつらいんで受けません。安楽死しまーす。っていう自分の体に自己決定の権利はないのかな。それ人道的にどうなのかな。
その「自分の体が自分のものじゃない」の最たるものが、家族の意向により、胃ろうで生かされている人間でしょう。倫理的にどうなのでしょうか。かくいう私の親戚にもいます。こわいので面会していないです。いまはコロナで面会もままならないですが。
医学は、人為的に死をコントロールできる術です。進歩すればするほどコントローラブルな範囲が広がる。いずれは不老不死も実現するのかも知れない。
そのコントローラーを渡されて握るのは、本人であるべきなのか、他人であるべきなのか。自分というシステムのroot権限は誰が持つのか。
それにしても、35歳くらいを超えてる会社員の全員がこういう検査受けてる、ってすごくないですか?
人によっては人間ドックを毎年サボってる常習犯が居たりして、まあ気持ちはわかる・・・ってなっちゃう。
医療体制がすごいのもあるし、検査にみんな耐えてるのえらいですよね。
医療が進歩して検査の負担を減らす改善も継続的に行われていて、胃カメラを口から入れるときの不快感を減らすためにイカリングみたいな白い輪っかをくわえると、かなりラクになるんですよね。あれ。ノーベル平和賞でしょ。10年前に受けた時あんなのなかったし肩に注射で麻酔してたんですけど、最近はのどスプレー麻酔になったし1時間で麻酔切れるし、カメラ自体も細くなった。昔の胃カメラでトラウマになってる人もいると思いますけど、いまだいぶ負担減ってるんで、バリウム飲むよりもラクじゃないかと思いますよ。
若い頃ってさ、なんか、さまざまな「リソース」というものが無限であるかのように錯覚していた。
言い方を変えれば「有限なリソース」という概念そのものが頭の中になかったのかも知れない。
健康も時間も、仕事にかけられる労力も、無限だと思ってたので、スケジュールも何もなくがむしゃらに働いていたような。
でも社会に出て、あ、いろんなものって有限なんだなって気づいて。そのリソース管理がすごく難しいことに気づいていった。
そして30を超えると、「自分の健康寿命」というリソースの有限さをひしひしと感じるようになる。
若いころはモノを買うとき、お金の使い方がコスパばっかり考えていたように思う。安物買いの銭失いだ。
それはそれで「将来への投資」の考えがなさすぎる、貧者の思想だとは思うけど。お金に対してそういう貧しい考え方で育ってしまったのだから仕方がない。トシとっていってお金の使い方が少しはマシになったし、服にかけるお金がふえたりした。
トシを取ると自分の寿命が頭の隅にチラつくので、コスパが多少悪くてもペイするように意識が変わっていっていると思う。
「いまは時期が悪い」とか言ってチャンスを見送っているうちに自分の寿命のほうがなくなっていくからね。
たとえ時期が多少悪くても、じゃあいまやろう。お金をポンと出してやったぜ。と。
経済の話でいうところの「機会損失」って、商品の在庫があるとか、買える機会とか、開催期間が限定されたイベントとか、そういう「外的な機会」の損失するかどうかを焦点にしがちに見えるけども、それだけじゃないんだな。外的機会がある間に、かつ、自分の健康もなければならない。健康でなければ商品を購入して満足することができないから。
「健康が不足していて機会損失」も大いにあり得るわけです。「大切な推しのイベントなのに風邪ひいていけなくなった」とか。
これっていうのは「推しは推せるときに推せ」「孝行したいときに親はいない」と通じるものがある。
だから商売するのって、「ちょっと健康に不安が出てきて、かつ、そこそこお金持ってる人」を狙うのが効率よさそうですよね。健康商品じゃなくても。
ゲスいですが。足元見てる。
そういうターゲッティングして商売してる人間自体も、いずれはその該当者になるんですよ。
「おれは長生きしないんだ」つって、暴飲暴食してる人、ラクに死ねると思うなよ。苦しむぞ。みたいな脅しツイートを見かけたりしますけど、まあ確かにそうなんですけど、それも安楽死があれば解決するんですよね。
