はてなキーワード: 棲み分けとは
#無かった、というかやたらと延焼していなかったというか、、
最近の性差における問題が建設的でない盛り上がり方をしていて、
理性的とは言えない人間の声のほうが大きく、悪循環に陥っているように思える
問題に対して過去から真摯に取り組んできた人に対して不義理となってしまうのではないか
こういった問題に限らず騒動は論点のズレや複雑化から時間経過により落ち着いて、
冷静な議論と検証により改善に一歩近づいていくと希望しているが、
今回の件については良くない延焼に繋がっている事例が多く見られる様にも思う
非建設的、未検証で感情的なぶつかり合いは見るに堪えないと思っていたが、
思い出してみるとこれは旭日旗の問題とも類似性があるのではないかと考えた
とある時点までは特に言及されず、その事柄に関わらる人たちもメリットを受け止めており、
デメリットを受けていた人はそれをうまく回避していたのではないだろうか
#勿論被害者側の泣き寝入りによって逃げられない悪辣な環境に閉じ込められ今か今かと死を覚悟していたのでは
大問題ではあるが、ポスターの表現程度であれば目を逸らせば事足りるはずだ。
紙切れは性犯罪を実行しないし、包丁自体は殺人を実行しない。逮捕するのは紙でも包丁でも無く犯人である。
類似したフラストレーションを持つ周囲によって無秩序な延焼を引き起こし、改善から著しく遠ざかってしまう。
こうなると油田火災などで使われる爆風消火といった極端な方法しかないのかもしれないが、、
本来であれば発生しなかったはずの争いによって、
疲れる必要のない人が疲れたり、傷つく必要のない人が傷ついたり、
そういった状況が起きているとすれば、それはとても悲しい事だと思う
道徳とかで取り扱う平和とかの定義を見直したほうがいいんじゃないかと思う
みんなただしい考えを持ちましょう。悪いことはすべて無くしましょう。
公共の場所という存在は可能な限り多くの人に開かれているべきだ。
これが『不特定多数の人が出入りする私有地(店の中、鉄道駅の中など)』ならばある程度は所有者に決定権がある。
だがそうではない、路上や公園といった公共の場所は男性のためでも、女性のためでも、異性愛者のためでも、同性愛者のためでも、日本人のためでも、在日外国人のためでも、オタクのためでも、フェミニストのためでもなく、それらを含む全ての人のための場所であるべきだ。
そしてそのような『公共の場所で許されない物事とはなにか』とは端的に言えば法律・条例に違反する行為であり、それ以上ではない。
だから、『○○のような存在を見たら私は不快になるので公共の場所で使わないでください』は少なくとも『見て不快になるから』だけが理由であるならば通るべきではない。
それを許容し始めると、「同性愛表現を見ると不快になるので公共の場所で使わないでください」「チマチョゴリを見ると不快になるので」「ムスリムを(ry」までは紙一重でしかない。
公共の場所で不快になる表現は、見なければいい。それだけだ。五感の中でも『見ない』ことは比較的容易な部類に入るだろう。
『大きな声や音を聞きたくない権利』『悪臭を嗅ぎたくない権利』と比べれば遥かに容易な棲み分けであることは自明だ。
(※『どうしても奇声を上げてしまう自閉症の人』や『生活習慣や体質的な問題で悪臭を発してしまうホームレスやワキガの人』をどこまで公共の場所は排除できるか、となるともっとデリケートな問題になる)
これはある意味正しい。なぜならば俺たちも公共の一員であり、『見たくない人を不快にする』というよりも重大な他者への迷惑をかけていない限り、公共の場は俺たち“にも”利用できるものでなければならない。
https://anond.hatelabo.jp/20191016150214
宇崎ちゃんのポスター問題は突き詰めればどうしようもない性差に落ち着く。
男の方が筋力的に勝ると言うレベルで、大体の男は巨乳に惹かれるし、大体の女はイケメンに惹かれる。
ポスターと言うのはより多くを集客するためにそれが表現されているだけのもの。シンプルにマーケティングの結晶である。
性的に強調された胸のカウンターに性的に強調された陰茎の絵を出してる人間がいたけど、それは世の大体の女性が惹かれるものなのか?もしそれで女性が集まるのなら堂々とポスターとして使うと良い。
そのどうしようもない性について男女平等の名の下に無駄に理屈こねて、女性を性的に見る男性が悪いと男性差別してしまうくらいならそれは思考停止でいいと思う。
