はてなキーワード: 未来のためにとは
生活保護を受給しております、小学生の子供を持つ母子家庭の母です。
子供はニンテンドーDSを持っているのですが今はやっているマジコンを持っておらず、
友達グループから仲間はずれにされかけています。
マジコンというのは、子供たちの間ではやっている、それをパソコンを通してインターネットにつなげば
ニンテンドーDSの新しいゲームを全部無料で遊べるゲームソフトの一種で、5000円ぐらいで買えるものです。
友達と遊んでいる時に見せてもらいましたが、友達グループでは、私の子供以外は皆それを持っていました。
私はゲームにあまり詳しくなくて、先日子供に言われてようやく気づいた次第です。
いつもゲームを買い与えているゲーム店で買おうとしたところ、それは法律に違反するものなので
当店では扱っていない、と言われました。大きな店のゲームコーナーに行っても同じことを言われました。
私は子供に月に1、2本はゲームソフトを買い与えていますが、友達グループではやっているゲーム全部を
買い与えるには生活保護の金額ではとても足りませんし、月に2、3回は外食にも連れて行ってあげたいので
今の生活保護と各種手当ての額は、何不自由無い生活を送るには少なすぎるのです。
来年発売される新しいニンテンドーDSも買ってあげたいので、できるだけ節約しておきたいです。
それがあればもう新しいゲームを買い与える必要がないのなら家計にとってもとても助かります。
新しいゲームを全部無料で遊べるようなソフトを法律で認めないのは理解できます。
ゲームを作っている人達は、それでお金を稼いでいるのでしょうし。
貧しい家庭の子供がいじめを受けて将来が閉ざされたらどうしてくれるのか。
子供の命より、子供の未来より価値のあるものなんてありません。
ゲームを作っている人のお金稼ぎと、多くの子供の未来とどちらを優先すべきか。
ゲームを作っている人のお金稼ぎと、多くの子供の命ではどちらがより価値があるか。
そんなのは分かりきっています。
子供の未来のためにも、マジコンを合法化して未成年者はゲームを無料で遊べるようにすべきですし、
皆様のお考えをお聞かせ下さい
高校生の子供がいるくらいの年齢の夫婦が、頑張ってもうひとり生むなんて現実的にありえないだろ。
っつーか、もう既に子供がいる夫婦にカネを与えたって、更に生もうなんて思わないって・・・ただでさえ大変なんだから。
少子化対策を本気で考えるなら、これから結婚したらいくら、子供を生んだらいくら、と具体的に子供を生むか、もしくは生むのに直結する行為にのみカネを払え!
(もちろん、外国人の扱いについては、制限等を設けるとして・・・)
既に結婚している&子持ちからは批判もあろうが、別に子ども手当なんてあろうがなかろうが、子供が欲しいヤツは生むし、手当がもらえないからって突然育児放棄したりしないでしょ。
では、何のための3年間だったのですか
ttp://thinkcopyright.org/index.html
鳩山首相がJASRAC記念式典の挨拶で、「保護期間の70年延長に最大限努力する」と発言しました。首相発言は、居並ぶ国際的な著作権団体のトップ、与野党議員ほか各界代表者を前におこなわれ、川端文科相も20日の閣僚後会見で延長に意欲を示しました。
米国が保護期間延長を外交要求する中、国内の権利者団体が、現在「著作者の生前プラス死後50年間」である保護期間を、さらに20年延長するよう求めたのが2006年。その前後にはクリエイター・研究者などからなる当フォーラムが発足して、慎重な検討を求めたほか、日弁連・青空文庫など、さまざまな関係者が延長に反対の声をあげました。
2007年には文化審議会の中に「過去の著作物の保護と利用に関する小委員会」(保護利用小委)が発足しましたが、延長への賛否で意見は大きく割れ、30人もの各界関係者へのヒアリングでも延長への懸念が続出しました。
延長を求める権利者団体はその理由として:
・死後70年への延長は創作者の意欲を高める
・国際的に期間を調和させないと、作品の国際流通が害されるおそれがある
・作品の利用許諾が難しくなる点は、大多数の作品を網羅する権利情報データベースの構築で解決できる
などの点を挙げました。
これに対して私たちは:
・更に20年延ばしても、経済的に受益するのはごく一部の作品だけではないか
・むしろ、古い作品の権利処理には過大な負担を要し、死蔵作品が増えるのではないか
・延長は欧米の一部権利者を利するのみではないか
・古い作品に基づく、無数の新たな創作の泉を枯らすのではないか
などの問いかけをおこなって来ました。
2009年、保護利用小委では、「著作権法制全体として保護と利用のバランスの調和のとれた結論が得られるよう、検討を続ける」として、延長を事実上見送る報告を著作権分科会に提出しました。
そして、著作権法制全体のあり方を話し合うために、さる4月、基本問題小委員会が立ち上がり、議論がはじまった矢先での今回の発言です。
基本問題小委員会がまだ中間報告すらおこなっていない段階で、酒宴の挨拶で、「欧米並みにすべきだから」という理由で発表される70年延長とは何なのでしょうか。それは、立場は違えどその信ずるところをお互いにぶつけあって来たこの3年間の議論をどうくみとり、生かしたものだというのでしょうか。
今後、基本問題小委員会などの場で、著作権法のどのような未来像が示されるのか、網羅的な権利情報データベースが現実に構築され、権利処理の問題がどう解消されるのか、実際に見さだめたうえで、はじめて保護期間の延長は議論の俎上(そじょう)にのぼるべきものです。
そして、その是非を決めるのはひとり首相や文科相ではありません。このことは、華美を尽くした式典の檀上に議員や団体の長が何人あがろうが、変わりません。 それを決めるのは、皆さんです。そしてこの決定を見つめるのは、明日の時代を生きる私たちの子供たち・孫たちです。
情報と社会の未来のためにどのような決定をくだすのか。私たちには、彼らへの責任があります。
think Cは、今回の一連の発言のゆくえを注視し、今後、必要なすべてのアクションをとっていきます。皆さんの支援が、頼りです。どうぞこの問題をひとりでも多くの方に伝えてください。なお、本コメントは転載自由です。
記者「世論はマスコミによって操作されていると言うことですか?」
ttp://cherio199.blog120.fc2.com/blog-entry-2574.html
153 :仕様書無しさん:2010/01/19(火) 01:10:54
記者「世論はマスコミによって操作されていると言うことですか?」
民主「その通り。報道によって本来の人格も無視されて悪役にされている。」
民主「操作された世論に、野党が乗じて国会を空転させるなど日本の未来のためになりません。」
民主「そのような事態を国民の皆さんが望んでいますか?国民は真実を理解して欲しい。」
記者「ありがとうございました。以上、麻生内閣についてお聞きしました。」
民主「ちょっとまて!」
小泉進次郎オフィシャルブログ「日本の政治を未来のために~自由民主党~」
ttp://ameblo.jp/koizumi-shinjiro/entry-10411254443.html
今日の外交部会には宮内庁からも宮内庁長官官房審議官が出席していたので私も質問をしました。
要約すれば、
「これは事実上の一ヶ月ルールの崩壊じゃないですか?今までは大国に対しても小国に対しても差をつけるような対応をしないということでやってきた。今後小国から一ヶ月ルールを破る形で陛下との会見を要請されたら、断る理由をどこに見出だすのか。官房長官は、日中関係の重要性にかんがみてと言うが、重要じゃない外交関係なんてない。中国は特別だと言えるのか。今後一ヶ月ルールをどうやって守っていくのか?」
宮内庁からの回答は、
「説明をしていくしかない」
というものでした。
私はこの件に対する鳩山政権の姿勢に、権力の行使という観点から怖さを感じます。
この会見に対する賛否が渦巻く中で陛下との会見を行うことが本当に日中関係にとってプラスになるんでしょうか。
私には疑問です。
審議拒否はどっちだ!
