はてなキーワード: 架空とは
うちはコーダーがデザイナーの1/3もいないので外注コーダーさんに頼らないと回していけず、常に募集していい人を探している状態です。
フリーランスのコーダーという存在は、数だけなら結構います。ひとたび募集をかければどしどし応募がくるくらいいます。ただ1度仕事をしたら2度目がないことがほとんどです。
理由は
・実際の構築経験がないので全体の流れが分かっていない人が多い(実装部分は業務に入らないにしろ全体図を把握しているのといないのとではコーディングの質が全然違います)
・引き受けてから納期を何度も引き延ばす(初稿を最終納品日に出して来たりする)
などです。
納期についてはいろんな都合があるので前倒しも後ろ倒しも相談次第では、という感じ(正直webデザイン界隈じゃ日程通りにいくことのほうが少ないし)なんですが、「●日間でこのページ分いけますか?」って確認に「いけます!」って自信満々に答えるくせに初稿提出日にも音沙汰なくて「どんな具合ですか?」って聞くとようやく「ちょっと終わらないかもしれないんで納期伸ばしてもらっていいですか…」って言う人が多すぎる。んなもん最初にデザイン渡した時点である程度分かるだろ。ていうかこっちが聞く前に相談してくれ。自分の力量把握できてない人多すぎ。
結局シンプルに一点にかえってくるんですが「経験値が浅い」、これに尽きます。そういう人達を切っていったってまともなコーダーは育たないので経歴の浅さはある程度目をつぶって3回くらいまでは仕事していきたいな、と思うんですが、一度納品すると何を勘違いしたのか次回から値上げ交渉に入るんですよね。これ本当にみんなそう。大体経歴浅い人です。教本とか講座でこういう教えでもあるんですかね?このまえ次から時給6000円で、とか言われてどうしようかと思いました。そんなら残業して自分がやるわ。ここで値上げを断るともう仕事してくれなくなっちゃうんですよね。これはこちらもむこうも選べる立場ということなんでしょう。ある意味健全なことですが、コーダーが星の数だけいるのはweb制作会社もそれだけたくさんあるってことですからね。もちろんそれだけの技術を持った方には相応の額をお支払いしたいと思ってます。ただどこも、そんな自社の技術以上のことを求められて外注に任せること前提で引き受けたりはしないので…。
ちなみにポートフォリオで出してくる架空サイトは大体みんな同じ題材、大体みんな同じクラス名の付け方、大体みんな同じアニメーションの設定なのでア、同じ教本(講座かな)使ってるんだァ~となります。この時点で比較してもしょうがないので(間違い探ししろってくらい本当にみんな同じ書き方なのでどこまで理解して書いてきてるのか分からない)、実際の業務経歴以外は正直アテにしてません。結局は先方の制作要件に沿ってやってもらうしかないので、まずは1本作ってもらうことでしか相手を測ることはできません。うちの制作分を参考として一式渡してこれ通りに作ってください、って言っても自分スタイルで記述してくる強者もいるんですけど、もしかして教本以外の書き方ができないんですかね?うちに限らずどこもある程度の記述ルールはあって、それに倣って書いてもらう必要があるので、コピペした構文の応用もきかないようなうちは外注引き受けてる場合じゃないと思いますよ。実在する適当なサイト見つけて、どう組み立てているかとか、縦長のランディングページでもいいんですけど、画像コーディングでもどういう造りになっているのかとか、知識として知っておいた方がいいです。自分が始めたてのころは好きなゲームのティザーサイトを模倣してました。意外とスライダーとかライトボックスとか入ってるんですよねあれ。動画の埋め込み方は会社ごとにけっこう違うし。もちろん今の時代レスポンシブは必須です。ハンバーガーメニューは教本で必須科目みたいなので問題ないでしょう。はじめはその程度でいいので、まずコードをもっと身近なものにしましょう。コピペせずにまっさらな状態から書けるようになると一番いいですが、まあ長い構文もあるし普通に非効率なので自分が理解していればそれでOKです。「この記述は何に必要なのか」、最低限そのくらいは分かっていてほしいです。
今だと応募してくる方、20代半ば~30代前半くらいの方か、それ以上で脱サラの方が多いですね。きっとみんな毎日会社行って業務してっていう通勤スタイルに疲れちゃったんですかね。知らんけど。前職が全然関係ない人たちばかりです。むしろ前職もweb系だった方って見たことないです。まあ入り口として入りやすいんですかね?これも知らんけど。自分も前職web系じゃないんで分かります。
