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はてなキーワード: 水泳とは

2024-07-07

anond:20240707221124

プール

フェミニズム道徳に入れる代わりに何を削る

水泳の授業こそ、やってもムダだって結果が分かってる教育でしょ。

津波に遭ったら泳ぐ技能なんて意味ない。

着衣で泳ぐのは半裸で泳ぐのと全然違うし、津波って水というより押し寄せる巨大な羊羹

少しでも触れれば運動エネルギーバラバラにされる。

プールの授業って何の意味があるの?

義務教育で教える必要ある?

水着かい性的恥ずかしさに耐える訓練?

夏になったのでとりあえずツルツルに

暑い季節ですね。

年々暑さに弱くなっている気がしますが、年々より暑くなっていってる方が正しいのでしょうか。


さて表題の件です。


夏に最もいらないものは何か。そう。それは毛です。邪魔です。毛がなくなるだけで股間の体温が下がる気がします。不快指数が3下がります

皆さんは毛はどうしているのでしょうか。夏の毛なんて百害あって一利なしです。ロードバイク水泳をやっている方ならわかるかと思いますが、毛は空気抵抗や水の抵抗をうみます結構生みます。なので、そこに空気の層が出来るのです。羽毛布団のようなものです。

陰毛しろすね毛にしろ、羽毛布団のようなものです。下半身をくるんでいるのです。ちぢれた毛で。

そこでどうでしょう陰毛がない、すね毛がないだけでここまで解き放たれるのです。爽やかです。

ただまぁ、プレイする時は気をつけてください。

現場からは以上です。

2024-07-06

高知市水泳授業中に溺れ搬送されていた小学生が死亡 小学校プール使えず中学校プールで授業

高知教員脳みそ付いてんのか?

深いプールだと危ない、そんなこともわからないのか

この前もプールの水を出しっぱなしにして個人負担したばっかりだろ

2024-07-05

anond:20240705095059

学校はそういう事言いそうだけど、マジで水泳やって記録伸ばしたいとか大会出たいとかじゃない限り着ない理由がないのでは。

2024-07-04

パリ五輪さん、東京並のクソ五輪

パリさん

エアコンなくてもええやろw → 各国で独自調達

セーヌ川水泳させよっとw(ドブ川

東京さん

すだれで涼しく

東京湾で水泳させよっとw

anond:20240704045130

ロリコンキモオタ子ども水泳授業に口を突っ込んで

泳ぐ邪魔になりそうですなぁ

イスラムみたいですなぁ

ときしょい絡み方するからそんな返しされるのよ。

anond:20240703073445

世間は今の子供が羨ましい、もっと早く導入して欲しかったと、子供水泳見学が減るレベルで、健康面でも精神面でも大人子供ジェンダーレス水着を大歓迎してます

小学生ジェンダーレス水着画像見ながら「ジェンダーレス水着エロを開発するだけですが?」とか言ってるアンフェオタクは時流から完全に取り残されてるから、もう実物子供画像エロ云々言う時代じゃないか常識的に生きなよ。

2024-06-29

anond:20240629133715

厨房の時脇毛剃ろうとして失敗して両脇血だるま水泳の授業受けたあたしにあやって頂戴。

2024-06-28

親がスマホ持ってないと学校との連絡も取れない?

ブログを見て知ったのだけど(はてぶでコメント非公開設定)

「すぐーる」なるスマホアプリで親が学校と連絡を取り合い、

子供が体育の水泳の授業がある日は毎回、親の確認必要で8:30までにしないと子供水泳の授業を見学になってしまうんだって

これは親がスマホ持っていない場合、どうなるのか?

ぐぐってみてみても、わからなかった。

セルフレジデジタル機器苦手な人は買い物が大変だろうけど、

今どきはスマホをきちんと使えないと親の役割を果たすこともできないのか。

スマホが壊れた場合は??

大変な世の中になったなぁ。

2024-06-26

anond:20240626161037

しかありませんでした。書き起こす必要性感じなかったのでコピペ

フツーに読んだら嘘しかないけどな

 

パパもママも親戚も彼氏くんも(夫くん)も友達も『増田ってすごいね』って認めてくれるの!

でもそれじゃあ満足できないんだぁ🥺って

 

こんなんどうしたら真に受けることが出来んのよ

 

 

このどちらかですよ

マジで発達障害のみでお仕事に困るレベルなら、学習障害学業不信・成績不良の方で、まず引っ掛かるのですわ
あるいは発達障害で周囲とのあれこれで発動してしまった重たい二次障害鬱病とか統合失調とか境界性人格障害とか社交不安障害(SAD)の方で引っ掛かるのですわ

 

上記のどちらでもないのなら、『発達障害からお仕事困るんでちゅ~』は端的に言えば嘘ですよね?

極端に苦手で<やりたくなかったからやらなかっただけ>で、別にやった人は発達障害でもできます

医師の診断も受けずに自称で名乗るはもちろんのこと、

発達障害自体詐称ではないが何でもかんでも発達障害の箱にぶち込みたがるやつ

そしてそれで、SNS芸人エッセイスト芸人やってるやつな

 

こういうクソどもは知能面でかなりしんどい結果が出ている人と能力かわってやればいいのにって思いました

あるいは犯罪犯して刑務所行きルートしかないようないっさいの支援を受けられなかった人と環境かわってやればいいのにって思いました

 

発達障害水泳平成不況リーマンショック、30代

https://anond.hatelabo.jp/20240618221543# https://anond.hatelabo.jp/20240618222241#

心理検査受けたら想像よりIQ低くてワロタ

https://anond.hatelabo.jp/20240619165951#

anond:20240626104257

同じ距離で条件を揃えて比較する陸上競技水泳女性差別

全種目男女混合チーム戦とし各選手ラップタイムや飛距離比較は国際条約禁止、計測したことが発覚した場合は再教育施設に放り込むべき

anond:20240626104425

いうほど無双しとるか?