小泉進次郎オフィシャルブログ「日本の政治を未来のために~自由民主党~」
ttp://ameblo.jp/koizumi-shinjiro/entry-10402971022.html
今国会ではっきりしていること、それは、審議拒否をしたのは自民党ではなく民主党だということです。
しかし、臨時国会の会期は36日間という短期間。
延長はたった4日間。
しかも、党首討論は開催しない!
自民党は、鳩山総理が所信表明で述べた言葉を受け、十分な審議時間を取ることを要求し、党首討論の開催も呼び掛け、その上、会期の大幅延長も異例のことですが野党の自民党から申し入れたんです。
民主党は、これらに対してゼロ回答。全く受け入れませんでした。
与党・民主党が野党・自民党に審議に応じるよう呼び掛けたのではなく、全く逆です。
野党・自民党が与党・民主党に審議時間を十分取るように申し入れたんです。
どちらが審議拒否か明らかだと思いませんか。
[snip]
十分な審議時間は取らない、
党首討論はやらない、
重要な問題に対する集中審議も行わない、
というものでした。
これらは、私が自民党だから民主党を批判しているということではありません。
その上で私は国民の皆さんに聞いてみたいんです。
ビートたけしは、ある程度十分に稼いでいるクラスの若手芸人に会うとこういう話を持ちかけるらしい。
「兄ちゃん、詐欺にあったつもりで俺に金出してくれないか?」
話の中身はこうだ。これから毎月一万円を寄付する。寄付された一万円はたけし(の事務所)が責任を持ってたけしの付き人・ゾマホンの故郷に送金する。
ゾマホンの故郷では教育も受けられない、食事も満足にできない子供たちがいくらでもいるので、彼らの未来のために使う事を約束する。だから寄付に参加してくれないか。
この金はあんたにとっては死に金になるが、いつかあんたが死ぬ頃に、枕元にたくさんの見た事もない子どもたちがやって来て「お父さん、今まで本当にありがとう」と感謝してくれるだろうよ。というのだ。
その話を聞いて、そういう事なら、とたけしの寄付に賛同している芸人さんは少なくない。という話を聞いた事がある。まあ真偽まではさすがに知る由は無いけど、無くもない話だなって思った。
つまり、余ってるならくれ!w
http://anond.hatelabo.jp/20090629223650の続き
Ⅱ、物語の面白さについて
小説とは、物語を読者に伝えるために文字で書かれた文章だ。書き手が小説を書く動機はおそらく大きく分けて四種類あるだろう。物語の面白さを伝えたいという動機、物語という糖衣に包んで何らかのテーマを伝えたいという動機、物語を伝えるための表現方法の工夫を見てもらいたいという動機、小説を書くことによりカネや名誉を得たいという動機だ。テーマを伝えるためにはそれを包むための物語が必要だし、表現方法を見せるためにも、表現される物語が必要になる。そして、面白い物語でなければカネや名誉を得ることは出来ない。
物語そのものの作り方については、特に語る必要はないだろう。これを読んでいる方の大多数は日本で生まれ育ち、テレビという媒体によって物語の構造を経験的に知っているはずだ。
物語にはどのような面白さがあるかについて見ていこう。
以下の広告文を見て欲しい。これらはダ・ヴィンチの2006年5月号から採取した。
(削除)
これらの広告文から想像できる物語は、結構面白そうだと思えないだろうか。少なくとも、本屋でこういった文面が目に飛び込んできたら、手に取りたくはならないだろうか。むしろ、そういう小説が面白いからこそ、こういう広告文をライタ―は考えるのだ。「暴力や性などのように、人間の生理的なものに根ざしているものが面白いのだ」、とキンチュという学者も1980年に言ったらしい。生理的なものに根ざしているということは、きっと「すごくトイレに行きたい!」というような話も面白い部類にはいるのだろう。それを確かめるためにもとの文献に当たろうと思った。Poeticsという雑誌の9号にその論文が載っているらしいのだが、しょっぱい図書館には7号までしか置いていなかった。だから上の括弧内の言葉は、孫引きだ。本当はやっちゃいけない。
生死や性と言うとハリウッド映画のようなバタバタと煩い小説が思い浮かぶかもしれないが、静かな小説だってこの面白さを持つ。重松清の『舞姫通信』はアクションシ―ンなんて全くない静かな小説だけれども、主人公の周りでは自殺がたくさん起こる。市川拓司の作品群だって恋愛とヒロインの死が物語の主軸となっている。
物語は大体、始まりに主人公にとって悪いことがあって、それが改善されることで終わる。内田の言う〈欠損―補充〉の物語の構造といっても良い。こういった〈欠損―補充〉の構造を持った物語は、主人公の感情を推測しやすかったり後々に読者が内容を思い出しやすかったりするらしい。これについてはいろんな人がいろんなことを言ってる。「物語は葛藤から生まれる」、「物語は欠如から生まれる」、「物語は主人公の目的意識から生まれる」等々。だからこれ以上、このことについては触れない。
どんでん返しと言ったら、『……だと思いこんでいたにもかかわらず、実は……だったぁ!!』という、物語のクライマックスで頻発する奇怪な現象だ。歴史は古く、2300年以上も前に、アリストテレースがこれについてゴチャゴチャ言ってる。
基本的には、『主人公は目的達成に関わるものが或るものだと仮定して行動する。その仮定が正しくなかったことを知るや否や、知る前にとった行動が本来の意味とは別の意味を持ってしまう』というものだ。そうじゃないのも沢山あるけど。
作り方は簡単。
ⅰ)主人公はaという存在(人でも物でも良い)を求めている。ⅱ)aと共通項を持つαを発見し、αに対して何らかのアプロ―チを取る。
ⅲ)αは、あたかもaであるかのような反応を示す。
ⅳ)何らかの要因(約束を守るとか破るとか色々)によってαがaでないことに気づく。
ⅰからⅴのaとかαに好きな言葉を入れれば、即席でどんでん返しを作ることが出来る。
市川拓司の『いま、会いにゆきます』を例にとってみよう。
ⅰ)主人公の巧は、死後の世界からもどって来る妻、澪を待っている。ⅱ)ある日、工場跡で、巧は記憶を失った澪を見つける。彼女に過去の思い出を話したり彼女と愛しあったりする。
ⅲ)澪は、生前の彼女がそうであったように巧のことを愛してくれる。
ⅳ)澪が再び消えた後、彼女が残した手紙によって、巧は澪が蘇ったのではなく過去からタイムスリップしてきたのだと知る。
ⅴ)それによって二人が愛しあったことの意味合いが少々変わってくる。
一見とても複雑で、私のような凡夫には到底思いつくことが出来ない、と思われる人もいるかもしれないが、そんなことはない。「実はタイムスリップだった」というところを思考の出発点にして、「戻ってきたと思ったら、実はタイムスリップだった」、「妻が戻ってきたと思ったら、実はタイムスリップだった」、「死んだ妻が戻ってきたと思ったら、実はタイムスリップだった」とアイディアを広げていき、そしてそのアイディアを盛り込むのに相応しい物語の全体像を考えてやれば良い。
読者の持っている常識または読者の予想からズレのある状況を描くことで、読者の気をひきつけることができる。シャンクの言う「スキ―マに一致する期待を破ったり逸脱する場合」の面白さになるのだろう。
期待を破るという点では、どんでん返しも同じである。どんでん返しはズレの中の一つと僕は考える。
ズレは『……にもかかわらず……』の形で表される。『にもかかわらず』の前の言葉が、読者に或る事象や状況を想像させる。『にもかかわらず』の後の言葉が、想像した事象や状況とはズレた事象や状況を表す。