「私はターゲットじゃないんだ」とさっさと流してその日の夕食だとかもっと自分にとって大事なことを考えよう。その方が健康にも美容にも良い。
じゃあ、結局女性は性的消費され続けていて危険じゃないか!と言われそうだけど、それも違うと思う。
宇崎ちゃんと言う二次元女性と、命ある三次元女性は全くの別物である。
実際この問題で反発してきている女性に対し性的に見てるかと言うと、全く眼中にないだろう。
そして性的消費について、ポスターや漫画、またテレビに映る芸能人やらは人の気を惹くための見世物であり、客に魅せるために魅力的に描かれていて、それには当然性も多分に含まれる。
なのでむしろ消費してくれと言わんばかりに性を前面に押し出したりするのだけれど、そうした見世物と、実際に周りにいる女性は違う。
なのでどうか、安心して思考停止し、女性に対する性的消費も男性に対する性的消費も棲み分けよくやって行ってほしく思う。
また先に挙げた二次元と三次元、消費すべく世に出されたもの、身勝手に消費してはいけないものの分別がつかない人間はそう言う人間であって、世の理や文脈と関係なく現れるだろう。
なぜならば、公共の場所という存在は可能な限り多くの人に開かれているべきだからだ。
これが『不特定多数の人が出入りする私有地(店の中、鉄道の中など)』ならばある程度は所有者に決定権がある。
だが、そうではない、路上や公園といった公共の場所は男性のためでも、女性のためでも、異性愛者のためでも、同性愛者のためでも、日本人のためでも、在日外国人のためでも、オタクのためでも、フェミニストのためでもなく、それらを含む全ての人のための場所であるべきであり、そのような『公共の場所で許されない物事とはなにか』とは端的に言えば法律・条例に違反する行為であり、それ以上ではない。
だから、『○○のような存在を見たら私は不快になるので公共の場所で使わないでください』は少なくとも『見て不快になるから』だけが理由であるならば通るべきではない。
それを許容し始めると、「同性愛表現を見ると不快になるので公共の場所で使わないでください」「チマチョゴリを見ると不快になるので」「ムスリムを(ry」までは紙一重でしかない。
だから、公共の場所で不快になる表現は、見なければいい。それだけだ。五感の中でも『見ない』ことは比較的容易な部類に入るだろう。
『大きな声や音を聞きたくない権利』『悪臭を嗅ぎたくない権利』と比べれば遥かに容易な棲み分けであることは自明だ。
(※『どうしても奇声を上げてしまう自閉症の人』や『生活習慣や体質的な問題で悪臭を発してしまうホームレスやワキガの人』をどこまで公共の場所は排除できるか、となるともっとデリケートな問題になる)
タイムラインであがってきていたので再び読んだ。
「結局のところ棲み分け」「参加しなければいいだけ」
>界隈から離れるには横の繋がりが多すぎて村八分状態になってしまうのが寂しい
ここからすると、主のいる場所はエモいうちよそで浸食されて居場所を失っている。
「CoC」で遊びたい。周りは「CoC」で遊んでいるが、そのTRPGスタイルは受け付けられない。
その場に留まることは地獄だが、友人たちを嫌いになったわけではない。
という一言で断ち切れる友人とのつながりじゃないから苦しんでいる。
堂々とうちよそRPをTLで繰り広げられるようにする流れに対し、段々麻痺してきた。
タイマンシナリオは言ってしまえば連れ込み宿で、堂々とうちよそするための口実なんだなと思う。
我ながらひどい言い様だと思ったが、もうそれ以外の目で見ることが出来ない。
ところがこれがゲイのアウティング問題なんかになると面白いもので
人権派の皆様っていうのは、ゲイの側が結構しつこく迫ったことは問題にせず、アウティング行為の是非ばっかり取り上げたがったからなあ
アウティング自体はいかんと思ったけど、あの態度にはさすがにげんなりきたよ
嫌いなものをわざわざ見に来て潰したがる人がいる以上、絶対にクローズドな場所なんてあるのか疑わしい
そういう場所があるようでも、それはただ単に見逃されているだけに過ぎない
商業ベースに乗せようとしても経営すら成り立たなくなる(まあそっちが目的なんだろうけどな)し、電子書籍にしたってうるさい人らはクレームつけまくるだろう
こういう「正論」を見るたびに微妙な不安感を覚える自分は根っこが「棲み分け主義」なんだろうなと思う。