ただこれだけは言いたいんですが、フリーランスで食っていくということは、自分の腕一つで食っていくということです。入り口としては簡単なhtmlやcssだって日々進化しています。知らん間にcssアニメーションめちゃ増えてます。対応ブラウザも変わってます。iOSの仕様のせいで死んだプロパティもあります。毎日最新の情報を追って、自分のコーディング力を磨いてください。そうでなければ情報科の高校生の方がよっぽどいい仕事をしてくれます。家にいながら!空き時間に♪なんて簡単な仕事ではないです、残念ながら。ていうかそんなんで人ひとり食っていけるような仕事は世の中に存在しません。多少時間がかかっても、意欲があって自分の技術不足に自覚的な人の方が仕事がしやすいです。こっちもそのレベルに揃えて仕事を発注しますし、向上のチャンスがあるからです。そういう人とは長く付き合っていきたいと思います。うちで長くお世話になっている外注さんも、最初は初めて数か月とかそんな感じの人たちが多いです。”いま”経験値が浅いことは不利でもなんでもないです。大体みんなそうなので。そこからどう自分の価値を高めていくか、もう少し真剣に考えてもらいたいです。
結論としては、分からないことは分からないと言っていいし、出来ないことは出来ないと言っていい。今の自分にできるのがどのくらいなのか、きちんと客観的に分かってほしい。こっちもいきなり即戦力!とかを期待しているわけではないので、一緒にできることを考えていけたらいいなと思います。完。
中村 羽振りのよい国っていうのはたいてい戦争をするもんだけども、50年間も戦争しなかったのがすごい、と。これが「平和国家日本」という美しいイメージ。まあ、これも誤解ですけれども、それはそれでひとつのご先祖様の遺産だったわけで。実際アフガニスタンのどんな山奥に行っても、日本人であるがために命拾いしたり、仕事がうまくいったりとかいうことは、たくさんあったんです。
── しかし、それだけ日本のイメージがよかったことを考えれば、逆に平和憲法の持っていた抑止力は実はとても大きかったということですよね。
中村 これはすごいものがあったと思います。ともかく軍事部門には手を出さなかった。産軍複合体が生まれなかった。やはりこれは世界的に評価されていたんじゃないでしょうか。現地の人はもちろん憲法9条なんて知りませんけれども、国の方針としてそれを半世紀以上も続けたということは、非常に大きな評価だったわけです。「何したって暴力で相手をやっつけることはしない」という安心感が、強力な安全保障になっていたということ、この力を今の政治家、国民の大部分はご存知ないわけです。
── つまり、「あんなものは夢物語で現実的なビジョンも何もない」と言われていたイリュージョンとしての平和憲法こそ、国際政治の中においては現実的であったし、武力以上の力を持っていたわけですね。
中村 9条の力は偉大なものがあったと思います。経済活動という観点から見ても、おそらく9条があったがために安全性は保障されたんじゃないでしょうか。
――つまり日本が考える国際政治のリアリティと、現実とはかなり乖離しているというか、むしろ別個のものになっている。改憲論者たちが言う国際政治のリアリティ―、「綺麗事を言ったって、やはり軍事力は強い力なわけで、その現実の中で方針を立てていかなければ」っていうほうが、むしろ架空の議論である、と。
中村 それは現実的じゃないですね。ほぼ捏造に近いもので、本人たちが真剣にそう思っているとすれば、それはイリュージョンでしょう。幻覚に近いものがあるんじゃないでしょうか。だからそういう人たちはイラクの戦場に行ったらどうですかね (笑) 。
美術部あがりのインドア腐女子がラウダモンペしてカワイソカワイソしているがラウダを可哀想がるポイントがズレてるから反省しろ
パイロット科なんて若い男のなかでも特に負けず嫌いなほうのやつしかおらんだろ(※シャディク・ゼネリを除く)
現実にいるやつに例えるなら野球やサッカーのスポーツ特待で進学する奴だったり
ゲームもエンジョイ勢じゃなくガチってeスポーツの大会出るような勝負師メンタリティしとると考えるほうが自然
(だいたいお前ら腐女子は中学や高校で男子生徒がジャンプ読んでも教室で強さ議論ばかりして、「男同士の激重感情がどうの」みたいな話してたのが美術部か演劇部の腐女子しかいなかったことを覚えてないんか。陰キャ男ですらポケカの強さ議論しかしとらんかっただろ。人間関係ないがしろにすると人生が本当にやばいと気づき始めるのはだいたい大学以降や。それより前は強えヤツか雑魚かしかない。「ざぁ~こ」とかいう発想はメスガキやなくてリアル男児脳。それが気に食わないなら架空男性と理解したうえで商業BL読めや!)