いくつか例を挙げよう。
①、能力がないにもかかわらず、行為を行なう。例:武器を持っていないにもかかわらず、敵に挑む。
②、立場がふさわしくないにもかかわらず行為を行なう。
③、不本意であるにもかかわらず、止むを得ない理由により或る行為を行なう。
④、以前はpであったにもかかわらず、今はqである。
⑤、本来はpのために存在するにもかかわらず、qとして利用する。
①~③は人物の行動に関連したもの、④、⑤はものの存在に関連したものだ。飽くまで例を挙げただけで、全てのズレを網羅しているわけではない。
ズレで注意しなければいけないのが、あまりにもズレが大きすぎると読者が小説についていけなくなったり、期待を裏切られた衝撃で読むことを止めてしまう危険があることである。読者がそのようなことを起こすことのないよう、ズレが起こる前にある程度読者にズレを予想をさせて、ズレを少なくしなければならない。
①・②のズレを少なくする方法の一つとして、それを行う登場人物に前もって「或る状況に陥ったとき、この行動をとる」と宣言させれば良い。そもそも我々が暮らしている現実世界においても、能力や立場が行動を実行に移す足かせになっても、動機さえあれば動き出すことがある。①・②のズレは、ズレが大きくなりすぎるようなことが少ない。
③のズレを無理なく(読者が拒絶することない程度に)作るには、或る目的を成し遂げるためには無理にでも何かをやらなければならない状況を主人公に与えればよいのではないだろうか。
例えば、三谷幸喜監督の『有頂天ホテル』であれば、主人公が別れた妻に良い恰好をするために自分が受賞したわけでもない賞の受賞コメントをする。
④の場合は、状況が大きく変わるための理由付けをしてやれば良い。その最も簡単な方法は約束をすることである。状況が悪いほうに転じる場合には約束を破れば良いし、逆に好転する場合には、約束を守っていれば良い。
⑤について考える。例えば「aをbに~する」というようなズレのある状況を作りたい。そのときには、
ⅰ)aを元として含む集合Aもしくはbを元として含む集合Bを提示する。もしくは、aは集合Aに元として含まれることやbは集合Bに元として含まれることをこじつける。ⅱ)「Aをbに~する」、「aをBに~する」、「AをBに~する」のいずれかを物語の中で提示する。但し、宣言された行為にはズレはない。
ⅰとⅱを任意の順番で行ったうえで「aをbに~する」というような行為を行えば自然ではないだろうか。
伊坂幸太郎の「アヒルと鴨のコインロッカ―」を例に採ろう。この小説では、終盤でドルジという登場人物がボブ・ディランの曲を流したままのラジカセをコインロッカ―の中に放置するという、常識的にあまり考えられない行動をする。しかしそれは「善いことも悪いことも、やったことは全部自分に戻ってくる」と言うドルジに対してドルジの恋人である琴美が「それならさ、神様には見て見ぬふりをしてもらえばいいって。緊急事態だから。神様にはどこか見えない場所に閉じこもってもらえばさ」と言い、また、別の場面ではドルジの友人の河崎がディランの歌について「あれが神様の声だ」と言ったからだ。
小説の序盤や中盤にあった状況や事象を小説の終盤に再び置くことで読者に一種知的な発見をさせ、はっと驚かせる効果がある。これも、いくつか例を挙げよう。
順境から逆境、または逆境から順境と言ったような状況の大きな変化に用いられる。報いが起こる以前に行われた約束を守っていた(破っていた)ことが原因となって、主人公の立場が大きく変わってしまう。
例えば、綿谷りさの『インスト―ル』であれば、主人公はネット上の文字のやり取りでは「自分をキャラクター化している傾向が強い」ような人は「しょっぱなからH会話をしたら憤慨してしまう」ため、そのような人とはそのような会話をしないように誓うが、結局そのような会話をしてしまい、会話の相手を憤慨させてしまい、窮地に立たされる。④のズレを作るのにも使うことが出来る。
物語の序盤や中盤に立たされた状況に、物語の終盤で再び立たされる。序盤や中盤で採った行動と異なった行動を、終盤で採る。主人公の成長を表すのに使われる。
例えば乙一の『しあわせは子猫のかたち』であれば、主人公は物語の序盤と終盤で同じ一人暮らしという状況に立たされるが、序盤では「陽の光は嫌いなのでカ―テンを閉め」たが、同居することになった雪村サキとのふれあいを通じて終盤では自発的に「カ―テンを開き、窓をあけて風を入れ」るようになる。④のズレを作るのに使うことが出来る。
ある現象・行為に対して意味づけをし、それが物語終盤で再現される。
例えば伊坂幸太郎の『陽気なギャングが地球を回す』では、「人生を楽しんでいる人が寄っていくと赤ん坊が泣き止む」と、登場人物たちが冗談で言う。小説の最後で主人公達が銀行強盗に入ったとき、赤ん坊が泣き止む。⑤のタイプのズレを、⑧の伏線のタイプに含むことが出来るだろう。
物語序盤で現れた事象/状況が物語終盤でリフレインさせることにより、はっと驚かせる。
伊坂幸太郎の『重力ピエロ』は、最初の行と最後の行が「春が二階から落ちてきた。」となっている。
伏線は悲壮感の軽減するのとズレを少なくするために使える。
『しあわせは子猫のかたち』であれば主人公の成長により雪村サキが消えた悲壮感が軽減されるし、伊坂幸太郎の『アヒルと鴨のコインロッカー』であれば、ドルジが辛い過去を語った後でレッサーパンダ盗む子供たちが再び表れ、場面が明るい印象になる。
約束や意味づけはそれ自体がズレのある状況の理由となるため、ズレた状況の蓋然性が増す。
素晴らしい小説に出会えたとき、人はその後の展開を想像し、読み終わった後も空想の中でふわふわと浮かんでいるような感覚を味わえるものだ。もしかすると、逆をとって、そのような小説は素晴らしい小説だといえるんじゃないだろうか(『逆は必ずしも真ならず』ってのは知ってるけれども)。
想像というのは一般に、確定していないことを想像する場合と、すでに確定した状態についての反実仮想とがある。物語の中での前者の確定していないことを想像する場合は、未だ語られていないこと、たとえば登場人物の未来や知られざる過去などを想像する。後者のすでに確定した状態についての反実仮想は、過去において登場人物がとった行動をもしとらなければ物語がどう展開していたかを想像するというものである。
物語における想像の主体は読者と登場人物である。読者が自発的に想像する場合と、登場人物がした想像を読者が受け取る場合とがある。
〈自発―未確定〉〈自発―反実仮想〉
〈受容―未確定〉
〈受容―反実仮想〉
の四つに分けられる。本当は想像を提供するのは登場人物の他にも物語の語り手も含まれるのだが、語り手が読者に意見を押し付けるような小説は最近の主流ではないのでここでは無視する。
読者が自発的にが想像をするときには、ある程度の制約が必要である。たとえば舞台の上に割り箸が一膳転がっていても漠然としていて想像の仕様がないが、舞台袖から現れたコメディアンがそれを拾い上げると、何か芸をするのだと想像ができる。読者が自発的に想像する場合は、制約を使う。物語世界を飛び出して現実世界に想像を膨らませる場合もある。
登場人物の想像を受け取る場合は、制約は必要ない。登場人物が発想したことを、読者が自分の考えとして取り入れたりありえないものとして棄却したりする。すでに読者にとっては確定した内容について、そうとは知らず登場人物が想像を巡らす場合もある。