水泳のアレもいうほどでもなかったやん

大学記録すら更新できなかった

2024-06-23

公立中学校流出した内部文書

男子

1.やるべきことをしっかりやろうとする。本人はやればできると自分の力に気づき始めた。

2.██をいじめていた集団の中心。 ██と離した方が良い。

3.██の弟。友達への文句が多い。 嫌われ傾向。

4.わるい、██NO.3. ADHD的な面もあり(診断なし)、善悪判断ができない、別紙あり

5.注意。不潔(鼻をほじるなど)な面あり、周り(特に女子)から避けられる傾向。 だらしなく、提出物は悪い。 母親は 方的に話をしてくるタイプで話が通じない。

6.難聴で右耳ほぼ聞こえない。 席等の配慮担任相談だが、 基本どこでも大丈夫学校では好かれてい ある。プログラミング◯、ボカロ好き。 提出物△。興味持つことには積極的。 ただ、母親が耳のことでいじめられないか心配している。 過去に姉が中学校で引継ぎを失敗され、いじめを受けたことがあり、引継ぎ、 情 報共有をしっかりやってほしいとの強い要望。 本人のことを理解している人を同じクラスに入れてほしいとの要望あり。

7.特になし。

8.父親██勤務。小2のとき学校に父が乗り込んできたこともある。本人は特に問題なし。

9.人にいじわるをすると言われている。裏ではちょろかも。 小6になってちゃん仕事もこなすようになり成長した。

10.いい子で真面目過ぎる。 やることをちゃんとこなすリーダー格の他の生徒についていこうという意識はあるが、本人のリーダー性はあまりない。 ただ、引っ張っていこうとはする。

11.女友達多い。 LGBTOかも?おっとり真面目。

12.いい子。 責任感が強く、仕事をしっかりこなす

13.幼い。 言動乱暴。素直でもある。 人にちょっかい出す。 軽度の斜視。思ったこと口に出す。

14.先生に嫌われるタイプ。余計な一言がとにかく多い。ただ、スパッと教員から指導されるとすぐ折れる。3組██とつるむと甘ったれ可能性あり

15.運動会応援団長を務める。下級生への気遣いが良くできる。頑張り屋。

女子

16.██学級代表レベル

17.██で二番目にいい子、リーダー性あり、ピアノ弾ける

18.結構もっている。 本人はいじめられたりちょっかいかけられても、本人はいじめられている自覚がない。周りがいじめられているかもと密告して判明することが多い。 小6時には同クラス男子から「菌」と呼ばれ たり、椅子に画びょうをおかれるいじめ有。 学力低い。 行動幼い。 話し方に遅れがある (先生のことをしぇんしぇーなど) 行動も幼い。 口にものはいったまま話すなど。 人をイラっとさせる発言をする。 通級に通っ ており、早退あり。 親は子供のこと理解しているようだが、周りの接し方が悪いということがあり、本当に 理解しているのか不明。████いる。

19.██。準備を含め、行事に参加する傾向。 ただ、母親が必ず一緒。 他の授業は不参加。

20.神経系病気で肢体不自由。 徐々に歩けなくなる病気学力低い。 算数病気の影響もあり、なかなか ついていけない。「困ったことは自分からかにお願いするように」と母親から言われているが、自分で助けてとはまだ言えない。移動教室時は特注の車いす(廊下に置いている) 階段は手すりを使用し、荷物は 友人に持ってもらう、 旅行行事保護者参加。 トイレ給食後1回だけ。 小学校時は学びのサポーターが一緒にトイレまで行って介助(教員は用具等どうやっているか知らない)。 母親は協力的のようだが、抜けていることもあり、 「聞いていない」など言う。 だが、攻撃的というほどでもない。

21.静か。 姉と夜更かししているそう。 近くのことはしゃべる程度で友達が多い方ではない。 移動教室も1人ないしは3人くらいで。 欠席多い。

22.やりたくないことをやろうとしない傾向。 自分勝手なところがあり、行動する。 男子っぽい喧嘩あり。

23.すごく頭が良い。 良すぎて何を考えているかからないことも。 学校では不満があっても口にしないが家では愚痴っているらしく、時折親から(匿名で) クレーム電話が来る。

24.●リーダーを支えるかんじ ●バスケ

25.いい子

26.ポケモンカード大会にたくさん出るので、欠席がある。 精神的に波があり、良いときと悪いときの差が大きい。叱られるとごまかす。

27.コミュ力低い。無口。家ではもっとしゃべって違うキャラらしい。頑張りやさん。水泳〇。

28.●母いない(小2のとき他界) 生活リズム△●親の管理もだらしない

29.ずるいところあり、仕事はあまりせず。 当番はするし、周りへ呼びかけができる。

30.マンガ・絵が好き

31.████でもめた。悪口を言った

32.クレーマー気質。頑張り屋、大人を試すような行動をすることも、

33.6年3学期に転入函館育ちで口調がきついが素直ないい子

男子

34.リーダー、賢い、いい子、運動勉強もできる

35.野球少年所属 エースで4番 中学クラブチーム ムードメーカー 調子に乗る気質あり 素直さはあるが、ずる賢く、人を見て態度を変える

36.母親子どもと同じようなタイプ トラブルメーカーでM傾向のNo2アスペADHD傾向。空気めない。 衝動性強い。 共感性弱い。周りもよく思っていない。 ██(もめている)、██と離す。

37.自分モテると思っている。 天性的に明るく、派手。よくしゃべる。 モテると分かっていて、女子を使って仕事をさせることも中学年くらいまであった。

38.診断は出ていないが、多動。物の整理× 集団行動× 列から離れてしまう。落書き多い、父親協力的。

39.学力テスト文章理解できない、一対一で話すと理解できるが一斉授業になると理解できない、別紙あり

40.だらしない。 不登校。夜ゲーム。親も独特で、冬休み宿題をやってあげていた。 低学力友達はいる。親は朝しか連絡がつかない。 ██がいると登校するかも

41.とても頑張り屋

42.問題ない、勉強そこそこ

43.いい子。寡黙。やることやる人。

44.目立ちたがりだが能力は高くない。 アンケートにたびたび██が嫌いだと書いてくる。離した方が良い。

45.弱い。クラスで一番幼い。 読み書きができない、特に敬語で話すことができない。 愛されキャラ的な面あり。

46.クロームブックを使うのが得意で、イベント時に上手に使って盛り上げることができた。 うるさいこともある。

47.勉強そこそこ、みんなと上手くかかわる

48.面白い子。いい子。

49.机に死ねと書かれ、1日学校を休んだ。誰が書いたかは分からないが、 ██?という担任見立て筋道あると物事理解はあるが、学力はとても低い。 授業中のトイレ多い。██████。

女子

50.生徒会. ムードメーカー、明るい。 成績も◯

51.女ボス。影口、他人悪口トラブル

52.対人関係不安。██に対し██が攻撃するから██を守るために離す。 ██と離すのは██がつぶれるから不安定な状況下にいるとフリーズする。面倒くさいタイプ

53.トゥレット症候群ADHD.、服薬治療中。本人のプレッシャーを軽くすると安定する。 水泳スキーやらせない(保護者が)※引き継ぎシートあり

54.社会性に欠ける。 コミュニケーション力低く、他人に優しくできない(興味がない感じ)。 授業中に寝る。母親フォローしている。

55.おとなしい, しっかり者。

56.人にズバッと意見を言える。リーダー格についていき、引っ張っていこうとする様子が見られる。 始業式ピアノ

57.怪我多い。 体育ですぐケガする。 サバサバ女子。友人多め、

58.●父親うるさい●担任は「男の先生」がよい

59.自分勝手な面があり、ごり押しタイプ

60.ピアノ弾けるらしいが未確認。(周囲の子が弾けるといっていた)