そいつが後輩の女の子に機体完璧に整備しときましたよ!言われて寮全体から応援されて送り出されながら
「ガン!うわ〜!」で終わり、失神したところを後輩の女の子とアーシアンに庇われてましたってプライドズタズタだろ
かわいそうに……かける言葉もねえよ
そこのガノタは今すぐにカミル・ケーシンクの気持ちになってみろっていうんだよ
カミルの立場になってこのときのラウダになんて声をかければいいか考えてみろっていう話だよクソどもがよ
ラウダディランザはグエルに勝手に使われてエラン4号君にボコボコにされたときにしろ
ランブルリングでラウダがワンパンされたときにしろ噛ませ犬ばっかで可哀想なモビルスーツではあるんだわ
ファラクトもソフィのルブリスもガンダム禁止や決闘仕様の出力制限など無視したルール破りのモビルスーツだし
どっちも不正して高性能のMSにボコられてはいるけど、晒し者みたいな酷え負けっぷりだっただろ
グエルは4号にだいぶ憎まれてるのか執拗に毟られてたし、逆にラウダはワンパン(ソフィがラウダに一切興味がないから)っていう方向性の違う尊厳破壊
しかしどうして腐女子は強い弱いとか勝ち負けを徹底的に無視してメソメソして男から男への執着とホモセックス可能性のことばかり考えるのかね
ラウダがなんで可哀想かってずっとルール守って、身内も自分もルール違反者にボコられてプライドズタズタにされて耐えてきたのに
最後の最後に彼女意識不明説で錯乱してシュバルゼッテ乗ったのが「えっ、何?」「今それどころじゃねえんだよな~」「シンプルに邪魔」「グエルディランザと盛り盛りの最新鋭機シュバルゼッテでやっと釣り合うほど兄弟で実力差あったのかよ」と言われてしまうことやろが
しかも一方的にグエルに喧嘩売ったせいでもう賞賛されている兄と自意識同化することもできなくなった
「メッシ来たから俺らマイアミ最強!」みたいな帰属意識が異常なスポーツ観戦者のように、強者と自己同一化してプライド守るやり口が、もう使えないわけだわ
─3年後─と丸々スッ飛ばされたけどこの飛ばされた期間の適応や成長がラウダにとっては大変だったやろなまあメインキャラではないから丸々カットも当然の処遇ではあるが
ラウダ腐女子は自己憐憫の投影が強すぎるのとインドア文化部の発想の限界のせいでキャラクターの心情エミュレートにフルスロットルで大失敗しとると思うわ
大学在学中はSFに飢えていて、「AKIRA」とか「エヴァンゲリオン」とかを観ていたのだけれど、「ラーゼフォン」にはハマることができなかった。問題は長さなのではないかと思い、26話も見る必要のない映画を手に取った。
この作品が好きだったのは、クラークやイーガンが好きだった自分が求めている、別の惑星の風景描写があったことだ。僕が映像作品を評価するのは、どれくらい思いがけない風景を見せてくれるかだ。火星の大地や、木星とイオのあいだにかかる雷の橋が美しかった。ヒロインからの携帯メールにも確かクラークへの言及があった。
また、日常の美しさを切り取った言葉を、詩のようにつなげていくアニメを見たのは初めてで、そこも新鮮だった。
敵方の宇宙人が、鏡像となって話しかけてくるところなど、露骨にエヴァの影響を受けているし、詩的な文章も村上春樹のフォロワーに過ぎないと感じはしたものの、この監督の作品をもっと見てみたいと感じた。
「僕と彼女の猫」は忘れてしまった。珍しく自分が好意を寄せている女性視点の失恋の話だった気がする。
僕が好きな要素がとにかく詰まっていた。架空の歴史、知的に早熟だけれども情緒的には年相応の少年少女、そして天にそびえる真っ直ぐな塔。東京からも見える北海道のメガストラクチャーという、自分の想像力をはるかに超えた世界を見ることができた。