このパターンの場合の制約は読者の持つ物語の鋳型である。読者の持っている物語の鋳型と今読んでいる小説の文から与えられた情報から、今後の展開を予想するのだ。想像によって複数の物語が出来上がってワクワクする。
一般的に読者は、登場人物が道徳とか願望とか義務とか知識とかの欠損を埋めるという物語の鋳型を持つ。登場人物の悪事は罰せられ、道徳の範囲内で主人公の願望は叶えられるように物語は動き、願望を果たす範囲内で義務は遂行され、ミステリーの場合は犯人は誰であるかという知識の欠落が結末までに必ず解決されるものと予想する。
読書経験によっても物語の鋳型は作られる。連作物の場合、最終回でないにもかかわらず最終的な目的が成就されることは無いし、週刊少年ジャンプに載っている漫画の場合、恋愛が成就するような展開はなかなかありえないだろうし、花とゆめで連載されている漫画の場合であれば逆に恋愛が絡まない話の方が難しいだろう。
主人公に選択肢が与えられたときも、選択肢という制約によって想像が発生する。ただ、物語の鋳型によって実現の可能性がないものとみなされ、想像から棄却されるような選択肢はあまり有効ではない。だが、ありえないとみなされる選択肢は反実仮想としての面白さになるため、選択肢が全くないよりは実現の可能性の少ない選択肢でもあったほうが物語の面白さは高い。
過去において提示された選択肢について、もしあの選択肢を選んでいれば主人公は別の状況に立たされていたのに、という想像を読者は巡らす。面白さに及ぼす効果は⑬と似通っている。ただ⑬とは違い、登場人物がそれについて想像や言及をしない場合である。
O・ヘンリの『賢者の贈り物』を見てみよう。デラは髪の毛を売るか売らないかという選択に立たされる。夫が髪飾りを買ってくれるが、デラは髪を売ってしまったため、その髪飾りを使うことができない。過去における選択肢という制約により、髪の毛を切らなかった状況を読者は想像できるのだ。
登場人物が自分の計画・推測・願望を語り、それが実現するかしないかを読者が想像する。複数の人物が自分の計画・推測・願望を語る場合、それ選択肢の形になり、読者はそのうちの全部か一部を採択するか、どれも採択しないかを選ぶ。⑩の場合との違いは、⑩の場合は読者の能力によって想像の幅が決まるのに対して、⑫の場合であると登場人物の側から想像を提供することである。
アレックス・シアラーの『13ヵ月と13週と13日と満月の夜』の主人公は、友人のメレディスが祖母を虐待しているのではと想像し、読者はそれを信じたり信じなかったりする。
過去において提示された選択肢について、もしあの選択肢を選んでいれば登場人物は別の状況に立たされていたのに、という想像を作中の人物が巡らし、それが読者に採りいれられたり取り入れられなかったりする。
東野圭吾の『手紙』はこの連続だ。主人公の兄が金を盗み取るという行動を採択したために、主人公はメジャーデビューするバンドのボーカルになる機会や逆玉に乗るチャンスを失ってしまう。後々になって、そのことについて主人公の周りの登場人物がそのことについて言及し、現実にならなかった状況を想像する。
登場人物が事実とは異なる想像をすることで、事実と想像のズレを生み出すことが出来る。
森絵都『永遠の出口』では、主人公の母親が主人公の振る舞いについて相談する手紙の内容が、主人公の思惑と全く噛み合わず、面白さを生む。
登場人物が死後の世界についてとか、この世の成り立ちとか、この世界が本当はどうなっているかとかについてを説明し、読者はそれが本当かどうかと空想をめぐらせる。死んだあと人間はア―カブイ星に行くとか、この世の最強の動物はクマであるとか、この世界は三年前に一人の少女によって作られたとかの、登場人物による様々なアイディアを、読者は採択したり棄却したり別のアイディアを考えたりして楽しむ。もし現実に、物語の中の状況に自分が立たされたらと想像する読者もいる。
⑩・⑫は先を予想する面白さ、⑪、⑬、⑭、⑮は今読んでいるペ―ジの面白さと言える。
⑩・⑫は、物語の展開によっては「……と予想していたにもかかわらず、本当は……という展開だった」というズレに使える。週刊少年ジャンプのギャグマンガの登場人物には普通、まともな恋人ができるわけがない。ラブレターを渡されると思ったら茶封筒に入ったただの手紙だったり、恋人になった人が広末涼子に似たとても可愛らしい女性だと思ったら実際はマウンテンゴリラだったりするのがギャグマンガの常だ。そういった鋳型を破壊したとき、読者の予想を裏切った面白さが生まれる。
森絵都の小説の会話が、まさに予想を裏切りによる面白さ(例えば、愛の告白をするのかと思ったら、突然晩御飯のメニューを訊いたりする)を持っていると思うのだが、それはまた別の話。
以上でまとめた面白さはそれぞれ完全に独立したものではなく、複数にタイプに跨って存在している。どんでん返しはズレの範疇に入るし、反実仮想や登場人物による誤った想像もまたズレに入れられる。不安の解消による面白さは、それが成し遂げられる以前(物語の序盤や中盤)では、解消されるという予想として存在する。だが本稿では、それぞれの面白さを二、三の大きな分類に還元することよりも、思考のツールとして使いやすい程度に細分化することを目指した。
以上で述べてきた物語の面白さに関するツールが実際に役に立つかや他にどのようなツールがあるのかを検討するべきなのだろうが、あとは知らないです。ここまで読んだ人は、本当にとてつもなくえらい。えらすぎです。
この書きなぐりの文章を鵜呑みにせずに、否定するべきところは否定して、無視するべきところは無視して(そうすると、この文章に書いたことは何も残らないかもしれない)、自分なりのスタイルを確立してください。
ここに書かれていることは正しいことではなくて、僕が話を書く上で寄りかかっている杖に過ぎません。くじいた足を引きずりながら歩いていたら、運よく見つけた棒が、ここに書かれている方法です。それが、折れやすい棒なのか頑丈な棒なのかは、僕自身にもわかっていません。
「阿呆なことを妄想している暇があるなら原稿千枚書いて来い若造」のような感想を抱く方もいると思います。それは当然のことで、文学者でもない、文学部でもない、当時ただの経済学科生が色々な本を読みながら、自分なりのスタイルを掴むために書いたものです(今現在の自分は、これとは少し違う方法で話を書いています)。
そのような感想を抱くということは、言語化できる根拠があるはずなので、是非、それを文字にしてみんなに見せてください。それが、必ず小説の未来に繋がります。
幼少期から家庭内で暴力に晒され続けていた、或る人。
成人しても家を出ることもなく、毒になる家族から逃れられていない。
「こうして欲しかったのに」という怒りはとうに消えてしまった。
彼らの要求には抵抗なく応じ、黙々と無感情に仕事を片付ける。
普段は社会人として真面目に働いているが、出世願望などは持たない。
周囲とコミュニケーションを図り、協調して仕事を進められる「いい人」。
業務上の任務を果し、効率化による業績の向上には尽力するが、
「他人に迷惑をかけないように」貯蓄はしているが、
義務を果すことのみが自分の使命であり、
その苦役から解放される死の時のみを心待ちにしている。
淋しいという感情がない。
「いい人」ゆえに何人かの友人はあるが、
心から信頼できる誰かが欲しいとは思わない。
他人の世話になると負債の重圧を感じるため、
出来るだけカネで解決できる関係だけで片付けようとする。
誰かに話を聞いて欲しいとも、ずっと側に居て欲しいとも思わない。
孤独に、心安らかに、誰にも迷惑をかけずにひっそりと消えたい。
いつになったら終るんだろう?