この居酒屋には全く近づきたくないが、無関係の他人が「ハマータウンの野郎ども」を実害確認前から全否定することにも全面的には賛同できないし。
誤解の無いように言っておくと、彼女やフォロワーの言動を批判してる訳では無い。彼らの批判も自分らの世界に向けての「居酒屋トーク」だろうから。それが全方位発信されるせいで社会的圧力に化けてしまうだけで。
元々ネット以前はこういう規範の異なるメンバー紹介型の空間が無数に、お互いに接点なく存在したんだろう。一見昔は画一的に思えたが、それはあくまで観測範囲やアクセス可能範囲が狭かったせいで、グレーゾーンや隠れ家はもしかすると今より遙かに広かったのかも知れない。
そしてそういう空間がそれぞれ独自の規範を発達させていたのが、近年SNSで急にフラットになって観測や告発が容易になったために、「新発見」の社会空間に対して雑な逸脱認定をお互いに乱発している状態なんじゃないだろうか。
まあ社長オレルールのブラック企業に個人が反撃可能になったのもそのおかげなんだけれど。
もしかすると、ネットの法律原理主義や「お気持ち」なんかも含めて、そうした雑な逸脱認定を社会的になんとか正当化するための動きなのかもしれない。このあたりまだ十分まとまってないけれど。
「展示を滞りなく完遂させる」ことをしなかった(させなかった)のはガソリン放火が万能と勘違いした脅迫者なわけで政府と関係なくね?
「以前アホが過剰反応したけど本当に過剰反応すべきかよくみろよ」って展示ひらいたら
「アホ」には一切みせない法律でもつくればいいね、表現の自由より安全優先だもんね。
俺はかなりマジでそうおもってるよ。
もう自主的な棲み分けなんて甘っちょろい伊達や酔狂は、ガソリン放火できる世の中でやったら洒落にならんのだ
政府の見ていないところで才能を巻き添えにして焼け死ぬことはないもんな。
投獄されたら焼け死んだ人と同様に才能も潰れるけど
中国は賢い賢い。
キチガイまじりの未熟市民にはフェチや複雑な感情ドラマや投票権なんて身に過ぎた贅沢品だったんだろ。
おそらく表現規制の最前線にいる人しか分かってないと思うので&早稲田大学エロ漫画研究会の記事がバズっているので再掲。
自主規制団体が必要とされる理由は大きく分けて3つ存在する。1つには、販売店を安心させるため。2つ目は、条例上あった方が有利だから。3つ目は、世論との妥協のためだ。
(太字強調は筆者による)
わいせつな文書、図画、電磁的記録に係る記録媒体その他の物を頒布し、又は公然と陳列した者は、二年以下の懲役若しくは二百五十万円以下の罰金若しくは科料に処し、又は懲役及び罰金を併科する。
電気通信の送信によりわいせつな電磁的記録その他の記録を頒布した者も、同様とする。
[児童買春、児童ポルノに係る行為等の規制及び処罰並びに児童の保護等に関する法律 第7条第6項]
児童ポルノを不特定若しくは多数の者に提供し、又は公然と陳列した者は、五年以下の懲役若しくは五百万円以下の罰金に処し、又はこれを併科する。
電気通信回線を通じて第二条第三項各号のいずれかに掲げる児童の姿態を視覚により認識することができる方法により描写した情報を記録した電磁的記録その他の記録を不特定又は多数の者に提供した者も、同様とする。
つまり、わいせつな文書・図画や、児童ポルノに関する罪を問われるのは製造者や所持者だけではない。法律上は、販売した者も罪に問われる場合がある。
が、店員にとってみたら『わいせつっぽい物を販売したらある日突然逮捕されるかもしれない』は恐怖である。
そのような販売店の恐怖が『それっぽいものは全部売らない』になるのは商業的にも文化的にもマイナスなので、
ビデオ・映像関係の年齢表示や、成年向けコミックのマークはそのような販売店の声に対し、『自主規制団体が、刑法および児童ポルノ法に違反していないことを確認したと責任を負います』という意味がある。
だからこそ、数年に1度程度の割合で『AV女優が実は18歳未満だった』という事件があるが、そのAVを置いていたツタヤの店員が全て逮捕されるわけではないし、
以前薄消しが流行ってビデ倫の関係者が逮捕されたことがあるが、問題になったビデ倫の作品を扱っていた販売店の関係者は逮捕されていない。
逆に言うと、そういう団体を通していない、いわゆる裏ビデオを分かっていて売ったら店員が逮捕される可能性もあるはずだ。