61.保護者先生と話したいタイプクレームとかはない、本人はいい子

62.いい子

63.父母韓国人。 いい感じに仕事サボる、手を抜く。誰とでも仲良くなれる。 技術センス

64.特になし

65.賢い、静か、しっかりしてる

66.非を認めることができない。 わがまま。周りから信頼なく、嫌われている。

67.██████████へ、バスケをやっている██の女子と合わず男子といることが多かった。 からかわれても強い。██████████丁寧。

男子

68.挨拶運動応援団などに参加するなど何事にも意欲的。周りからも信頼されている。

69.真面目でいい子。思考大人、やることはやるが、前は出てこない。

70.教育一家。髪長い、金のメッシュ。親は教育家(祖父小学校教員のよう)。学校行きたくないと言った時があ り、その際に家庭で揉め、 母親木刀で殴った。 母親はその場しのぎの指導しかできない様子。早退対応保護者が迎えに来る際はが姉くるときもある。 ██と助け合える仲。

71.ちょろすけ。人へちょっかいかけつづける。 周りが邪険扱いするほど。邪険扱いされても関係ないというスタンスはいるが、実は気にしてそう。 人の気持ちを考えるのが苦手。学力はそれなりなので頭は働き、口がうまい先生への指導に言い返すこともたくさんある。そのくせメンタル弱めで成績低くて休んだりする。保護者に見せる顔と親に見せるが違う。親過保護

72.6年3学期から学校へ登校できないことへクレーム。低学力 (小3レベル)、 人目を気にする、かかわり方が分からない、ほぼ全欠、母の話すことと、本人が話 すことにずれがあることも、父注意、別紙あり

73.発達障害を持っている。人の気持ちがわからない面あり。 他人の物を勝手にいじりトラブルも。親は気にしていない。

74.5年生の最初不登校になり、担任のせいにしたこと母親からクレームがあった(のちに納まる)。環境の変化で不安定になりがち。ピアノが上手だが恥ずかしがって実力が出せなかった。

75.責任感なし。提出物△。中耳炎になり手術した影響で、耳の聞こえ、しゃべり方がよくない。基本ファルセッ トの声で話すことが多いが、「周りがびっくりするので低い声を出そう」という担任指導で低い声で話すことも可能基本的には低い声で話そうとしてくれる██と助け合える仲。欠席多く心配だが、担任いわくサポリと言っていた。

76.バスケ大好き。体は小さいが 頑張り屋。母親も良い人。

77.●母うるさい●本人にはフランクに接してよい

78.色々なことに前向きに挑戦する傾向。流されがちな面もある。サッカークラブチーム。

79.めっちゃ元気でポジティブ自己肯定感が強いが能力はそれほど高くない。やりたいこととできることに ギャップがある。 友達思いでひとりの子に声を掛けられる。

79.アトピー旅行行事配慮必要。字汚い。 2組██と親同士×

80.こだわりが強い特性はあるが、問題はない、やさしい

81.低学力。意欲あるができない、読み書きができない、やさしい

82.優しくすごく良い子。 自分は何でも頑張るが積極的に前に出てくるタイプではない。ピアノは弾けるがオーディションに出てくることはなかった。

女子

83.学年で1番面倒な人。人を見て態度を変える。褒めることが大事めっちゃ気が強い。

84.●脊髄の手術をしている●体育座り× ●小学校では体育見学多い●ぶつからないように注意必要コルセット着用●本人は特別扱いを好まない●練習すればピアノ

85.████。本人に自閉傾向があるかも、。普段はぼやっとしている。絵を書くのが好き。クラスではマスコット存在で可愛がられ、周りから嫌われることはないが、自分から友達に話しかけに行くことはなく、ずっと担任と話している。 ██から小1のとき性的ないたずら(内容は不明)があり必ず中学では離す。████に起こった████████で父を殺害された。 SCが入り相談を受けているが、本人はどう思っているか読めない。 このクラスの生徒には担任から父が亡くなったこと、噂等はしないことを伝えている。クラス での関係が難しい、もしくは話す人がおらず、困っているようであれば、SCを通して小学校とつなぐよう、本人にも伝え、小学校連携をとりながらサポートをしていきたいとのこと。

86.人によって態度がちょっと変わる。学力高い。先を見て行動できる。自然といいことをしようと動く。

87.スーパーいい子。██と保育園から一緒で上手に扱えるけど、今年頑張ってくれたから、中学校では一緒じゃない方がいい。 表には出てこなかった。

88.西1で二番目にいい子。勉強できる、意欲もある

89.5年の時████ともめていた。 中学でも分けた方がいい。まじめ。一生懸命すぎる。孤立するかも、本人は気にしない。

90.████がいる。保護者いい人だが、だらしない人。おとなしい感じだが、先生に話しかける。注目浴びるのNG

91.まじめじゃないといけない、そうしないといけないというプレッシャーを感じる。 少しクセあり。██の世話をしてくれていた。

92.大人しく、思うことがあっても全体の前では意見を言わない。少人数なら言える。たまに、やるべきことをサボる面もある。

93.姉特学。クラブバスケ男子と遊ぶことが多い。 サバサバしてる。

94.バスケ気持ちの弱い面があり、体調を崩し過去休みがちに。今はない。年下の面倒をみる。

95.明るい、夏ころホルモンバランスの影響?で体質がきつくなりトラブルになりかけたこともあったがすぐ収まった

96.漫画、絵好き、勉強もまあまあ

97.●人として、とても良い!!●小6のお手本●面倒見が良い●勉強心配

98.漫画、絵好き。ふくよかで4年生のころ男子からデブ」と言われトラブルもあったが、今は気にしないようになった

99.特になし。自分より下の(弱い)者には強く出るかも

2024-06-22

anond:20240621180502

そういうのも話し合ってるのかと思ってた

私だったら下記みたいなルール提案するかなぁ

デフォルト値:戸籍の持ち主の姓

・18歳まで:子の意思で"通称"としてどちらの姓を使っても良い。ただし施設側の管理煩雑になるので、施設ごとに一つとする。例えばA小学校で「田中太郎です」と自己紹介したらで、A小学校在籍中は田中太郎として過ごす。なお同時期の水泳教室で「鈴木太郎です」とすることは可能