誰にも、何にも期待せず、ただじっと時が過ぎるのを待っている。
やりたい事、物欲、行きたい所、美味しい物、
何にも執着心を持つことができず、はた目にはまるで欲を捨てて
解脱してしまった人のようだが、しかし聖者とは似ても似つかない内心の冷淡さ。
慢性の鬱病なのか?
こんな人が充実した生を送るにはどうしたらいいんだろうか。
反嫌儲の腐れデジタルミレニアムコピーワンス搾取はてサのクソどもはいいかげん嫌儲に歴史と理論がある事を知れよアホが!!著作権を振りかざた権威にひれ伏す権力の犬である腐れデジタルミレニアムコピーワンス搾取はてサどもよ、おまいらは打倒されるべき抑圧貴族階級に過ぎん!!何がゆとりだ。腐れデジタルミレニアムコピーワンス搾取はてサ老害こそ文化を独占資本化する帝国主義者だろうが!!
http://www.ezweb.co.jp/~higan/
サイバー反体制派、エレクトロニックフロンティアファウンデーション共同設立者
産業世界を牛耳る政府どもよ、お前たち肉と鋼鉄でできたか弱い巨人どもよ、私は新しい精神の住処、サイバースペースの住人だ。未来のために私はお前たち過去の人間に要求する。我々のことは放っておいてくれ、と。お前たちは我々にとって歓迎すべからざる客だ。我々の集まるところでお前たちの権威は通用しない。
我々は選挙によって選ばれた政府など持たないし、また持つ気もない。従って、私がお前たちに向かって語りかける言葉には、自由が常に語ってやまぬ言葉以上のいかなる権威も含まれていない。そこで私は宣言する。我々が建設中のグローバルな社会空間は当然ながらお前たちが押しつけようと画策する専従体制からは独立している、と。お前たちは我々を規則で縛ることが出来るような道徳的な権利など持っていないし、また我々が真に恐れるに足るようないかなる強制手段も持ち合わせてはいない。政治は統治される国民の同意があって初めて力を持つ。お前たちは我々の同意を促すこともできない。我々はお前たちを歓迎しない。お前たちは我々のことを知らないし、我々の世界も知らない。サイバースペースはお前たちの引いた国境の中にありはしない。公共の建設事業か何かのように、自分たちで作ってしまえるなどと思ったら大間違いだ。そんなことはできはしない。これは自然の営みと同じで、我々の共同の行為と通じて自然に成長していくものだ。
お前たちは我々の大いなる集団の対話に参加したことはないし、また我々の豊かな市場の富を作ったわけでもない。我々の文化も知らなければ、倫理も不文律も知るまい。それは、お前たちが押し付けるどんな強制よりもはるかに多くの秩序を我々の社会に現にもたらしているものだ。お前たちは我々の世界に解決すべき問題が存在すると言う。そしてそのことを口実にして我々の世界を侵略しようとしている。お前たちの言う問題の多くは実際には存在しない。本当に摩擦があり、問題点があれば、我々はそれを認めて我々なりの方法で対処するだろう。我々は我々だけの社会契約を作りつつある。我々の世界の統治は我々の世界の諸条件に応じて自然に発生する物であって、お前たちの勝手な条件から生まれるものではない。我々の世界は違うのだ。
サイバースペースは様々な商取引、関係、そして思考そのものからできあがっていて、それが我々のコミュニケーションのウェブの中にまるで定常波のように隈無く広がっている。我々の世界はいたるところにあるとともにどこにもない。ただしそれは肉体が住める場所ではない。
我々が作りつつある世界はどんな人でも入ることができる。人種、経済力、軍事力、あるいは生まれによる特権や偏見による制限はない。
我々が作りつつある世界では、誰もがどこでも自分の信ずることを表現する事が出来る。それがいかに奇妙な考えであろうと、沈黙を強制されたり、体制への同調を強制されたりすることを恐れる必要はない。
お前たちが考える、所有、表現、自我、運動、前後の関係(コンテクスト)に関する法的概念は我々には適用されない。それは物質に基づくものだからだ。我々の世界に物質は存在しない。
我々の自我は肉体を持たない。だからお前たちと違って、我々は肉体的強制によって、秩序を獲得することは出来ないのだ。我々の世界の統治は、倫理学、啓蒙的な利己主義、連邦体制といった土台から生じるであろうと我々は信じている。我々の自我はお前たちの法的権限が及ばない多岐にわたる領域に分散して存在する事が出来る。我々の世界を構成する様々な文化が唯一一致して認める法は「黄金律(汝の欲することを人にもなせ)」しかない。我々はこれを基礎にして個別の問題の解決を見出そうと望んでいる。しかしお前たちが押しつけようと図る解決法は到底受け入れられない。アメリカでは、お前たちはテレコミュニケーション改革法案なる法律をでっち上げたところだ。これはお前たち自身の憲法を否定し、ジェファーソン、ワシントン、ミル、マディソン、トクビィル、ブランダイスらの描いた夢に泥を塗るのに等しい行為だ。この夢は我々の世界で新しく生まれ変わるに違いない。
お前たちは自分たち自身の子供に脅えている。子供たちはサイバースペースのネイティブなのに、お前たちの方はいつまでたっても根付かぬ移民のままだからだ。この子どもたちを恐れるがゆえに、お前たちは、自分たち自身では卑怯にも真正面から引き受けることの出来ない親としての責任を官僚たちに委ねるのだ。我々の世界では、人間性に関わるあらゆる感情やその表現は、下劣なものから崇高なものまで、みなシームレスな全体を形作る部分であり、ビットによるグローバルな対話の一部なのである。人を窒息させるのも空気なら鳥を舞い上がらせるのも空気であり、両者を区別する事は出来ない。
中国、ドイツ、フランス、ロシア、シンガポール、イタリア、アメリカで、お前たちはサイバースペースのフロンティアに番兵を立たせて自由のウイルスの侵入を何とか食い止めようとしている。それで少しの間は感染を防げるかもしれないが、まもなく世界中がビットメディアに覆い尽くされれば、それも無駄になろう。
お前たちのますます陳腐化する情報産業界は、延命を図ろうとアメリカやその他のいたるところで自分たちの主張を世界中に通すための法律を作ろうとするだろう。その法律とやらは、アイデアもまた別種の工業製品だとのたまう。それは高炉から流れ出た鋼鉄に比べてちょいとばかり高級などというものでは何らないというわけだ。しかし我々の方では、人間の精神が作り出せるものはすべて再生産できるし、また無償で無限回分配することができる。思考のグローバルな伝達にはもはやお前たちの工場の完成を待つには及ばないのである。
このような、陰険で植民知的な措置のおかげで、我々はかつての自由と自己決定を愛した人々と同じ立場に立たされている。かつてこの人々たちは遠くから何の説明もなく権力を揮う政府に対し異議を唱えねばならなかった。我々はここに何としても宣言せねばならない。我々のヴァーチャルな自我はお前たちの権力に対して免疫抵抗を持っている、と。たとえ我々は我々自身を地球全体に分散させているから、誰にも我々の思考を捕縛することはできない。