上で書いたような『わいせつな文書・図画』や『児童ポルノ』は世間で広義で用いられるような意味ではなく、たとえ18歳以上にしか売っていないとしても、売った人は逮捕されるような物の話である。
では、一般的に「18歳未満には販売できません」で書店やアマゾンで売っている商品はどのような法的根拠で売っているか。それが条例上の理由だ。
第九条の二 図書類の発行を業とする者(以下「図書類発行業者」という。)は、図書類の発行、販売若しくは貸付けを業とする者により構成する団体で倫理綱領等により自主規制を行うもの(以下「自主規制団体」という。)又は自らが、次の各号に掲げる基準に照らし、それぞれ当該各号に定める内容に該当すると認める図書類に、青少年が閲覧し、又は観覧することが適当でない旨の表示をするように努めなければならない。
まどろっこしいが、要は『一定の倫理基準に該当する物は、青少年に閲覧・販売できないように努力せねばならない。(そして、成人に販売する分には問題ない)』ということである。
"18禁"などに関する(映像作品やゲームではR-15も一応は存在する)法令上のもっとも重要な(もしかしたら唯一の)根拠はこの前後の条文だ。
この条文があるからリアルでもネットでも、18禁の作品を売る際には専用のゾーンを設けなければならない。その区分が雑だという話(特にネットにおいて)はノーコメント。
2で書いたように、自主規制団体または出版社が自ら成年マークをつけたものは『表示図書類』として扱われる。それとは別に、『指定図書類』というものが条例には存在する。
第八条 知事は、次に掲げるものを青少年の健全な育成を阻害するものとして指定することができる。(以下略)
第九条 図書類の販売又は貸付けを業とする者及びその代理人、使用人その他の従業者並びに営業に関して図書類を頒布する者及びその代理人、使用人その他の従業者(以下「図書類販売業者等」という。)は、前条第一項第一号又は第二号の規定により知事が指定した図書類(以下「指定図書類」という。)を青少年に販売し、頒布し、又は貸し付けてはならない。
いわゆる『有害指定』である。“成年マーク付きのものは有害指定されない”と明記されているわけではないが、条文上『表示図書類』と併記して扱われているので事実上棲み分けている。
そして、『有害指定』の対照となるのは、「成年マークをつけなくても大丈夫だろう」と自主規制団体や出版社が考えた本の中で、青少年健全育成会議で指定された本である。(ちなみにエロ以外でも、犯罪や自殺を推奨しているとして指定される場合はある)
さらに言うならば、『表示図書類』は書店やアマゾンでも売っている。だが、『指定図書類』は流通が扱わなくなるため、事実上販売できなくなる。公式サイトからの通販などは可能なのかもしれないが…。
そもそもこのような自主規制団体が生まれたのは1950~60年代に『低俗な本・雑誌が溢れた』ことに対する世論の批判とそれを受けての条例(2や3で書いたのは東京都の条例だが、同様の条例は全ての都道府県に存在する)制定の動きに対してであり、
ビデオやゲームが出た後も法規制の動き(もしくは実際の逮捕事件)を受けてから出版の団体を参考にして自主規制団体が生まれている。
もっとも、出版と映像では少なからず差がある。最大の違いは、出版は成年マークのついていない書籍については一切の表示がないのに対し映像やゲームでは(ほぼ)全ての作品について「審査の結果、年齢区分はこうなりました」という表示があるということだ。
世の中において『私の考えるこれこれの思想・道徳に反する本は全て排除せよ』という日本国憲法ガン無視の全体主義者は少数だが、
「たとえ低俗な出版物であっても、他者の権利を侵害していないならば全て認められるべきだ」というガチの一元的内在制約説原理主義者もまた少数であり、
「低俗な本に対する一定の倫理的歯止めをする制度は必要だよね」という中庸な人がおそらく最大多数だ。
(酒鬼薔薇の本など典型例だ。私の倫理観はあの本が出ることを嫌悪するが、あのような本の出版をどうやって規制するのか、というと非常に難しいよなと思う部分はある)
そういう人たちに対して「いや、一定の倫理的歯止めはかけていますよ」というアピールをして、ひいては条例・法律上の規制をするような世論に持っていかせないという存在としても自主規制団体は役立っており、
民主主義の世の中においてそのような団体の存在意義は一概に否定するものでもない。