もちろん、欠点もあった。ヒロイン・佐由理を救うか世界を救うか決断を迫られる主人公・浩紀は、セカイ系の典型例に感じられて冷めてしまったし、あと、これは前にも書いたのだけれど、主人公のやっていることはテロリズムの肯定だ。
テロ組織の名前も、北海道を手に入れるためなのにアイヌ解放戦線じゃなくて、サハリン・樺太の先住民族ウィルタ解放戦線だ。ヒロインの祖父の名前ツキノエはアイヌ系の名前だが、そこには一切触れられないし、朝鮮半島のように南北に別れた家族の悲劇は、ごくわずかしか触れられず、プロットには絡んでこない。つまるところ、政治は装飾でしかない。いいのか。
にもかかわらず、この作品を好きになってしまった。アニメで精密に描かれた東京の景色は、当時の僕の生活圏とかぶっていた。自分の暮らす世界の彩度を高めた景色は、ぐずぐずとした感傷に僕を引き込んだ。何にもでもなれると、まだかろうじて思い込めていた頃だった。
そして、テーマ曲があまりにも切なく、これがずっと頭の中で流れ続けていた。過剰なまでに作中で繰り返され、露骨でさえある。しかし、悔しいけれども切ない気持ちになるのをやめられなかった。ラストで虚無に飲まれる北海道の美しさで息をのんだ。
自分の青春に満足できていなかった僕は、この甘ったるいテーマ曲の映画に呪縛されていた。批判しつつも、フィルムブックとノベライズを買ってしまうほどだった。これが感傷マゾなのか。
退屈さを感じる場面や、冗長な個所もあった。でも、日常の風景を美しい色合いで描くアニメを他に知らなかった。第2話冒頭の、貴樹が空想する巨大ガス惑星が空にかかった惑星の風景は、僕が創作していたSF小説の舞台として何度も用いた。
そして、第3話で流れた「One more time, One more chance」ですべてを持っていかれた。ヒロイン・明里と結ばれないラストを見て「そうなんだよ! これこそが人生なんだよ! はっはっは!」と快哉を叫んだ。「鬱エンドだ」「悲しい」と言っている連中を笑っていた。なんてこじらせた大学生だったんだ。これもノベライズを買った。
振り返ってみれば、主人公はいつまでも明里の幻影に惑わされており、サーフィン少女・花苗の気持ちにちゃんと向き合っていない。独り身の期間が長かった自分は「応えてやれよ!」とあとになって思ったものだった。そりゃあ、思春期だから初めての感情ばかりで、あまりにも未熟で、だから人間関係で目も当てられないような失敗を繰り返すんだけれど、「結局お前モテてんじゃん!」と怒りが湧いた。
後に、貴樹をはじめとした新海アニメの主人公たちはどうやって童貞を卒業したのかな、夜のお店かな、などと根拠のまったくない最低な空想をするようになってしまった。自分がそうだったからって投影するなよ。
統一感のない固有名詞(※僕はファンタジーで名前を付ける際には一貫性が必要だと信じている。だからアルカンジェリ、ケツァルトル、シャクナ・ヴィマーナと複数の言語圏から安易に引っ張ってくるのを良しとしないし、文法的に怪しいヴィータクアやフィニステラという語も納得できない)、ジブリの表層だけをなぞったような描写、主人公・明日菜が地上世界と地下世界の両方の血を引いているという重大な設定が劇中ではほとんど描写されないなど、自分が気に食わなかった点は多数あるが、最大の問題点は悪役の森崎(ムスカと揶揄される)のサブプロットのほうが面白く、新海誠が思い入れを持っているように感じてしまったところだ。
愛するものの喪失を受容せず(子の喪失ってキーワードも村上春樹フォロワーっぽい)、代理品や依り代を求め、神々なり悪魔なりと契約する姿は碇ゲンドウともかぶり、なんにせよ強烈なキャラで、明日菜を食ってしまっている。いっそ明日菜いらなくないか?