我々はサイバースペースに精神の文明を作り上げるだろう。そしてそれはかつてお前たち政府が作り上げた世界よりもはるかに人間的で美しいものになるに違いない。
http://anond.hatelabo.jp/20090307040202
http://anond.hatelabo.jp/20090306040620
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産業世界を牛耳る政府どもよ、お前たち肉と鋼鉄でできたか弱い巨人どもよ、私は新しい精神の住処、サイバースペースの住人だ。未来のために私はお前たち過去の人間に要求する。我々のことは放っておいてくれ、と。お前たちは我々にとって歓迎すべからざる客だ。我々の集まるところでお前たちの権威は通用しない。
我々は選挙によって選ばれた政府など持たないし、また持つ気もない。従って、私がお前たちに向かって語りかける言葉には、自由が常に語ってやまぬ言葉以上のいかなる権威も含まれていない。そこで私は宣言する。我々が建設中のグローバルな社会空間は当然ながらお前たちが押しつけようと画策する専従体制からは独立している、と。お前たちは我々を規則で縛ることが出来るような道徳的な権利など持っていないし、また我々が真に恐れるに足るようないかなる強制手段も持ち合わせてはいない。政治は統治される国民の同意があって初めて力を持つ。お前たちは我々の同意を促すこともできない。我々はお前たちを歓迎しない。お前たちは我々のことを知らないし、我々の世界も知らない。サイバースペースはお前たちの引いた国境の中にありはしない。公共の建設事業か何かのように、自分たちで作ってしまえるなどと思ったら大間違いだ。そんなことはできはしない。これは自然の営みと同じで、我々の共同の行為と通じて自然に成長していくものだ。
お前たちは我々の大いなる集団の対話に参加したことはないし、また我々の豊かな市場の富を作ったわけでもない。我々の文化も知らなければ、倫理も不文律も知るまい。それは、お前たちが押し付けるどんな強制よりもはるかに多くの秩序を我々の社会に現にもたらしているものだ。お前たちは我々の世界に解決すべき問題が存在すると言う。そしてそのことを口実にして我々の世界を侵略しようとしている。お前たちの言う問題の多くは実際には存在しない。本当に摩擦があり、問題点があれば、我々はそれを認めて我々なりの方法で対処するだろう。我々は我々だけの社会契約を作りつつある。我々の世界の統治は我々の世界の諸条件に応じて自然に発生する物であって、お前たちの勝手な条件から生まれるものではない。我々の世界は違うのだ。
サイバースペースは様々な商取引、関係、そして思考そのものからできあがっていて、それが我々のコミュニケーションのウェブの中にまるで定常波のように隈無く広がっている。我々の世界はいたるところにあるとともにどこにもない。ただしそれは肉体が住める場所ではない。
我々が作りつつある世界はどんな人でも入ることができる。人種、経済力、軍事力、あるいは生まれによる特権や偏見による制限はない。
我々が作りつつある世界では、誰もがどこでも自分の信ずることを表現する事が出来る。それがいかに奇妙な考えであろうと、沈黙を強制されたり、体制への同調を強制されたりすることを恐れる必要はない。
お前たちが考える、所有、表現、自我、運動、前後の関係(コンテクスト)に関する法的概念は我々には適用されない。それは物質に基づくものだからだ。我々の世界に物質は存在しない。
我々の自我は肉体を持たない。だからお前たちと違って、我々は肉体的強制によって、秩序を獲得することは出来ないのだ。我々の世界の統治は、倫理学、啓蒙的な利己主義、連邦体制といった土台から生じるであろうと我々は信じている。我々の自我はお前たちの法的権限が及ばない多岐にわたる領域に分散して存在する事が出来る。我々の世界を構成する様々な文化が唯一一致して認める法は「黄金律(汝の欲することを人にもなせ)」しかない。我々はこれを基礎にして個別の問題の解決を見出そうと望んでいる。しかしお前たちが押しつけようと図る解決法は到底受け入れられない。アメリカでは、お前たちはテレコミュニケーション改革法案なる法律をでっち上げたところだ。これはお前たち自身の憲法を否定し、ジェファーソン、ワシントン、ミル、マディソン、トクビィル、ブランダイスらの描いた夢に泥を塗るのに等しい行為だ。この夢は我々の世界で新しく生まれ変わるに違いない。
お前たちは自分たち自身の子供に脅えている。子供たちはサイバースペースのネイティブなのに、お前たちの方はいつまでたっても根付かぬ移民のままだからだ。この子どもたちを恐れるがゆえに、お前たちは、自分たち自身では卑怯にも真正面から引き受けることの出来ない親としての責任を官僚たちに委ねるのだ。我々の世界では、人間性に関わるあらゆる感情やその表現は、下劣なものから崇高なものまで、みなシームレスな全体を形作る部分であり、ビットによるグローバルな対話の一部なのである。人を窒息させるのも空気なら鳥を舞い上がらせるのも空気であり、両者を区別する事は出来ない。
中国、ドイツ、フランス、ロシア、シンガポール、イタリア、アメリカで、お前たちはサイバースペースのフロンティアに番兵を立たせて自由のウイルスの侵入を何とか食い止めようとしている。それで少しの間は感染を防げるかもしれないが、まもなく世界中がビットメディアに覆い尽くされれば、それも無駄になろう。
お前たちのますます陳腐化する情報産業界は、延命を図ろうとアメリカやその他のいたるところで自分たちの主張を世界中に通すための法律を作ろうとするだろう。その法律とやらは、アイデアもまた別種の工業製品だとのたまう。それは高炉から流れ出た鋼鉄に比べてちょいとばかり高級などというものでは何らないというわけだ。しかし我々の方では、人間の精神が作り出せるものはすべて再生産できるし、また無償で無限回分配することができる。思考のグローバルな伝達にはもはやお前たちの工場の完成を待つには及ばないのである。
このような、陰険で植民知的な措置のおかげで、我々はかつての自由と自己決定を愛した人々と同じ立場に立たされている。かつてこの人々たちは遠くから何の説明もなく権力を揮う政府に対し異議を唱えねばならなかった。我々はここに何としても宣言せねばならない。我々のヴァーチャルな自我はお前たちの権力に対して免疫抵抗を持っている、と。たとえ我々は我々自身を地球全体に分散させているから、誰にも我々の思考を捕縛することはできない。
我々はサイバースペースに精神の文明を作り上げるだろう。そしてそれはかつてお前たち政府が作り上げた世界よりもはるかに人間的で美しいものになるに違いない。
http://anond.hatelabo.jp/20090216221825
これを見た日にこういう内容を書くとは。
とりあえずブームになってるようなのでこの波に乗るしかない、と書いたら誤解されるだろうけどしったこっちゃない。
何を言わなくても似非メンヘラだと言われ、何か言っても似非メンヘラだと言われるのだから。
同じ阿呆なら踊らにゃそんそんじゃないけど、私の場合は文字にしたり口に出すことで辛うじて発散できるからこうして打っている。