日本における安楽死の議論での反対派って「イジメみたいに同調圧力によって安楽死の自己決定を促されてしまう」危惧をドグマにしてますけど、
すでに「健康診断の圧力によってつらい検査を受けさせられてる」現状があるので、たしかにそうかも。そうなるだろうなあとは思われます。
「自殺と他殺」という対比の概念がありますが、それと同じように「自生と他生」とでもいいましょうか。
どう転んでも、自分の体の健康維持や死についての決定権は、自分だけが独占的・排他的に所有してはいない(できない)ようですね・・・。やはり自分の体は公僕性、公共物性を帯びているようです。それは国民皆保険であるから、国としては保険で治療コストの高い病気をなるべく支払わずに済ませたいので、治療コストの高い病気にかかるリスクを下げておくための検査コストを支払っておく(強制的に受けさせる)ほうがトータルでコストが安い、という計算なのでしょうか。
他者の圧力によって胃ろうで生かされてしまうようなことがある社会と、
どっちがマシなんですかね?
「勝手に生きるな」
介錯してラクにさせてあげたほうがいいんじゃない?とも思うし、
人為的に死をコントロールできてしまうということは、サバイバーズ・ギルトってやつが生まれる。生存者の罪悪感。
面倒なことにならないように、自分の生死を他者の人為的なコントロール下に置かれることが無いようにしたいですね。
やっぱ自分がコントローラ握って健康診断うけるかどうか決めたり、コロっと安楽死が理想なんですよ。でもそれって一貫性としては、このコロナのご時世で「公衆衛生を省みない自分勝手な自由な行動に出ることの許容」をも意味してしまうのですが。感染症や、医療保険の有無、といった社会的な連帯関係のものは物議をかもしますよね。そりゃ。
自分が死ぬときはVR-HMDかぶって、なんか、すごい音と映像で逝きたい。
臨床宗教師の仕事の中に「VR機材の管理」も含まれてくると思うんですよね、今後は。「テクノ法要」もありますし。映像や音声のクリエイターも、その走馬灯のような「最期の映像」をクリエイトする日が来るわけですよ。
だからVR業界から法曹界・医療関係に転職するようなキャリアパスもあるでしょうね今後は。
塞翁が馬。
みとりびと、おくりびと
報道機関各位
この度、 本日付け日本初で「謝罪会見診断士」として弊社理事長の戸村智憲が資格取得いたしましたのでご案内申し上げます。
「謝罪会見診断士」は、 企業経営・組織運営の健全化やメディアでの中立公正で組織運営上で大切なリスク管理・危機管理・危機管理広報の情報発信を目指すもので、 認定コース受講・審査を経て資格取得となるものです。
謝罪会見においては、 往々にして、 中立・公正な立場からのメディアでの解説やコメントに至らず、 メディア出身者の経験や法曹界の見解を得るにとどまるものが見受けられます。
各種法人が謝罪会見で述べる内容やその後に求められる対応においては、 単に、 誤ってコンプライアンス=法令遵守、 ととらえられるものだけではありません。 (法令さえ違反しなければ何をやってもよいわけでもなければ、 裁判で法の抜け穴などをついて法廷戦術で無罪さえ勝ち得ればよいものではありません)
平時からのリスク管理と有事の危機管理に加え、 ビジネス実務・企業等の社会的責任(CSR)・社会通念や、 中立公正な視点をもって、 幅広い視点から謝罪会見を見据えなければ、 事の本質や企業や社会でこれから何をどうなすべきかが、 社会一般に妥当に伝わらない危険性を危惧して資格を設けられました。
https://togetter.com/li/1577837
「その程度で落ちるならその程度って事です。それで落ちる人様な人はたとえナンパされてなくても他に言い訳を探します。」
「セカンドレイプなんてお気持ちで騒ぐ人が法曹界に向いているとは思えないんですけど。」
「フェミニストを法曹界や政治に関与させるべきではないと言う決意が固まりますよね。そしてフェミと女の見分けなんてつかないから当然女をその世界に出すべきではないと言う考えになる。女の社会進出を奪ってるのはフェミニストです。」
被害者の女性は一切非がないのにどういう理屈でここまで攻撃できるんだ?