・成人:19歳になる前日までにどちらの姓を正式な姓とするか決めて役所へ届出。15歳など早めに届け出ても良い。届出がない場合自動的戸籍姓が正式な姓として登録される

2024-06-20

着衣で健診するやつ水泳の授業終わりにaiに診察してもらったらええのに

水着で専用の車いれて歩かせる

人間には無理でもaiならいける!

anond:20240620091221 anond:20240620150513

それが悪いことだとは誰も思ってないけど(後進国でもようやくサポートが始まっている)

嘘つきは多いよね

 

医師の診断も受けずに自称で名乗るはもちろんのこと、

発達障害自体詐称ではないが何でもかんでも発達障害の箱にぶち込みたがるやつ

そしてそれで、SNS芸人エッセイスト芸人やってるやつな

 

こういうクソどもは知能面でかなりしんどい結果が出ている人と能力かわってやればいいのにって思いました

あるいは犯罪犯して刑務所行きルートしかないようないっさいの支援を受けられなかった人と環境かわってやればいいのにって思いました

 

発達障害水泳平成不況リーマンショック、30代

https://anond.hatelabo.jp/20240618221543# https://anond.hatelabo.jp/20240618222241#

心理検査受けたら想像よりIQ低くてワロタ

https://anond.hatelabo.jp/20240619165951#

[]やブクマ狙いは今日も嘘つき

たまたま特技が仕事になり

かつ

自分のペースで仕事ができる自営業

という選択ができる人間けが

生き残ってて残酷やな…

今の世の中でお金に変えにくい能力を持つ人たちがいる事実や、

支援を受けるどころか、まさか故意妨害を受けることがある事実、悪気はないにしろ何かしらの妨害を受けることがある事実

それらを別に無視しているわけじゃないよ

 

 

たださぁ、あんまりにも嘘つく人多すぎるのよ、これらのブクマ狙いしてもそうだけどね

 

発達障害水泳平成不況リーマンショック、30代

https://anond.hatelabo.jp/20240618221543 https://anond.hatelabo.jp/20240618222241

 

心理検査受けたら想像よりIQ低くてワロタ

https://anond.hatelabo.jp/20240619165951

 

母親か、中学時代女友達か、総務部女性結婚したい

https://anond.hatelabo.jp/20240626154759

 

 

SNS芸人エッセイスト芸人やるなら下記やりたくなる気持ちもわかるし、そうじゃなくても下記がまったく頭によぎらなかったか?って言ったら嘘になるけど、

 

  • メンサ入れる数値でした~⤴️😺(映え良)

 

  • 聞いてくださいあたちは境界知能ってやつだったんです⬇️🥺(映え良)

 

ここから『だから仕事に困るんでちゅ~』とか『いっぱい頑張ったか仕事できてるの~』とかマジで続けることができるの、

お仕事(SNS芸人エッセイスト芸人)でやってるんじゃなきゃ、フツーにどうかしちゃってるでしょうよ

 

マジで発達障害のみでお仕事に困るレベルなら、学習障害学業不信・成績不良の方で、まず引っ掛かるのですわ
あるいは発達障害で周囲とのあれこれで発動してしまった重たい二次障害鬱病とか統合失調とか境界性人格障害とか社交不安障害(SAD)の方で引っ掛かるのですわ

 

上記のどちらでもないのなら、『発達障害からお仕事困るんでちゅ~』は端的に言えば嘘ですよね?

極端に苦手で<やりたくなかったからやらなかっただけ>で、別にやった人は発達障害でもできます

 

 

発達障害でも主婦シェフ大工スポーツ大好きもおしゃれ命もいる

から発達障害からまったく料理できませんとか、発達障害からまったくDIYできませんとか、

発達障害からスポーツ出来ませんとか、発達障害から人会わない時は顔も歯も洗いませ~んとか、

そういうこと言ったらフツーにブチ切れなのに、

なんだってお仕事だけ、『できまちぇ~ん』が、『わかるぅ~~~』になるんですかね?

 

 

こういう嘘ついてる人らに共感寄せたいなら寄せりゃいいと思いますけど、下記みたいのと同じであなたと同じじゃないと思います
信じるなら人のプラス面を信じましょう

anond:20240620213112

2024-06-19

[]発達障害でも主婦シェフ大工スポーツ大好きもおしゃれ命もいる

から発達障害からまったく料理できませんとか、発達障害からまったくDIYできませんとか、

発達障害からスポーツ出来ませんとか、発達障害から人会わない時は顔も歯も洗いませ~んとか、

そういうこと言ったら普通にブチ切れだと思うんですよね

 

極端に知能面しんどい結果が出ている場合や重たい二次障害があるケースは除くけど、

それ以外の人は、極端に不得意でやりたくないからやらなかった(訓練しなかった)だけじゃん?

なんでお仕事に関してだけは出来なくて当然みたいになってるんでしょうかね

やりたくないからやらかった(訓練しなかった)だけでしょうよ

 

発達障害水泳平成不況リーマンショック、30代

https://b.hatena.ne.jp/entry/s/anond.hatelabo.jp/20240618221543

 

心理検査受けたら想像よりIQ低くてワロタ

https://b.hatena.ne.jp/entry/s/anond.hatelabo.jp/20240619165951

anond:20240618221543

まだ認知が歪んでるねえ どう考えても毒親問題でしょ

大学行って就活に出しゃばってる来る卒論まで面倒見る親って本当にいるんだね わかりやす共依存

水泳ってタイトルに入れてることで親を悪者にすることを避けてしまうんだろうね でもそれ水泳に失礼だから

anond:20240618221543

2011卒から2留してるからハンカチ世代(1988年)か?