ちなみに普通の発散方法だと発散できない。わがままと取られるだろうが、自分がいいと思った物以外は全てストレスに変わる。
端的に言えば0か100、いや200にも500にもなるだろう。だから避難されるだろが、それを承知で記す。
しかし初めて増田に書き込む内容がこれとは…。予想はしていたが思ったより早かった、そして空前の鬱ブーム。
私の体験談が参考になるかわからないが、何気なく書けるここに便乗し、思いのまま書く。まとまっていないものが出来るだろう。
これを機に理由もなく叩いているネット弁慶の否精神疾患派は心を入れ替えて欲しいし、似非メンヘラは溶けて無くなればいいと思う。
私は去年の夏に鬱病と診断された。それに伴い帰省を余儀なくされ、退社せざるを得なくなった。
したがってもちろん転医した。が、この医者が少々困った人だった。
初めて受診したときはカウンセラーが一時間かけて私の話を聞いてくれた。
紹介状(診断書だが)のおかげかスムースに事は運んだ。
類は友を呼ぶのか同じ病の人とネットを経由して連絡を取り合うようになった。
私はその友人から病気について質問し、また答えを貰った(友人の方が病歴が長い)。
そうして医者と上手く付き合う方法を訊いたし、よくなりたいと出来る限りの努力をした。
ある日、不規則な生活からどうしても抜け出せないと相談すると、医者が薬をくれると友は言った。
心配な私は何度も訪ねたが、症状をよく訴えれば貰えると教えてくれた。簡単だと言った。
後日私は病院へ赴いた。医者にはいつものように生活の事を訊かれた。
これまでは「調子が良くなっている気がする」、とか「薬はたまに忘れるが一応飲んでいる」と言っていた。
私の悪い癖だ。病気の癖に頑張って良い振りをしていた。でないと見捨てられる気がして恐かった。
だが、この日は完全に医者の言うことを鵜呑みにせず、少々反論した。反論と言うよりはありのままを話した。
「最近不規則から抜け出せない」、「眠れない、今日も寝ていない」、「感情が抑えられないときが頻繁にあり、その度友に迷惑をかけてしまう」などだ。
睡眠薬は貰っていたが、これが効かない、眠れやしない。しかも眠れる時に限って効き過ぎる、半日はざらに眠る。
そういう事を訴えたが、医者は「生活リズムを調整しては?」、「睡眠薬の量を増やしましょう」とだけ言った。
時間を割いて、臭くてごちゃごちゃして苛々する待合室に長時間待たされて、出来る限り頑張った結果がこれだった。
しかし、医者の言うことは聞いておこう、そう思い私は溜飲を下げ医者の言うとおり努力した。
それから三ヶ月が経った。未だ感情のコントロールは上手くいかず、友人達には迷惑をかけてしまう。寂しくて常時死にそうだ。
当たり前のようにみたく眠れない。正確には身体が悲鳴を上げるまでは眠気が来ても瞬時に消えてしまう。
布団に横になろうにもいろいろな妄想が頭に浮かんで恐くなる。結局一番疲れないで時間を潰せるネットに手を出す。非常に悪循環だ。
薬が欲しかった。ネットで見た情報にはいろいろな薬があった。それが処方された人もたくさんいた。羨ましかった。
もちろん友人もその一人だった。再度友人に指示を仰いだ。するとアピールが足りない、もう少し訴えたら貰える、との事だった。
そうか、自分は病人だから後ろめたいと思わず素直に言えばいいのか、そう訊くと友人はそうだと言ってくれた。
そして今日病院へ行ってきた。出来る限りの力で、前回よりも、前々回よりも訴えた。
しかし「言われたとおりに薬を飲まない私が悪い」、だとか相変わらず、「もう少し様子を見よう」と仏頂面。
私もいよいよ堪忍袋の緒が切れた。「言われたとおりに出来ないから訴えている」、
「心が落ち着かない、気が狂ってしまう」そういう事を同様しながら言った。
兎に角おかしくなる、というような事をただただ訴えた。すると医者は呆れた顔をしながら深くため息をついた。
私はいよいよ違った展開になるかと内心期待した。しかし医者は顔を変えただけで言うことは同じだった。
ただ同じ言葉を言う。調子を変えて、少し強めに言う。まるで私は機械と話しているようだった。
いくら病気といえど私だって数年人間をやっているつもりだ。話が通じない相手と話はしたくない。
とりあえずはい、と答えた。目はしばらく合わせなかった、会わせたくなかった。
何も見たくなかった。いっそ倒れてしまいたかった。電源ボタンでもついていればいいのに。
椅子でも蹴飛ばしたい気分だったがそんな気力はもちろんあるわけない。
その場はいつも一礼して退室するのだが今日はしなかった。だって人と話していないから。
処方された薬は受け取らなかった。お金を払うのがばからしい。医者を変えて別の薬を貰おうと決めた。
その話を受付ですると仕事の遅い受付は婦長を呼んだ。しばらくすると婦長が飛んできた。
私を心配していると言うよりは銭勘定の心配をしているような目で私をみて色々と訊いてきた。
何が気に入らないとかどうとか、苛々してよく覚えていない。しかし私が急いでいるというのに長々と喋る女だった。
結局時間をめいっぱい取った後私はようやく解放され、診察代だけを払い帰宅した。
この話は別段特別なものじゃない。よくある話だ。現に私は今回二度目の再発なのだが、一度目も何度か転医している。
ちなみに一度目は落ち着いたからいいものの、その医者にはもう関わりたくない。
一度目は軽かったのか、友人や家族に助けてもらったと思っているくらいだ。だから今回だってすごく恐かった。
その事を前もって伝えてあるのに私の心はたやすく踏みにじられてしまった。こういう事を少なからず精神疾患は経験している。
これでもまだ弱者を槍玉に挙げて叩きたいのだろうか?それもこれも似非メンヘラの性なのだろうが、奴らは真性の○○すぎて話にならない。
私も多くの人に傷つけられた。職がないとニートと言われ、病気だと言うと恥ずかしくないのかと言われ、認めろ甘えだ、と罵られた。
病気じゃないときの記憶はもちろんある。その時と今を比較して、出来なくなった事を説明すると病気だったらそんな判断は出来ないとも言われた。
何か見えない敵と戦っているのだろうが、私にその鬱憤をぶつけられても困る。挙げ句俺だって苦しい、だからお前も頑張れ、とも。一体何様なんだろうか。
世代的にも様々な教育を受けた者が知り合いに大勢いる。だがどの世代も人の握りの人間しか私を理解してくれない。
そんなもやもやを抱いて日々を生きてきたが今回の記事や、他の某ブログで鬱病の記事を見て、そして今日の出来事でこれを書くに至った。
感情のコントロールが訊かない癖に、それにまかせて書き殴っているため少々矛盾が生じていることをここで詫びる。
だが食わず嫌いで精神疾患を判断するのは止めて欲しい。それこそ自分は大人だと思う人、自分のレヴェルが高いと思い、同じ水準を求める人は特に。
自分の目で見て、耳で聴いてから判断して欲しい。自分が大人なら、高いレヴェルなら簡単なはずだろう?
明日は我が身かも知れない。自分でなくとも家族、恋人、親友がなるかも知れない。それでもあなたは弱者に鞭を打ち続けるのだろうか?