あと、プロフに表現の自由とか書いてあるけど、表現の自由を尊重するなら当然、表現の不自由展で天皇の写真を燃やしたり国旗破いたりするアートにも賛成だよな?じゃなきゃダブスタ。
「国民が監視を行い、問題があれば、当該政権への非難を行えば」と書いてるが、そもそもあなた自身が監視するつもりがないように見える。
それとこれと何か関係がある?
司法制度改革はそれが必要と思われたから改革したのであって、今回「検察庁とりわけ前任の検事総長の意見を尊重」することが問題視されたわけじゃないよね?
関係ないところで慣例を変えるなら、その意図は何なのか気にならない?
この過程に疑問を抱かないのはびっくりする。
どういう判断基準で定年延長する人を決めるか全然決まってない内から改定案強行採決されそうだけどね。
そういう検事総長が誕生したとして、検察官は知らんが国民がそれを見抜いて何かできることはあるの?
そういう検事総長が誕生し得る法改定がされそうだと見抜いて、今国民が声を上げてるんじゃないの?
まぁ、個人的には黒川氏が検事総長になる確率は極めて低いとは思うけど、あの安倍が、この時期に(コロナもそうだけど、黒川氏が在任中というのも大きい)強行採決しようするのはきな臭いものしか感じない。
http://blog.livedoor.jp/tokyolaw/archives/1077404701.html
ネットにおける検察庁法改正案反対運動の動きは目覚ましいものがあり、どうでもいい問題と思っていた私としても意見を変えつつある。世間の状態や政権不信があると、こういう技術的なものに近い話が、特に興味を持たない、何となく怖いと思っているだけの人々をここまで大きく動かせるのだと、率直に恐怖に近い感情を覚えた。専門家からの指摘についても、良いものもあるが、上記の東京法律事務所の記事は法案反対・現政権批判という色が強く、ややバランスを欠いているように見える。
この件については、既にバズっているとんふぃ氏のまとめが比較的中立でわかりやすいが、少し専門性が強く読みづらいかもしれない。ちなみに、別にとんふぃ氏は改正賛成はではなく、どちらかというと反対に近いように見えるが、本当の問題がどこにあるのか、という点から、網羅的・中立的にまとめておられる。
https://note.com/tonfi/n/n95a2265c6273
また、慶應義塾大学大屋雄裕教授のTwitterも参考になる。
https://twitter.com/takehiroohya?ref_src=twsrc%5Egoogle%7Ctwcamp%5Eserp%7Ctwgr%5Eauthor
こういった良情報があり、注目を集めてもいる状況がありながら、東京法律事務所の記事が分かりやすいと賛同を得る状況を見るに、内容面への理解というよりは、現政権はおかしい!何か危ういことをしようとしている!というスタンス・危機感に合っているかどうかが重要視されるようになっているのではないかと感じている。
こういうときに、上のお二人には到底及ばないが、少しでも落ち着いて考えるように促す投稿が別途あっても良いかもしれない、というのがこの投稿を書いている動機である。
本改正案は、細かいところを捨象すると、①検察官全体の定年を63歳から65歳に引き上げる、②一定の役職については役職としての定年を63歳(現行法の通常の検察官の定年と同じ)にする(=その後は平の検察官に戻る)、③一定の事由がある場合、内閣によって②の役職の定年や①の検察官としての定年を延長することができる、という3段階の制度を設けていることは広く知られていると思う(ただ、ここは、役職等により色々な条項が入り乱れており、ざっくりまとめれていることがほとんどであるため、理解をしにくくしている点かもしれない。)。
このうち、問題視されている③について、私は、特段必要性がないと思っていることが反対の理由である。三権分立というような大上段の話ではない。
