はてなキーワード: 殺戮とは
「古い価値観」を否定し、「新しい価値観」に沿っていない意見は徹底糾弾する。
結局多様性でみんな幸せになんてのは方便で、ただ「宗教の置き換わり」が起きているだけ。そこで住みづらいやつは悪いやつでいくら糾弾してもよいことになる。「真の反省」と「アップデート」を強要し洗脳する。
では正しいこととは?多数決だ。イイねの数で意見の是非を決定する。少ない方は「悪いお気持ち」。それが多様性の仲間として肯定されることはない。
世界は良くはなっている。差別や偏見による殺戮は減ってはいる、改善はしている。しかし同時に新たな「正しい差別」という爆弾を育み続けている。それが爆発するとどうなる?まだ誰も分からない。それはコロシアイでなく、自殺かもしれないし、隔離かもしれないし、就労機会の剥奪かもしれない。殺人よりはマシかもしれないが、根本的な対立を覆い隠しておきながら実は厳然と存在しているという様を「正義」だとするのは実に歪んでいる。まず「対立はするもの」「偏見は持つもの」である(少なくとも一定の集団は)、から始めなければならない。
ジョーカーに憧れてみたいな話があった
作品が悪影響を与えたって言われてて、まぁそう受け取ってそう行動した奴がいてもいいわなとは思っている
迷惑な話だと思うけど、だからってジョーカーを観られる自由さは残しててほしい
ジョーカーが劇中で賞賛されるのは居合わせたムカつく3人組がトゥウェイン証券のエリート3人だったからし、列車の中の混乱はフラストレーションの解放を求める空気が充満したところで発生したことだし
ジョーカーは感情のまま殺戮するけれど、街中で暴れ回るキャラクターではないと思う。やるなら車かなんかでバーン、そして逃げるんではないか。
やって終わりじゃなくて、またやってやるみたいな奴だと思う
結果として大本営の決断はソ連参戦によるものだったと言うのは置いておいて「米軍が日本の戦意を挫くために原爆のお披露目が必要と考えた」まではまあ理解できなくはない。
原爆ゆえに戦争終結が早まって犠牲者数が減ったというと見方は事実というよりも推測ないし解釈。もちろんほぼ合っていると考えられる。連合国側も当然それを意図していなかったはずはない。(ベルリン攻防戦だけで百万人くらい死んでいる)
では、原爆投下が良い事か残酷な虐殺だったかというと、それは価値判断であって、上記の「原爆ゆえに戦争終結が早まって犠牲者数が減った」と相互背反ではない。(あれかこれかどちらか一方だけではない)
つまり、原爆投下は一般市民に対する残虐な無差別殺戮であり、その一方で、原爆ゆえに戦争終結が早まって犠牲者数が減ったという面もある、ということかと。
ゆえに、原爆投下が残虐行為だったからといって原爆で戦争終結が早まらなかったということにはならないし、原爆で戦争終結が早まったからといって原爆投下が残虐行為ではなかったということにはならない。(相互背反ではない)