冥界をめぐり、禁断の知識の代償として盲目になるのは神話的でちょっと良かったけどね。
しかし、作者の意図や性癖が透けて見えるというのは一方的に親しみを感じる契機でもある。不完全にゆえに見透かせるものがあり、理解者になれたと錯覚できてしまい、結果的に作品を愛してしまうことがある(※これは新人賞を取った作品を読むときもそうなんだけど、「作者はこういうことをやりたいんだろうな。なら、ここをこうすればもっとよくなるだろうな」と考えつつ読むことが多い。創作をしていた人にありがちなことなのかな?)。
言いたいことはたくさんある。
けれども、最大の欠点は「何でもかんでも台詞で説明してしまうこと」だ。
最後のタカオとユキノが見つめあう場面で、高まった気持ちをぶちまけるのだけれど、音楽と映像がうるさいなので、台詞なんていらない。
新海監督は文章を書く能力はあるのは認めるけれども、「説明は小説でやれ」と感じる。「なんでも説明するのをやめてくれ、映画の受け手を見くびるな」とも感じた。
そして、鮮やかな色彩がわざとらしく感じられ、反発を覚え始めた。
ただ、この頃から日本の古典を扱いだしたのは嬉しい。ささやかな愛国心が満たされる。
僕は海外文学が好きなので、逆に外国の人に日本の詩を知ってほしい。
観ていない。
「言の葉の庭」の一件もあったが、ハッピーエンドになったということを聞いて、寝取られ性癖(というかBSS、「僕が先に好きだったのに」?)を抑える優秀なプロデューサーがついたんだな、とシニカルに考えていた。売れるようになった、大ヒットを飛ばすようになったとも耳にして、新海誠が自分からどんどん離れて行ったように感じた。そして、もう二度と新海アニメを見ることはないだろうと思った。友人や尊敬するSF作家が見ていると聞いても、耳を塞いでいた。
「君の名は」の予告の「スカート注意、男子の目線!」といったセリフにも、新海誠の性癖が透けてみるのだけれど、徐々に作者のあけすけな欲望に対して嫌悪を感じるようになっていた。
これは男子高出身の僕がそうだからかもしれないけれども、僕には、男性監督が女子高生をじろじろ見て偏愛していると気づくと、鬼の首を取ったかのように指摘してやりたくなる悪癖がある。岩井俊二の映画を観たときもそうだし、「ラストレター」を観たときは「俺を振った女は不幸になればいい」という怨念を感じた。庵野秀明が俳優やってたのはめっちゃ面白かったけどね。
ある女性が新海アニメが好きで、じゃあ一緒に見に行こうということになった。ただし、彼女が好きだったのは「君の名は」以降だった。
「お手並み拝見」と思いながら(なんだかんだで楽しみにしていた一方、不安でもあった)観てみると、極めてまっとうな少女の成長映画になっていて驚いた。
被災者のすずめが「死ぬのなんて怖くない」と言っていたのが、逆に震災の記憶と向き合い、心底死を恐怖し、逆に生きる実感を取り戻す構成が素晴らしかった。自分を助けに来た謎の女性が自分自身だったってのも良かった。周囲の支援が必要なのはもちろんだけれども、傷付いた自分を癒すためには、どこかで自分の力を信じて自分の足で立ち上がらないといけないのだ。