誤解しないで欲しいのは優しくして欲しいという事じゃない。理解して欲しいのだ。病気であること、正常でない自分に苦しんでいることを。
昔の記憶はある。その違いにとても悲しくなるし憂うし自分を責めるし怒る。でも立派な人間なのだ。
勿論似非はわからずこれらをしているわけだから私は彼らを許さざるを得ない。
私たちは極端に言うと別の生き物と思ってもらうのが良い。男と女のように、同類ではあるが同質でない、それが精神疾患だ。
だから常識は通用しない。とっても疲れるし、面倒だ。自分まで気が狂いそうになって、嫌になってその人の首を絞めたくなるだろう。
私も病気になる前はそういう人と接する機会があったから、そちら側だったから気持ちは痛いほどわかる。
だが自分が正常だと思ってこちら側を卑下するのなら、大人だと思うのなら、せめて私たちを理解してからにして欲しい。
わからないのなら素直にわからないと認めて欲しい。私たちはは幽霊ではない。実際に生きている。血も通っている。ものも考える。
四六時中考えろと言わない。けど最近精神疾患について過剰すぎるほどの暴言を浴びるし、見かける。
アダルトチルドレンが増えた証拠なのだろうが、少し多すぎる気がする。私はこんな状況を危惧している。
よりよい未来のために、素晴らしい人間関係の為に、長くまとまっていないが、何か感じるものがあれば一瞬でもいいから考えて欲しい。
あと似非メンヘラは本当溶けて無くなればいいから。法律で賠償請求したいくらい。そのお金で医療費充実させたい。
まともな癖に異常なふりをするな大馬鹿者。
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「『空気より重い空飛ぶ機械』は不可能だ。」ロード・ケビン、英国学士院総裁
「ギターバンドはもう流行らない」と言われて、大手レコード会社デッカのオーディションに落ちたビートルズ
「将来コンピュータの重量は、1.5トン以下になるかも知れない。」
Popular Mechanics誌、科学の果てしなき進歩を予測して、1949
「家庭にコンピュータを欲しいと思う人などいる訳がない。」
ケン・オルソン、Digital Equipmentの創設者・社長・会長、1977
常識とは18歳までに身につけた偏見のコレクションのことをいう
なぜ怒鳴りつけたのでしょうか? - reponの日記 ないわ〜 404 NotFound(暫定)
鳴かぬなら、鳴かせてみよう、ホトドギス。
鳴かぬなら、鳴くまでまとう、ホトドギス。
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隣人の語ること、行うこと、考えることを気にかけないもの。アウレリウス
[権内][権外][分限自覚][エピクテートス]意志の力でどうにもならない物事
[アドラー][心理学][マズロー][欲求5段階説][反証可能性]
世の中のすべてから愛されようといった、虫のよいことは考えず、異端を恐れずに進む。
この道をいけばどうなるものか・・・迷わず行けよ 行けばわかるさ 一休さん - 名言から学ぶ幸せのヒント
この道を行けばどうなるものか、危ぶむなかれ、危ぶめば道はなし。
踏み出せばその一足が道となり、その一足が道となる。
迷わず行けよ。
行けばわかるさ。
どの港に入るのか分からなければ、どの風も追い風にはならない。
コミュニケーションにおける最大の問題は、それが達成されたという幻想である。
The greatest problem in communication is the illusion that it has been accomplished.
George Bernard Shaw
コミュニケーションにおける最大の問題はそれが達成されたという幻想
[アローの不可能性定理][民主主義][じゃんけん][trade-off]
イソップ物語3-「こな屋とロバ」「ウサギとカメ」「けんかした牛」「ひつじかいの少年」
何物かを選ぶことは、他の一切を捨てることである。チェスタートン
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なぜ怒鳴りつけたのでしょうか? - reponの日記 ないわ〜 404 NotFound(暫定)
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「君にそんなことができるはずはないよ」とあなたに言ったのは誰ですか?その人は、あなたの限界を定める資格を持つほど、大きな成功を収めたというのでしょうか?ナポレオン
私も入ったころ「この人本当にいいひとだなぁー」っておもっていた所にしばらくして
http://www.geocities.co.jp/Bookend/9563/Aesop/reader_Aesop10.txt
粉屋とかれの息子が、となりまちのいちで、ロバを売るためにロバを曳いていった。
歩き出してからすぐ、彼らは、井戸端会議をしている女将さんたちに出合った。
「ほらみてごらん。」一人が叫んだ。
「あの人たちときたら、ロバに乗らずに、とぼとぼ歩いているよ。みんなはあんなのを見たことがあるかい?」
粉屋はこれを聞くと、すぐさま息子をロバに乗せた。そうして、自分はその脇をさも楽し気に歩き続けた。
それからまたしばらく行くと、老人たちが熱心に議論しているところへやってきた。
「あれを見なさい。」その中の一人が言った。
「ほら、わしの言うとおりじゃろう。近頃では、年寄りにどんな敬意が払われているのだ? 年老いた父親が歩いていると言うのに、怠け者の息子はロバに乗っておる。やくざな若者よ、下りるのだ! そして、年老いた父親を休ませてやりなさい。」
こうして、父親は息子をロバから下ろすと、自分がロバにまたがった。
こうして歩いていると、またすぐに、彼らは母親と子供たちの一団に出くわした。
「あんたときたら、なんて、いけずな年寄りなんだい。」数人が粉屋を非難した。
「可哀想に小さな息子は、あんたの脇を、やっとの思いでついて行っているというのに、よく自分はロバに乗って、平気でいられるね。」
気のよい粉屋は、すぐさま息子を自分の後ろに乗せた。こうして、彼らは町の入口にさしかかった。
「おお、正直な我が友よ!」ある市民が言った。「これはあなたがたのロバですか?」
「その通りですよ。」年老いた父親がこう答えた。
「本当ですか? あんたがた二人がロバに乗っているのでは、誰もそうとは思わないですよ。」男はそう言うと更に続けた。
「ロバに乗るよりも、自分たちでロバを運んだ方がよいのに、なぜそうしないんですか?」
こうして、粉屋は息子と共にロバから下りると、ロバの脚を束ねた。
そして棒を使って肩に担ぐと、町の入口の橋までロバを運んでいった。
この様子を見ようと人だかりができ、人々は笑い転げた。
ロバはうるさいのが嫌いなのに、その上、へんてこりんな扱いを受けたので、縛っている縄を破ろうと、棒を揺さぶった。そして川に落ちてしまった。
苦い思いをして、恥ずかしくなった粉屋は、家に引き返すしかなかった。
こうして粉屋が得たものは、全てを喜ばせようとすることは、結局誰も喜ばせないことであり、そのうえロバまで失うということであった。
これからは、どんなに非難されようが、ほめられようが、人があれこれ言おうが言うまいが、俺は俺の考えに従う。
ラ・フォンテーヌ
そんな言葉抱きしめながら
だけど最後の答えは一人で見つけるのね
人間は一生、他人の心などわかるはずもない。MASTERキートン
本当の幸せは内側からもたらされる。 誰もあなたを幸せにすることは
マナーは国や民族、文化、時代、宗教のさまざまな習慣によって、形式が異なる。
ある国では美徳とされている事が、他の国では不快に思われることもある。
例えば日本ではげっぷをすれば不快に思われるが、アラブ諸国では食後にげっぷをするのが礼儀とされている、など。
常識とは18歳までに身につけた偏見のコレクションのことをいう
自分自身に正直である事は何と困難な事だろう。他人に正直である方が
はてなブックマーク - My Life Between Silicon Valley and Japan - スルー力(りょく)の重要性
愚か者でないかぎり誠実であることは危険である。バーナード・ショー
成功するのに実力なんて半分くらいしか影響しない。残りの半分は人との駆け引き。 | 夢・希望を育てるHP365!百万ドルの笑顔をあんたにも!! - 楽天ブログ
正しいと信じている事をすればよろしい。批判を逃れる事はできない。
「『空気より重い空飛ぶ機械』は不可能だ。」ロード・ケビン、英国学士院総裁
「ギターバンドはもう流行らない」と言われて、大手レコード会社デッカのオーディションに落ちたビートルズ
上司は思いつきでものを言う (集英社新書) | 橋本 治 | 本 | Amazon.co.jp
会社は頭から腐る―あなたの会社のよりよい未来のために「再生の修羅場からの提言」 | 冨山 和彦 | 本 | Amazon.co.jp
どんな馬鹿でも、あらを探したり、難癖をつけたり、苦情を言ったりできる・・・
そしてたいていの馬鹿がそれをやる。
人間は考えることが少なければ少ないほど余計にしゃべる。
しつけとは、他人のことをどれほど考えていないかを隠すことである。
http://anond.hatelabo.jp/20150921000522
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