①については、公務員全体の定年引上げという中で、そこと揃えるのであるから、特に反対する理由は思いつかない。ここについては、東京法律事務所も問題ないとしているので、特に取り上げない。
②についてであるが、高齢化社会において定年の延長という社会全体の趨勢があるとしても、トップやそれに近い要職に高齢者が就いているという事はあまり好ましいものではないと考えており、私としては問題がないものと考えている。ここも、東京法律事務所の記事で特に反論されていないのでこれ以上は触れない。
③については、例えば民間企業等において、優秀なトップに引き続き職責を務めてもらいたい、というような理由で高齢の方が一般の定年年齢を過ぎた後も働くということは往々にしてあると思われ、規定の趣旨としては理解できるものである。ただ、そのような能力があると言えるかどうかの検証は困難であると思われ、実際には、政治力等々、様々な事情の絡んでくる話になるだろう。とすれば、②の趣旨を貫徹し、一律新しい風を吹き込むべきであるというのが私の見解である。この辺りは、各人に考えの違いがあるのではないか。ただ、それは、定年という制度への考え方についての話であり、三権分立がどうとか、現政権の陰謀というような話にはならないだろうし、これほど世間が大きく盛り上がるような話でもないと考える。
2.三権分立について
何故、私が、今回の件について三権分立と関係しないと考えているかという点だが、これも散々に指摘されているところではあるが、そもそも、現行検察庁法上、「検事総長、次長検事及び各検事長は一級とし、その任免は、内閣が行」うものとされていることから明らかなとおり、内閣に一定役職の任免権があるからである。
最も恣意的な関与を及ぼしやすい場面の一つである任命について内閣にその権限があるのに、定年を伸ばすという「出口」だけを殊更問題視することで、いったいどれほど政権の恣意の排除ができるのだろうか。
この点について、東京法律事務所の記事は「歴代の自民党政権は、検察庁とりわけ前任の検事総長の意見を尊重し、これに介入しないという慣例がありました」として、任命権があるからと言って時の政権の自由にできたわけではないことを挙げているが、まさか、この慣例に反することが違法だという趣旨ではないだろう。そうだとすると、検察庁法の立て付けとして、任命については、精々政権が慣例に配慮することを望むことはあるかもしれないが、内閣に任せても三権分立は維持できるということになっている。ならば、定年延長についても個別事例においてきちんと国民が監視を行い、問題があれば、当該政権への非難を行えば十分であるだろう。余談だが、先述の慣例を無条件に守るべきであると考えているのであれば、昨今(というほど最近でもないが)の司法制度改革を通じ、一種「象牙の塔」と化していた法曹界に国民との間での双方向性を入れてきた流れとは、ずいぶん異なるようにも思う。
結局、この法改正があろうがなかろうが、適正な三権分立の維持のためには国民の不断の監視こそが重要であることは、若干文脈が異なるがとんふぃ氏の指摘するとおりである。三権分立の点から批判するのであれば、せめて、任命についても含めて、より大きな視点からの制度設計を描かない限り、説得的ではないのではないか。
(ここからは全くの邪推だが、定年を伸ばせる程度では大したことはできないだろうという見解に対し、任命の問題と別の大問題だという見方をする方の背後には、桜を見る会やモリカケ、あるいは、それこそ黒川氏の定年延長問題など、様々な問題についての現政権批判が結局は世論に届いてこなかったという無力感や怒りがあるように感じることがある。結局、国民が監視し、意見するということの力は、大したことがないのだと。ただ、本当にそれは大したことがない力しかないのだろうか。)