水泳勉強もできたけど仕事ダメダメってのもまああり得る話だわな。

この感じだと人とコミュニケーション取りながら正解を模索しつつ進めるなんてのは一番苦手そうだし。

幼少期に成功して人生ピーク(勝手に決めんなって話だが)来た人って大人になって壊れている人一定数いるよね。

2024-06-18

anond:20240618221543

途中で切れた。長いと切れるんだな。知らなかった。

・総括

概観してみると、今の私を状態説明する要点は、下記のようなものであると考えられる。

特性を持って生まれ子どもが、いわゆる体育会系世界に入れられ、なまじ才能があったがために、支援必要特性について見過ごされたまま、強いストレスを肉体と精神の両方に受けることになったこと。

また、発達特性が仇となり、ストレスを軽減するための人間関係を作れず孤立したこと

これらの要因により精神的な限界に達した時、受けた負荷が強いパニックの形で噴出してしまい、結局はそれが水泳挫折する原因になったということ。

その後も必要ケアが十分には受けられなかったこと。

また、子ども当人(つまり、私)が、その負荷をむやみに強いられたと感じ、母親への不信を深め、その感情に向き合って修復する機会がないまま、成人後に関係破綻させてしまたこと。

そして、これらの感情的な傷付きに至る経緯とは別に特性について適切なケアトレーニングを受ける機会を得られなかったこと。

これらのことが、社会に出てから仕事への意欲が薄いこと、将来への展望を描けないこと、社交場面における不安などに影響し、また自分特性を扱う上での経験不足がストレスによる不眠、日中の眠気などに繋がり、上記不安拍車をかける結果となった可能性はあるのではないか、と私は思う。

そして、冒頭の「あなた言葉感情説明しない」という指摘もまた、やはり『嫌だ』『つらい』という訴えを繰り返し退けられ練習強要された経験から自分のつらさを他人に訴えてケアしてもらうことを諦めてしまい、直視せずに蓋をすることが常態化している精神状態にある、そのために精神的な問題を抱え込みやすくなっている、と説明できるかもしれない。

また、休職前に孤立無援と感じられる状況にふたたび置かれたことで、水泳パニックを起こしたときのように、強いパニックをおそらくまた起こし(あいまいな書き方なのはあんまり覚えていないので)会社に行くことができなくなっている。

これが当時のトラウマのいわゆる『再演』にあたる可能性はあるかな、と少し思う。

とはいえである

両親は私を愛しすぎるほど愛してくれており(少し連絡が取れないだけで着信を100件超えて入れるのが常態化していた程度には)、特に金銭の面では一般的な親の倍以上に私に支援をしてくれたことは事実である

上記事実をもって、私をまだ幸運なほうと思う人もいるだろうし、就活のくだりなんか、特に甘ったれていると思う人間も多いだろう。

ただ、3歳〜16歳ごろの人格形成期+思春期に、チームメイト精神的にまったく連帯できない状態スパルタ式の暴力的な教練を日がな毎日受けるという負荷は、おそらく定型発達の人間でも耐えられる人は限られるのではないか、という気もする。

そういう負荷に発達特性のある子どもが挑む場合には、おそらく精神的なケア定型発達の子ども以上に必要重要なことだったのだろうと思われる。

私がそういう子どもであったことが親の不運で、特性由来のストレスに対する適切なケア社会トレーニングの機会が得られなかったことが私の不運である

正直なところ。

母は小学校高学年くらいの段階で、私を発達障害者だと疑ってはいた。ネットの普及し始めた当時、私の持つASD的な特性の一部分はアスペルガーと呼ばれていたが、そのことについて母が情報収集していたことを覚えている。

しかしそれは、障害を受容した上で、適切な支援に繋げるという結果にはならなかった。

ちょうどそのくらいの時期に平成不況がやってきたのだ。私の特性を考え、進学先に私立中学を視野に入れていた母の計画は、完全にそれどころではなくなってしまった。父の会社にもリストラの波がやってきたのだ。

タイミングの悪いことに、私が水泳の過度のストレスからチックに陥った時、ちょうど母は不況への恐れからパートを始めたばかりの頃だった。私の『病気』の原因について、母は周囲からの責めを一人で負うしかなかった。父の両親との二世帯同居の家で、専業主婦の母は孤立した養育者だった。

結論から言うと父はリストラを免れ、我が家経済危機回避されたのだが、その頃には私の私立進学計画はとっくに頓挫していた。母が「結果で黙らせなさい」と言うようなことを口にし始めたのも、この頃だったかもしれない。

父親はというと、やはり私の親で発達的な特性が強く、自分の興味のあることしかやりたがらないタイプだった。養育者として、社会的な範を示すとか、発達的な特性とどう付き合っていくかとか、そうした問題についてまったく頼りになる人ではなかった。

悪い人ではない。悪気のある人でもない。一流企業にまじめに勤め、高収入であり、私に関わる多額の費用を全部賄ってくれた人である。そしてそれが、おそらく自身でも困りごとをたくさん抱えていたであろう身で父にできた、私への精一杯の愛情だったろうと思う。

母もまた、母の出来ることを最大限にしてくれた。母は、思春期の私の苛烈で発達のアンバランス性格(受けていたストレスを考えると、おそらくそうなるしかなかった)に何度も振り回されて、傷付き、それでも最大限考慮した上で、「あなたは結果で黙らせなさい」と言うしかなかったのだと思う。

これは私がどう生き、どう傷つき、現在どう困っているかにまつわる記録ではあるが、同時に単に毒親から被虐待についての記録としてはなるべく書きたくはないと思っている。充分悪者に書いただろう、と思えるような筆致だったかもしれないので、ここに補足しておく。私は難しい子供で、両親は常に一方的加害者ではなく、私を支援してくれようとした。私たちはお互い感情的な対立を何度も経験し、お互いに何度も傷付き、それを乗り越えてきた。その過程でいくつか間違いがあり、一度関係破綻してしまったが、それでもまだ、この先に和解可能性がないわけではない。

それぞれの人間がそれぞれに苦しんだ結果、私の今日につながっているのである

・これから

これを書いているいま、これからどうなるのか私にはわからない。これらの生い立ちから私が受けた傷を癒せるかもしれないし、そうではないかもしれない。困りごとを軽減してなんとか社会で上手くやっていけるかもしれないし、どうにもならないかもしれない。

ただ、良くなってほしいという希望を持って先生たちは治療に当たってくれているし、希望は捨てるべきではない。そう思うので自分恥部を曝け出す覚悟でこれを書いた。一種の『底尽き』を気力で前に持ってきた、というやつかもしれない。

ただ、強いトラウマを抱えた発達障害当事者予後は正直あんまり良くなさそうだなぁ、とは、当事者たちの声をインターネットで拾ってみて思わなくもない。

・これからどうしたい?

社会復帰がどうなるにせよ、実家にだけは帰りたくない。

ただ、復帰できないとこれが現実に起こりうることが現状最大の懸念である

プリントアウトして病院池添謙一

当然、持っていく予定である

プラダリアの取捨だれかおせーて。

カウンセリング先生も「感情説明しない」と言っただけで、そこまでドバーッといきなり半生にまつわる自己開示が出てくると思ってないんじゃない?