ロードムービーとしても優秀だし、周囲の人々が善意にあふれてすずめに手を差し伸べてくれたのも、叔母の環が思わず激高して負の感情をぶちまけるシーンのための溜めだと感じ、よく計算された素晴らしい脚本だと感じた。
今まで肯定的だった(あるいはマスコットでしかなかった)猫が、ダイジンという善悪の不明な存在になったのも面白い。
今まで別の災害という形で間接的に東日本大震災を扱ったと聞いていたが、正面から向き合ったのはとても立派だ。このタイミングでなければできなかっただろう。
恋愛要素を薄めたのも大正解。「シン・エヴァ」を観たときみたいに、「監督は大人になったんだな」と感じた。
それでも無念な個所はある。人口が希薄になった土地を神々に返すというモチーフと、地震を封じる要石というモチーフが、完全に噛み合っているわけではない(人口が減少している時代だから出てきた発想では? なぜそこから厄災が漏れ出る?)。少しぶれている。また、震災は人力で防げる、つまり東日本大震災は防げた、という誤った読解を誘発しかねない面もある。
あとは、震災の描写がリアルだし、緊急地震速報が頻繁に鳴るので、観ていてずきずきと頭が痛み、かなり気分が悪くなった(御茶ノ水近辺も学生時代生活圏内だったし)。昔は「アルマゲドン」みたいなパニック映画で大都市がぶっ飛ばされるのを見たり、「地球大進化」の大隕石で地殻津波が起きて日本列島が引き裂かれるのを見て気分爽快になっていたのだが、ある時点で感受性が「まっとう」になってしまったらしい。
ところで、この作品は村上春樹「かえるくん、東京を救う」のオマージュだとよく言われるけれども、「海辺のカフカ」のパロディも仕組まれている。東北まで中古車でドライブする芹澤青年が車内で流すのが「夢の中へ」だが、「海辺のカフカ」でも星野青年が何を探しているのかもわからない中田老人を連れて車で高松をドライブしながら、「探し物は何ですか~」と口ずさむのだ。誰か気づいてないかな。
そのくせ、村上春樹はオマージュにとどめ、影響下からは完全に脱しているように感じた。
疑問点。すずめの三本足の椅子、過去の自分に手渡されたことで、時間の輪っかをめぐっていないか?
どの作品かは伏せるが、主人公が僕の名前と同じで、ヒロインから名前を呼ばれるたびに恥ずかしいくらいに動揺してしまった。
当時流行っていたラブプラスをやっていたら、おそらく引き返せないことになっていただろう。
あと、「すずめの戸締まり」に関するウェブ記事で、新海監督が#MeTooのこともあるしパンチラを封じたと聞いて、機を見るに敏だなと感じ、何となく気に食わなかった。正しい判断だと思ったけど、商業性に屈したようにも感じたのだ。正確には、「雲のむこう~」みたいに政治的を雰囲気に使うのをやめたのが、なんとなくタイミングが上手すぎて、逃げ足の早さを感じるのだ。
でも、とっくに青春コンプレックスこじらせオタク向けのクリエイターから、国民的監督に変わってしまったのだ。寂しい。あんなこじらせた作品を書くのに既婚者なのも納得できない時期があった。
こういったことを、友人に対してつらつら語っていたら、「それはお前、もう立派なアンチだよ」と指摘された。「アンチじゃない、愛情と憎しみの両方を持っているだけだ。複雑な感情をも抱えているんだよ」と反論すると、「お前が複雑な感情を抱えていない対象なんてあるのか」と笑われた。ひどくない?