正直に言えば、黒川氏の定年延長については私の興味の外に近い。既に内閣の見解として、検察庁法に関わらず定年延長可能という解釈が示されている以上、今回の改正と絡めて邪推をするよりも、個別に法解釈上の問題を争うとともに、個別の妥当性についても問題にすべきだろう。事後的に定年延長を正当化するものであり、政権の不当な解釈変更を事後的に承認しかねないものだという見解も多く見られるが、国会において適法に成立した法に則り、適切なプロセスを経て定年延長をすることが仮に可能なのであれば、それはそれで問題が無いのではないか。こういうのもなんだが、そもそも、わいろというのは見える場所でやり取りする物だろうか。丸見えのわいろに従って忖度した判断をする検事総長等々の判断に反抗しないほど個々の検察官は軟弱で、国民は見抜けない程阿呆なのだろうか。
ただ、結局、この問題と絡めたおかしな邪推がしやすいような状況で、改正を推し進めた結果が国民からの不信を高める結果を助長したのは間違いがなく、改正法は成立になっても不成立になっても禍根を残すだろう。非常に悲しく、恐ろしい状態になってしまったなと感じる。
4.今回の反対運動について
まとめであるここの項が、一番言いたいことであり、また、一番の放言であるのだが、Twitterのハッシュタグでの拡散による反対運動が一定の成功を収めたように見えることは、非常に怖いことであると感じた。今回の件について、きゃりーぱみゅぱみゅ氏が炎上してしまったことは大変悲しいことであると思うし、個々人が、自身の理解の中である政治的問題への意見を表明すること自体は悪いことであろうはずもない。ただ、Twitterという短文投稿の場で、ハッシュタグの拡散を行うという安易さは、民主主義の基礎たる議論となじむものなのだろうか。そこにあるのは、何となくの不安や恐怖に対する共感が主であり、相互理解のための議論があるとはどうしても思えないというのが私の意見である。そういった共感による多数を作ることが民主主義なのだとしたら、全体主義はそのすぐ隣にいるのではないだろうか。
唐澤貴洋という弁護士がいる。彼はいろんな人のオモチャにされているが、別に悪い人でもなければ誰かを不当に攻撃する人でもない。彼を一言で言うなら「クズに目をつけられた哀れな善人」だ。
彼のような不器用なりにもマトモな弁護士がいる一方、法曹界にはクズが沢山いて、それが昨今ツイッターで俺すら目にする程度に目立ってきた。
奴らは非常にたちが悪い。奴らは最初に極端な事を言って人を集め、それに不用意に噛み付いたツイートをボコボコにする。実は極端に見える内容もよくよく見ると逃げ道がちゃんと用意されていて、いわば炎上狙いのこすずるいものなのだ。
推定有罪って何年前の話してるんだ?
その頃のニュースがあまりにも強く心に刻まれてしまったせいでその後の鉄道会社や法曹界や警察による改善の取り組みが何も見えなくなってるんじゃないか?
ニュースソースどうぞ。
ファクトベースの議論をすると不利になるからって印象ベースの話に持ち込むために数字の排除されたレッテルだけの議論になってない?
それは年間3200件という数字を無視してる自称「被害者」のほうだろ。
フィルダーバブルで先鋭化した極右みたいなやり方をするあなたのような人がいると本当に男性差別撤廃を目指す人にとっても邪魔でしかないんですけど
そうだね、そういうこと言ったら黙らせられると思ってるんだねー。
まず、大学運営と国立研究所の運営との法的位置付けを見てみたいと思います。
日本の法律における大学の位置はまず、憲法23条の「学問の自由はこれを保証する」に関連した過去の裁判所の判例から大学は民主的に運営されることが強く望まれるというのが現在の法曹界の見解としては主流だと私は考えます。
一方、国立研究所の法的位置はと言いますと、例えば環境研究所は環境省の管轄下にありまして、大学の場合のように直接、憲法の条項により規定されている部分は私の知っている限りでは存在していません。つまり、国立研究所の運営に民主的な要件は必ずしも担保されていないのかもしれないと思います。