それはそう。

カウンセリングにはこの記録を持っていこうとは思うが、どの程度まで自己開示すべきなのか、いまが適切なタイミングなのか、そのあたりをきちんと確認しながらやっていこうと思う。

少なくとも、これを書き下せたことで、私の中では問題解決へ向けて、整理と準備がついたと思っている。

・おまえが誰かわかった

べつにわかってもいっかと思って書いている。とくに失うものはない。

何かしらの連絡手段で私とつながっていて、内容でなんとなく察した人は、「もしかしてこれお前?読んだよ」とメッセージくれると嬉しいよ。困窮者だ!金ヅルにしよう!と思って寄ってこられるとちょっと悲しい。というか休職人間に金はない。

やあ。まだ生きていますよ、私。あなたはどう?

・本当のトラウマもっと混沌としたもので、こんなに整然と説明できるものではないのでは。ストーリーをがっつり作りこんで、無意識に本当に触れられたくないことから逃げている可能性はないか

自分言語理解比較的高い特性を持っているので、書くことによって自分をメスで捌くように腑分けして、人前に晒すという自傷行動に割と慣れているし、やはり言葉によって自分説明できるとなんとなく落ち着くタイプである。その助けもあってなんとか書き切れたが、それでも書き切るのにかなり涙を流したので、この記録には多大な精神的労力を必要とした。文字通り血を流しながら書いたと言っていい。

その上で、超フラットに、予断を挟まず言えば、その可能性はないとは言えない。私のような人間レトリックを使うのがうまい。そのレトリックの中にいつでも逃げ場を作り出せてしまうので、「可能性がない」と言い切るのはフェアではない。自分でも気づいていない可能性がある。

発達障害水泳平成不況リーマンショック、30代

・これは何か

私の半生を占める水泳と、それがその後の人生に及ぼした影響について整理するために書いた記録である

なお、当時は強いストレス下に置かれていたため、詳細を思い出せなくてぼんやりしている部分もある。

・なぜこれを書いているか

私は現在休職状態にあり、ADHDの診断を受けたところである

精神科に通いつつ、投薬とカウンセリング治療をおこなっている。

そしてカウンセリングを受けつつある今、自分がいまこうなっていることの底にはあまりに苦しかった水泳記憶があり、それを直視することは避けては通れない道ではないかと思ったからだ。

(先生に直接「直視しろ」と言われたわけではない。ただ、「あなた言葉あなた感情をひとことも説明しませんでしたね」、と言われ、その原因を自分で考えていたら、勝手にそこに行き着いたという話である)

正直に言えばそこに目を向けるのはめちゃくちゃ嫌で、前回のカウンセリングを受けてから2週間くらいメソメソメソメソメスティーソ泣いていたのだが、友達と遊んで少し息抜きをしたらちょっとした気づきと癒やしがあり、なんとか気力を振り絞れそうなので書いてみた。

水泳のこと

3歳から高校2年まで水泳をやっていた。

早いうちに才能を見出され、小学校1年か2年くらいでヘッドハンティングのような形で選手育成クラスに移った。

当時、肉体にすごく負荷を掛ける練習方法流行っていた時代だったから、シンプルに肉体的につらかった。スパルタが主流で、体罰は当たり前だった。

楽をしようものならコーチにも怒鳴られ叩かれ全員の前で吊し上げられた。そこまでは周りのみんなと条件は変わらないのだが、私の場合母親ほとんど毎日練習を見にきていて(それほどに熱心な親は他にはいなかった)、仮にコーチに怒られなくても、母親の目から見て私のパフォーマンスが悪ければ、そのことを帰りの車の中で詰められる日々だった。

行き帰りは車で母親に送迎してもらっていたが、車の助手席に乗り込むと母親の「今日練習について」の裁判が始まるので、毎日まるで犯罪を犯して法廷に立たされるみたいだった。キツい負荷の練習をこなしてやっと家に帰れるのに、すこしも安らいだ気分になれなかった。

でも、私は無理にでもやらせればやらせただけ、負荷をかければかけただけ、結果が出せてしまタイプ人間だった。

父親も叔母もスポーツ学生時代成功した経験があって、家系としても肉体的に優秀だったのだと思う。

それが母親成功体験になってしまい、尻を叩けば叩いただけ結果が出るという思い込みを強化したふしがおそらくあるんじゃないかと思う。

長期休みに入るたび、朝夕2回の練習では足りないと別のプールに連れて行かれ泳がされた。この習慣は我が家では「こそ練」と呼ばれていた。

ただでさえキツい練習をしてるので嫌だったが、嫌がれば母親から「速くなりたくないの?」と頷くまで詰められる。

こうやって追い込めば追い込むほど結果が出たので、母はどんどんエスカレートしていった。

極め付けはようやく出来始めた友人関係破壊されたことだった。

中学に上がると、小学生選手育成クラスから中学クラスに上がって、ここがジュニア女子選手としては一番上のクラスだった。その上に、高校生の男子さらにその上澄みだけが入る、一番練習ハードクラスがあった。

いま振り返ってみると、私はかなり発達障害的な特性のはっきり出た子どもであり、周りと関わるのがかなり下手だった。だから、キツい練習を何年も毎日一緒にこなしてきたというのにチームメイト連帯感を育めなくて、ずっと浮いていた。浮いているのに才能だけあったから、周りからすると目障りな子どもだっただろうと思う。選手育成クラスというだけあってそこそこ実力主義ではあるので、幸運にもいじめられこそしなかったが(あるいは特性上あまり他人に興味がなく嫌がらせに鈍感だっただけかもしれない)、やっぱり浮いていた。私は人生を通してずっと普通になりたい、と漠然と願ってきたが、その願いはこういう環境のなかで醸成されてきたように思う。

(ちなみに、当時どのくらい浮いていたかというと、なんか男子たちが私に話しかけるのを何かの罰ゲーム一種として扱っているな、と気づいたことがある程度には浮いていた)

けれど、ここで話の合う友達ができたことで、この一瞬だけ練習に行くのが楽しかった時期があった。

私はもともと才能があったので、中学生のクラスを受け持っていたコーチにも期待されていたし、たくさん話を聞いてもらえて、私自身もコーチのことを頼れる大人だと思っていたし、期待に応えたいと思っていた。信頼関係を築ける大人との出会いがここであった。だから、このクラスちゃんと私の記録は伸びていた。

だけど母はその伸びでは満足できなかった。

母にはいわゆる白雪姫の母コンプレックスみたいなものがあって、私が楽しそうにしていると不安になる性質だった。不安を感じやすく、その解消のために誰をどれだけ振り回しても良いと考える傾向があった。

私が楽しんで練習に行き始めた時、母は不満だった。私が苦しんでいないから、きっと負荷が足りないのだと考え、「娘の才能が無駄に消費されている!」と強く不安を感じたのだろうと思う。これでは速くなれない、と母は考えた。