これだけ複雑な感情を抱えているので、「君の名は」「天気の子」を見るのがずっと延期になっている。諸般の事情でラブコメ苦手だし。
若いころ、どうしておばさんは若い男子が好きなのだろうか。と、心底疑問に思っていた。が、おばさんとなった現在、良く分かったので日記にしたい。
おばさんはもちろん、若いころがあった。
若いころは、少しきれいな格好をして、メイクをして、笑いかければ同じ年ごろ、つまり若い男性が自分にときめいてくれることが普通だった。
しかし年齢を重ねると、私が笑いかけたところで若い人に限らず男性全般的に、私にときめくことはないだろうという自意識に変化する。
それは「かつてできた楽しいことが、今はできない」という感じだ。
ところで、同じコミュニティに若い男性がいるのだが、いまその男性に「すてきだな」と思っている。しかし、おばさんとなった現在、その男性に「すてきだな」と思うことは、若いころと全く違う。
若いころは、「すてきだな」と思ったら、恋愛に発展するという現実がかなり真実味を帯びていた。一方、今は恋愛に発展する可能性はほぼなく、ただのファンタジーである。
現実的に恋愛関係になることはないという意味で、アニメやゲームのキャラクター、芸能人を推す、という感覚に近い。「私」がどんな属性であるかがほぼ意識されない。推す対象を前にファンはファンとして一括りに扱われ平等な存在である。
いま私がその若い男性に「すてきだな」と思う時、私は自動的に自分像を最高に魅力的な自分にする。それも、架空のキャラクターや芸能人を推す時と同じである(私だけだろうか?)。おばさんとなった今、私の自分像はその若い男性と同世代で、もちろん当時よりもめちゃくちゃ美人でかわいい存在が想起される。それは、とても素敵な気分にさせてくれる。魅力的な若い異性という対象に「すてき」と感じているだけではないことに気づいた。
つまり、おばさんがなぜ若い男性を好むのかというと、それ自体の観賞価値だけでなく、一瞬で無条件に若かった自分に戻らせてもくれて、素敵な気分にさせてくれる存在だからだ。そのため、「若い男性」が好きなのであって、「イケメンの男性」だけが好きなわけではない。もちろん、若くてイケメンなら最高に素敵な気分になるのは言うまでもないが。
そういえば若いころ好きだった年輩の上司は、慣れてくると態度がどんどん同世代みたいに変化していった。上司の中の「同世代だったころの上司」が出てきて話してくれるみたいだった。ああおばさんになると分かるなぁ。若い女性から、「すてきです」「かっこいいです」って言われる年輩の上司の気持ち。最高だったんだろうな~。
これまで見る専だったが9月からそこそこ長文の嘘記事書いたらバカみたいにブクマ付いて笑った。それに味をしめて色々な設定で創作記事を書くと軒並み300〜500userからブクマが付いて、チョレ〜wってなった。総ブクマはたぶん3000くらい。
文体はもちろん、強調には山括弧やコロンを使い分けたり漢字を開いたり閉じたり三点リーダーの個数を変えたりなんなら中黒を使ったりして意図的にペルソナを分けてるからまず特定はできないと思う。
で俺は思った。時折1000ブクマを超えることもあるが、ホッテントリ入りしてるやつの多くは〜600ブクマくらいだ。アクティブなお客様ユーザーが600人くらいだとして、増田の供給側は果たして何人だ?と。あれも俺、これも俺ってことを考えると、たぶん伸びる記事を意図的に書く奴は20人もいない気がする。なんなら俺入れて5〜6人しかいないんじゃないか?
「2ちゃんねるを見ているのは、俺と、お前と、ひろゆきだけだ」ってコピペを思い出してちょっと怖くなった。
こういう増田書きたくなる気持ちわかるよ。何本書いても伸びないと、こういうこと書きたくなる。ブクマしておいてあげるね…
いいぞ。その挑発に乗ってやる。数百ブクマついたひとつを編集して末尾に「これ。」って追記したから探してみろ。一ヶ月以内のやつだ。
架空の人間に対して文句言ってるブクマカや増田見てたら申し訳なくなってさ
書くならある程度本当のこと混ぜた方が楽しいね
これはある。というか完全な嘘だとリアル感が無いのが滲み出るのか伸びない。だから自分の要素を少し盛ったりずらしたりして書くといい。「オッサンだが友達がいない」より「夫に友達が一人もいないみたいなんです…」の方がなんだなんだって思うだろ? 自分の要素への反応もたくさん見られるから多少空虚感も薄れるんだよな。まあ年単位で続ける気にはなれないしそう遠くないうちに飽きるとは思う。
ちょっとだけ追記させてくれ。上の友達いない増田に限らずブコメでキレてるブクマカいるじゃん?