そして、「上のクラスに上がりたいと言いなさい」と母は私に強要した。

私はかなり嫌がった。もともとジュニア女子が入れる中で一番上のクラスではあったし、せっかく話の合う友達ができたのに、その子たちと話せなくなってしまうことも嫌だった。先生の期待を裏切ってしまうことにもなる。すごく抵抗があったことは覚えている。

母は私に、「あん肥溜めみたいなクラスにいたら、あなたダメになってしまう」と言った。

嫌だった。泣いて抵抗した気がする。あまり覚えていない。でも、最終的には「上がりたい」と言わされた。コーチはショックを受けていたと思う。でも最終的には上のクラスコーチに頼んでくれて、私の(母の)要求は通った。

中学1年の女子高校生の男子クラスに入れられて泳ぐことになった。毎日階段をまともに降りられないくらいの筋肉痛になった。まわりはひと回り年の違う高校生の男子しかいないので、友達と話せる機会は減った。肉体の負荷は上がるのに、心の支えは何もなくなり、ただ苦しかったしつらかった。

私が苦しんだので、母の不安は解消された。

そして、精神とはうらはらに、私の肉体はそれに応えた。

実際に大幅に記録が伸びた。一緒に泳いでいた高校生の男子より私は上のタイムを叩き出し、彼らにもよく頑張ったと認められた。中2のころにはジュニアオリンピックで決勝に残り、関東中学で優勝し、全国でも10本の指には入った。国体にも県代表で選出された。県で私より速い選手はいなくて、私がベストを出せばその度に大会新記録、県の新記録だった。母はこのことについて、自分が尻を叩かなければ結果が出せなかったはずなので、自分の手柄だと考えた。

注意して欲しいのは、これらの成果を私自身もまた喜んでいたこである。才能や能力があると見做されることは、特性持ちの人間にとっては他人から受けるマイナス感情を弾く盾にもなる。母の手柄は、私を絞り上げ、苦しめて作り上げられたものであるが、同時に私を守るものでもあった。

あなたは結果で他人を黙らせなさい」というのが、母の持論だった。母は私のために、心を鬼にして私を苦しめていたはずである。叩けば結果が出ることがわかっていたのだから

この頃から試合合宿遠征先に行くと、夜中にこっそり抜け出して、当て所もなく歩き回るようになった。特に裏道や暗い道を選んで歩いた。いま考えると、間接的な自傷だったと思う。酷い目に遭いたかった。私という価値が一気になくなってしまうくらい、誰かに酷い目に遭わされたかった。母が守る『私』という価値と、それに伴う苦しみが分かちがたく結びついていたために、母の目の届かないところで地味な自傷行為に走っていたのだと思う。

体に傷を残すようなことはできなかった。そんなことをした日に母を襲う衝撃と、その衝撃の余波を受ける自分のことを考えたら、とてもではないが無理だった。

しかし、こういう無理は続かないものである。ほどなくして精神的に破綻して、泳げなくなった。中3の秋ごろだったように思う。喘息悪化させ、負荷のキツい練習から逃げ、最後は何か喚き散らして家に帰り、そこからしばらく練習に行けなくなったように思う。詳細は覚えていない。

だけど、そこで辞めるには水泳は私の人生で大き過ぎた。人生の大半を占める一大事業に等しかった。だからそこから高校2年の夏まで、通うスクールを変えて足掻きブランクを取り戻し、記録は少し伸びたし、インターハイにも出た。

ただ、大学受験に切り替えるならこの辺りがタイムリミットだった。結局、わたしはここで引退して受験に切り替えた。水泳のために自分学力よりかなり下の高校に行ったので、辞めてから予備校漬けになった。

受験勉強は圧倒的に楽だった。体の負荷も消えたし、学業自分特性から見ても結果の出しやすい分野だった。あまりにも結果が出やすくて、母も不安にはならなかった。躓きや苦しみも多少はあったが、水泳で受けたそれとは比べ物にならなかった。この時期、私と家族はかなり明るく過ごした。

大学には簡単合格した。願書を出した大学ほぼ全てに受かった。

とにかく家を出たかったので、その名目が立つ大学を選び進学した。

ここから水泳を辞めた後の話に入る。

友達が作れない、学業に身が入らない問題が出る大学1年目

ひとり暮らしをはじめて、やっと手に入れた自由を楽しんだ。でも1年目、ぜんぜん他人との関わり方がわからず、友達が作れなかった。小中高と水泳にかまけていて、相変わらず発達特性的な部分で学校でも浮いていたし、そもそも自分偏差値より随分下の学校に行った(水泳にはリレーメンバーの都合がある)ため、頭の程度が均されている環境でほかの人間と接して友達になる機会がまったくなかったのだ。県大会で何度も優勝し、実家に腐るほどトロフィーがあっても、友達の作り方がわからなかった。この時点で、私の能力は社交性に比して随分歪だったと言えると思う。

ひたすら学校と家を行き来して、家ではゲームばかりやっていた。

1年の後半の方になってようやく所謂オタクサークルに入って、対人能力に似たような問題を抱えた人たちに出会い、それでやっと少し友達ができた。ここから就職活動が始まるまでは、楽しく過ごせていたと思う。彼氏もできた。

とはいえ、あまり成績は良くなかった。勉強したいと思って進学したはずなのに勉強に向かう気力が湧かなかった。どころか、水泳を辞めたことが傷になっていて、「どうせ最後には全部台無しにする、水泳だってあれほどつらい思いをして人生を捧げてきたのにそうやってダメにした」と囁く声が頭から離れなくて、あまり集中できなかった。

漠然と、卒業したら死のうかな、と思っていた。

就活ができない問題が出る大学3年生

学業もそんな感じだったので、いざ3年になってもぜんぜん就職活動を進められなかった。というか授業もギリギリラインだった。

振り返ると、つらい思いをして思春期を生き延びた先に、ようやく手に入れたご褒美としての『自由』がたった4年で終わることに全然納得が行っていなかったんだという気がする。他の人たちは将来を考える精神の準備ができていたのに、私には何もできていなかった。こんな人生の先に、また何十年も続く苦痛が待っていると思って、絶望感があった。

就職留年

このあたりのことはぼんやりしているが、就職活動が出来なさすぎて就職留年した。ちょうどリーマンショック東日本大震災の影響があった時期で、特に女子就活は周りを見渡しても厳しかった。なので就職留年という言い訳は通った。