俺に対する怒りは甘んじて受け入れるよ。それとは別に架空の人間にブチギレて強い言葉を放つの見てるとちょっとかわいそうになる。そんなにカリカリしてないでもっと穏やかに毎日を過ごしたほうがいいよ。
それと、
2023/10/3追記
https://anond.hatelabo.jp/20231003091549
そいつとは別人だけどそいつの言ってることは間違ってない。
検証する際トラバ張ってくれた増田のおかげで、東京最低最悪最高の主人公がカス主張増田からも同意もらった。やったぜ(「そいつとは別人だけど」の「そいつ」は検証増田じゃなくて俺のことだよな?)。
やっぱ書く側は面白さと虚しさを両方覚えてると思う。
人間は、何かを批判するときはまず相手がどんな主張をして何故そう言っているのか、本でも読んで勉強してから批判するんだよね
知能が低いゴキブリジャップオスは、驚くべきことに、本を読まない。調べない。知らないものについて架空の脳内妄想で批判する謎の生態がある。
これは、一般的な人間やフェミニストには全く当てはまらない特徴。
低脳ゴキブリジャップオスは、論理的思考ができず、知能が低く、妄想論を議論のできないカスな国語力でギャオオオオオンするしかできない。
インボイスの署名が50万に届いたとのことで、そんな行脚やり遂げたのかと思ったらただのネット署名だった件。
こういうのって扇動する奴がフォーマット作って、そのチェックリスト通りに行動させるってのが定石なんだけど、それすらやってなかったらしい。
案外知られてないんだね請願法。
change.orgのようなオンライン署名がやっているのは実際には名前集めてるだけで、署名どころか記名ですらない。
名前も連絡先も、実在性を検証されるわけじゃないし、架空でも1票を投じることができるシステムになっている。
一人で何票でも入れられるし、それを誰かに知られる事も無い。まぁ、やりたい放題で信憑性はないわな。
実際、change.orgはオンライン署名の賛同者リストに法的効力が無いことを公に認めていて、
日本政府も「賛同者リストの署名は実在性が疑わしいので受け取れない」と法的根拠が無い事を理由に受取拒否した格好になる。
いや何もかも駄目だろ(笑)
請願は議員の紹介によって提出されるものだから、当然国民一人ひとりが自分の意思で賛同しなければならない。
それの出処を責任持って証明するための署名捺印であって、一人一票しか権利は無い。
実在しない人間の署名をいくらでも詐称水増し出来るシステム使っちゃ駄目って解んなかったのはシンプルに馬鹿。
急にある日「消費税50%に賛同します!!!」って50万票集まったらどう思う?いや票入れたやつ誰だよ出てこいよと思わないか?
今起こってるインボイスってまさにこれだぞ。票入れたやつ誰だよ出てこいよ、ってなって誰も出てこない状況。
賛成したの誰ですか、って尋ねて誰も答えなかったらじゃぁ誰も賛成してないんですね、ってなるだろ。
「何の責任も取ろうとしない奴に発言権だけ与えられるわけ無い」って普段お前らが言ってる事だろう。
何自分のときだけ都合よく忘れてんだ間抜けが。意見通したきゃ責任持てよ。
少なくとも君らのお気持ち10よりはアンケートと言えども根拠のある話をしたんだけど
いやー知的な態度だねー
勉強になるなー
鏡見て―
わしw
1%ッスかー
じゃあ俺はアメリカ大統領だよー
また始まったよ
根拠ない!妄想!認知の歪み!って喚いた直後にこんな妄想始まっちゃうおつむで何がどう上位1パーセントなんだ
いい加減にしてくれよ低能
統計を分かってない人間に限って統計統計言う現象マジで何なんだ?こいつは絶対に統計畑の人間ではないことは断言できる。言葉の使い方でわかる
浅…
女に対する態度は分からなくても店員に対する態度や自慢話の多寡や運転の時の変化はわかるだろ
って言う話をしたけどまあ君は日本語読めないもんね
やっぱりそこはカチンと来ちゃったんだねw
深い付き合いの友達いなさそうだもんねきみ
まともな女性が知り合いに1人もいないのでは?ソースは?あれだけ言っておいて、頭のいい女性と1人も知り合ったことがないのだろうか
えっ
これで知能上位1%か・・・
女性との関わりの母数が極めて少ないのに女性全体を語ってしまう認知の歪みでギャオオオオオンするのはそれ以外で説明がつかない。
あのさあ
俺は俺と同階層の女なら高校まででもエスカレーターの中で存分に触れ合いがあったのよ
大学でそういうビニールハウスの外に触れ合った時の衝撃の話をしとんのよ、俺世間知らずのボンだったから
「嫉妬!女の知り合い少ない!」て喚いてるわけじゃん
こういう低知能な有様を「ギャオオン」ていうので
ただオウム返しで言い返してもしゃあないのよ
上位1%(笑)