でも、留年したのに就活全然ちゃんとできていなくて、とうとう親が乗り込んできた。希望する企業の傾向は決まっていたので、母親マイナビリクナビエントリーする企業を選んでくれて、エントリーシートや履歴書に書く志望動機などの文章としてこちらで考えたら、それを母が手書きで代筆してくれたりして、こんな大学生はおそらく他にいないなと思うほど過剰にサポートしてもらった結果、なんとか書類選考が通るようになり、面接を受けたりと就職活動らしいものを進めることができた。

面接が苦手すぎて苦戦はしたが、なんとか内定をもらった。たた、周りがちゃんとこなせていることも自分にはろくすっぽできないとわかって情けなかった。

卒論が出せなくて2度目の留年

このあたりもぼんやりしている。夏くらいに内定が決まって、そこからしか全然ゼミに行かなかった。いや、たぶん特性的に並行してふたつのことができないので、就活中はゼミにも授業にも行けていなかった気がする。内定が決まった後、バイトしろと言われてしていて、必要な授業の出席とバイトくらいはしていたが、ゼミに出てないので卒論が当たり前に書けなかった。英米文学専攻なので卒論英語で書く必要があった。ぼんやり決めたテーマがあるくらいしかなくて、そのまま冬になった。ちょっと書こうとしたけれど当たり前に書けなくて、でもそれを就活を熱心にサポートしてくれた親には言えなくて、卒論提出の日に失踪した。1〜2週間家に戻らず、銀行口座の金が尽きたら死のうかなくらいの気持ちでいた。漠然と死のうと思っていたし、その時が来たのかと思っていた。

結局親に口座の金を引き上げられて、無様にも死ねずに戻った。怒られ、殴られ、彼氏にも心配をかけまくり、色々あったとは思うのだが、この辺りの記憶ぼんやりしている。

ひとり暮らしの家を引き払い、実家カンヅメになって母親監視のもと卒論を書いた。足りない単位のための授業とバイト以外の外出はさせないくらいの感じだったと思う。

ひとり暮らしの家を引き払った時、この時も家がゴミ屋敷になっていたので、ゲーム依存病気だと親に疑われたが、ゲームは単なる逃避行動で、やれない環境であればあっさり辞められた。振り返ってみれば、何らかの支援の網に引っ掛かっておくタイミングがここだったような気がする。ただ、スポーツで結果を出し、世間的には良い大学に行ったような人間が、ゲーム依存なんかで病院に罹るのは外聞が悪い、という意識がなんとなく家族全員にあったのか、結局ここでは必要だったであろう支援とつながることはできなかった。

この環境でなんとか卒論を書いて卒業した。就職は結局バイト先に拾ってもらうかたちになった。

新社会人として

もう一度実家を出てひとり暮らしをはじめた。

働き始めるととにかく眠かった。ひたすら眠かったことを覚えている。仕事でも会議でも寝てしまい、怒られて、怒られたあとは体が一時的闘争反応というか覚醒状態になるので、それで過集中を起こし仕事を進めてなんとか巻き返す、みたいな感じだったと思う。昼に寝てしまうので夜は眠れなかった。その悪循環で昼にまた意識を失った。

本当は病院に行くべきだったと思うが、家に帰るとその気力もなかった。家の電球が切れて、ほとんど暗闇だったのにも関わらずその家を引っ越すまで電球を変えられなかった。1年以上真っ暗闇で生活した。歯が折れて激痛でも病院に行けなかった。ぎっくり腰でも行かなかった。ゴミ屋敷はここでも生産された。

この時期私は相当な困難を抱えていた気がするけれど、同時にどこか安心しているような部分があった。自分価値がこうやって毀損されていくことに対する「ざまーみろ」という気持ちがあった。ちょうどこの頃、母親と完全に連絡を遮断して、実家と絶縁状態になった。直接のきっかけはなんだったか覚えていない。ただ、自分価値ボロボロと溢れ落ち、人生ダメになっていくことについて、母親への不健全復讐欲求が満たされるように感じていたのは覚えている。

この状態を5年くらい続けて、3つくらいの現場経験した。就職先は人売りのSESだった。

コロナ禍でリモートワークが開始する

これは自分にとって大きな転換点だった。寝ているところを他人に見られないのでストレスが大幅に減り、なんとか自分が起きていられる時間帯に仕事を進め、眠りたい時は寝ていることができた。とても褒められた就業態度とは言えないが、それほど能力的なハードルが高い客先でなかった幸運もあって、なんとか巻き返しが効いた。この時期が一番平穏だったように思う。この現場自分にとって一番長く続いたし、終わり方も案件ごと終了ということで円満だった。

この現場が4年くらいで終わり、本社に戻ることになる。

本社に戻る。眠気の問題ふたたび

リモートワークが終わり片道40分くらいの通勤生活が数年ぶりにスタートする。10年近く戻っていなかった本社に知った顔はほとんどなく、コミュニケーションが得意そうな子たちの若い顔が並ぶ。すでにこの時点でうまくやっていけるか不安ではあった。

自社開発の案件アサインされるも、やはり眠気の問題が復活し、怒られる。仕事客先常駐とは違い、粒度の粗い仕事を上手いことやっておいてというような感じで振られるため、勝手全然からず、先の見通しが立たない。作業をうまくこなせず、進捗が出せない。学歴スポーツの成績だけ見れば能力はあるはずだと思われているので、サボっていると見做される。寝てるよね?なんでコミット全然出ないの?

年次だけは無駄に高いので直属の上司もおらず、まともな相談先もなく、周りの子たちは若くてこんなことを相談できる相手ではなく、結果誰にもうまく頼れずにひたすら信頼を失い続け、頼みの綱だった週1回のリモートワークも許可を取り消される。

社長から新卒みたいなことを注意させないでくれる?」と言われる。怒られて、闘争反応になった勢いで、なんとかメンタルクリニックの予約を取った。

そうやって通院治療を開始したのが、2023年10月ごろ。

日中の眠気、夜の不眠、集中困難、ゴミ屋敷などの問題が主訴。

これらの問題は通院治療を開始したところでたちどころに解消するようなものでもないので、年末年始休みを挟んだ後、ボツボツ休みが増え、雪崩れ込むように職場に行けなくなって休職開始。

心理検査(WAIS-Ⅳ)の結果、言語理解ワーキングメモリ・処理速度の間で有意差50を超えた。言語理解・知覚推理凸、ワーキングメモリ・処理速度凹のタイプだった。

この結果と、現在社会生活が送れていない実態をもって、5月ごろにADHDと診断された。

現在は、投薬治療カウンセリングを受けている。

・総括

概観してみると、今の私を状態説明する要点は、下記のようなものであると考えられる。

特性を持って生まれ子どもが、いわゆる体育会系世界に入れられ、なまじ才能があったがために、支援 Permalink | 記事への反応(21) | 22:15

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